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2023-10-30

双子の兄とやって楽しかたこ

当方、一卵性双生児(男性)なのだが、兄弟でやって楽しかたことを書き連ねてみる。

スマブラ

少年期に大流行したコンテンツ

当時は現在環境が異なり、対人環境オフラインしかなかったため、対戦相手を用意するだけで一苦労だった。

私は双子であったため、家に帰ればすぐに対人練習ができる環境であり、双子揃ってどハマりした。

腕前が同程度の相手と何度も練習するのは効率が良かったのであろう、2人とも地区大会選出程度には上達できた。

野球

親の影響で始めたのがきっかけ。

リトルシニアまでは兄弟バッテリープレイした。

なお、負け試合は互いのボール/リードのせいにしてよく喧嘩していた。

高校からは互いに、多少の反発心もあり、違うチームでプレイしたが、帰宅後の自主練は2人でよくした。

おっさんになった今でも、たまにキャッチボールバッセンに行く。楽しい

オタク趣味

自分学生時代の時には、まだまだオタクに対し風当たりが強く、周りにもそのような趣向の友人がいなかったため、隠れオタクをしていた。

ある時、互いの部屋にオタク関係アイテムがあり、互いがオタクだと認知したとき兄弟のみで嗜好をオープンにした。

やはり1人より2人で作品考察し、キャラを愛でるのは楽しく、どっぷりオタク趣味に浸かっていった。

2人でコミケにいき、たくさんはしゃいだのも良い思い出。

友達交換

双子ならではだが、お互いの友達が確実に同年代かつ、趣味嗜好が合うため、互いの友人を呼んで交流をたくさんした。

上記オタク趣味顕在化してからは、そのようなグループも交えていろんなところに旅行へ行ったり、BBQをしたりした。

キャンプ

もともとソロ気質が高い人間であり、ソロキャンプをしていたが、せっかくなら一緒に行こうと兄を誘ったところ、刺さったもよう。

気を使わなくていい相手と、取り留めのない話をしながら酒を飲み、火に薪をくべる時間が、どうしようもなく好きだった。

最近は2人キャンプいけてないなあ。

子育て

先に私が結婚子どもができたが、甥っ子に当たる私の息子を兄はよく可愛がった。

今は兄にも子どもができ、互いの家族同士で遊びに行く。

これからは、このコンテンツがメインとなり、兄と楽しんでいくんだろうな。



世代の1番の友人であり、ライバルであり、家族である双子の兄、書き連ねてみると、一つ一つは大した思い出でもないが、やはり居てくれてありがたい存在だ。

anond:20231030024450

多分そもそも身体障碍者が足りないんじゃないか

ていうか、そもそもオープン就労で苦労してる発達障害者ってあんま見た事ないんだよな、普通に就職できてるし働けてる

だいたいクローズでやってる人より余裕あるし「早めにわかたか障害者枠に行けて良かった」って言ってる人も結構いる

べつにそこは問題ないのよね、ASDしろADHDしろ、「見えづらい」からわりと企業採用の人から印象良かったりして障害者枠だったら全然アリだなって感じで採用はされやす

anond:20231030024415

特に発達障害高学歴の人からしたら、弱みをなんとか学歴カバーしてこれたのに

これはなんか微妙なところじゃないか

まり別に転職しなきゃそもそもこれ露呈するタイミングすらないわけで

ハイキャリア転職なら今更適性審査ないとこも多いし、(まぁ隠そうと思えば多少はごまかせるし)実績でねじ伏せられるからそこまで困るとは思えない

学歴だけ高くても複数回転職を繰り返してて自覚的レベルの人は、別にこれまでもそんなに変わらんのよね、落ちるし、入っても苦労する

学歴だけじゃあごまかしきれないよ、クローズ就労続けて疲弊して潰れてオープンに変えた人、むしろ時代的にオープン就労枠がなかったから苦労してた人、色々見てきた

「強みを武器にして弱さを補う」を完璧に実現できてる人はそもそもこの程度の網にはかからないレベルちゃんと到達してる

……ん? ああ、新卒の話だったらそれは確かに苦労することもあるっちゃあるか

そういう話か? まぁ隠し方を覚えることになるのかね、数こなしてると見えてくる気はするけれど(そもそも適性審査ってそこまで厳格でもないし)

