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はてなキーワード: プレッシャーとは

2014-08-07

動悸もするからもうダメかもしれない

家に帰りたくないと思うようになっていた。

家に帰って夕飯を作るのが嫌だ。

正直に言えば、旦那の為に料理をすることが嫌になっていた。

一人になりたい。


DV借金がある訳ではないけど、先が見えない夫婦生活疲れた

PDCAも回し尽くしたし、何より旦那生活改善の意欲が無い。

この家の舵取りは私にかかっている。

そんなプレッシャー疲れた

別に働きたくないわけではない。今の仕事は辞めたくない。

ただ、家計家事も外出も外食も、全て私次第。

そんな状況に疲れた

旦那は「やりたいようにやらせてるのに何の文句があるの?」と、

ゲームをしながらこちらを見ずに言った。

本人は理解ある優しい夫のつもりらしい。


だったら。

私一人で生活する方が楽なんじゃないかと思ってしまった。

生活費は二人で半々ずつ出しているけど、

食費だって光熱費だって自分一人なら今の半分もいかない。

昼寝している旦那がテーブルを蹴ってコーヒーをこぼされることもなければ

自分が抱える話題の中うちどれが彼の機嫌を損ねないか考える必要も無い。

具合が悪くなったって一人で寝てればいい。

「俺も〜」とかぶせてくる人はいないんだから

あれだけやめてと言ったFXもまだやっていた。

本人は「社会情勢がわかる」と意識高い感じで言っていたが、

私の目には単なるギャンブラーしか見えなかった。


先日別居を申し出たが、失敗した。

このままこの生活がずっと続くと思うと絶望感がすごい。

最近、お風呂に入るとか会社遅刻しないとか、

そういう普通のことも少しままならなくなってきた。

限界が近い気がする。

2014-08-05

うつ病辛すぎワロタwww うつが辛すぎると話題にwww

うつ病のヤツらどうやって生計立ててるの?

正社員無理

 病気持ちが正社員の職にありつけることまずない。障害者向けの枠があって、ハロワで定期的に説明会やってるけど、求人倍率は0.1切る。無理。

 それによほどの優良企業でないかぎり、残業休出有給未消化が常態化していて、精神病んでる人間にはキツい。

 あと、同じメンバーで働き続けるのもキツい。些細な人間関係トラブル精神状態悪化する。

非正規の所得少ない

 時給安いけど非正規なら職ある。正社員に求められるようなプレッシャーがないからうつ病持ちにはありがたい。

 ただ、生計立てるのは大変。家賃国保国民年金払ったらほんのわずしか残らない。

 それでも東京ならなんとか非正規で食える。田舎は無理。物価たいして変わらないのに、最低賃金スレスレの職ばかり。

 実家パラサイトか、寮住まいしない限り地方非正規は無理。

実家パラサイト

 親が生きてる、親と仲が良い人はパラサイトしてなんとか生活できる。

 でも、それができない人はどうするの?

 私は親と不仲で同居できなくて東京に逃げて来た。家賃3万(!)のシェアハウス暮らしている。

障害年金安い

 2級以上じゃないともらえないし、額も少ない(年額77~96万円)

 2級以上じゃまともに働けないと思うんだが、なんなんだこの制度

生活保護受給できない

 水際作戦酷い。ほんと中世の国だわ。ドスの利いた強面の『自治体職員』にていよく追い払われたわ。

助けて集合知

 はてサ頼む助けてくれ。うつ病持ちでもおまんま食える方法を教えてほしい。

 サバイバルの知恵はオープンソースにしよう……な?

2014-07-29

部下がくれたアドバイス

前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。

部下は新人ときから、びっくりするほどできるやつだった。

同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。

けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときえくぼが印象深い奴だった。

俺は会社でパッとしない上司をやっていた。

経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。

かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。

だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。

責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。

プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。

程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。

そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。

味がしない。缶コーヒージョージアエメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。

いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックス女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料なのだが、初めの頃はうまかったのだ。

入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。

抜けた空のような味。

何かが違う。そう感じた。

iPodを作った天才スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。

私は毎日自分に問いかけてきました。「もし今日人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。

一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。

退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。

そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。

酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。

その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。

聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。

俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」

失礼ですけど。

顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。

上司さんは自分の頭で考え過ぎなんです。」

部下の説教

から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプ人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。

確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます

けれども、そこには隠れたコストリスクがあるんです。

説得するコスト

最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズ必要です。

相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます

お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライド考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。

一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります

競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。

冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合コスト

説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分責任が増しただけ。

限界自覚するリスク

自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります

どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。

なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。

ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります痛恨の一撃です。大ダメージです。

賢者歴史から学び、愚者経験から学ぶ、と言います

ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。

根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。

自分天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」

そんな自信は崩れ去ります

失った自信を取り戻すのには、より多くの時間必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷ものになるでしょう。

一方で、すでに確立された方法に従うなら、挫折はありません。

その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。

考えてもみてください。自分のアタマで考えた場合リスク

挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。

天びんの片方を高く見積もりすぎている

例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?

