はてなキーワード: 研究室とは
卒研、修論まであと3ヶ月ほどというこの時期になって4人も研究室を変える人が出てきた。
私は今学部4年だがその4年なかから10人中4人である。びっくりである。
なんでも大体の人は「自分はプログラミングができないしこのテーマで研究も続けるのが辛くなったのでやめる」ということらしい。
本当に心の病とかだったら仕方ない。だが不思議なのは皆ちゃんと志望してこの研究室に来ているという点なのだ。
別に他の研究室が駄目でここに流れてきたとかってわけじゃない。
情報系でなんでプログラミングしないの?同じ学科の他の研究室行くことでプログラミングから逃げられるの?
私の研究室はたしかに教授は厳しいがその分しっかりと指導をしてくれているので論文も筋の通ったものを書けるようになる。発表の方も同様である。
院生の先輩方も大変有能な方たちだ。
この先卒研程度も逃げ出して共同研究にちょっと協力して卒業するようなやつらが日本のIT業界で働いていくと思うと大変憂鬱で仕方ない。
そりゃこんな奴らで埋め尽くされた日本より外資系とかシリコンバレーに熱意ある人や才覚溢れる人は流れるわなって感じ。
せめて最後の学生生活の集大成ぐらい踏ん張って仕上げてみろよとつい思ってしまう。
自分はどうなのかと言うと今日も教授に論文の書き直しを食らったばかりである。辛い。
いくら最初から完璧な論文など書けるはずないとわかっていても数日かけて一生懸命推敲した文章が水泡に帰すのはやっぱり辛いものである。
http://news.livedoor.com/article/detail/13865656/
詳細は伏せるけど,とにかく酷い教授だった.
「首を絞めるのはやりすぎ.さすがに学生にも非があったのでは?」「まだ事件の詳細はわからないから教授を一方的に責めるのは如何なものか」
そのような意見が出るのはもっともだと思う.メディアが報じるニュースの裏に隠れた事実があることだって沢山あるだろう.
ただ今回は内情を知ってるだけに,そのあまりに事実と異なるコメントに違和感を抱いた.
なに見当はずれなこと言ってんだろう,と思った.
今まで泣き寝入りしてきた学生たち,そして今回勇気を出して被害届を出した学生が,その如何にも中立的なコメントを見たらどう感じるだろう,と思った.
真実を知らない第三者が,ニュースの裏を憶測で論じる意義ってどれぐらいあるんだろう.
教えてください.
春から博士課程に進学したんだが、この半年で勉強の仕方が少しだけわかった気がする。
個人的には「勉強のための勉強」はクソつまらないし、頭に入らないし、理解できない。
一方で、「研究のための勉強」は、クソおもろいし、頭に入るし、理解できる。
つまり目的としての勉強はつまらんが、目的のための勉強はおもろい。それも内的な動機に基いていればなおさら。
その違いは、まずは大前提として「やりたいこと・理解したいことが具体的にあるか」という所が大きいと思う。
これはモチベーションだけの話ではなくて、具体的にやりたいことがあれば、それをできるようにするためには、どんな知識が必要か、という道筋が描けることが大きいと思う。
何かを独学で勉強しようとした人ならわかると思うけど、漠然とある分野を理解しようとしても、膨大な量があるので、どれをどこまで勉強していいかわからなくなってしまい、挫折してしまうということが多い。例えば、教科書の多くは、一つの目的を達成するために、色んな手段を網羅的に紹介してる事が多く、それをいちいち勉強していては時間がいくらあっても足りないし、そもそもそれらを全て勉強するモチベーションがない。個人的には、はじめは色んな手段を知ってることよりも、一つの目的を達成出来ることのほうが重要だと思う。とりあえず「これをやりたい!」というものを、必要な最低限の知識を仕入れていって、最短ルートで、出来ないか試してみる、それでだめなら、もう少しいい方法を探す、それでだめなら・・・という風に、「実際に使ってみて、試行錯誤をする」というプロセスによって、勉強が頭に入っていくんじゃないかと思う。「実際に使ってみて、試行錯誤する」というプロセスを確立し、それによってやりたい目的を達成でき、"自分なりの理解"に到達すれば、最高に勉強はおもしろい。
