はてなキーワード: 解決とは
自宅安静になればいいけど、子宮頸管の短さとお腹の張りを見るに次の検診には間違いなく入院。
両親は遠方で全く頼れない状況。
なので、夫がワンオペで家事育児仕事をこなさなければならない。
悪阻中も夫はすごく頑張ってくれたけれど、近くで見てても夫は全く育児が向いてないことが解ってる。
→例えば、夫は糖質制限をしているため、子供に肉ばかり食べさせた結果、子供は腸閉塞を起こし病院に連れて行くことになった
→「咳は我慢すれば治る」というエビデンスも何もない力技を盲信しており、まだ気管支の未熟な子供にもそれを押し付けて治そうとした結果、悪阻中の3ヶ月ずっと治らず肺炎になりかけた。しかも咳をすれば「うるさい!」と大声で叱責する。
→擦り傷をロコイドを貼っておけば治るとして独断で治療した結果、とびひになって投薬が必要になった。私がとびひに気付いて指摘してもなお「子供が傷を触るからだ」と子供を責める始末。
これら、悪阻で寝込んだたった3ヶ月に起こったこと。病院なんて久々に行った。
夫は子供の責任にするだけで、己の失敗とは1mmも思ってない。間違いなく繰り返す。
夫は、最終的には相手のことは暴力で黙らせるしかないと、本当に令和を生きる人間なのか怪しい思想をしている。
表面的には「暴力は何も解決しない」と反省の弁を述べるが、何度言っても手が出てしまう。
聞けば己もそれで育てられたし、自分の兄弟も子供を殴って育ててるらしい。
子供は、そんな夫を、小さい時は恐れで言うことをきていたけど、小学生にもなれば、
それを夫は感じ取っており、俺を馬鹿にするな!と更なる暴力を生む。
最悪なのは、夫はこれで「俺は育児もできるスーパーお父さん」かなんかと己に絶対の自信を持ってしまっている。
なので基本的に私の言うことは聞かない。
私は夫をコントロールすることは諦めて、
夫を物理的に子供から遠ざけて、ワンオペでなんとか上手く家庭を回せてたと思う。
夫の暴力がひどくなるのは、
・仕事が忙しい時
なので、
ここまで書いておいてなんの説得力もないが、
よく稼ぐし家族サービスもしっかりやる努力家で子煩悩なお父さんなのだ。
ただただ、方法が空振っていて、何らかの脳機能障害で手が出てしまうのではないかと思っている。
夫は悪阻の私を必死で支えようとしていたのは感じ取れているので、私の敵ではないと認識している。
夫が暴力をせずともいられた。
ペットカメラで監視する方法を思いついたが、多分早産に良くないからこれも駄目だろう。
あとはどうしたらいいんだろう、
遠方の実家からリモートで連絡してもらうことくらいしか思いつかない。
このままでは子供の命が危ない。
なんでこんな状態なのに次の子を望んでしまったのか、夫の夢(兄弟たくさん)を叶えてあげようと思ってしまったのか
自分の愚かさ思慮の浅さを深く悔やんでいる。
でもそんなことは言ってられない。
上の子供の命も危ないけども、
あと1週間、私ができることは、ないだろうか。
スポーツ庁の予算がおよそ360億円、それ以外にも地方自治体がやってる補助や税金優遇などがあるので全部足したら500億円ぐらいでしょうか?
