はてなキーワード: 近海とは
この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代的国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮と西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍がキリスト教徒虐殺事件(丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国もジェネラル・シャーマン号事件(1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮の江華島に攻撃・占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮と通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。
当時朝鮮の政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である。清朝から西欧列強の情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策を積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国を夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。
また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国が朝鮮を守ったため、今回も中国が朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国は東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮の認識ですから、親分である中国に自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。
他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはやく開国し明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係を樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月に明治政府が樹立するとすぐに書契、すなわち国書を対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためである。しかし国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。
この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である。日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から、条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係を位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国の王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである。
征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。
1868年以来、何度か日本からの国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いから両国の関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国の官僚同士が険悪となっていた。長崎の出島のごとき釜山の倭館に限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである。釜山の倭館は朝鮮側が日本、特に対馬藩の使節や商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府は対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収し日本公館としたことから事態が悪化したのである。結果、必要物資の供給及び密貿易の停止が朝鮮側から宣言される事態となった。
日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年、朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約、日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉を忌避する朝鮮を、交渉のテーブルに着くように促したのである。
1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本が朝鮮に出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本からの国書を受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊を意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。
国交交渉再開の気運が高まり、1875年に交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚が交渉のテーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山の洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢に朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山は4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍の砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月に派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目で示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。
詳細は「江華島事件」を参照
9月20日、首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島の要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器、旗章、楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件は朝鮮側が日本海軍所属の軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。
明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。
またこれらが満たされない場合、軍事行動も含む強硬な外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見はほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さらに朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強の干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである。
さらにボアソナードのいう軍事行動も含む強硬な外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦や兵士の護衛がつき、威圧効果を朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋が山口県下関に入り、広島・熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのである。さらにいえば、日本の砲艦外交的姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。
ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシアや清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。
以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。
砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。
江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係を樹立すること。
また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮の宗主国である対清朝政策でもあり、清朝の干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀、欧米列強のアジア侵略に対抗するため、清朝は朝鮮やベトナム、琉球などの冊封国を保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジアの伝統的な国際関係をそのまま近代的国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴル、チベット、新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。
この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである。
http://ameblo.jp/nihonkaigi-yachiyo/entry-12138001630.html
このブログ、「pefect human」が反日歌だと主張しているのだが、糖質も思わず是正してしまいそうな破綻性を帯びながらも
ジェットで大気圏を突破してしまったからなのか、ある種理不尽ギャグとしても通用するのではないかと思った。
nakata→千代田など常人では考えも付かない狂気のこじ付けを行うにはいささか躊躇があったが試しに何曲かやってみた。
ドラえもんのうた
こんなこといいな→日本社会を思い通りに操りたいという勢力の本音
みんなみんなかなえてくれる→あまりにも思い通りに行くので笑いが止まらない様子
ふしぎなポッケで叶えてくれる→不思議なポッケ、つまり特権を駆使してナマポを受給する在日の話
ハイタケコプター!→hi take cop tard(copは警官の意ではなく、日本の国土を守る自衛隊を意味する。takeから殲滅、始末を馬鹿(tard)な自衛官を殺せという意味合いが取れる)