増田さんにも言及して頂いたり、色々コメントも頂いたので追記させて頂きます。
id:imizis 途中まで段落に分けて読みやすくしていたのに、最後の段落だけ改行がないから早口で喋ってるみたいで面白かった。
id:axkotomum これを読んで逆に目的のない勉強は好きで得意だけど目的のある勉強は苦手だと気づいた
目的がなくても勉強できるかは人によりますよね。また目的が外的(仕事、受験、テスト、単位)か内的(興味・関心)かによっても、違ってくるかもしれませんね。大学の学部の頃は、興味も関心もなさそうな講義を淡々と勉強できる同期が結構いましたが、自分は全くできなくて大変でした。
id:orangeitems これは博士課程レベルとは言い難い文章で残念
id:mouseion 博士課程でそれなのか。いや勉強のための勉強って大学入試まででしょって話で博士課程に入ってようやく理解できたって何か逆に凄い発見のように思えるので。応援してます。
すいません後期課程です笑 出来の悪い学生なので耳が痛いですが。
出来る人は、それこそ生まれたときから出来るけど、出来ない人は出来ないということでしょうね。
「興味・関心等の内的な動機に基いて、明確な目的を持って勉強する」というのを本格的にやり始めたのは、研究室に入った4年からですかね。学部と修士までの3年間は、それこそ「とりあえずやってみて、試行錯誤をする」という感じで、あれでもないこれでもないという感じでした。学部や修士の頃は、やりたい研究と、自分なりに咀嚼して理解できた勉強が乖離していたのが、やっと今になって勉強して理解した内容を、研究にアウトプットできるようになって俄然おもしろくなってきたという感じです。勉強した内容が実際に役に立つのって、やっぱり年単位でラグがあるから、それを乗り切るためには明確な目的が必要ということですかね。
id:n314 勉強の先に研究があるような書き方にめっちゃ違和感がある。まったく別物だと思ってて、研究はしてるけど勉強はしてないみたいな言い方してた。たぶん勉強に暗記っぽいイメージがある。
勉強の先に研究があるというよりは、研究のために勉強があるという感じですかね。ちなみにうちの先生は、奥さんに勉強してくるわと言って家を出ると仰っていたので、捉え方は人それぞれでしょうね。その先生を見てると、研究といっても興味関心があって勉強して理解したいことをやってるだけで、そのアウトプットのクオリティーが高いので研究になってる的な感じです。
id:augsUK 目的に入らないと勉強できない場合、研究や仕事の自分の中での定義を相当広くとらないと、すぐに時代遅れの技術にしがみつく人になるから気をつけてね。個人版イノベーションのジレンマは本当にサイクルが早いから。
これに関しては、自分も気をつけるようにしています。研究という目的だと、狭く深く勉強できていいのですが、陳腐化してしまうことも考えられるので、そうではなくトレンドなどをただ知っておきたい、少しは理解しておきたいという目的で、広く浅く勉強することもやったりはしています。
id:sukemasa_fujiwara 学生ん時、教授から「本に書いてあることは疑ってかかれ。お前らは著者に一方的に教えを受ける立場ではなく著者と対等の研究者だ」って言われたけど当時は「無茶言うなよ」って思ったな。今ならわかるけど。
教授あるあるですね。本も論文も疑ってかかれ、とはどの先生も仰りますね。高校生までは、本に書いている内容は絶対で、それを覚えるだけという感じでしたが、研究が始まると、それすらも疑ってかかって、とにかく自分の頭で考えろという風に考え方を変えないといけなくなりますね。自分はその方が楽しかったですが、苦手そうな人も結構みますね。
id:bookmarkmen ずいぶんはしゃいでるみたいだけど、3年後にも同じように笑顔でいられるかな?
