はてなキーワード: 単純化とは
そうやね
…ぐだぐだ考えたうえで、「けっきょくワイは何がいいたいんや?」と自問して、最初の衝動(なぜ書こうとしたのか)に戻って、単純化した結論だけを書く、のが短くするワイのやり方やね
しかしそうすると、
「短いが心情を理解してもらえない」
になる。ただし長くすると、
「おそらく全て伝えられるが、どこまで長くなるかわからない」
になるんだなぁ
【備忘録】
https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325
アニメや漫画において、「キャラクター」と「キャラ」を分けて考えるとスッキリするのは
多くの編集者、批評家、物語論研修者、マンガ家、アニメ作家が言うとおり。
ここでいう「キャラクター」とは、さまざまな側面をもった and/or いくつもの層がある
ことを暗示する=「人格」として認識される物語内の《アクター》のこと。
それにたいして「キャラ」とは、「陰キャ」「ボケ/ツッコミ」「ドジっ子」のように、
複雑なキャラクターの中から1つの側面、1つの役割をとりだして(多くの場合)
単純化、誇張をほどこした物語内の《エレメント》として機能を持つもの。
なので、1 つのキャラクターの中に(お互いに矛盾する)キャラが混在する場合、
「キャラ」として破綻してる、「キャラ」として弱いと捉えられるか、
複雑で「深い」キャラクター造形として理解されるかは、作品次第だったり
作家のポジション次第(宮崎駿だったら 1 面的な「キャラ」を描いても見る側が
したがって、大阪府の「表現ガイドライン」は、「キャラ」に「キャラクター」的なものを求めているか、
そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが「キャラ」に寄りがちなバイアスが掛かってる
ことを理解してないんじゃないか、という違和感を感じないでもない。
「ナラティブ・メディア」の中のキャラ/キャラクターの話である。
ポスターのような、物語という文脈から切り取られた「キャラ」は、
ナラティブ空間内とは別の文脈を生きていて、そのように認知・消費される。
たとえ元ネタ・原作があっても、ポスターに切り出された瞬間に「キャラ」だから。
考えてみれば、単一のメッセージをクリアに、わかりやすく、パンチのある表現で
ガツンと伝えることを求められるポスターは、「キャラ」は成り立ちがよく似ている。
そのような「要件」を求められるポスターや「キャラ」において、
女と言えばオッパイである、と言わんばかりのデフォルメ表現とか、
女性という「キャラクター=人格」から好ましい要素を抽出して「キャラ」化したら
ミニスカと太股しか残りませんでした、みたいな「キャラ」化の方向性を公的機関が
オフィシャルに肯定した(と受け止められる)場合にどういう意味を持つのか?
公務員はそこらへんをよく考えて仕事しましょう、という啓発なんだろうと理解した。
あと、ツッコミ処の「キャラ」に「人格」を求めるという部分にだけ注目するコメントにも
アンコンシャス・バイアスが表現されちゃってるのかな?と思った。
【追記】
「そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが『キャラ』に寄りがちなバイアスが掛かってる」
と書いたあたりで、「キャラ」を描くのって恐いなと思った。
【追記2】
始めに、ここに書くことは記事を読む人の97%が興味も関わり合いもなく、どちらかといえば引いたり非難する話題だと思います。
そういう方は、気が向いたら興味本位で読み流して頂ければと。これは残りの3%の方に向けた、根拠の希薄な注意喚起です。
「ハプニングバー」という業態があります。簡単に説明しますと店内にバースペースと、プレイルームと呼ばれるセックスのための場所が揃っていて、
お客さん同士が店内で話し、もしお互いに合意が取れればセックスやそれに近しい行為をしてもいいよ、というお店となります。
風俗と異なり、サービスをする側とされる側という関係性や、お客さん同士の金銭のやり取りがなく、お店は入場料を貰ってお酒や場所、話題の提供だけをするというのが特徴です。
入場料は多少ばらつきがありますが、男性が1万円程度、女性が無料~1,000円程度の場所が多いです。
私も歴史の全てを知っているわけではないですが、昔はマンションの一室でクローズドにやっているような場所が中心だったところから、
10年ちょっと前から何十人も入場できる大規模店舗が出てきたり、そうした店舗からガサ入れ/逮捕者が出るような騒ぎもあった結果
ここ数年で急速に世間的な知名度が上がり、並行して店舗数も増えてきたように思います(現在では例えば、新宿だけで20店舗以上が営業しています)
「乱交パーティーサークル」というものが存在します。突っ込みどころ満載ですが、一旦するという前提で聞いてください。
これは個人が中心になり、どこかの場所を借り切って半日~1日限定で行う会です。
主催の人によって多少違いがありますが、多くの場合はハプニングバーと近しいルールや料金体系で運営されています。
(セックス等をするかは当事者間の合意に任される。単独男性は高め料金で、女性は無料に近い)