自分のアタマで考えてる人って、ものすごく少ないです。

たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。

でも、その人たちって、不幸ですか?

かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw

偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、

よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。

から後になって感謝メールで伝えた。

俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。

けれども、それで、何が残っただろうか。

すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。

ひょっとすると、俺は自分人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。

実感を求めて効率犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だからプライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。

(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)

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後書き:

id:uxlayman さんの元エントリ分析エントリです。

俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。

コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。

自分のアタマで考えてはいけない。

追記 (7/30 1:35時点):

頂いたコメントより

部下のアドバイスを受け入れられる人は人間として素晴らしい人だと思います

逆に言うと、部下のアドバイスを受け入れられない上司が世の中に、はびこっている、と。 うーん。。

2014-07-27

語学についてちょっと思うこと

千野栄一外国語上達法』には、ある言語習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語基本的法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。

言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなりますしかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」

次は自分語学学校に通ってみて思ったこと。

教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。

1. モチベーションの維持によい

2. ネイティブ講師と会話をする機会がある

3. 記号接地あるいは寸劇的空間

2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音我流のものになってしま危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しレベルで説いている。

3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。

語学学校スタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。

シュリーマンエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマン朗読を聞いてもらったのだそうである

寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学クラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。

ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います

お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。

補足ないし余談

フレンズDVD英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。

英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。

2014-07-22

バカ親に神童扱いされ続けた友人の話

なんだか神童の話が盛り上がっているから書く。

私(♀)の友人にはごく普通のいい子がいた。

両親が教育熱心なようで幼いころからピアノや塾に通っていて、

かわいいし、なんだかい匂いがするし、同性から見ても憧れだった。

だけど本人はかなり無理をしていたらしい。

一度家に遊びに行った時に、ちょっとヒステリックな感じの母親が、

ジュースを持ってきながら学校のことをあれこれ聞いてきた。

○○○ちゃん(彼女名前だ)は学校でどうしてるかしら~

○○○ちゃんはあれもできる、これもできる~

○○○ちゃんは物覚えが良くて家事も進んで手伝ってくれる~

○○○ちゃんは神童だ~

神童すぎて学校いじめられてないかしら~

徹頭徹尾彼女の自慢をしていた。

私の産んだ子なのだから神童に違いないと思い込んでいるようだった。

ある種、宗教にはまった人と同じ目をしていた。

私は怖くなって、それ以降彼女の家には行っていない。

私と彼女は同じ中学校に入った。

中学から高校受験意識してか、彼女母親神童ハードルを上げてきたらしく、

彼女模試で県内何位に入るように強烈なプレッシャーをかけてきたらしい。

良い子ではあったけど、ごく普通の子でもあった彼女は、

プレッシャーに耐えられずに不眠や拒食や円形脱毛症にかかっていた。

私は見かねて、児童相談所相談に行った。

直接の暴力がないなら虐待には当たらないらしかった。

だけど、あれは間違いなく虐待だったと思う。

彼女の成績は上がることはなかった。

彼女はどんどん追い込まれていき、中学3年の半ばから不登校になった。

私は悲しかった。

1年ぐらいして、風のウワサで彼女家出したと聞いた。

よくやった、あんな家逃げ出して正解だと思った。

彼女遺体で見つかったのはその5年後だ。

どんな凄惨人生をたどったのかは知らない。

2人の幼子と一緒に首をつって死んでいたらしい。

その話を聞いた日、私は一晩中泣いた。

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718134710

いやお父さんお母さんの方がのびのびやってるから。6人wwwww

あと中学時代武勇伝?を俺イケてるっしょって書くのはどうなのかwww

人生ってさ、面白おかしく生きるのもけっこうだけど、上手く適応してちゃんと生きるのも大切だよ。

特に長男長女は進学、就職結婚出産、親の介護、ぜんぶ初回で、親の助けが期待できない+下の見本にならないといけない=失敗できないというプレッシャーとどうやって向き合っていくかが大きな要素になると思う。

2014-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20140717093423

丁寧な返答ありがとうございます

すこし誇張して書いていたので、余計に心配をかけたのかもしれません。

同棲前には、毎日緊張して思い詰めた様子の時期もありました。(ケンカしていて、関係悪化していた事も原因ですが…。)

現状は毎日余裕のない状態ではありませんし、今日は午前中だけ休んで…と言うことも出来ればしています

相手との個人的な関係問題でもあり、人員が足りない、拘束時間が長い労働環境問題でもあるので、特に体調管理について、どういう方法なら相手にして貰えるか悩んでいました。「身体を大事にしてよね」と言っても、ただ謝られるので、心配すると余計にプレッシャーになったのだろうと思います

具体的にこうしようよと言っても、ただの個人的なアドバイスだし、お風呂につかる事も疲労で出来なかったりして。私が無理に世話焼いてる感じです。

もっと、外部からの専門的で有効な無理のない手段が有れば、本人も納得してくれるかと思います

しかし、仕事の内容は病院相手の保守業務をしていて、病院嫌いで困るのです…とにかく、本人にも外部にも相談をしてみようとおもいます

 

ブクマコメントしてくださった皆様も、ありがとうございます

それと、プリントアウトのお方については、存じ上げておりますメンタルヘルス理解のあるお方なので、一定の信頼はしておりますよ。先生

http://anond.hatelabo.jp/20140717013957

私なら、むしろ社会参加含めて男女の権利が公平になることで男性プレッシャーを軽減できると思っているけどね。

そもそも、男性メンタルってそこまで弱いの?

