はてなキーワード: 役者とは
好きな俳優さんがいる。
いわゆる推しというもので2.5次元と呼ばれるものやストレートプレイなどの舞台に出演している舞台俳優さんだ。2年くらい片想いをしている。もちろんファンも多い。それはきっと俳優さんにとって喜ばしいことであるし、応援している者としても喜ばしいことなのは重々承知である。
しかし私は、どうしてもそれが辛い。
初めてこんなことを考えたときこれが同担拒否なのかもしれないと気付いた。続いてなんなのか分からないけど、非常に厄介で生きづらいもんだなと思った。
それから俳優さんのツイートに対して並ぶコメントを見ながら他のファンのアカウントへ飛んで、どんな人間なのか観察するのが日課になった。顔も知らないのにみんな美人に思えた。常に嫉妬していた。自分に自信が無いから余計に。惨めだと感じた。
その俳優さんの舞台を見に行って帰ろうと駅に向かう時、あぁもしかしたらこの人たちは出待ちをしにいくのかもしれないなと思う女の人達を見かけた。私はそのまま帰ってしまったので真偽の程は分からない。
その舞台は出待ちなどの行為は禁止だとHPに書いてあったと思うのだが「するんだ、へえ」くらいに思った。別にそれが絶対的に悪!許せない!と思えるほど自分は正義感が強くないし、禁止するくらいだから迷惑になるんだろうくらいの認識だ。ただ私がしない理由はその俳優さんに目障りだと思われそうだったから怖かった。嫌な認知のされ方をしたくなかった。結局自分のことしか考えていない。でも本当は私だってその俳優さんに会いたい。話したい。矛盾しているけど帰り道の電車でぐるぐると考えていた。しかし結局今までしたことは無い。
ファンが自分だけになればいいと思った時期もある。今もそれはあまり変わらないけど、しかしこれは本当に自分勝手でエゴでしかないしそんなことを言ったら俳優さんが役者として活躍出来ないということも分かっている。そんなことを思ってしまう自分は本当に最低で救いようの無い馬鹿だ。我が儘で自己中心的だ。こんなことしか思えないならいっそ死にたい。相手のことを考えず自分が幸せならいいという行動になってしまうのは悲しい、結局どちらも幸せにはなれない気がする。
別に自分が居なくなろうがファンを辞めようが周りにも俳優さんにも問題はない。ツイートにつくコメントが一つ減るだけ、舞台に来る人間が一人減るだけだ。
私はどうなりたいんだろう。とにかく努力して(ダイエットなりなんなり)可愛くなるしかない。なんだか自分でも何が言いたいのか分からなくなってきちゃったな。
はてなで色々なブログを読んでいると、自分なんて金が無いくせに勝手に片想いしてあーだこーだと考えるダメなファンなんだなと考えることが増えた。
こんなどうしようもない女なのに好きになってしまって本当に申し訳ない。
もっとたくさん働いて今よりお金を落とすから。破産しない程度にしか出せないけど許してほしい。出掛けるときは数人いた諭吉が帰り道では二人の野口英世になっている財布の中身を見つめる生活も悪くないと思えるの。画面越しでも、ツイッターの写メでもいいからさ、まだ私の前からいなくならないでよ。
きっと百年の恋も冷めるようなクズバレかカノバレでもしてくれなければ、貴方のことを嫌いになれない。
追記
久しぶりに見てみたらトラックバックにブックマークまで・・・。ありがとうございます。自分の思ってたことを吐き出したつもりだったので共感してくださる方がいらしたことに驚き、また少し安心してしまいました。
当該CMのブコメ欄やツイッターでも散見された、「ワンオペ育児を美化している」という意見。
ムーニーのCMに感じたモヤモヤしたものの正体と、あれがリアルだと感じるお母さんに伝えたいこと。 - スズコ、考える。
良くも悪くも今もそれが自分も直面している現実であって、美化したり感動ポルノに仕立てていたりするCMよりよっぽど好感が持てた、と教えてくださった。
なるほど、と思った。
2つ目の引用は別人の発言らしいから、このエントリ主は今もあのCMを「ワンオペ育児の美化」と捉えているんだろうか。最後のコピー<その時間が、いつか宝物になる。>が現状のワンオペを「否定まではしていない」程度ならいくらか同意できる。
けど「美化」とまで言えるとは私は思えない。このCMの意図は、辛い現実にただ「寄り添う」ことじゃないのか。舌鋒鋭く批判したり、頑張ろう改善しようとハッパをかけるだけが「寄り添う」ことではない。むしろ、今つらい人に対する態度としては批判や声高な応援はご法度で、「私はあなたのつらさを知っている、理解している、ここで聞いている」とただ伝えることが最善であったりする。
確かにCMには「もっと部屋は散らかっていて、もっと髪も振り乱していて、もっとボロボロ」な姿は出てこないかもしれない。でもそれなら、現実のママの大半はあんな広い部屋には住んでないかもしれないし、役者さんのように美人ではないかもしれない。夫のいないシンママかもしれない。フィクションとしてのリアリティは、リアルそのものではありえない。必ず作為が存在し、意図が仕込まれる。
