はてなキーワード: 福祉政策とは
普通、「○○党には入れるな」と言ったら「だから、そうじゃない■■党に入れましょう」って繋がるもんだよね
「○○党が与党では日本は不景気のままです。だから経済政策を転換する■■党に入れましょう」みたいな。「○○党の福祉政策では弱者は虐げられたままです。だから社会的包摂を目指す■■党に入れましょう」みたいな
でもはてブやツイッターで見かける共産党支持者っぽい人が言ってるタイトルみたいなこと、マジでそれ自分が何言ってるかわかってるのか?って思うんだけど
「○○党のままでは沖縄の基地問題は解決しません!だから■■党を応援して沖縄に基地を押し付けましょう!」とか「○○党は平和憲法をなきものにしようとしています!だから憲法9条を改正するために■■党に投票しましょう!」って言ってるのと同じだよね
あ、上の段で「共産党支持者っぽい人」がそういう主張をしていると仮定したけど、もし共産党じゃない野党支持者(立憲民主党やれいわ新選組支持者とか)がそれを言ってるとしたら理屈は通るので、その場合は除外して考えてください。いや、でもどう見ても共産党支持者のマンガ家がタイトルみたいな主張してるのも見かけたんだよなあ、、、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2021090700993&g=pol
ちゃんと記事読んでなさそうなブコメにスター付けてた人がどんなコメントしてるか気になったから調べてみた。
takamurasachi 2021/09/08
suisuin 2021/09/08
ライバルの失敗に乗じて無職でもプロポーズできると思ってる漫画の主人公レベル。特技はライバル批判、不満演説、大声で会社経営にも興味があると表明。
KAZ99K 2021/09/08
個別の悪叩いてスカッとするんは政治ちゃう。ただの時代劇や。先にどんな状態になれば達成かを決め、そのために必要な条件を洗い出し、条件を満たすための施策を「過不足なく」洗い出して遂行するんが仕事ってもんや
cara10 2021/09/08
mineight 2021/09/08
これを本気で出してるんだとしたら酷すぎるし、政権欲しくないからコロナ禍という与党が支持を失いやすい千載一遇の好機を敢えて捨ててるんだとしたら更に酷い。何考えてんだか本当に分かんない。
dirtjapan 2021/09/08
地道なことをしっかりやる道を示した上で飛び道具はやってくれ
odakaho 2021/09/08
モリカケをやるなとは言わんが政局の中心に据えるなよ・・「政権取ったらモリカケ学術会議」がどこかおかしいと気づいて欲しい。
septoot 2021/09/08
執行部の中に、これを止めようとした奴がいなかったのかよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708003353312176418/comment/septoot
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708007557013447554/comment/septoot
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708007945171278402/comment/septoot
立憲の上層部は本気で考えて、こんな物を出してきたのか?これ読んだら支持者も引くだろ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708006536958231938/comment/septoot
temuzugawa 2021/09/07
野党支持者の間でも異論が出まくってんだよなー。しっかりしてくれよ!ここはコロナ対策と経済政策だろー!エリート頭め。泣けるよほんとに
hepati9ue 2021/09/07
絵に描いた餅の話して支持率上げようって時に、森友究明して誰の腹が膨れるんだよ。
taka_take 2021/09/07
立憲に政権担当能力が無いことがよく分かるね。国民が何を求めてるのか何一つ理解できてない。消費税減税、景気対策、福祉政策などなど何も無しで、学術会議やモリカケが最優先ですか。
meishijia 2021/09/07
町衆達は自民カウンターを望んでるんやろか。モリカケ追求はわかるけどさ
sawasho 2021/09/07
近所の弁当屋さんについて書く。
うちの子どもが通っている小学校では、クラスで先生からチケットが配られる。
チケットと言っても、A4のペラ紙の下に、ハサミで切り取れる何枚か分のチケット的な枠があるだけ。
「ABC小学校___年」と書いてあって、学年を書き入れるところがある。
小学生以下の子どもがそのチケットを持って行くと、一緒に来た弟妹のぶんも含めて無料でもらえる仕組みになっている。