2014-07-11

脅迫

既卒2年目23歳職歴無し。これが僕の経歴だ。いま僕は田舎から東京に出てきて就職活動にきている。お祈りメールは何通もらったか途中から数えなくなった。最終面接から一週間以上連絡のない企業もある。

この街に出てきて思ったことがある。何をするにもお金がかかる。移動するにも、歩き疲れて一息つくにも、寝泊まりするのにも。これが資本主義なんだから仕方が無い。街全体が脅迫してくる。金のないやつに生きていく資格なんてないよって。社会全体がプレッシャーを与えてくる。お前に生きてる価値があるのかって。息をするのにも何をするにもお金がかかる。

から、みんなはやりたくもない仕事をして生きていく。生きるために働いていく。そういうことなだってやっと気づいた。この歳にして。こういうことなんだ、社会って。言葉ではわかってた。だけど、身を持って感じた。そしていかに僕が世間知らずの大馬鹿ものだって気づいた。なんて僕は情けない。

街全体が脅迫してくる。お前は生きていく価値がないよって。何も生産しない稼げないやつは必要ないよって。

2014-07-08

ただ理科が得意だっただけなのに

小学生の頃、ただ理科が得意だった。

理科武器中学受験をし、私立の中学校入学した。

偏差値の高い学校は往々にして男子校であるが、僕の中学校もその例に漏れなかった。

そのままエスカレーター式に高校へ入り、理科が得意だった僕は物理化学問題自由自在に解くことができた。

文理選択では迷うことな理系を選び、工学部機械専攻に進んだ。男女比は9:1とかそういう世界である

四年間力学だとか制御だとかプログラミングだとかを一生懸命勉強し、産業機械を作る会社入社した。

で、なんだこれ。

職場に全く女性がいないし、出会う機会がない。

この間珍しく同期に合コンに誘ってもらったのだけれど、10年近く女性のいない環境暮らしてきた自分に気配りだとか盛り上がる話だとか、できる訳がない。控えめに言っても、文系出身の営業の奴らに敵う訳がない。

どうやらこれぐらいの年齢になると、それぐらいできて当然だし、できない奴は恋愛対象としても見てもらえないらしい。

それどころか、地元の連中はぼちぼち結婚しだしたし、親からその手のプレッシャーを感じることもある。結婚できないと出世もできないという話も聞く。

なんなの。

理科が得意だった。それだけだ。

そのまま順当に進んできただけなのに、なんで詰んだんだ?

特に女を絶つと決心した訳でもなし。二次元に魂を捧げた訳でもなし。(僕としては)普通に生きてきただけなんだけど。

おかしい。

気に入らない上司に対向するには?

上司上司と仲良くなる。上司給料を決めているのはそのさら上司

上司ライバルと仲良くなる。上司の悪いうわさを求めている。

その部門を支える成果出す。上司部門責任を負っている。そのプレッシャーが部下へのいびりに繋がる。部門の成果が上司価値

自分市場価値給与水準を知る。もらっている給料市場給与水準比較し、もらいすぎていれば甘んじる。足りなければ転職

困難に立ち向かっているつもりだった。

何かプレッシャーや攻撃などの圧迫感を感じると、必要以上に積極的になったり言い返したり攻撃的になったりする癖があり、困難に立ち向かう俺はカッコいいと自分に酔っていた。

から田舎体育会系社会でしごかれていたので、いつの間にか困難に対して耐えたり立ち向かわないといけないと思い込む癖ができてしまっていたのかもしれない。

しかし俺が対峙していたのは困難では無く自分不安だった。

不安を感じやすく、何か突っ込まれたりちょっとでもダメ出しをされると急に不安を感じ、必要以上に言い返したり正しさを主張してしまっていた。ある種悪い意味での完璧主義なのかもしれない。