アンアンアンとっても大好きドラえもん→unは勿論、国際連合を意味する。とっても大好きとは現在の国連事務総長である潘基文に忠誠を誓えと日本に対して服従を迫っているのだ。三回繰り返すのは清王朝の伝統的儀礼である三跪九叩頭の礼に由来する。
と軽く書いてみたが、この時点で大分生命力を吸い取られた感が凄いのなんの。だが中々上出来ではないだろうか。コツとしては抽出的な文に主観を入れて改造すること。要は連想ゲームと同じである。
リンゴ→血の色のように不穏なワードに直結させればいいだけの話だ。
これでやれば軍歌でも反日ソングであるとこじ付けられる。では軍歌と言えば定番の曲で妄想歌詞言ってみよう。
守るも攻めるも黒鉄→くろがね、つまり東京大空襲で爆撃された焼夷弾に焼かれ黒焦げになった日本人死体。
浮かべる城こそ頼みなる→浮かべる城、浮かぶ巨大物といえば空母である。中国海軍が軍拡で遼寧級空母を導入したのは記憶に新しい。つまりそういうことである。
浮かべるその城日の本の→空母を日本に浮かべる、日本国の固有領土である尖閣諸島の近海に空母を浮かべろと主張しているのだ。
仇なす国を攻めよかし→これは説明するまでも無い。完全に宣戦布告であり有事の準備のために、即座に核武装果たすべきだ。
とネトウヨの物マネをしてみたがいかがだっただろうか?正直これだけで精神値が減少を留めないので、これ一回でやめにしたいと思う。
日本がアメリカに協力することでアメリカに守ってもらえるというが、それって上司にお歳暮を贈ったら昇給するかもしれないレベルで、可能性としてはあるので無視できないだろうけど、実のところはわからないとしか言いようがない。
それに対して、日本がアメリカに協力することで、日本自身が標的になるというリスクは確実に上がる。自衛隊が海外に派兵することで、日本近海の国防が手薄になるという指摘ももっとも。
で、こういう状況で、「メリットは大きいけどデメリットは大したことない」って議論は聞いたことがない。賛成派でまともに議論しているの見たことないよ。
安倍政権が凄まじく叩かれていて、あまりにも不憫なので少し肩を持とうと思う。
これを書いてる自分は、はっきり言うと集団的自衛権に賛成の立場である。
とはいえ、今回の進め方は随分と強引だったというのが印象だ。
で、本題。
なんで憲法9条改正を行う前に集団的自衛権を焦って通したのはなぜか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150721-00047747/
要約するとこうだ。
という話。
ついでを言えば、この理由は「中国ガチでやべえ!」って大手を振って政権がのたまうと、現地の日本企業が村八分というか国八部食らうから。
(というか一部言っちゃったけど安倍さん…)
で、みんな気になる徴兵の話。
結論から言うと、完全な戦時中に突入し、しかも短期で片付かず、世界大戦レベルの泥沼になったらありえる。
というレベルではないかとみてる。
第二次世界大戦時は徴兵始まったのは中盤以降(劣勢に立って以降)なので、かなりの最終手段だったと思われる。
まぁ昔の事なので引き合いに出すのは難しいけど。
ありえるとしか言いようがないでしょう。
もちろん日本近海に石油やメタンハイドレード等はあるとは言われています。
試掘だって始まっていますが、今後急ピッチで進めたとしても、年単位は覚悟が必要です。
思ったよりは進まないでしょう。
http://www.jogmec.go.jp/library/stockpiling_oil_003.html
半年かぁ…賭けですね。
ではそこまでの価値があるのかについて考える。
衣料、医療と様々な加工品も考えれば、どれだけ影響あるか…。
経済的な打撃は非常に大きいハズというか…また震災ばりのパニックで物価の高騰もありえますね。
せっかくなので本筋以外の点についてコメントする。
緊急性の有無について。
では安全保障法制の必要性に君が納得してくれるにはどういう事態が起こればいいのか?尖閣の近海で中国艦隊とにらみあう日本艦隊と米軍艦隊が攻撃され(補筆ここから:個別的自衛権行使が可能な状況を作り出して反撃するために:補筆ここまで)盾になった自衛艦が撃沈されればよいのか?そして自衛官が何十人も戦死すれば君は納得してくれるのか?それから政府解釈を変更し、安保法制を作り、衆参両院で審議・成立・施行・訓練か。一体、何ヶ月・何年かかるのだろう。その間に中国は尖閣にヘリポートを作らないのだろうか?そもそも安保法制ができればまだしもましだが、その間、朝日新聞は「中国にだって言い分はある。日米にだって落ち度はあった」と中国の三分の理と我が方のかすかな落ち度を一生懸命、報道してくださることだろう。ありがたいことだ。現在の安部内閣の指導力は支持・不支持の側双方が認めざるをえないところであろうが、そのときに指導力の乏しい内閣が日本国を指導していたら右往左往してヘリポートの完成を見守るばかりであろう。そして日本と利害の相反する国がとらえるのは当然、そういう内閣が任にあたっている機会である。
「緊急性」がないなどとはとても賛同できない。
沖縄を独立させ衛星国にするぐらいなどと簡単に言うが、中国の衛星国と言えば北朝鮮だ。その惨状を知らぬ訳ではあるまい。沖縄の同胞140万人の運命を共産主義者の圧制に委ねることを「程度」などと評するのは、沖縄県民の日本国民としての権利を軽視した恐るべき差別的な発想といわざるを得ない。そもそも一地方の分離・独立は国民国家の存立に関わる事態だ。
政府が国民を保護するためになすべきことをせずに国民の幸福追求の権利が結果として侵害されたり繁栄や財産が制約・制限・侵害されるならば、それは政府の暴走の一種だ。