このロジカル語法というのは本当にすごくて、twitterとか巷のネット上の議論はすぐに罵詈雑言ウンコの投げ合いに相転移するけど、ロジカル語法はどこまでいってもロジカル。
決めつけdisも重箱の隅をつつく批判も否定も謝罪も反省も謝意も全部ロジカル。
なので不快にならない。気分がいい。
これはロジカル語法は口語との差が大きくて、文章を考えるだけで自然と内容が推敲されるからではないかと思う。
昔、研究室のボスが、ヒトは博士をとって初めて人間の言葉をしゃべる、って言ってたけど、それに近いものを感じるね。
2位じゃダメなんですかで話題だったころ研究室で教授が愚痴ってた話をする。
その教授曰く、要は大きな研究が重視される事が本当の問題だと。
話題になりそうな研究、日本すげーができそうな研究、ノーベル賞取れそうな研究
「問題はなにに金出してるかって話」
「結局、ビッグサイエンスなんだよ。ビッグサイエンス傾倒問題」
「でもだれも文句言わない。いつか俺たちも(甘い汁すいたい)って思ってるから」
「それに科学者って世間知らずで研究しか能がない連中が多いから、世の中のことわかってないんだよ」
いつだったか河野さんが申請書類のフォーマットを文部科学省に改善求めてた件で
大学のローカルルールを国が決めてるって勘違いして文科省に文句いってた人いたじゃん
文科省からそれは大学に言えよって返された件で思ったんだけど、大学教授って結構馬鹿なんだなって
だから書いてみた。
足の引っ張り合いをしろってんじゃないけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1163576
この手の話題はこれまで何度も繰り返されているが,やはり興味のある人が多いのか,たくさんのコメントが集まっている.漫画の宣伝としては,大成功の部類ではないか.
この記事を見て,ふと自分の経験を思い出したので,ここに書き残しておく.
数年前の夏,仕事関係の知人 (既婚者女性) から,年の近い女性を紹介してもらった.その頃の僕は理工学系の分野で博士号を取ったばかりで,ようやく長い学生生活を終えたところだった.研究活動に夢中で,研究室と家を往復する毎日では,女性との接点などあろうはずもない.そんな中で頂いた紹介話だったので,喜び半分,不安半分という感じで,お会いすることになった.
最初は,紹介者を交えて三人で食事.平日の仕事帰りに,紹介者が予約してくれていたお店で,予算3,000円くらいの洋食.コースメニューだったので,外食慣れしていない身には,注文も楽で助かった.けれども,肝心の会話はそれほど盛り上がらず,自分のトーク力のなさが身に沁みるひとときだった.お相手は上品で大人しそうな女性で,おしゃべりも控えめな感じだった.それに,喋っているときの彼女の視線は紹介者の方ばかり向いていたように思う.
そもそも,僕は専門的な議論ではいくらでも饒舌になれるが,日常会話ではほとんど聞き役に回ることしかできない.いろんな話を聞くこと自体は楽しいけれど,自分の話をするのは苦手だ.複素関数とか測度論の話ならいくらでもできるけどね.
そんなわけで,あまり手応えがないまま食事を終える.つまらない人だと思われたかな,と暗澹たる気持ちに.紹介者に促され,とりあえず連絡先を交換.後ろ向きな気持ちでお店を出る.帰る方向が紹介者だけ別だったので,駅までのわずかな時間,彼女と二人きりになる.お互いに当たり障りのない礼を交わしたり,二言三言だけ会話をした.
その別れ際,彼女が急に真顔になって
「良ければまた会ってください」
と言った.頭に若干の疑問符を浮かべつつ,「はい.メールしますね」と返事をした.
「私達ばかり喋ってしまってすみません」「懲りずにまた会ってもらえたら嬉しいです」
という内容のメッセージだった.
社交辞令かもしれないとも思いつつ,食事に誘うことにした.「休日,お昼ごはんご一緒しませんか」みたいな感じ.
誘ったからにはお店を探して予約するのを期待されるんだろうなー,男性の役目って認識が一般的だろうけど,正直嫌だなー,とこのとき思った.ファストフード店以外では滅多に外食をしないから,良いお店を全然知らない.それに,恥ずかしながら,僕は電話が苦手なのだ.
「是非行きたいです。普段よく行かれるお店はありますか?あれば行ってみたいです。なければ、私の知っているお店でも」
人によってはごく普通の大人の対応なのかもしれない.けれども私の中で勝手に,彼女への好感度が急上昇した.結局,彼女のご厚意に甘えて,お店の予約までしてもらい,当日は美味しいイタリアンをいただいた.お会計では大変スマートに割り勘へ誘導され,大人だなぁと感心しきりだった.
それから頻繁にデートをして,その度に,お勧めのお店を彼女から教えてもらった.ほとんど毎回,予約も彼女がしてくれた.
「私のほうがお店をたくさん知ってるんだから、私がやるのは当たり前じゃない?」と、大変合理的.
