はてなキーワード: プレッシャーとは
家に帰りたくないと思うようになっていた。
家に帰って夕飯を作るのが嫌だ。
一人になりたい。
DVや借金がある訳ではないけど、先が見えない夫婦生活に疲れた。
PDCAも回し尽くしたし、何より旦那に生活改善の意欲が無い。
この家の舵取りは私にかかっている。
そんな状況に疲れた。
旦那は「やりたいようにやらせてるのに何の文句があるの?」と、
ゲームをしながらこちらを見ずに言った。
本人は理解ある優しい夫のつもりらしい。
だったら。
生活費は二人で半々ずつ出しているけど、
昼寝している旦那がテーブルを蹴ってコーヒーをこぼされることもなければ
自分が抱える話題の中うちどれが彼の機嫌を損ねないか考える必要も無い。
具合が悪くなったって一人で寝てればいい。
あれだけやめてと言ったFXもまだやっていた。
先日別居を申し出たが、失敗した。
限界が近い気がする。
うつ病のヤツらどうやって生計立ててるの?
病気持ちが正社員の職にありつけることまずない。障害者向けの枠があって、ハロワで定期的に説明会やってるけど、求人倍率は0.1切る。無理。
それによほどの優良企業でないかぎり、残業・休出・有給未消化が常態化していて、精神病んでる人間にはキツい。
あと、同じメンバーで働き続けるのもキツい。些細な人間関係のトラブルで精神状態悪化する。
時給安いけど非正規なら職ある。正社員に求められるようなプレッシャーがないから、うつ病持ちにはありがたい。
ただ、生計立てるのは大変。家賃・国保・国民年金払ったらほんのわずかしか残らない。
それでも東京ならなんとか非正規で食える。田舎は無理。物価たいして変わらないのに、最低賃金スレスレの職ばかり。
親が生きてる、親と仲が良い人はパラサイトしてなんとか生活できる。
でも、それができない人はどうするの?
私は親と不仲で同居できなくて東京に逃げて来た。家賃3万(!)のシェアハウスで暮らしている。
2級以上じゃないともらえないし、額も少ない(年額77~96万円)
2級以上じゃまともに働けないと思うんだが、なんなんだこの制度。
水際作戦酷い。ほんと中世の国だわ。ドスの利いた強面の『自治体職員』にていよく追い払われたわ。
前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。
同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。
けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。
経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。
かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。
だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。
責任が増えると共に、やりがいも増えた。チームをまとめて、目標に向かっていく。自分一人ではできないことを、仲間たちと力を合わせて達成する。砂漠の中にピラミッドを建てるように。
プロジェクトを完遂すると、メンバーがガラリと変わった。力になってくれた仲間たちは、別のチームでその才能を発揮することになる。俺の元には営業がやってきて、新しいプロジェクトの発足を告げる。
程なくして新しいメンバーがやってくる。俺は別なチームとともに、別のピラミッドを建てるのだ。
そんなループを何度か繰り返したある日、プロジェクト終了直後の閑散とした社内を眺めて、缶コーヒー片手にボンヤリしている時に気がついた。
味がしない。缶コーヒー、ジョージア・エメラルドマウンテン・ブレンド(つめた〜い)の味がしない。
いやもちろん缶コーヒーなので、本来そんなに旨くない。街の喫茶店はおろか、スターバックスで女子高生がカップで飲んでるやつにも及ばない、いわゆる”コーヒー飲料”なのだが、初めの頃はうまかったのだ。
入社当時、Visual Basic の教本を片手にキーボードにしがみついていた時に机に並べていたエメラルドマウンテン・ブレンドは、もっとスカッとした味だった。
抜けた空のような味。
何かが違う。そう感じた。
iPodを作った天才、スティーブ・ジョブズはかつてこう言った。
私は毎日、自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だとしたら、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。
一週間の後、俺は退路を歩むことを決めた。
退社まで残りひと月と迫って、引き継ぎが一段落したある週末に、俺は例の、できる部下と酒を飲むことになった。
そのときの部下は会社の期待のエースとして注目を集め、人より多くの責任と仕事を与えられていた。しかし本人はプレッシャーに怯むことはなく、むしろ水を得た魚のように、やる気に満ちていた。テカッテカだった。
酒の席に誘うと忙しいにもかかわらず、嬉しそうに快諾した。へんなやつだ。
その夜、俺は柄にもなく酔っぱらい、いつのまにか部下に向かってだらだらと仕事上の愚痴をこぼしつづける、情けない中年オヤジになっていた。
聞くと部下も結構酔っていると言ったが、俺は知っていた。こいつは顔は真っ赤になるが、それでいて実態は”ザル”だ。笑顔を崩さず、俺の話に機械的に相槌を打っている。
