はてなキーワード: リア充とは
学生時代でも努力は必要だったけど、自分の出来るところまで、で妥協できてた。
社会人になってからはそれができない。大事なのは自分が出来たところでも自分がいかに頑張ったかでもなくて、期待する結果が出たかどうか。出ていなければいくら頑張ってもダメで、たとえ残業してでも徹夜してでも休出してでも、結果が出るまでやらなきゃいけない。
「無理そうだから諦めます」は通用しない。怒られた。なんでだ。仕方ないので「どうせ無理なのに」と内心思いながらしぶしぶやってたら、ミスしまくって洒落にならない損害出そうになって面談大会が開催された。だからなんでだ。無理だと言っただろ。
なんていうか会社って、個人の力量を度外視した精神論的結果主義者の集まりって感じがする。潜在能力に優れた人なら耐えられるんだろうし、実際耐えてる人もいるけど、俺は無理。これでも学生時代はクラス一位の成績取ったこともあったし、運動部に勝てることもあるくらい運動神経もあるし、腹筋割れてるくらい筋トレもしてるし、他にも色んな趣味に取り組んできた。遊んでばっかのリア充やオタクとは違って、努力してきたんだ。自分の潜在能力もわかるんだ。
俺は決して怠けたいわけじゃない。出来ないことを出来ないと言ってるだけ。なのに返ってくるのは「やれ」だの「まだできるだろ」だの「ふざけるな」だの、そういったことばかり。
学生時代は、自分が出来ないレベルからは逃げればよかった。東大に行けないなら行かなくて良かった。対して仕事は、社会人は、いうなれば「東大に行け」と強制されてるようなもの。
給料はもらってるけどさ、それでも出来ないものは出来ないんだよ。現実はアニメやゲームじゃない。努力はある程度までしか報われない。学生時代色々やってきたならその程度の真理くらいわかると思うんだけどなあ。
「こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!」と思うと心が急に軽くなる。
なぜだろう。
「死ぬ」ことを選択肢として自分の手中に収めると、急に自由になった気がする。人生の幅が広がり、大空に飛び立てそうだ。
だれに向かって叫んでいるのだろう。
自分か、世間か、「死なないで」といってきそうな家族や友人か。
「自分が死ぬ」という武器を手にした自分は、身体の底から理解不能の勇気が湧き大胆になれる。
あえて生きているんだと。生きてやっているんだと。
得も知れぬ不安に襲われる時、不安の原因を辿ると往々にして○○な自分という自己像に囚われているに気付く。
結婚している自分、友人に囲まれてリア充生活を送る自分、親に喜ばれるような自分、
イケメンな自分、高給取りの自分、意義深い、他人に誇れるような人生を送っている自分。
そんな理想の自己像達の触手に絡めとられ、首をじわじわと絞められ息苦しくなった時、
私は顔を真っ赤にして脅すような口調で叫ぶ。
すると楽になる。そうか、無理して生きなくたって良いんだ。死んだっていいんだ。
自殺はダメ、安楽死もダメ、生きなければならないと思っていると苦しい。より良き生を送らねば!
実際問題、死ぬことは何か怖いし、完遂するまでに様々な手順を踏まなければならない。
結局惰性で続けられる「生きる」を選ぶ。
冷静になって考えてみれば、生きていて幸せを感じる事だってある。ラーメンは美味しいし、漫画で涙を流しもする。
とか言いつつ、私はどうせまた不安に襲われ苦しくなる。
そのとき私はまた叫ぶのだ。
みんな、Tehuを馬鹿にするのをやめてあげてくれ。
俺はTehuを見ていると昔のイタイ自分を思い出して辛くなる。
今でこそ美人で若い奥さんを捕まえて子供も生まれて幸せな家庭を築いているものの、昔の俺は本当にTehu並みにとんでもなくクズなやつだった。
自分では顔はそこそこだと思っていたけど、今になって思うとTehuほどではないにしてもかなりのブサイク。
経済的に余裕がある高齢の両親から生まれた一人っ子の俺は両親に大変かわいがられた。もしかしたらTehuも同じような境遇なのでは?