あとになって分かったことだが,彼女にとって,いわゆるエスコートをしてもらえるかは全く重要ではないらしい.最初に会ったときはおとなしい印象だった彼女.実は,一旦打ち解けると,彼女は「おしゃべりモンスター」に変貌した.日常生活のことや,家族のこと,職場のことなどを次々と,とにかくすごい文字数で喋る.よくこんなに頭が回るなと感心するほどだ.自分の話をするより相手の話を聞くのが得意な私にとって,結果として,とても相性が良かったということだ.
なぜか古いエントリが流れてきた.
放置系ブラック研究室で楽しく生きるにあたって - 糞ネット弁慶
今までこの研究室では,これが研究だという指針があったものの,いかに井の中の蛙だったことを思い知った.
どれだけ頑張っても指導できる先生がいないので,論文を書いてもリジェクトされるのである.
放置系ブラック研究室の特徴は,先生が口先だけで何もやらないのである.
酷いところでは,院生や学生に自身の学務に関する仕事を代わりにやらせるケースもある.
先生が何ら自発的にアクションを起こさないため,院生が必死にアクションを起こさないと卒業できない.
これには院生にも原因があり,卒研生は誰ひとりとして院生の研究を把握していない.
院生も研究の仕方がわからないので,卒研生にプレッシャーをかけることができないのである.
挙げるだけできりがなく,私が受けたハラスメントになってしまうので一旦止める.
甘い蜜で誘い出すが如く,
言っている先生はかなり怪しい.
水素水には2倍の水素が含まれているのと同じで,言い方は間違っていないが真実ではない.
まず院生が育たない.
学部生の延長線上で教育を受けた院生が,果たして院生になれるのだろうか?
学部生に対する世間の期待はそこまで高くないが,院生はそうも行かない.
ましてや,先生が先頭立って「これが研究である」と言ったら悲劇である.
学生は簡単に騙されてしまうので,先生が言ったことは掛け値なしに信じてしまう.
先生は「院生になると学部よりも成長する」とか言って院進を誘い,その結果がこれである.
騙された私が悪いと言えばそれまでで,正直なところ生活が苦しくてもJAISTかNAISTに行きたかった.
なまじ成績が優秀だったので慢心したか,同じ研究室に院進してしまった.
先輩よりも良い研究にしたい気持ちで研究したが,副査の先生に壮大にディスられた.
既に博士課程進学は決まっている時期で,研究室の間違いに気がついても遅かった.
結果的に私は博士課程に卒業し,とあるツテで某大学の助教になれた.
しかし,卒業には6年かかったし,助教が決まったのは4年の時で学費を払いながら仕事をした.
外部の先生に論文の添削や指導をお願いして,共同研究という体で何人か先生の名前が論文に載っている.
他の一般的なレベルの院生のコンテクストを持ち合わせないので,だいたい話が通じない.
学会発表つれーとか,実験が忙しくてやべーとか,言われてもわからない.
年に1回温泉入るだけの学会は楽ちんで楽しいし,アンケート取るだけの実験は忙しいとも思えない.
そのギャップに不安がる気持ちは放置系ブラックあるあるの話だ.
もちろん,修士研究のお作法もわからないので,修論発表会でボコボコにされる.
意味不明な発表で凄く高度に見せかけるテクニックを使った院生は無事卒業できた.
卒研の内容をそのまま修論で出した院生もいたが,受け答えが物凄くしっかりしていて卒業できた.
果たして,このような研究をやって社会に放り出されるのは良いのだろうか?
学生にとっても良くないし,大学にとっても良くないし,社会にとっても良くない.
もちろん,研究もわかってないので,ハチャメチャな論文を書かざるを得ない.
博論審査に必要な論文数を達成できなくなるので,自動的に卒業が決まらないのである.
私は学会発表で知り合った外部の先生に頼ったが,そうしないと論文を書くための初歩的なテクすら身につかない.
Google検索は最良の教師にはならず,論文を書くためのノウハウは誰も公開していない.
よそに移るのが望ましいが,転学は学会発表をたくさんやって先生と知り合いになるしかない.
冒頭で提示したエントリは,そもそも放置されてるので自由にやることを提案している.
優秀な学生は自由にやらせるほど技術的なスキルの向上は見られるが,研究者として致命的である.
私も修論を自由にやったが,副査の先生にボコボコにされるまで何が悪いのか気づかなかった.