俺の話が一段落したときに、すべりこむように部下が横槍を入れた。「でもね上司さん。そういうのって上司さんが悪いんですよ。」
失礼ですけど。
顔を上げて確認すると、部下は笑顔の目元に困ったような表情を乗せていた。俺が息を呑むと、覚悟を決めたように、話を続けた。
何から何まで自分のアタマで考えないと気が済まない、そんなタイプの人間がまれにいます(ご指摘の通り、俺がそうだ)。
確かに、自分のアタマで考えるということは、ものすごく気持ちがいいですよね。なにかすごく『意味のあることをした感覚』を得られます。
最高責任者とか芸術家とかでない限り、自分のアタマで考えたことは「誰かに説明して納得してもらう」というフェーズが必要です。
相手が上司さんの上司さんであるなら、例えば説得はこんなふうに行われます…
お偉いさんの元を尋ねて、現状の問題を分析するとこういう構造になってて、どこがどう問題と考えられるので、このようにやりかたを変えれば、このくらいよいことが起こるでしょう、みたいなのを説明して、話の前提をちゃんと共有しないと理屈が通らないから、考えに至る前提条件とかを事細かに説明して、相手との認識が合わなかったら合うように、考え方の違いに注意しながら調整して、ようやく自分のアタマで考えたこと、を分かってもらえたら次は、それって絶対・100%・間違ってたら責任取るの? とか聞かれます、でもそんなん100%なんて世の中にありえないだろ、と思っても言い出したのは自分だし、時間をかけて分かっていただいた手前もあるし、それら有象無象を踏まえて相手のプライドを考慮しつつ、こちらの責任が大きくなりすぎないように、うまく首を縦に振ってもらうように、知略の限りを尽くして言いくるめるんです。
一方で、去年と同じで行きましょう、ならサラッと通ります。
競合他社と同じ戦略で行きましょう、偉い人の方針をまるごと継承しましょう、とかでも。
冷静に、比べてみてください。自分のアタマで考えた場合のコスト。
説明のために、ものすごいコストや苦労をかけてストレスをためこみ、結果自分の責任が増しただけ。
自分のアタマで考えようとして、なんにも結論が導き出せなくなることがあります。
どの因子がどう関わってるのか整理しきれない。どこの範囲まで前提として考慮に入れるべきかがわからない。「Aと言う視点なら正しいとも言えるし、Bという視点なら間違いとも言える」みたいな項目ばかり。
なにを考えても「他人が出した別案」に引っ張られる。なんとかごまかしつつ、ちょっと甘いかな、って思いながら考察した結論を他人に見せる。でも、アタマの鋭い人はどこでもいるもので。
ピンポイントでその弱いところを突かれちゃったりする。自分でも「俺バカなのかな」と薄々感づいてる点を、改めて他人にも認識させられることになります。痛恨の一撃です。大ダメージです。
ゼロから考え直すなら、誰だって結論を間違えたり、推論を見失ったりすることがありえるんですけど、『自分のアタマで考えている俺』に酔っていると、そういう基本的なことは、忘れちゃうんです。
根拠のない自信を持ってる人ほどひどい結果になりがちです。
「自分は天才とまでは言わないけども、周囲の中でまあまあ使える、ほうだし、今は流されてるけど、本気出せば自分で考えて結論出すようなこともできるもんね!」
そんな自信は崩れ去ります。
失った自信を取り戻すのには、より多くの時間が必要です…。ご年配の方ほど、必要な苦労は過酷なものになるでしょう。
その仕事が得意な人、エキスパートに全部お任せする、というのでも。
挫折が無ければ、その間仕事ができた。挫折があるから、周辺分野へ再び手を伸ばすことが、おっくうになった。
例えば、さっきお酒持ってきてくれたの店員さん。カウンターで寂しそうにひとりで飲んでるオジサン。自分のアタマで考えているように見えますか?
たいていの人たちは、流されています。考えが浅いし、近視眼的です。リスク管理の面から見ても、脆弱です。
でも、その人たちって、不幸ですか?
かなり幸せそうじゃない? 自分はすごいという自信のもとに楽しく過ごし、うまくいかなかったことは運が悪かった、また次があるさ、と片付けてポジティブに生きてる。掘り込んだ原因分析なんてしないで、場当たりに生きてる。若者から人生訓を聞かれたら嬉々として語っちゃう、的な幸せさに溢れてるw
偉そうにw 生意気言うやつだなw とその晩は軽くたしなめて別れたけど、
よくよく思い返すといい話ではあった。なんだか、ずっと温めていた感もあるし。
俺は今まで、自分のアタマで考えてきた。それを誇りにしていたというほどではないけど、出来る限り自分でやってみる、が俺のモットーだった。
けれども、それで、何が残っただろうか。
すり減ったり、焦ったり、自己嫌悪に陥ったり。紆余曲折を経て、何が残ったのか。
ひょっとすると、俺は自分の人生の将来や、手に入れられる幸福や可能性から、目を逸らしていたかっただけなんじゃないか。
実感を求めて効率を犠牲にする。それで誰かの足を引っ張る。あるいは、身の程をわきまえて、歯車として、自分に与えられた役割を果たす。その分岐路で立ち尽くしている。アタマで考えても前に進めない。思考停止すれば進める。『結果』を手に入れる。上手く行けば成功できるかもしれない。彼女のように。慣性は惰性だ。だから、プライドは捨てる。直感は捨てる。生き方を変える。
(以上。なんかディティール盛り過ぎてる感があるけど、部下の言いたかった、本筋のところは外していない?)