俺は周りの人間にとっては神経質、怒りっぽい、ウザい奴、扱いづらい奴だった。

不安を感じやすいのはしょうがない。性格だ。しかし適切に逃げたり合わせる癖をつけないと人を不快にさせ、皆離れていく。

2014-07-05

確実に絵が上手くなる方法

・完成させる

他人に見せる


私も身内も絵を描く。

私はここ数年で絵を完成させる意味を知った。

そして今でも完成しない絵を描き続けている身内にイライラする。

昔の自分を見てるみたいで。


完成させない=誰にも見せない=自分の好きなところだけ描く=細部には拘らない=上手くならない

上手くないから見せたくないんだよね、誰にも。

pixivでさえ。

評価がつかない=自分が下手、価値ないと思ってしまってUPしない。

これ一番駄目だと思う。


完成させることは何よりも大事

下手だろうが何だろうが、完成させないと見えてこないことがある。

下手だと思った部分は次の絵に生かせばいいだけなので、とにかく意地でも完成させる必要がある。

絵を完成させたことがほとんど1度もなかった中学大学時代と、

絵を完成させるようになったここ数年だとレベルの上がり方が明らかに違う。


そりゃー完成させるのめんどくさいわ

興味のないもの描くのダルい


でも他人に見せる意識があると、完成させようとするからいい。最後まで頑張れる。

下手な絵でも出来るだけマシに見せようと努力するので、一枚描くごとに確実に上手くなる。

もしくは上手くみせかけるテクニックが身につく。


あとは発表する場に申し込んでみる。コミケとかでいいとおもう

締切がある+他人に絵を見せるプレッシャーで無理にでも描く。

ダラダラ好きに描くより確実に上手くなる。


なんで絵を完成させる努力を今までしてこなかったんだろう。

本当にその時間を後悔してる。

正解を探すのをやめた

しかった仕事を辞めて今はバイト暮らし中なんだけど

仕事辞める前は、「この立場として正しい行動は何だろう」「先の事を考えると取るべき行動は何だろう」みたいなことをいつも考えてて

それが凄くプレッシャーだったんだな、というのが今になって分かった

辞めるって決心した時は、もう捨て鉢というか、「間違っててもいい、知ったことか」みたいな気分だった

結果的にはそれが凄く自分を楽にしてくれて、だからもう「正しい」のは何かって事を、あんまり考えないことにした

正解を探そうとすると、あれもこれも間違いだらけに見えてくる

でも、正解にこだわらなければ「今はこれでいいや」くらいの気持ちでいられる

この歳でバイト生活っていうのも、将来のこととか考えたら不正解かもしれないけど、今が自由だからどうでもいい

現在の続きにしか未来はないのだし、辛い現在だったら未来まで続けたいとも思わないから

虐待幸福経験の空白と 2

一週間前、『虐待幸福経験の空白とhttp://anond.hatelabo.jp/20140628152439』を書いた者です。

反応をくださった皆様、ありがとうございました。

母親なんだからちゃんとやれ、というお叱りを頂いて原動力にしようと思ってました。そしたらご意見が全体に暖かすぎて鋭すぎて、感情も理性も幸せになりました。こういう良質な感情知的刺激を、家族フィードバックしていきたいです。日本社会良識ってありがたいです。長文投下本当に申し訳ないですが、ちょうど社会での割合くらいで関係者がいると思われる、フラット感情でお読みいただける匿名の場が心底ありがたいです。

夫は宗教事情を含め知って結婚してくれた、ありがたい人です。私は現在正社員専門職ですが、結婚してから資格を取ったので、それまで非正規雇用で、預金もありませんでした。核家族三十代夫婦子ども二人保育園共働きですが、まだまだ実態はそれに追いついていません。平日はあまり夫婦の会話の時間が取れません。夫は高学歴で、30代に入り質量ともに仕事で求められるものが上がって来ています。そのプレッシャーは大変なものに違いありませんが、たしかに羨ましくもあります自分仕事をして、日々の母親役まではまあなんとか本能でこなせるのですが、夫も私も正直お互い先に自分に気を遣ってほしい状態で、ほんと最近いい妻だったとは思えません。誰にでもある当たり前の大変さなんだろうと考えていて、深く考えていませんでしたが、危機は意外と深刻だったんだなと書いてみて思えました。立場の弱い子どもに、しわ寄せを来させていたんですね。家族がだいたい形成されて新たな状況に直面していて、新たな解決能力必要とされている段階なんだな、恋人だった昔は良かったなんて思ってたのが馬鹿みたいです。今、ほんとこの今日一日ですね。一歳の下の子が産まれてから、毎月のように子どもの前で親が怒鳴り合って、ほんとすまないことをする状況になってました。私自身、3歳のころの親の泣かせ合いを覚えているというのに。

夫に読んでもらいました。夫も思うところがあったみたいで、すごく子どもと私にゆったり接してくれるようになりました。

いま自分たちは、生活ステージの中で大変な時期なんだ、と自覚するだけでも変わるんですね。

組織にいた事についての経験の空白については、数年前、学校精神科先生相談した事もありましたが、この葛藤や深い矛盾から来る苦しさは正常な生理的人間の反応だそうで(おそらく妊娠の時のつわりみたいな?)、

とくに薬とかは出されずに終わりました。眠るのを助ける薬はあっても、後ろ向きな自分を変える薬はないんですね。理想自分になれる薬もない。眠りすぎてしまうのを短くする薬もない。

薬ってのは、日本において成人の義務とされる仕事など、やるべき決まった状況で、眠れないなどの辛さを、出来るだけ楽に乗り切るために使うんでしょうね。風邪をひいたかもなって時のパブ○ンと同じなのかもしれませんね。

