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2024-05-12

anond:20240425193845

チャンピン最新号の浦安中田さんのお姉さん(すげえかわいい)が出てきたんだけど、寝転がってる小鉄の玉金がはみ出てるのを見ようとしてたのがドン引きだったわ

まあその前にトイレのぞかれてるってのもあるけど

中学生にしては胸でかすぎなんだよなあ

これはピクシブおねショタ おねーさんエロイラストが増えます

ふふん

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

anond:20240507141150

子供無知から危ないと思わなかっただけだよ

親になると子供だけで川遊びや釣りに行くとかマンションや校舎の屋上に行くとか屋根に登るとか、どんだけ危ないことしてたんやってなる。自転車で遊びに行くのすら怖い

ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた

危険な思いをした体験というとその程度だった 変なおっさんいたとか酔っ払い声かけられたとか

そんなのは繁華街ではよくあることだし誰も気にしてなかった

親の秘密

うちの母と父は、昭和の終わり頃に結婚したのだが、

出会ったのは、テレクラだったらしい。

母は中学生、父は大学生

母は、今でいうところのパパ活をしていて、

ブルセラショップパンツ売ったり、おじさんとホテル行ったりしていた。

そんな母の話をテレクラで聞いて、興奮してアパートに連れ込んだのが父。

正直、呼べばすぐくる便利な女であり、おじさんから集めた金を持っていた中学生

奢らせていて、パチンコにつぎ込んでいたらしい父は、クズofクズ

で、社会人1年の時に母が妊娠して、責任をとって結婚した。

まれた子が私だった。

父がステージ4のガンであることが先日分かり、

病室に呼び出されて今更聞かされた。

その話、聞かされてもなぁ。

なお、母は子供ができ、結婚してからは、更生して

真面目な人になり、きちんとしてます

父も、子供ができてからは、普通の人っぽく生活してました。

2024-05-11

お別れは突然に

ある日突然推しピアスを開けた。

それと同時にそれまであった推しへの愛情がするすると消え去っててしまった。

ピアスがきらいなわけじゃない。

自分自身も両耳で7個開いてるくらいにはピアスが好きだ。

ピアスホールもたまらなく好きだ。

なのになぜ。

突然ピアスを開ける一年ほど前に推し

ピアスを開ける人の気持ちからない。

俺は全然いいと思わない」という発言をしていた。

それを聞いて、まじでふざけんな。

ピアス好きな人のこと考えて発言しろよ。

推しよ、お前はアイドルなんだぞ。

イライラしたけどそういうやつだから仕方ないとなかったことにした。

なのに、突然ピアスを開けた。

好きなキャラに憧れて。

病院でもなくピアッサーで。

中学生でもねーのに。

あんなにも好きだったのに。

顔はタイプじゃないし、アホな子きらいなはずなのにワードセンス笑顔ダンススキルに惚れ込んでダメなところにイライラもしながら好きという感情だけで全部が愛おしくてたまらなかったのに。

ピアスを開けた。

ただそれだけで好きじゃなくなるなんて。

冷める時って一瞬すぎるね。

きじゃなくなったら、色々許せなくなって、みるだけでイライラしちゃったりして。

君を推す生活とはお別れするよ。

君を全力で推せて楽しかったよ。

ピアスホール化膿しないように気をつけてね。

三十年来の爪噛みが治った

三十も後半にさしかかった。もう自分構成する全ては変わらないと思っていた。

爪噛みもその一つだった。

幼稚園の頃から爪噛みをする癖があったけれど、人前ではしないか放置をしていた。

それが最近治った。

ちなみに爪を噛むと言っても、私の程度は爪を噛むだけではなく、幼い頃など母の爪も噛んでみたり、ささくれをむいたり、足の爪さえ手でいじってむいてしまうぐらいの程度だった。

自分の爪噛みは専門家の人に診断してもらった事はないけれど、多分精神的な事に由来してるのではと思っている。一種自傷行為的な。

希死念慮が薄ぼんやりと付き纏う人生だった。

家族関係は重大とは言わないがそこそこ問題があった。

中学生ぐらいか死にたいとはっきり思っていた。社会人になって自殺しようとして失敗した。

それでもなんとかギリギリ周りに助けられつつ生きてきたけれど、数年前ついにメンタルクリニックのお世話になって安定剤を飲み始めた。

(正直もっと早く行っていれば良かったと思う。)