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後書き:
id:uxlayman さんの元エントリ、分析エントリです。
俺の考えでは、元となるアイデアが良ければ、読みやすくするためにストーリーを与えて、読んでて途中で躓かないように、注意深く、入念に推敲すれば、ある程度伸びます(俺はこの文章の推敲に6時間かけました。ヒマスギシヌ)。
コアとなるアイデアはなんでもいいわけではないようです。というのも、同じようなストーリーで同じような語り口の記事を過去に書いたことがあるんですけど、そっちは全然伸びませんでした。
追記 (7/30 1:35時点):
頂いたコメントより
千野栄一『外国語上達法』には、ある言語を習得したいと思った場合には、その情熱が尽きる前に、とにかく1000語覚えること、とある。また文法については、最初の1、2ヶ月のうちに、まとめれば10ページ程になるその言語の基本的文法事項を、突貫工事的にとにかく徹底的に覚えることを勧めている。千野さん曰く、この段階で挫折してしまうと、あとからその言語を再度やろうと思った際には却って障害になるとのことである。一方で、基本語彙1000と基本的文法事項を押さえて、その言語の仕組みがある程度定着するとなかなか忘れないものらしい。これについては橋本陽介さんが『7カ国語をモノにした人の勉強法』で以下のように書いている。
「言語とはひとつの体系です。ネットワークです。そのシステムの全体像がだいたい把握できるところまで一気にやってしまうと、不思議とその段階までは忘れ難くなります。しかし、全体像を把握しないでやめると、もとの位置に逆戻りです。」
教訓:ある言語の習い始めは、多少お金がかかっても学校に通ったほうがいい。
1. モチベーションの維持によい
2については、発音面での恩恵がやはり大きい。自分も含めて受講者の多くは文字を読む際に英語での発音規則にかなり縛られる。独学だと音声教材もあるとはいえ、脳内での文字の発音が我流のものになってしまう危険があるかもしれない。ちなみに、千野さんの本でも発音の重要性は「こればかりは始めが肝心」、「矯正は不可能に近い」と見出しのレベルで説いている。
3が意味不明だと思うので以下、ぐだぐだ述べる。
語学学校のスタイルにもよるのかもしれないが、ちょっとした寸劇みたいなものをやらされる。質問して、それに答えて──役割を変えてもう1回、といったもの。そこでのコミュニケーションは、いわば講師による強制なのだが、とにかく必要性が生じている。そういう状況で自ら発話して、かつ相手の人間がそれに応答してくれると、圧倒的に記憶に定着しやすい。
シュリーマンのエピソードでこんなのがあった。ある言語を学ぼうと思ったのだが、教師が見つからなかった。しょうがないので、その言語自体はまったくできない人を雇って、その人にシュリーマンの朗読を聞いてもらったのだそうである。
寸劇を演じることは、語学のわりと大事な側面なのかもしれない。寸劇を通じて、どうも人は記号接地を行い、なぞの記号列なり音声を外部の状況と結合させ、意味あるものにする。寸劇において大事なのは「すばやさ」であり、これも独学では(瞬間英作文といった方法もあるけれど)身につけづらい。語学のクラスだと応答があんまり遅いと講師や他の受講者からプレッシャーがかかる。
ちょっと長くなりましたが、そんなわけで語学の習い始めには、多少お金がかかっても語学学校に通うのが色んな面で有利だと思います。
お金があるなら中〜上級になってもずっと通うのが良策だと思うけど、すくなくとも、千野さんや橋本さんのいう、その言語の体系がざっと身について、以後忘れることがないレベル(学習時間100-200時間ほどか)までは、語学学校という補助はあったほうがいいかもしれない。
補足ないし余談
・フレンズのDVDで英語を学ぶ、という話はよく見聞きする(橋本さんの本にもある)。やったことはないがいかにもよい方法だと思う。発話と状況が結びついている場面の経験値を上げるのに良さそう。もちろん、自分が実際に役者になって演じるのが一番だと思うけど、次善の策として他の人の芝居をしつこく見る。
・英語以外の言語も。これもやはり橋本さんの受け売りなのだが、英語以外の言語をやると英語が相対化されて視野が広がる。黒田龍之介さんも英語だけやって語学をわかった気になるのが一番悪いという旨のことを書いていた。是非、英語以外の言語も。
私(♀)の友人にはごく普通のいい子がいた。
かわいいし、なんだかいい匂いがするし、同性から見ても憧れだった。
だけど本人はかなり無理をしていたらしい。
一度家に遊びに行った時に、ちょっとヒステリックな感じの母親が、
○○○ちゃんはあれもできる、これもできる~
○○○ちゃんは物覚えが良くて家事も進んで手伝ってくれる~
○○○ちゃんは神童だ~
私の産んだ子なのだから神童に違いないと思い込んでいるようだった。
ある種、宗教にはまった人と同じ目をしていた。
私は怖くなって、それ以降彼女の家には行っていない。
中学からは高校受験を意識してか、彼女の母親も神童のハードルを上げてきたらしく、
彼女に模試で県内何位に入るように強烈なプレッシャーをかけてきたらしい。
プレッシャーに耐えられずに不眠や拒食や円形脱毛症にかかっていた。
だけど、あれは間違いなく虐待だったと思う。
彼女の成績は上がることはなかった。
彼女はどんどん追い込まれていき、中学3年の半ばから不登校になった。
私は悲しかった。
よくやった、あんな家逃げ出して正解だと思った。
2人の幼子と一緒に首をつって死んでいたらしい。
その話を聞いた日、私は一晩中泣いた。
丁寧な返答ありがとうございます。
すこし誇張して書いていたので、余計に心配をかけたのかもしれません。
同棲前には、毎日緊張して思い詰めた様子の時期もありました。(ケンカしていて、関係が悪化していた事も原因ですが…。)
現状は毎日余裕のない状態ではありませんし、今日は午前中だけ休んで…と言うことも出来ればしています。
相手との個人的な関係の問題でもあり、人員が足りない、拘束時間が長い労働環境の問題でもあるので、特に体調管理について、どういう方法なら相手にして貰えるか悩んでいました。「身体を大事にしてよね」と言っても、ただ謝られるので、心配すると余計にプレッシャーになったのだろうと思います。
具体的にこうしようよと言っても、ただの個人的なアドバイスだし、お風呂につかる事も疲労で出来なかったりして。私が無理に世話焼いてる感じです。
もっと、外部からの専門的で有効な無理のない手段が有れば、本人も納得してくれるかと思います。
しかし、仕事の内容は病院相手の保守業務をしていて、病院嫌いで困るのです…とにかく、本人にも外部にも相談をしてみようとおもいます。
ブクマでコメントしてくださった皆様も、ありがとうございます。
それと、プリントアウトのお方については、存じ上げております。メンタルヘルスに理解のあるお方なので、一定の信頼はしておりますよ。先生。
既卒2年目23歳職歴無し。これが僕の経歴だ。いま僕は田舎から東京に出てきて就職活動にきている。お祈りメールは何通もらったか途中から数えなくなった。最終面接から一週間以上連絡のない企業もある。
この街に出てきて思ったことがある。何をするにもお金がかかる。移動するにも、歩き疲れて一息つくにも、寝泊まりするのにも。これが資本主義なんだから仕方が無い。街全体が脅迫してくる。金のないやつに生きていく資格なんてないよって。社会全体がプレッシャーを与えてくる。お前に生きてる価値があるのかって。息をするのにも何をするにもお金がかかる。
だから、みんなはやりたくもない仕事をして生きていく。生きるために働いていく。そういうことなんだってやっと気づいた。この歳にして。こういうことなんだ、社会って。言葉ではわかってた。だけど、身を持って感じた。そしていかに僕が世間知らずの大馬鹿ものだって気づいた。なんて僕は情けない。
偏差値の高い学校は往々にして男子校であるが、僕の中学校もその例に漏れなかった。
そのままエスカレーター式に高校へ入り、理科が得意だった僕は物理や化学の問題を自由自在に解くことができた。
文理選択では迷うことなく理系を選び、工学部の機械専攻に進んだ。男女比は9:1とかそういう世界である。
四年間力学だとか制御だとかプログラミングだとかを一生懸命勉強し、産業機械を作る会社に入社した。
で、なんだこれ。
この間珍しく同期に合コンに誘ってもらったのだけれど、10年近く女性のいない環境で暮らしてきた自分に気配りだとか盛り上がる話だとか、できる訳がない。控えめに言っても、文系出身の営業の奴らに敵う訳がない。
どうやらこれぐらいの年齢になると、それぐらいできて当然だし、できない奴は恋愛対象としても見てもらえないらしい。
それどころか、地元の連中はぼちぼち結婚しだしたし、親からその手のプレッシャーを感じることもある。結婚できないと出世もできないという話も聞く。
なんなの。
理科が得意だった。それだけだ。
そのまま順当に進んできただけなのに、なんで詰んだんだ?
