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2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208173956

程度の差こそあれ

北欧はそういう傾向だよー

レポートたくさん読んでからそういう指摘してほしい!

http://anond.hatelabo.jp/20151208174706

福祉関係でいっぱいレポート出てるから

読んでみるといいよ

金持ち外国に行って終末医療受ける感じ

ある程度ひどい病気とかは、経過治療だけ受けて寿命って考え

日本でもそれやれば、かなり経済的にも人口ピラミッド的にも楽になるんでないかねー

2015-11-28

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

2015-11-22

レポートページにスターを付けるボタンがあるのって・・・

どれだけ自演推奨なんだ、はてな

「シコる」とかよみがな付けておけよ

2015-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20151121165948

男女平等は実現されているか」は何について平等なのかを指定していないわけで、テーマとしては粗すぎる。

ので、何が平等なのかについて補った上で、もう少し分解して考えてみることを勧める。

男女の「雇用機会」の平等なのか、

それとも男女の「所得」や「生涯賃金」の平等なのか。

はたまた男女の「参政権社会的発言権」の平等・不平等というのもあり、それぞれで論点や現状の課題が異なってくる。

ちなみに「法の下の男女平等」という場合は、最後参政権基本的人権についてのテーマを指すことが多い。

ただし基本的人権というものからんできた場合もう少しテーマは細分化されて、各論で考えなくちゃならない。まあそれをやればやるほど発表なりレポートなりの分量は増すだろう。

だが、全部いっしょくたにすると、漠然とした、ステレオタイプに基づいた答えしか出てこないのだけは確かだ。

追記

戦前日本社会での、男女平等(この場合女性職業選択や家庭への帰属を決める自由担保)の促進要因というか抑制要因というのかが、新聞の身の上相談の読者の声にどのようにあらわれているのかについては、このサイトが参考になるかも → http://www.satani.org/sur/sur090.html

間接キス趣味の、あの30代助教です

http://anond.hatelabo.jp/20150902190336

だいぶ大きな反響があったのでビビまくりましたが、彼女は気づいていないようですね。

あいかわらず間接キスしています

論文なんて書けません。

そんな僕にこんなニュースが。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1511/20/news131.html 一体何が入ってるんです!? 「間接キスの味」のお菓子ガールフレンド(仮)×カンロコラボで発表

へー。

私でよければレポートしますよ?

の子お茶よりもおいしいとは思えないですけれどもね。

2015-11-13

1996年援助交際調査

996年では、都内高校生の12%が援助校愛の経験があったとの調査結果が発表されたらしいので調べてみた

ツイッター上をうろうろしていたらこんな書き込みを見つけた。

国連調査官が発表した援助交際統計は古いだけかもしれない。1996年では、都内高校生の12%が援助校愛の経験があったとの調査結果が発表された。日本政府の抗議は「統計が古すぎる」ということか?(Guardian 1996)

https://twitter.com/jakeadelstein/status/665007114234933249

話題のアレですね、という事で軽く調べてみた。

記事のものは見つかりませんでした

"schoolgirls pander to Lolita fantasy"というタイトルらしく色々と探してみました。

見つかりませんでした。

まぁ1996年12月記事ですしね。予想通りと言えば予想通り。

ただそれと思わしきもの引用して書かれた著作やブログは見つかった為、記事のものは確かにあったぽい。

女子高生文化援助交際宮台真司

で、そのブログがこちら。

The History of the Gyaru - Part Two

http://neojaponisme.com/2012/05/08/the-history-of-the-gyaru-part-two/

neojaponismeという日本の文化のあれこれについて考察している所みたいでして、件のSchoolgirls pander to the Lolita Fantasy.を引用して書かれたのがこのThe History of the Gyaru - Part Twoらしいです。