こちらも昔から少数の主催者さん達により、口コミや掲示板による人集めで細々とクローズドに行われていましたが
近年twitterなどのSNSに場所を移し、急激に数や規模を拡大してきました。
さて、この2つの業態は長年ぶつかることなく同じ巷に共存していましたが、過当競争と変質によって間もなくそうした関係は破綻します。
最悪の場合はハプニングバー/乱交パーティーが次々検挙され逮捕者が出る、フリーセックス冬の時代になるかもしれません。
そんなの知らん、そもそも違法だろ、このコロナ下に何言ってんだ全部滅べ、というのが大方の意見であり、大体おっしゃる通りと思いますが、まぁ良かったら聞いてください。
「性的サービスを有償で提供する女性がいないので、自由意志でセックスをする女性を集客することが場を成立させるために極めて重要」
「一方でお金を払っているのは男性なので、経営上はいかに男性を集めるかが重要」
ということです。一見女性の取り合いに見えますが、お金を軸に考えた場合は男性の取りあい要素が非常に強く、商売としてみれば競合関係になります。
にも関わらず両業界がぶつかることがなかったのは、主に乱交パーティー側の数が相対的に少なく、また集客もクローズドに行われていたため、
ハプニングバーから見れば大勢に影響なかったことが大きいと思っています。ハプニングバーからこうした遊びを覚えてどこかでパーティーに合流する人もいれば
パーティーでこうした遊びを覚えてハプニングバーに通い始める人もおり、両側に顔を出す参加者(私)しては持ちつ持たれつくらいの印象でした。
連絡先交換禁止という両者の重要なルールはSNSの登場でほぼ形骸化しており、トラブルも大小たびたび起きていますが、業界を破壊するほどではなかったと思います。
特にこのコロナ下2年、こんな時期だからこそかもしれませんが、乱交パーティー側が主催者も参加者も非常に増えました。
クローズドに集客していた主催者を第一世代とすれば、SNSを中心に公募で集客する第二世代が中心となっています(細かいく見ればもう1-2世代ありますが単純化します)
第一世代の主催者は利益ほぼ度外視で趣味としてパーティーをする人が多かったですが、第二世代は営利目的に近そうな層もかなり含まれています。
今や都心部では毎週末になれば、誰かしらが2つも3つもイベントをしているような状態です。
乱交パーティーというものにアクセスするようになった人の人数は、数年前の5倍10倍と言っても誇張ではないと思います。
ハプニングバーも繁忙期は週末ですから、ここまでくると商売敵としてバチバチに利害が競合するようになります。
SNSでイベントの集客をする個人はそれによって何千~何万というフォロワーを集めていますので、当然ハプニングバー側からもはっきり見えます。
「まぁお客さんの中に、そういう活動してる人もいるみたいだね」から「顔の見える商売敵のあいつ」くらいまで具体化されたわけで、ヘイトが大きくなります。
既に「元々ハプニングバーの客だったが、自らイベントを開催するようになった結果、複数店舗を出入り禁止になった」という人も出てきています。
ハプニングバー経営層と乱交パーティー(商業)主催者層の間で、1-2年内に大揉めになると予想しています。
最悪の場合には、お互いを警察に通報しあうような泥沼になるでしょう。
現状ハプニングバーも乱交パーティーも、多くのケースで警察にお目こぼしされています。
性的サービスに対する金銭のやりとりや未成年、反社絡みがないばあい、精々が公然猥褻程度だからかと思います。
しかし生活安全課の皆さんは繰り返し通報されると対応せざるを得ないため、複数の場所で逮捕者が出るような状況があり得ます。
こうした話はまだ始まっておらず、私の懸念に終わる可能性も十分あります。
ただお互いの色々な話を見聞きする限り、私には今の業界が可燃物がどかどかと積み上げられている最中の火薬庫に見え、気が気でありません。
時期柄もともと活動を縮小していますが、感染症がなかったとしても縮小します。
3%のみなさまにつきましては、元々誰も傷つけていなくても違法な活動ですので、それぞれがオウンリスクでやればいいと思います。
ただ、業界を愛しており長く覗いている身からすると、現在がこんな状況に見えることは頭の片隅に置いていただければと。
97%の皆様は、衛生観念の足りない層の戯言を長々とお読みいただき、ありがとうございました。
記法について指摘があったので、やってみました。
かなまら祭りの話は知りません僕じゃない。
あ、テレビやPCの画面のことね。陳列とかの意味じゃないから。
画面の大きさ(物理的に何インチとかじゃなくピクセル単位) 2000×1000pixel
1秒間に描画する回数(いわゆるfps) 60回
色の種類(RGBがそれぞれ256種類でそれを掛け合わせる) 1700万色
これを全部掛けると
わかりやすくしたつもりでも結果はわかりづらい。
つまり「e」を外すと
2040000000000000
になる。
こう書いたほうがゼロが多くて大きい数だと実感する人もいるかもしれない。
話を元に戻そう。
ディスプレイは1秒間に 2.04e+15 通りの描画ができるわけ。
たった1秒間にだよ。
これは凄まじく凄いよな。な?
画面がもっと大きくなったりfpsが増えたりすればもっと数字は大きくなる。
これ以上大きくなっても元々の数字を実感できないから違いがよくわからないかもしれないけれど
とにかくすんごいことになる。
たとえば「トマトが嫌いだ」と公言している人がケチャップのかかったオムライスを食べているとする。
馬鹿はそこで「こいつには一貫性がない!」「トマトが嫌いだというのはその場凌ぎの嘘だった!」とか言い出すんだが、
普通に考えれば「つまりこの人は生のトマトの青臭さや独特の食感が嫌いなのだ」ということが分かるよな。
それは十分に一貫した態度なのだが、「間違い探し」に取り憑かれた人は「トマト(を用いた製品)に好意的かどうか」という単純化した構図しか見えなくなってるわけだ。
このあいだ「ブルーインパルスを見たい」と言っていた人が「ブルーインパルスを飛ばすのは適当なパフォーマンス」みたいなツイートをしてダブスタ扱いされていたが、
これも「ブルーインパルスに絡めて正負どちらの発言をしているか」という一軸でしか判断してないからダブスタに見えるだけで、
普通に考えれば「ブルーインパルスには好意的」「ブルーインパルスを飛ばすという適当なパフォーマンスをした政府には批判的」で何ら矛盾も破綻もないわけだ。
いま挙げた例はむしろ分かりやすいほうで、もっと「隠された大量の前提のもとで論理が一貫している」ということは世の中にいくらでもある。
最低賃金が上がったことを、竹中平蔵は嫌がっているのではないか。
などと思ったので書くことにした。
ご存知の通り、この国には「政府」およびその一群と膨大な数の「私企業」と「国民」がいる。
「私企業」は「国民」を労働力として雇用し、商品を製造して「国民」に販売する。
「政府」は「国民」を雇用し、「政府」と「国民」から費用を徴収しつつ調整にあたる。
「国民」は「政府」か「私企業」から賃金を受け取りながら生活し、労働力などを提供する。
本当は、これ以外にもたくさんあるのだけどとりあえず単純化する。
「聖域なき構造改革」、「規制緩和」を振りかざした小泉改革の大きな点は、私企業にとって有利な様に日本のルールを変えていった点だ。
それは労働運動などで「国民」が勝ち取り「政府」が保障したことだ。
これは「私企業」にとっては非常に都合が悪い。
同じ製品が出来て、同じ値段で売れるのならば製造にかかる費用や、販売にかかる費用は安い方が儲けが大きいからだ。
そうして「政府」は「私企業」の要望に応えて「国民」の雇用に関する権利を保障することをやめた。
つまり、当時の政権では「私企業」を手厚くもてなすことにより競争力が上がり、結果として国の力も上がると考えたのだ。
これは、間違いだったと結果が出ている。
「私企業」も「政府」もすべては「国民」が構成し、利益の多くは「国民」を当て込んでいるからだ。
「国民」から搾取するかのような国家運営の結果、「国民」貧しくなった。当然、購買力も激減し、納税額も落ち込んでいく。
稼げる「私企業」というのは、豊かな「国民」の中から生まれる。
労働者の権利や保護という「聖域」は本来、侵すべきではなく「規制緩和」などするべきではなかったのだ。
余談になるが、水道事業民営化や『稼げる大学』のように、こういう「聖域」を侵す議論は続いている。
結果として一部を除く「私企業」はさらなるダンピングを続け「国民」を大いに貧しくした。
国も全体として貧しくなっていく。
竹中平蔵の罪とは、つまり「国民」への責任を放棄して「私企業」に富を積ませようとし、結果として「政府」も「私企業」も含めた国の全てを貧しくしたことである。
巨大な、消えない罪だ。
その罪がもたらした惨状をいやすためには、小泉政権が破壊した「聖域」を再び築き上げ、(行き過ぎた短期的利益を睨む)「私企業」から「国民」の保護が急務なのである。
西武ライオンズの若手投手が女性との長時間接触、および報告漏れで1か月の試合停止処分とのことだ。