特に女を絶つと決心した訳でもなし。二次元に魂を捧げた訳でもなし。(僕としては)普通に生きてきただけなんだけど。
おかしい。
上司の上司と仲良くなる。上司の給料を決めているのはそのさらに上司。
その部門を支える成果出す。上司は部門の責任を負っている。そのプレッシャーが部下へのいびりに繋がる。部門の成果が上司の価値。
自分の市場価値、給与水準を知る。もらっている給料と市場の給与水準を比較し、もらいすぎていれば甘んじる。足りなければ転職。
何かプレッシャーや攻撃などの圧迫感を感じると、必要以上に積極的になったり言い返したり攻撃的になったりする癖があり、困難に立ち向かう俺はカッコいいと自分に酔っていた。
昔から田舎の体育会系の社会でしごかれていたので、いつの間にか困難に対して耐えたり立ち向かわないといけないと思い込む癖ができてしまっていたのかもしれない。
不安を感じやすく、何か突っ込まれたりちょっとでもダメ出しをされると急に不安を感じ、必要以上に言い返したり正しさを主張してしまっていた。ある種悪い意味での完璧主義なのかもしれない。
俺は周りの人間にとっては神経質、怒りっぽい、ウザい奴、扱いづらい奴だった。
・完成させる
・他人に見せる
私も身内も絵を描く。
私はここ数年で絵を完成させる意味を知った。
そして今でも完成しない絵を描き続けている身内にイライラする。
昔の自分を見てるみたいで。
完成させない=誰にも見せない=自分の好きなところだけ描く=細部には拘らない=上手くならない
上手くないから見せたくないんだよね、誰にも。
pixivでさえ。
評価がつかない=自分が下手、価値ないと思ってしまってUPしない。
これ一番駄目だと思う。
完成させることは何よりも大事。
下手だろうが何だろうが、完成させないと見えてこないことがある。
下手だと思った部分は次の絵に生かせばいいだけなので、とにかく意地でも完成させる必要がある。
絵を完成させたことがほとんど1度もなかった中学〜大学時代と、
絵を完成させるようになったここ数年だとレベルの上がり方が明らかに違う。
そりゃー完成させるのめんどくさいわ
でも他人に見せる意識があると、完成させようとするからいい。最後まで頑張れる。
下手な絵でも出来るだけマシに見せようと努力するので、一枚描くごとに確実に上手くなる。
もしくは上手くみせかけるテクニックが身につく。
あとは発表する場に申し込んでみる。コミケとかでいいとおもう
ダラダラ好きに描くより確実に上手くなる。
なんで絵を完成させる努力を今までしてこなかったんだろう。
本当にその時間を後悔してる。
仕事辞める前は、「この立場として正しい行動は何だろう」「先の事を考えると取るべき行動は何だろう」みたいなことをいつも考えてて
それが凄くプレッシャーだったんだな、というのが今になって分かった
辞めるって決心した時は、もう捨て鉢というか、「間違っててもいい、知ったことか」みたいな気分だった
結果的にはそれが凄く自分を楽にしてくれて、だからもう「正しい」のは何かって事を、あんまり考えないことにした
正解を探そうとすると、あれもこれも間違いだらけに見えてくる
でも、正解にこだわらなければ「今はこれでいいや」くらいの気持ちでいられる
一週間前、『虐待と幸福と経験の空白とhttp://anond.hatelabo.jp/20140628152439』を書いた者です。
反応をくださった皆様、ありがとうございました。
母親なんだからちゃんとやれ、というお叱りを頂いて原動力にしようと思ってました。そしたらご意見が全体に暖かすぎて鋭すぎて、感情も理性も幸せになりました。こういう良質な感情や知的刺激を、家族にフィードバックしていきたいです。日本社会の良識ってありがたいです。長文投下本当に申し訳ないですが、ちょうど社会での割合くらいで関係者がいると思われる、フラットな感情でお読みいただける匿名の場が心底ありがたいです。
夫は宗教事情を含め知って結婚してくれた、ありがたい人です。私は現在正社員専門職ですが、結婚してから資格を取ったので、それまで非正規雇用で、預金もありませんでした。核家族三十代夫婦、子ども二人保育園、共働きですが、まだまだ実態はそれに追いついていません。平日はあまり夫婦の会話の時間が取れません。夫は高学歴で、30代に入り質量ともに仕事で求められるものが上がって来ています。そのプレッシャーは大変なものに違いありませんが、たしかに羨ましくもあります。自分の仕事をして、日々の母親役まではまあなんとか本能でこなせるのですが、夫も私も正直お互い先に自分に気を遣ってほしい状態で、ほんと最近いい妻だったとは思えません。誰にでもある当たり前の大変さなんだろうと考えていて、深く考えていませんでしたが、危機は意外と深刻だったんだなと書いてみて思えました。立場の弱い子どもに、しわ寄せを来させていたんですね。家族がだいたい形成されて新たな状況に直面していて、新たな解決能力が必要とされている段階なんだな、恋人だった昔は良かったなんて思ってたのが馬鹿みたいです。今、ほんとこの今日一日ですね。一歳の下の子が産まれてから、毎月のように子どもの前で親が怒鳴り合って、ほんとすまないことをする状況になってました。私自身、3歳のころの親の泣かせ合いを覚えているというのに。