で、文明の申し子ググルさん翻訳使用してみたところ援助交際12%という数字は出てきませんでした。残念。

はいえ気になる事も書かれていて。

……宮台真司

から追ってみました宮台真司

で、見つけたのがこちら。

Teenage Japanese fashion victims

http://www.smh.com.au/daily/archive/961214/features/141296-features4.html

The Sydney Morning Heraldというオーストラリア日刊紙1996年12月14日記事。古くてそのままじゃあ見れないのでインターネットアーカイブに突っ込んでみました。

その中で気になったのが、

1996年調査と言うところで上のNYタイムズと一致しましたしこれは根元は一緒だなとピンッときましたね。

1996年東京都生活文化局が行った青少年調査

で、見つけたのがこちら。

『モノグラフ高校生』vol.52

http://a111.g.akamai.net/f/111/143111/15m/benesse1.download.akamai.com/143111/j/monographpdf/3/3-vol-52.pdf

要は高校生援助交際に対する意識調査レポートでそこに1996年調査数字判断材料して書かれていました。

曰く、

……コレ根元だ!

結論

色々調べた結果がこちら。

おまけ

どこいったの8%

2015-11-12

簿記の人気エントリ

(追記 : 別のエントリ簿記言葉意味解説しました。→ http://anond.hatelabo.jp/20151113140308 )

これは簿記エッセンスをまとめたとか書いてあるが、簿記でもないし、会計学でもないし、なんだかわけのわからない謎の話になっている。どのあたりが謎なのか説明していくと・・・

明治時代福沢諭吉(1万円札のひと)が『帳簿記入術』として紹介した、一連の経営管理技術が、『簿記』と略された、という説が有力です。

という冒頭から怪しい。"帳簿記入術"でググってみると、このブログしかヒットしないんだよね。福沢諭吉が紹介したのは、「帳合之法」であって、『帳簿記入術』という言葉はどこからでてきたの?たぶんこの人の造語だと思うんだが確証はない。

経営管理技術が、『簿記』と略された、」というのもなんだかよくわからなくて、自分理解では、簿記は単に帳簿記入が略されて簿記になったか、あるいは英語Book Keepingが略されてぼきになったという話をきいたことがあるくらい。「経営管理技術」をどう略したら簿記になるのか?「ぼ」も「き」も含まれて無いのに。

簿記は『財務諸表』を正しく作るための一連の技術」というのは、ずれている。財務諸表作成するために仕訳を切るけれど、会社経済的価値の増加や減少を勘定項目ごとに分けて帳簿に記入するというのが簿記という言葉意味なので。財務諸表作成するのが簿記の最終目的のような書き方はおかしいですね。

デジタル大辞泉簿記説明を読んでほしい。財務諸表という言葉一言もない。

https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89

財務諸表のようなもの」は主要簿(仕訳帳と総勘定元帳ね一応)から誘導的に導出することができるけれど、簿記財務諸表独立別個の存在なので、簿記財務諸表従属物のような書き方をするのは間違い。

画像の「会計学説明の、『正確な財務諸表を作るための簿記技術についての理論』」というのも、少し正確さが足りない。この説明だと、会計学簿記理論を支える点を説明しているけれど、それ以前の話もあるので(認識や測定の話の前の包括利益などの話もあるし、企業結合会計などはそもそも簿記外の話だ)、会計学には簿記理論的な話も入るけれど、そうではないものもある。部分集合といったらなんとなくわかってもらえるだろうか?

同じ画像の「財務諸表要件」という言葉は、何を意味しているのか私にはわからなかった。

会計学の基本

で、次の項に進むと・・・

「例えば、例で見てみましょう。」って意味が重複している。

収益認識基準の話に飛んでいくんだけど、簿記の話で大事な話はいくつもあるのに、なんでこんな損益会計の話に飛ぶのか?

