はてなキーワード: 読書感想文とは
いわゆる、通俗的に、最も一般的な例えである所の「ガルパンはいいぞ」についての話
実は、これについてはもうそんなに語ることがない
「ああ、それは百聞は一見に如かずだよ」と言えば良いだけの話だ
いつも思う
それは「私の読書感想文が上手だった」という事に過ぎない
本当に素晴らしい作品であれば、語り手の巧緻に関わらずその作品に触れるだろう
私は、私と相手との個人的信頼感をほんの少しのエッセンスとした「布教活動」をしているに過ぎない
相手がその作品を知る、あるいは触れる「機会」を提供するという形でしかそれを薦められない
それはもはや、「祈り」である
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
「――進級祝いだよ」
初夏も迎えていないのに油断すると汗がにじむ、春の陽気とはいい難い日だった。すこしだけ呆けていた私は、それが机上に鎮座したパソコンのことを指しているのだと気付くのに時間を要した。
「進級祝い?」
そう口にして、彼女と同じことを言っていると思った。気恥ずかしさを誤魔化すように、胸ポケットから煙草とライターを取り出す。火を点けると一瞬燐の燃えるつんとした匂いがした。
「うん、進級祝い」
そう言って彼女は愉快そうに笑った。
私は日記を書くことにした。
私のことに興味を抱く人間など希少だろうが、このはてな匿名ダイアリーという戦場では、何らかの記号がなければ、不特定多数の日々という奔流に押し流され、何事もなかったかのように埋もれてしまう。
彼女にそう言ったので、私は、ここで私のことを記そうと思う。
当時の私は大学生だった。自身の不徳から同級生より二、三、歳を重ねていたが、好きなものを持ち、夢を持ち、自由を持つ、有象無象の学生の一人だった。
大学生になる前は、モノ書きに憧れていた。
昔から文章を読み、書くのが好きだった。尤も、幼少より親交を深めていた文筆や長文という名の友人は、短文型SNSの流行によりに疎遠になってしまったことは否めない。
それでも私は期待していた。
大学生になれば、腐るほど時間を持て余すだろう。上質で心地よい文章に好きなだけ埋もれることができるだろう。そうしていつか、
だが、漠然とモラトリアムを信じていた私を迎えたのは、勉学や部活動やその他雑務に忙殺される、いかにも大学生らしい生活だった。これでは趣味を極める余裕などなかった。少なくとも私程度の容量では困難だった。
「忙しいって、充実してるってことでしょ」
「僕は忙しいなんて感情が、充実の証左たるわけがないと思う。多忙は絶対的に時間を圧迫するもので、人が創造する余地を奪い気力を追いやってしまう悪魔だよ。そんなものを充実と勘違いする奴らなんて、ハムスターにでも生まれ変わって回し車で走り続けてればいいんだ。きっと幸せだろうさ」
「でもごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ」
図や数式に意味を見出せず、記号として扱うことが出来ない。想像したものを、今見ているものでさえも、絵という形に還元できない。運動をする際にも、関節や筋肉の仕組みを文章で理解して、やっと思考と動作が一致する。生き辛い脳の作りをしていると思う。
彼女は違った。
図だろうが数式だろうが、そこにあるものをあるがままに扱った。スケッチが上手だった。空想の世界でさえ表現することができた。スポーツなんて、見ればすぐに何でもこなした。
――勘かなあ、と。
なんでもないことのように彼女は言った。それが心底恨めしく、心底羨ましかった。
「——私は君が羨ましいな」
彼女は言語を介した思考が苦手だと言った。映画の感想を聞けば楽しかった、という画一的な表現しかできなかった。ラインのやり取りは苦手だからと電話を好んだ。読書感想文なんて本を読む気も書く気も起こらず、コピペをして怒られたらしい。
多忙という悪魔に打ち勝って、彼女との差異を埋められるだけの、創造性を再獲得すると誓ったのである。
そうしてたくさん日記を書いた。何度も筆をとり、何度も筆を手放しそうになりながら、日記を書き続けた。
ブコメもたくさんついた。批判的なコメントも肯定的なコメントも数えきれないほどあった。
創造性を再獲得できたかはわからない。大学生だろうが社会人だろうが、忙しさは私を襲い続けた。私は今も悪魔と戦い続けている。
「ただいま」
「おかえり」
相変わらず彼女は直情的というか、動物的というか、あの頃のままそこにある。泣き、笑い、怒り、喜び、日々忙しそうだった。
胸ポケットから煙草を取り出した。ホルダーにセットすると、独特の酸味臭が鼻を突く。
画面をこちらに向けていた。
「これ、君でしょう」
――僕はその喜びを、未だに言語化することができない。
「文系の学問は読書感想文程度」っていうのは「理系の学問って乾電池つないで電球つけてるだけでしょ」レベルの不勉強の発露なんだが、それはさておき。
「文系の勉強」が何を差しているつもりか分からないけれど、それなしにどうやって社会を運営するんだろう。社会は人文社会系の知識を基盤に設計されているんだが。
典拠と用法を確認しながら、文字記録が正確かどうか判断すること、抽象概念を正しく体系的に理解して世界を表現することには、一定度の専門的な訓練が要る。
分かる人には分かることだし、「文系の勉強」の重要性に気付かない人は、別に一生そのままで自身の無知に気付かずに生きててればいいと思うんだけど。
記録管理という社会インフラが機能不全になり、人文社会系の学問の使い方を知らない政治家のせいで国家機能が崩壊しつつあるのをみてると、ネタにマジレスする必要を感じた。
身内にその疑いがある人がいるので独学だけどちょっと調べてた。
そしたらその筋では有名な先生の著書があって読んでたらすごいこと書いてあった。
要約すると
「アルコールを飲みすぎて前後不覚になるということは昔からよくあった。
急激に増加をするようになったのは市民の生活レベルが一気に高まった高度成長期から。
しかし当時は父親が飲みすぎて潰れても、家族が家まで連れて帰ったり、汚物を本人が寝ている間に始末してくれていたので表面に出ることはなかった。