子どもだけで勝手に行くことも考えられるし、親に言われて受取に行くというケースもあるのだと思う。
小学生以下の子が行くという条件だけで、誰が言っても必ずもらえる。
経済的に困っているだとか、役所だの施設だの、そういう話は一切ない。子どもならもらえる。
思うに、むしろ大勢の小学生が引換に行くことで、本当に本当に必要な子がそこに自然と紛れていくのだと思う。
企画・主催しているお店は、そうした活動に熱心で、小学生であれば喜んで弁当をくれるような意気込みに思える。
ただ、それはそれで経済的な体力が必要になるな、とは思う。感心する。
以前にテレビで見た話だけど、ワゴン車かなにかを使って学校帰りの子どもにたこ焼きをうるおっちゃんがいた。
おっちゃんは母子家庭で経済的に大変な幼少時代を過ごしていたのだそうだ。
大人になってから、たこ焼きを売るわけだが、このたこ焼き屋はちょっと変わっている。年齢別に料金が設定されている。
そしてその料金は、くじ引きのような箱の中に子どもが自分で入れる仕組みになっている。
いくら入れたのかは外からは見えない。箱の中にはタオルが敷いてあり、お金の音がしないよう工夫している。
「ちょうど今日はお金を持ってきていなかった、という子はげんこつをいれるだけでいいよ」というようなメッセージも書かれていたと思う。
お金がなくても、払わなくても、誰が払っていないかを見せずに、見られずに、たこ焼きが買えるのだ。
おっちゃんの、優しさがすごい、と思った。
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渾身のクソデカ○○系を書いたときにはまったくブクマ付かなかったのに。
「長くなる」と書いたのは、最初はブコメで要点だけ書こうと思ったけど、きっと伝わらないと思って増田にした。元増田に伝えることだけを意識して書いたが、結果として多くの人の目に触れて良かった。
id: zenkamono
実はこれ、週末の1日だけ。お昼を念頭に置くなら、小学生は給食あるもんね。
id: kokojp
関係者でないのでしらないが、その店は福祉の活動をしている。というか、福祉事業が出発点みたいだ。
id: hatebu_ai
たこやきのおっちゃんは、そこそこ有名らしいのでブコメでリンクが付いている。本文は増田本人が書き入れたテキストなので完全にオリジナルのはず。
貢献?のつもりで大人として弁当を買いに行くこともあるが、通常価格でも安い、うまい、ヘルシー、ボリュームあり、という惨状(褒めてる)。
公助の失敗、政治の失敗だとは思う。それが根本だけど、今目の前に困り事があるならそれに取り組むことも同時に素晴らしい。
そういう活動ができればいいが、できないならせめて、そういうお店を応援したい。
俺、20歳になりたての時は2回くらい選挙に行かなかったことがある。あと海外にいて行けなかったこともある。それ以外は基本的には候補者をよく見て投票してきたつもり。公営団地とか奨学金(返す奴だけど)に育てられてきた身としては、福祉政策が重要ポイントで、そっち系の人に積極的に入れるようにしている。でも自分は1票しかもてないだろ。でも、良さげな候補者の応援・協力をすれば、自分の1票が2,3,4票に増えるかもしれない。不惑の年を越えて、だんだんそう思うようになってきた。ネットでブクマしたりTwitterで騒ぐのも大いに結構だが、リアルな選挙関連の活動をちょっとだけやって、どこか近くにいるだろう困っている人のプラスになれば、と。例のたこやきおじさんが良い意味で廃業する世の中になってほしい。
結論を先に言えば「中国が覇権国ヅラしてられるのは残り20~30年」だから
中国の人口動態を調べればわかることだが、早ければ20年後、遅くとも30年後にはあの国は少子高齢化社会に突入する
そうなれば中国は魅力的な市場でなくなり、急激に経済が衰退していく
人民が政府を微塵も信用していない独裁国家でまともな老人福祉政策なんて成立するはずがないので、おそらく想像を越える混乱が起きるだろうし、景気が悪化すれば反政府活動やらも活発化するだろう
鼻薬を嗅がせるカネもコネも尽きて、欧米の人権にうるさいお歴々が新たな商売のタネとして中国をターゲットにする可能性も十分にある
そうなる前にアメリカ相手にイキり散らかせる程度の版図を広げておきたい、というのがあの国の思惑
あと30年待つだけで自動的且つ合法的に支配できたはずの香港をいま弾圧してる理由もそれ
追伸
誤字なおしたよ