2023-10-29

最近の合成音声キャラ同人界隈について思うこと

投稿

最近合成音声界隈で色々な即売会が開催されるようになったが、最近その供給側と同人側との立場やその雰囲気モヤモヤしているので、書きたい。

私も同人即売会イベント主催者、またそれらを支える者として、同人即売会主催者が増えてきたのは良いと思うし、こういった小中規模の主催者が増えることはコ⚪︎ケや赤×ー、ぷ⚪︎ケなどの影響力にあぐらをかい旧態依然で、異常な業界に風穴を開けることができるチャンスだと考える。

ただ、その小中規模の即売会主催者とその関係者サークル出展者(関係者かもしれない)でオープンに展開されるTwitter上のやり取りが、身内ネタすぎて全く理解できず。

知らない人からしたらドン引きする内容なのが、

運営をお手伝いしたこと過去にあるが、詳しい情報トップから事前に全くと言って良いほど降りて来ず、当日指示を仰いだ挙句「いい感じに対応して〜」と困惑することもしばしば。

突然組織形態が変わることもあるし、知らない間に企画の話が進行していて拍子抜けすることも多くあった。

友達でやってるんじゃないんだぞと。声を大にして言いたい。

さら公式関連企業無関係Webなどに書いてあるはずなのに、その公式関連企業は、無関係記載のあるイベントに便乗し、その宣伝運営に協力をし、出展までする始末。

なんで公式無関係なのにパンフレット公式メッセージ書いてあるの?

雑な文で申し訳ないのだが、これだけは言いたかった。

まれた時の性別(と戸籍)ではなく、"見た目"を性別判定に使っているのは断固として許容できません

胸が薄い女性も、骨太女性も、ドワーフみたいにならずとも生まれつきヒゲ(濃い産毛とか数本太い毛とかでない。マジでヒゲ)が生える女性もいる認識は持とう

女性男性はこうあるべきみたいな宗教他国でやってほしいし、◯◯じゃない自分の体が嫌はメンタルクリニック相談してほしい

 

とりあえず女性で髭が生えることをオープンにしている女性の例をひとりあげておきます

ここまで深刻じゃなくても産毛じゃないレベルで毛が濃くなる人(剃り跡がぶつぶつしたり青くなる人)はいます

逆に髭が生えない男性(数本とか濃い産毛レベル)もいます

他国宗教を無批判に輸入してジェンダー役割イメージ固定化を推進するのは辞めましょう 

『私に対する恐怖の裏には、まだ答えられていない問いが隠れています。だから怖くなったり冷笑的になったりしてしまうのです。

私と同じ症状を持つ人は多くいます。顔からひげが生える女性は未知のことではありません』

 

ハーナームさんは12歳の時「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。この症候群世界で何百万もの人が持っています

「多くの女性は顔にひげを生やしていますが"普通じゃない"ということで無視されています私たち身体にとっては自然ことなのにそれを笑われるのです」

ジェンダーに対するステレオタイプが、ハーナームさんを含むひげを生やす女性に対する扱いに大きな影響を及ぼしているとハーナームさんは考えます

 

ギネス世界記録 公式チャンネル

https://youtu.be/J08LgL6OrGE

anond:20231029072203 anond:20240713172022 anond:20240713175046

2023-10-27

anond:20231027190846

LoRAでねらい打たれてるツヨ絵師みっけたら本人に通報するなどして頼んでくれ 

弱小絵師は狙い打たれません(元増田は狙い打たれても全然許すタイプの弱小絵師なのかもしれんが)

ただしLoRAに限らず、著作権法は非常に和解(「賠償金+もうやりません」で許す)という結末がおおくて

判決はめったにでない。

(似たような例でいうと、こないだの女性差別解消オープンレター炎上させた男たちに対する訴訟もほぼ和解になっただろ。

あなる裁判官さまの判決文「ここまでやったからお前はダメなんだよ」というものが出ないで「もうやりませんっていったよなぁ~?」の言質がとれればそこで終わる)

例外判例が出るまで戦って見せしめる影響力の大きい会社

ポケモンを例示したがゼルダマリオでもいいぞ

おまえがLoRAして自作発言して判決でるまで戦えば出るよ判決

がんばれ♡ がんばれ♡

anond:20231027135815

斎藤環オープンダイアローグ解説書を参考にこの集団リンチ漫画描いてんのすげーな。マジで女って公平性とかそういう概念理解できないっぽい。

2023-10-25

TERFの阿鼻叫喚を肴に酒飲んでる楽しすぎる

今日最高裁判決、Tの友人たちとDiscordで「良かった。本当に良かったね」と通話しつつ、Twitterで「男体持ちが女子トイレに女湯に侵入してくる!」と大騒ぎしてるTERFを眺めながら飲んでる。こんなにおいしいお酒は久しぶり。