ちょっと持ち直してきた、と思ったら、今度は職場人間関係パワハラ休職して、更に異動先でも上司と合わず、今も安定剤と一緒に生きている。

このままこうやって生きていくのかな、と思ってたし、今もそう変わらない。

ただ、うっすら張り付いていた希死念慮最近意識しないで済むようになった。死にたいと言わなくなった。それと爪噛みの癖がなくなった時がほぼ同時だと気づいた時、凄く感動した。

自分は死んだ方がいい。生きている価値などないし、友人や姉も私以外の大事な人がいるので、たかが私が死んだところで別にどうでもいい。悲しんでくれるだろうけれど、悲しみなんて一生続かないし。と思っていて、また死ねタイミングがあったら今度こそ死のうと思っていた。

でも数ヶ月前のある日ふと、本当に何故か分からないけれど、そんなに自分価値のない人間なのか?と思った。だって誰にも迷惑をかけてないじゃないか、と。諸々のルールを守ってるし、職場の人に意地悪なんてしてないし、ちゃんと親切をする。それなのになんで、生きてちゃいけないのか?と思った。

そして、今まで自分は無価値というベースの上に生きていたけれど、立ち位置を変えて、自分の良いところに立ってみようと思った。

良いところなんて分からないけれど、多分あると思って、ぼんやりとした良いところに立って生きてみようと。

そして、それと同時に考え方を変えた、というか、気付いた、という事がもう一つあって、それは自分が今まであってきた辛い経験精神不安定さ、生きづらさを宝物のように思っている事だった。

こんなに辛い経験を何もなかった事にしたくない、この不安定さ生きづらさこそが私で、だからこそ私は他の人と違うのだと思っていた。

痛みを手放さず、痛いまま、その痛みこそ自分だ、と思い込んでいたのだ。

でも、そんな事はない。頭が痛いとき頭痛薬を飲むのは治す為で、本来痛みとは治すものだ。

それを私の人生だ、と思い込んでいたのだから、生きづらいし、死にたくもなる。

痛みを取り除いた私、例えば好きな事をしてたり、大好きな友達と話してる時の自分本来自分であって、それは誰かに傷つけられ、嫌な目にあったとしても、何も変えられない、侵される事はないはずだ。

今思えば、メンタルクリニックに行って良かったと思う。というか、もっと早く病院へ行くべきだったと思う。

メンタルクリニックで言えなかった様々な事、希死念慮自殺未遂、家族会社問題コンプレックスを吐き出せた。勇気がいったし、二人目の先生で、それでも早いと思うけれど、言うことができた。

それが変わるきっかけの一つだったと今思う。

死にたい気持ちは、今も心のどこかにある。

でも、随分マシになった。

それだけで楽になった。生きていたいと体はどうしても動くから、体と心がバラバラなのは本当に苦しかった。

でも、今は心と体が一緒というか、心が体を傷つけなくなったというか、やっと2つが私のものになった気がする。

気分の波は今もあるし、今日こそ死んでやる、と思う日も、少なくなってきたとはいえ、なくはない。そういう自分も、自分から、ただその都度癒して行く方向で、いつまで続くか分からない人生を過ごしていこうと思う。

近所のお兄さんに告白された話

12年前、中学1年生の時の話だ。落ち着いたので書いてみる。

表現上「お兄さん」と呼んでいるが、そんな呼び方をしたくないほど嫌悪感のある相手だ。

相手は当時確か22だか23歳だかそのくらいだった。妹の同級生の兄であるアニメゲームなどのオタクで、私ともその辺りの趣味が合った。

一時期は週に2,3回ほど話していて、正直当時は楽しかった。だが当時13歳の私にとっては、あくまで近所の話しやすいお兄さんであり、全く恋愛対象ではなかった。

子供とはいえ男性と遊ぶ際に気を付けなければいけないことはわかっていたため、「2人っきりで一目につかないところにいかない」「相手の家に行かない」などはしていた。

ちなみに一個下の妹もこのお兄さんと仲が良かったのだが、部屋に遊びに行ったり一緒にカラオケに行ったりを普通にしていた。これについては当時から小学生と2人でカラオケ行って楽しいか……?」とちょっと引いていた。