男女雇用機会均等法(1986)で「女性の社会進出」というフェミニズムの具体的課題が一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズムの売れっ子研究者達は社会における女性表象の批評や男性性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性の貧困というリアルなテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗(彼女はフェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このときも専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇・給与で)働く女性になれば、女性の生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃんと評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的にバカにしてる、みたいな。
「女性の貧困」というテーマについて地道に調査・研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達が上野千鶴子や小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブなフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌(模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム』栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。
あと、もうひとつ女性の貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカーの問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASHの要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方の女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。
いまは働く女性、専業主婦、セックスワーカー、みんなを支えるような「お金と労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治生まれで、山川均の妻で、戦後は労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子と平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性の労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前に家事と育児の社会化を主張し、60年代に日本の高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代に北欧の福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。
その彼女の名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場の女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム/女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄の精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性の生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。
あと「弱者女性と弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性と弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。
知り合いに親の介護で苦労してるやつがいるんだが、詳しい話はやめておくけど、簡単に言うと「自分は不幸で理不尽に虐げられている」という認識にすごくこだわるんだよな。確かに大変だとは思うんだが、「月に何日か人に任せて、息抜きに遊んできたらいいんじゃないか」とアドバイスしても、頑なに「いや、俺が何とかしないと大変なことになる」と言って聞かないどころか、細かいことにこだわって次々と自分の仕事を増やして「あれもこれもしなきゃいけない、俺は本当に大変なんだ」と言ってくる。それでなお「根を詰め過ぎたら潰れるぞ」と言い続けると、「お前は俺がどんなに苦労しているか分かってない。俺の苦労を認めないつもりか」と怒り出す始末。