本件については相手からの告発等もあったようだし、報告漏れという本人の過失もあるようなので、これ自体については悪質性があったかもしれず何も断言はできない。
しかし、そもそも論として「同居家族以外との会食・接触を禁止する」というコロナ内規は人権侵害と言っていいのではないだろうか。
おそらく、プロ野球球団以外の企業等でも今回のコロナ禍で同様な内規を作ったところも多いだろうし、政府も懲罰規定はないにせよ同様の勧告はたびたび行っている。
もちろん、大勢の人が参加する飲み会でコロナが広まっているのは事実であるし、それらに制限をかけるのは今の社会状況を考えれば仕方ないと思う。
だけれども、たまたま別居している家族やパートナーに会うことはダメなのか?同居家族はよくて、別居家族・パートナーはダメというロジックはどこからくるのか?
同居している二人暮らしの二人と、一週間に一度会う二人(それぞれ一人暮らし)がいたとして、どちらが二人とも感染するリスクが高いかと言われたら、移動リスクを考えたとしても明らかに前者だろう。
家族内感染は当初から感染ルートの最有力の一つなのにそれらには制限がかけられず、何故たまたま別居しているだけの二人が不利益を被らなければならないのか。
世の中には仕事上その他理由で、別居しているパートナーだって少なくないだろう。
冒頭のプロ野球でいえば、ドラフトがあり若手選手には寮がありチーム側に保留権があり、トレードもある。この業界にいる限り、住む場所を選ぶ自由があるわけでない。
関東に家族とともに在住していた選手が広島に突然トレードになり、本人が広島に単身赴任したらシーズン中は家族に会えないのか?いくらなんでもめちゃくちゃだろう。
接触を極力減らす必要があるという理由で「同居家族以外と接触してはならない」という内規に正当性があるというならば、同居家族との接触にも制限をかけるべきだろう。
大家族にいたっては政府が積極的に補助金を出して、小規模に解体するよう呼びかけるべきだろう。
なぜならご存知の通り、家庭内感染は最有力の感染ルートの一つだ。
別居しているパートナーが定期的に会う権利をコロナ感染対策のために奪えるというならば、つり合いをとるためにそれぐらいはする必要があるだろう。
では、何故そのような政策がとられないのか。
コロナ感染防止のために家族解体に補助金を出すなんてなったら、政権は次の選挙で歴史的惨敗を喫するだろう。
このようにマジョリティの同居家族のみが今までの生活を維持するために特権を保有し、マイノリティである別居家族・パートナー等のみが感染対策のために会う権利が抑圧される事態になっていることに強い憤りを覚える。
こういうこというと別居であっても家族のみに会う権利を認めればいい、という人がいるだろうが、言うまでもなく現代のパートナーシップはもっと多様であるし法的な家族のみ特権を認めるというのはまた別の問題を引き起こすだろう。
「同居家族以外と会食・接触禁止」という条項は今述べたとおりおかしいと思うが、
この状況を考えると感染対策のために会う権利がある程度制限されるのは仕方ないとは思う。
ここでは話を単純化するためにほぼ二人のパートナーシップの話に限定してきたが、親子の問題、里帰りの問題、大事な人が複数いるなど現実の問題はもっと複雑だ。
同居家族の会食が認められるならば、特定のパートナーがいない独身者にだって人と会って話す権利はある程度は認められるべきだろう。
そう考えると、代替案としては一人年間3人までなど(ただし未成年者は除く)、事前に登録した人たちしか会食できないといったルール作りが必要となるのか、とか色々考えてみるが結論が出ない。
とはいえ、現状あまり人と会食できる状況ではないことは事実なので、今後多少落ち着いた際に、家族を絶対視せず少数の人にも配慮したルール作りを各機関等は取り組んでほしい。
そこまで単純化はできなくない?
