はてなキーワード: 住宅街とは
こちらこそ。
清澄白河は割と良さそうだが、電車は混むなー。近いなら自転車通勤を検討に入れてもらうのもありかも。
中野が好きなら、中野坂上や新中野との間あたりに一軒家が連なる住宅街があって、まあまあ落ち着いてはいるかな。道がメロンみたいになっている所はそういう場所が多い。地元民も多いので治安も悪くないのだとか。
ひとつ譲って、代わりにひとつ条件をゆるめてもらう感じで、喧嘩にならずに話が進められるといいね。既に自分の条件はたくさん飲み込んでいるようなので、それぞれの希望を箇条書きにして自分が譲歩したものを見える化するとか。相手ではなく問題に対して一緒に立ち向かえるようにする感じで。
相手も理由があっての条件だろうし、条件の妥当性ではケリをつけにくい。推測で言うことじゃないけれど、こだわりが強いのは何かのつらさを抱えている可能性もあるし。
病気をちゃんと治したいから、ある程度よくなるまでは療養のためにも落ち着いた場所に住みたい、協力してほしい、という話の持って行き方なら聞いてもらえるかも。
https://www.amazon.co.jp/dp/4000612484
某宗教団体のメディアのヴォルデモート対応の理由を考えたとき、この事件が思い浮かんだので読んでみた。
実際の本人に取材できなかった対象は仮名にしていて分かりにくかったり(アルファベット表記で巻末に一覧説明入れてもらえると有難かった)、冒頭事件を小説仕立てにしているのがかえってわかりにくいなど、本としての評価は個人的には微妙。
が、事件発生から定年後まで、半生をかけて誠実に取材をつづけた結果の集大成であることは伝わった。
肝心の内容だが、警察の捜査線上に上がった人物・団体、関係事件への取材をまとめたものを読んでいくと、いや、これかなりの確率で犯人は統一教会以外考えられないのではと思えてしまう。
もちろん本では否定している。
"繰返して述べてきたように、赤報隊による一連の事件と統一教会を結びつける証拠はない。計八通の犯行声明文、脅迫状に統一教会の思想・宗教的信条を匂わせる文言はない。頻繁に登場した「反日分子」という文言が無機質で、日本の右翼の心情に合わないとの意見を述べた右翼活動家もいたが、それが統一教会に特有の文言というわけではない。散弾銃や次元爆破装置などが使われた一連の犯行形態も、統一教会に直接結びつくものではない。統一教会は各地で鉄砲店や射撃場を展開していた。(略)それを根拠に赤報隊の招待を統一教会に結びつけることは出来ない"
だが、一方、赤報隊の犯人像は犯行の証拠から以下のような条件が浮かんでくる。
④一連の襲撃事件を警察に捕まらずに次々実行できる全国規模の組織力
①と②はほぼ同じと考えることもできるが、テロ行為を実行までするほど追い込まれていた組織はどこかと考えると、他の右翼団体は、南京大虐殺の有無をめぐって朝日と喧嘩していたが、収益源である霊感商法を朝日新聞の記事で潰されそうになっていた統一教会の切実さがダントツだろう。
③と④は、本の中で、当時統一教会が特殊部隊を内部に編成させ韓国軍や自衛隊の演習に参加させて武器のあつかいの訓練をさせていたという複数の証言を載せている
以下は文中印象的だった箇所の引用。
「何年も渡って犯行を続け、操作も完全に行き詰った。こうした事件は、やわな右翼では起こせない。統一教会ではないのか。(韓国系の宗教団体なのに靖国参拝を求める脅迫状を出したのは)本心のキーワードを書くし、右翼を装っているのだ。テロ事件を繰り返すには強固な秘密組織が必要だ。右翼には秘密組織など作れない」
「連中の持っている宗教は恐ろしい。人間をすっかり変えてしまう。彼らの心は天皇陛下ではなく教祖に向かっている。親や兄弟を犠牲にしてでも教祖に付き従う。朝日新聞襲撃も勝共連合の可能性があると私は思う。資金源や縄張りの争奪をめぐってやくざは命を懸けて抗争する。勝共連合にとっても、朝日の霊感商法批判キャンペーンは、経済的に死活問題だ。命を懸けて守ろうとしても何ら不思議はない」
①反共主義②戦後体制否定・戦前回帰③反米主義④靖国公式参拝⑤教科書問題⑥日教組攻撃⑦領土問題⑧皇室護持⑨北朝鮮拉致問題⑩アジア主義
「①~⑤については赤報隊も犯行声明文や脅迫状の文面で触れている。(略)⑥~⑩のテーマにはほとんど触れていない。とりわけ⑧の「皇室護持」について触れていないのは、右翼の存在証明とも言えるテーマだけにどうしても気になる」
同封された使用済み散弾銃の銃弾容器は、犯行に使われたものと同じレミントン・ピータース7.5号弾。
この情報は当時まだ報道されておらず犯人しか知りえない情報だった。消印は渋谷郵便局で、当時統一教会本部は渋谷区の住宅街にあった。
事件の3か月前、1987/2/26川崎郵便局の消印で差出人統一教会で送られた脅迫状。
「ソ連のスパイ朝日社員どもに告ぐ。俺たちはきさまらのガキを車でひき殺すことにした。朝日の経営権を三日以内におれたちにゆずれ。さもないとてめえらの社員のガキを車でひき殺す。俺達には岸元首相や福田元首相が付いている。警察は俺たちの操り人形だ。俺たちが何をしても罪にはならない。おまけに俺たちが殺すのは共産サタンで人間ではない。てめえらばい菌だ、サタンだ。俺はこの世に(教祖実名)様のため共産サタンを殺すために生まれてきた。共産サタンを殺すことが俺の生きがいだ。俺はM16ライフルを持っている。韓国で軍事訓練を受けてきた。今にてめえら共産サタンを皆殺しにしてやる。だがその前にてめえらサタンのガキをひき殺してやる。三日だけ待つ。関東の社員のガキとは限らない。全国の朝日のサタンのガキを狙ってひき殺す。俺の仲間も大賛成だ。警察に行っても無駄だぞ。警察はおれたちの味方だ。おれたちが岸元首相に言えば警察署長の首が飛ぶ。いいか、これは脅しではない。三日以内に社員のガキが交通事故で死んでもほえずらかくな。なんだったら社会部の記者のガキからやってやるぞ。てめえらのようなアカサタンを殺すのが俺たちの教祖様から与えられた神聖な使命だ。必ず殺してやる。サタン皆殺しだ」
1987年3月半ば、大阪西中島ビルで霊感商法店舗で働く信者100人が集められたときの統一教会のある幹部の発言
「警察の上の方の人は、私たちのことを理解している。しかし、下の方は事情を知らず、単なる正義感、常識、法律で私たちを攻撃している。彼らは何もわかっていない。(略)」
心に冒険を夢を抱きしめたくて!
私の住んでいるところの近くに新しく鉄板焼き屋さんがオープンしたみたいでさ、
一人で飛び込み全店で入店するのには勇気が必要な佇まいの普通の人家みたいなお店なのよね。
私のやる気勇気本気元気があれば、
入店できるはずだし!
海外でさ現地の言葉もはちすっぽななすっぽもろくすっぽ通じないのに飲食店に行って適当にジェスチャーで注文出来ちゃったりするから
冒険心心くすぐられるわー。
本当に私の住んでいるところの近所なので、
ものすごく気になるのよね。
まだインターネッツの情報にも載ってない掲載されていないぐらいの
たぶん出来立てのほやほやなお店なのよ。
今夜あたりシャモジを持って突撃してみようかしら。
まあそんな変なお店じゃないでしょ?
鉄板焼き屋さんだし、
ルービー何杯かキメて。
そう言うお店はおっかいないじゃない。
カード使えなさそうだし。
気が向いたら続報を続けて報じるわ。
うふふ。
1日を乗り切るわ。
お昼差し入れ期待したいところよ。
試してみたことないけど、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
やらんけど。おれも犬を飼っていた。そいつはずっと前に死んだけど、いまでも夢に出てくることがある。だからやらない。
でもな、犬猫の迷惑というか、犬猫の飼主の迷惑を普段から被っている奴らが、ペットフードに針入れてやろうかと思う気持ち、わからんでもないんだ(やらんけど)。
都会に住んでいてびっくりするのは、どんだけ意地汚い犬の飼い主がいるかっていうことなんだ。
この前、住宅街を歩いて駅に向かってたら、チワワを3匹連れたおばちゃんが目の前を歩いていたんだ。おばちゃんは辺りをキョロキョロ見回して、挙動不審な感じでな。次の瞬間、チワワのウンコが入っているらしいスーパーの袋を縛ったやつを、道端のごみ収集カゴに差し込んでスタスタ歩いて行ったんだ。
おばちゃんは交差点を曲がる時おれに気づいて、こっちの顔を睨みながら立ち去って行ったよね。こっちは最後まで何も言わなかったけど。
そこの区は燃えるゴミを回収する時、カラスが寄り付かないように、地域住民はゴミの日にカゴを組み立てて、ゴミ袋を入れるんだけど、チワワのおばちゃんは、畳んで道端に立てかけてある空っぽのカゴの隙間に、わざわざクソ袋を差し入れて去って行ったんだ。
そこの地域の人がゴミの日の前日だか朝だかに、カゴを手に取ったらどうなると思うよ? ウンコが入った袋が足元に落ちてくるんだよ。夏の暑さに数日さらされて、腐り始めたウンコの袋が。その地域の人がいったい何をした? いったい何の罰ゲームなんだよ。
そこの地域住民みたいに、不条理な体験をさせられると、やってやろう気持ちになってくるの、わからなくもないんだよ。もちろん日本の法律で自力救済は禁止されてるから、動物愛護がどうのこうのいわなくても、他人の所有物を破壊した人間は罪を償わなくちゃいけないだろうさ。でもな、いくら言っても聞かない奴、他人が見てないところだと完全に規範意識が吹き飛ぶ奴の被害を繰り返し受けて、黙っているかどうかは別の話だと思うんだよ。国や自治体が犬猫にそこらじゅうにクソさせるのを禁止できないで、現に自分たちが被害を受けていて、防ぐ方法がなかったらどうするよ? 地元の議員に相談したところで、犬猫にクソさせるのを禁止できるわけもなかろうし。
そんなときにさ、怒りとか憎しみが暴走して、やってやろうという気持ちになるのは、わからんでもないってこと。やらないけどな。
犬猫を自分の家族だっていうなら、てめえの家族がひり出したクソぐらいてめえで片付けたらどうだ。それができないなら家族がどうのとほざくなってこと。
anond:20220625155900 の増田のいう「悲惨な人たち」に該当する。
妻 開業医
…ここまで書いてきたところでお気づきかもしれないが、将来の夢があんまり描けていない。今をなんとなく、そこそこよいものに触れ続けて生きていくだけの人生で、ドキドキやハラハラは映画や小説で「他人の人生を疑似体験」するだけでいいと思っている。
いいところ
・超駅チカ。駅徒歩2分
・なのに線路から一本入っているからすごく静か。閑静な住宅街。腕時計の秒針の音が聞こえるほど。
・ウォークインクローゼットつきなので収納がそこそこある(床に散らかってて生かせていないけど)
・IH楽。危なくない。
・家賃が安い。4万円台。駅チカだから近隣相場より高めだけれど、そもそもこの辺りは都心から遠いので安い。
・実家までドアtoドアで2~2.5時間、1300円で帰れる。
よくないところ
・木造アパートなので壁が薄い。隣の人の生活音が聞こえる。テレビがなっていることとか(さすがに何言っているかまでは分からない)、掃除機の音とか、引き戸を引く音とか、静かだといびきも聞こえる。特に上の人がうるさい。どったんばったんといった物音がする。なんだ、プロレスでもやってんのか。あと何か球のような物を落として転がしているような音がする。なんだ、パターゴルフでもやっているのか。
・風呂のお湯が不機嫌。一度45度くらいまで熱くなって30秒程度して適温に戻る。熱くてやになる。
・プロパンガスなので料金が高い。
・ごみ捨てが面倒くさい。毎朝決まった曜日に捨てなければいけない生活に慣れない。いつでも捨てられるところがいいけど近隣になさそうだなぁ。あと分別も結構細かい。
・スーパーが9時半に閉まる。欲を言えば12時まで開けてくれればいいのにと思うが贅沢は言わない。
実家の分譲アパートってファミリー向けだけあって騒音対策ちゃんとしていたんだな。
次選べるなら鉄骨マンションがいいな。でもこの辺りには鉄骨は1件もないからもしそうするなら電車で20分は都会に出ないと・・・。そしたら家賃が上がっちゃう・・・。やっぱ今の家が住めば都だな。
占領直後の性的暴行や強姦の件数については確定していないが、藤目ゆきによれば上陸後一ヶ月だけでも最低3,500人以上の女性が連合軍兵士によって被害をうけ、その後も1947年に283人、1948年に265人、1949年に312人の被害届けが確認されているがこれらは氷山の一角であり、藤目は占領とは「日本人女性に対する米軍の性的蹂躙の始まり」でもあったと述べている[8]。
その後も在日米軍による犯罪は続き、1952年5月から1953年6月の警察資料でも殺人8、過失致死435、強姦51、暴行704など合計4476件の犯罪が報告されており、1954年2月には宇治市大久保小学校4年生の女子児童が強姦されたあとに陰部から肛門まで刃物で引き裂かれる事件が発生し、ほかにも4歳の幼児が強姦され、危篤状態になった事件や、突然狙撃されて死亡した事件などが多発した[9]。
日本占領後、多くの市民は連合国軍の上陸によって日本女性が強姦されることを恐れていた。こうした懸念から、内務省警保局をはじめ各省庁および都道府県庁は、女性らに自宅待機、避難、日本人男性から離れずいるようにとの注意喚起、また米兵との接触を回避するよう勧告をしている。
米軍が最初に上陸するものと推測された神奈川県では、県警は若い女性や少女に避難勧告をしている[10]。内務省警保局の情報にも「神奈川県ハソノ特質上敵ノ最初ノ上陸地点タルベシトノ想像モアリ「敵ハ十八日ニ神奈川ニ上陸スル」ノ流言多シ」とあり、戦争関連の諸文書が一斉に焼却廃棄されるなか、行政機関当局にも相当の混乱があったことが窺える。主要港湾を擁する横浜市では、幹部職員の全員逮捕処刑を前提として、緊急措置として市民のうちの婦女子の疎開避難、女子職員の全員解雇などを決定し、これをきっかけとして丹沢方面への疎開騒ぎが広まっていた。
これに呼応し、政府は内務省警保局長名で特殊慰安施設協会(RAA)の設立について全国都道府県に打診し、東京都下の料理飲食業組合、芸子置屋同盟、待合業組合連合会など7団体代表者により、特殊慰安施設協会が急きょ設立され、協会を通し「性の防波堤」となる志願女性を募集した[11]。これにより、各所に「進駐軍将兵慰安施設」が設置され、一例として横浜の大阪商船ビル、日本造船大丸谷寮、箱根、江ノ島の新設施設などがこれに利用された。GHQ当局は1946年1月に、「非民主的であり、女性への人権侵害である」との理由から施設の閉鎖と公娼の禁止を宣言したが、占領軍兵士を相手とする「私的」売春は継続され、兵士たちの間で性病が蔓延した[12]。
ジョン・ダワーによれば、特殊慰安施設協会設置の効果もあり、占領軍の規模と比較すると日本政府の想定よりは強姦の発生率は低かったが、同時に性病の集団感染も引き起こした。一例としては、検査の結果1個師団の70%が梅毒、50%が淋病の陽性反応を示したため、これを主因として売春施設は閉鎖されることとなった[12]。
公娼施設の廃止後、強姦の発生率は約8倍に増加し、ダワーの調査によるとRAAが活動終了した1946年以降、日本人女性に対する占領軍将兵による強姦件数は一日平均40件から一日平均330件に急増した[13]。これに対してブルマは、「毎日40件以上の強姦が行われた可能性があるが、ほとんどの日本人は、アメリカ人は恐れていたよりも規律的だと認識していただろう」と述べている[14]。
テレーズ・スヴォボダは、慰安施設閉鎖後に強姦の報告件数が急増した事から、兵士に対する慰安婦の提供が強姦事件抑制に一定の効果があった事を認めている。スヴォボダはまた、一例として慰安施設の営業開始前に、待ちきれなくなった数百人の米軍兵士が二棟の施設に乱入し、そこにいたすべての女性を強姦した事件についても言及している[15]。 また、スヴォボダによると特殊慰安施設協会の廃止後少なくとも二件の大規模な集団強姦事件が発生している。
東京都の事例
スヴォボダおよび田中の調査によれば、1946年4月4日の深夜、3台の軍用トラックに便乗した米兵50人が東京都大森区(現・大田区)の中村病院に侵入し、号令の笛とともに約一時間の間に女性患者40人、女性職員37人を回姦凌辱した[16]。被害者のうち、2歳の幼女は事後床にたたきつけられ死亡したほか、止めに入った男性職員一名が殺害された[16]。
名古屋市の事例
また、田中によると、同1946年4月11日に名古屋市の住宅街に侵入した30人から60人の米軍兵士が地域内の電話回線を切断後、各家屋に同時に侵入し、10歳から55歳の女性を強姦している[17]。
マイケル・S・モラスキー(日本文学、日本語学研究者)によると、日本の警察の報告を読むかぎり、強姦やその他の重大犯罪は海軍を中心に広まっており、横須賀基地と横浜周辺における占領後最初の数週間の犯罪件数が突出しているが、日本本土全体では一般的ではなかった[18][19]。
上述のように、駐留米軍兵士による拉致、強姦、殺人は日本全体には波及していないものの、警察記録と報道記録が示している通り、凶悪犯罪を犯す兵士の多くが、1945年に日本に上陸し、最初の数週間の間に記録的件数の犯罪行為をおこなっており、占領最初の10日間だけで1336件の強姦事件が報告され、その後も9月一か月間の横浜市内での強姦事件は119件にのぼっている[20]。ダワーによれば、被害者が数人以内の場合には警察に報告すらされなかった。[21]
北海道の事例
歴史家の竹前栄治、ロバート・リケッツらは、米空挺部隊が上陸後、札幌市内において略奪、強姦、酔ったうえでの日本人への暴行などを働くことはまれではなく、強姦被害者の中には自殺した者も少なからずいたと述べている[22]。
ロバート・アイケルバーガー第8軍司令官は、非番の兵士から女性を保護するために日本人が自警団を組織した際、第8軍の装甲車に協力を命じ、事件の首謀者を逮捕したことを記録している。しかしダワーによれば、一方で強姦事件の中には警察に報告されないものもあった。
竹前とリケッツらによると、オーストラリア、英国、インド、ニュージーランド軍の一部によって構成され、中国及び四国の9県を占領していたイギリス連邦占領軍 (BCOF)も、また多くの強姦に関与していた。
オーストラリア軍は1946年に広島県呉市に上陸するとすぐジープで若い女性を拉致し強姦していた。被害者がほぼ毎晩助けを求めて泣き叫ぶのを聞いていたが、占領軍による犯罪行為の報道は封殺されていた[22]。中には、一人の少女が20人以上の兵士に回姦される事件もあった[23]。
イギリス連邦占領軍の公式報告では軍所属の将兵が1946年5月から1947年までの期間に57件、1948年1月から1951年9月の間に、さらに23件の強姦を犯し、有罪判決を受けたされる。しかしながら、1946年2月から4月にかけての英連邦占領軍による占領当初の重大な犯罪の公式統計は存在しない[24]。オーストラリアの歴史家ロビン・ゲルスターによれば、イギリス連邦占領軍の重犯罪公式統計は米国と同様に過小評価されているが、これには日本の警察が被害報告を占領軍に提出していない場合があり、これにより英憲兵隊が調査を行わなかった事も少なからず影響していると述べている[25]。
ジョン・ダワーによれば、GHQ当局は1945年9月から1952年の占領終了までの間、幅広い検閲(プレスコード)を日本のメディアに対して実施しており、開始当初には左翼活動や軍国主義、超国家主義的な思想といった思想分野が差し止め対象となっていたが、占領開始から数か月後にはこの範囲を大きく逸脱し、占領軍による強姦などの重大犯罪や社会問題も幅広く検閲の対象となっていた[26]。
竹前栄治とロバート・リケッツによると、占領軍は、1945年9月10日付連合国軍最高司令官総司令部令「占領活動に敵対的な全ての報告・統計発行物の違法化にむけた報道発表と事前検閲に係る規則」を定め、強姦などの重大犯罪に関する報道を統制していた。占領終了後、一部の日本の雑誌はアメリカの軍人が犯した強姦件数を発表している[22]。
蛍なんて暗くなった住宅街によくいるじゃん
バズる投稿を見るとよく「号泣した」と数多くのリプがあるが、毎日電車に乗って通勤して多くの人とすれ違う日々を送っていても号泣している人に出会わない。
酔っ払った人が泣いていることは稀にあるが、とてもリプを送れる状況じゃないのでそれは違うだろう。
確かに人前で泣くのは恥ずかしいから家で泣いているのかなと思い、バズった泣けるツイートがあるたびに住宅街を練り歩くのだが、号泣ともなれば聞こえるであろう遠くからの泣き声が聞こえることはなく、SNSを使えない年齢の赤子や子供の泣き声がするばかり。
SNSを使い始めて数年、「号泣した」という書き込みは幾度となく見たが、決して号泣している大人に出会うことはなかった。
そして、ようやく気づいた。
SNSで人と繋がっているような気がしていたが、私以外の人はそこにいなかった。
友人もSNSをしていると言っているが、それもまた見知らぬ人と繋がっているのではなく、AIが作り出した世界にいるだけなのだろう。
ちょっと用事があって、町内でもあまり行かないエリアを車で通り過ぎた。その途中、住宅街から少し離れた所に、畑にまじって放棄されて荒れ果てた土地があった。夫が言うには、そこが昔、夫の祖父が銀行に唆されて買った土地なのだそうだ。
夫の祖父はもう何年も前に天寿を全うして亡くなっている。普通に病院で死亡したから、何日の何時に死亡したか明白だし勿論事件性もなにもない。そんな人の相続問題がいまだに片付いていないと、夫から聞かされて驚いた。とっくの昔に相続放棄ということで決着がついたのかと思っていた。
義父は十数年前に亡くなったので、夫の祖父の相続人には代襲で夫ら義父の子供達が入っている。夫の弟妹達、全員一致で相続放棄ということになったはずだった。迂闊に相続すると何を押し付けられるかわかったもんじゃないからだ。祖父本人も性格に問題ありまくりだったのもあるが、義父の兄とその妻が輪をかけた曲者で信用ならないからだった。
