はてなキーワード: 配給制とは
個人的にはオークションサイトなどで目にするタイプの転売屋は最悪だと思っているし、そういう商品を買ったこともない。
その上で、しばしば転売屋とセットでやり玉に上がる「転売屋から商品を買う人」の是非について思ったことをちょっと書きたくなった。
言うまでもなく、大半の商売ではお金を払えない人は客とはみなされない。
ところが逆に、金ならいくらでも出せるという人があらゆる物を好きなだけ手に入れられるかというと必ずしもそうではない。
その極端な例が政府が配給制度をしいて供給量をコントロールしている場合だ。配給品はいくら金を持っていたとしても決まった量しか手に入らない。
このようなとき、お金を出せる客とお金がほしい生産者がマッチングすると、闇市が生まれて闇相場ができる。
ひるがえって今のプラモとかPS5とかiPhoneとか他のなんでも小売りの世界について考えると、売値についてはたいていメーカーの思惑で一定範囲に決まっている。
金をたくさん出せば必ず手に入るという状態ではない。「金なら出すから何とかしろ」という人たちはある意味客層として想定されていない。
供給量に不安があって、客の手元に金があり、ネットによって売り手と買い手のマッチングは秒でできる。
そんな今は闇相場を作ろうとする力が強く働いていて、転売屋はそれにタダ乗りしているだけじゃないかと俺は思う。
※厳密な話をすると闇商人としての転売屋は配給米を闇市に流しているような輩であって過去の闇商人たちよりも数段タチが悪い
日本の配給制度と闇市を巡る問題については、とある裁判官が闇市の利用をよしとせずに配給食料のみで生活して餓死した事例がよく知られている。
べつにプラモが買えなくたってPS5で遊べなくたって死にゃあしないけど、金はあるのに金で解決できないフラストレーションに公式は応えてくれない。
じゃあ転売で買うのは正しいかって言ったら正しくは無いんだが、自分の需要を認めてもらえない人たちにとっては法に触れるわけでもなく自己解決の手段の一つである。
そもそも転売屋を滅ぼすことはできたとしても「転売でもいいから入手したい」という需要を滅ぼすことはできない。
それが人の夢、人の望み、人の業だとえらい人も言っている。転売は結果に過ぎないんだよ。
公式の供給が有限で、かつ一般販売しか想定されていない商品では、闇市の発生を防ぐことはたぶんできない。
「暇がない、金ならある」という人がいる限り、売らんかなとする輩によってすぐに闇相場が形成されることになる。
不幸なのは一般販売に関わる参加者全員が、今やその闇相場の影響を受けていることだ。
いま転売屋から商品を買っている人を責めて転売屋から買うのを止めさせるよりは、その需要に応える転売以外のルートというものを考えてみたほうが幸せになれるんじゃないかな。
知人に実際に転売に手を染めていたものがいて一度口論になったことがある。
このような手合いは自分をごまかすための理論武装を多重に備えているので、その場で論破できるなどとは考えないほうが良い。
依頼があって瀬取りする商人とネットオークションで活動する転売屋の差はここにある。
「俺の代わりに買い物してきてくれ」と頼まれない限り、転売屋のサービスの需要はゼロのままであり彼らが手にするべき真の価値は無である。
販売価格が卸価格に比べてずっと高ければ、誰かが市場のパイを一切れさらっていったということであって供給側にとっても隠れた損失がある。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
[B! マスク] バイデン政権「全国民へのマスク配布」を検討中、変異株を警戒 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
アベノマスクは質が悪くコストが不当でタイミングも大外しだったから叩かれたんで、マスク配布自体は愚策ではない。台湾や韓国でも一時期は配給制みたいなことしてた。
う そ を つ く な
この人本人はともかくとして、みーーーーんなマスク自体をバカにしてたわ。質が良いマスクであろうが100%バカにしてたわ。タイミングについて良いも悪いもあるか。
日本だけがやってる。欧米ではやってないという材料だけで良しあしとか考えずにとりあえずでバカにしとったわ。
ただ空気読んで何も考えずにしゃべってるだけじゃんはてブの民。
あ ほ く さ