「実は会計基本的ルールについては法律には定められていません。

財務諸表の作り方に関する法律は、

会社法

金融商品取引法

各種税法

というのも、誤解を招く書き方になっている。企業会計原則とか、財規とかは(狭義の)法律に含められないけれど、だからといって内閣府令法律ではないと強調して表示する意味があるの?各種税法に財務諸表の作り方が載っているという話は聞いたことがない。税務会計財務会計に影響を与えているという話は知っているけれど(いわゆるトライアングル体制)、財務諸表の「作り方」は税法で定められていない。(税務署に申告・提出する書類財務諸表に含まれない。)

「一般に公正妥当と認められる会計処理基準(GAAP)」は、「一般に公正妥当と認められる会計原則」を指していると思う。会計処理と狭めているのは理解ができていない証拠。こういうテクニカルタームの間違いがこれ以降もあるし、しかもその語の説明も変なのがこれからも続く。

画像税務会計の「収める」は「納める」。この画像トライアングル体制説明でよく見かける概念図なんだけど、トライアングル体制説明中央GAAPを持ってくるのは見たことがない。GAAPってアメリカ由来のイメージなので、別の文脈説明するべきものだろう。

「J-GAAP」でぐぐっても、なんかそれらしいURLは無い。これも造語では?(追記:どうやら"J-GAAP"ではなくて、や"JGAAP"を意味しているらしい。US-GAPPは間にハイフンを入れるが、JGAAPは、"JGAAP"または"J GAAP"と表記するので、間にハイフンを入れるのは間違い。)

めんどうくさくなってきたので、このあたりで終わり。多分全体の1/3くらいの部分までで、どう読んでも変だろうという箇所を指摘した。残りの2/3の部分も、いくつもひどい点があるんだけど、それを指摘していくと時間が大変かかって、かかる割に報われないと思うので終わりにする。匿名ダイアリーの文量制限にも引っかかるだろうし。興味があれば誰かやってください。もちろん会計がわかる人がやらないと墓穴を掘ることになるんですが。

ざらっと見た感じだと、経営学部学生講義課題レポートを書いたとして、ぎりぎり「可」がもらえるかどうかかな?というくらいの内容だと思う。簿記の話というタイトルなのに、中身はそうではないものが混じりすぎているし、テクニカルタームを間違えていて説明も間違えているし、全体の構成もどこに突き進んでいるのかよくわからないもの・・・

初めて簿記会計を学ぶ人は、もうちょっとちゃんとしたものを読んだほうが良いよ。最初から間違えて覚える必要はないわけだから

2015-11-06

学生時代は自宅にLinuxしかなかったので

実験結果を解析するプログラムをCで書き、解析結果をgnuplotグラフ化し、グラフを貼り付けたレポートTeX作成するのを、全てemacsだけで行うという、今思うと労力だけは修行僧並みの苦行をこなしていた。

結局、このスタイル修士論文書き逃げするまで続くことになる(論文の図表は当然のごとくtgif)。

「役に立つけど、死ぬほど使いにくい」とはどういうことかを身を以て経験した感じである


しかし、この修行もどきが原点になったおかげか、今流行Web系の諸々の技術は、さほど難しいと思わなかったり。

また、就職後に経験したオブジェクト指向システムプログラミングも難しいっちゃ難しかったが、なんとか投げ出さずに仕事をこなせたのは上述の経験が肥やしになったからかも。

一方で、同じ頃に知ったRDBの、その恐ろしく合理的で分かりやす思想に感動したり、ここ数年コーディングで小技的に使うMapとReduceをコンピュータ科学の素晴らしい成果だと本気で思えたりしたのも、出発点のハードルがやたら高かった故な気がしている。


しかし、それを踏まえても、あいつらの使いにくさはどうにかならなかったのか。

「役に立つのがそれしかないから泣く泣く使う」なんて、経験しないで済むならそのほうがいいに決まっている。自分が怪我の功名的な肥やしにできたのも結果論しかないし。

てか今時の学生は、こういう作業に何を使っているんだろう。

できれば、自分が当時使っていたツールが全て駆逐されていることを願うばかりである

スターをもらったときに右上の「あなたへのお知らせ」に出てくるのが、

自分ブコメ場合と、

ブクマした記事タイトル場合と、

あるような気がするんだけど、どういう違いなんだろう。

はてなスターレポートページも

自分ブコメが表示されている場合と、

・「idブックマーク」とだけ表示されている場合と、

あるみたい。

なんなん?