それが現代になり、女性の経済力がつき離婚に抵抗感がなくなったことでそうした飲みつぶれた父親のケアをする人が少なくなった。
飲みすぎて潰れたら妻と子供は世話することなくあっさりと家を出ていってしまう。
らしい。
いやいや、それ、表に出なかっただけでアルコール依存症増加してないじゃん。受診する人が増えただけじゃんて。
しかも女性のアルコール依存症については「主婦は旦那にかまってもらえなくて寂しくて飲む」くらいしか記述がないし。
本気でそう考えて治療してるならこわいなーと思った。
という読書感想文でした。
私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。
ここ数日、ツイッターのタイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。
これは、特に目新しい議題ではないだろう。
学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。
作者視点でも読者視点でも各々数パターンの意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。
私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。
まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。
作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である。
読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。
だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。
読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。
どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。
もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いから想像に過ぎないけれども。)
ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどい!しんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。
要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ。
文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。
同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。
何の反応もいらないのであれば、自分のノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。
そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌えに共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。
ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。
これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ。
気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブなレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである。
ピクシブであればいいねやブクマ、ツイッターであればRTやいいね、個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉を必要としない手段だってある。
「感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。
イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。
このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分を必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。
その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルやCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。
個人的な話ついでに。
私はいくつものジャンルを渡り歩いてきており、前回までのジャンルではいつも寂しさと孤独を抱えていた。
作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSやイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。
最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。
ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。
前ジャンルでSNSに疲れ切った私は、ピクシブもツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。
(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)
サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。
しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。
しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。
そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。
頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。
だからどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。
それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。
同人活動は趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。
だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループが幸せなのではないかと、私はそう思う。
読書感想文ってさ、あらすじを規定量分書いて最後に『面白かったです』で締めるのが慣れない子供の基本だと思うんだけど、最後に『面白くなかったです』と書くためには一体、どんな本を読めばいいのだろう。
もちろん、個人の感想なんだから、なに読んでも面白くないと言い切るのもいいんだけど、客観的に面白いと評価されている本を読んで面白くないって、そりゃ読み手の問題も浮き彫りになるので、そうじゃなくて面白くない本を読んで、先生も納得の『面白くなかったです』を下したい。
腐っても課題図書ならある程度の面白さが担保されていると思うんだけど、どうなんだろう。
やっぱり大手出版社ならある程度、チェックもしっかりしてるだろうし、そもそも面白くないなら本にならないだろうし。
あるいは、政治家が政治資金獲得のために書き下ろした社会問題をテーマにした小説とか。でもああいうのはゴーストライターがついているのか秘書がしっかりしているのか、固くて基本に忠実な話づくりなんだよね。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達(現在在籍の確認がとれるのは地歴科の近藤八朗、数学科の三河一雄、公民科のト部昌次)お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
・追記 保善高校の13年の空手部の体罰に関してはオンラインの記事は消えているが朝日新聞2013年2月24日の日曜版38頁、2014年7月4日の社会面の記事で確認ができた。体罰を受けた生徒は除籍処分にされたらしいその後、両親と共に保善高校及び同校を運営する学校法人保隣教育財団に550万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしたらしい。その後の顛末はネット上を探しても見つからないが、彼にとって良い方向に事態が動いていた事を祈っている。そして22人のうち後に退学に追い込まれた生徒3名、後に自殺した生徒1名を出し、何の成果も残さなかった保善高校初代文系特進クラスの生徒の一人として、彼がとった勇気ある行動に心から敬意を表したい。
要約したら「刀剣乱舞でトレパク騒動があったから私もうやめます」ぐらいにしかならんことを
めちゃくちゃ水増しして30行ぐらいの超長文にしちゃうの見て、とてもついてけねえと思った
で、そんなに何を書いてんのかと思ったら、それまでどんだけ好きだったかとか、
でも裏切られた私カワイソーとか、そういうのばかりで正直うんざりしちゃったわけだ
いやあれだよ、多少なりともそのコンテンツを知っている人には響くのかもしれないよ?
そもそも吐き出したいだけで、同意すら求めてないのかもしれないね?
でも知らない人間にとっては、散々膨らませといて結局それかよズコーってなるんだよああいうの
いったい何が影響を与えたらあの手の文章が出来上がるのか、まるで予想もつかないんだけど、
賢しい子供だった
くじらのあくびっていう図工の絵を書くときに、こういう豪快な絵を大人は好きなんだろう?と思って、画用紙いっぱいのクジラとインパクトある大きな目と眉毛を書いたら県のナントカ賞をもらった
それ以外だと作文で、会話から始めると高い評価もらえる、とか、実況風に感想書いたら評価高くもらえるとか、まちにまったって言葉つかうと評価高いって経験から学んで実践していた
低学年のときからまちにまったってことば使ってたけど、自分の脳内では町に舞ったというイメージで町でおまつりしてるイメージだったから、全然本来の意味を理解したうえで使えていなかった
才能がなかったからうまく大人に取り入るものを作るはできなかった
中学生のときはそこまで深く考えなかったコラージュ作品が美術のテストで100点とったことに気をよくして、それ以降なにか自由に考える必要があるときはそんときみたいな奇抜なデザインにしようとしてことごとくK空振って変なものつくってまったくいい評価もらえなかった
なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。
自分が子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。
このときは100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線で文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。
子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。
その子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。
果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。
少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。
それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分の文章がお手本として選ばれた。
議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。
遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。
ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。
今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから、本格ミステリ、純文学など節操なくなんでも読み漁った。
電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。
絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像の余地がたまらなく好きだったのだ。
自分は現実世界ではいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。
モノクロの世界を淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。
それに、彼自身は折り紙つきの変質者であるのに、全くその自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。
しかし、生い立ちの都合でその時代に一般的な企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷な肉体労働に進む以外の道がなかった。
今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線で現場を仕切っていた時代は文章は縁遠い存在になってしまっていた。
そんなある日、家に帰ると子供が原稿用紙とにらめっこをしていた。
ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。
どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。
本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。
どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。
自分が面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。
そこで少しだけ手伝ってやることにした。
「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」
「それをどうして面白いと思った?」
「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」
大切なのは、その時代、その人間にしか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。
思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子にしか思いつかないような言葉が返ってきた。
それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉をより子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。
子供はそれを黙々と書き写した。
そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。
文章とはもっと自由なもので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。
小学校の先生ごときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。
どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。
なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか。
結局子供は大人のエゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるものを大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。
願わくば子供が大人に言葉を押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまわぬことを。
コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことだからだ。
さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。
はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。
そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。
おかげさまで、自由に文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。
https://anond.hatelabo.jp/20170803172914
上を書いたのでね、まあ、まあ、ちょっと続きを書いていきたいと思いますがね、ちょっと、手が疲れているので、だるいんですがね、まあ、なにか、こう、書いていると発散できる気がするので、この疲れが気持ちいい気がするので、もうちょっと続けていきたいと思います。はい。さっきからちょっと、ミスタイピングが多すぎる……。