夫に読んでもらいました。夫も思うところがあったみたいで、すごく子どもと私にゆったり接してくれるようになりました。
いま自分たちは、生活ステージの中で大変な時期なんだ、と自覚するだけでも変わるんですね。
組織にいた事についての経験の空白については、数年前、学校の精神科の先生に相談した事もありましたが、この葛藤や深い矛盾から来る苦しさは正常な生理的な人間の反応だそうで(おそらく妊娠の時のつわりみたいな?)、
とくに薬とかは出されずに終わりました。眠るのを助ける薬はあっても、後ろ向きな自分を変える薬はないんですね。理想の自分になれる薬もない。眠りすぎてしまうのを短くする薬もない。
薬ってのは、日本において成人の義務とされる仕事など、やるべき決まった状況で、眠れないなどの辛さを、出来るだけ楽に乗り切るために使うんでしょうね。風邪をひいたかもなって時のパブ○ンと同じなのかもしれませんね。
トラックバックの中にあまりに共感しすぎてくださって、まさに夫にキレた時の自分を見ているようなご意見もありましたが、なんかいろいろ申し訳なくなりました。危ういのはほんとその通りです。危うい状況でした。子どもの前で親が喧嘩しちゃいけないし、建前じゃなくて、子どもの幸せを心から願える状況にならないといけない。みんなで幸せにならなくちゃいけない。そうやって、本質と本心と行動を合わせていくととても楽になる事が最近分かってきました。それってまあ、もうそもそも幸福なんですけれども。
答えのようなブログの記事もありがとうございました。このひたすら細部をえぐっていくような、こちらもえぐられるような、原因を突き詰めて言葉に練り直す作業。それをなさっている間、ご本人はとても大変に違いなく、その労力をこちらに向けていただいて、本当にありがとうございます。どうか、平穏がありますように。
http://anond.hatelabo.jp/20140628152439
トラックバックの中に私と同じ生い立ちの方で、一人で生きていける方がおられるようで、敬意を覚えます。なぜ自分のためにちゃんと仕事して生きられるんだろう。私からすると、とても強い孤高の生き物に見えます。よっぽど人間の根っこがしっかりしているんだろうなって。私もその能力が欲しいです。
私は子どもっぽくって、宗教の中にいるときに奪われたものを全部宗教と親のせいにしていました。でもそうじゃなかったし、とくに出てからの責任は全部自分にあるって、あるときガーンとわかりました。
今ももうどうしようもなく落ち込んで、ただただ落ち込んで、身体が動かない日が正直あります。誰かになんとかしてほしい、とか、そんなことすら浮かばずに、ただただすべてが鈍って滞ってしまう日もあります。社会の人は今日もちゃんと働いている、波なんてあったら迷惑なだけだ、そもそも人の何倍も頑張っていかないと、老いが来てしまう、大卒資格を取って大学院に行って起業する、もう行く大学は決まっているし起業分野も決めている、ほんとうのほんとうに40歳までになんとかしないと、と分かっていても、暗いタールの中でヅケになっている日がどうしても来ます。こういうのをなんとかするために病院に行って、気分の酷い落ち込みをどうにかする薬がないかを聞いてみるのはいいかもしれませんね。
今、産休のときに得たママ友の子ども、近所の中学生一年生の勉強を見ています。そのママ友は専業主婦なので、何かあったらファミサポの他に有償で頼るために、先に交換条件というか、ギブが出来たらと思いました。人を呼べば平日も家も最低限綺麗になりますし。
その子どもは、持っている頭は『年相応、平均よりはいいほう』くらいだと思います。でも運動部に入りながら勉強を一日30分とか1時間とかやった。土日はもっとやった。そうしたら中間で200人中30番くらい取ってくるわけです。
もちろん結果は伴うように教えましたが、やったから伸びる。そしたら、期末も頑張って、私は中間ほどは教えられませんでしたが、かなりいい点を取ってきた。まだ、順位はでていませんが。
へとへとになってあくびしながらでも少なくとも頑張る。完璧に頑張らなければやらない、ではない。でも、きっちりワークとか、求められている事は期日までにこなす。それで、これくらいはいく。
なんというか、そうやって子どもが頑張るのを見ると、深いところで、『ああ、こういうふうにすればいいのか』と私も勉強になります。原動力になります。お金で買えない人間からの勉強をさせてもらっています。ありがたいですね。ほんと、『お前に何か出来ると思っているのか』『全部無駄だ。お前は母親の期待一つ応えられなかったんだ』『なぜあれを信じられた。日本に生きる恩恵を受けながら』と深いところで暗いところに引き戻そうとする恐ろしい引力がありますが。