2015-11-02

ガス型IBS過敏性腸症候群)について

 自分IBSという病気について再発したので色々と調べてみた。

 過去には学生時代、もう思い出したくないことがたくさんあった。

その後就職によって生活習慣が180℃変わったので改善していた。

またもや再発したということなので現状と原因をみてみた。

 まずは現状はガス溜まりが酷い。食事後にゲップ、オナラがよくでる。特に麺類場合は多い。

それに続いて下痢症状が発生した。下痢お腹が冷えている場合に起こる。

そしてその結果による情緒不安定。半分うつ病になった。

これが約半年経過している。

 

 起こった経緯としては約2ヶ月間、粗末な食事によって胃が荒れてしまうことが続いて、とある日を境に発症した。

 これまで対策したことは断食運動胃カメラヨーグルト

断食は他にも同じ症状の人の結果を見たが、あまり効果はないようだ。自分でも2日行ったが改善はしなかった。

運動は大変効果有り。腸内に効果不明だが、ストレスが大幅減ることにより精神的に楽になった。

胃カメラピロリ菌の疑いも合わせて検査をお願いしたが、特に何もなくピロリ菌も陰性だった。

ヨーグルトは種類によって効果が変わった。一番効果有りと感じたのはLG21だった。

 これから対策としては抗生剤投与を行うつもりだ。合わせて運動し、ヨーグルトを食べる。

抗生剤についてはガス型IBS改善した人のレポート発見した。それによるとRifaximin、カナマイシンである場合病原菌に対し非感受性とされていた。

それに対してクリンマイシン寒天に調整し、空腹時に服用したところ治療成功したようだ。

 運動についても書かれていて、それによると病原菌は嫌気性であり運動によって血の巡りがよくなり腸の酸素濃度が上昇し菌の活性が弱まり除去されると書かれていた。

この記述は私が以前に回復した状況によく似ている。精神安定のためにも運動必要だ。

 ヨーグルトIBSによる腸内環境悪化し、下痢になるのを防ぐためにも毎日食す。

 今のガス型IBSを巡る医療の現状は精神療法となっていると感じる。私の持論だがIBS悪化する原因は腸内環境悪化細菌増殖→腸内環境悪化下痢、腹痛、ガス→精神不安定→腸内環境悪化、、、と思っている。

この流れを食い止めるには何者かの細菌死滅させるしかない。ヨーグルトあくま悪循環を抑えるだけだ。運動はい回復するか不明確すぎる。

このガス型IBSによって多くの人々が人生を数年~十数年と苦しめられてる。これが精神的という曖昧ものではなく、明確な治療法によって改善するということを自らを持って証明したい。

また抗生剤を投与後に経過報告を記そうと思う。

2015-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20151030105659

???

米軍日本軍についてのレポートの話だから、少なくとも賊軍かいワードが出てくることはないと思うが。

つか、先の大戦日本人が学んだことは「日本軍部支配より、アメリカさんのほうがマシ」ってことじゃなかったのか?

2015-10-27

現実って・・・

なんで人生ってリセットできやんの?

ゲームみたいにさ、レポートせんとブチ切りしたらまたやり直せるようにしてほしい

どんなに嫌でも時間ってどんどん過ぎていくし、どんなに嫌でも明日がやってくるし、逃げたくても逃げられへんし。

どうしても嫌になって現実逃避したら、逃げたことに対する罪悪感とか、世界から置いてけぼりにされたような孤独感とか、一日中全くの進捗がなかったことに対する焦りとか、現実に耐えきれない自分の弱さとか痛感して逆に精神病んでくる。

ほんまにどうしても今が嫌で、どうしてもリセットしたくなったら、環境変えるっていう手段もあるけど、どうしても変えられない環境もあって、鎖で繋がれてるような息苦しさから逃れることができない。