技術の必要な分野であれば,修論なんて提出するだけなので就職にはほぼ影響ない.
博士進学を考慮しているならば,自由にやることはおすすめできない.
よく2ちゃんねるで寿司屋の蛇口が手を洗う場所と言って憚らない人がいる.
指導教員が昔からそこで手を洗う人で,学生にもそこで手を洗うと教える.
みんなで寿司屋へ行くと「熱い! 熱い!」とか言いながら大真面目に手を洗っているのである.
大学の研究室は寿司屋の蛇口で手を洗う事態になりやすいところで,よその様子を見るまで気が付かないのである.
冒頭のエントリでは,何を目的として何をするか,自分が恥知らずだったことを気付いた学生の視点で展開している.
しかし,自分でやるということは,1年間で論文20本読んだ偉い! という気持ちになりやすく,「論文は週5本読むのが普通」とか言われてしまうとアイデンティティが非常に揺らぐ.
経験者として言えるのは,寿司屋の蛇口で手を洗ってないか,それとなく確認すること.
自分は優秀だからって一人で研究ごっこやってたらうつ病になる.
(人間って面白くて,週に1回しか人間と面会しない状態が続くとうつ病になるらしい)
(お前が悪いと非難されたこともあるが,大学に週1しか来なくて年収1500万超えてて毎日遊んだ報告をFBに上げるお前には言われたくない)
4歳上の兄が先日一級建築士の製図試験(2次試験)を受けてきた。まぁまぁの手応えだったようだ。
兄は中学生くらいの頃から建物を見たりデザインしたり、そういうのが好きで高校の進路選択も迷わず理系、建築系の大学を志望した。
ある意味、長年の夢の成否が、箱根駅伝で言えば、丁度、往路のゴールテープを切ろうとしているところなんだと思う。
兄は、頭が物凄く良かったわけではないが、クラスの人気者、運動神経もよく、部活も高3の夏引退まで続け、
その後猛勉強、中堅高校から現役でMARCHの建築学科に進学、まるで予備校のパンフレットに載ってそうなサクセスストーリーだった。
兄は、第一志望の国立大には残念ながら落ちてしまった。そこは物凄く悔しそうだったし、当時中学生の自分から見ても可哀想だなぁと思っていた。
兄は、大学で未経験ながらある体育会に入って、主将まで務めていた。理系で製図が大変そうなのに、寝る間を惜しんでバイトしたり、練習したり、辛そうだけど生き生きしていたとおもう。
もちろん、それの裏には血の滲むような努力をしていただろうことも十分わかる。
憧れの教授がいるとかなんだかの理由で英語ができないのに、授業が英語ばかりの研究室?院?に入学した。
学部時代の成績が優秀で、院の授業料は免除になっていた。お前、体育会の主将で、、何か才能を分けてくれよ。
それで、就職2年目、就職してから毎週末は建築士の勉強をした結果、今にも夢を叶えようとしている。
一方、弟である私は、兄よりは頭のいい高校に進学、そこそこの成績を保っていた。ただ、部活は途中で辞めてしまったし、クラスではどちらかというとインキャ軍団で少し輝いている程度だった。
多分、自分と同じくらいの成績の、高3夏まで部活もやってて、クラスの人気者タイプが自分の入学した国立大に受かって、自分が落ちてしまうビジョンが死ぬほど怖かった。
その国立大で叶えたい夢とか進路とかそういうのはまったくなかった。
ただただ、その、落ちて負けたくない、周囲に後ろ指を刺される感じが嫌だというインセンティブで勉強していたと思う。
そもそも、文理選択のときすら、なんとなく〆切前日になって理系から文系にチェンジしたし、これが得意とか、あれが苦手とか、そういうものもなかった。
大学ではそこそこの体育会に入って引退し、まぁまぁの企業に内定を貰い、可もなく不可もなくな人生を歩むのだろうと最近何となく思う。きっと。
特に、親友らしい親友はこれまでできたこともないので、そのまま会社に入っても適当な立ち回りで、下の上くらいのポストについて、そのまま死ぬんだと思う。
全てが中途半端。
兄より勝っている所、それはペーパーテストの点数と学歴くらいだったが、社会に出ればそんなのはもうほぼほぼ関係ないだろう。
夢に向かってバイタリティあふれる人間と、夢のないただ漫然と生きている人間の差をいよいよ痛感させられる時が間もなく来るのだろう。
お菓子なんて興味もないし、そもそもそれほど好きでもないし、大学に進学するのが当たり前のそこそこの高校だったから、そんな選択肢はすぐ捨象してしまった。
小学生、中学生と振り返っても「将来の夢」というような作文が大嫌いで、書くことが最後まで思いつかなかった。
「俺はパイロットになりたいんだ」「私は犬が好きだからペットの関連のお仕事がいい」「水族館で働いてみたいなぁ」
なんでこんなことを周囲が平気で口に出すのかわからなかった。
夢を語るのが恥ずかしいと思っていた節もある。
夢なんて殆どのやつは叶わないんだろう、って冷めた目で見ていた節もある。