格闘技とか重量挙げのような、体格や筋力が必要な競技では男性有利は間違いない。
オフィスワークの場合、うっすら精神的ストレスのかかることを何十年もやり続けることと、通勤や客先訪問、出張の移動に耐える体力。
育児は、高いストレスと寝不足の中でも重要な判断をしたり定型的な作業やイレギュラーなことに対応する体力、筋力が必要な場面も多い。
こう見ると、育児の筋力以外は男女差が顕著に出るものではない。
短時間の運動で見たら男性の方が強いイメージがあっても、年単位の作業に関してはストレス耐性とか重い病気になりにくい健康な体とかの方がずっと重要で、それに男女差はない。
余談
上では労働をオフィスワークと書いたが、建設現場や引越し業者のような肉体労働は当然男性が向いている。
正確に言うと、個人差があるので多くの男性は多くの女性よりも肉体労働では有利、という感じ。
でも、そういう現場に体力の弱い人が入っても体力を考慮して役割を振ってもらえることもあるので絶対条件ではない。
あと、重いPMSを抱えている女性は毎日同じクオリティの仕事をするより、やれるときに集中してやることができる仕事の方が向いてるとかはあるかも。
とかのデマを飛ばしている人たちってワクチン関連の発表ぜんぜん見てないのかな?
例えば以下のようなニュース。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/07/16bdadf02845ac35.html
7月23日付の「i24」紙は、イスラエルでワクチン接種が開始された2020年12月以降、
接種した月が早いほど効果が下がっているとした保健省の調査結果を報じた。
時間が経つと感染抑止の有効性がだんだん下がってくるという話。
逆に言えば下がる前は明らかに感染予防の有効性があるんだから「ワクチンは感染を予防しない。重症化を予防するだけ」と言ったらデマでしょ。
流行りのVALORANTでいえば、13点を取ったチームが勝ち。
お前は都合よくカーリングを単純化し、都合よくeスポーツのルールを複雑化してる。
日本ではApex Legendsが流行ってるから、FPSに触れたことのある人間が多い。
eスポーツはアメフトやバスケのプロスポーツ業界を脅かす存在になっていることが判明
https://gigazine.net/news/20170605-traditional-sports-have-esports-problem/
ミレニアル世代(All millenials)では「eスポーツより従来のスポーツが好き」という層は合計42%で、「従来のスポーツよりeスポーツが好き」という層は合計して40%
すぐ抽象化して単純化して深遠なつもりのお題目に落ち着かせる。 図書館の椅子占領されちゃ困るってのと生きる価値無しってのと、無関係じゃないけどまるで次元の違う話だぜ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4706865540241907490/comment/anagumaxxx
なんか他のニュースに追いやられた感があるけど、韓国の情報機関が日本の右翼団体と繋がって情報を流してたって件、右翼と左翼の立場がすごくわかりにくいので誰か教えてほしい。
疑問を単純化すると、日本の右翼は韓国の右翼と思想的に共感すべきなの?それとも韓国左翼に共感すべきなの?ってこと。
俺たちは日本という国が大事だし、自国を大事にする外国の右翼の気持ちもわかる。
自国を批判して結果的に国力を弱体化する左翼はどの国の団体でも共感できない。
俺たちは日本という国が大事だし、隣接する国を軍事的に強くする外国の右翼は脅威だ。
オタサーにいてLoLプレイヤーはぼくだけだ。ポケモンユナイトは、そんなオタサーで初めて流行ったMOBAでもあり、競技性のあるゲームだ。オタサーの友達とやるユナイトは簡単に言えば地獄だった。