いっそこの世から消えてしまいたい。

でも、それも簡単にできない自分が嫌い。

スイッチ一つで抜け出せるツールとかあったらいいのに。

2015-10-26

今の積みっぷりを整理する

サークル1 そこそこ慣れているから何とかなる。個人作業。各々分担を自分一人でで全部やるやつ。アポは取れているのであとは実行してレポート。実行がちょっと怖くてビビってるんだけど死にはしないと言い聞かせるので大丈夫

サークル2 現在頭を悩ませているうちの一つ。チーム作業。組織メンバーの顔名前ポジション把握していないのにまとめなきゃいけない。その上しっかり自分担当分もある。上と下からサンドイッチとはこういうことだ。何か伝えるときLINEを前に10分考え込んでしまう。

バイヨ 優越感で補ってる。他の平均的学生と比べれば緩いバイト。 イノベイティブな場なので時間はあまり守られないし急な呼びかけもある。なんかできる人になった気がするし楽しいから許そう。たまに私とは人種が違うことを全力で思い知らされるけど。そういう意味でたまに精神的に来る。今はそれどころじゃないし大丈夫

予備校 週2。時間吸い取り機。一番インセンティブがないからここから崩れると思われ。冬の予備校精神に悪い。

演習1 そこそこ。講義概要詐欺グループワークなんて言葉一言も書かれていなかったぞ!だからとったのに!皆考えることは同じなのか集まりは集まらない。終わり。

演習2 がちがち。課題があろうが時間あるならあるといわないと逆に時間無駄になるとわかった。こっちはわかってて自分で申し込んで取ったししょうがない。がんがれ。

まだ見ぬチーム 馬鹿からキャパ考えずに入った。近々コンペするらしいけど話がまだ回ってきません。というか来たらいよいよ死亡フラグたちそう。

授業 地雷大杉内 今までの授業が軒並み当たりだったのだろうか……こんなにつまらない話する人いるんだ(ブーメラン)って講師が2人くらい。まだ1欠席の私を誰かほめてくれ。

課題 なんか多い。あきらかに単位数と合っていない。せめて授業概要にその旨をかけ????履修中止させろ????????

2015-10-22

googleアドセンスで1円ってありうるの?

昨日より1円増えましたってレポートで出てるけどこれバグ

amazonロンダリング

正直すげぇムカついている。

パソコン関係の部備品管理任せてた人間横領が発覚した。

方法は単純。

買ったものを返品して、戻ってきたポイント私物を購入してたってわけ。

yahooやrakutenのポイントくらいなら目をつぶってたけど、さすがにこれはネーわ。

たまたまHDDがいかれて、数台購入したばかりの領収書が目についたから余ってたらよこせって聞きに行ったら変に言いよどんだから追求したら発覚した。

アカウント履歴たらこ一年でHddとかメモリとかで月2~3万くらいずつの返品があった。

そんなに額も大きくないし月末の領収書チェックじゃ全然気づかなかった。

それにしたってamazonの返品規定どんだけガバガバだよ。

社内共有アカウント使わせなかった自分が悪いってのはあるけども、購入レポート指定アドレスに定期的に配信させたりとかできないものかね。

年末間際だってのにやらかしやがって。マジで胸糞悪い。

2015-10-20

やったーレポート終わった!

心が晴れ晴れしている!

2015-10-18

コメント>2015-10-17 コンビニおにぎり危険

http://d.hatena.ne.jp/yahara/20151017

元の記事トンデモであることは言うまでもないけど、米の価格素人がぐぐって出すのはちょっと厳しいと思う。

ブログで、「生産者から業者へ売られて」いるとする価格と「中小の米卸が(略)く搗精代込みで1kg180〜190円という超低価格外食へ投売り」を直接比較しているが、卸業者への価格と卸業者から価格では当然後者の方が高いので直接比べてはいけない(しかし、コンビニの仕入れは卸売業者から買うだろう。中抜きできていれば話は別だが、その場合流通コストコンビニが自前で抱えていることになる)。コメ固有の話じゃなければ、一般的には例えば2割とか卸売業者が持って行くものではないか。