調べてみると50万円ぐらいとのこと。
つまり、スポーツ予算を全て打ち切ったら10万人が保育園に入れるようです。
待機児童の数が隠れも含めておよそ数万と言われているわけですから、その全てが「スポーツ予算なんか打ち切ってしまえば解決する」わけですね。
とんでもないことです。
たぶん、この記事の着地は「なんだかんだ意味ないことはないかぁ」に着地すると思いつつ書いてみる
なんで「戦争を語り継ぐ意味なんてあるのか?」と思ったかというと、戦争の悲惨さを市民が知って、戦争は良くないと思ったところで、戦争をするかどうか決めるのは政治家だから。
たとえば地震とか洪水の被害を語り継ぐみたいな場合、それを聞いた人は防災用品を買おうとか、ハザードマップちゃんと見て家を買おうとか自分の行動に活かせる
市民が戦争は良くないと思ったとしても、決めるのは繰り返しになるが、政治家だ
政治家はそのタイミングの政治的判断で、戦争が必要ならするし、必要ないならしないだけだと思う。当然必要不要の判断までには、あらゆる可能性を検討して交渉して最後の最後に戦争に踏み切るって感じなんだとは思う。
当然ここの解決策としての戦争が思いついてから、実行するまでの検討は政治家の価値観に委ねられるから、政治家を選ぶ選挙に一定程度は市民の考えが反映されているとも言える
最近の選挙とか重要な採決をするときの国会なんかを見ていると、政局的に有利なら選挙をやり、そのタイミングでホットな争点を設定し、中長期的に大事だけど、緊急度低めな争点は議論にそんなにならない。
重要な案件がホットになれば、選挙ではなく国会で強行採決が行われたり、閣議決定されたりする。
争点にならなくても、有権者それぞれが気にしながら投票しろってことなんかな。
わかんねぇっす。
知恵は、非常に多くのことを包含しているため定義するのが難しい資質の 1 つである。
心理学者は、知恵には知識、経験、深い理解の統合、そして人生の不確実性に対する寛容さが含まれるという点で同意する傾向がある。
賢明な人は一般的に、人生の問題は解決できるという楽観主義を共有し、難しい決断に直面してもある程度の平静さを感じる。
知恵には知性が必要かもしれないが、それだけでは十分ではない。
全体像を把握する能力、バランス感覚、知的謙虚さ、そしてかなりの内省も知恵の発達に貢献する。
知恵は経験を通じてのみ獲得できるが、経験自体が自動的に知恵を与えるわけではない。
知恵を測定およびモデル化しようとする理論が数多く登場している。
心理学者のポール・バルテスらが開発した有力な理論では、知恵を「複雑で不確実な事柄について優れた洞察、判断、助言を可能にする、生活の基本的な実用性に関する専門知識」と定義している。
これには、豊富な手続き知識、豊富な事実知識、さまざまな生活環境の理解、価値観と優先順位の相対性に対する認識、不確実性を認識して管理する能力という 5 つの主要な要素が含まれる。
これらの基準は、仮想シナリオを提示し、参加者がそのような状況で何を考え、何をするかを評価することで測定される。
社会学者のモニカ・アーデルトは、個人は反省、思いやり、真実の追求を含む性格特性として知恵を発達させると考えている。
心理学者のロバート・スターンバーグは、知恵とは自分と他人の間のバランスであり、行動が共通の利益に向けられることだと理解している。
知恵には、知識や経験などの認知的要素、状況や自分自身を分析する能力である反省的要素、そして慈悲や思いやりを意味する向社会的要素が含まれる。
知恵は、視点の転換、心の広さ、知的謙虚さなどの能力にも関連している。
賢明な人は過去の観察や意見をより微妙な思考スタイルに取り入れ、白か黒かの選択肢ではなく複数の視点を考慮する。
新しい考え方にオープンであること、つまり現状に挑戦することは、知恵の特徴であり、知恵を培うのに役立つ。
賢明な人は一般的に公益のために行動するが、同時に自分自身のニーズも満たされるようにし、競合する要求や目標の間で調和を図る。
また、賢明な人は他人の行動を単に判断するのではなく、他人の動機を理解しようとする。
他人への理解と尊敬を育むことに加えて、知恵は充実した目的意識をもたらす。
仕事上の重大な決断を下したり、辛い人間関係の葛藤を解決したりするなどの経験を積むことで、より多くの知識が得られる。
また、教育の場で批判的に考え、視野を広げることを学ぶことで、スキルを磨くこともできる。
決断を下す際、偏見を持たず、客観的な視点を持ち、知的謙虚さを持つことは、すべて適切な結論に到達するのに役立つ。
これらの特徴により、全体像が生まれ、特定の状況の要求と、さまざまな状況に対処する方法に関する知識との適合性を判断するのに役立つ文脈的要因が明らかになる。
安倍で思い出したが、止められる手段があるなら止めたいと思うのは福島第一原発のメルトダウンかな
他の無数の悲劇は、自分事と思うには縁遠かったり、解決法が全く思い浮かばなかったり、言っちゃ悪いが些事だと感じたりするので、特にどうこうしようという気にはなれない
屋根状ではなく壁状に張るので、園芸用の遮光率50%のやつを張った
判断をミスったかなとも思ったが、ふと気が付いたことにサンダルが全然熱くない
この時期、ベランダのサンダルを履くとホットプレートばりに熱くなったサンダルに足の裏を焼かれてギャースとなる
それがない
遮光率50%でもだいぶ違うもんである
自分のことを大事にというフレーズはよく見かけるけど具体的に生活の中で何をすればいいんだろう?