日本国はデモクラシーを奉じている。すなわち日本国民の意志によって政府は交換可能だ。日本国民の理性を信じ、陶冶することこそが日本国のデモクラシーの発展に寄与する。
そのためには冷静で論理的な議論ができる環境が不可欠である。そしてそれに果たすメディアの役割は重大である。
私と君がした議論は、それなりに生産的で冷静・論理的であったと思う。しかしながら今般の安保法制に関する議論はメディアでも議会でも極めて幼稚だった。
日経新聞は「与野党どっちもどっち」などと見識ヅラを装っているが、個人的には野党の幼稚さに主たる責任があると思う。
世界的な軍事バランスの変化を前提にする以上、多少の時期の早晩に違いはあれ、日本の安全保障体制の見直しが必要なのは国民の幅広い層がすでに認識している。
一方、自衛隊と日米安保の機能の必要性も日本国民は受け入れている。
これらを是認した上で、安保法制に反対する唯一筋道だった論理は9条改憲をセットにし、われわれ日本国民が奉ずるデモクラシーと立憲政治の危機を訴えることだ。
だが、安保法制反対(朝日新聞購読層、民主党、社民党、共産党支持層)の人々の多くは9条改正に反対だ。だからこの論点に、一生懸命焦点を当てないようにしている。その装置が「憲法学者の圧倒的多数」なるその中身が明らかでないフレーズだ。
こんなつまらんごまかしが通用すると思っているのだから、国民を馬鹿にしているのは朝日新聞や野党だろう。
多少の逸脱はあったにせよ与党側の対応が不誠実だとする非難は、むしろ悪質なクレーマーが型どおりの応答をせざるをえないコールセンターの係員を非難している様子を想起させてしかたがないのだ。
時は21世紀、かつて大戦で轟沈した艦のサルベージが一部富裕層の間で行われていた。
ある時そのような形でサルベージされた艦艇の内部から、特殊なコアのようなものが見つかる。同時期にサルベージされた複数の艦艇において同様のコアが発掘され、世界各地でコアの研究が盛んになり始める。
コアの効用は生物の強壮作用である。コアを浸した海水をラットなどに飲ませることで、これまでの生物の常識を超えた力や耐久力を持った生物に生まれ変わった事例などが確認された。
研究が進む中、まことしやかに米国では人体実験の情報も覗うことができた。
単なる爆発事故、と当時はされていたのだが、しかし実験体の逃走と、実験体によるコアの簒奪のニュースが遅れて日本にも届く。
暫くの時間の後、アメリカにおける多数の研究施設や軍事施設に謎の襲撃が相次ぐようになる。海洋大国日本はそのようなニュースを傍観していたのだが、米国において通信インフラ施設が破壊され、米国政府との公式な通信が不可能になってしまい、連日続く謎の生物による襲撃事件によって賑わっていた米国マスコミも同時期に沈黙。以降米国との情報のやりとりは完全に途絶え、状況を確かめようと派遣された航空機や複数の軍艦は米国近海において消息を絶った。
また、日本近海においても謎の生物の発見談や、その生物による攻撃事件などが頻発する中、日本の研究機関は『コア』と大戦中の艦艇の部品を触媒として用いることで、生物を強化し特殊な能力を付与し得る培養液の開発に成功する。
後に『高速修復剤』として用いられるところの液剤であった。
日本においては、米国の完全な沈黙の後に発見され『深海棲艦』と呼称されるようになった生物によって起こされる、多数の襲撃事件や、軍事施設への攻撃に対処する為に、液剤に適合する人間のサンプルと、そしてその適合後の人間が使用できる種々の兵器の開発が急がれていた。
いくつか補足や
「レイシストは糾弾されるべきだが、どんな雑な糾弾をしてもいいってわけじゃないだろ」って話だよなこれ。ブクマ見てるといまいちそう伝わってない感じがあるけど。
まあ「レイシスト」に限らず、「放射脳」とか「表現規制派」とか「反捕鯨」とか色々ありますわいな。
「ネトウヨ」が「悪辣な差別をする白人たちからアジアを守るために大東亜戦争を戦った偉大な日本」みたいなことを言うと歴史修正主義と怒る奴らだって「白人たちの感情的な文化差別と戦う、科学にもとづいて捕鯨文化を守る偉大な日本」みたいなストーリーにはほいほい乗る(オイオイ、シエラ号事件に代表される悪質なクジラ密漁をやりまくってたこととか、「クジラが増えすぎて魚が減ってる」って論は科学者には認められてないこととか、「南極海捕鯨から手を引くのと近海捕鯨をきちんと認めることをバーターにするので妥協しようぜ」って流れになってたのに日本側からそれぶち壊して全ツッパしたこととかはガン無視かよ)もんねえ。「自分たちは理性の光に基づく冷静な意見を言ってる、敵は一様にバカで感情論ばっかり言ってる」って構図の誘惑に抗うのは難しいんよ。
3行で
そうだったのか。。。。落ち込みんぐwwww
Webに憧れたのは小学生の時だった。YahooKids!を開くとでてくるポンタの冒険に夢中だった。
ここにはないデータを手にして、ゲームができてしまう。インターネットすごい!!僕も作りたいとおもった。
中学になって、引きこもりぎみだった僕は自宅にあったパソコンの本を読みあさった。HTMLなるものを使えばインターネットがつくれることを知った。
必死になって意味を理解しようとした。headないにJavaScriptをかいて、bodyには本文をかいて。拡張子の存在を初めてしった。ファイル名+αの文字がなければ画像を
インターネットに乗せれないことを知った。色々な色を使ってデザインして、くそだなーと思いながらHTMLを書きまくった。
PerlやRubyにも手をだした。図書館で本を借りて理解を深めた。頼る人なんていないのですべて独学だった。
高校入学まえにHatenaをしった。higeponやnaoya、amachang、Hamachiya2にあこがれた。
Plagger芸を真似してぴざの配達でわらったり、ニュースさいとの転送してみたり。