大阪コメ先限年間平均価格」をwikipediaから出しているが、そもそも「先限」の価格意味する所が理解説明できているのか。直接比較していいのか。wikipediaの同じページの「東京」の方は2014年平成26年)の年平均が9,340.70、大納会日で8,030で、だいぶ安く、1kg180〜190円との一致度はかわるがどうか。そもそも直接比べてどうするのかという話だが。参考にhttp://www.zenbeihan.com/data/ の米に関するマンスリーレポートを見てもらえば、推移がもっとはっきりわる(先物で7000円台の時期も見つかる)。こちらのマンスリーレポートには先物でない、毎月の銘柄別の価格が出ている。26年のいくつかの月の分レポートのこちらの欄を見ると、全体感としてはもっとずっと高い(でも、8000円台もまれにある)。さて問題だ、実際の取引価格はどれが近いだろうか。 

そもそも一般に、長期大量取引契約価格って市場価格乖離していてもおかしくないのは一般論で、大抵は市場より安めになるものと思われるが、米だとどうか。

…ちなみに、米業界に近い知り合いは7000円代というのはいまどきの相場観としておかしくないと言っていた。が、もちろん、生産者の売値とコンビニ業者が仕入れる価格は違うはずだというのは前述の通り。米のように銘柄等で値段が相当違うもので、コンビニはどれを使っているのか。少量高級品とかはそうそう使わないと思うが(コンビニ店頭とかで銘柄宣伝しているような場合を除けば…)。

さんざん煙に巻いて結局値段についての正確な情報はここまで書いてない。コンビニいくらで買っているかは正確な情報を入手することはたぶん困難だろう(一方で業界人ならそれなりの推定値は出せるだろう)。ところで、ここで別の観点どんでん返しをする。というか、なんでそこに気づかないのか不思議レベルなのだが、

コンビニおにぎりに使用されるコメは1個当たり80グラムほどですから」を基準に元記事達は重量単価をさんざん計算している。

コンビニで売られているおにぎりの重量は、ぐぐると100g~110gぐらいの数値が出てくる。具や包装を除くと80gというのも「直感的に」おかしくない。が、「流通米」の重さと「炊いた米」の重さがだいたい同じぐらいだと思うのか。炊いたら水を吸って重くなる。どのくらい重くなるかというと、ぐぐると2倍以上程度という数値が色々出てくるが…。つまり、この観点にだけ着眼すると、米を炊くのにもコストはかかるに決まってはいものの、人件費等を除いた(除いていいのかという話しはあるが原価原価と除いたような話を元記事がしているからそれに従う)原材料費という観点では安くなるだろう。元記事が全て間違えているようだが、その点については値段がもっと下がる話なのだ

さて、本当の「コンビニおにぎりの米部分の材料原価の相場はいくらか」。あなたはわかるだろうか。もちろん、わかったところで元記事トンデモがかわるわけではない。

2015-10-14

落語家SUGEEEEEってなった話

ちょっと前の話だからかいところはちょっと曖昧

食レポで行きつけのラーメン屋を紹介するっていう話で、かなりの大御所落語家さんがゲストだった時のこと。

細身で筋肉質な人なのでラーメンなんて食べるものだろうか?と、かなり懐疑的にみていたというのはあった。

よく女性芸能人なんぞが体型維持だかなんだか知らないが出されたもの手に持ったまま食べる気配を見せなかったり、一口かじるだけでそのままの食べ物いつまでも画面に映り続けてたりして、あまり品がよろしくないと常々思っていたからだ。