Tの友人たちとはだいたいはTwitterで、一部はFBで知り合った仲だが、そういうオープン目のSNSはここ数年TERFの攻撃が酷すぎて(わざわざ英語罵倒のリプ送ってくる外国人までいる)、今はもうDiscordLINE既存の知人とだけクローズ交流をしている。

Tは家族にも学校でも職場でも理解者や仲間を見つけるのが難しいので、TwitterのようなSNS価値観趣味の合う友達を作るのに本当に良い場だったのに(専門の交流サイトはどうしても知り合える層が狭くなる。昔のTwitterは最高だった)、それを破壊したTERFは許せない。

最高裁判断下してくれたのだからTwitterその他の運営トランスヘイターを片っ端から凍結してくれないかな。

とりあえず「お前らが主張する女性定義最高裁判事15人全員一致で違憲判断たから。残念でした。嫌なら日本から出てけよ」とTERFがネット馬鹿にされまくって居心地悪くなってオープン場所から消えて無くなってほしい。

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

暇空の相棒、なる君の実家特定する

・・・なんだあっ

うああああ…暇空がタフを練り紹介してる



寒いダルいしやる気なかったけどサプライズ・タフで俄然モチベーション上がってるのが俺なんだよね

嫌でもなる・ハウス特定してやりますよクククク…


ブログより

・「大都会岡山では、自転車で5分いくと田んぼに着きます10分いっても田んぼに着きます自転車で1時間いくとイオンモールに着きます電車20~30分、 最悪1時間に1本なので、ちゃん時間を覚えて駅に行きます。」

自転車はプリヂストンアルサス、いわゆる典型的ママチャリ、だな。1時間だと大体15kmの距離

倉敷に行くのに岡山駅から瀬戸大橋線に乗っているので、瀬戸大橋沿線実家はなし

高松稲荷は近所の神社ではないので、北区にもなし。中区東区と思われる。

・近所にゲオがある

岡山市ゲオ高屋、下中野福浜妹尾、益野、平島妹尾2014年オープンだが、なる家の近所にはそれ以前からゲオがあるので妹尾はなし。

中野福浜瀬戸大橋もほぼ瀬戸大橋沿線なので除外。高屋、益野、平島のいずれか。

…で、色々調べてたら丁度平島店の近くに藤澤家があったから、もうここが暫定なるくん家でよくね?

三日坊主(アキル)か…

ファ~眠い

これを読んだあなた、どうかなるハウス特定してください。それだけが私の望みです


ちなみになるパパは昔は週100万稼いでたけど今は借金抱えて保証人にもなれないらしいよ

人生の悲哀を感じますね…

2023-10-22

anond:20231021235850

から開店直後の誰も客がいない時間帯に行くんですよ。貸切状態満喫できる。団体客なんてオープンから1時間以上経たないと入ってこない。

2023-10-20

退職引き留めに応じるな 死ぬ

絶賛死亡中社員が語るぞ

実際にあった事ベースで書くから見づらいかもね


業界シェアトップを走るメーカーで間接部門(名目上の肩書では情報システム部)におる

聞こえはいいが大手が直接生産管理するほどの市場ニーズが無いニッチ産業を狙って手を出し大手製品を卸し続けるスタイルなので実質常に下請け状態

今年の頭からエージェントに依頼し転職活動を始め5月頃に地方局ではあるがテレビ局から内定を貰った

有給諸々の消化を含め上司退職相談を行った時にすんなり辞めさせてくれると思ったら部長まで出てきての退職引き留めの交渉が始まった

かい内容を全部書くと尋常じゃない文書量になるので完結な引き止め交渉の内容としては

転職先の方が給与が高い(年収比1.2倍くらい)