MOBA的な定石を知らないゲーム上手い勢は、不合理なオーダーを出す。ゲーム中のディスカスは勝率が下がるし素直に受け入れる。LoLでレーン戦から集団戦に移ったあたりで負け始めたとき、ディスカスが始まると不毛に負けるのだから。ただ少し間があくと、ゲーム上手い勢はMOBA的な定石を再発明する。それを知らないで前回のオーダーに合わせた動きをすると非難される。前に言ったけどね、の言葉は飲みこむ。ずっとこの繰返し。うん。そもそも少し昔のオタサーのゲーマーは今で言うところのtoxicなんだっていうのは、まあそれはそうなのだ。
チーム対チームで競技性のあるゲームが実のところオタクコンテンツの愛好者たちにしてみれば初めての経験だと改めて理解した一幕だ。
その文脈で、ポケモンユナイトは誰がプレイするのかを考え抜かれて設計されているのだと理解できる。10分の試合時間、アタックボタンが敵方向への前進に単純化された初期設定、bang&pickのないランクマッチ、マッチリザルトのデータ量の少なさ、アイテム強化によるpay to win要素。LoLから駆け引きのウェイトを軽くし、また駆け引きの存在に気づける要素を間引いてソシャゲ的にデザインされている。MOBAを知らないひとでも楽しく遊べるようなデザインだ。でも、それには良い面と悪い面とがある。ポケモンという最強コンテンツとカジュアルさによる入りやすさは良い面で、MOBAよりもソシャゲよりになることで競技性が下がり、プレイに飽きやすいのは悪い面だ。つまり、MOBAとして遊ぶことが主流になれば、プレイヤーに蓄積される経験値の少なさ、すなわち戦略性の乏しさやマイクロな操作性、駆け引きの少なさが物足りない。ソシャゲとして遊ぶことが主流になれば、プレイヤーが強くなる必要があることは純粋なストレスだし、自分以外のミスでゲームに負けることは腹立たしいかぎりだろう。
今日のポケモンユナイトは商業的に優れたデザインをし、ゲームとしては余白を多く残している。ゲームとしてポケモンユナイトがどうなるかは分からない。ただ言えることはポケモンユナイトを遊んでMOBAの中毒性を思い出し、ポケモンユナイトに感謝しながらLoLを遊ぶ日々だということだ。
・丘陵専門
確実に優越を誇示できる状況にだけ現れる人
・知恵遅れ100%
中途半端ではない知恵遅れ。明確な基準はないが、一般的な知恵遅れと一線を画す知能水準を持つ人に対して用いる言葉。頻繁に使ってしまうと効果が半減するので、適切なタイミングで用いるべし。
「知的障碍者には人権が必要ない」という理由で知的障碍者の殺害を企てたり実行する人のこと。本人は正義の立場でいるつもりだそうなので、天使ちゃん。
術学者や詭弁家が誤った知識を披露したときや、無知をあざ笑う人に対する横やり。
「門外漢ですので、的外れだったら申し訳ないのですが」は別ジャンル。
はてなブックマークのコメント欄やツイッターのツイート機能の文字数制限。十分な情報量を込められない。扇動、拡散、共感のために単純化され、過激化した文言が飛び交っている。鳴き声。
様々なWebサービスに存在するカテゴリ。臭いものには蓋をする、を実行するために存在する隔離所。たいていの場合他カテゴリの利用者から忌み嫌われているが、当の政治カテゴリ利用者はさほど気にしていない。
貧乏化した中流階級を揶揄するための言葉。経済的に価値がないため意見を無視されがち。
危険。指を食いちぎられる可能性があるので、むやみに手を出すのは控えたほうがいい。
古代から各地方で存在が確認されている、付和雷同権威主義ザウルス。長い物には巻かれろ。
・股ゆる主義
またが緩い。
・ひろゆきズム(Hiroyukism)
西村博之が開祖した宗教。またはそれに類似するイデオロギー。開宗時に信奉者はほとんどおらず、西村博之の2ch追放により完全に消滅。
「詭弁」「論点ずらし」「枝葉末節にこだわる」という2ちゃんねる三大論法で相手の戦意を奪う。近年Youtubeへの進出をきっかけに若年層の信者を多数獲得。
・すくすく育てなかった子供たち
いわゆる発達障害のこと。
・嫌なこと全部後回し政策
・おかあさんといっしょ おとうさんはどこ?
・末代まで恥
親の代を含め、恥であるということ。
・フォーマルな頭の悪さ
奇をてらった頭の悪さではなく、ただただ頭が悪い様子を指す。
・二度目の朝ごはん
痴呆の老人。
借金玉氏、はじめて知ってTwitter見てみたけど主張は読めるが同じ話を延々繰り返してて怖い。深夜だからかな?
