はてなキーワード: 洋画とは
日本の漫画や映画などの創作物ではあまり格好いい大人主人公を見ない。冒険活劇の主人公は高校生までの少年少女が多く、大人はサブキャラの役割が多い。一方洋画はアクション物などのジャンルはかっこいい大人がニヒルなセリフを放ってる場合が多い。漫画だって古くはスーパーマンといった大人のヒーローが主人公として活躍している。勿論ハリポタとか子供が主人公の創作物もないわけじゃないが、日本では圧倒的に大人が格好良く活躍する創作物が少ない。特に近年。
それは何故か?日本では大人は格好良くも希望に満ち溢れてもいないイメージが定着してしまっているからではないか。特に近年。
日本では大学生までが楽しい期間であると考える人が多い。対照的に社会人以降は40年間社畜として生きなければならない…人生の墓場…なんてイメージだ。日本ではバリバリかっこいい仕事して自己実現なんてイメージは弱い。大体不況とかブラック企業とか精神病が認知されてきたとか就職難とかその辺のせいなんだろう。勿論楽しく働いて成果も出しまくってる人もいるだろうが、大多数の人が仕事をイヤイヤしてる人ではなかろうか。
後日本の社会人はルールを偏重とかしきたりとかを気にする。それもまた堅苦しいイメージに繋がっているのだろう。
日本では大人はかっこいいものではない。だから大人、特に会社員が活躍する物語は作られにくい。(探偵、刑事が活躍する物語はあるがあれは大人でないと出来ない話だからなー、その探偵物も少年探偵のコナンや金田一少年が強いし)現実とかけ離れ過ぎて皆がイメージしにくいからだ。
子供は自分と年齢の近い主人公に想いを馳せる。大人は逆に自分遠い存在であるが故に感情移入することが出来る。自分と近い立場のキャラの活躍なんて身につまされてしまうのだ。
勝手な妄想を殴り書いたから検討外れなことを書いた気がする。でもこれからの世代がかっこいい大人として働ける社会になればいいと思う。
いっちょ前に「映画、観なくなったなあ」なんて思って何で観なくなったのかなーって考えてみたけど、
よく考えたら元々そんなに観る方じゃなかった。
映画館では年1、2本観るか観ないかくらい。ほぼ付き合いで行く感じ。
数年前に意識して自分で映画館に通ってみた年でも5本くらいだったかな。
あまり行かないのは映画館の音がでかいとか、画面でかいとか、眩しいとか、あと人がギチギチに詰まってる感じとかの、
臨場感とか迫力みたいなメリットとされる要素がそのまま苦手要素になってるから。
デートで映画見たあと買い物とか食事とかホント勘弁、今すぐ帰って寝させてくれって思う。
そのせいか映画≒金曜ロードショー(日曜洋画劇場)みたいな認識がどうにも根強い。
レンタルビデオで映画借りてきて家で流すのにハマった時期もあったけど、4本1000円とかで借りても、
途中で停めると話を忘れたり混乱したりするので、2時間くらいx4本分の時間と体力を1週間以内に確保するのがしんどいとかですぐやらなくなった。
邦画(に限らずドラマとかもだけど)に関してはさらに、役者のセリフを聞き取るのが下手で、
えっ今なんでこの人キメ顔で「寿司じゃん!(好きだ!)」って言ったの!?ってなことが頻発するので、
観終わっても話のディティールが不明とかが多くてかなり苦手意識が強い。
いいシーンで後ろで音楽流しながら喋るのホントやめてくれって思う。何言ってるかマジでわかんなくなる。
子供の頃「室井さん聞こえるか 仲間が撃たれた 同時でメンマに千葉眺めるんだ!」って青島さんが怒ってると思って大混乱したりした思い出。
そういう意味では最近の漫画原作ブームは、原作にある程度忠実だと自分にはとても優しい映画になる。
最初から知ってたり、セリフ回しを予習できるから、話を見失わずに映像や演技をちゃんと観て素人なりに「おおー」とか思っていられるっていう。
ちなみに洋画なら字幕があるし、さらに最近のレンタルDVDなら日本語音声x日本語字幕とかも選べるので個人的にはとても観やすい。
「邦画が面白くない」問題について、色々な論が飛んでいますが、私の考えを述べます。
おおよそ2000年になるまで、くらいと考えるのが妥当でしょう。
その時代はまだまだネット普及率も高くはなく、必要な情報を検索して調べることが
できたのも一握りの人だけで、コミュニケーションツールとしてもまだまだ未成熟だった。
では人々は何を頼りにして映画を見ていたのかといえば、それはTVによる宣伝など