私は複数人でもこのお兄さんとカラオケに行ったことはない。妹にはあまり2人でカラオケかに行かない方がいいと話はしていたが、小学生にそんなこと言っても目の前に娯楽があったら姉の注意なんて無視されるものだった。一応妹はこの先も何の被害も受けていない。

お兄さんには「部活のあの先輩が好き」などと、中学生らしい片思いの話をすることもあった。私からしたら本当に仲の良い近所のお兄さんだった。

だが、ある日。

2人でマンションの部屋の前で話していたら告白された。「◯◯、好き」というシンプル言葉で、一瞬意味がわからなかったが、しばらくして告白されているのだとわかった。

普通に驚いた。だってそんなつもりなかったし、人から告白されたのが当時は初めてだった。

から、「え?私中学生だよ?」「いや、ごめん、ちょっと……」「あと前に先輩が好きって話したよね?」などと、こちらがドン引きしているのが伝わってしまう振り方をした。当時は13歳だ、大人対応なんてできない。

相手はそれを聞くと「ごめん」と謝ってきて、その日は解散になった。

それから直接会うのはやめた。振った相手と以前のように仲良くできないとはわかっていた。

だが、ある日お兄さんの方からLINEが届いた。「ゲーセン3DSが取れたんだけど、いる?」という内容だった。

3DSは当時発売されたばかりのゲーム機で、欲しいなーという話をしていた。当時の子供であれば誰もが欲しがるゲーム機だった。

発売されたばかりのゲーム機がゲームの景品になっていることがあるか?と疑問に思った私は正直にお兄さんにそう聞いたら、「ごめん、本当は買った」と自白した。

お兄さんは私に3DSを渡すために、悪く言えば貢ぐために買ったのだと知った。一度告白された以上、3DSを受け取れば代わりに何を求められるか分からないので受け取りを拒んだ。それからお兄さんのLINEブロックした。

すっぱり縁を切った後は普通に過ごしていた。

お兄さんと会うこともなかった。

そんなある日、体調を崩して学校を休んだ。

布団で横になっていると、仕事に向かう母の「なんかあったら連絡してねー」という言葉と扉の閉まる音が聞こえた。それからしばらく寝ていたら、またバタンと扉の閉まる音がした。いつもは鍵がガチャガチャ回る音も聞こえるのに聞こえなかったなとか、お母さん忘れ物でもして帰ってきたのかなとか思っていると、私の部屋の扉が開く音がした。

え?何の用?と思って振り返ると、そこにはお兄さんが立っていた。

驚いたが、当時の私は何故かやけに冷静で「え?不法侵入だよね?」と言っていた。するとお兄さんは「そんなつもりじゃなかった!」と言ってその場に膝を着いて土下座した。今思うと、一言目で犯罪行為であると指摘されて多分怖くなったんだと思う。

どうしようかと考えたあと、その日休んでいた高校生の兄を呼ぶことにした。兄は隣の部屋だったので声を張り上げれば聞こえるため、「お兄ちゃんちょっと来て!」と呼んだ。

こちらに来てくれた兄は、近所のお兄さんがいることにすごく驚いた後、「そこから動かないで」と言って親に電話してくれた。

それからは親が来て、警察も来て、色々あった。

母は家の鍵を閉め忘れたことを私に謝っていた。

最初は冷静に対処していた私も、もしお兄ちゃんがいなかったら? お兄さんに変な気があったら?などと後から考えて怖くて泣いた。そのためあまり鮮明な記憶がない。

警察署で話をすることになったが、私が警察の人と直接話すことはあんまりなくて、私が母に全てを話して、それを母が警察の人に話していた。警察の人と話した時に、ストーカーなんたらかんたらと書かれた被害者向けの説明資料?を広げていたので、あぁお兄さんって私のストーカーだったんだ…とその場でわかった。

他にどんな処置があったのか詳しくは知らないが、お兄さんは私の居るマンションに住むことが禁じられたらしい。

親にはこの件は言いふらさないように言われた。理由は「変なことされたと思われるかもしれないから」だった。変なことの意味は当時もわかっていた。されなくて良かったと思った。

私はそれからしばらく家に一人でいることが怖くなり過呼吸を起こすようにしまって、両親の仕事が終わるまで保健室で待機するようになった。

私の身に起きたことは以上。

今も男性には苦手意識がある。特に一方的好意を向けられるのが苦手だ。そこからまれ恋愛もあるとわかっているのに。

Xで何度も言われていることではあるが、基本的子供大人を好きにならないし、なったとしても一時的思春期幻想だ。だから大人子供恋愛感情を抱くこと自体あってはならないことだと思ってほしい。

抑えてほしい。告白しないでほしい。物を渡されても家に来られても困る。本当にやめてほしい。気持ちが悪い。と、当時も今も思っている。

私ははっきりした子供で、相手のお兄さんもそこまで気の強い人ではなかった。だから私への被害精神的なもの住居侵入だけで済んだが、気の弱い子が気の強い大人に狙われて取り返しのつかないことになっていた場合もあるだろう。

どうか周りの大人子供たちに気を向けてあげてほしい。

任天堂次世代ゲーム機

親の立場で言わせてもらうと「どうにか逃げ切れた」て感じ

子供小学生の頃にNintendoSwitchが発売された

まともに買えるようになる頃には息子は中学生になっており、ゲーム機への興味自体が大きく削がれている状態だった

正直な話、家計的にありがたかった

子供玩具の入手に奔走し、その結果大きな出費を強いられる、子供のためとはいえ本当に無為行為だと思っていた

しかしその直後にPS5が発売、当然ながら品薄状態が長らく続き、普通に買える頃には息子は高校受験シーズン突入

欲しそうなそぶりはあったが、子供私たちに直接伝える事はしなかった

高校生になった子供は週に2、3日、短時間アルバイトをしている

ゲームのためのパソコンを買うつもりらしいが、本人が欲しがっているやつは30万円を優に超える

高校生が目の前の欲望に抗えるはずもなく、その月に稼いだバイト代を友人達との遊びに使い切る事もちょくちょくある

半年近く働いて溜まった額はおそらく5万円にも届いていないだろう

おそらく目標額が貯まる頃には大学生か、下手をすれば社会人になっているかもしれない

そして、つい先日任天堂次世代ゲーム機存在を始めて正式に発表した

おそらく早くても年末、噂通りならば来春あたりになるのだろう

その頃には子供はもう大学受験体制

どうにか逃げ切れたと、夫と一緒に胸をなでおろしている

[] 他人意識して描くときはヒット作をそのままなぞると良いと言うが

趣味長編ラノベ(ライトノベル)を書きたい増田をみたので、ワイも考えてみた

(以前、カクヨムなどで長編を完結させたというすごい増田もあったけど、今回はそれ以前の問題の『何を書こう』)

 

ワイが他人意識せずに、自分自身のためだけに書けるのは、マンガでも小説でも、50ページくらいがエネルギー限界。このページ数はとても長編とは言えない

50ページ以上書き進めるには、外部からガソリン必要だが、他人に読んでもらうためには、他人を楽しませようと意識する必要がある

他人意識すると、へっぽこなのを誤魔化そうと見栄を張ることになり(なお、誤魔化せる訳がない)、結果として筆が進まなくなるので、長編作ろうが未達で終わる

 

趣味なのに自分技量無視して無駄な見栄を張ろうとする問題・・・まぁさておき、他人意識して描くとき(楽しませようとする時)は、ヒット作をそのままなぞると良いと言うが、

ワイが好きな万人向けヒット作はドラゴンボール以外に無いんだよなぁ・・・ドラゴンボール鳥山明の超画力でなければ成り立たない

ドラゴンボールを題材にせんでも、バトルもの空間認識能力が高く、人体構造を考えて描くのが楽しい人にしか向いてないが、空間把握能力が死んでいるのは元より、骨格や筋肉、関節にも死ぬほど興味がない

 

ワイは死ぬほど運動音痴なので、ダンス新体操を見て、人間本来はこうやって動くことも可能なんだなァ・・・ってなるのは好きだ。ついでに、映画時代劇ゲームで、たびたび魅せてくれる映え殺陣(たて)も見るのも好きだ。でも、骨格や筋肉、関節には死ぬほど興味がない。そのため、現実格闘技武術剣術には微塵も興味はない

じゃあ、銃になら興味があるか?と言うとない。なぜなら基本的に銃には殺す以外の目的が無く(スポーツとしての銃もいちおうあるが・・・)、いままで書き連ねてきたことと比べると、人間身体ってこんな風に動くことも可能なんだなァ・・・ってなる要素が薄いかである