RSSリーダーが流行ったのはどっちが先だったっけ?自分でRSSリーダーつくったりもしたなー。
ニュースサイトをまとめるWebServiceつくったりもしたっけ。
ApacheのカスタマイズとかLinuxKernelを理解しようとしてたWebな人達の向上心にひかれた。
higeponが未踏にとおったときに、学歴をしって、情報系の学部にいくのはやめた。
理学系の学部でSICPよんでみたり、データベースいじってみたり。好きにうごいた。そのころはWeb技術に関心はなかった。
学部4年になってから研究室のHP管理をしたので、そのあたりからWebの情報を取入れはじめた。
JS系のフレームワーク、AngularJSやらBackbone。すげーJSの見通しがたちやすくなっててエレクトした。
サーバー側も、RailsだけでなくFuelPHP、Laravel4、Sinatra、PythonのWebApp2とか。
Herokuを使って感動した。nodeなんてものがでてて椅子からひっくりかえった。
おもしろすぎて使いまくった。
ハッカソンにも参加してみた。僕の様なよばなれした人が出る場でないのはわかっていた。
作れない人達にかわって瞬時に作った。意見をその場その場で聞いて、作るべきものをはあくした。
楽々アイディアを形にしていった。他の学生と比べても僕の方が早く正確にかけた。
かなわないか、同じ程度だとおもったのはMSPの学生くらい。
だれよりも技術が好きで情報を取り入れてアイディアを形にした。
もちろんメールと一期一句同じではなく、僕の解釈した言葉ではある。
Webのプログラマになろうとしたじてんで一生技術を学び続ける覚悟はした。
それに沿って行動もした。実際にサービス作ってOutputもしてる。
僕よりも技術に欲ある人がいるということでもある。みたことない。
いままでハッカソンで会ってきた学生はC言語みたいなJSかくやつしかいないし。
生JSからAngularJSに移行したら僕の前から消えたようなやつらだ。
僕以上のスピードと正確さでサービスのリリースに尽力して、技術をもとめてるやつがいるのか。
面接で、クラウドとか、ビックデータとかPじゃなくてNやらHな言語を勉強してるとか言えばよかったのかな。
八つ当りにGithubのBackboneのプラグインにプルリクしといた。
今日はいくつかリポジトリみつけて気晴らしにプログラムをかこうと思う。
最後まで読んだひとはわかるとおもうけど、僕は人に通じる言葉が苦手です。
付き合ってくれて有難う。僕は地方で働きます。さよならWeb。
ぼくにはピンポンのアクマみたいな、 「おまえ誰よりWeb好きじゃんよ!!」といってくれる友達はいない。
それとも僕が無能(アクマ)だったのか。
https://twitter.com/toshio_tamogami/status/338042384719958017
パククネは口を開けば「歴史認識」と所かまわずわめくが、李承晩が勝手に線を引いて竹島を強奪したのは韓国。竹島周辺海域で日本漁船を328隻も拿捕し44人も殺した歴史を忘れたのか。さらに遡れば、元寇では対馬の住民を虐殺したではないか。千年たっても忘れないとはどっちの台詞かと言いたい。
残念ながらおつむの弱いこの人だから仕方がないが、いつも人気があって日本のレベルを下げている。
前提として
・李承晩ラインは韓国が当時勝手にひいたもので日本が無条件に「当時」(ここはちょっとだけ後で重要)から受け入れて当然のものではない
・李承晩ラインをめぐってでた当時の日本側の被害者の件について日本が泣き寝入りをして当然ということはない
しかし、上記 田母神ツイートは「ダメ」なのだ。この程度のことを韓国側が言ってたら2chで袋叩きのクラスである。
1)死傷者を勝手に全部死者にするな >これは調べれば簡単にわかります。水増しやめろ恥だ
2)李承晩ラインをめぐる拿捕の大半は「竹島近海」などではない。「済州島」周辺である。過去の被害の資料を持ち出すなら海域をちゃんと調べること。
もちろん、2)で日本の被害をちゃらにさせる必要などない。が、あの海域は「当時はまだ今と経済水域の国際合意が異なるのでチャラにする必要はないが、今となってはあそこに線があるのは異常でも何でもない「済州島」近海」でしかないことに注意。
これが現代で相手国が韓国じゃなけりゃ「危険を承知で近づいた漁民の自己責任」といわれかねないレベル(この文の冒頭の限定条件を読み落とさないこと)
まぁ、で李承晩ラインを日本が無条件に認めてやる義理などないが、「韓国という国が愚か」という前にその時期韓国がどういう状況にあったかぐらいはみてやった方がいい。「朝鮮戦争中」。まぁゆえに国際法的には先方にはむしろ不利の上塗りじゃねぇかっていう話にもなりかねないが、海産資源を主張しとかないといろいろやっかいになって先方の国益守れねぇぞって動いても(こちらとして承認などしないが)心情的には馬鹿とは私は思わないけどね(国境画定や米軍との関係と竹島をこの時期、というのが無関係とは言わないけど、その点については同情するかといわれるとまたそれはいろいろ前提が違うから心情的に馬鹿と思わないと明言するのから竹島近海は外しておく)。
まぁおつむよわよわ田母神さんは、当時の日本海での二国間の資源問題がどこにあったかなどまったくご興味がないということもよくわかります。
https://twitter.com/kankimura/status/237560562895159297
Kan Kimura
序でに書けば、日本のネット上でも同じ間違いがなされていて、「李承晩ラインに伴う被害」が「竹島/独島紛争に伴う被害」とごちゃごちゃに認識されている。繰り返しだけど、李承晩ラインに伴う日本漁船拿捕の大半は、竹島/独島から遠く離れた済州島近海のもの。