また、映画を評論する映画好きの人達も一定数いて、糞映画を何本も自腹でみては
その中から面白い映画を選りすぐり、評してそれらを参考に一般の人達は映画を見ていた。
広告代理店にしても、面白くない映画を売り出すことは難しいので、企画にまで絡んで
いただろうし、プロの宣伝人と、プロの企画者と、色々とプロな人達が提供するものを
これが良いかどうかは別として、やはりプロの人達が頑張った結果、それなりの水準のある
映画を作ることができていたのだとは思う。これは結果論として。
スマホの普及により、ネットコミュニケーションの闊達が著しくなった。
それと同時に社会情勢も踏まえて、娯楽にお金をかけることに最大のパフォーマンスを得れないといけないという観点が高まってきた。
今までは、そもそも他にどういう選択肢があるのかわからない状況で、TVの宣伝だけをみて、良さそうなところを選ぶ。
この時点で、それなりのプロが選んだフィルタリングがかかっているわけで、それなりの水準のサービスを享受できていた。
しかし、ネットの情報により、選択肢がそもそもたくさんあるということが見えてきた。
だとしても、選択に失敗をしたくないという人が多くいるので、ネットの口コミというのを参考にするというシステムが出来上がった。
当初はこれも、口コミをする人が、正常な大人だけで、よく機能をしていたが、
スマホのおかげで、どこの馬の骨ともわからない有象無象が、勝手な意見をする状況になってしまった。
ネットで話題が、正当な作品の評価によるもので話題なのであればいいが
今あるネットで話題は「シェアしても面白いかどうか」になってしまっている。
絵面が面白いとか、ツッコミどころがあるかとか、そうしたことがシェア要素になってしまって
また、作品を評価する人も単に「つまらん」「おもんない」という一刀両断切り捨てタイプが多くなってしまい
本当の意味で作品を評価できる人よりも、ただ気に食わないから低評価をする人の割合の方が多くなってしまった。
そうした評価をみて、多くの人が作品選びをするので、作品の質とは違った所で
作りて側もそうした、時流をみて、とにかく話題になることを1番に考えて作品を作るわけだし
見る側も、根拠の無い評論をするので、どんどんと場は荒れていくのはしょうがないことだと言える。
負のスパイラルに陥っていることは現状を見ればわかることだ。
・どうすればよいか
そもそも論として、映画を見るのに他人の評価を気にすることが無意味だと思うのだが、
実際の所そうして、安牌を選びたいという人が増えている現状なので、
それではやはり年間何百本と見ているプロに評価をお願いするのが良いのではないかと思う。
ネットの有象無象が作品もなにもかもぐちゃぐちゃにしてしまう世の中で、
「本当に良い物は評価されるはず」みたいな美談はもう成り立たない。
上述した通り、面白い映画をつくるだけでは、話題にならないので、商業的には失敗する、という状況になっているのです。
ネットで話題にならないと、土台に建てないのです。
卵が先か鶏が先かわかりませんが。
自分にとって面白いと思えない作品を見ることで、面白い作品がより際立つというもの。
視聴者側の沸点が低くなりすぎて、すぐに「クソ」とか言っちゃう。
別にいいじゃないか、映画にエンタメ性だけを望んだら、ハリウッド映画以外存在しなくなっちゃうよ。
あれこそ紋切り型でつまらないとも言えるし、露骨な商業路線だという人もいるはずです。
「1800円で2時間過ごせてよかったなぁ」くらいの気持ちで映画見ましょうよ。
一度浜村淳の映画解説を聞いてから、映画を見てみることをおすすめする。
邦画は2000年より以前から既に落ちぶれていた、っていう人の
(俺の中では)くそってなんでも言えるしな。
hobbling 洋画が面白いのはネットが普及してないからか!
↑
こいつアホだなー。
洒落っ気のない理系学生はヤバい性癖もってそうだというイメージ抱いた人がちょっとは増えたんじゃないの
昔「ずっとあなたが好きだった」というドラマが人気になって
それに似たインパクトはすくなからず今回あったような感じするわ
あの数式が羅列された卒業文集やハライチのボケの方みたいな写真見て、
いつもチェックのネルシャツをきているメガネ面の東工大生あたりを
洋画で頭脳派サイコパスを紹介するシーンでありがちな小道具そのままで、
心象の悪さに拍車をかけている。
あれを見て、「留学までして飛行機に執着するなんてハイジャックしそうで怖い」なんていう
馬鹿な女も多いんではないか?
