2024-08-12

戦争を語り継ぐ意味って何よ

戦争を語り継ぐ意味ってあんのかなーってふと思った。

たぶん、この記事の着地は「なんだかんだ意味ないことはないかぁ」に着地すると思いつつ書いてみる

なんで「戦争を語り継ぐ意味なんてあるのか?」と思ったかというと、戦争悲惨さを市民が知って、戦争は良くないと思ったところで、戦争をするかどうか決めるのは政治家から

たとえば地震とか洪水被害を語り継ぐみたいな場合、それを聞いた人は防災用品を買おうとか、ハザードマップちゃんと見て家を買おうとか自分の行動に活かせる

一方で戦争はそうはいかない

市民戦争は良くないと思ったとしても、決めるのは繰り返しになるが、政治家

政治家はそのタイミング政治的判断で、戦争必要らするし、必要ないならしないだけだと思う。当然必要不要判断までには、あらゆる可能性を検討して交渉して最後最後戦争に踏み切るって感じなんだとは思う。

当然ここの解決策としての戦争が思いついてから、実行するまでの検討政治家価値観に委ねられるから政治家を選ぶ選挙一定程度は市民の考えが反映されているとも言える

けど、選挙戦争が争点になる日が来るのか

最近選挙とか重要な採決をするとき国会なんかを見ていると、政局的に有利なら選挙をやり、そのタイミングホットな争点を設定し、中長期的に大事だけど、緊急度低めな争点は議論にそんなにならない。

重要案件ホットになれば、選挙ではなく国会強行採決が行われたり、閣議決定されたりする。

全然戦争を争点にする選挙が行われるイメージがわかない。

争点にならなくても、有権者それぞれが気にしながら投票しろってことなんかな。

わかんねぇっす。

みなさまは戦争の話、いつどういう場面で生きると思って聞いてますか?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん