はてなキーワード: 事象とは
非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。
日本人の宗教批判は主にオウム神理教や創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教はやばい」となり、それが「宗教的なものはやばい」となっているのではないか。たしかに新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会の問題がある。
日本人全体で、なんとなく「宗教はやばい」というゆるやかな共通認識があると思う。
そこから「宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間だけが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。
ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質に嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力・権威・金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブな意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教のネガティブな部分についてのものが多いと思われる。
また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか。
宗教的なものがやばいの1つの例でいえば、ガチのドルオタはキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りからは理解不能なのである。アイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分の人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。
アイドルの推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドルの状態を維持可能な状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドルの存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味を見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。
宗教のはじまりはアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないものを発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。
日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分の主観による)。「科学的な権威がありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。
そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。
自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。
宗教が必要かどうかは置いておいて、その発生過程や宗教が果たしてきた役割は、歴史を学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たかが宗教ごとき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である。現在の今の自分にとって宗教は全然必要でないと感じていたとしても、その自分が存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなものが人類の中で大きな役目を持つようになったのか。
真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しかし宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。
科学的であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教の政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか。
また「宗教が必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。
実際にとりあえず「宗教は必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である。仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。
ありとあらゆる宗教的なものは不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。
宗教と宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間の主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである。
宗教と科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。
つまり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。
いったいなぜ、科学的であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか。
そして、自分にとって宗教が必要ないからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。
それから自分は、ロジカルシンキングや科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分はロジカルシンキングそのものや科学的思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。
彼らは科学や論理というアカデミックな権威のおこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的な人間が宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。
Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である。
もちろんあなたはVimを導入しないという選択をとることもできる。
こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である。生臭坊主と言われる。
自分は、そうした既製品の宗教や、新興宗教の教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。
宗教はおもしろい。とりわけ理系で哲学や文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。
どうして自分自身に暗示を掛けて神さまとかいうウソを信じ込むのが推奨されているのか。
現に、日本人の多くが神さまとかいう欺瞞に頼らなくても十分暮らしていけてる。
神さまに拝まなきゃ辛いほど追い詰められてるなら、抗うつ剤とかストラテラに頼ればよくね?
お墓とか祈祷とか宗教に貢いでるカネを取っておいて、アイドル Vtuber にスパチャした方がまだしも幸福のコスパはいいと思うが。
生物多様性を大切にするとか言ってるのと同じ口で、せいぜい数個のバリエーションしかない宗教にこだわってるの意味がわからん。
追記・
議論のツリーで「科学的に天国は存在しない」と言ってる人を見かけた。
いや混乱するかもしれないが、それは誤解だ。
科学に身を置いて生きれば宗教は必要ないと主張するオレだが、しかし別に天国はないなんて言ってない。
宝クジが当たる確率とか、流れ星が落ちてくる確率とか、婚活が成功する確率とか。
ランダムで何回に一回あたるはずと想定する、小惑星帯に流れ星を妨害する障害物が一様に散らばっていて数パーセントの確率で軌道が変わるはずと想定する、とか。統計的に今までペアになった確率は数パーセントで未来もさほど変わらないはず、などなど。
「天国の存在する確率はわからない」が正しい答えだ。十分に妥当な確率モデルを示せないんだよ。
天国は存在するかも知れないし、しないかも知れない、わからない。
つ オッカムの剃刀
オッカムの剃刀とは理論は可能な限りシンプルである方がいい、という提言だ。
しかし、この格言は科学界で人気の思想というだけで、外せない原理原則ではない。
もしシンプルな方がいつも正しいのなら、光速度不変の原理という速度上限は必要なく
近年、GPSの 狂いやブラックホールによる光の湾曲など、相対性理論があって初めて説明できる事象が観測されるようになった。
しかし昔を思い出してほしい。
それらが確証事例が無かった時代にも相対性理論は議論されてたんだよ。
やれ広告代理店だのやれ政府・自民党に雇われた人間だの、一部の方々からはX(Twitter)のコミュニティノートの執筆者の存在が邪推されている。
そんな邪推はしないにしても、誰がこんなものマメに書いているんだ?と疑問に思う人も多いだろう。
あくまで一例に過ぎないが、コミュニティノート寄稿者1人としての増田の話を書いてみようと思う。
気になるニュースや事象があったらGoogle検索するだけで、必要であれば論文や公文書などを探し、ネットで見つからなければ国会図書館に赴く。国会図書館に無い本があれば古本屋を探すし、現地に赴けば情報が得られるものなら現地に赴く。
そうして得られた情報や知識を整理して体系化し、ブログや個人サイトなどで記事にする。もちろん媒体は人によるから、同人誌として発表する人も居るだろうし、最近ならYouTubeに動画として投稿する人も居るだろう。とにかく、これが趣味なのである。
陰謀論で儲けようと熱心な方々には想像もつかないだろうし、だからこそ「政府に雇われた人間がやっているビジネスに違いない」という発想が出てくると思うのだが、趣味として無償でこういう調べ物と発表をする人間はインターネット黎明期から現在に至るまで一定数存在することは知って欲しい。
増田はかれこれ10年以上、Wikipediaを編集している所謂「ウィキペディアン」である。
ウィキペディアは端的に言ってしまうと、執筆に際して出典の提示を最優先に掲げている。例えばあなたが非常に先進的かつ斬新な知識を持っており、それを正しいと信じていても、信頼できる出典がなければウィキペディアはそれを受け入れることはない。
(この出典至上主義とも言えるスタンス自体には賛否があるかもしれないが、ルールなしに寄せられた各自の主張が入り乱れる状態よりは遙かにマシだろうと自分は思っている。)
そうとはいってもウィキペディアは誰でも編集できるわけだから、出典のない記述が寄せられることは日常茶飯事である。そういった記述をメンテするのもウィキペディアンの活動の一つであり、「雑草取り」と呼ばれる。
これに関して最も簡単な方法といえば出典がないことを示す [要出典] を貼り付けることなのだが、時たま「これは恐らく事実で、単に出典を貼っていないだけではないか」という記述に出くわすことがある。
こういった場合、増田は調べ物に走る。つまり、その記載を裏付ける出典をできる範囲で探し、確認できたら出典を付与するということを行うのである。無論、本当に出典が確認できないものもあるため、残念ながら記述を削除したり [要出典] を貼り付けたりするという結末に終わることもある。
この営みはコミュニティノートの、「誤解を招く投稿へ情報を補足を行う」という趣旨で求められることと類似しているため、ノウハウがそのまま使える。
増田は正直なところ、「雑草取り」の趣味の場が広がったと思ってコミュニティノートを書いている。
増田は以下の2つに絞っている。
特定されたくないので詳述は避けるが、増田の専門分野をメインにしている。調べ物が趣味とは書いたが、専門分野以外に関しては情報源の勘所がわからないことも多いあるため、余計なことはしないようにしている。
その分野の単語で検索したり、タイムラインに流れたり、何らかの形で目にしたもののうち、誤解を招くものに関しては情報源を確認した上でコミュニティノートを投稿している。
専門分野以外では、明らかなフェイク画像・フェイク動画にはコミュニティノートを投稿することがある。
正直なところ、自明なものにノート書くのは野暮だと思っているのだが、それでもリプライや引用で釣られてしまっている人が多いものに関しては積極的に投稿するようにしている。
これは重視していない。もちろんフェイクを流す勢力の政治信条には偏りがあるため、ノートを書く分量自体には偏りが出てしまうが、右派・左派などは関係なく、誤解を招くものを見つけては書くようにしている。
露悪的な言い方をすると「調べ物をして誤解を招くポストを撃破するモグラ叩き」だと思っている面はあり、それが一番楽しいので特に特定の政党や勢力を利するつもりはない。
閲覧数が多いもの、あるいは多くなりそうなものを選ぶようにしている。
これはコミュニティノートのアルゴリズムに由来するもので、閲覧数が少ないポストにノートを書いても反映されないためである(より大きな影響を与えるポストに優先してノートがつけられるべき、というのがX社の理屈なのだろう)。
最初はこれも気にしていなかったのだが、このアルゴリズムを確認してからは、なるべく表示される機会が多いものを選ぶようになった。趣味とはいえ調べ物をする時間は有限であるため、それくらいは許して欲しい。
開示請求があった場合、運営は形だけの弁護士しかつけず、ノーガードで登録情報と該当書き込み以外の全書き込み内容も開示する。
https://note.com/hidetoshi_h_/n/nd15baf185534
このたび、2023年11月2日付で、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法) 第5条第1項の規定に基づき、株式会社はてなを相手方とする発信者情報開示命令を東京地方裁判所に申し立てました。
今後、本件に関してお知らせすべき事象が生じた場合は、適宜公表いたします。
記
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Webサイト「はてな匿名ダイアリー」において、悪質な発信者により権利を侵害される記事が投稿された。
一連の発信者に対する損害賠償請求ほか法的措置を予定しているため、当該発信者に関する情報の開示を受けるべき理由が存在する。
ブクマカは基本全ての事象に無関係なわけで、やってることは他人の会話に勝手に食いついてるだけだからね
前回のあらすじ
広島武蔵坊本店の担々麺を食べたオレは、あまりの旨みと辛みにショックを受けた弾みでアストラル体となって、最近薄くなってきた頭頂部から飛び出し、第一宇宙速度を突破する。
その頃、究極のオリーブオイルを求めて瀬戸内の島に渡ったオレの分体は、瀬戸内海の強風に煽られ、強い吐き気と後悔の念の中で、内的宇宙の事象の境界面を漂うアストラル体の自分を見出すのだった…。
それもグラビアだと藤田いろはくらいの体型が好きなスレンダーフェチ、とかというレベルではない。20キロ前半近く痩せ細った人、例えばAV?だけど町田りなくらいでしか抜けない。pixivで毎日そういう絵を探しているけど、私の好みレベルまでのガリガリはそうそう描いている人がいない。
何がきっかけがは分からないけど、この悪癖は小学生の時からそうだ。父親のガラケーを借り「拒食症」「ガリガリ」といった単語で画像検索していたのを、履歴を見て親はどう思ったのだろう。
そして、これも小学生の頃からだけど、「下痢をしている体調の悪い人(できたら男)」にたいそう興奮していた。
しかし排泄物や羞恥に興味が無いし、むしろ前者には嫌悪感しかないが、世の中「下痢」が好きなスカトロマニアの大半(母数が少ないだろうけど)は、女の子のそういうことに興味がある。なので、検索する度に違うんだよなあと思っている。(でも見る)
小学生のとき、下痢という事象に興奮しすぎて自分で下剤を買って飲んだことがある。まあ酷い目にあった訳だが、その後つかいさしの
胃腸炎なんかなるとよくある話だけど、下痢をすると吸収が上手くいかず痩せるケースがある。それが一番好きだ。そう、私の性癖は突き詰めれば「激しい下痢か続いてガリガリに痩せた弱っている男」もしくは「拒食症でガリガリに痩せた男が下剤の乱用で激しく下している状態」なのだ。
こんなニッチな性癖自分だけだと思うけど、今の彼氏は若干貫禄のあり、お腹も強い健康的な男性なので、結婚しても墓場まで持っていくつもりです。
揶揄のつもりだろうが、すげぇ外している
日本語が読めていない
中身がなくっても対象が好きにはなれるし
情熱も維持できる
問題なのは、対象に関連する事象で自分に中身があるかのように「誤魔化そう」とする場合
他人からの賞賛や、仲間と語らう居場所、そういうのを、対象物を手にすることで得ていた場合
それらで充足を得られていたのに、対象物が好きだから充足していたのだと勘違いする人間がいる
逆上がりをすげぇって言ってもらえるのは小学校低学年くらいだが
大人になってもそれを好きで居て、体操を趣味としている事は出来る
他人から褒められたから、みたいな理由で「好き」だったものに気付かずに大人になる空っぽ人間が大変多いんだよ
そうすると、中学生になったら鉄棒が詰まらなくなった、あんなのが楽しいのは小学生だけw、みたいな勘違い君を産んでしまう
誰もが知る外資IT企業のマーケティング責任者で、弊社では新規プロダクトの営業戦略を任せるとのこと。
その前は大手広告代理店でも20年近く働いていたそうで、コネクションにも期待されて社長が呼んできたらしい。
ちなみに俺はその事業部の数値管理をする管理職なので給与もわかっているが、低年収の弊社にしては破格のオファーだった。
入社後挨拶したときの印象としては、人当たりがよく物腰の柔らかな方だな、というところだ。
しかし入社2ヶ月目から「ん?」と感じることが増えてきて、3ヶ月が経過したころには「この人ダメなんじゃないか」が事業部全体の共通理解となっていた。
一応2名の20代社員が部下についたが、事務周りのフォローがメインであり経営層への報告・提案資料を作るのは荷が重い。
前職では優秀な部下に指示すればいい、という考えで何とかなってきたのだろうが
JTCである弊社はそこまで人材豊富ではなく分業制も機能していない。
「◯◯業界向けの商品を作りましょう」といきなり口頭で提案してくる。
じゃあ簡単な事業計画を作ってください、と依頼して2週間後、会議に30枚くらいの資料(カラーコピー人数分)を持ってきた。
びっしり文字が書かれているが、よく読んでみるとChatGPTに「◯◯業界とは何ですか」と聞いた回答のコピペで、資料の7割は競合企業HPのスクショだった。
最後は「これで売上1000億を目指します!」で終わっている。
これでは何も判断できないので少なくとも利益計画とスケジュールについて追記して再提出してください(あと次回からは投影だけで印刷不要です)、と伝えたが
「やっぱそうですよね!これからやろうと思ってたんです!!」とのこと。ちなみにこのセリフは今後も何度も聞くことになる。以降ヤッパ氏とする。