家庭環境によるブーストで子供の頃は無双していたのに、青年になるにつれどんどん剥がれていくメッキ。
いじめられていたからこそ、他人を馬鹿にして下に見なければは維持できない壊れそうな心。
どうやって人と関係を築いて良いかわからないからやらかすトンチンカンなイタイこと。
俺は俺なりに必死でもがいていた。
でも、長い間Tehuみたいなイタイ人間を抜け出せなくて、インターネットにイタイ自分をさらしてしまったことが何度もある。
心の底では自分は天才でもなんでもなく、既に成功への道を踏み外した敗北者だとはわかっていた。
でも、そんなの受け入れられるわけがない。
これもTehuと同じだろう。
本当に女にもてなかった。
女にもてないのは本当に辛い。
これが一番辛い。
クズみたいなDQNが結構可愛い子を連れていたりして何度も死にたくなった。
あんなDQNでも女に必要とされて受け入れられているのに、なぜ自分を受け入れてくれる女はいないのだ!?
Tehuみたいに見栄を張って童貞なのにセックスの経験があるふりをしたり、周りには彼女がいるとか嘘をついたりもした。きっと周りからは笑われていたんだろうな。
俺はなんとかして変わらなければならなかった。
自分が持っているアドバンテージをすべて生かして、とにかく命をかけてでも変わらなければならなかった。
そうでなければ一生、俺は人から馬鹿にされ、心から愛してくれる女は現れず、満ち足りたセックスもできず、俺の子供を産みたいと思う女は現れない!
必死で考えてもがきにもがいてたどり着いたのは「整形」と「相場」と「刺青」だった。
俺の呪縛は両親だった。
金があり優秀な両親。これを絶対に超えなければならなかった。
自分が持っている環境、アドバンテージ、これらを生かして両親を超えて世間から一目置かれる方法。
これは金を稼ぐ以外ない!
それも圧倒的な金だ!
金だ!金!
金さえあれば偽物の人脈なんかいらない。
本物の人脈が向こうからやってくる。
女も向こうからやってくる!
金を持っていない人間の言うことなど、風に揺られる葉っぱのたてる音にも及ばない。
Tehu! もしこれを見ていたらぜひ参考にしてくれ。
俺たちのような能力がない臆病者が相場で逆転するには、凶暴なリア充どもが失敗していく金を掠めとるしかない!
それは「オプションの売りだ」。
相場は金があればあるほど有利になる。というか、タネ銭が多くなければ勝てない。死ぬ。
だから俺は大学を辞め、両親に土下座してありったけの金を用意してもらった。
家を抵当に入れて借金もしてもらい、とにかく家族が持てる金のパワー全てを投入した。
それが実家が金持ちで一人っ子の自分を溺愛している両親を持つ俺たちの唯一のアドバンテージだ。
人が恐れて手を出せないことに手を出せる人間だけが金持ちになれる。
相場で一瞬で一千万円損したり、一億円儲かったり、そんな毎日を続けていくうち、俺の心は鍛えられた。
信念を維持するために刺青を入れた。
刺青が体にあることを思い出すと、俺は信念を維持できた。
そして、新しい自分になる新しい門出としての「整形」だ。
俺は生まれ変わった。
負けている時でも、気が乗らない時でも、とにかくソープに通い女を抱き、そして相場で戦った。
そしてこれを公言した。
最初は周りは敵だらけだった。しかし、今は敵がかけがえのない本当の味方になった。
女に慣れ、金を手に入れ、俺は本当の自信を手に入れ、本当の自分になった。
雑音を無視して、恐怖に打ち勝て!
人生50年と言われた時代ならもう折り返し、何もすること無く連休が終わるので振り返る。古い記憶は思い出すのが難しく、新しい記憶ほど濃く出てしまうのは仕方ない。
進研ゼミをやってたこともあり勉強はそれなりに、いやそもそも小学校の範囲なんて普通に聞いてればどうにかなるだろうと。
運動は苦手というか嫌いで部活はインドア系、今で言う程の虐めは無かったがからかわれたりされるキャラ。同じ目立たな系グループや、全方位社交的タイプの人や、辛うじてまだ友人と呼べる人がいた。
この頃、パソコン(PC-9821)を買って貰った。もちろん建前は一家共用のもの、だけど実際に使うのはほぼ自分だった(PC-98というところかしてお察しください)。
当時のパソコン通信もやるようになり、「馬鹿(なことを言う奴)は叩かれる」という現代に通ずる教訓を得ることができた。
そして勉強。生来のズボラさ、真面目系クズの因子があるとこの辺で勉強に付いていけなくなる。当然、落ち零れ始めると進研ゼミはテキストも開かない、課題提出もしないまま高3まで継続することになる。
この頃、一人だけ自分に対して話しかけてくれる女の子がいた。「○○って好きな人とかいるの?どんな人?だれだれ?」と妙に絡んできたり、将来はパソコン使う仕事がしてみたいとか話したら、教室の班内で日記的なものを順に書き教師に提出するノートで(明らかにそんな興味はなさそうなのに)「パソコンの仕事がしてみたい」と書いたり、それなんてエロゲ的な知識からするとフラグと思えなくも無いが目に見えないフラグなんて何の意味も無いし気付くわけが無い。しかし今でも夢に見ることがある。お陰で、上述したエピソードどころかその存在すらも夢の中で自分が妄想したものではないかとすら疑い始めている。
この辺りから、顔を知っているという程度の知人はいても友人というほど親しい存在がいなくなっていた。放課後に誰かと遊びに行くこともなく、パソコンにかまけていたんだと思う。
中学時代の女の子は帰り道が一緒になったときに声を掛けてくれたりたまに話してくれたりもしたが、いつしかそれも無くなり、逆に自分が無意識に目で追っていることに後で気付いた。
大学受験は散々だった。理系なのに数学の内容が全く理解できない時点で終わってる。結局、3月過ぎの最終日程で、得意な現国一教科受験が可能なFラン大学の新設情報系学部へ滑り込みを果たした。
(高い)金さえ出せばアホでも行けるという周囲の評判通り、他学部ではチャラそうな男女が目に付いたが、一日自由に誰の目を気にすることも無く快適なパソコンとネットが使えるというのは大変に魅力的で暇さえあれば通い、家では新作エロゲをひたすらプレーしていた。
ゼミのメンバは(イベント毎があれば何かしたがるリア充的な彼ら特有のノリで)大変に気さくで飲みに行くこともあったが、それ以外の場ではやはり話す人も無く、遊びに行く友人も無く、淡々と3年で必修単位を取ることに徹した。卒業1年後、ゼミの同窓会的な催しの連絡があり行ったが、その後は音信不通となった。
氷河期と呼ばれる時代は辛い。私はこの時点まで使う必要がないことから携帯電話を持っていなかったが、さすがに差し障りが大きいということで親名義のものを譲って貰った。
就活は自己分析に始まり自己否定に終わる。誰もが思ってもいない建前を並べ、何処でも良いから内定を寄越せという本音を隠そうとするがそれでも否定され、自分が社会に不必要な存在であると言うことを実感させられる。
「性格分析の結果だと、凄く明るくて社交的なのに全然違うね?」と宣うぐらいなら、性格検査なんていうアホな試験をさせるべきでは無い。何処の世界に就活で、自分は暗くて内向的なコミュ障ですとアピールする奴がいるというのだ。
「凄く優秀そうなのに、どうしてまだ未内定なのか不思議です」、その理由はすぐ横にいる人事に聞けばいい(これを言われた面接で落とされた)。
しかし50、60、と面接の回数を重ねると利点が一つだけ有る。心身が疲弊しきって、面接程度ではもはや緊張を覚えなくなるのだ。相手も本気で新卒に何かを求めているわけじゃない、地雷かどうかを見極めているだけだ。グループ面接で聞き飽きた他人のエピソード第一位は「サークル or バイトのリーダーとしてイベント or 仕事を成功させた」だが、横で聞いてる自分ですらまたかよと思うのに採用担当者ともなればもうやめてくれと思うんじゃ無かろうか。
そんな無我の境地が奏功したのか、一社だけ内定を得ることができた。自分のやりたかったこと(開発)とは微妙に異なるがIT系ではあるので運が良かった。
アキバをオタクの聖地だなんて今でも言うのか知らんが、半導体からアニメまで界隈に集い、ここに慣れてしまうと他が物足りなくショボく見えてしまうのは仕方ないことだと思う。毎週通うために回数券で切符を買っていた。
仕事の方は、残業70~90H/月程度だったがこの頃は羽振りがまだ良く残業時間にうるさくは無かった。むしろ残業代の形で還元されることもあり、周囲含めて生活残業が多かったのだと思う。
しかしそんな給与は1円も貯金すること無く、エロゲやアニメDVD、同人誌、マンガ、CDへと消えていった。