としか女は思わないだろう。
映画館に行くと長々と他の映画の予告編を見せられるわけだけど、
ちっとも「見たい」と思わないのね。
理由ははっきりしてるんだよ。予告が何を伝えたいのかさっぱり分からない構成だからなんだ。
例えばゴジラの予告なんか酷かった。
街中で人がキャーキャー悲鳴あげたて「逃げろ逃げろ!」って言って走ってるの。カメラももみくちゃにされているらしく映像ブレブレでぐるぐる廻る。
以上。
……えーと、何これ?
これのどこに「面白そうだな」と思わせる要素があるんだろう。
もう一つは、猫がいなくなった話とかなんとか。
一生懸命泣いてる人の顔を映してて、僕はもうすぐ死ぬとかナレーション入ってるんだけど
それと猫とどう関係あるのかも全くわからないし、大体なんで泣いてるのかも分からないし、
とにかくあらすじが分からない、あらすじが分からないから、「ぜひとも続きを知りたい」という欲求が出てこない。
こういう、感情の昂ぶりだけクローズアップしとけばいいや予告、ドラマでも多くないか。叫んでたり泣いてたりとか。
一番盛り上がる所なんだろうけど、予備知識無しでそこだけ見せられてもわからんのよ。
それに比べて洋画のほうは、物語のすべてが分かったわけじゃないけれど
息子を殺される→父も生き埋めにされる→犯人たち「奴は始末したぜハッハッハ」→父、地中から生還→父「復讐開始すっから」
というあらすじがちゃんと分かるのね。
「それから父はどうなるの?」って思うじゃん。
なんか、あれなら自分のほうがマシな予告作れる気がしてきた。
ほんと意味分かんない。
いやいいところは大いにあったよ、みんなが仲間になるアベンジャーズ展開とか好きだし贅沢だし、絵はもちろん整ってるし構図も面白くて、音なんかは爆音上映をやるところもあるだけあってほんと良かったんだけどさ。
でも明確な不満点が結構大きかった。
不満点の一番は、チハタンと継続っていう味方側の新キャラ2勢力が魅力なかったこと。魅力なかったっていうかハッキリ言って不快だった。
洋画のギャーギャー騒いで事態を悪化させる子供キャラって嫌われやすいけど、私の中でチハタンはそれと同ポジションだった。
オタクは馬鹿なキャラを嫌いすぎる傾向にあるし、私もその性質があるから、できるだけ広い心でキャラに接しようとは思ってるものの、それでもチハタンには苛立ってしかたなかった。
大洗のみんなも、テレビ版の序盤ではポンコツで、「真面目にやってくれよー!」と全く思わなかったと言えば嘘になるんだけど、でもがんばれベアーズ系としてはお約束だし、こういう作品群の中ではもどかしさがかなり少ない方で見心地がよかったんだ。
その見心地のよさは、バカさのレベルがほどほどだみたいな話ではなく、私にはよくわからないけど何か演出でうまくやってたり、キャラの魅力でカバーリングしてたり、そういうことで絶妙に飲み込みやすくしてるんだと思う。
でもチハタンはそういう心地よさがなかった。
テレビ版を終えての試合、ってていで始まったから、大洗の子らは凄く成長したし、他校はもとよりレベル高くて、一段上のステージでのハイレベルな争いを見れると思ったのよ。
野球で言えば日本シリーズ、とびっきりの最強vs最強、全ジャンル最強決定戦、スタローンとジャン・クロード・バンダムどっちが強い、そういうワクワクをかき立てられた。
なのにチハタンだけ馬鹿なのが、ハイレベルなカッコヨサや美しさを見せてくれそうなところをグッと押し下げて、大洗の足も引っ張ってるし、それどころか戦闘全体の足も引っ張ってるように感じられてなんだか悲しくなってしまった。
もちろん、お話の流れとしてある程度ルーキーキャラがいた方が作りやすいのはわかる。
ゲームでも続編ではレベル1からだし、ロックマンはロックバスターのみ、スネークだってほぼ無装備から、ランスも毎回怠けて弱くなってる。(この辺にも賛否はあったりするけど)
キャラの魅力でカバーしてくれたらよかったのかもしれないが、とにかくまあ尺がなくて、既存キャラたちの描写も食い足りないくらいなわけで、チハタンは事情も立ち位置もキャラもよくわからないポッと出の迷惑な子らって見えてしまった。
おまけに旧日本軍パロってのが、輪をかけて校風萌えもキャラ萌えもしづらくさせてる。
ガルパンってただでさえミリタリー・軍事・武力・戦争萌えのキワキワを歩いてて、色んな議論があるわけですよ。
平和教育受けた私としても多少抵抗があって、でも周囲の盛り上がりで試しにテレビ版を見はじめてみたら、上手にオブラートに包んでくれてたし、ほかの魅力が大きくって結局大好きになった。
でも日本軍パロは、かなりド真ん中じゃん。触れづらいとこに切り込んでるじゃん。