トラックバックの中にあまり共感しすぎてくださって、まさに夫にキレた時の自分を見ているようなご意見もありましたが、なんかいろいろ申し訳なくなりました。危ういのはほんとその通りです。危うい状況でした。子どもの前で親が喧嘩しちゃいけないし、建前じゃなくて、子ども幸せを心から願える状況にならないといけない。みんなで幸せにならなくちゃいけない。そうやって、本質本心と行動を合わせていくととても楽になる事が最近分かってきました。それってまあ、もうそもそも幸福なんですけれども。

 

答えのようなブログの記事もありがとうございました。このひたすら細部をえぐっていくような、こちらもえぐられるような、原因を突き詰めて言葉に練り直す作業。それをなさっている間、ご本人はとても大変に違いなく、その労力をこちらに向けていただいて、本当にありがとうございます。どうか、平穏がありますように。

http://anond.hatelabo.jp/20140628152439

トラックバックの中に私と同じ生い立ちの方で、一人で生きていける方がおられるようで、敬意を覚えます。なぜ自分のためにちゃんと仕事して生きられるんだろう。私からすると、とても強い孤高の生き物に見えます。よっぽど人間の根っこがしっかりしているんだろうなって。私もその能力が欲しいです。

私は子どもっぽくって、宗教の中にいるときに奪われたものを全部宗教と親のせいにしていました。でもそうじゃなかったし、とくに出てから責任は全部自分にあるって、あるときガーンとわかりました。

今ももうどうしようもなく落ち込んで、ただただ落ち込んで、身体が動かない日が正直あります。誰かになんとかしてほしい、とか、そんなことすら浮かばずに、ただただすべてが鈍って滞ってしまう日もあります社会の人は今日もちゃんと働いている、波なんてあったら迷惑なだけだ、そもそも人の何倍も頑張っていかないと、老いが来てしまう、大卒資格を取って大学院に行って起業する、もう行く大学は決まっているし起業分野も決めている、ほんとうのほんとうに40歳までになんとかしないと、と分かっていても、暗いタールの中でヅケになっている日がどうしても来ます。こういうのをなんとかするために病院に行って、気分の酷い落ち込みをどうにかする薬がないかを聞いてみるのはいいかもしれませんね。

今、産休ときに得たママ友の子ども、近所の中学生一年生の勉強を見ています。そのママ友専業主婦なので、何かあったらファミサポの他に有償で頼るために、先に交換条件というか、ギブが出来たらと思いました。人を呼べば平日も家も最低限綺麗になりますし。

の子どもは、持っている頭は『年相応、平均よりはいいほう』くらいだと思います。でも運動部に入りながら勉強を一日30分とか1時間とかやった。土日はもっとやった。そうしたら中間で200人中30番くらい取ってくるわけです。

もちろん結果は伴うように教えましたが、やったから伸びる。そしたら、期末も頑張って、私は中間ほどは教えられませんでしたが、かなりいい点を取ってきた。まだ、順位はでていませんが。

へとへとになってあくびしながらでも少なくとも頑張る。完璧に頑張らなければやらない、ではない。でも、きっちりワークとか、求められている事は期日までにこなす。それで、これくらいはいく。

なんというか、そうやって子どもが頑張るのを見ると、深いところで、『ああ、こういうふうにすればいいのか』と私も勉強になります原動力になりますお金で買えない人間から勉強をさせてもらっています。ありがたいですね。ほんと、『お前に何か出来ると思っているのか』『全部無駄だ。お前は母親の期待一つ応えられなかったんだ』『なぜあれを信じられた。日本に生きる恩恵を受けながら』と深いところで暗いところに引き戻そうとする恐ろしい引力がありますが。

記憶は塗り替えていくしかないんですよね。たぶん認知の方のリハビリと一緒で。骨折が直っても痛みとか歩行不安や独歩の怖さを覚えている人は結構いる。それを毎回毎週勇気づけて元気づけて一緒に明るく歩くと、忘れ去っていくと、一人で歩けるのを取り戻せたりする。痛みは記憶だったりするのはもう定説なわけで。

ちょっと整理が出来るまで、また書くかもしれません。また今日のこれからも、皆様の一日も、いい日になりますように。

未来を、取り戻したい。ほんといい言葉ですね。今日を、明日を取り返す、その積み重ね。でもね、理想的に動ける日なんて、一週間に一日くらいしかなくて、だいたい子どもと一緒に寝付いてしまうんですけども。睡眠時間が短くてすむ人たち、10代から努力すごかったんだろうなあ。

2014-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20140704031326

伊達パクリだけで今まで潜り抜けてきたわけじゃない曲者から
面接で見抜けず入社させてしまうとおそらく面倒なことになると思う

プレッシャーがすごいので自宅で仕上げてきます」とか
「そんな言い方されたら描けません」と泣き崩れられたり

2014-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20140702103904

実際には、韓国同意が得られない限り、領海にも入れないでしょ。

同訓練でプレッシャーかけるぐらいじゃないの?