クレーン射的とか実際に体験したら、きっとスカッとはするのだろうけど、自分が描きたいか自分3Dキャラ操って楽しいか?と言われたら別だ

 

強いて言えば、人がそれぞれの自然姿勢で歩く様子を見るのも好きなので、その文脈なら骨格や筋肉、関節に興味が持てるが、それはバトルじゃないし、

スポーツテーマにしたマンガ小説映画で好きな作品ひとつもないので、競歩をやろうって気も微塵もしない(日記エッセイならいいだろうけど、長編を書こうの目的からは逸れる)

 

 

鳥山明以外では、ONE も好きだ。ONE も万人受けする大ヒット作家だ。ONE ならバトル描写のもの以外がメインになっているが、ワンパンマン村田雄介の超作画じゃないとマス受けはしなかったよなぁ・・・

というか、『マッシュル』の前に、ジャンプで『努力しすぎた世界最強の武闘家は、魔法世界を余裕で生き抜く。』という作品があって、ワンパンマンスタイルで描かれていたにも関わらず、ウケなかったもんなぁ・・・

なお個人的には『魔法世界を余裕で生き抜く』はとても気に入っている。イヤな奴、悪い奴がいっさい出てこないコメディで、めちゃくちゃ単純な話だから

主人公はサイタマと同じく何でもワンパンで倒せるチートフィジカルを持っているが、魔法に関しては絶望的に才能がない。それでも魔法が好きで、魔法使いを目指すという大変分かりやすストーリー

結局、主人公はすごい魔法使いになることはできないが、ささやか魔法は使えるようになる。主人公はそれにめちゃくちゃ喜んで満足し、今日よりも明日!少しずつでも能力を向上させよう!と前向きに努力を続けてマンガは終わる

(ただ、『魔法スターマジカルエミ(1986年) 』でも、主人公の舞が魔法を捨て去り、自分自身の力で本当のマジシャンを目指すみたいなのが、マス受けしてる感じしないし、作画以外の要素もありそう)

 

マッシュル』もワンパンスタイル作品かつ、海外で大バズりしている。魔法世界フィジカル全振り+すごい魔法使いになるっていうコンセプトは、『魔法世界を余裕で生き抜く』と共通している

ボーボボ彷彿とさせるギャグシーン/良いヤツばかりの日常パート差別や困難に立ち向かう前向きな姿勢ボースティング、これらはワイも超好き

ただ、主人公マッシュワンパンで敵を倒すシーン・ギャグで圧倒するシーン以外のバトルは、個人的にはあん面白いとは思えんのよな・・・

週刊少年ジャンプ作家なので、一定クオリティが保たれているから、見るのが苦痛とまではいかないけど、正直、マッシュ以外のバトルは別に無くてもよくね?みたいな・・・(まぁ、バトルなきゃこんなに売れなかっただろうけど・・・)

結局のところ、ワンパンギャグじゃない正統派バトル漫画は、超画力の選ばれし者にしか描けないよなぁ・・・と改めて思うばかりよ

小説でも多分同じだわね。ワンパンギャグではない、読んでて楽しい、映える正統派戦闘描写なんて、気が遠のくわ・・・

 

 

とりあえず、ワンパンスタイルは頭の片隅に置きつつ、バトル/アクション描写がメインではない自分の好きな作品について考えてみる

でも、やっぱ、マス受けしているヒット作の中で好きな作品ひとつもないんだよな・・・。まず、マス受けする恋愛ものが好きではないし、特定フェチ推したいという情熱も無い

バトル/アクションがメインでなく、ウケそうな恋愛描写もメインでなく、フェチ特に無いという時点で、かなり対象者が絞られる

何かないかな?と思うが、何度考えても何もない。昔のハリウッド作品2010年以前)なら、それなりに好きな作品があるけど、うぅ~ん・・・

なお、他人を楽しませようとして、マス向けヒット作を模倣しようとする理由は、対象者を絞った作品で作者の技術が極端に稚拙だと、最終的に読者との文通のような形になってしまうから

ワイがやりたいことは、稚拙・未熟ながらも、読者に何かを感じさせる"物語を書くこと"で、文通ではない。ついでに、日記や観察報告を誰に見せることでもない(趣味長編ラノベを書きたいと言っていた増田もたぶん同じだと思われる)

ちなみに、鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外で好きな作品は、モノクロ時代日本映画小津安二郎作品、重苦しかったり淡々としているインディペンデント映画アキ・カウリスマキケン・ローチフィリップ・K・ディック川端康成遠藤周作いがらしみきおsink/かむろば村へ/Iなど)、海外ヤングアダルト作品児童文学名作劇場系(日本アニメーション制作系)のアニメあたりがぼんやりと好きだ。つまり鳥山明ONE、昔のハリウッド作品以外は、対象者が絞られる作品が好き

いわゆる巨匠大御所/名作/お子様も観てOK以外では、トッド・ソロンズ岡部閏、明智抄奥瀬サキなど、やはり対象者が絞られる作家作品が好き

ワイがこれらの作家作品をそのままなぞったら誰かとの文通になります・・・

 

 

ワンパンスタイル、昔のハリウッドスタイルで、ワイがなぞれそうなのないかなぁ・・・は、まぁ暇な時に考えつつ、

 

なんかヒット作でワイも好きなのないかなぁで思い出した、岡部閏の『グッド・ナイトワールド』、対象者が絞られまくっている作品から、せっかくアニメ化したのになんかすげ〜無風だけど、脚本パトレイバー横手美智子なのよ。『ネトゲSFギミックになってるサバイバー再生物語り』で興味が持てそうな世界中の人に届いて欲しい

グッド・ナイトワールドの絵の作り方も印象に残ったけどね。プラネットAI幻想的で無機質な描写や、ピコちゃんプラネットオフった後の日常パート描写よかったし、キャラのお目目の表現良かった

クソのクソの解説演出も、中学生(の見た目だが実はそうではない)ってぽくて、とてもよかった

 

横道にそれたところでおわる・・・

身長男性恋愛ってどうすればいいんだろうな

身の回りの低身長男性恋人がいる人は、小学生とか中学生なりたてからお互いを知ってる人が多いわ

身長から好き!っていうんじゃなくて、好きになった人がたまたま身長のまま成長が止まってしまったって方向性でいくといいんかね

anond:20240511131328

最近中学生くらいから服を選ばせたり、美容院に行かせたりすべきだって話も出てきたね

anond:20240511120032

ガンダムかそれがダメならトライダーG7の完全変形超合金が欲しかった(さすがに中学生でもうそれはないだろうと踏みとどまった)

anond:20240511065215

呪い」と「必死すぎw」が相手を黙らせる必殺技だと思ってるの?

中学生みたいでかわいいね。

他にはどんな攻撃ができるか見せてよ。

2024-05-10

anond:20240510221816

中学生みたいなイキり方笑った

社会では男の目を見て喋ることもできないんだろうなあ

2024-05-09

友人ってなんだろうなって思った話

自分にはかつて仲のいい友人が2人(AとB)いた。

田舎なので幼稚園から中学卒業まで同じ学び舎だし上も下も顔見知りみたいな地域だった。

中学では部活強制入部だった。文系部活はなく帰宅部は学外でクラブチームに入ってる子だけで、運動部しか選択肢はなかった。

自分は2人を誘い同じ部に入部した。ずぶの素人自分たち3人だけで、他の1年生たちは経験者で先輩たちとは既に小学生ときから仲が良かったらしい。

私たち3人は浮いていたし、当然ながら私たちは下手で、先輩たちとすぐに仲良くなれるわけもなかった。

でも私にはAとBがいるし、別に他の部員だって意地悪をしてくるような人たちではなかったのでこれから頑張っていこうと4月の時点では思っていた覚えがある。

5月になったこからAが部活に来なくなった。理由はわからないがそのうちに学校にも来なくなり不登校となってしまった。最終的には保健室登校みたいな形で来るようにはなっていた。

休み時間にAに会いに行けばいつもと様子は変わらなかったし、おしゃべりするのは楽しかたから「気が向いたら教室にもおいでよ」みたいなことも言ったような気がするが1度も教室に現れることはなかった。

夏ごろにはBも部活には来なくなった。顧問からは「人間関係は難しいからね」みたいなことを言われた。おそらく他の部員や先輩とそりが合わなかったのだろう。

だって他の部員たちとそりは合わなかったがAとBがいるか楽しいし続けていけると考えていたのに2人はそうではなかったようだ。

半年の間に素人は私だけになってしまったが、別におしゃべりする相手がいないだけで、イジメがあったわけでもなくきちんと指導してもらえたし部活をやめる選択肢はなかった。

この時点で自分には友人と思っていたのに、何も言わずにいなくなってしまったAとBに対して不信感があったのだと思う。

一緒に遊ぶ分には今までと変わりがなかったので、そのままの付き合いを続けていた。

そのまま私たちは3年生となった自分たちには高校受験話題でいっぱいだった。

Bに「私は○○高校を受けるけどBはどこを受けるの?」と聞いたがBはただ「あーうん…」と苦笑するだけで教えてくれなかった。

友達なのになにも教えてもらえないんだなと冷めていくのを感じた。

のちにクラスみんなの前で面接の見本として前に立った受験の際に面接のある生徒たちの中にいたBの受け答えではじめてどこを受験するのか知ることになったが、そうなんだ、以外の気持ちは湧かなかった。

相変わらず保健室登校のAには聞いてはいけないような気がして受験の話も卒業後の話もしなかった。いつもゲーム漫画の話をするだけだった。

卒業後の2人のことはほぼ知らない。

成人式にもAとBはいなかった。

他の友人たちも2人が今なにをしているのか知っている人はいなかった。

Aは二十歳ごろに髪をピンクに染め自転車でその辺を走っていたという目撃情報祖父から聞いた。

Bは中学卒業後に1度年賀状が来てそれきりになった。

子供の頃はほぼ毎日遊んでいて、親から特に仲のいい子たちを認識されていたのに、今ではどこにいるのかもわからない2人に対して興味も湧かない自分を薄情だと思う。

でも、もし2人に会えてもきっと何も教えてもらえないだろうなとも思う。

なぜ2人はなにも私に言ってくれなかったのだろうと、時々思い出しては気分が落ち込んでしまうし

すべて話すのが正しいとは思わないが、なんとなく今仲がいい人たちのこともなんとなく信用できないままでいる。

中学生のとき私はどうすればよかったのだろう。もし過去に戻れるならそこからやり直したいと思うぐらい今でも心に引っかかっている。

女ってどんなに大騒ぎするトピックでも結論は「依頼」だよね

そういうとこマジで反吐が出ちゃう

https://anond.hatelabo.jp/20240509195934

 

街中の変質者ならともかく電車痴漢みたいな決まった空間での犯罪がなんでいまだに無くせないのか本当に疑問に思う

被害に遭う女性は言うまでもなく男性だって冤罪もあるし男女の不信と分断を招く社会的な害がめちゃめちゃ大きい犯罪じゃない?

監視カメラ必要なのか満員電車を解消すればいいのかもう個室にでもするべきなのか痴漢晒し首にすべきなのかわからないけど万難を廃して対策してよ

そのためにかかるコストいくら大きかろうとも本来必要ものでしょ?

必要コストを省いたぶん沢山の女性が苦しんでるんだよ

まさか天秤にかけてんのか?バカにしてんのか

鉄道会社お金がないなら税金でもいいし乗車賃2倍でも3倍でもいいよ

何かこいつのこの言い方って

自分がそのコスト負担するって姿勢全然ないんだよね

全部一方的要求というか自分以外の誰かが負担するという前提を感じる

  

一部の差別者男性以外みんな納得して協力してくれるでしょ

なんかすげえふんぞり返った牽制乞食を同時にやってて感心するけど

え?まずお前は?

自分がまずこれをするとかそういうのは無いの?何も?

  

本気でやれよ

誰に命令してるの?

お前誰? 

  

鉄道会社の偉い人が半分女性だったら対策してくれてたのだろうか

これだけ語気粗いのに結論が「してくれてた」 なのマジ女だよね。

これだけ偉そうにイキリ狂ったのに当たり前のように受け身。 

自分でやってやる勝ち取ってやるとかがマジでないのな。

自分がまず身を切る。自分が率先垂範する。みんなもついて来てくれ」とか絶対言わないのな。 

  

男だったらわかると思うけど、 

こいつ男だったらもうボッコボコにされるよね。

すげー語気粗くイキがってるのに結論が依頼で自分からは何一つやらないっていうの、

カスの中のカスとして呆れられて軽蔑されてマジであらゆる意味ボコボコの目に遭う。

 

男でこれだけ強い態度に出る奴なら、当然その責任もわかってる。

一番きつくて一番危険なところ、一番しんどいところをまず引き受ける。

その背中を見せて初めて発言権説得力生まれる。

他の男たちは「あ、これだけやれるやつなら」と意気に感じる。手を貸すようになる。

勇気献身承認と敬意を産む。

男に尊敬されるのはそういう男。

  

逆に自分から動けないのに人におねだりばっかしてる男はゴミであって

みんな薄笑いしながら相手しなくなる。あこいつは話にならない。カスだな。ゴミ。女かよ。

ゴミの分際で攻撃的な雰囲気なんてちょっとでも出したら誰かがしばく

他の奴等もあれはしばかないとしょうがないと思うからほっとく。

身の程がわからない奴はしばくしかない。

おねだりしか出来ない奴は控えめな態度で弁えろ。  

  

  

昔の女って多分そういうことは理解してて身の程を弁えてたんだよね。

偉そうな口や攻撃的な口は利かなかった。

言った分の責任を背負えないから。

「そこまで言うならやれんだな」って言われたら困っちゃうから

  

今はそういうこと何も教えなくなったか

男のように振る舞えない癖に態度だけ最も粗暴な男みたいになるバカの極みみたいな女が現れるようになった。

それで強い女とか言ってる。

実態男子中学生のイキリみたいな感じ。

 

イキリ中学生は男なら誰かにシバいてもらって学ぶんだけど

女は誰にもシバいてもらえないのかもね。

一生おねだりイキリ中学生やるのかな。

絶対女に産まれたくない。

色の付いた夢を見るとヤバいらしい

中学生のころ、友達がそんな話をしてた

「知ってる?色のついた夢を見るとヤバいんだよ。

オレ、昨日見た夢に紫色ジャイアント馬場が出て来てさ。

しかも目が赤いの。

紫色の体で目の赤いジャイアント馬場リングで戦ってるの。

めちゃくちゃ怖かった。

色のついた夢だったから、オレやばい死ぬかも」

と怖がっていた。

色のついた夢の怖さよりも、紫色で目の赤いジャイアント馬場というモンスターを頭の中でうまく想像できないことが面白くて笑い転げたのを覚えている。

あれから相当な時間が経つけど、彼は今も元気いっぱいだ。

その節は彼以外からいたことがない。

池袋パパ活殺人も、パパ活を促した男性二人は無罪知的障害のある女性有罪なんだよな

美人局企てた男子中学生たちは無罪になったのと似てる

そそのかせば無罪になれるんやな

anond:20240509125704

スト2全盛期が中学生以降のおじさんの可能性があるやろ

anond:20240509104611

リアイベ、いわゆる現場にいけば本当によく分かる部分なんだけどなぁ

オタク服装やら清潔感ではなく清潔さに無頓着な、そのへんに対する意識が完全に欠如してる奴らが最下層の珍獣ではなく下位30%は存在する感じでほんのり汗の臭いどころじゃ済まない感、女オタクの最低限は人目を意識してる感じは無いことは無いけど中学生レベルのチグハグ

anond:20240509054811

ひとつ理解できなかったのが、女の子が嫌な思いをした場合その責任男の子連れの親に押し付けるかのような意見です。私がもし小3女の子の親で、その子が嫌な思いをすれば「ごめんね、お母さんがちゃんと調べなかったから。あのお風呂は10歳まで男の子も使えるんだね。違うところを探すか、家族風呂にしようね」と言うでしょう。

実際私が時々利用するのは、未就学児不可・男女別のところです。探せばあるでしょうし、無ければ行きません。特に女の子のお子さんはトラウマになる程でしたら、親が守ってあげないとお子さんが可哀想です。

気持ちが悪い」っていうのはいかがなものかと。

条例で認められていて、その男の子に非がないのに。

私の許容範囲は、夫とこどものみなので、実親、実姉妹でもNGです。

妹とは中学生くらいまで一緒に入ってたんですけどね。。。

から他人(女の人)はよくて男児(小学生)は無理ッて気持ちはわかりません。

2024-05-08

anond:20240508130140

いや「エスカレーターから見える下着売り場」に変質者がどうこう意識するのが頭おかしいじゃん

そんなんでやーいえっちえっちとかやってるのせいぜい中学生まででしょ?

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