それが軍事賛美やオタクの右傾化に繋がるとは思わないけど、咀嚼するのに多少顎の力と喉の力が必要だ。スクリーンを見てて、外国パロに比べてどうしても色々考えてしまう。私の日本の軍備への屈託も煽られるし、「ああー、これっていろんな議論のネタになるだろうな」というファンダムについての余計な懸念も想起されてしまう。
とはいえ、だから創作において日本軍パロは控えるべきだ、とは思わない、そうするとますますタブーでアンタッチャブルになっちゃうし、それがよいことだとは感じないから。でも現状では私が身構える属性なので、この属性を組み合わせるキャラは受け入れやすいものにしてくれてる方が嬉しい。
しかし実際に旧日本軍パロをしたのはチハタンですよ。めっちゃ足を引っ張るってだけでイラ立つのに、おまけに日本軍パロで、食べづらい+食べづらいで、まったくもうやりづらいんすよ。イラ立つから好きになりづらくて、でも旧日本軍パロなせいで「あいつらホント駄目だな!」と本気で嫌悪するのもキツめの左翼の人っぽくて嫌だし、けれど一方で「も~、バカな子カワイイ♥」と頑張って萌えるには旧日本軍への悪印象が強くてやりづらいし、ホント扱いに困る。
なのでチハタンが、複雑に嫌い。
後半ある程度活躍してたけど、それも前半の悪印象を覆すことはありませんでした。ダメな子たちが成長する魅力はテレビ本編の大洗の子らに遥かに及ばず。
成長を描くんだったらチハタンよりもオタクチームや風紀チームを、「優勝に貢献はしたけど他に比べるとまだ今一歩 → 完全に頼れる仲間に」とか、ウサギさんチームが次期エース格にとか、その辺の大洗の子らをもっと描いてくれた方がずっとありがたかった。
具体的には隊長のスナフキンが盛り下げまくりでお前なんなんだよ!
そういうキャラ付けもありだとは思うけど、やりすぎで盛り下げすぎ! チハタンとは違う意味でしょっぱくしてる!
ガルパンTV~OVAは、否定に傾いてめんどくさく陰気に考えちゃいそうなところを、適度なしんみりさでうまく抑えてくれたのが私は好きだったんですね。片眼鏡なんかに対して、ほかのメンバーが不満をため込んでやる気をなくしたりしそうなのに、そこで否定的なことを言うキャラがいない。好みはあるだろうけど、ガルパンにおいてはそういう優しい世界だったのが私は見ていて楽しかった。
けど能登スナフキンはヤバイ。そんなの気にしない。否定しまくり。ひねくれてるとかムーミンパロとかそれだけじゃ片づけられない否定。ヤバすぎ。
継続高校の校風の説明、ポジションの説明、各キャラクターの説明がなかったのも痛いです。それらがうまくやられてれば、あの厭世的なキャラ付けもきっと愛せたと思うんだけど、なかった。どこの国をモチーフにしたのかもよくわかってない。
北欧? なの? みたいな。
CV石田みたいに出てきて思わせぶりに盛り下げること言ってなぜか参戦してきて戦闘シーンだけやたらカッコイイ動きして静かに退場したかと思ったら最後のセリフも持ってった。ホントなんなんだあいつら。
この2陣営への鬱陶しさが魚の小骨みたいにずっと邪魔で、気持ちよく味わえなかったのが非常に残念。
同じ新キャラでも、大学選抜の子らは、やっぱりキャラ描写薄いのでめっちゃ好きとはならなかったけど、決して不快ではなく嫌いでもないです。
例外なく鼻白む。
そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ以上の物がある。よくみんな平気だな。もう今すぐに逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。古語で言う「かたはらいたし」の状態だな。
・当人が聞いているとも知らずにその人の噂話をしているのを見たとき
というような場合が「かたはらいたい」と清少納言は書いている。
話はそれたが、作品中におけるネット描写がなぜこんなにかたはらいたきことなのかを考えてみると、理由は二つあることが分かった。あくまで俺の場合な。
一つ目は、いずれ廃れる表現なのが分かりきっているから。どうせ数年後には「ナウなヤングにバカウケ」くらいの陳腐な表現に成り下がってしまう。今「~~とか言ってみるテスト」とか言っても「何言ってんだこいつ」以上の反応は期待できないだろ。それがすげぇ嫌なんだよ。今現在のこの瞬間を切り取ったドラマであるのかも知れないけど、「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな。数年後に作品を残すことは考えてないんだな」って思いの方が先にくる。作品を食い散らかすこと前提で作ってるのかな、と思う。それに、その作品が優れていればいるほど、スラングの古さが気になって評価を落としてしまうだろう。もちろん、その時代を表現する描写ということはわかるんだが…。