2014-07-01

ふう

飲食店をやってるんだが、うちのブログに、かなり激しいクレームが付いた

指摘されていた部分は、うちでも把握していた部分ではあったんだけど、まだお店を始めたばかりであること、半分趣味レベルでやっていることもあり、そういうことが分かっているお客さんだけに来てもらえればいいかなと思ってた

もちろん、出来る限り改善する努力はしていくつもりだし、来店したお客様全てに満足してもらえるお店にしていきたいと考えて今までやってきた

はいえ、いつも本当にお客さんに満足してもらえているか不安だった。手探り状態で、店を回すだけでも大変な中、毎日凄いプレッシャーだった

何も言わないお客さんや、お世辞で「美味しかったです」と言ってくれるお客さんもいるなかで、本当のことを言ってくれるお客さんは貴重だし、これを機に心新たに頑張っていければいいかなと思う

元々向いていないと分かっていたのに某ファミレスで働き始めてやっぱり2ヶ月でやめた話

29歳ニート

金がなくなっては親にもらってきた10年弱なので(大学ストレート卒業大学卒業からカウントするとして)、もらった金額はどえらいことになる。

職歴なし。その間に培ったスキルもなし。資格もなし。

さすがに30の大台に近づいてやばいと思ったが、今までストレスから逃げ続けてきた人間がいきなり正社員を目指すのも無理ゲーだと思ったので、手始めに近くの某ファミレスバイトすることにした。

そもそも飲食店では絶対に働くものかと思っていた。自炊ほとんどしないし、その理由も洗い物が苦手だから。んで接客業も無理。クレーマーみたいなのに不当に暴言吐かれるとか耐えられない。でも何を思い違ったのか、キッチンならやれるのではないかと思った。客との接触は一切なしだし、なんか時給も高かったし、早朝から働けるのが良いかなと思った。早朝ならヒマなんじゃないかなという淡い期待もあった。あれほど飲食店ではやらないと思っていたのに。接客をしなくても良いとはいえ、そこではスタッフ同士での人間関係があったわけだが、それは何とかなると踏んでいた。ファミレスキッチンってどうなってるんだろ?という興味もあった。

面接

ニートの経歴はさすがにありのままに喋ったらまずいと思い、適当バイトしてたことにした。経歴詐称

そうしたら面接3分採用となった。そりゃ今の飲食業界のこと考えたらまあこんなもんだろうな。

休憩室に行ってみると何人かの社員だったりバイトだったりがいるのだが、ものすごく和気あいあいとしている。元気いっぱいだ。この人たちはなんでこんな生き生きしているのだろうとか思った。いわゆる体育会系というやつ?こちとら30手前の元ニートだ。日銭を稼ぎに来ているだけだから夢も希望もない。30代のオーナー20台の社員が何人かと、近くの大学に通う学生パートのおばちゃん、そんな感じ。

当たり前のことだがランチ時のキッチン地獄。まあこれはフロア地獄だろう。この世のものとは思えなかった。ランチ時だけ時給を3000円くらいにするべきではないかとか思うのだけど、そんなわけにもいかないよな。

入社2,3年(たぶん)の若手社員(とうぜん年下)がいた。女。仮に「なでしこジャパン」と名づける。

初日

メニューは厳格にマニュアルが決まっていて、サラダ作るにもデザート作るにもレシピが決まっていてまずはそれを作業する中で覚えなければならない。それはそうだ。覚える。しかし1,2回で覚えられるわけがない。

んで先ほど教わりながら作ったメニューがもう一度注文が入る。自分でやってみるように言われて作る。レシピ表を見ながらゆっくりと。

でもここでなでしこに怒られる。

「さっき教えたましたよー(覚えてないんですか?)」

マジか。これがいわゆるブラック企業というヤツなのか。いや、それともこれが社会に出ると言うことなのか。今まで逃げ続けてきたから知らなかった。

しかもその後に言われたことが衝撃だった。

(ひとり言のように、あるいは他のバイトに問いかけるように)「2回同じこと教えるってメンドウじゃない?すごくメンドウだと思うな。ワタシだけ?」

マジか。

まさかこんな序盤に、こんな方法精神を削られるとは思わなかった。

「2回同じことを教えるのは面倒くさい」こんな当たり前のことはない。正論すぎる。正論でもって精神を削る。これが社会か、、、!

そりゃ同じミスを繰り返すのはバカですよ。

でもレシピを覚えるっつったってそりゃ限度があるでしょう。1回じゃ無理。慣れてないんだし。先が思いやられた。

日経つと、なでしこはいつの間にか別の店舗に異動になっていた(若手社員はいろんな店舗に回されるらしいね)。

代わりに来た社員(当然年下)は優しい人だったので良かった。

1カ月がたち(このペースで記述していたら終わらないので端折る)、もしかたらこのまま続けられるかもしれないと思った。

でもやっぱり無理だった。

20代学生、30~40代パートのおばちゃんの中で、アラサーニートは不当に蔑まれた。軽んじられた。

いじめというほどのものではないけれど。

「なんでこんなこともできないんですか?」というプレッシャー。常にこれとの戦いだった。

向いてないなりに一生懸命やったのだが。

教育現場では「なんでこんな問題もわからないの?」という言い方はご法度だが、社会というものはそんなに甘くなかった。知らなかった。いや、今となっては知らないふりをしていただけだ。