ましてやラーメンなんてものカロリー塩分の塊のようなもの制限されている人も少なくない。

どうせお茶を濁す程度に食べて終わるのだろうと思って眺めていた。

そうして湯気立ち上るラーメンが運ばれてきて、まずは見た目や具材のレポート

昔ながらなラーメンシンプルさをさすがのボキャブラリで過不足なく褒めていた。

目を奪われたのはその直後、実食のシーンだ。

どうせ数本を申し訳程度にすすって終わりだろうと見ていると、おもむろに箸いっぱいの麺をもちあげたではないか。

予想を裏切られたことに驚きつつも顛末を見つめていると、その直後の行動の鮮やかさに本当に驚かされてしまった。

麺を軽く上下させたかと思うと不意に上の方だけひとかじり。

残りの麺をさっとどんぶりに戻した。

それで何事もなかったかのように「うん。やっぱりこの味だね。」というようなコメント一言

その流れが余りにも鮮やかで一瞬何が起こったのか把握できなかった。

何がすごいのかといえば、何より絵的にまったく破綻がないことだ。

麺をたっぷり持ちあげるからまずはすごく美味しそうに映る。

上下させて不意にかじりつくので、意識的に見てなければ麺を戻したことにまず気がつかない。

そこにさすが落語家といわんばかりの啜り音だ。

ひとかじりしかしていないことなんて、おそらくその場にいた人すら全く気づいていないだろう。

実際隣で見てた嫁に「今の見た?」と聞いてみても、まったく何のことかわからないようなキョトン顔。

おいしく食べたに違いないと信じて疑ってすらいなかったのだ。

さらに実際にはわずしか麺が口に入っていないのだから、箸を置くと同時にはじまるコメントにも淀みがない。

バカみたいに口いっぱいに頬張る姿を全国に晒す必要もないのだ。

行きつけの店なのだから別にしっかりと味わう姿を見せる必要もなくて、一言「この味だね。」が慣れ親しんていることに対する十分すぎる説得力

そこから店主との昔話みたいな流れで食レポ自体は終わりなのだけど、当然ラーメンが出てきてそれを美味しそうに食べてみせるという絵がなければ馴染みってことの説得力は生まれないし、それこそ健康にでも気を使ってるのかなんて思われたら興ざめもいいところなわけだ。

思い返してみれば何をとってしても完璧だった。

笑点でいつもバカみたいなやり取りばかりしてることさえ、見ている我々が手玉に取られているだけに思えてしまうようなほどだ。

流石でございました。6代目三遊亭円楽師匠

http://anond.hatelabo.jp/20151014014807

文章が書ける人に見える、だなんて生まれて初めて言ってもらえたよ…

ネット掲示板でも、大学レポートでも、学術論文でも「日本語でおk」「言葉おかしい」「意味がわからないので説明して欲しい」と散々だっただけに感慨深い。書けないコンプレックスは、書くほどに高まっていってしまい、公式の場に提出する書類などはもう一日中頭を抱えていて、周りの同僚もなぜコイツはクビにならないのだろう?と思っているに違いない。

はいえ条件が揃えば(体調、情熱アイディア)書けることもあることが今回の記事証明されてしまったので、自分言語障害とうまく付き合っていくことにするよ。

純粋文字の読み書きがが好きな人害悪から発言しないでくれ

人と人の間をつなぐ手段として言葉存在し、それが洗練されたのが文字だ。文章だ。

から文章存在意義は、情報感情を伝えることにある。

しか文章というのは読み手にも(おそらく多くの書き手にも)大きな時間と労力をかけさせるものなので、なるべくならば、文章は書かれるべきではない。短く言いたいことだけを最小限に伝えてくれればいいはずだ。箇条書きだって体言止めだって図解だってよいはずだ。ロジカルピラミッド重要ならピラミッド形に図解すればいいのだ。

ところが、世の中にはわずかながら、文章を書いたり読んだりすること自体が好きでたまらない人種がいる。こういう人種は、同じ情報を伝えるのであれば、いろんな表現を冗長に何度も重ねたり、関係ない話に脱線したり、場合によっては面白くもなんともないけど文章が闇雲に書かれてあることを好ましいと思ったりする。言うなればグラビアを眺めるかのように文章を読んで楽しんでいるようなのだ