二つ目は、否が応にも現実世界を意識させられるから。俺は作品を鑑賞するとき、前のめりに作品世界に浸りきりたい。その世界の中で本当に人が生活しているのだというファンタジーを噛み締めたい。だから凝った設定をうまく背景にして展開する物語が大好きで、「なぜこのキャラクターはこの服装なのか」「どういう文化なのか」という点が自然と理解できるような作品が好きだ。現実世界を舞台にした作品でもそれは変わらない。しかしそこでネットスラングやネット描写がでてくると、一気に「こっち側」に引き戻されてしまう。ネット描写はどうしても第三者の目線を意識させる。しかもネット描写がうまい作品があんまりない。何ていうか、ネットがありありと描写される事で「その作品の世界観の中の出来事」が現実世界と地続きであることを意識させるというか。あるいは、「不気味の谷」みたいなもので、わざとらしく描写されたネットの様子というのがどうにもかたはらいたきことに見えてしまうのかもしれない。
ちなみに、洋画のなかでfacebookの描写が出てくるのは全く問題なく見れてしまったりする。これはきっと、外国のfacebookは日本のfacebookとは違う場所にあるのだという意識があるのかもしれない。作品の舞台が地元でもとくにかたはらいたくならないのと同じかな。あと、基本的に日本で公開される洋画の演出は優れていることが多いからというのもあるだろう。
ブコメで叩かれてんだろうなと思って観に来たら案の定で安心したんだが、
だって、オレラ少数派だし。イッツァ・マイノリティーワールド。
まあ映画産業が牧歌的だった時代なんぞ無いんだろうが、チョット考えてくれよ。
映画は興行だ。お金を稼ぐためにやってる。慈善事業じゃ無いんだよ。
だから「映画を愛する人」と「映画をかける興行師」との相性は悪い。
あの黒澤明にすらカットを要求し続けて「これ以上切るならフィルムを縦に切れ!」
(製作、配給、興行の区分と金の取り分の問題点はまた別の機会に)
さて、映画館にみんなが払ってる平均入場料金は1285円なんだが、ONE PIECEは最近だいたい400万部売れてる。
そうすると、10%の40万人が映画に来ると、5.14億円になる。
まあ、たぶんこんなソロバン弾いたんじゃないかな。
「なんかスターウォーズ流行ってっし、ワンピースの特別CMあるなら、行く?」という超ミーハー層狙いね。
ストームトルーパーのコスプレで映画館に来ちゃうような極小数のターゲットより、狙いやすい層と言い換えても良い。
ぶっちゃけて言えば映画館としてはワンピースは確実に稼げるオイシイ映画なんだよね。
12月18日は、スターウォーズ封切り日であると同時に、ワンピース新作の前売り券発売日だし。
(前作「ONE PIECE FILM Z」は68.7億円を稼いだ手堅い安牌でもある)
カネを稼いだ「ルパン三世」は、「インターステラー」の倍は偉い。
まあ、スレッカラシのはてなーでも、表で数字を見たほうが早かろう。
オレは結構行ってる方だが、客層はネット上の声の大きさとずいぶん違う。
洋画も最近は「グラボ変えてENB最高にしたったwww」みたいな色調多い
多分CGに合わそうと思うとあんな感じの色調が一番無難になるんだろう
世の中には「~すれば良いだけ」と口を出してくる人が結構な数いる。
「事前情報とか今までの経緯とか知らんし、俺はこう思った」と意見を言う人ね。
意見をいう人からしたら真摯に考えて世の中良くしたいと思ってのことなんだろうけど、キツイ。
そういう意見を言う人はそれまで興味なかったことに、ニュースとか告知みて反射的に電話かけたり意見出す人だから。
まあちょっと思い出話という事にして、ずいぶん古いんだが具体例を書く。
今もあるかもしれないが、公民館とかの外壁に映写機で映画を投影してみんなで観るというヤツだ。
昔はフィルムを映写機ごと貸してくれる業者ってのが結構いて、ジブリだの東映だのを地べたに座って見たもんだ。
ある時、年齢層が高めの洋画をやってみようとなった。
確か、「陽のあたる教室」だったと思う。
そこでまあ、やってみて気がつくというタイプの問題が発生した。
字幕が読めない。読みやすくしても子供には読めない。まあそりゃそうだ。
それまでほぼアニメしかやってなかったし、予行演習まで気が付かなかった。
そこで、妙案を思いついたヤツがいた。
レンタルビデオ店で吹き替え版を借りてきて、音声だけそっちから流せば?