でも全ては良好な人間関係が築いているかどうかだということも分かってしまった。

例えば、新メニューが始まったとする。

それを初めて客に出すために作る時、ミスをしたくないからレシピ表を見ながらやる。

そうすると「えっ、覚えてないの?」と言われてしまう。もちろん冷たい言い方で。これはもう何も言い返せない。逆ギレはできない。それは紳士のやることではない。

しかし円滑な人間関係を構築している学生バイトだと、「講習受けてないっす」とか「次○○でしたっけ?」とかいう気の抜けた質問をしても許されているようだ。

注意するにしても「勘弁しろよー」と言ったようなサークルの先輩後輩のようなノリ。この差は何なのだろう。

であるならばその良好な人間関係を築きたいものだったが、それが出来なかったようだ。

こちらが好意を示すとそれが返ってくると本で読んだから(逆に相手を嫌うとそれが伝わって嫌われてしまう)、そうするように努めたのだが、いつまで経ってもそういう関係は築けていない。これからも築けないことも分かった。

ということが2ヶ月の段階で分かったから、やめた。

それにしても学生バイトの「自分はだいたいの仕事ができる頼れる男だ」と言わんばかりの全能感はなんだ。

自分がいないと店が回らない、店長よりも仕事ができる、といったような自信は。

将来、就職試験面接で、学生時代経験したことというテーマで「飲食店アルバイト現場を回していました」とでも言うのだろうか。

まあそんなことはいい。

2か月で逃げ出してしまった。

この先どんな仕事も出来る気がしない。

タヒにたい。。。

2014-06-30

カウンセラーが大嫌いな話

中学生の時、学校部活動にあまり行きたくなく、嫌だなあと思いながらも小心者なので通っていた。

全校朝礼か何かで、学校内の空き教室を使って、曜日限定カウンセラー先生が来ると知らせていた。

カウンセラーがどういうものなのかわかってなかったし、なんか弱い人が行くところという印象があって初めは抵抗があったけれど、勇気を出して行ったみたらくだらない愚痴を聞いてくれてわりと楽しかったので定期的に行くことにした。時々友達を連れて行ったりもした。絵が好きだから絵を描いた。

その時の私は母の存在プレッシャーになっていて、本人は気軽な発言だっただろう言葉に打ちのめされて、本当に辛かった。だからその話をカウンセラー先生にして、というかほとんど伝えることはできずに時間いっぱいまで号泣することの方が多かったが、たどたどしく話す言葉を聞いてもらった。

ある日、いつものように予約を入れてカウンセラーを受けた。その日は今までで一番辛い日で、何も話せず、ひたすら泣いた。先生はティッシュを差し出してくれた。どうしても泣き止むことができずにずっと泣いていた。

時間が来た。「次の子がもう待ってるから。」泣き止むことができないままの私はそのまま教室を出された。扉がしまって、まだ泣いていた私の耳に「前の人大丈夫?」なんて会話が聞こえた。

それでも涙が止まらなくてとりあえずトイレでひたすら泣いた。3時間くらいいた。外はすっかり暗くなって、早く帰れと急かしているようだった。

カウンセラー先生心配して声をかけに来てくれるかなんて思ったけど、そんなことはなかった。

帰路でも号泣しているので、上級生にからかわれた。恥ずかしいし、死にたくなった。

所詮小心者な中学二年生のしにたいなんて、行動に移せるはずがなかったし、現に今生きている。

今思えば、あのカウンセラー先生が私を部屋から出した理由がわかる。

時間から。次の子が待ってるから。当然だ。その通りだ。実に正しい。

その後は仕事が終わったから帰った。全く正しい行為だ。あれから何年も経ち、私だって仕事が終わればさっさと帰る。

それでも私はカウンセラーのことが大嫌いになってしまった。逆恨みのようなものだ。

あんなに私が辛かったのに助けてくれなかった。

あなたのためにできることを尽くすとかなんとか話してくれたのに。

所詮仕事できてるだけの女の人だ。

カウンセラーなんてそんなものだ。

薄情者だ。

辛い人に上辺だけ話を合わせるのだ。

あんなにも話を聞いてくれて、ただ泣いてる中学二年生なんて最高にめんどくさい存在にきちんと対応してくれた心の広いカウンセラー先生が大嫌いになった。

ここまで頭でわかっていても大嫌いだ。

カウンセラーというハードお仕事を精力的にこなされている皆様には本当に申し訳ないのだが、大嫌いである。

泣きわめいてから数ヶ月経った時、学校廊下で会って、あら増田さん最近はどう?予約入れようか?と言われたので適当な時に予約を入れて笑顔さようならを言った。いつ入れたかなんて覚えてないし、行く気もなかったので先生はその時間すっぽかされて1時間とか部屋にいたんだろう。当時の私はそれが仕返しだという感じでいた。中学二年生の浅知恵だ。