社会人何年目かで、アキバで出会ってしまったのがいわゆるドールだった。フィギュア的な造形でありながら、フィギュア以上の表現力を持ったそれにすっかり魅せられてしまった。
ドールは大量生産に向かないためか通常に買う場合でも一体6~10万、過去の人気ドールともなるとヤフオクで20万、30万、もしくはそれ以上という異常な価格となる。しかし買えない価格では無い。そう、社会人にとっては多少無理をすれば大抵のものは買えてしまう。
ある時、どうしても欲しいドールがあり、初めてキャッシュカードに付属したキャッシング枠を使った。そしてクレジットカードと同じように後日それを返すだけ。
人間の感覚というのは本当に恐ろしいもので、一度味をしめると慣れが生じる。経験が油断を生み、警戒心を歪ませる。
間が悪いことにこの頃、親会社への出向が解除となり入社以来縁がなかった自社に戻ることになった。子会社にとって残業時間管理は死活問題、定時を過ぎて用が無ければ帰れとしつこく言われ、何年かぶりに明るい時間の帰宅をした時は戸惑うしか無かった。
残業時間が減れば残業代が減る。残業代が減れば収入が減る。収入が減れば欲しいものが買えなくなる。ここで話は戻り、足りないなら借りるしかないということになる。
最初のキャッシュカードの使用枠はいつの間にかなくなり、別の消費者金融のカードを作っていた。最初は50万だけだったのが、100万、200万となり、気付けば借金は3社で計400万近くなっていた。
消費者金融における総量規制により年収の1/3以上を借りられなくなるという話を聞いたとき、ようやく現状を省みることができた(総量規制に便乗した、いわゆるおまとめローンの案内が来た)。
多分、一種の買い物依存症だったのだろうと思う。買うという行為自体に満足感を覚え、DVDやマンガなどは買ったときのレジ袋のまま部屋に放置していたというのがその証拠だろう。酒や煙草は全く嗜まないこともあり、溜め込んだストレスを知らず知らずのうちに買い物という方法でしか解消できなくなってしまっていた。
この400万近い借金の返済には6年を要した。途中、1円単位で小金を集めて用意することもあったが一度の遅延もなく(信用情報上、大きな借金がある時点で不利なのにさらに遅延があると極めて不利になるので絶対に避けたかった。また、大きな借金があっても遅延無く支払っているのであれば継続的に安定した収入があると見做される)、むしろ終盤には収入が増えて余裕ができたこともあり予定より三ヶ月ほど早く完済が叶った。
あれほど金が無い、金が無いと言っていたのに今では200万程の残高がある。しかし三十路を過ぎた男が200万しか貯金が無いというのは余りに情けない。
しかも20代の頃はただ闇雲に浪費を重ね、何かを極めたわけでも、引き換えに何か誇れるものを得たわけでも無い。そして30代の前半は今月分を返済したら幾ら残るかを考えるだけで過ぎてしまった。
社会人になってから自名義で契約した携帯電話としてiPhoneを持っているが、その番号を知る知人、友人、家族はいない。掛ける相手もいないので履歴は全てセールスの着信で、発信履歴はない。
一度、中学校の同窓会案内が転送されてきたことがある。当時はそれどころではなかったのと、中学時代の同級生に特に思い入れも無かったこともあり返信すらしていなかったが、引越の時にその案内書がでてきた。よくよく見ると同窓会の告知するwebサイトの案内があり、ふとした興味で何となく覗いてみた。いわゆるBBS、当日の写真といったものがあり、聞き覚えのある名前を発見することができた。
写真は年相応になった懐かしい(…とはあまり思えなかったが)面々、年老いた教師、といったものだったが、BBSの方は久闊を叙するメッセージの狭間に「当日は子供の世話が…」「嫁の都合で…」といった文言が有り衝撃を受けた。恐らく当時は26、27ぐらいの年齢だと思うが、見覚えのある名前がそういう状況になるというのはなるほど奇妙なものだ。赤の他人の話であることに違いはないのに、すぐ横で出し抜かれたような気がしてしまうのだ。
今となってはもう友人も恋人も結婚も望むべくもないし全てが遅すぎた。もし来世があり、草や木に生まれなかったのなら次はもう少し人間らしい人生を送ってみたかったと戯れに考えてしまう。
研修医になる前は、医者になれば看護師からモテモテと信じていて。どうっすっかなー^^みたいな感じだった。
が、今はかなりアンニュイな気分。
①悪羅悪羅系看護師
その中の一人で、病棟がおんなじ看護師なんだけど、「先生、これおかしいでしょ」みたいなことを、攻める感じで言ってくる。
どうやら同僚の看護師相手には、「ふにゅー」とか言ってるみたいだから、明らかに俺に対しては態度変えてるんだろうね。
存在を知覚するとストレスなので、こちらも地面を見て話することにしている。
そのため、俺のような不細工相手だと、強気なんだよなあ。イケメン相手には、普通に女性看護師と同じくある程度敬意持って話してるっぽいし。
『オス』として俺は負けてるんだろうけどさ。それと仕事とは関係なくね?