夫の祖父と義父の兄の住んでいた土地は広く、そして建物は立派な古民家だった。だが、家業が多額の負債を抱えたまま倒産したので、その土地家屋は夫の祖父のものではなくなったはずだった。だが、外戚の資産家の手を借りてあれこれしたらしく、家業が潰れた後も、夫の祖父の一家は普通にそこに住み続けている。そこら辺はおそらく相続財産のリストには入っていない。
家業が潰れた際、夫の祖父はその全責任を義父になすり付けた。そのせいで義父は亡くなった。それで夫と弟妹達は祖父を恨んでいるし、信用しない。
本家から夫の祖父の相続話がもたらされたのは、夫の祖父が亡くなってから何ヵ月も経った後だった。義父の兄嫁がやって来て、相続財産の一覧も見せずに、書類に判子をつけと言うのだ。夫に対して、長男として遠方に住んでいる弟妹達の所へ行って実印を預かって来い、そうすればこっちで書類に捺印をしとくから。そんな事を玄関先に腰かけて、しかも相続とは無関係な義母にことづけた。
そんな事を言われて夫が怒らないはずもなく、そんなに判子ついて欲しいんなら相続財産の一覧を持って直接うちに出向いて頭をさげやがれ! と言った。以来、本家とは絶縁状態だ。
信じらんないような話だが、本当の話だ。
木曜日に、下の子がAちゃんから朝の子猫の様子を聞いてきた。子猫は沢山餌を食べたので沢山うんちをした、とのこと。
住む家と育てる人が変わった事について、子猫はストレスを感じていなさそうでよかった。やはり、子猫にとってのママである籠とボロ布さえあれば、子猫はどこに行っても大丈夫なのだろう。
餌を沢山食べてお腹一杯になると、子猫は籠の中に戻されても外へ出せとは騒がなかったものだ。そして子猫はボロ布をチュッチュと吸いながら眠りに落ちる。満腹になるのと心が満ち足りるのとは別の問題、という点では猫もヒトも変わらないのだなあ、と、ボロ布に吸い付く子猫に、うちの子供達が赤ん坊の頃に腹が一杯になっても長々と乳に吸い付いて離れなかった時の様子を重ねて見た。
子猫が好奇心旺盛な真っ盛りによそにやれてよかったと思う。うちは狭くて、子猫には探索のし甲斐がない。やっていいことより良くないことの方が多い環境は、子猫にとっては長居するには酷な環境だと思う。
朝っぱらから子猫がよく食べよくうんちをした事が厄介事とは捉えられないお家に貰われたのは、本当によかった。けれども、私としてはAちゃん家と私的に交流するのは正直面倒臭いなと思う。家と家との距離が学区の端と端くらいなので、敢えて付き合いする必要が無いのでよかったけれども。
「ご夫婦揃って猫にお詳しいんですね」
とうらめし気な視線でじとっと見られたのが嫌な感じに心に残り続けている。飼えない猫を拾ったことで、ろくでなしと思われたのだろうか。
子猫のことは早朝の路上で拾った。私道ではなく公道だ。あと三十分もすれば通勤ラッシュの抜け道として、住宅街にも関わらず沢山の自動車や自転車があり得んスピードで通り抜けていく。ゴミ捨て場が近く、電柱にはカラスが停まって下を窺っている。そんな状況で、何も出来ない子猫を拾わないという選択肢は私にはなかった。
けれど、世の中ではそんな事をする人間を現に見ると悪感情を懐く人が案外多いのかもしれない。ここ数年、何の巡り合わせか、登下校の最中に怪我をしただのドブに落ちただので困っている子供に行き合って助けるしかない状況に何度か遭遇してしまったのだが、その度に気持ち悪いものを見るように噂をされ、人が離れていった。
インターネット上でこうして書くぶんには偽善者と罵られることは少ない。だが、現実では化け物を見るように見られて終わる。誰もが認める人気者が同じ事をしてもそうはならない。まるで誰かを助けるにも資格がいるといわんばかりだ。