→今後昇給に+でのっけるから残って

・昇格要件を満たしているはずなのに昇進できない

→実は記載が無い物の暗黙の了解で年齢の制限がある、昇進できるように取り計らうから残って

メンテナンスなんかの休日対応の時は正直割増賃金じゃなくて代休が欲しい

→調整するから残って


実を言うと人間関係はかなり良好だった

飲み会も無いしトラブルが無ければ定時退社だし有給は他の人と被らないようなら当日朝でも自由にとれたしフルは無理だが理由があればリモート勤務も認められてた

不満は給与休日出勤による実質的休みの減少だったのでそこが本当に解決できるなら、と言って残る事にした

今でも後悔している、心の底から本当に


内定後に局内の案内をしていただいて「すげぇ~機械がいっぱい(こなみ)」みたいな感じでテンションは上がったし

相談した家族や友人にも「テレビ局はなんだかんだ言っても内定貰えるのすげぇよ」って言われて悪い気はしなかった

一方で今の職場は家から10分程の場所にあるが、テレビ局地方の中では中心部にある為googlemap上で1時間以上+通勤退勤ラッシュに巻き込まれるのが面倒だなとか

人間関係に不満が無い今、テレビ局に勤めるような人ってのはバリキャリ思考と言うか生粋陽キャというかはてななんか知らないんだろうな

みたいな鬱屈した感情がどうしても抑えきれない面もあって結局内定を辞退した

あ~後悔しかない


もう書いているとマイナスな考えで脳内支配されるから簡潔に書きます

給与の件

昇給に+5000円乗っけるはw(それ追い付くまで何年かかるんだよ)

・昇進の件

→後述

代休の件

→別の人アサインするね(がしかし、後任が休日対応中分からない事を聞いてきてオンタイム対応する必要が発生する。数分の電話対応×N回のサービスが発生するようになった)


で、後述とかいた昇進の件だが部署内評定でガンガンプラスを付けて昇進させようとはしてくれた(らしい)

が、本来であれば部署内処理で昇進できるものの先述の暗黙の了解のせいで他部署管理からなぜあと数年待たず昇進させるんだとストップが入ったようで

これこれこうで、と転職活動して云々と全部オープンにした(なぜ)ところそんな奴は昇進させないと他部署管理職皆様から大変なお怒りをいただきましてありがとうございますくたばれ

更に他部署部長承認必要な高額な経費が絡む案件(メンテにせよ新規にせよ)俺のハンコがついてると一切承認下りなくなってしまった


ということで一気に鼻つまみ者になってしまった僕君はエージェントにごめんなさいしながら転職活動を再開するのであった

ぐすん




追記

もうちょっとで定時だなって帰る準備しながらチラ見したら沢山コメントいただいておったまげ

励ましのお言葉と同情コメントサンキューな全部見てますありがとう


口約束を信じる判断が甘い、増田あほばかまぬけ等々

→いやぁほんとその通り、他人を信じちゃいかんね

 でも、部署中の人関係はよかったんですよホントに。転職活動当初は、人間関係待遇だったんだけどいざお話したら、人間関係待遇なのかなぁってなっちゃった

 いまはもう人間関係も終わっちゃったけど


・ぶぶぶぶぶぶぶちょうくらす(笑)

→俺ここが新卒で入ってからずっとだからわかんないんだけどもしかして他社だと部長ってそこまで偉くないの?

 今の会社プロパー以外だと某金融機関支店長20年?30年?務めた後の転籍組とか某家電メーカーで開発やって特許バキバキ持ってる人とかデザイン会社でなんちゃら賞受賞した人を引っこ抜いて来たりで

 我々一般社員はもうへーこらへーこらするしかないんだけど…飲み会とかあるともっと距離近いのかな


成仏して

転職したら生き返るから勘弁してくれメンス


また、あとで気になるコメント有ったら書きたいと思います

2023-10-19

腐女子たちの譲れない話

身バレを防ぐためにぼかして書くけど、先日仲がいいと思っていた同ジャンル腐女子に心を刺された。

同じ作品で全員バラバラCP腐女子複数集まって通話系のツールで話していた時のこと。

もうすでに最終回を迎え公式がまったく動かなくなった自ジャンルでお互いの好きなCP考察やら妄想を聞くのが好きだったし、自分も同じく考察やら妄想が好きなタイプ腐女子だった。

※この時話していた人は全員ツイッターなどのオープンな所ではそういったCP妄想を流していないのでエゴサなどで公式にバレないように配慮をしている

だけど私を刺した腐女子は違かったようで、本編の展開や演出を見てCP考察をすると通話内では言わないが「自ジャンルBL展開を売りにしている作品ではない、自ジャンルバカにするな(要約)」