こういう言い方は適切じゃないかもしれないけど、疲れる。
イチイチ、ガッツポーズみたいなのとったりするけど、それ意味あるのか?
でも、2年目の人たちとうまくやってるみたいで、この人たちに逆らうことはできない。
「そうなんですかー」と会話をそつなく切り上げるゲームしてる気分。
お互い、職業が違うから分担してるだけで、別に上下とか無いし、人間的なつながりもいらねーし。
別に俺は付き合いたいとかないし、絡みたくない。
だけど、こういう人って自分がそういう立場って理解してるのか、やたら美人設定で来る。
そのキャラが面倒くさい。
いらないから、当直中にお菓子持ってくるとか。そういうの、リア充ノリだけでまわしてくれないかなあ。
面倒くさい。女ノリ捨ててくれよ。キャッキャするの、見てるだけでも疲れるのに、それが業務にも響いてくるのうざすぎ。
「はぁ、そうなんですかー」みたいな言葉出してるけど、心底つまらない。恋愛とかも興味ないし、イケメンがどうこうとか知らないよ。そういうのはプライベートで勝手にやってくれよ。
とにかく、関わりたくないんだよね。
リア充のファッションって、ある程度同期してるんじゃないかなと思う。
ある日、同じようなテーラードジャケットをイケメンたちが着ている。
ある日、同じような靴をリア充たちが着ている。
ある日、同じようなバッグをキョロ充がつけてる。
つまり、彼らは何らかの集団の中で、情報を共有してるんだろう。
で、供給元になってる、ファッション充みたいなやつがきっといるんだろう。
大学でも、そういえば痛い感じのファオタいて、あんなに金かけて後に何も残らないことして意味不明だったけど。
あれはあれで、情報を提供することでそれなりに利益あったのかなって感じた。
甘い。そして甘えてる。数々のコメントを読んで反省したみたいだが、言いたいことは言わせてもらう。
まず学歴ばかり追い求めたヤツが言いがちなのが、俺は努力してきた。それなのにリア充ときたら。あいつらは努力してないのになんで俺よりあいつらを採るんだ。採用担当が見る目がない。企業がクソだ。もうこんな雰囲気にした日本がダメだ。俺こそが評価されるべきなんだ。まぁここまで言ったら極論だと思うけど。でもこの考えは、面接が上手くいかなければ誰しもが一度はどれかのステップまで考えるだろう。他者に責任を求めてしまう悪い癖だ。
この増田は本当に死ぬほどの思いして、勉強して偏差値高い大学に入って、とても努力してきたんだろう。
ただ、君にとっては残念だけど、実力がある人間だけが社会で値打ちがあるわけじゃない。いろんな人が書いていたけれどもコミュ力、コミュニケーション力が必要になるんだ。中には学歴よりも学んだ内容、人柄などを重視するって企業もある。人柄ってのは勉強っていう目に見える努力ではなく、その人が育ってきた環境や性格に反映されるものだから。
というか、疑問なんだけど、"学歴だけ"で選ぶ企業なんてあるのか?もちろん最初の一次選考や書類選考で学歴フィルターにかける企業もあれば、最終選考で枠が1人なのにどうしても2人残ってしまった場合、最後は学歴判断……って企業もあるだろう。あるいは学歴なんて気にしていない。何を学んできたのかだけわかればいい。という企業もあるだろう。
どちらにおいても、"会社に合う人を採用したい!" という基準で選んでいることに違いはないでしょ。だからそこに対して文句を言うのは筋違い。企業は自社の企業理念に従って行動しているだけだから。文句があるならそんな企業を受けなければいい。もっというなら起業すればいいとも言われてしまうよ。