でも、22歳になって、夢があるってかっこよかったんだなって思う。というか、羨ましい。
夢のない小学生なんて、可愛くもないし、絶望している虚しい存在、俺が親なら心配するはず。
兄はいよいよ往路のゴールテープ目前。復路は建築士としての更なる飛躍の人生だろう。
修士1年なんですけど、研究成果を研究会で喋ってくれないかと言われました。でも旅費は出ないそうなので、断りました。
修了のための学外発表ノルマは果たしていて、その時の旅費は出たから、これ以上自腹を切る意味が分かりません。
とりわけ、理系が少ない。工学部には1学年1000人ほどのうちたった10%だ。
だから「女がそれだけ少なかったらモテるでしょう?」とよく言われるらしい。
しかし周りを見る限り、そうだともそうでないとも言えそうだ。
1. 少し隙がある"普通の女の子"。長く付き合ってる人もいるが、別れてもすぐに次の人ができる。
2. なんというか、強い。何でも一人でこなせてしまう感じで、成績も良かったり、学科や研究室でも中心的存在だったりする。彼氏がいない。
ちなみに世間でのイメージと異なり、東大にはけっこうかわいい子も多い。ぼさぼさの髪で大学に来たり、ひげが生えているような女子は非常に少数派だ。基本的にそこらの大学と大差ないと考えてもらって構わない。
1と2にはそれぞれかわいい子もそこまででもない子もいるのだが、あまり容姿は関係ないように思う。地味理系の僕からすると控えめな見た目の方がありがたい。
僕が言いたいのは2の女性だ。わざわざ東大に来ようと思うような女性には強い人が多いのである。魅力的でも、強いのである。
そしてプライドの高い東大の男達は自分より優れた女性に尻込みしてしまうのである。(友人に「俺より頭のいい女とじゃなきゃ付き合えない」と言うカッコいいやつもいるが)
女性に耐性がない男性が地雷なのは女性を「他人」←→「恋人」という2種類でしか見られないからなんだよね。中間の「友達」がない。だからこういうメチャクチャなガイドラインが出てくる。
告白はのるかそるかでしてはいけない。確認としてするものだぞ。
それから「同じ研究室の女生徒」は間違い。そこは「女子学生」です。「生徒」は小学校から高校まで。うっかり使わないよう注意されたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170918002546
最近、「告白ハラスメント」なる概念が流行しているらしい。大学院界隈でもちらほらとそのような話を聞く。
こちらから見ると、勇気を振り絞った一世一代の告白があたかもセクハラのように扱われるのは非常に心外である。
しかし、この問題は、おそらく向こうが思わせぶりな態度を取ることで、こちらがてっきりOKだと勘違いすることが原因だと考えられる。
そこで、男子大学院生は同じ研究室の女生徒から何をされたら告白OKと判断するのかをはっきりしておきたいと思う。
それを拒否しなかった時点でこちらは「もしかして…脈あり?」と判断したくなる。
その日偶然学生食堂に2人で行くにしろ、2人で食うのが嫌ならば適当に逃げるはずである。
下校中隣で歩いていたり電車で立ったり座ったりしている時は食事中よりよほど近い位置にいることができる。
それが拒否されなかった時点で、こちらはやはり脈ありではないかと判断している。
自分の悩みを打ち明けてくれるのは実質彼氏彼女の関係と言っていいと思う。
そうじゃなかったらやるな。
代表的な事例としてはここらへんがあると思う。
もう一度言うが、向こうがそういう態度を取るからこちらも告白していいと勘違いしたくなるのであって、こちらだけに責任があるような言い方は心外である。あるのは好意のみであって悪意などではない。
「察しろ」「空気を読め」など偉そうな批判も控えて欲しい。大体、理系(特に旧帝大辺り)の男子大学院生ともなれば、小学校を出たら母親以外の異性と接触する機会がない院生も珍しくない。母親を彼女のように扱って練習しろとでも言うのだろうか。
だから、こちらからの告白を「ハラスメント」扱いするなら、せめて思わせぶりな態度は取らないで欲しい。
(追記)
むしゃくしゃして書いたのだが、意外と反応が多くて驚いた。
いくつか補足しておこうと思う。
そうだとしても、理性と感情は違う。
2人で食事や下校という状況で「〇〇さんにはいつもお世話になっております」「色々お話させてもらってよかったです」とか言われると、頭の中の恋愛スイッチが完全に入ってしまう。
そうなると、後はどこで彼女とできるだけ接触する機会を作っていつ告白するのかしか考えられず、理性でしか考えられなかった。
だから、予防措置としてそもそもサシ飯なんてやめて欲しかった。
増田のような人達に問いたいけど、友達、仲間、ただの同級生・同僚との区別をどうつけてるんだろう。男性同士でも親しさの度合いはグラデーションあるだろうに。つか一緒に学食でメシ食ったら親友なの?