実際にやってみたらうまくいった。
良かった良かったとなったところで、現場のチェックに来た職員が指摘した。
借りてる映写機フィルムはみんなで観る用に権利関係が処理されててちょっと高めになってる。
レンタルビデオの吹き替え版は、店で500円くらいで借りてきた。
指摘した職員もシマッタという顔になったが、やっぱり知らん顔は出来ない。チェックが仕事でもあるし。
そこで、その年の星空映画会は中止になった。
さて、星空映画会が中止になった。一週間くらい前に告知を出した。
大量の「したら良いだけ」「すれば良いだけ」のご意見を頂戴した。
ボランティアスタッフを責める意見もあった。問題の有無を話題にする人もいた。
あとはまあ、疲弊するタイプのやつもちらほら。邪推したあげくに責められて弁解をイイワケと捉えて激高する人とか。
(陽のあたる教室はメッセージ性のある映画なので「そういう描写に抗議を受けて取りやめるとは何事だ」みたいなヤツね)
たいてい意見自体はまっとうなんだよね。金と時間と手間を無視すれば。
なんで出来ないかというと、時間が足りないから。仕切りなおすには他のイベントがあるから。
そんなん字幕を青空上映したら字幕が見えないに決まってるじゃん、当然だろ。馬鹿なのか。そう言われる。
洋画が良いと言って頑張ってくれていた何人かは、その後のイベントにはあまり参加しなかった。
だいぶ、自分を責めていたようだった。
中止は役所からの指示(公民館の指示系統的に正式にはそうなる)とは言え、潰したのは自分だという意識があったようだ。
ボランティアとは言え注意深く企画したら良いだけ、とか言われるしね。
それでも、企業の企画する金も手間もかかってるイベントと、手弁当のイベントを同列で比較してるのをみると、ツライ。
文句でも良いんだよ「なにやってんだよ。ほれ、フィルム借りてきてやったぞ」と言ってくれれば。
でも「吹き替えのフィルムを借りればイイダケ」という人は、金を出すわけでも手伝うわけでもない。
当時未成年だった自分が思ったのは、次についてのアドバイスは励みになるけど、戻れないときの事言われるのはキツイ。
終わったことを詰められても、仕事でもない未成年ボランティアは、単にやめちゃうんだよね。
まあ自分は厚かましくもその後も何年もスタッフ参加していろいろやったわけだが。
大人になった今も、「スレバイイダケ」と聞くと「オマエがやれよ」と思う。
それダケなんてこと、めったに無いけどね。大抵お金も人手もかかる。
まあ、愚痴なんだけどね。
日本語に訳された(この場合はカタカナ英語のまま導入だけど)際に、元の意味(女性で主役)ではなく、日本的な概念で意味合いを変えた単語の典型じゃないの。
ホステスも同様。
まだ時折、
女は添え物、男主人公の性的よさを引き立てるアイテム(女性にモテるくらいいい男であるって描写の為)、あるいは男性主人公へのご褒美、みたいな扱い多いから。
アニメラノベなんかだと、男主人公に気のある美少女キャラは何人いてもみんな「ヒロイン」呼称だからね。元の英語の意味とちゃうw
尤も、そのアニメラノベですら、漢気ある「ヒロイン」キャラが活躍する作品は昨今枚挙にいとまがないけどね。攻殻を例にするまでもなく。
洋画はあんま見ないからアレだけど、たとえば「オズの魔法使い」はドロシーはヒロインだけど立派に主役だし、
「ベロニカは死ぬことにした」(映画は観てない、原作読んだだけでスマンが)も、恋愛こそ絡むがヒロインはきちんと女主人公として物語をひっぱってったし。
原作アリの映像作品、特に漫画を原作とした実写映像は批判されることが多い。