こういうことを書くと「んなことわかってる」って言うんだ。わかってるなら行動しろよ。行動できないから口先だけのヤツになるんだよ。
確かにそうだ。就活ではできる限り自分を大きく見せる。嘘ばかりつく。でもそれは社会において必要なスキルなんだ。取引先や上司の前でも気持ちを押し殺して嘘を言えなければ社会ではやっていけない。逆に言うと、この程度の嘘もつけない人は、ハッキリ言って"いらない"ってこと。
就活期間が短い、という点。
これには深く同意する。確かにこの短い期間で自分の会社を選ぶなんて無茶苦茶な話だ。
でもその環境に対して文句を言ってどうなるというんだ。その中でももう既に内定を決めている人はいくらでもいる。君は10社落ちたかもしれないが、それよりも多く落ちている人だっているかもしれない。でも諦めずに何が悪いか分析して次の試験に臨んでいくんだ。そうしていかなければいちいちこうして立ち止まることになる。期間が短いって言うのにわざわざ立ち止まって就活が嫌だ、理不尽だと嘆く。その文句を言っている間にも時間は過ぎていくんだ。
君は使う側じゃない。使われる側だということを認識しよう。自分を中心に就活を考えるな。企業を中心に考えろ。
社会とは理不尽なものだ。納得できないことなんていくらでも待っている。今回の結果はその第一歩だと考えるんだ。
いいか、十社落ちたって君は嘆いているが、企業なんてまだまだいくらでもある。経産省によるとこの日本には四百万の企業があるんだ。大企業でさえ一万二千もある。二ケタの企業に落ちてすごく落ち込んでしまったのはわかるし、感情的になってこのブログを書き上げたのも理解できる。でもね、まずは日本に文句を言う前に、自分のどこが至らなかったのか、しっかり分析することから始めよう。意外と分からないもんだよ、自分のこと。
そして、君はここまでのコメントを読んで立ち直ってくれた。まだチャンスはある。今までの企業が自分に合わなかっただけだ。死ぬなんて言うな。きっと君に合った企業に出会えるから。
三年目の社会人(♂)。
周りはまあまあ結婚しはじめてる。
半分くらい?
まあまあな大企業。
それ見るたびに「なんでこいつらそんな結婚したいんだろう?」と思ってしまう
本当に愛することが出来る人間を見つけろとは言わないけれど、
嫁に不満を抱いたまま、自分が血を吐く思いして稼ぐ給料を使われて、毎月こづかい渡されて、
子供が生まれたら、それこそもう自分の自由になる金なんてない。
それでいいの?
その先に何があるの?
孤独死を避ける?
世間体なの?
誰かのために働きたいの?
なんで結婚すんの?
大した能力もないのに待遇のいい企業で働くにはコミュ力が必要なわけですよ。
でも総活躍社会って有名企業で働く事とイコールじゃないから、バイトやら自営業、中小企業、ベンチャーなど、活躍手段はいろいろあるわけで。
それと、君は努力の方向をはき違えていると思うんだ。
勉強は何を学習すればいいか明らかだけど、社会ではどの要素を改善すべきか、どう伸ばすべきかはフィードバックがない。
いつまでも待ってれば期日が来て、誰かが採点して対応策を考えてくれるなんて思っているのでは?
学校教育はそれが当然になっちゃってるけど、大学生活ではそれが特殊な事だって気づくでしょ?
まあ気づいていない人もいるかもしれないけど、そんな人間はもちろん内定も取れないと思うよ。
ちゃんとした努力ができている人は内定なり成功なりを掴んでいるでしょ?