会議後に事業トップから事前に資料のレビューしてあげて、と俺に指示があったため、資料を見せてもらうことにしたが
以下のようにまともな社会人として出せるレベルのものではなかった。
初めのうちはこうしたらどうか、この観点が抜けているのでは、と改善案を提示していたが
そのたびに「やっぱそうですよね!」と言われるとだんだん腹が立ってくるので、
「これを書いて読み手に何を伝えたいのですか」「前ページと矛盾した言葉になってますがどちらが正しいのですか」と質問するだけにした。
また、ヤッパ氏の悪癖として話が長い、ということがある。
ちょっといいですか?と声をかけてきて1時間平気で話し続けてきたりする。しかもメモはとらない。
俺はそれなりな立場にいるので「忙しいので15分にしてください」と言えるが
若手社員が捕まって2時間くらい雑談につきあわされている、という話をその後何度も聞くようになった。
一般的に異業界への転職は覚えることが多く、特に弊社の新規事業はハイプサイクル前半の業界なので
「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」みたいに聞こえるだろうな、と思い
社内のteamsに定期的に配信している記事も、同じ単語を使っているがまるで別のビジネスだったりすることが多い。
外資出身なので海外事例のレポートを要約してもらったりもしていたが
技術がわかっていれば明らかにおかしいと思われる文章がたびたび混在し、その度に原文を読みにいかなければならず、結局機械翻訳を使うことにした。
勉強がてら社外イベントに行きたい、というヤッパ氏の希望にも応え遠方のイベントにも頻繁に行ってもらったが
出張報告では誰々の有名人がいた、ニュースにもなっていた、という話ばかりで自社に関係がある情報かという観点はほぼなかった。
イベントで資料をもらった会社が面白かったので今度訪問してもらうことになった、とのことでその会社を調べてみたが明らかに弊社とは相性が悪そうだった。
(例えるならガソリン車しか作ってない弊社と、EV車用のエンジンをつくってるベンチャーみたいな感じ)
弊社のプロダクトに活用できないと思いますけど、先方はわかってますか?と聞いたが
「やっぱそうですよね!ちゃんと伝えておきます」とのことで一抹の不安はあったが会議に同席した。
当日先方のプレゼンを聞いても、どうしても弊社で活用できるイメージはない。
一通り聞いたあとで「弊社はこういうビジネスなのですが、そういった企業向けのプランはありますか?」と質問したときの「え・・・?」と引きつった顔は忘れられない。
片道2時間かけて来ていただいたのに申し訳ないことをした。会議以降その会社からの連絡は来ていないらしい。
大手広告代理店出身ということで大企業にも知り合いが多いらしく、「あの会社の責任者なら知ってますよ、声かけましょうか?」とアポをとってきてくれるのはカッコよかった。
20年前くらいにドラマのいい役やってた芸能人なんかを会社に連れてきたこともあった。
しかしアポのレポートを読むうちに、連れてくる人は3パターンに分けられることに気づいた。
(1)先輩後輩の関係で仕方なく来る人
(3)ただ喋りたい人
→(3)が半数以上であることが意外だった。
世の中の大手企業にはなんたら部長という役職は持っているものの実質一人部署で、知り合いの会社を回ってそのまま会食へ行くというポストが割とあるようだ。
1度だけ同席したが、会議中は「あのときの同期は何してる」「この人は昔こういう仕事をしてて、、」という話が延々と続くので、以降顔合わせを頼まれた際も断ることにした。
また、上記の中でも一応は真摯に向き合ってくれる企業もあるので、こちらからRFPを作成する必要も出てくるのだが
ヤッパ氏の実務能力の低さから、若手社員がそのフォローに入る(ヤッパ氏的には相談しているということだが若手は断れない)ことになり
通常業務に支障をきたすことが増えた。「発注書をもらうまでは一人でやること」というルールになった。
ヤッパ氏が引っ張ってきた案件はその後結実することはなかった。
6ヶ月目目からはマネージャー会議には呼ばれるものの、発言もほぼなく、たまに会った他社との商談(雑談)報告をするだけとなり、
1年経たずに退職することになった。
最後の方では事業トップとの1on1ではかなり厳しいことを言われていたらしい。
外回りがないときは休憩室にいることが増え、他部署の新人を雑談に付き合わせて上司から苦情が来たらしい。
ヤッパ氏についた部下2名は仕事が減って暇になったタイミングで俺の部署の仕事を手伝ってもらいそのまま引き受けることになった。
本人としては「もっと裁量があれば話は進められるのにマイクロマネジメントをされた」と考えているかもしれない。
正直このレベルの役職であれば我々も「結果さえ出ればやり方は任せる」としたいが、