http://b.hatena.ne.jp/entry/345038556/comment/movesinthefield
確かに、男性なら普通に友人付き合いなどグラデーションのある付き合いはするので原因について考えてみた。
前提として、特に博士課程の大学院生は多かれ少なかれ結婚などの人生のステップについて思い悩んでいるというのがある。この年になると周りが徐々に結婚したり親から「いつ結婚するの?」と聞かれたりするからだ。
だから、男性と女性では接する時の気持ちが全く異なる。もちろん仲のいい男性の友人もいるが、いくら仲が良くても結婚やその後のステップには至らない。
一方で女性、それも同年代の院生であればその可能性がある。かなり小さくても、男性の0よりは大きい。だから、交際や結婚のチャンスがないか、というのはどこかで常に考えてしまい、結果として上記のようなイベントをきっかけにすぐ次のステップに進みたくなるのだろうか、と推測している。
(同性愛などのLGBTであればまたこの境界は異なるだろうが、今は異性愛者である自分の話なので考慮しない)
はてぶでの反応を見ると、さすがに「我々男子大学院生」というのは主語が大きすぎたかもしれない。
身の周りの男子大学院生でも彼女がいて、正常に交際関係を築いている者は一定数いる。
(追記2)
でも確かに、男性2人でだったら仲が良くなくても普通にやることなんじゃないか、とだんだん冷静になってきました。
もしかしたら、普通に悪いことをしてしまったんじゃないか、と今は思ってます。ここで謝ってもしょうがないけど。
これから先、どうすればいいんだろう。
(追記3)
こんなに愚かな大学院生の書き込みに色々な意見やアドバイスを頂き、本当にありがとうございました。こんなにネットで反応があるのは初めてで、非常に驚きました。
これだけ多くの反応を頂いて、やっと自分の愚かさを自覚しました。今はもう、自分がしたことも勢いのままにここに書いたことも、涙が出るほど後悔しています。
ただ、皆様からのコメントを見ると他にもこのように男子大学院生が早まった告白をして迷惑をかける事例は各地で発生しているようです。他に同じことをしでかしそうな院生がいた時、これに対する周りからの警告とその後の私の反省を見ることで誰かに迷惑をかける事例を未然の防ぐために、この記事は残しておきたいと思います。もう最初の方は見返したくもないけど、それは自業自得だと思っております。
あとひとつ、今はもう恥ずかしいことでしかないけど参考になるかもしれないエピソードを追加しておきます。
紅茶が好きだと言っていた彼女に喜んでもらいたくて、先日「いつも研究頑張っているから、差し入れです」とブランドの紅茶(数千円くらい)の箱をプレゼントしました。
その後、自分がやらかした後で、封の開いていない紅茶を「そのようなつもりだったなら自分が持っているのは申し訳ないです」と返されました。その時は、物ですら拒絶されたことにただただ傷ついていたのですが、今考えると、告白する前から使っていなかったということはそのような贈り物も距離の取り方としてはよくなかったのだろう、と思います。
(特定は避けるために一部の事実は変えていますが、おそらく似たようなものでも問題が起きていたと思います)
この増田への言及やはてぶの中には、とても具体的で実践可能なアドバイスも数多く含まれています。
この失敗の記録が、女性経験に乏しい大学院生にとっての助けになればいいと思います。
ここで終わらせて頂きます。改めて、本当にありがとうございました。
院1。夏。もうすぐ学会だ。
学会で忙しいだろうからっていって、1日インターン2つ申し込んだだけにした。
さてとインターン見なきゃな、とどの長期インターンはもう終了している。やべー。
ふとインターンサイトのプロフィール、いわゆるアピールボードを開く。
この二つはもう埋まっている。わりと迷わず埋められたと思う。
……。