2000年代後半から2010年代初めにかけて、経済学クラスタの声がネット上で人気があったけど、安倍政権中期以降、とくにコロナ以降さっぱりダメになったね。
ネット経済論壇の中心だった高橋洋一や田中秀臣は完全にリベラル左派叩きの自民応援団でネット右翼化しまったし、もはや政商としての地金が明白になっている竹中平蔵を批判するよりも、竹中を批判する左派を嘲笑的に批判している。学術会議問題では政府の擁護に走っている。仲間内から激しく攻撃されながら、高橋・田中を執拗に批判し続けていたbewaad氏の正しさが完全に証明された形だ。
良識派の飯田泰之や松尾匡なども、「民主党政権のもたらした不況でリベラル左派は支持を失った。アベノミクスは消費増税さえなければ成功した」という、明確な事実誤認を含む、身内以外に説得力のない理屈にしがみついている点で、高橋・田中と変わらない。また、社会保障など個別の問題に対する知識の浅さやいい加減さが目につくようになり、正直もうあまり読む気はしない。だいたい白饅頭の本に帯なんか書いちゃダメだろう。
一時期は飯田とべったりだった荻上チキも、自民党政権への甘すぎる姿勢に業を煮やしたのか、最近は距離をとっているようだ。彼のラジオにも「リフレ派」の面々は登場しなくなり、最近は驚くべきことに反リフレ派の中田大悟などが出演している。田中秀臣を最後まで擁護し続けた稲葉振一郎は、周りの社会学者を散々巻き込んだくせに今は知らん顔をしている。
コロナ禍で経済学者は役立たずぶりを遺憾無く発揮している。トイレットペーパーやマスクが深刻に不足している時に、安田という経済学者が、配給制よりも値段を2倍にすればいいという提言を真面目にしていて(別に経済学者に言われる前に値段は5倍10倍になっていたわけだが)、さすがに失笑を買っていた。政府に招聘された経済学者たちちも、ニュースでその提言が取り上げられないほど存在感がない。
残念ながら人もシステムの一部で、利益も支援もないのにシステムの一部になる人は良くも悪くもやべーやつです。
ポケットティッシュシステム(仮)がうまくいっていないのは以下の理由からだと思われます。
不利益を作るのは割と簡単で、ポケットティッシュを配給制にすれば良いでしょう。洗濯による喪失はバレバレなので臨時の支給を請求するのはかなり気まずいはずです。
しかし、これだけどポケットティッシュを持たないという非道な選択が可能で、お子様が闇落ちする可能性があります。ポケットのティッシュを次の衣服に引き継げる正式な仕組みを用意するといった利点を用意すべきです。正式というところが重要で、脱衣所に正式なポケットティッシュ置き場を用意するだけでも効果はあります。
https://anond.hatelabo.jp/20200521211842
当初政府はその問題を、不況と同じレベルで考えていたらしい。時代に適応できない事業が淘汰され、自殺者が増えても、全体としてはやがてバランスが取れていくだろうと。
「エコシステムってやつね。何かが壊れたり死んだりしても、時代に沿った形で自然に復元し、バランスが保たれるはず、そう考えたのよ、政府は」
ところがそうはいかなかった。専門家の試算によると、復元が不可能なほど、人も事業も経済的な理由で死ぬことがわかった。あるいは海外に身売りする企業が増えるだろうと。実際、その兆しが見え始め、政府の支持率も落ち始めた。
焦った政府は、そこで本格的に救済措置を検討し始めた。それまでも単発的な給付金や貸付などは行っていたが、それでは間に合わなかった。
「結局いろいろあった後に、有望な事業は国が保護することになったの。うーん、半分国営化みたいな感じ?」
その経緯についてもっと詳しく聞きたかったのだけど、サタさんは「カショウに聞いて」と言って、説明を端折った。
一方、個人に対しては、継続的な給付金、つまりベーシックインカムが検討され始めた。
「その話が出たとき、もうみんな大盛り上がりだったわよ。そんなのできっこないって言いながら、本心ではみんなワクワクしてた。でもやっぱりね」
そうはいかなかった。財源が足りないのは明白だった。
「ベーシックインカムの話が出るずいぶん前に、政府はマスクと一時給付金を配ろうとしたの。でも、IT化の遅れのせいで、あちこちでトラブルが起きたの」
IT化の遅れ。これはカショウも言っていた。簡単にいうと、それまで政府は、既存の産業やエコシステムに気を使いすぎて、新しい技術を取り入れることができなかったらしい。あと、かたちを伴わない情報やデータを軽く見ていたのも、IT化が遅れた理由のひとつだったと。