探してきたサイトには…
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自分の本音を隠さず出す →キャラ作りすぎて本音がどれだかわからなくなってるかも
無理に相手に合わせようとしない →めんどくさくて迎合しちゃう
自分を褒める習慣を身につける →いけそ
小さな成功体験を積み重ねる →ハードル小さめにすればなんでもいけそう
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こんなのとかあった
次のサイト
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嫌なことはNOと言う →まあ嫌だって言えてる
自分の長所を明確にする →ルールの中で創意工夫するのが好き、好奇心旺盛、人に親切にするのが好き
自分が幸せと感じたり嬉しいと思える時間を作る →幸せって感じてる時間がどこだかわからん。好きな飯たべてるとき?
小さなことでも自分を褒める習慣をつける →さっきあったな、いける。匿名日記アウトプットして偉い
どんな自分になりたいか自問自動する癖をつける →こっから老いてくのにこれどんな希望とかわからないんだが…?
1人の時間を大切にする →またきたよ、大切というふんわり言葉
小さな成功体験を積んで自信をつける →さっきあったな、いけそう
無理やり相手に合わせようとしない →さっきあったな、いけそう
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さいご
まあまあ具体的だったやつ
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→老化して体があちこち痛いなぁとか思っちゃうんだけど、これって否定なのかね?否定も何も実際いたいんだったらまあそれは実際だよなw
こうなってるのを改善しようと生活習慣かえたり、して、それもまあいいねって思う感じ?
頑張ることをやめてみる(自分に厳しくするのをやめる)
→何も頑張れなくて集中力とぎれてSNSばっかみながらごろごろすごしちゃうんだけど、厳しくしてないんだよなぁ、なにもww
これよくわからんくない?
→感情なんてつまんないなぁとか、何もしたくないなぁとか、SNSみちゃうと元気で若くて愛に溢れてみんなに必要とされてキラキラしてるように見える何かをみて、ああ~いいな~愛されたいな~って思うわけだがこの感情を抑えないでいたところでどうなるんじゃ?
怒りの感情とかは抑えたほうがいいタイミングもあるしなぁ、まあこういう言葉は万人にはあてはまるわけじゃないんかもね?
→やりたいことも特に無い、やばいぜ、体力落ちちゃってホルモンもガタガタで、年齢的に手術とかしてボロッボロなんよなw やりたいことが思いつかない段階なんだけど、多分それは行動してないからで
何かしら行動すればそのうち出てくるんだろうかね?
ーーーーーーーーーーーーーーー
とまあこんな感じ…。
色々思うがままに書き出してみたけど、なんかこれで解決するんか~~?!w
政治家のパワハラ問題を解決するには、どんな仕組みが必要か。政治家をもっとビビらせる仕組みを作ればいい。
まずは、彼らを本気で追い込む「罰則制度」が必要だ。今のところ、何をしてもほとんどお咎めなしで、せいぜいちょっと謝罪して終わり。その程度じゃ、彼らが変わるわけがない。だから、罰金じゃなくて、実際に職を失うリスクがあるようにするべきだろう。地位と権力が全てなんだから、それを奪うようにすればいい。
それじゃあ、政治家は萎縮して、何も言えなくなるって心配する人も出るだろうが、それこそ笑える話だ。まともに部下を扱えない無能な人間が、他人の人生を左右する立場にいること自体が問題。そんな奴が言葉を選んで発言することが、どうして悪いことになる?もしパワハラを恐れて発言が減るなら、それは発言の質が低かった証拠に過ぎない。
さらに、外部の独立した監視機関も必要だろう。議会内でお互いに監視するなんて、今の仕組みがそもそも無理。なあなあで済ませるのがオチ。だから、政治家たちが嫌がるような、本当に独立した第三者が必要なんだろう。こうした監視と罰則のダブルパンチで、ようやく政治家たちのパワハラ問題にメスが入るかもしれない。
まあ、そんな簡単には変わらないだろうけど。
周囲に不愉快を醸成する能力持ちとして、職場で疎まれてる。近々の予定じゃなくて、すぐ行け。何年何月何日に睡眠外来の予約を取ったのでこの日は休みます!と言えば上司は思う「問題解決能力あり」と。
あいつはどうしようもない、仕事を任せられないしクビにも出来ない、改善能力皆無、注意しても無駄、と思われるまでもうすぐだ。そしたら大っぴらに居眠りできる給料泥棒が誕生する。がんばれ!