といったツイート投稿していて、むしろその発言商業BLバカにしていることにならないか?と疑問に思っていた。

しかに(私個人の目で見て)腐女子媚びだなという展開があった自ジャンルだったが、どう受け取るかは個人自由であり二次創作18禁垂れ流しとかじゃなければ公式に怒られない程度のマナー節度を持てば自由二次創作していいと思う。

話は戻るが、腐女子同士の好きなCP考察妄想あくまで「私はこう思う」という会話で「貴方もそう思ってほしい」という思考押し付けるような物ではなかった。

もちろん私もそれを前提で話をしていたのだが、とある日の通話で心に深く傷をつけられた。

こうなった経緯は私が自ジャンルとある回でこういう演出描写があったのは自CPが成立していることを示唆しているのでは?という可能性(当てつけとも言う)を話した時のこと。

その腐女子は「ありえるわけない」「さすがに現実を見たほうがいい」「そのシーンに別のキャラがいたからありえない」「夢見すぎ」と全否定してきたのだった。

前述したことで怒りも溜まっていたのかと今となっては思うが、仲がいいと思っていた相手だったのでそこまで言われるとは思っておらず、何も言い返すことができなかった。(私は同意を求めていたわけではなくただ話を聞いてほしかっただけである)

自分の好きなもの蔑ろにされたのがとても悲しくて悔しいし、考察妄想なんて個人思想なので思想まで否定するのがまったく理解できなかった。批判のほうが思想押し付けとさえ思う。

でもその「ありえない」が彼女の考えなら私の話に頷くこともできないのは同意で、私には私の、彼女には彼女意見があるんだと思いながら、じゃあこれ以上は分かり合えないなとツイッターや他のSNSすべてをブロックして今に至る。

私は仲のいいオタク妄想話くらい笑顔で話を聞こうと、いい反面教師になった。

好きなものの話をしている人間の前でわざわざ嫌いだとかそうとは思えないと水を差すのはナンセンスだ。昔からそう思って生きてきたけどそうじゃない人間もいる。

自分よりも長く生きていて人生経験豊富そうなのに視野が狭い人で残念だな。

そう思うとここで縁が切れて正解だったと思う。

2023-10-18

anond:20231018022014

そんなのどうでもよくね?

女だけど、

演技そのものよりも演技で傷つくくらい性について今まで全くオープンに話し合えてないというかパートナーなのにコミュニケーション全然取れてないことのほうがまずいと思う

何で妻は演技するんだろうじゃなくて、何で女性は演技するんだろうと疑問に思ってしまうくらい妻との心理的距離が遠いよね

女性一般じゃなくて妻の話をしてるんじゃないの?カウンセラー行った方いいよ

5chみたいな、オープンな上に削除依頼の通りにくい場所誹謗中傷書き込むのは「嫌なら見るな」では済まないと思うんだけど、この感覚が通じない人がたくさんいるってことだよなあ

2023-10-16

anond:20231016160215

例えば「機嫌悪いな、生理か?」「休むの?生理休暇?」みたいなことを直接、あるいは仲間内で話すことを指すんじゃないかね。

セクシャルにつながる話題センシティブな部位にまつわる話題なんだから、いやらしいと言ってもそれほどズレてない気がする。

生理なんかセクシャルでもセンシティブでもない、その発想が古い!もっとオープンにしていこう!っていう生理バッジ視点もあるから一概には言えないけど。

anond:20231016093801

1.LINEオープンチャット地域コミュニティに入る

2.飲み会企画されるのを待つ

3.飲み会に来たオタクに話を合わせる

4.LINE交換してデート約束をする

5.ホテルに連れてかれるのを待つ

anond:20231015091950

オープンレーターに正当性があるのなら、今でも、オープンレーターは公開され続けるべきだと思うけど、

実際にはもう非公開になってますよね。

あれって、A氏に対する名誉棄損になると気づいてしまたからかなと思ってる。

いまどき、ウィキペディアですら犯罪者の氏名を載せなくなりつつあるのに、

オープンレーターだからといって、本人の名前を何度も連呼するのは間違いだと思う。

2023-10-15

anond:20231015092637

女性差別問題女性全体の問題であり

まっとうやゆみへの名誉毀損はまっとうやゆみが自分解決すべきもんだいだからでは?

もちろん「まっとうやさんは女性からこんなことをいうんだ」というニュアンスが入ってればオープンレターもだまっちゃいなかっただろうけどね

男ってこんな簡単区別もわからないんだなあ、差別された経験がないからかな

ところで和解したはずの先生まだ往生際わるいんですね

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