この手の炎上案件で問題にされるのは大抵が「意図しなかった意図」である。「リアルな日常を描き、応援したいという思いだった」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/10/unicharm-cm_n_16524060.html)つもりが、「本当はワンオペ育児を美化する意図があるんだろう」と受け取られる。moms don’t cryという楽曲名が「母親は泣くなというつもりか」と受け取られる(実際のところは知らないが、一般的に考えればこれはヒラリー・スワンク主演の映画『Boys Don’t Cry』のもじりじゃないかと思うのだが。ちなみに同作の主人公は性同一性障害であり、タイトルは当然ながら「男の子は泣くものじゃない」というようなよくある抑圧への反抗でもある)。
私は長々と、表現の話をしている。なぜならこれはCM映像という表現への反応から湧き起こった議論だからだ。現実の育児環境についての議論とは、どちらがより重要ということではなく、違うのだ。しかし、冒頭のエントリでは「CMによって抉られた古傷」に関する語りが多く、映像表現への批評は途中から影を潜めてしまう。あのCMのどこがワンオペ賛美であり美化なのか、「肯定してはいけない現実」を肯定していると見えるのか、どの表現がどのように問題であるかは語られない。楽曲か、カット割りか、役者の選定か、舞台設定か、照明か、コピーか、フィクションに込められたどの意図が読み違えられたのか。
CM批評をしたいんじゃないんだ、現状のつらさをなんとかしてほしいんだ、という意見もあると思う。でもそれならCMへの批判を通して伝えるべきではないんじゃないのか。現実の育児環境のここが問題なのだ、と直接に論じればいいだけではないのか。CMへの批判はCMへの批判でしかなく、現実の諸問題を改善する糸口としては遠回りすぎるし、なによりずれている。表現への批判が現実の諸問題を改善するきっかけになることがしばしばあったとしても、最初からそれを期待して表現を的に据えるのは手段が間違っている。CMを端緒とした議論であればまず問題視すべきはその表現であり、現実への対応は別の話だ。
エントリ主や、他のモヤモヤを感じた論者が話したいのはどっちなのだろう。CMの表現問題なのか、現実の育児環境に関する議論なのか。別の問題である二者を混線させてはいないか。その対応はむしろ無力感を増幅させる方向へ働きはしないか。表現は現実へ、現実は表現へそれぞれ影響を与えうるが、別物を同一とみなすのはリテラシーの問題になる。
私はこれを表現に関する議論として読んでいるから、ユニチャームが意図を説明しなければならなかった結果を残念に感じる。それは表現の多様な読み方を否定するものだから。表現への批判は自由に行われるべきだが、批判をしていると思い込んでいる受け手が実際に気にしているのが表現そのものではないのだとしたら、議論はずいぶんな徒労だ。
美化している、賛美しているという批評の言葉を、私はもっと詳しく知りたい。批評は表現の可能性を拡大するものだ。様々な読み方が可能だと知ることは、表現もまた様々な形を取りうる証拠になる。しかしもしあれらが批評の言葉ではなく現実問題に対する心情の吐露なら、使う言葉が違うのではないかと思う。まあその言葉もまた表現の一種ではあるわけで、私のような者にこうして「意図しない意図」を探られることもある。ただし使う言葉を選ぶことで読み取りエラーは減らせるのだ。だからこそ表現に問題があるなら適切な批評がなされてほしい。
この文章もまた、「育児の大変さを矮小化しようとしている」等と読まれるかもしれないが、そういった意図はないと事前に宣言しておく。
接客関係の仕事してる人たちが相手の話を聞いてる時や否定せずに肯定して受け止める時に「そうですね」って使うけど(研修とかで教えられる)
実際に使う人たちのほとんどか間違ってる。
研修の講師も教えてるはずなんだけど、感情の篭ってない肯定はただの棒読みと同じだからね。
電話応対聞いてても実際にお店に行って話をしてもそうなんだけど、八割くらいはマトモに使ってない。
みんな、抑揚のない返事してるだけで必要のないクレームにぶち当たってる。
人形じゃないんだから、普段友人たちとバカ話してるようなくらいに感情込めないと起きなくていいクレームは起きるし、受け取らないで済むはずだったストレスとダイレクトに受け取る羽目になるよ。
うちの新人も最初は棒読みみたいな返事で「ソーデスネ」なんて言ってたせいで連日クレーム受けていた。
そんなんじゃ気が滅入るから少し感情込めるように話してみようか?って言ったら、最初はイマイチわかってないようだったけど、
どうしても出来ないと言うもんだから、君が今やってるのは接客という演劇。役者になったつもりでやってごらんとアドバイスした。
それからは、しばらくぎこちなかったが今では自然な会話で受け答えできるようになったよ。
最近は役者と考えないで素で接客が楽しくなったので受け答えも自然に出来ると言えるほどになったし、表彰されるようにもなった。
そういう子を見てるせいか、いろんなお店で「そうですね」って言葉を聞くとこの子は棒読みだなぁ…この子は聞き上手だなぁと思ったり。
長々書いたけど、研修で教えられたとおりとはいっても、人形が受け答えするんじゃお客さんはいつまでたっても満足しないどころか不満を募らせるばかりだぞという話。
第三者のイベントで声優本人がコスプレイヤーとして参戦してるってことがあるんだろうか?
声優がライブなどでキャラ衣装を身にまとうのは、俺はコスプレだとは思わないし、ファンコミュニティでそういう表現をしているのを聞いたことはない。
コスチュームプレイというのは、ファンがキャラと自分を同一化して楽しむごっこ遊びだと思う。