全く同じ経験があるのでとても分かる。
睡眠外来も受診したけど、結局睡眠時無呼吸症候群でもナルコレプシーでもなかった。
「ふぁ~、眠いな~。」とかじわじわ予兆がある感じじゃなくて、突然襲いかかってくるようにズム…っと睡魔が落ちてくる感じ。
本当に瞬きしただけのつもりが数分寝てるとか。
結局解決してないけど、目が覚めてから数時間後にだいたい起こりやすい傾向があるので、うまく席を外すとかしてやり過ごしてる。
でもコロナ禍でテレワークになってからは勤務時間を11:00~20:00とか後ろにずらしたせいか、私はこれでかなり軽減された。
そんなものがあるのかはわからないけど、夜型体質なのかも、と思うことにしてる。
手が汚れる、描いたものが見えない、止めハネが無茶振り。鏡文字を書いてたレオナルド・ダ・ヴィンチの気持ちがよくわかる。
たぶん一番の強敵。現状有効な対策が思いつかない。逆手で使う作戦も丸い方を使う作戦も右手で使う作戦も、どれも一定確率でお漏らしする。
逆手で淹れてるけど、湯呑みが見えないのでたまに落下地点を見誤ってテーブルを水浸しにする。
片方尖ってるのなんでかなって長年思ってた。さしたりこそいだり便利なやつだったとは。その恩恵左利きにも欲しい。
せっかく手を濡らしてくるくるして、さあ留めるぞってときに留め具が裏返っているとがっかりする。
帯も紐も全部右手で引っ張るときれいに締まるようになってる。すなわち左手で引っ張るわけにはいかない。死装束はたぶん綺麗に着付けられる。
ピッの距離が遠い。荷物が多くて腕がクロスしにくいときなど特に不便。ただ自分の場合はモバイルSuicaで解決した。スマホは右手で持つのだ。
自分も似た状況だったから良く分かる、当時はググって出てきた解決策何試しても全く効果なかった。
自分の場合は、仕事が死ぬほど忙しくなって、朝から必死に対応し続けて気がついたら夜みたいな状況が続いた時に自然と治った。その後何故か仕事が落ち着いた今ももう寝ることは無くなった。
どうやら、Bは転職しても職場に居続ける事が出来ず、業種も職場も転々として30を迎えたらしい。6回目の転職先で心が折れかけてるそうだ。
そんなBにAは俺と合わせたがっていた。
AはBに向かっていう、「お前さぁ、転職6回ぐらいで何弱気になってんだよ、お前の目の前にいるのは、30回以上職場をバックレたサラリーマンだぞ。転職のフリーレン」
Aが言う話は本当で、俺はバックラーだ、バイト含めれば30回以上バックれてる。メンタルがと頭が弱すぎて「辞めます」と言えないからだ。過去に正式な手続きを踏んで辞めた時はMPを使い果たして半年寝込んだぐらいだ。
コンビニ、年賀状の配達、焼き肉屋、車工場、製菓工場、倉庫作業、レタス農家、清掃業、医療事務、ビルメン、酪農、受付事務、オフィスビル警備、製紙工場、etc
全部短期で辞めてきてる。
新卒時にあまりにも無能すぎて、悩みぬいて精神科の門を叩き、抗不安薬依存になった挙句仕事を辞めて再復帰に1年以上かかった経験から、精神的にしんどくなったら逃げるをスタンスにしている。
よく「精神科行って相談しろ」という奴がいるが、あれを言える奴は絶対に行ったことない奴だ。精神科なんて予約3か月待ちとかだ。すぐにでも救いが欲しい奴にとって、精神科への初診予約のやり取りつけだけでも心をへし折られる。藁にもすがる思いでとった予約で受診し、「みんなそんなもんですよ」みたいな糞バイスを受けて5000円ぶんどられた日には、心の底から世界がどうでもよくなる。「精神科行って相談しろ」っていうのは、そういう経験がない奴の戯言だ。「闘争逃走反応」という言葉がある、戦うか逃げるか。結局自分を守れるのは自分だけなのだ。
俺はBに「精神を病む前に仕事を辞められた事は正しい選択だった」 「周りは怠けてるように思ってるかもしれないけど、俺はBが死ぬ思いでやってきたのが痛いほどわかる。本当に怠けたい奴は転職なんてしないし、どうにかしようとしてるから転職を繰り返してるんだよな」と肯定した。
Bの自身なさげな表情と、疲れきったような泣き顔を観て、俺と同じく社会にコミットできなかった人間だと察した。
俺には、そういう人間の問題を解決できる銀の弾丸はない。俺たちみたいな社会にコミットできない無能は、周りからゴミ扱いされて死んでいく運命なのだ。宿命なのだ。周りが簡単にこなせることが、社会生活のすべてが、俺たちには辛すぎるのだ。めまいで目がチカチカするほど、いっぱいいっぱいなのだ。