脳の病気で飲んでいる向精神薬のせいもあってか、多分いま鬱症状(無気力無感動無関心がちょっと異常)のようなものが出ているので、ああこれはカウンセラーさんのお話を聞かないといけないのかなとぼーっと思っているけれど、カウンセラーさんが大嫌いな気持ちがどうしても、どう頑張ってもこの憎しみが拭えないので、予約入れられない。大嫌いだ。カウンセラーお仕事を頑張っている世の中の方々、不愉快な気持ちを与えてしまい大変申し訳ありません。誰かこの鬱(なんちゃってかもしれないが)治して。

2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140628094725

それはセクハラじゃなくてパワハラ

セクハラを感じる個人の価値観を否定するのに立場を利用したから。

目的も「円滑な職場環境のため」という個人の目的のためだから。

その職場環境定義同意ではなく個人の見解から

そしてパワハラであがるとセクハラ自動的についてくる異性間バリューセット。

職場や業務を絡めて相手の行動を目的どおりに操作しようとしていたのならパワハラ

個人のためなら脅迫。でも脅迫に当てはまらない「承認要求を満たすだけのため」等賠償対象の実被害がなければ問題ない。

個人の満足のために性差を利用されたという案件で心的被害を敏腕弁護士にお願いされたら知らない。

セクハラではない、と個人の価値観を否定するまえに個人のもってる定義について問えばよかったね。

その後で個人的見解を示して合意に達する答えがでなかった場合選択の自由を与えればよかったね。

なんで上司になると人に話をする立場とか思っちゃうんだろうね。

上司って部下の話を聞く立場なんじゃないかな。

いまどき、自分の発言が部下にプレッシャーをかけているんじゃないかとか心配する上司はいないのかな。

2014-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20140619200208

いっそ休学しちゃえば?授業はないけど就活プレッシャーになってるだろうし。

そのほうが自殺方法についてゆっくり考えられるよ。

2014-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20140618183147

3枚目のアルバムリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。

「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」

一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。

メンバーの誰も反対はしなかった。

その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。

よく肩の荷が下りたというが、そんな感覚だった。

他人の期待に答えなければいけないプレッシャーが強いのだと思う

もっと自由にやっていいと思う

全てやめて実家に帰った。

上京したのは18の時。

目標や夢なんか何も持っていなかった。

勉強スポーツも何一つ真剣に打ち込んだこともなかった。

子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。

今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。

つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQ無駄に134もあるらしい。

高校卒業後は入試科目が国語英語だけのFラン大学に進学した。

大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプ人間がたくさん居た。

僕が在籍していたサークル大学軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。

一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。

楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。

それでもあまり個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれから人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。

サークルの先輩に大学2年になる頃にバンドに誘われた。

全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。

未だに自分がどういう心境だったのか理解できない。

とにかくこの決断が僕の人生を大きく変えた。

そのバンドは加入した時点では大学付近ライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。

それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディング地方遠征する機会も多くなっていった。

大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。

その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。

バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。

ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジセンスがあったらしい。

センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンド必要不可欠な人間になってしまっていた。

そんなこんなで加入して3年目。ついには大学中退した。

もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。

それでもライブは決まっている。

学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4

日に1回というペースでライブをやった。

これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。

そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。

なおさら後に引けない状態になっていった。

もう自分の都合だけではなくなってしまっていた。

しかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。

3枚目のアルバムリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。

「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」

一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。

メンバーの誰も反対はしなかった。

その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。

よく肩の荷が下りたというが、そんな感覚だった。

あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。

その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。

初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。

その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。

その後はまた同じようなことを繰り返した。

学習しないやつだ。

2つ目のバンドに加入して3年目。

就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。

バンドも辞めた。

この10年間は一体何だったのだろう。

幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社ウェブマーケティングスキルを身につけていたので、田舎賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。

ただ、生きている実感がまったく無い。

実家に戻って2ヶ月ほど。思い出すのは大学時代の友人たち。

むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。

就職した後も次は仕事真剣で、中には28上場企業副部長クラス地位を得ていたり、だれでも知っているような会社営業所長になっていたりする奴もいる。

こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間出世コースじゃない。

仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。

僕は到底彼らにかなわない。

別にお金地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。

俺も一度でいいからあいつらみたいに輝きたいんだ。

追記

たくさんの反響を頂きました。

後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません

急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・

いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。

以下のエントリ決意表明として記させていただきます

http://anond.hatelabo.jp/20140619160649

読んでいただいた方、意見を頂いた方ありがとうございました。

いつかまたいい報告ができればと思います

2014-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20140617182050

文章ギリギリまで追い込む

契約文書なんかには当然便利だけど

会話の枝葉にアイディアが埋もれてることが多いし

かいニュアンスまで伝えられるから

会話で詰めて文書で仕上げるのが普通のやり方だろ。

文書だけでは汲めないものがあるし

会話だけでは取りこぼしが怖い。

両方大事だろ。

文書でブレインストーミング会社で試したことあるけど

本当に捗らない。「さぁ喋れ!」って全員でプレッシャー掛け合うのが重要

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