君にたりないのは「正しい努力」だと思うよ。
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねえのかよ。
どうすんだよ俺活躍出来ねえじゃねえか。
ただでさえ、たった3ヶ月で自分の働く企業を選べなんて無理があるのに、情報解禁とほぼ同時に選考始められたらどうすりゃいいんだよ。説明会と選考の日程が被りまくって、会社を見て回る時間なんて全く無えわ。10社も落ちるってことは、その業界が自分に合ってないのかもしれないけど、今年の短期決戦だとやり直しも効かねえ。
こんなことやってる国が経済発展なんて無理でしょ。日本なんてさっさと沈め死ね。
就活に関する不満を言うと、どこからともなく起業家やフリーライターが沸いてきて、「正社員以外にも生き方なんていくらでもある」みたいな有難い有難いご高説を唱え始めますよね。生き方がいくらでもあることぐらい分かってるわ。他人と違う生き方をするのに必要な才能がないことを自覚してるから、正社員と言う名の奴隷を自ら志願してんじゃねえか。就活生にアドバイスするフリして、自分の成功ひけらかしてんじゃねえよ死ね。
「就職できないのは努力が足りないから。自業自得。」みたいなことを言う奴もいますよね。言わせてもらうけど、人並み以上に努力してきたわ。お前らが良い大学に行けば人生上手くいくって言うから、死ぬほど勉強して良い大学に入ったよ。ところがいざ就活始めてみると、企業が欲しがるのは、遊び続けてきたリア充じゃねえか。今までの努力は何だったんだよ死ね。ついでにリア充も死ね。
このゴミみたいな新卒一括採用とかいう制度、今すぐやめろ。一生働くことになるかもしれない企業を、たった数ヶ月で選ばせるなんて狂ってるだろ。新卒という一回きりのチャンスに失敗すれば、その後の人生完全にパーなるのもおかしいだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20160413023627 を見て触発されたので書く。
タイトルのようなことについて、実態というか現実というか、そういうのを当たり障りない範囲で書こうと思う。全ての企業や学生に当てはまるはずはない(むしろかなり偏見や単純化を混ぜてる)けど、参考になれば幸い。
ちなみにトラバ先は研究を志望したという話だけど、本エントリは研究志望というよりは一エンジニア志望向けかも。
あえて定義はしないけど、Github で公開されてるような OSS を使ってます/いじってますとか、LL 使って Web アプリ作ってますとか、アジャイルやらテストコードやら最近主流の手法使ってますとか、そんな感じで捉えていただければ幸い。あるいはメインフレームで COBOL とか周辺機能を全部車輪の再発明してるC言語製アプリとかそういう古い仕事ではない仕事、と捉えてもいいかも。
トラバ先のトラバの言葉を借りると「日本的な旧来型のIT大企業」という感じ。
ITという言葉には色々な意味がある。大手IT企業だとこれが特に広い。もちろん「モダンな開発」も含まれているけれど、そんなの全体のごく一部でしかない。(主観だけど数 % とかじゃないだろうか)
話は少しそれるが、大手IT企業は元々メインフレームなど「化石」で発展してきた経緯がある。何十年以上も昔、コンピュータといえば化石しかなくて(それでも当時は最先端)、それを個人やそこいらの企業では相手にできないような大組織に対して導入してきた。プログラミングの手法やノウハウが十分存在しない時代だったけど、それでもやるしかなくて、幸いにも昔は今ほど不景気ではなかったし人材も豊富だったから人海戦術で何とかなった。
そうやってつくられた化石コードと化石システムは今なお動いているし、時代に合わせてそれなりに機能追加もある。大手IT企業は化石から離れることができない。現代が化石で食べていけるほど甘くない時代だとしても。
そもそも化石に詳しい化石人が現役引退や昇進などによりいなくなったということもあって、実は現状維持ですら大変である。たとえばレガシーで汚い膨大なソースコードを知る者は誰もいない。もちろんネットで調べても答えなど出ないし、IT界隈のコミュニティに頼ったところで知る者はやはりいない。どんなに時間がかかっても読んで、理解するしかない。どんなに時間がかかっても。
以上のような現実があるので、化石のお仕事に新人を割り当てることも普通にあるし、むしろそうなる確率が圧倒的に高い。
大手IT企業にとって新人とは「専門的な技能や経験は無いが、地力(頭の良さ、伸びしろ、根気など)はあるため近い将来使える戦力になる卵」である。
対人コミュニケーションには自信ありますという遊んでばっかのリア充も、OSS に Contribute してました大学はほとんどパソコンと向き合ってましたという趣味グラマも、同じ「新人」でしかない。
「新人」は技能も経験もないので、いきなり一人前の仕事を任されることはない。電話応対、飲み会の企画運営など雑用全般を任されつつ、簡単な仕事がアサインされる。