「転職先で頑張るのも自由だし、無理そうだったらさっさと辞めるのも自由だよ。ちなみに俺は30過ぎても転職繰り返してて、まともにキャリア気づけなかったから今派遣社員だよ。俺のようになれとは言わないけど、人間生きるだけならなんとかなるよ。」
そんなことを話してるとBは「話聞いてくれてマジでありがとう、転職エージェントみたいな人に会わされるのかと身構えてたから、話聞いてもらえて本当に良かった。もう少し頑張ってみるわ。増田さんもなんかいい仕事見つかるといいね。てか、フリーレンってよりフリーターだよね」と言った。
俺も「似たような悩み持ってる人いるとちょっと安心するよな、俺も話聞けて安心したわ、いい仕事あったら紹介してね」と返した。
世界の地理は隣国のカナダとメキシコしか知らない。太平洋の向こうにアジア、大西洋の向こうがヨーロッパ。あとは、南アメリカとかアフリカがあることは知ってという程度。歴史といったら独立戦争と南北戦争と第二次世界大戦しか知らない。国際秩序?知るかよ。勝手にやってくれ。
中東はよくわからないが石油が沸く場所くらいに考えてる。イランもイラクも区別がついてない。
歴史認識として、米ソ冷戦を知っていて、要するにロシアと中国が悪いってこと?くらいには考えてる。「よくわからんけど、アメリカの自由と平等を輸出すれば解決するんじゃね?ウクライナもパレスチナも。どこにあるか知らんけど。」くらいに思ってる。
親のせいにしてもしょうがない?そんな訳あるか。いいや、しょうがあるよ。
責任の所在は何処にあったのかをちゃんと見極める事で、自己責任論を脱して正しい方向の努力が出来るんだよ
別に親に限った話じゃなくて、まとめの例に出ている交通事故だって、「誰のせいだったのか」を正しく問う事で、初めて前に進めるんだよ
具体的には損害賠償や再発の防止。明らかに加害者が悪かったのに被害者が交通安全に気を付けようだけで済ませたら、それこそ無意味しょうがないでしょ。
加害者を糾弾する事はけして後ろ向きな行為なんかじゃない。寧ろそうする事で自分や同じような立場にある被害者も救われるし、世の中を良くしていけるのに。他責はちっとも悪い事なんかじゃないと、まず何よりも方向転換さべきなんだよ
加害者のせいにしてもしょうがないなんてのは、加害者を免責するための卑怯な理屈。
uehaj 「親のせいにするな」は①「親のせいにしてもしょうがない(問題は解決しない)」②「親のせいではない」の2通りに解釈できる。②は字面通りだが、普通は①の意味。この人は②に反論している。ただそれだけのこと
https://b.hatena.ne.jp/entry/4757531279477486976/comment/uehaj
使い方もよくわかっていませんが、どこか匿名の場所に吐き出したかったので失礼します。
そんな私は障害を言い訳に何もかも諦めて人に頼るのは嫌で、けれどどうしても苦手なことがある自分に自己嫌悪を抱いて生きてきました。
そんな時、どんなに私が嫌がっても常にそばにいてくれたのが母でした。
ずっと母のことは苦手だった私ですが、今日明確にその理由を自覚してしまい、心が折れそうになっている状況です。
いつからこんなに関係が歪んだのか、母は私の人生の最初から歪んでいたのかはわからない。けれど、ひとりごととして書かせて頂きたくこの場所を選びました。最初に言いますが、ものすごく長いです。それに特に目的もない文章であり、私視点のものの見方が多分に入った不公平な記録であり、ただの私の愚痴でしかない部分も大きいです。勢いだけで書き殴り、文章校正もろくに行っていない駄文ですが、お目汚し失礼いたします。
現在、私は18歳。生まれた時からアスペルガーとADHDであり、小学校の時に診断された(伝えられたのは中学の時)と聞いています。中学の途中からいじめで不登校(別室登校をする日も多かったですが)となり、通信高校に進学。今の法律だと成人と扱われる年齢で、あと1ヶ月もしないうちに19となります。本来は大学生か社会人になっている年齢なのですが、去年のいざこざが主で課題どころじゃなくなり、留年となってしまいました。現在は高校生活4年目を過ごしています。
また、普通のことなのかもしれませんが自立を目指しており、まず誰かに金銭的に頼らず、家事も全て一人でして、完全に自分だけで日常を完結させることを目指しています。不出来で未熟である故に、バイトは面接でずっと落とされているのですが……
母は50代。私が生まれてからの範囲だけで肩書は何度も変わったが、今は看護学校の生徒兼、土日勤務の老人介護施設職員として生活しています。