記憶は塗り替えていくしかないんですよね。たぶん認知の方のリハビリと一緒で。骨折が直っても痛みとか歩行不安や独歩の怖さを覚えている人は結構いる。それを毎回毎週勇気づけて元気づけて一緒に明るく歩くと、忘れ去っていくと、一人で歩けるのを取り戻せたりする。痛みは記憶だったりするのはもう定説なわけで。
ちょっと整理が出来るまで、また書くかもしれません。また今日のこれからも、皆様の一日も、いい日になりますように。
未来を、取り戻したい。ほんといい言葉ですね。今日を、明日を取り返す、その積み重ね。でもね、理想的に動ける日なんて、一週間に一日くらいしかなくて、だいたい子どもと一緒に寝付いてしまうんですけども。睡眠時間が短くてすむ人たち、10代から努力すごかったんだろうなあ。
ふう
飲食店をやってるんだが、うちのブログに、かなり激しいクレームが付いた
指摘されていた部分は、うちでも把握していた部分ではあったんだけど、まだお店を始めたばかりであること、半分趣味レベルでやっていることもあり、そういうことが分かっているお客さんだけに来てもらえればいいかなと思ってた
もちろん、出来る限り改善する努力はしていくつもりだし、来店したお客様全てに満足してもらえるお店にしていきたいと考えて今までやってきた
とはいえ、いつも本当にお客さんに満足してもらえているか不安だった。手探り状態で、店を回すだけでも大変な中、毎日凄いプレッシャーだった
何も言わないお客さんや、お世辞で「美味しかったです」と言ってくれるお客さんもいるなかで、本当のことを言ってくれるお客さんは貴重だし、これを機に心新たに頑張っていければいいかなと思う
29歳ニート。
金がなくなっては親にもらってきた10年弱なので(大学はストレートで卒業。大学卒業後からカウントするとして)、もらった金額はどえらいことになる。
さすがに30の大台に近づいてやばいと思ったが、今までストレスから逃げ続けてきた人間がいきなり正社員を目指すのも無理ゲーだと思ったので、手始めに近くの某ファミレスでバイトすることにした。
そもそも飲食店では絶対に働くものかと思っていた。自炊もほとんどしないし、その理由も洗い物が苦手だから。んで接客業も無理。クレーマーみたいなのに不当に暴言吐かれるとか耐えられない。でも何を思い違ったのか、キッチンならやれるのではないかと思った。客との接触は一切なしだし、なんか時給も高かったし、早朝から働けるのが良いかなと思った。早朝ならヒマなんじゃないかなという淡い期待もあった。あれほど飲食店ではやらないと思っていたのに。接客をしなくても良いとはいえ、そこではスタッフ同士での人間関係があったわけだが、それは何とかなると踏んでいた。ファミレスのキッチンってどうなってるんだろ?という興味もあった。
面接。
ニートの経歴はさすがにありのままに喋ったらまずいと思い、適当にバイトしてたことにした。経歴詐称。
そうしたら面接3分で採用となった。そりゃ今の飲食業界のこと考えたらまあこんなもんだろうな。
休憩室に行ってみると何人かの社員だったりバイトだったりがいるのだが、ものすごく和気あいあいとしている。元気いっぱいだ。この人たちはなんでこんな生き生きしているのだろうとか思った。いわゆる体育会系というやつ?こちとら30手前の元ニートだ。日銭を稼ぎに来ているだけだから夢も希望もない。30代のオーナーと20台の社員が何人かと、近くの大学に通う学生、パートのおばちゃん、そんな感じ。
当たり前のことだがランチ時のキッチンは地獄。まあこれはフロアも地獄だろう。この世のものとは思えなかった。ランチ時だけ時給を3000円くらいにするべきではないかとか思うのだけど、そんなわけにもいかないよな。
入社2,3年(たぶん)の若手社員(とうぜん年下)がいた。女。仮に「なでしこジャパン」と名づける。
初日。
メニューは厳格にマニュアルが決まっていて、サラダ作るにもデザート作るにもレシピが決まっていてまずはそれを作業する中で覚えなければならない。それはそうだ。覚える。しかし1,2回で覚えられるわけがない。
んで先ほど教わりながら作ったメニューがもう一度注文が入る。自分でやってみるように言われて作る。レシピ表を見ながらゆっくりと。
でもここでなでしこに怒られる。
「さっき教えたましたよー(覚えてないんですか?)」
マジか。これがいわゆるブラック企業というヤツなのか。いや、それともこれが社会に出ると言うことなのか。今まで逃げ続けてきたから知らなかった。
しかもその後に言われたことが衝撃だった。
(ひとり言のように、あるいは他のバイトに問いかけるように)「2回同じこと教えるってメンドウじゃない?すごくメンドウだと思うな。ワタシだけ?」
マジか。
まさかこんな序盤に、こんな方法で精神を削られるとは思わなかった。
「2回同じことを教えるのは面倒くさい」こんな当たり前のことはない。正論すぎる。正論でもって精神を削る。これが社会か、、、!