一方で声優さんたちの認識としては、雑誌などのインタビューを見る限り、だれも自分とキャラを同一視はしていない。
二人三脚のように寄り添いながら二次元側と三次元側で支え合う、という感じ。
あくまで別の個人として、似た所は喜ぶし、違う所からは学んで、その架空の個性に敬意を払う。
役者として衣装や髪などを出来る範囲で寄せるのも表現の一手段にすぎない。
はじめから外見の同一化を目的とするコスプレとは違うからキテレツな色のウィッグとか被る必要もない。
それでも十分で、その辺をよく理解してるファンだと「○○が△△ちゃんに扮してる」じゃなく「△△ちゃんがそこにいる!」と感じ取れるものだし。
まぁ、下手にキャラと年齢の近いような若い子が声を演じてると、そのへん割り切れずに高望みできる気がして逆にコスプレ感が目立つのかもしれないね。
2ch風に清書してみた。
そしたらそこで、エスペランサ・スポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされた。
髪型はアレだけど顔がめっちゃ美人だったから、テンションぶちあがってLINEを交換して、その日はそれで別れた。
けれどすぐにメッセージが届いて、しかもそれが合コンの誘いだったからさらにテンション上がって、すぐに学科の友達に声かけて、メンバー揃えた。
そしたら、どういうわけか言い出しっぺのエスペランサ・スポルディングが来てなかった。
なんか急用ができちゃったから遅れて合流する、とかでとりあえず男4女3で飲み始めた。
みんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審で、ずっとうつむき加減でモジモジしてて、絶対に目を合わせようとしない。
何だよこの子達って不安になってきたんだけど、俺はすぐにピンと来た。
要するに、彼女達は全員処女でまったく男慣れしてないから激しく緊張してるんだな、と思った。
そうとなれば男性陣が意地でも盛り上げるしかねえなってことで、改めて気合い入れ直したんだけど、どんだけ奮闘しても彼女達の緊張はほぐれなくて、ああもうどうしたもんかと困惑してたら想像を絶する展開が訪れた。
3人のうちの1人がバッグから冊子を取り出して、俺ら男性陣に配り始めてそれよく見たら新興宗教の入会案内。
しかも聞いたこともない教団名で、俺ら4人とも呆然として何も言えなくなっちゃった。
彼女達が真剣に俺らを勧誘し始めて教団の素晴しさとか、教祖の偉大さとか、歴史の深さとか、ご利益のありがたさとかを熱弁しだした。
女の子達は3人ともさっきまでとうってかわって饒舌で、今度は俺らがうつむいてひたすら沈黙に徹するしかなくなって、地獄のような時間に突入して困惑してうなだれていた。
そしたら、いきなり個室のふすまが勢いよく開いて女の子達が一斉に「教祖様!」って叫んだから、そっち見たら、全身にぼろ布をまとって金色の杖を持ったアフロヘアの教祖様が立っいた。
よく見たらエスペランサ・スポルディングで、こっち見てニコニコしながらプラカードを掲げててそこに『ドッキリ大成功!』って書いてあった。
要するに、全てイタズラだったんだけど、教団の入会案内とかすげえ本物っぽかったからどういうことか聞いてみたら、わざわざデザイン専攻の友達と共同で作ったらしくて、ちょっと中を読んでみたら教祖の挨拶とか教団の沿革とかびっしり書いてあって、写真とかイラストもふんだんに使われてるし、レイアウトも凝ってる。
なんだよこの無駄なエネルギーの注ぎ具合wwwwって思ったんだけど、普段彼女達は美大で演劇サークルをやってて、そこの役者仲間らしくてちょっと前にこの偽宗教ドッキリを思い付いてターゲットを探してたとの事。
そこでまんまと捕獲されたのが俺だったらしく、友達3人はとんだ巻き添えを食ったわけ。
タネ明かしされてからは一気に緊張がほぐれてがんがん飲んだ。
挙動不審だった女の子達も素はめちゃくちゃ気さくな子達で、エスペランサ・スポルディングも最高にファンキーだったから、俺もう楽しくてかなり飲み過ぎて途中から記憶飛んでどうやら潰れちゃったらしい。
目が覚めたら男4人はネットカフェにいて全員あまり記憶が定かじゃなくて、女の子達はどこにも見当たらないし、エスペランサ・スポルディングにLINEしても既読にならないし、マジで美大生との合コンは危険すぎる、と思いながらとりあえず今ネットカフェの個室でこれ書いた。
しがない大学生なんだけど最近免許の更新で二俣川の試験場にいったらエスペランサスポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされて髪型はあれだけど顔がめっちゃ美人だったからテンションぶちあがってラインを交換してその日はそれで別れたんだけどすぐにメッセージが届いてしかもそれが合コンの誘いだったからさらにテンション上がってすぐに学科の友達に声かけてメンバー揃えて昨日池袋の個室居酒屋で集まったらどういうわけか言い出しっぺのエスペランサスポルディングが来てなくてなんか急用ができちゃったから遅れて合流するとかでとりあえず男4女3で飲み始めたら女の子3人の様子が明らかにおかしくてみんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審でずっとうつむき加減でモジモジしてて絶対に目を合わせようとしないし何