他、いわゆる面白い人で、いわゆる気弱という単語で想像する押しの弱い性格ではないけどどこか気力が弱いと感じる父と、高校生かつ彼氏もいて青春を謳歌している妹の4人が私の家族でした。父は今現在は単身赴任中ですが。
現在の家は端的に言って地獄。使った後のものを捨てられず、ゴミを撒き散らして片付けもしない私と。それに怒る母。料理した後の食器を洗わない私と、それに怒る母。調味料は出しっぱなしの私と、怒る母。部屋に籠る私と、怒る母。
正直片付けは明確に私が悪いです。昔から苦手なのに矯正しきれなかったし、最近は何をするのも面倒で悪化しているほどですから。
ですが、私視点の言い訳にしかならないのは重々承知ですが、料理関連は私としても文句があり、私はたとえば肉を焼いたフライパンも、それを乗せた皿も、食べるのに使った箸も一度に洗いたいのですが、母は私が食事をしている間フライパンが放置されるのが我慢ならない様で、リビング中に響き渡る小言を言いながら勝手に食器を洗ってくれます。そうしては
と怒るのです。単に私が先に洗えばいいのはわかっているのですが、後述するトラウマもあり食事はできるだけ早く済ませたいのと、そもそもどうしても母と顔を合わせて、大小さまざまなトラブルが発生するリビングに私は長く居るのが嫌ですから。母もいちいち怒っていては疲れるでしょう、というのは言い訳にしかなりませんが。
洗い物の量にも怒るため、例えば結構火に気を使う必要がある料理で2回バターを使うタイミングがある場合、2回目のバターを皿に取り分けるとまた皿が増えるのでバターのケースを10分程度出しっぱなしにしていると
「腐るでしょう」
先述しましたが、こんな状態でリビングにいては私も疲れてしまいます。我慢できれば良いのでしょうが、毎日こんな環境に晒されていては精神が壊れてしまいますから我慢もできなくなっていきます。なので部屋にこもって過ごすことにしたら、
「なんで歩み寄ろうとしてくれないのか」
と部屋の外から叫び出す始末(部屋の戸は勝手に開けるなときつく言ったためもう開けてこないようになりました)。
あと私が母を嫌いな理由に、会話を露骨に誘導してくることがあります。
たとえばラーメン屋に一緒に行った時。
「席どこにしようか、お座敷は嫌だよね?」
「でもママは嫌だよ?」
これはほとんど本来の会話そのままで、最初から嫌だと決めつけて聞いてくるのがまず少し私は不愉快で。だから今までははいはいと従ってきましたが、自立のために意見を言えることも大事であると多方面から言い聞かされているため反論すると母の意見に誘導しようとするのです。最初から母が嫌なだけだと言って欲しい。あと、もう法律上成人となったほどの私にいまだに一人称「ママ」なのが気持ち悪いと思ってしまうのは単に私の心が狭いだけなのでしょうか。
その後テイクアウトがあると知り、メニューを開いて会話した時も
「テイクアウトどれがいい?」
「餃子、妹が食べてるのみて美味しそうだった」
「あれは冷凍食品だよ」
「あっこれも美味しそうだよ」
「餃子にするって言ってるじゃん!!私は餃子って言ってるの!!もう変える気もないんだって!!!」
「なんでそんな畳み掛けるように言うの?壁を感じる」 と。私は数日前から妹と母がいる状況で「この餃子はどこで売ってる?」などと聞いたり、とにかくずっと前から餃子が食べたくて、食べれる機会があったら餃子と決めていたのです。なのに3度4度聞き返す。遠回しに餃子を却下しようとしていると思うのは私の捉え方がひねくれているのでしょうか。
こんな中でも私は定期的にリビングにいく必要があります。私の部屋にはキッチンも冷蔵庫もないため、食事の時は必ずいく必要があるからです。今日、日曜日の朝もそうでした。仕事か何かで母がいないことを祈りながらリビングに入ると、普通に母がいました。とりあえず食事だけ済まそうとすると、またしても「なんであれができない」「なんでこれができない」と説教の嵐。最初にも書いた通り、私は発達障害です。もちろんそれを言い訳にはしたくありません、最終的には自分の脚で立って生きていきたいのです。ですが、スタートラインが少し後ろにあるのも、『できない』ことが多いのも悲しいながら事実で、この『できない』ことにより私は自分のことが嫌いになっています。要は『できない』という言葉は、『できない子』であるというレッテルは、私の心の傷なのです。気遣えなんて言いません。私が少し自制すれば済む話でした。なので、今朝のきっかけは私だったと思います。
「できないなりに必死にやっているんだ、成長するまで少し待ってくれ」