で、続きを何を話そうかって考えますと、まあ、こうやって書いていると、まあ、さっきから私文章書くのが苦手だみたいなことを言ってたんですけどね、まあ、こういう何も言ってないような、つまりただ頭の中にある思ったことをだらだら書くことなら全然できなくもない、まあ、それも気分によりますがね、まあ、毎日は絶対できないですけどね、まあ、二千字とか三千字ぐらいならそれぐらいのことはできるんですが。
しかしながらね、まとまった、ちゃんとした。ある一定水準の内容と形式?に沿った文章を書こうとするとね、とたんに書けなくなっちゃうんですね。たとえば、読書感想文とかね、これ、昔から苦手でした。もう、まともに書いた記憶すら無い。うん、たぶんちゃんと書いたことほとんど無い。他には、何だっけ。学校って、中学あたりでも何かあると作文の授業みたいなものを書かされた記憶があるんですよ。個人的に何かやらかしての反省文じゃなくって。何かたとえばクラスにいじめがあったときに、自分はどう思うかみたいなのをクラス全体で書かされて。うん?これはまあ反省文のたぐいか? まあ、とにかくそういう、『あなたの思ったことを書きなさい」みたいなことを言われてもね、全然、何も感情がわいてこないんですね。いや、本当はそんなことはなかったのかもしれないけど、とにかく全然書けない。何か授業があったり、学習用ビデオを見たりして、その感想をメモに書けみたいなことを言われても、全然。もう、全然書けない。ほんとただのメモ用紙ですよ、ぎっちり書いても字数は100字とかその程度だったかもしれない。とにかくそう言うのでも、自分の感想とか感情とか考えとか思ったこととか、そう言ったたぐいのものを書くことが昔っからひどく苦手だった。なんででしょうね。わかんないけど。それでまあ、小論文とか、かたちがある程度決まっているものなら書けるのかというと、それも全然駄目。もうね、しっかり構造のあるものを書こうとしたら、文字のつながりが頭の中で崩壊し始めるというか、どこがどう繋がっているのかとか、そういうことが全然考えられなくなってしまうタイプなのでね、だから全然駄目でした。じゃあ国語が苦手なのかというとそういうわけではなくて、むしろ得意な方でした気がしますです。はい。特にマークシート式ね、選択しに答えが書いてあるようなものだから、すごく楽だった気がします。逆に筆記はね、国語でもひどく苦手。だからまあ、とにかく文章出力能力が昔から低くってねえ、大学に入ってからもレポートだの卒論だの、そのときはとにかくまあとにかく別に提出さえすれば何でもいいやみたいなレベルの講義ばっかだったので、まあ、自分でも何書いてるのか良く分からない怪文書を書いて提出して難を逃れてなんとか卒業してそれで今無職ですが。だからまあ、なんだっけ。
お、気がついたら1400字ですね。頑張ったな俺。だからそう。
こういう文章。つまり何も考えていないって言うか、文章だけで考えてるって言うか、うん?なに言ってんだ?つまりこう今の状態って、頭で考えたことを文章にしてるって言うか、もう、この、文字が表示される液晶画面と、タイピングしてる指先に意識が言っていて、頭の方はほとんど動いていないような感じがするんですよね。不思議。文章書くの得意だぜって人はいつもこんな感じなのでしょうか。いいなあ。
まあ、それで、つまり、こういう思ったままのことだーっと打ち込んでいくタイプだと、まあ、こうやって、ずだだだだだだーって感じでタイピングはできるんですけど、これもね、今、さっきのと併せて4000字とか5000字とかあるけど、そういう感じで、だいたい1000字ぐらい過ぎてからじゃないとそういう、ずだだだだーって気分にはならないのでね、ちょっと何か気が乗ったから書いていこうとか思ってもやっぱり難しい。そして疲れる。そして自分でなに言ってるのか分からなくなる。ちょっと疲れてきたから。休むか。えーっと今17時52分ですね。はあ。もうちょっとで2000字ですね。だからなんだって話しですけども。さっき増田は3000字ぐらいまでしか投稿できないみたいなこと書いたけど、ほんとなのかしら。結局自分で試してないから分かんないんですね。まあ、どうすっかな。どうもこうも無いわな。あ、2000字超えましたね。俺の大学ではレポートがだいたい2000字ぐらいでしてね。それをまあ、俺は苦手だから二週間とか三週間とか一ヶ月とか悩むこともざらでしたが、こうやってただだただたタイプするだけならこんなにあっさり済むんだから。だからなんだって言うと、レポートは別に字数の問題じゃないから、それでどうって話しでもないんだけど、まあとにかくレポートは苦手だったね。構造を先に考えて当てはめていけば良いみたいなことを言われますけど、その構造とかね、全然ね、思いつかんからね。よくわからんのよね。まあだから文章力以前の知能とかそういう問題になりますね。悲しい。友達もいなかったから、「お前アレどうやって書いたノー」みたいなこともちょっと聞けなくってね。悲しい。
まあ、どうでもいいことだが。
さっきのエントリで3000字言っちゃいそうだったから本題は次のエントリで言おうと思ってたんだけど、これでもやっぱり今2400字だから、ここからだとなんかちょっと足りない気がするなあ。
そもそも本題って何だっけ? そうそう 作文が苦手だってことだね。だからまあ、あれ? さっきもうその話しはしたっけ? ちょっと今疲れちゃってね、手とか。主に手とか、手が何を打てば良いのか分からなくなってる感じで。頭はさっきから何も考えていないんですね。だから今この文章、書いてるのはほんと運自分なのかなって不思議な気分だけど、どうなの?そこんところ?
そうか!
じゃあ大丈夫だぜ!
そうか!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!
まあ、どうだっていいんだけど。もうちょっと何か書いて発散したいから、まだ書きたいんだけど。今ちょうど18時ですね。だからなんだって話しですけど。どうでもいいけど。ちょっと休憩しようかなって思うんだど、どうせなら3000字に行ってから一休みしましょうかね?はい。だからあと100字ちょいとなりますが。何を書こうか逆に分かんないですね。なんか無理矢理水増ししてる感しかないので、自分でもちょっとモチベーション下がってるんだけど、まあ、だから、次のではもうちょっと何かお話ができれば良いなって思うんだね。