だよこの子達って不安になってきたんだけど俺はすぐにピンと来てようするに彼女達は全員処女でまったく男慣れしてないから激しく緊張してるんだなと思ってそうとなれば男性陣が意地でも盛り上げるしかねえなってことで改めて気合い入れ直したんだけどどんだけ奮闘しても彼女達の緊張はほぐれなくてああもうどうしたもんかと困惑してたら想像を絶する展開が訪れて3人のうちのひとりがおもむろにバッグから冊子を取り出して俺ら男性陣に配り始めてそれよく見たら新興宗教の入会案内でしかも聞いたこともない教団名で俺ら4人とも呆然として何も言えなくなっちゃって彼女達が真剣に俺らを勧誘し始めて教団の素晴しさとか教祖の偉大さとか歴史の深さとかご利益のありがたさとかを熱弁しだしたんだけど女の子達は3人ともさっきまでとうってかわって饒舌で今度は俺らがうつむいてひたすら沈黙に徹するしかなくなって地獄のような時間に突入して困惑してうなだれてたらいきなり個室のふすまが勢いよく開いて女の子達が一斉に「教祖様!」って叫んだからそっち見たら全身にぼろ布をまとって金色の杖を持ったアフロヘアの教祖様が立っててよく見たらエスペランサスポルディングでこっち見てニコニコしながらプラカードを掲げててそこに『ドッキリ大成功!』って書いてあってようするにすべてイタズラだったんだけど教団の入会案内とかすげえ本物っぽかったからどういうことか聞いてみたらわざわざデザイン専攻の友達と共同で作ったらしくてちょっと中を読んでみたら教祖の挨拶とか教団の沿革とかびっしり書いてあって写真とかイラストもふんだんに使われてるしレイアウトも凝ってるしなんだよこの無駄なエネルギーの注ぎ具合って思ったんだけどふだん彼女達は美大で演劇サークルをやっててそこの役者仲間らしくてちょっと前にこの偽宗教ドッキリを思い付いてターゲットを探しててそこでまんまと捕獲されたのが俺だったらしくて友達3人はとんだ巻き添えを食ったわけだけどタネ明かしされてからは一気に緊張がほぐれてがんがん飲んじゃって挙動不審だった女の子達も素はめちゃくちゃ気さくな子達でエスペランサスポルディングも最高にファンキーだったから俺もう楽しくてかなり飲み過ぎて途中から記憶飛んでどうやら潰れちゃったらしいんだけど目が覚めたら男4人はネットカフェにいて全員あまり記憶が定かじゃなくて女の子達はどこにも見当たらないしエスペランサスポルディングにラインしても既読にならないしマジで美大生との合コンは危険すぎると思いながらとりあえず今ネットカフェの個室でこれ書いた。
誰にも話せない。
私は若手俳優が好きだ。
ここの日記でもよく見かけるけど、若手俳優とはやまざきけんととかすだまさきのようなTVに出て演技をしている若い俳優さんをさしているのではなく、主に舞台を中心に活動を行っており、その中でもいわゆる2.5次元舞台に多く出ているような方たちのことだ。
事務所にも所属しているし、舞台などにでることによって得た収入によって生活をしている以上、「俳優」というカテゴリーに入るのだろうけど、正直「地下アイドル」的なものに近い。
それは事務所が「アイドル売り」しているのも原因だし、なによりもとにかくファンとの距離が近いからである。
TVでいくらかっこいい俳優さんを見たところで、それはTVの中の人。
だけど舞台役者は手を伸ばせば届くような距離で演技をしている。
舞台によっては客降りといって、舞台の上から降りて客席のほうまで来てくれてファンサービスを行ってくれる場合もある。
こういう若手俳優個人のファンイベントというものも、頻繁に行われている。
握手会、ハイタッチ会、お見送り会、リリースイベント、試写会、トークショー、ディナーショー、BBQ会、バスツアー等など。突飛な企画や舞台の付属イベントのようなものを入れればしょっちゅうある。
その際、自分の推しと一緒に長時間おしゃべりができるようなことはないが、少なくとも数秒、長ければ数十秒、推しが自分のために笑顔を見せてくれて、自分のためにしゃべってくれるのだ。
私は、この数秒のために生きている。
前置きが長くなってしまった。
好きなアーティストもいないし、特定のバンドの音楽を聞くこともない。
ミーハー嫌いというわけではなく、たまたまそういう家庭で育った上、二次元オタクだったからだ。
実家で音楽番組を見ることはほとんどない。おそらく紅白すら見たことない。
私も自然とそういうものに興味を持たなくなり、その分?重度の二次元オタクになった。
オタクをやっていれば自然と耳に入ってくる言葉が「テニミュ」である。
若くてかっこいい男性がコスプレをしながら演技をする。そんなイメージだった。
嫌悪していたわけではないが、興味はない。
ただ、オタク友達の中にはやっぱりそういうものが好きな子もいて、その子が必死になって好きな俳優のために長ったらしいファンレターを書いているのをみて、正直引いたのもある。
その子はおそらく純粋に応援する気持ちでファンレターを書いていたのだろうけど、私には「彼女になりたいの?なれるわけないじゃん」という気持ちだった。
時折舞台に誘われることもあったが、興味ない人間からすると一回の舞台の金額は高い。ちょっと行ってみようかな位の気持ちでは動けなくて、結局一回も行ったことがなかった。
前々からそういう噂はあったし、覚悟はしていたがショックだった。
ただこのマンガのファンとして、観てもいないものを否定するのもいけないことだと思い、観に行った。