内容としてはこんな感じでしたが、多少怒鳴るような声と顔で言ってしまったかもしれません。そこから言い合いになり、できないなら頼れという母の主張と、私は自立しようとしている、家を出ようとしているという主張の対立に話が進みます。少し頼るくらいいいじゃないか、と思われる方もいると思いますが、母は私が『できない子』であることを前提に助けの手を伸ばすのです。そして私が何かを成し遂げると
「できない子なのに頑張っててえらいね!」
といった要な意味合いの褒め方ばかりするのです。
なので、私は母に頼るのが絶対に嫌でした。意地を張っているだけです。ですが、本当に私は母が嫌いでした。
「なんで歩み寄ろうとしないの?なんで相手のことを理解しようとしないの?」
「ラーメン屋も会話を楽しみたかっただけで圧なんてかけてない、そう捉えるお前が悪い。こっちがどんな気持ちで誘っているかも知らないで」
「そう捉えるお前の性格が嫌われる原因だ」
「周りより成長が遅いのに大人になったつもりでいるな、成人だけどお前は子供でいいんだ、子供でいろ」
「今の話の何割が本当?本当によく考えて出した答え?もう一度よく考えて本当の気持ちを教えて」
「頑張って大人びないの」
「料理とかで誰かに助けを求めな?…他に探してるの?そっか、それは私じゃないんだね。じゃあ料理する場所も私のキッチンじゃないよね?」
「どうせこの話も言いくるめようとしてるって思われて終わりだ」
など、優しいようで私の行動を誘導してくる説教が延々と続きます。
極め付けに言われた言葉が私の母を母だと思う心にとどめをさしました。
「結論としてはママは(私)に子供でいてほしいんだよね、お世話したいんだよ。できないこと助けてあげたいんだよ」
母は、私がずっと『できない子』であることを求めている。そして、できない子の世話を続けることを望んでいる。母の理想の可愛がり方ができればそれでよく、そうじゃないなら要らない。そう認識した私は、ひとしきり部屋で泣いた後この文章を書き殴ることにしました。
思えば昔からずっと苦手でした。
比較的最近の出来事だと、私が留年するきっかけになった妹を119で搬送してもらった去年の話。毎朝毎晩家族喧嘩が勃発しており、私はその時はまだ事なかれといった感じで、とりあえず適当に流したり、会話を無理に遮ったりして根本的な解決を試みたり文句を言ったりしないまま毎日を過ごしていました。そんな毎日のとある朝、寝坊した私を妹が泣きそうな顔で起こしており、部屋に入るなと言っただろう、と言う前に妹はスマホの画面を見せてきました。
「声が出なくなった」
と。私もかなり気が動転し、できるだけれいせいになりながら妹のかかりつけの精神科やさまざまな外来を巡りました。ネットの知り合いで集まったサークルで聞いた話でしかありませんでしたが、声が出ないのは重大な病気の可能性もあるとのことで、私は救急車相談ダイヤルなどを一旦挟んだのちに、妹をこのまま失うのが怖すぎて、救急車を呼ぶと言う判断をしました。
結局妹はそこまで重大な病気ではなく、声も早ければ当日中に戻ると言われました。私は安心したのですが、その後駆けつけた両親からの説教の内容に私は耳を疑いました。
多少、怒られる覚悟はしていたのです。親になんで頼らなかった、と。ですが今回妹が怖がっている親に会わせるわけにはいかない、私がどうにかしないと、と思っての独断でした。説教の覚悟はしていました。
「なんで救急車を呼んだ、社会に迷惑をかけた、本当に助けが必要だった人がいたらどうするつもりなんだ」
なんでこういう説教なんでしょうか。妹がその、助けが必要な人だったら、妹はどうなっていたか。結果何もなかっただけなんです。妹は声が出ない、どんなに頑張っても出ない、という通常ありえない、明らかな何かしらの症状が出ていたのに。
リアルの知り合いに頼れる人なんていませんでした。結局またネットの友人(一応年単位の付き合いであり、毎日少しずつ親の話を聞いてもらって、ネット上という前提である程度信頼していた相手でした)に相談し、強硬手段として親を110通報したのです。 そこから私たち姉妹は叔母さんの家に保護され(結局妹が帰りたいと言い出したので5日程度で帰りました)、少なくとも2種類の緊急番号を実行した私と親の間には明確な溝が残りました。
この件で私は心身をかなり病んでしまい、最終的に精神科病棟に3ヶ月入院することになりました。それが高3の最終課題提出時期と被り、私の留年は確定しました。
この一件があまりに大きいのですが、それ以外も昔から『毒親』と言ってしまった時に怒鳴られた数日後
といったら、
