須藤にわか氏と北村紗衣氏のアメリカン・ニューシネマについての論争。
北村氏は初手のブログで、ニューシネマについて通説的なことを述べ、
須藤氏は、その通説に対して、「いや、俺は違うと思うんだ!」と反論ブログを出した。
本来なら、これはアメリカン・ニューシネマとは何だったんだという議論であり、
アカデミズムでの研究とシネフィル(映画好き)の実感との対立である。
しかし、Xでもはてなでも、この映画論争が、正義と悪の戦いになっている。
パレスチナとイスラエル、どちらが正義で悪なのか、それを議論するのと同じような態度で、
そして、それは議論としては成立せず、敵と味方を峻別し、敵をいかに貶めるかの言論でしかない。
アメリカン・ニューシネマについての理解や見識は何も深まらない。
今のネット言論は全てが正義と悪の戦いとして理解され、正義論になってしまう。
そのうち、きのこの山とたけのこの里、どちらが正義か、吉野家と松屋、どちらが正義か、
戦い始めそうである。
もうネット言論は完全に終わっているよ。
吉野家と松屋ですか。 確かに吉野家も松屋もどちらにも称賛に値するメニューが出てくるのは間違いないんですが、 真に民衆向けの牛丼チェーン店は、すき家だと思うんですね。
逆に映画好きならアメリカン・ニューシネマなんて明確に定義できない曖昧な括りでしかないって理解してると思うんだけどね
これは片方が北村紗衣だからじゃないのかとも思うが
判断するのに必要な材料が不足しているのに、判断を求められているからかと愚考します。
よく考えたらどうでもいい争いだよなあ 勝手に殺し合えばいいのに