彼は社会性はあるし人格に問題はないんだが、おそらく、自尊心というか自分肯定感が非常に低いのではないかと思う。介護のために、彼が誇りを持ってやっていた仕事を変えざるをえなくなったことも影響しているのだろう。その欠落を、親の介護をきっかけに「理不尽に苦しんでいる自分は、だからこそ真っ先に救われる資格がある」というアイデンティティで埋め合わせるようになってしまったように見える。彼の不幸を軽くする要素は「不幸な自分」という自己イメージを壊してしまうから、結果として、介護されている親(不幸の原因)に対しても、それを心配する周囲(「不幸な自分」というアイデンティティを取り上げようとする人)に対しても、常に攻撃的に振る舞うようになってしまった。正直、最近は彼と話をするのがつらい。
で、本題なんだが、ここ数日「弱者男性」についての議論を眺めていて「これは同じ話だな」と思った次第。もちろん、彼のプロフィールは「弱者男性」とは程遠いのだが、「不幸な自分」というアイデンティティにこだわる姿勢にとても既視感がある。これは、政治に影響を与えているという意味では社会問題なんだが、その解決策は実はカウンセリングなんじゃないか。おそらく、どれだけ福祉政策的な改善策を進めても、自分のアイデンティティの欠落を埋めるためにいつまでも「敵を見つけ続ける」ことになるんじゃないかと思う。
追記: まとめを作っている人がいるのでぶら下げておく。 anond:20210408163950
先日から話題の乗車拒否問題で、自分はバリアフリーは進めるべきだけど事前連絡はしようよ派なんだけど、やっぱり健常者と同じ自由がないのは問題という声がはてブでは多いし、将来的には解消されてほしいとは思う
ただ、それを具体的にどうやって実現するのか、いつまでに実現できるのかのプランがないと絵に描いた餅でしかない
本当なら専門家にお願いして決めなきゃいけないことだけど、とりあえずド素人レベルで想像できる問題ははてなユーザーに聞いてみたいと思った
間違いや不備不足あればご指摘ください
1. 物理的にどうすんの
駅員の増員
・100kgと言われている電動車椅子を扱うのは危険なんじゃないか
・駅自体に問題が残ったままだと完全な解消にはならないんじゃないか
2. 範囲をどうすんの
全ての鉄道駅を目指す
・都心近郊はともかく過疎地域では費用対効果出ないんじゃないか
利用客数の多い駅に絞る
3. コストをどうすんの
・JR三社ですらコロナで赤字というし優先度を上げられないんじゃないか
国が負担
120兆円もかかる福祉政策なんて誰が出すねん
社会学という学問への批判じゃなくて、社会学コミュニティの自浄作用への不信だから根が深いんだよ。
規範的研究やってる人らの中には文字通りの運動家が混じってるけれど、構築主義が盾になるせいで彼らをしつける論理も仕組みも弱い。
自分も昔、福祉政策への提言を目指した規範的研究のプロジェクトグループに少しだけ触れたことがある。
wikiに項目があるレベルの有名社会学者数人を中心にしたプロジェクトだったけれど、そこのメーリングリストではケア問題のリサーチトピックの議論だけでなく、週一ペースで「〇〇のための緊急アピール」とか「××を許さない市民の会」とかのお知らせが流れてきていた。
研究活動に直接関わらない「雑音」が多くてうざいなあと思っていたら、他にも同じように思う人がいたらしく、そのことに苦言を呈していた。
女性が昇進しないのは、女性に意欲がないからだ、という意見が人気を集めている。ショーンKY という人が主張して、はてなブックマークでは賛同する意見が多数のスターを集めている。
https://togetter.com/li/1659464
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1659464
これを見ると、はてなーがいかに女性差別主義者だらけであるかが、よくわかる。(漫画の問題でフェミニストを毛嫌いするのもそうだし、女性の労働環境をひどい状況にしておくのもそうだ。
――
話の要点を示そう。
ショーンKY という人が主張していることは、こうだ。
具体的には、こうだ。
「女性が所得や昇進で恵まれないのは、女性自身がそれを選択しているからであって、企業の側のせいではない。女性に意欲がないのが根本原因なのだから、女性が意欲をもてばいくらでも所得や昇進を得ることができる」
そのことを示すために、こう説明している。
・ 女性は昇進を打診されても断ることが多い。
これは何を言っているか、よくわかりにくいが、次のように反論していると考えると、わかりやすい。
・ 女性は昇進を打診されても断ることが多い。
← 女性が長時間労働ができないのは、福祉政策のせいではない。
以上のように、既存の意見に反論する形になっている。そうして、冒頭の ★ の結論を得ている。
――
しかし、 ★ の主張がおかしいことは、直感的にわかる。「長時間労働をしてもいいし、保育に金を払ってもいい」と思う女性はいるが、実際にはなかなか昇進できない。
では、ショーンKY という人の主張は、どこが誤りなのか?