と絶叫のように怒鳴りつけてきたり、小学校の頃まだサンタを信じていた妹がクリスマスにシルバニアの家が欲しいと言えば最初から
「さすがに子供っぽいよ」
と難色を示し、結局当日には全く関係ないラジコンヘリを枕元に置いて妹を泣かせたり、
私が学校の授業で2歳の頃の誕生日パーティの写真を使い、写っていたビール缶が誰のか友達に聞かれた時に母と答えたら
「なんで私が酒飲みだってバラしたの、おじいちゃんでもおじちゃんでもよかったじゃん」
と大泣きしたり、いろいろなことがありました。
こんな母でも若い頃はちやほやされて、某大手ソースメーカーのパッケージデザイン部門に勤務していた頃、専門知識もないのにその見栄えを買われて『味の専門家』なんて肩書きでテレビに出たりと、まあ中々に話題の中心にいる人物だったようです。
少なくとも、私は母に対等に人間として扱われていない、ということだけははっきりわかりました。
自立しようとすると途端に態度が冷たくなるんです。私が母と食卓を囲みたくなくて自分で料理をするようにした際も、
「私の料理が食べられないのか」
と露骨に機嫌を悪くし、会話の機会が減ればそれだけで怒鳴りつけてくるほどに苛立つ。会話を増やして結果喧嘩も増えれば、譲り合わない(=母の主張を飲まない)私が悪い。
おそらく、母にとって自立した私はどうでもいいどころか無駄に喧嘩を売ってくるうざったい存在なのでしょう。
いつまでもよしよしと可愛がることができる子供でいてくれないと、母は愛してくれないのでしょう。
そもそもきっと、最初から愛してなんていなかったのかもしれません。愛していたとして、それは人間を愛する感情より、小動物をケージの中に閉じ込めた上で餌をやり撫でる感覚に近いのだと思います。事実旅行などは向こうが一方的に決めて連れ回してきますし。
こんな私ですが、母のことはもちろん大嫌いです。と同時に、捨てきれない執着と苦しみを同時に抱いています。
私はあの人間が大嫌いですが、「母」という存在にいまだに夢をみているんだと思います。「母」に無条件で抱きしめられて、他より劣っていたとしても、逆に他より優れていたとしても、私が私であるだけで愛してくれるような存在をいまだに求めているんだと思います。
私にとっての「母」は、対等に愛してくれないあの人しかいないんです。どんなに嫌いでも、憎くても、私は愛情を求めるたびにあの人の顔が脳裏に浮かびます。
結局はこんなことを書かせてもらったとしても、最終的には私が踏ん張って逃げ切るしかないんです。なのにこんなことを書くのは、きっと肯定が欲しいからなんだと思います。
別にできない存在として、仕方ないなあと甘やかされたいわけじゃないんです。ただ、私が母に対してひねくれた見方をしているから苦しいだけで、母は普通に愛してくれているのか。それとも、私が苦しいと感じるのは別段おかしいことではないのか。その答えが欲しいだけで、こんな長文を書いているんだと思います。そして、ひねくれているだけだと言われたら余計に傷つくし、単にあなたは悪くないという肯定が欲しいだけであることも自覚してはいるんです。それでも自制ができなかった。
本当に、お目汚し失礼しました。もし最後まで全文読み切ってくれた方がいましたら、綺麗事も誇張も抜きで幸せを祈らせていただきたいです。
ネットの先の顔も性別も年齢も、書いてあることが真実かすらも不確かな相手の戯言を最後まで聞いてくれる人は、どこかで成功して本人が満足できる人生を送って欲しいですから。綺麗事にしか聞こえないとはわかっていますけれど、祈りたかったので祈らせてもらいました。ありがとうございました。
多くの研究者が、脳はおそらく他のもののなかでもベクトル処理装置であると独自に結論付けている。
統合失調症患者によるある論理的課題の処理における既知の異常と照らし合わせて、彼らは常識的な論理ではなく、脳に内在する論理を使わざるを得ず、
この論理は線形的あるいは量子論的であると仮定すると、これらの異常やその他の異常を解決することができるという。
人間の脳は、「古典的」論理やアリストテレス論理ではなく、線形論理の命令に従って内在的な論理演算を行うという考えを支持する。
もしそうだとすれば、常識的な論理は経験や文脈の構築を通じて身につけなければならない。
患者にはこの能力が欠けているようで、その結果、量子論的で特定の作業により効率的な内在論理に頼らざるを得なくなる。
さらに、統合失調症との関連で議論されてきた、人間の思考につきもののフォン・ドマルス型の誤りへの傾向も、これに基づいて説明される。