でもレシピを覚えるっつったってそりゃ限度があるでしょう。1回じゃ無理。慣れてないんだし。先が思いやられた。
数日経つと、なでしこはいつの間にか別の店舗に異動になっていた(若手社員はいろんな店舗に回されるらしいね)。
代わりに来た社員(当然年下)は優しい人だったので良かった。
1カ月がたち(このペースで記述していたら終わらないので端折る)、もしかしたらこのまま続けられるかもしれないと思った。
でもやっぱり無理だった。
20代の学生、30~40代のパートのおばちゃんの中で、アラサー元ニートは不当に蔑まれた。軽んじられた。
「なんでこんなこともできないんですか?」というプレッシャー。常にこれとの戦いだった。
向いてないなりに一生懸命やったのだが。
教育現場では「なんでこんな問題もわからないの?」という言い方はご法度だが、社会というものはそんなに甘くなかった。知らなかった。いや、今となっては知らないふりをしていただけだ。
でも全ては良好な人間関係が築いているかどうかだということも分かってしまった。
例えば、新メニューが始まったとする。
それを初めて客に出すために作る時、ミスをしたくないからレシピ表を見ながらやる。
そうすると「えっ、覚えてないの?」と言われてしまう。もちろん冷たい言い方で。これはもう何も言い返せない。逆ギレはできない。それは紳士のやることではない。
しかし円滑な人間関係を構築している学生バイトだと、「講習受けてないっす」とか「次○○でしたっけ?」とかいう気の抜けた質問をしても許されているようだ。
注意するにしても「勘弁しろよー」と言ったようなサークルの先輩後輩のようなノリ。この差は何なのだろう。
であるならばその良好な人間関係を築きたいものだったが、それが出来なかったようだ。
こちらが好意を示すとそれが返ってくると本で読んだから(逆に相手を嫌うとそれが伝わって嫌われてしまう)、そうするように努めたのだが、いつまで経ってもそういう関係は築けていない。これからも築けないことも分かった。
ということが2ヶ月の段階で分かったから、やめた。
それにしても学生バイトの「自分はだいたいの仕事ができる頼れる男だ」と言わんばかりの全能感はなんだ。
自分がいないと店が回らない、店長よりも仕事ができる、といったような自信は。
将来、就職試験の面接で、学生時代に経験したことというテーマで「飲食店のアルバイトで現場を回していました」とでも言うのだろうか。
まあそんなことはいい。
2か月で逃げ出してしまった。
この先どんな仕事も出来る気がしない。
タヒにたい。。。
中学生の時、学校や部活動にあまり行きたくなく、嫌だなあと思いながらも小心者なので通っていた。
全校朝礼か何かで、学校内の空き教室を使って、曜日限定でカウンセラーの先生が来ると知らせていた。
カウンセラーがどういうものなのかわかってなかったし、なんか弱い人が行くところという印象があって初めは抵抗があったけれど、勇気を出して行ったみたらくだらない愚痴を聞いてくれてわりと楽しかったので定期的に行くことにした。時々友達を連れて行ったりもした。絵が好きだから絵を描いた。
その時の私は母の存在がプレッシャーになっていて、本人は気軽な発言だっただろう言葉に打ちのめされて、本当に辛かった。だからその話をカウンセラーの先生にして、というかほとんど伝えることはできずに時間いっぱいまで号泣することの方が多かったが、たどたどしく話す言葉を聞いてもらった。
ある日、いつものように予約を入れてカウンセラーを受けた。その日は今までで一番辛い日で、何も話せず、ひたすら泣いた。先生はティッシュを差し出してくれた。どうしても泣き止むことができずにずっと泣いていた。
時間が来た。「次の子がもう待ってるから。」泣き止むことができないままの私はそのまま教室を出された。扉がしまって、まだ泣いていた私の耳に「前の人大丈夫?」なんて会話が聞こえた。
それでも涙が止まらなくてとりあえずトイレでひたすら泣いた。3時間くらいいた。外はすっかり暗くなって、早く帰れと急かしているようだった。
カウンセラーの先生が心配して声をかけに来てくれるかなんて思ったけど、そんなことはなかった。
帰路でも号泣しているので、上級生にからかわれた。恥ずかしいし、死にたくなった。
所詮小心者な中学二年生のしにたいなんて、行動に移せるはずがなかったし、現に今生きている。
今思えば、あのカウンセラーの先生が私を部屋から出した理由がわかる。
時間だから。次の子が待ってるから。当然だ。その通りだ。実に正しい。
その後は仕事が終わったから帰った。全く正しい行為だ。あれから何年も経ち、私だって仕事が終わればさっさと帰る。
それでも私はカウンセラーのことが大嫌いになってしまった。逆恨みのようなものだ。
あんなに私が辛かったのに助けてくれなかった。
あなたのためにできることを尽くすとかなんとか話してくれたのに。
薄情者だ。
辛い人に上辺だけ話を合わせるのだ。
あんなにも話を聞いてくれて、ただ泣いてる中学二年生なんて最高にめんどくさい存在にきちんと対応してくれた心の広いカウンセラーの先生が大嫌いになった。
ここまで頭でわかっていても大嫌いだ。
カウンセラーというハードなお仕事を精力的にこなされている皆様には本当に申し訳ないのだが、大嫌いである。
泣きわめいてから数ヶ月経った時、学校の廊下で会って、あら増田さん最近はどう?予約入れようか?と言われたので適当な時に予約を入れて笑顔でさようならを言った。いつ入れたかなんて覚えてないし、行く気もなかったので先生はその時間すっぽかされて1時間とか部屋にいたんだろう。当時の私はそれが仕返しだという感じでいた。中学二年生の浅知恵だ。
脳の病気で飲んでいる向精神薬のせいもあってか、多分いま鬱症状(無気力無感動無関心がちょっと異常)のようなものが出ているので、ああこれはカウンセラーさんのお話を聞かないといけないのかなとぼーっと思っているけれど、カウンセラーさんが大嫌いな気持ちがどうしても、どう頑張ってもこの憎しみが拭えないので、予約入れられない。大嫌いだ。カウンセラーのお仕事を頑張っている世の中の方々、不愉快な気持ちを与えてしまい大変申し訳ありません。誰かこの鬱(なんちゃってかもしれないが)治して。
セクハラを感じる個人の価値観を否定するのに立場を利用したから。
目的も「円滑な職場環境のため」という個人の目的のためだから。
そしてパワハラであがるとセクハラも自動的についてくる異性間バリューセット。
職場や業務を絡めて相手の行動を目的どおりに操作しようとしていたのならパワハラ。