空欄。
理由は単純で、一人の方が楽やんとか人と話すネタ浮かばんからどう話しかけりゃいいかわからん!とかいうてたらあっという間にハブ山ハブ男。
サークルどころか学科でもそうだった。研究室はちょっとだけ話したかも。4人の研究室。なお1人は失踪。1人は就活。
もう1人は、俺が研究やってるのを見てか、こいつについときゃ卒業できるやろwと思われたのか。共同研究すること。あれ共同って言わないよ。
あーじゃあ趣味を代わりに書き込もう。サークルの代わりになるかな。
自分は一人でチャリでふらっと数日旅行するのが好きだし、それを書いてもいいかな。。。
んでもこの項目で企業が知りたいのは、多分協調性かリーダーシップを見たいんやな。
ということは、、、
ここに一人でチャリがどうのこうの書いたってなんの意味もないじゃないか。
いや、協調性ってなんだろう。
どうもグループで何かを成し遂げるために必要な能力のすべて、らしい。
だとすれば。
22の人間が人生を思い返すだって笑われるのかも。でも気づいてしまった。
この段階ですでに必要とされていた『協調性』なぞ、俺にはない。
中学時代まで空気を読むの意味が、感覚としてもわからないポンコツっ子でした
まあだからいろいろされる人でした でもそういうことした人に今はうらみなんかありません
というか書きたいそこは本題じゃないですね
高校時代になって初めて、なんとか空気を読むことの理解をしました
そのときに自分を妥協することでこんなにも認められるんだ!とか思っていました
それが認められたことのイコールにもならないのに
協調 … 力を合わせてことをなすこと 利害の対立するものが、力を合わせてことにあたること
妥協 … 対立していた者の一方が他方に、あるいは双方が譲ることで意見をまとめること
http://www4.plala.or.jp/k-k/meisai019.html
らしいです。協調性は妥協じゃない。当たり前の話なのにあまり考えてもみなかった。
ああーーーーでも気づいてたんでしょう。なあ大1の俺。なあなあなあ。
心のどっかで絶対に妥協は逃げで、妥協すれば協調できる、仲間の一員として認められるってもんじゃないことを知っていたはずだよ。
だけどすぐに「しょーじき人生一人の方が楽やろw」とか思っちゃってさ
きっとそういう気持ちが大学生の俺自身をハブ山ハブ男にしたわけです。
俺はいま協調性を身につけたい。というかそれで成功体験が欲しい。
こんな悪くもないのに謝罪しまくって妥協し、協調できた気になってる自分を変えたい。
「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」
「いまさらボランティア!?あんたインターン長期いってないのに!?」
特に「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」っていうのが脳内で聞こえる。
「いまさらボランティア!?あんたインターン長期いってないのに!?」
これも聞こえるけど、まあまあまあ……
正直一番下なんてのはどうだっていい。
「就活のためにボランティアしてるようなもんじゃんwこの偽善者がw」これがヤバい。
就活のため→自分を変えたい→協調性養って成功体験ゲットして自信付けよう、なんだよね。
不純すぎる。
キモい。
もうだめなのかもしれない。なんだか行動する気力をそがれていく。
今日も何も何も決められないまま、俺はリクナビのアピールボードのページを閉じる。
ボランティアのページを閉じる。
声にならない叫びを叫びたくて、1年ぶりにここに来た。もしかしたらだれか共感してくれるんじゃないかとか思ってしまう。
書き殴った理由はうっぷんを晴らしたくて、だけども。。。
どうしたらいいのだろうか、明日は休みを取れたので、とりあえず、寝て起きてゆっくり考えよう。
叩かれてるかもしれんなそれはそれで落ち込むけどもまあまあまあ……