彼らにとっては文字列文章こそがグラビアなので挿絵はもちろんのこと、図解どころか箇条書きですら忌み嫌う。文字だけで構成されたペーパーバッグとかが最高で、それば延々と果てしなく続くことが美徳であるレポートが分厚ければ好成績であり、本が分厚いほど権威があり、ページ数があるほど値段が高くても喜んで買うのだ。

そんなふうに文章を読み書きすることが好きな人たちが、勝手シンジケートをつくって内輪で遊んでいてくれればいいのだが、困ったことに、文章力がある人は、世の中の情報勝手にまとめ上げたり、上から目線解説したり、さらにはおまえら文章を読み書きできない愚民は俺の考えに従えというような主張をして、それが政治的合意されるように働きかけたりする。

もはや文章自体がが好きな人害悪だ。

情報を伝えるのは、文章を読み書きすることに苦痛が伴うことを知っている人だけにしてほしい。社会の大多数は、文章を読み書きすることが大変なのである文章を書くことが人間の最低条件として要求することをやめてほしい。重要なのは情報を伝えることのはである

2015-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20151011144102

すごいねぇ。

俺は30歳超え魔法使いだけど、性欲で女性を見てしま生活に支障をきたすことなんてあり得ないわ。

からさまに扇情的な格好でもされてない限りそんな風に見るなんてないわ。

増田は身近な人をオナペットにしすぎて、女を見ただけで妄想が働くようになったんじゃないか。

そうであるならば、オナニー方法、オナペット対象を替える方がより効果的に思うけどね。

欲望を一時的にでも満たせば収まるとか考えているようだけど、どうだろう。そんな仮初めの行為で何とかなるもんなのか。

欲望は少し叶えると余計に欲しくなる。一回では飽きたらず何度も呼んで深みにはまっていくパターンだと思うけどね。

そのうち風俗店に通うことになるんじゃないかな。

はいえ、実際はどうだったのかとか、とても気になるので、

デリヘル経験後のレポートをお待ちしています

NHK - NEWS WEBにて、TSUTAYA図書館について

全体的に薄かった印象

利点

利用者が三倍に増えた

・間口を広げることで、これまで図書館に来なかった人にも来てもらえるようになるのでは

欠点

・購入された約1万点の本が不適切との声、またそのうち

千点ほどが貸し出しされていない

・削除した蔵書が不適切である

以下それを踏まえての意見(すでに議論されているのも多いと思いますが、これを気に改めて)

・まず「利用者利便性を考えなければならない」という意見があるが、日本図書館中小レポートからこの方半世紀にわたってその問題を追求してきたはずである

・そもそもTポイントカード自体が、利用者購入履歴を把握するためのシステムである。これを貸し出し業務に使用している時点で「図書館の自由に関する宣言.第三条」を無視している。

TSUTAYA独自作成したという分類法は適切か

 →現時点でその分類をタイトルだけで行っているという声がある

  →NDCでは内容に踏み込み分類している。が、NDCでは「日本小説」は全て913.6という様に、意味的なジャンルには分かれていない。

・明るすぎる。紫外線フィルムを貼るにしてもあんな明るくては本がすぐ日焼けしてしまうがその点はどうなのか

私企業の任せるのがそもそもの間違いでは?

 →丸善紀伊国屋など、業務委託を受けている大手書店は他にも多数ある。

・利用時間が年中無休の9−21時とあるが、それでは蔵書点検などのバックヤードサービスをいつ行うのか

博多駅にこの図書館広告があり、201万1572円という金額の広告費がかかっていたとのこと。(http://ameblo.jp/sumiyoshimura/entry-11911255293.html商業施設でない一図書館として、この金額は適切か。

個人的意見としては、あれが全国の図書館ロールモデルになるとはクソ食らえという他なく、あの施設TSUTAYAが自社発のブックカフェとしてやればいいのであって図書館としてやるべきものではない。

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