個人のためなら脅迫。でも脅迫に当てはまらない「承認要求を満たすだけのため」等賠償対象の実被害がなければ問題ない。
個人の満足のために性差を利用されたという案件で心的被害を敏腕弁護士にお願いされたら知らない。
セクハラではない、と個人の価値観を否定するまえに個人のもってる定義について問えばよかったね。
その後で個人的見解を示して合意に達する答えがでなかった場合、選択の自由を与えればよかったね。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
他人の期待に答えなければいけないプレッシャーが強いのだと思う
もっと自由にやっていいと思う
上京したのは18の時。
目標や夢なんか何も持っていなかった。
子供の頃から母親には「あんたは大抵のことがそれなりにできるけど、なにか一つでも真剣に打ち込めるものを作らないとダメだよ。」と常々言われていたが、その頃の自分はどれも上手く出来ている実感は持っていなかった。
今思えば確かに「それなり」にできていて、得意科目だった英語は周りの同級生が必死で家で勉強してようやく偏差値60ぐらいだったのに、一切家では勉強せずにビートルズの曲と歌詞・和訳をすべて暗記しているだけで偏差値70オーバーだった。
つい最近にはじめてテストをやって知ったが、IQが無駄に134もあるらしい。
高校卒業後は入試科目が国語と英語だけのFラン大学に進学した。
大学に入って軽音サークルに入ると、高校時代までは出会ったことがないようなタイプの人間がたくさん居た。
僕が在籍していたサークルは大学の軽音サークルでは珍しく、オリジナルバンド、いわゆる外バンを多数抱えるサークルだった。
一番多い時には30近くのバンドが学外で活動していた。
楽器を始めたのが高校2年生の頃で、そもそも不器用でそれほどうまくなかった僕はサークルでできた友人たちとコピーをやることすらままならない腕前だった。
それでもあまりに個性的で魅力的な彼らと遊ぶことはそれまでに経験したことがないような楽しい時間で、知らない音楽を教え合ったり集まって練習したり、悪ふざけをしたりとこれからの人生も含めて二度と訪れないかけがえのない時間だった。
全く自信がないから初めは断っていたが、ある日何故か承諾してしまった。
そのバンドは加入した時点では大学付近のライブハウスで月1ぐらいのペースでライブをやっていたぐらいのよくあるアマチュアバンドだったが、リーダーである件の誘ってくれた先輩というのが天才的なソングライティングの才能を持っており、かつ、人間関係を築く天才だったため加入してから瞬く間にCDを全国のレコードショップで発売するまでになった。
それに伴い、ライブの回数は増え、レコーディングや地方へ遠征する機会も多くなっていった。
大きく変わっていく生活に僕はなかなか慣れず、また、もとよりやる気を出すのに凄くエネルギーが要る(この時は気づいていなかったがADHDだということが後で分かった)ため行動力は鈍り、授業にはどんどん出なくなった。
その分、楽しくバンド活動をやっていたのかというと、そうでもなかった。
バンドの活動の幅が広がるにつれて、自分の下手さが足を引っ張っていると思い込んでしまい、プレッシャーを感じていた。
ただ下手くそなだけだったらどれだけ良かったか。運が悪いことに、僕はどうやらアレンジのセンスがあったらしい。
センスだけは代えが効かない。いつの間にかバンドに必要不可欠な人間になってしまっていた。
もうこうなったら練習してうまくなりさえすれば良かったが、この頃にはギターを弾くことが苦痛とさえ思うようになっていた。
それでもライブは決まっている。
学校にいく必要もなくなったので更に本数は多くなり、その次の年には年間とおして4
日に1回というペースでライブをやった。
これだけやってればそれなりに認知度も上がってきて、ファンだと言ってくれる人も多くなった。
そういった人たちに褒められたり応援してもらう度に自分が下手すぎて死にたくなった。
なおさら後に引けない状態になっていった。
もしかしたら他のメンバーも同じような気持ちだったのかもしれない。
3枚目のアルバムをリリースしようとする頃にリーダーがついに心折れた。
「このCDを出してどうにもならなかったら、終わりにしよう。」
一番身近で一番頼もしい仲間が夢を諦めた直後だった。
メンバーの誰も反対はしなかった。
その後の1年間はそれまでが嘘だったかのように必死で練習して曲も作ってレコーディングした。
あっという間に1年が過ぎて、バンドは活動停止した。
その後、知り合いのバンドにうちでやってくれと頼まれた。
初めはもうバンドはやるつもりはないと断っていたが、あまりのしつこさで折れてしまった。
その1年間で多少自信をつけていたせいもあるかもしれない。
その後はまた同じようなことを繰り返した。
学習しないやつだ。
2つ目のバンドに加入して3年目。
就職していたが、社長とソリが合わなくて喧嘩して辞めることになったので、これを理由にして実家に帰ることにした。
バンドも辞めた。
この10年間は一体何だったのだろう。
幸いにも初めのバンドをやっていた頃に働いていた会社でウェブマーケティングのスキルを身につけていたので、田舎の賃金が安いとはいえ全く生活には困っていないどころかちょっと本気を出せばそれなりに余裕のある生活すらできる。
ただ、生きている実感がまったく無い。
むちゃくちゃなことばっかりやっていたけど、音楽をやる時だけはみんな真剣だった。
就職した後も次は仕事に真剣で、中には28で上場企業の副部長クラスの地位を得ていたり、だれでも知っているような会社の営業所長になっていたりする奴もいる。
こう言うとアレだが名前書ければ入学できるようなFラン大学出の人間の出世コースじゃない。
仕事の話を聞いてもやっぱり彼らのやること考える事は真剣だ。真剣にやって来た結果が彼らにはある。
僕は到底彼らにかなわない。
別にお金も地位も栄誉もいらないが、これから先も一度たりとて彼らのように真剣に何かに向き合うことができずに生きていくのかと思うと怖くてしょうがない。
たくさんの反響を頂きました。
後で読みなおしてみると書きなぐった感がすごくてとても読みにくい文章でした。すみません。
急に誰かに聞いて欲しくなって勢いで書いたので・・・
いろいろな意見を頂いて、自分の中で今後どうやって行くのか決意が出来ました。
http://anond.hatelabo.jp/20140619160649
いつかまたいい報告ができればと思います。