そしたら、はまってしまったのだ。
よくある話すぎてあくびが出る。
あんなに興味なかったものに、はまる時は一瞬だ。転がり落ちる。沈んでいく。
それがおおよそ1年前の話。
毎日彼のツイッターを見て、ブログを見て、次の舞台の情報をチェックし、チケット争奪戦が予想されるものは頼める友達に全部頼んで協力してもらい、仕事の融通をきかせてもらっては休みをもらったり早退しながら足しげく舞台に通っている。
リア恋している自覚はある。
あの時自分が目の当たりにしてドン引きしたものにまさに自分がなっている。愚かだと自分でも思う。
この気持ちが叶うなんて思っていない。
一方的に私が好きであり、彼が舞台でがんばっている姿を見ることができれば十分だった。
十分だったはずだった。
ある日ふと考えてしまった。
もっと彼に何かしてあげたい。
考えた結果がプレゼントだった。何を贈ろうか迷いに迷って、私が出した結論が現金だった。
ただ、私はおそらく人より少しだけよい給料をもらっている。お金に余裕がある。
また、ここでは詳しくは書かないが、私のことを好きな男性からお金を援助してもらっていたことがある。(体の関係は一切ない)
現金をもらうという行為は、私からの代償は特になく、しかし大変ありがたい。私にとってはそんな行為だった。
今はなんてバカなことをしてしまったんだろうと思っている。反省している。
事務所の方にも手間をかけさせてしまって本当に申し訳ない。恥ずかしい。
2.5次元の演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ系特撮番組で古参と新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。
元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。
自分が観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。
渦中にいる演出家は、故つかこうへいの系譜にある人なんだそうだ。
「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。
お客が望むパフォーマンスが第一で、役者の人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。
そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。
それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。
その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。
演出家が自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。
客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人の言い訳と何も変わらない。
ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。
演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。
それは既存のファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。
「既存のファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。
顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。
だから客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。
ただその考え方は諸刃の剣だ。
原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台そのものが世界観の破壊にほかならない。
ドラマ化映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。
それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。
また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判にはいっそう注意が必要だと自分は思う。
なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。
現在の言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。
かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。
つかこうへい以前だが、日本の演劇界に現実と虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。
例えば街角で喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。
それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。
街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。
エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇の代表作の題名だ。
一般人の生活の狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。
突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。
だからその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶる決まりになることが多い)
ただその混乱そのものに価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。
そして電脳世界において、今回の炎上がパフォーマンスでない保証はない。
演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動が自演であると言い切ることも出来なくなる。
演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。
本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手な演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。
演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。
おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないかと想像する。
そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。
もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか。
逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。
そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。
と書いておきつつも、自分はファンでないので自由に書かせてもらう。
俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。
それは自分の自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険な思想だ。
つかの舞台で自分が面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。
逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。
つかこうへい自身が演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。
円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品は俳優の個性と密着している。そのため文字通り「その俳優にしか演じられない役」なのだ。
しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。
たぶんこの過程で俳優の自尊心という殻も破られるんだろうと、自分は勝手に想像している。
元々のキャラクターに近づこうと真摯に努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。
それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。
おそらくこの辺のバランスをもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。
一つの舞台の中で俳優はモブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。
演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優の個性が担保されて、俳優と観客にそれが共有される。
24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間が必要なのだ。
さて話題がそれたが、本題に戻そう。
演出家がああも自信たっぷりに「自分は役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。
自分も制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。
たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。
騒動がその状況をふまえた上で演出家が自覚的に燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。
じゃぁいったいどうすればいいのか?
それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。
本来であれば、製作者たちが客の望むものを提供するのが道理だ。
だけど真のファンであれば、その力関係があべこべになることに不思議がることもないだろう。
どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たちで上演権を手に入れるほかない。
同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。
それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。
それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。
しかしその不満を演出家を炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。
などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章が演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。
炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170421115303
話はずれるんだけど、女性向の風俗は一応あるにはあるみたいなんだよね。messyとかに体験記が載ってたのを読んだことがある。
でも評判は良くないね。
ただ気持ちよくして貰う為に金払ったのにレイプされそうになったとかそんなんばっか。
でも想像なんだけど、それって必ずしも詐欺や悪徳業者の所業って訳でもないと思うんだ。
男性向風俗のやり方でやったらレイプだと受け取られたのではないかと。
男性向け風俗なら、風俗嬢の容貌やサービスがヘボで客がイかなかったから仕方なく本番でお茶を濁すという事はよくある。ほんとは違法だけど客も嬢も一々問題になんかしないし、暗黙の了解なとこあるよね。
だが女性向風俗ではそれが通用しない訳だ。女性は妊娠とか性病とかのリスクが高いからどうしても性行為には慎重になる。また、女性→男性の買春の歴史が浅いので、遊び馴れていないのであり、むやみに風俗男(風俗嬢の男性版って何て言えばいいのだ)への要求や理想が高いのだろう。
性行為というのは人間であれば誰でもする事と人々から思われてる節があって、マンコがあれば、あるいはチンコがあれば、誰でも出来んだろと、そう簡単に考えられがちであるが、そういうもんではない。やっぱりそれで金を取るというのはとても難しい事だ。
ただの主婦・主夫が自分ちにおける家事経験だけで家政婦やクリーニング屋や保育士などになって上手くやる事は出来ないというのと一緒。
が、現状、ただ股を開くだけしか能が無い女が続々風俗業に参入し続けては打ち破れていくという事がずーっと続いていて、客の方もそれについては諦め割り切っている。本物のプロフェッショナル当たったらそれはラッキーな事なのだと。
風俗男にしても、風俗嬢と同じでおそらく志望者や現役者の殆んどは低レベルでどうしようもない者達だろうが、それを受け入れて遊ぶ女性客はほぼいないだろう。
所詮女でも男でも、風俗業は一時の小遣い稼ぎにはなってもそれで生計を立てるのは中々難しいのだ。
1本当たりの報酬は昼職の時給よりは良いからってことで、目が眩み金銭感覚が狂うだけで、風俗に勤める事にはあまりメリットは無かろう。
正直役者は素晴らしいと思ったし、スカヨハは素子にぴったりだった。
なんで素子が白人なんだよみたいなこと言ってるやつがいることにはホントびっくり。
たけしが良くないみたいなこと言ってる人も多いけど、別にあれはあれでありだと思う。
荒巻が頭脳派じゃなきゃいけないなんてことはないと思うし。ただ日本語を喋る人がいるなら他のメンツも外国語喋ってていいとは思ったけど。