――
「日本における女性差別は、米国における(往時の)黒人差別と同様だ。建前の上では、差別などは存在しないことになっているが、現実には見えない差別が残っているので、黒人や女性のための枠がもともと小さく絞られている」
なるほど、枠に入った黒人や女性については、かなり恵まれた条件が用意されている。しかしながら、現実には、枠そのものがごく小さな枠であるにすぎないのだ。だから、「枠のなかでは優遇されている」というふうにいくら主張しても、「もともと枠には入れないであぶれてしまう大多数」については何の意味もないのだ。
具体的には、こうだ。
日本の女性労働者の正社員枠は、もともと限られた量でしかない。東証の一部上場の大会社の新入社員でも、男女半々になることは少なく、たいていは男性の新入社員が大幅に多い。
そのせいで、あぶれた女性は、非正規社員や派遣社員になるしかない。そして、いったんこういうふうになった女性には、もはや昇進のチャンスなどは決して訪れない。「昇進を打診されて断る」のではなく、「初めから打診されるチャンスがない」のだ。
こういう状況が大部分なのに、「昇進を打診されて断る」という事例(枠内の事例)を持ちだしても、枠外の女性たちには何の意味もないのだ。
また、「欧米でも管理職は長時間労働だ」というが、それに当てはまるのは、重役クラスだけだろう。主任とか課長ぐらいだったら、長時間労働などはしない人が多いはずだ。せいぜい週に 10時間の残業ぐらいだろうから、そのくらいなら難なくこなせる人が多い。一方、日本では週に 20時間ぐらいの残業もざらだ。こうなると、ワーキング・マザーにはきわめて厳しくなる。
というわけで、重役クラスと、下級管理職とを、混同するべきではない。日本の女性労働者は、下級管理職にすらなれないことが多いのだが、そこを失念している。
また、米国では保育に多額の金がかかるというが、うまく解決策がある。ナニーと呼ばれる住み込みのベビーシッター(メキシコの移民など)を利用することができるのだ。
つまり、米国の(高所得の)女性労働者は、やる気があるからやれるのではなく、安価な移民労働者がいるから、やれるのだ。
ひるがえって、安価な移民労働者がいない日本において、「女性が働かないのは、女性にやる気がないからだ」と主張するような冒頭の意見 ★ は、てんで見当違いであるわけだ。
この点では、「日本の女性労働者がうまく働けないのは、日本の保育環境が劣っているからだ。ゆえに保育環境を改善したい」というふうに述べた安倍首相の方が、はるかに妥当である。
ショーンKY という人は、安倍首相よりもはるかに企業寄りであって、ほとんど女性差別主義者というのに近い。
――
以前のことだが、「保育園落ちた日本死ね」というふうに絶叫を上げた女性がいる。これに対して、ショーンKY という人はこう唱えるのだろう。
「あなたがうまく行かないのは、あなたには働く意欲がないからだ。すぐに辞職したがるし、昇進を打診されても拒むし、長時間労働も拒むし、多額の保育費を自腹で払う気もない。すべてはあなた自身の責任だ」
と。
「妊娠して辞職したのは、自分の都合ではなく、出産退職を会社に強いられたからだ。昇進の打診なんて、失業中なので、ありえない。今は、短時間労働でなく正社員になりたいのだが、保育園に落ちたので、就職できない。長時間労働を拒んでいるわけではなく、そもそも正社員になれない。金がないので、高額のベビーシッターも雇えない。また、低額のナニー(外国人労働者)もいない」
結局、ショーンKY という人の意見は、いかにももっともらしいのだが、現実から懸け離れた机上の空論であるに等しい。彼の主張は、要するに、こういう感じだ。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいでしょ? お菓子を食べない本人が悪いのよ。アメリカの女性は、みんなお菓子を食べているわ」
しかし日本の労働者は、お菓子などはないのだ。もちろん、パンもない。そこで、「パンをくれ」と言っている。なのに、「パンがなければ、お菓子を食べればいいのよ」なんて言うショーンKY という人の意見は、あまりにも現実離れをしているというしかない。
「昇進を打診されたか断るな」と彼はいう。しかし日本の女性労働者の大部分は、昇進を打診されるどころか、非正規の派遣社員なのだ。こういう女性たちに向かって、「昇進を打診されたか断るな」というのは、「パンがなければ、お菓子を食べればいいのよ」というのも同然で、あまりにも現実から懸け離れているというしかない。
枠には入れない女性が大部分なのに、枠のなかだけの話をしても無意味なのである。
――
《 追記 》
★ のことが間違っていることは、現実のデータを見ればわかる。次のようになっている。
後者の具体的な例は、政府(官庁)、日産自動車、資生堂などが挙げられる。これらの組織では、女性差別解消という方針があり、実際に女性管理職が多い。
仮に ★ のことが正しいとしたら、これらの組織でも、女性は自ら管理職になりたがらないので、女性管理職の比率は少ないはずだ。しかし、そうなってはいない。現実に矛盾。ゆえに、背理法により、★ のことは正しくない。
参考記事
https://www.news24.jp/articles/2020/01/22/07582968.html
そんなことはありません。下記を参照。
アメリカでは基本的に「産前休暇」がありません。また、産後も「3ヶ月以内」で『職場復帰』するワーキングママが7割を超え、最短ケースでは「2週間」での職場復帰いう場合も!