現実に即した改変や尺の都合での改変(髪形や服装、キャラ付け、舞台設定)が原因となる場合も多いし、原作ファンがキモだと感じている部分を削除したり変にいじったりすることでも叩かれる。
一方で原作漫画に忠実にやろうとするあまり、姿が似てるということ第一で演技のできない役者が配役されたり、現実にはありえない髪の色をしていたりするキャラが批判されることもある。
上記の問題は「じゃあどうしたらいいんだよ?」って話でもあるし、ファン全員満足させつつ実写版での新規客を魅了することなど不可能なのである程度はしょうがないと思う。
どうしても気に入らないのが実写版監督とかが「自分なりに再構築した」とか「新しい解釈」とか言うやつだ。
原作の要素を分解して自分なりに解釈して再構築するのは結構なことだけど、それならいっそのことタイトルを変えればいいだろといつも思う。
洋画なんかにはそういう作品も多いはず。(邦画にも多いのかどうかは知らない)
原作のアイディアの一部を参考にしてまったく別の題名の映画を作り、クレジットには「原作 ○○」ってやりかた。
原作レイプだなんだとかって叩かれる作品の制作陣は、結局のところ原作のネームバリューにたかるしかできないくせに芸術家ぶって再構築だ解釈だとか言うから嫌われるのではないか。
原作と、それをもとにした実写作品の題名をちゃんと分けるようにすれば制作側は叩かれず、見る側も多少不満があっても別作品だという事でそれほど気にならないどころか新しい一作品として素直に楽しめるかもしれない。実写から入る新参にとっても心理的ハードルが下がる。いいことずくめに思える。
自分は殆ど映画を見ない。考えたくもないし、それに関する大学に授業も受けたくない。
実写は邦画も洋画も金を払ってみたくない。1500円を払う価値が微塵も無い。
見るアニメ映画も実は大した価値はない。だけど、とりあえずアニメだから見ていられるのだ。人間が好きじゃないのかもしれない。
映画を映画館で見てみて思うのが映画が始まるまでが長すぎである。
僕は、シアターに入って一番最初に映画の宣伝をしている山○○菜とかいう女優の服から浮きでるおっぱいと顔を見て腹が立つ。
あんなに性的魅力を持つことが出来てとても腹が立つ。こっちは汚いなりにコソコソと皆に迷惑をかけないように映画館に来ているのだ。
人から嫌がられる容姿なのに三越前まで地下鉄を乗ったのだ。京都でセックスを楽しんでそうな美男美女が強者なアホ大学に通う今よりも精神状態は安定していたが、やはり女優のおっぱいを見ていた時は疲れた。
その後、某上場企業の会社が作ったオリジナルアニメが上映される。それもとてもうざい。
ネットを見る限り、その会社の社長の娘が金と性的魅力と大学に苦労してないようなので、それがなおさら自分を苛つかせる。
その後の映画予行もとてもとても映画の本編を見る気を減らしていく。タワーマンションの広告すら流れる。
そんな時に、前の方の席で、ブサイクなカップルが手をつないでいるところを見つける。
ブサイクなカップルは哀れだ。女が特に不細工だ。20くらいなのだろうけど40くらいにさえ見える。シルバニアファミリーの体型で、若い時の林真理子の顔だ。おっきいお顔でくせ毛だ。40で結婚した母親の高卒である弟と結婚した女の後ろ姿にそっくりだ。酷い容姿だ。
しかし、どこかまだ可愛さがあるかもしれない。本当に醜い女 男なんて一生できなそうな醜女を自分は知っている。今日の映画ビジネスの授業で見たから、そっちよりはずっと救いがあるし幸せそうだ。。
映画予行が長い以外にも女優やオリジナルアニメ、マンション広告 顔とスタイルが悪い発情した女 容姿格差 大学の映像系の授業 まぁ腹が立って仕方がない。