CGの景色も最高だったね。見た目はぜんぜん違うのに攻殻の精神を感じた。見せ方もすごい綺麗だったし。
記憶の真偽が定かでない中で何が自分を自分たらしめるのか→答え:ゴースト
っていう問いと答えがすごいシンプルなテーマでわかりやすいのは良かった。
だったらラストが本当の過去の記憶がわかってよかったねハッピーエンドじゃあおかしいでしょ。
母親が私を見るときの目が似てるみたいなゴーストを想起させるような話はあったけどそれも結局記憶に基づくものだし。
記憶じゃなくてゴーストだっていうのをもっとやってほしかったな。
あと気に入らなかったのは
・芸者ロボが豹変して人を襲うっていうのが怖いのになぜか武装集団が出てくること
・人の心でネットワークってなにそれってなった
中のひとが京アニで準主役やるっていうので始まったころは観てましたしグッズも色々集めてましたが、
あと男性向けエロみたいに雑誌の表紙や付録がいちいち水着なのがやだ…
声豚のくせに私の愛するFree!を批判するなと思われるひといるかもしれないですけど、
推しがそこにいるので観ないとと思って観るしんどさを、劇場版公開の前に一度書いておきたかった。
アニメの1期の最後でリレーに他校の幼馴染入れるやつあるじゃないですか。
お前らがこれまで試合に向けて練習してきたのは何だったのか…友情以前の問題じゃないか…って思いました。
こんな男子いないだろ、二次元とはいえ媚びがあんまりだって思います。
夜のプールで真琴と遙が服で泳ぐシーンが、ないわ~って思いました。
因みに私自身腐女子通り越して貴腐人という腐れ歴ですが、あれは気持ちが悪かった。
役者さんのお芝居がとかの話ではなく、「こういう風に描いたら皆喜ぶんでしょ?」っていう雑な腐女子向けの感じが気持ちが悪い。
火のないところに煙を立てて喜ぶ腐女子のほうが気持ち悪いと言われるかもしれないですけど、
同じように思ってFree!を観てきた声豚のひとがいたら話してみたい。
「リア充アピール代行」とかいうSNSの写真用に人をレンタルできるサービスがあるらしい。
リアルでも他人に干渉されたくない私には、さっぱり意味のわからない世界。
リア充アピールそのものが承認欲求からくるものらしいけど、それって経済動かしてるよね。
羨ましいと思う観客がいないと成り立たない。
また、小栗がマンガ好きというのは業界関係者のみならずファンの間でも有名であり、作品への熱い思いや愛情は大きな武器となっている。
挙げ句の果てにこの漫画に感銘を受けた俳優・山田孝之が赤羽に住み、その模様がドキュメンタリードラマ化される、という凄まじい状況に。
山田孝之が引っ越すほど惚れ込んだ! マンガ『ウヒョッ!東京都北区赤羽』、地元では『ONE PIECE』よりも売れたとか!? | ダ・ヴィンチニュース
足がすらりと長くて、背が高くて、髪もふわっとしててセットしやすくて、顎のラインもシュッとしてる…とか…。
お前が求めてるのはそんなんじゃないだろ!?なりたいか?明日生まれ変われるとしたら、なりたいか?
違うだろ!!そんな棚ボタみたいなラッキー人生、全くお前らしくないんだよ!
努力!!努力してモテる方が圧倒的にカッコいいだろう!!!???
やろうよ!!一歩ずつでもいいからやろうよ!軽薄なドラマの役者みたいな、なんの面白みもない格好だけの奴らを (心の中で) 見返してやろうぜ!!
いいか?お前だからこそ出来るんだよ。今までモテなかった奴がモテるからこそのカッコよさは、他の追随を許さないんだ。
今こそ、幼稚な美醜感覚を持った女たちに復讐してやるんだよ!!
今すぐ眉毛を整えて、腹筋を20回だ!!そこから上げていこうぜ!!出来なければ2回でもいいぜ。とにかくゆっくり、果てしなく上がっていこうぜ!!!俺らの旅はこれからなんだからよぅ!!!!
はいそこ!!焦らないで!!!努力に焦りは禁物だよ!!出来ることからコツコツと!「もうちょっと出来そうだな…」そこ!その手前で今日は寝るんだよ!継続だよ!大事なのは継続だよ!!
出来るよ!!お前が居て良かったぜ!!!!!