新規事業とはいえ弊社はキャッシュが潤沢にあるわけではなく、よくわからないけど投資して失敗しました、だとガバナンスを疑われる。
だからこそ、周囲を納得させるためのロジックが最低限欲しいのだが、それが出てくることはなかった。
ヤッパ氏は悪い人ではないし、優秀な部下がいれば活躍できた可能性もあるので、単なる採用のミスマッチとも言える。
弊社の他部門でも実務能力が同じくらい低い管理職が率いていながら何とかなっているところもある。
前職にいれば安泰だったのに、弊社に来たがゆえにヤッパ氏のキャリアやプライベートが悪化したとなれば悲しい話だ。
しかし仮に退職したとしても持ち前のコネとノリでいい会社に転職できた気はする。名前でエゴサしてみたが見つからなかった。
学生時代のバイト先(うなぎ屋)に50歳すぎくらいの男性がいた
気の良い人でいつもにこにこしてて、下世話なゴシップ好きの陽気なうなぎ職人だったのでパートのおばちゃんたちとも結構仲が良かった
おっちゃんはおしゃべり好きで、店が暇なときはどうでもいいことをずっと話していた
あまりにどうでもいいので半分以上聞き流していたけど、
「大人になって就職して、昼休憩で抜ける時はちゃんと着替えるんだよ。職場の制服のまま外に出かけちゃだめだからね」とか「タバコを吸う女はありえない」とかはなんとなく印象的でよく覚えている
面白いのは、本人は板前の格好のまま(帽子は外してたけど)向かいのガストにハンバーグ食いに行くし、1日に何度も喫煙所に行くくらいのヘビースモーカーってことだ
つまり”男(あるいは自分)はしてもいいけど女は駄目”って話だったのか~と今思い出した
親子ほど年が離れているから勝手に私のことを心配して(男に嫌煙されないように?)アドバイスをくれてたのかもしれんけど、その真意はよく分からない
昼休憩で着替えなさい案件は、制服にもよるけどよっぽど目立つものじゃなきゃ別にいいんでない?と思う。会社のネガキャンにならないふるまいができるなら、だけど。警察官や消防士だってコンビニ行くでしょ。あとレストランに板前の格好でいくのはさすがに他の客が混乱するからやめた方が良いと思います。結局今制服のない会社にいるから全然関係ないんだけどね
タバコに関しても全く吸わないからこれまた関係ないんだけど、路上喫煙ウーマンはともかく運転席から灰落としてるドライブ喫煙マンがむちゃくちゃ嫌いなんだけどこれやってるの男ばっかなのなんで(まあ喫煙者の比率が圧倒的に男ばっかだからでしょうが…)
どっちにも言えるのが「なんで女だと駄目(不快に感じる?)のか」ってこと
”男はやっても何も思わんけど女はやってると引く”的な事象で「股開いて座る」(※電車内とかの公共の場だったら男でも引くよ)とか「ノーメイク」とかが一般論ではあるけど、中年おっさんからの視点だとその中に「昼休憩以下略」と「タバコ吸う」が含まれてるの?
お前、この書き込みする前に誰か知識層に見解を尋ねたか?相談したか?お前のような、一つの事象に原因を決めつける奴は馬鹿だし、一つの事象への対策だから意味がないと決めつける奴も馬鹿。馬鹿は馬鹿だから無闇矢鱈と単純化したがる。お前のような馬鹿共が問題解決の邪魔をしている。
ただ『A』は非常に難解なため、『A』の本質については誰も正確には知りませんでした。それでも人々の関心は『A』に集い、多くの人が『A』についての議論を白熱させました。
やがて研究者が現れ、『A』は研究の対象となり、『A』に対する専門家がちらほらと現れはじめました。
人々は専門家から『A』について教わり、そうして分かった気になって『A』を語り、我が物顔で『A』を扱うようになりました。
それでも、『A』について正確に理解しているものは存在せず、数多の増田が誤りの『A』を語り、ぶつけ、怒り、けなし、泣き、叫び、笑い、喚き、驕り、それから…
その後も『A』については誰も知らなかったのだ。
そういう奴らの神経を逆撫でするような対応が今後も続くだろうねそれなら
客商売がこういうクソ客にも一定程度配慮してやってるのは、そうすればそいつらも人の子だから満足するし
それでしばらく静まってるなら現場の対応にムダなコストを割かずに済むうえ高いサービスの維持は潜在クレーマーのトラブル発生を未然に防ぐ事もできる
ここらへんは客商売やってりゃ誰でもわかること
そういう努力をせずにクソ客対応を怠って、たとえば刃傷沙汰になったとする
外野はクソ客が悪いと喝破する。確かにそうだ、法を犯したのはあくまでもクソ客だけだしクソ客を法的措置なり何なりすればいいだろう
しかしそこに巻き込まれた従業員、あるいは他のマトモ客がいて、謝罪や弁済では取り返しの付かないことが現に起きているのだから、ふつうはそういう事象を発生させないための取組が必要なんだよ。そして現にほとんどの企業はやってる。イカ研というかスプラ運営はそういう取組ができているようには見受けられないし、やっているなら従業員の健康に配慮なんてゲームのインタビューで答えたりしない。そういうのはウラで当たり前にやっとけって話。ホワイトアピールは利敵行為でしかない。