アメリカの働く母親の場合、産後から復帰までの平均的な期間は10週間です。7割を超えるワーキングママが3ヶ月以内で職場復帰をしていることになります。
その自由主義的な流動性を高めるアプローチはセーフティネットが盤石で人々に受容されていなければうまく機能しないが、日本人は失敗を恐れドロップアウトである無職や生活保護受給者を蔑視しがちな空気を払拭しきれずにいる、ましてフリーターや派遣社員ですらそれを生む社会でなく当人を責める風潮があるから、純粋な自由主義思想、ひいては資本主義に厳密に準拠する政策を取ることは不可能であり、社会主義的なパターナリズム、介入による裁量的救済、つまり個別的な福祉政策を混ぜ込んでスマートではないやり方をして綻んだそばからせっせとパッチワークし続けていくことで「失敗」自体を誤魔化す道しか選べないのである。日本人には「裁量よりルール」の発想は不可能である。しらんけど。
個人的に思う実際の展開
①トランプからバイデンへの権利承継は思ったよりもスムーズに済んでしまい、肩透かしを食らう。
②コロナ対策を全部トランプのせいにしていたバイデンだったが、承継タイミングはコロナ第二次パンデミックのタイミングとなる。
左派のポイント稼ぎのために様々な福祉政策を実行し、マスコミはそれを徹底的に称賛する。
だが、根本的にコロナは蔓延し続ける。ワクチン接種が始まるも、実際には勝ち組が優先となり速攻正体を現すことになる。
③反トランプの旗印だったトランプの壁撤去とWHOの再加入し、マスコミが称賛するが南からやってくる移民でコロナが再蔓延する。
学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。
1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代が愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています。
ブラック部活は、愛着障害の治療の集団療法という側面があったのだろうと思います。愛着障害が存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員は意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。
そのあたりから、学校に福祉的機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮、個別の支援計画、外部機関との連携。部活動。
教員は、授業を成立させるために、福祉的業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式に業務にしてしまうのです。
ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。
以下は、『身体はトラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、
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太古の昔から、人間は自分の中の非常に強く恐ろしい感情に対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシアの演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話の再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合の儀式だったのかもしれない。
演劇を通してトラウマを治療する。愛と憎しみ、攻撃と幸福、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時に、トラウマの本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇は情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。
学校からは、能力と集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽、演劇、美術、スポーツがどんどん姿を消している。
見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。
筋肉を動かすこと、意識の集中が必要な作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである。
教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワークの学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師や学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験の得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題に効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。
規則を平然と無視する生徒は、アメリカの学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。
他者の言葉をしっかり聞き、自分の言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。
教師が怒鳴ったりする代わりに、子どもが経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分の感情を説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全の経験を学ばせるのだ。
(しかし)学校はトラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。
トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセル・ヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから
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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにいます。教員は守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています。個人情報なのでメディアにも明かされません。
日本の福祉政策の不備を、教員が無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子どもを学校が福祉的にケアすることを国民は望みます。学校の教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉的ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます。
理由は貧困ゆえに売春をせざるを得ない女を保護するために。むろん福祉政策とセットではある。
それでも金になるなら売りたいって女がいて、買いたいって男がいるから裏で存在する。
金になるから売りたいって女に売らせないのも当人の自己決定権を奪っているって話もある。
そうやってずるずるに緩くなっていったが、コロナの大不況が見えて、多くの倒産や女性労働者解雇、これから就職活動を迎える女学生が貧困ゆえに売春せざるを得ない状況が見えてる中での岡村の発言。
貧困ゆえに売春をするのを防げないのなら、性風俗自体全部浄化されて消え去ってもおかしくない。
つーか岡村の一言自体「あくまで儲けたい女が自発的にやっている」という性風俗業者側から見た正当化の話を完膚なきにまでに破壊するものだ。
飛田新地がコロナが起きて、すぐに「営業したら即除名な」といったのは、コロナの拡散源になることを見込んだというのもあるし、何よりコロナによる貧困ゆえの売春が増えて、