この簡単な仕事というのが曲者で、手順書にしたがって環境を整えるとかテストをするとか、そういう仕事だ。手順書を読める程度のIT知識があれば誰でもできる。でもボリュームは多いし、手順書は不完全で不正確だからわからないところが多々あって、忙しい先輩や上司に何度も相談しにいくことになる。言うなれば「属人性の高い単調な手作業仕事」とでも言えようか。
ITを知らない素人新人ならこれが仕事だと抵抗なく受け入れられるが、ITを知る新人だったら、これはとてつもない苦痛だろう。配属先が「モダンな開発」を行う部署であれば苦痛具合も軽減されるし、なんなら「君結構詳しいんだね。じゃあ早速本格的な仕事任せてみようかな」なんてこともありえる。化石部署だとそんなことはない。だって、仕事で扱ってるシステムは化石だからモダンなIT知識なんて役に立たないもの。
この「新人」に、早くて数ヶ月、遅くて数年耐えると、次第に仕事を任せてもらえるようになる。設計やコーディングといった、エンジニアらしい仕事だ。といっても、配属先が化石部署であれば、当然扱うのも化石なわけで、いつまでたっても化石で苦しみ続けることになる。
一方で化石部署から異動し、「モダンな開発」を行う部署で働く者も存在する。これには色んなパターンがあるが、おおよそ以下のような状況が重なって異動するパターンが多い気がする。
大手IT企業では エンジニア→中間管理職(部長以下)→偉い人(部長より上) というキャリアパスがつくられている。特徴は
こんな感じ。
いつまでもエンジニアとして働いて、でも給料はそれなりにもらって、ということはありえない。成果を出せば昇進するし、昇進すればエンジニアから離れていく。成果を出さなければエンジニアとしていれるけど、いつまでたっても給料は増えない。大手だけあって新人時点での給料はそこそこ良いけれど、30代以上になってくるとそれでも苦しい(物欲無き健康的一人暮らしなら問題無いが、家族を養うつもりなら相当苦しい)し、そもそも無能な管理職に振り回されることに対して苛立つだろう。つまりエンジニアとして何十年も働き続けにくい。
「昇進するつもりだから問題無し」と考えている人も要注意である。というのも、大手IT企業は管理職で溢れかえっているからだ。新人が昇進するのは非常に難しい。昔は割と誰でもなれていたし、実際「こんな奴がなんで管理職になれてんだ?」っておっさんもたくさんいるけれど、今は違う。一握りの社畜(必死に仕事に食らいついてきた&先輩や上司からのウケも良い)だけが昇進できる。たとえエンジニアとして優秀な仕事をし、正当な意見を主張してきたとしても、空気を読んでウケの良い社畜にならなければ昇進はできないのである。
大手IT企業の研究所は非常に狭き門である。トラバ先でも言及されているが、博士課程を終えたようなガチさに加え、当然のことながら学歴も必要になってくる。実際、研究所の人間は英語を当たり前に読み書きできたり、分厚い技術書を躊躇なく読み込んだりするような変態であり、裏を返せばそれほどの実力と熱意がなければやっていけない世界というわけで。とにかく多少ITに覚えのある凡人が入れる場所ではない。
また、入社後に研究所に異動するケースもほとんど無い。一般部署の凡人をわざわざ引き入れる理由が無いからだ。
ここまで色々書いたが、そもそもなぜ大手IT企業を目指すのか。それは以下のような理由や期待があるからではないか。
確かに上記のメリットはある。あるけれど、ここまで書いたように
といったこともあるわけで。
「モダンな仕事をバリバリしたいならベンチャー行け」という話もあるけれど、ベンチャーで通用するほどの人材ならそもそも大企業を選ぶことに悩みなどしないだろう。大企業を選ぶということは、実力なり待遇なり何かを求めているわけで、そうなってくると大企業以上に適切な選択肢は無い。でも、その大企業にも上記のデメリットがあるわけで。
世の中は甘くないですね。
軽いゲームをやるにあたって、罰ゲームをどうするかという話になった。
どうやら世の中には罰ゲームをイヤだと思わずに、むしろ嬉々としてやりたがる人種がいるらしい。
彼らは笑われることを是としているようだ。
自分が笑われることで場が盛り上がることを好しとしているように見受けられた。
一方、私自身だったら笑われるなんてまっぴらごめんだ。御免蒙りたい。
ただ、罰ゲームを是とするグループと否とするグループとでは、どうやら属性が異なるように感じられた。
ごく狭い観測範囲ではあるがこの罰ゲームを受容できるか否かという態度に、何かしらの分水嶺があるのではないかという仮説を打ち立てたい。
すなわち、いわゆる「リア充/非リア充」を区別できるのではないか、という仮説である。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
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その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
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今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。