今まで誹謗中傷をたくさん受けてきたという悲しい前提があって?いまは
「金が無いけど捨て身でしばく方法もあって(したくないけど)その手札もチラチラさせっぞこういう方法もあるかんな?(したくないけどなーする奴居るかもってことはお前ら知っとけよー)」
(金でしばく方法をできればしたくないのは金がないほとんどの障碍者が出来ない方法だから)
「金も地位も手に入れることができた。顧問弁護士も手に入れた」
「俺障碍者」
って話をなんかしてらっしゃる。
論争論客どっちの何が正しいのかなんかよーわからんけど素人が何かの意見に突っ込むと逆の刀で返されそうなのでここは「見」にまわろう。
彼は発達障害者の底辺からネット上の文筆業で成功をおさめたようで、当時から追っかけていた人にとってはかなりシンパシーを感じることができる人物に見える。実際苦労されたんだろうね。経歴は異例で恵まれてるとは思うけど。
でも、今から氏を知ろうとすると弱者(発達障害者)の立場と強者(成功者)の立場を同時に振り回しているように見えるのだわな。
そこらへんは個人的にシンパシーを感じないというか、嫉妬かなんかか好きになれない。
これは俺の好き嫌いなんだと思うけれど、最近似たような感情を抱いたことを思い出したのね。
大坂なおみさんなんだけど。
過去にもいろいろ主張してきた彼女が記者会見ボイコットしてからいろいろ論争が起きていた中で、彼女はうつ(英文の文意がわからないので病とは確定してないんでしたっけ)と公表したんだよね。たしか。
それまでは偉大なプロプレイヤーの提言として眺めていたんだけど、この公表で俺の中で借金玉氏と同じように弱者(うつ病)であり強者(偉大なプロプレイヤー)になったんだよね。だから気持ちがスッと引いてしまってたぶん気分的にはアンチよりになったんだろうね。それからあまり嫌わないために見ないようにしてる。
立場ある人の勇気ある提言は大いに歓迎すべきでいろいろな立場から賛否両論わき出ればいいと思うけれど、脳に障害なりうつ病なりある人に強い否定はしにくいよね。これが俺の優しさなのかはわからないけど99.9割違うよな。
勝手な印象すぎて申し訳ないけど地位と脳や精神に関する病を見ると「ガードされて有利」な格ゲーキャラ並みの理不尽な「強さ」を感じてしまうのだわな。相手は病気で苦しんでるのにまさに理不尽な思い込みですわな。
どっちの要素でも支援者はわんさか得られる属性なのにどっちも持ってるなんて虎に翼、最強すぎて嫌っちゃうのです。
(今、車イスで乗車拒否うんぬんの人も思い出したけどあれは単純に初見時は高圧的で嫌いだったな)
じゃあ立場ある人は病を公表することも出来ずただ耐えなければならないのか!
っと考えてみると、とても困る。困るといっても俺は差別主義者?なので出来れば耐えてくれって思っててでもそんなの通らないから俺が黙って見てほんのり嫌うわけだ。今回のように。
うーん、せめて議論に持ち出さず、でも属人的なものだから切り離せず……できればひとつの議論にはどちらかの属性だけで挑んで欲しい、のかな?俺、馬鹿だから簡単なのがいい。激しくやり合える人とは激しくやり合い、やさしく寄り添うべき人には寄り添う単純なのがいい。です。はい。たぶん。俺の馬鹿ゆえの触り方がわからないアンタッチャブルさも嫌いを加速させてると思う。
何を嫌っているかもうちょっと自問してみると、目的達成への近さが気に入らないと思うんだよね。
彼や彼女のゴールは単純化するとおそらくネットリンチ者や記者?なりに勝利?することなんだろうけど、地位のある人の行動は成功しやすいし、困難を抱えている人の行動も支援され成功しやすい。両者が合わさるととても成功しやすい。
俺は成功しやすいものには妬みから反感を持つので、たとえばオリンピックや甲子園なら実力が下のものが上位のものに勝つ下克上を応援しちゃう。
国会なら野党が反対したりねじれ国会に持ち込んでも結局再可決で与党の法案が成立しやすいだろってほんのりさめた目で見ちゃう。
そんな俺でも世間にそれなりに折り合いをつけて生きているので、地位や金がある人は病を使って倍率ドンさらに倍って界王拳を使わないでくれって感じ。そんな彼らに噛み付けるみんなは俺には出来ないすごいバランス感覚で議論ができる方々だから内容は別として噛み付くことは応援してるって感じ。かしこ。