「そんなときおとなりの国がね、ITの専門家――専門家って言っても学者というよりガチでコード書くプログラマのほうね――を招き入れて、マスクをみんなに、均等に行きわたらせることに成功したの!」
その様子を見た役人か誰かが、本格的なIT化と、配給制を検討することを政府に進言したらしい。そこではじめて、その技術的価値に見合う予算が組まれ、実務的なプランや技術の選定が行われた。どういったリーダーやエンジニアが必要かも、“おとなりの国”を参考にして割り出し、その発案者は政府を説得した。
「そんな案、コロナ以前は絶対通らなかったわ。政府は、それまでの社会の基盤となっている業界を優先せざるを得なかったから。でもそのつながりを断ち切ったのがコロナだったの。コロナが新しい可能性のリミッターを外したの」
古い社会的基盤を維持するために、新しい可能性は活躍の場を奪われていた。そのことをサタさんはリミッターと表現したらしい。サタさんは、配給制のバックグラウンドに、労働力不足があったことにも触れた。
「外出や人との接触も制限されるじゃない?そしたら、必然的に労働力も減るのよ。労働力が減ればつまり……、モノが減るの。外国との行き来もできないから、輸入も難しくなって……」
つまり、資源は限られている。その資源を過不足なく、国民に行きわたらせるには、現金よりも物資のほうが有効との考えで、配給制が有力となった。
「もうみんなガッカリよ。SNSは荒れまくって。配給制って、戦争の貧しいイメージしかないじゃない?あと、社会主義っぽい感じ?完全に私たち、管理されてるような?」
しかし政府へのネガティブなイメージは、数年後にはまったく真逆のものに上書きされることになった。
「着いたわ、ここよ」
サタさんは大きな建物を指さした。その配給所は、この一帯の集積所も兼ねていて、ここからさらに小さな配給所にも送られるらしい。サタさんたちは、たまたまこの大きな配給所の近くに住んでいた。
「よくここで買い物したのよ昔は。いろんな服屋さんとかレストランが入ってて。懐かしいわ」
今は、積み上げられた荷物以外は人も物も少なく、がらんとしている。
サタさんは並んだ端末のひとつに、自分の小型タブレットをかざした。
「指輪型とか時計型とかあるけど、私、指輪も時計も苦手なの。だからずっとスマホ型のを使ってるの」
サタさんのタブレットに、荷物の格納場所が示される。その案内に沿って、僕たちは移動する。
「よう!サタちゃん」
初老の男がこちらに笑顔を見せる。作業着らしい服装に身を包んでいる。サタさんも満面の笑顔とあいさつを返す。
「前言ってたやつ。届いてたよ」
彼はそう言って、僕たちをその場所まで案内した。
配給所では、必ずこういったおじさんを見かける。彼らはたいてい、荷物を下ろすのを手伝ったり整理したりしている。
すでに紹介したとおり、この世界では、生活のための労働というのはほとんどない。たいていはロボットによって自動化されている。
じゃあなぜ、彼らはここにいるのか。
それは、ちょっと説明がむずかしいのだけど、彼らのパッションとしか言いようがない。
つまり彼らは、ここで作業を手伝うことを喜びとしているのだ。誰かと立ち話をすることを楽しむものもいる。黙々と作業するものもいる。
いずれにせよ、誰かからの感謝の言葉や、あるいは作業そのものを、自分の喜びとしている。
カショウと行った盛り場なども同じで、過去にそういった経験のある年配の男女が、食事や飲み物の提供を手伝っている。配給所や盛り場に限らず、こういった自主的な労働は、あらゆる場所で見られる。
「昔はみんな、生活のためとか、それが普通だからって理由でしかたなく働いてる人が多かった。労働は苦痛だと思ってる人がほとんどだった。だけど今は、楽しみや自己表現でさえありえるのよね、働くことが。自由だから」
おじさんが笑顔でそう言った。
おじさんのような有志の労働には、ポイントが付加される仕組みになっている。ポイントは、この世界の通貨のようなもので、モノやサービスなど、何とでも交換できる。僕たちは基本的に政府の配給とサービスだけで生活ができるので、ポイントはまさに、趣味や嗜好品のためのおこづかいと言える。
「昔のポイントカードのなごりね。もうちょっと気の利いた名前なかったのかしら」
ポイントが使われるシーンとしては、誰かのハンドメイド家具やアート作品と交換したり、何か作業を頼んだ時に、その謝礼として送ったり。たいていは個人間取引で利用される。
おじさんは振り返って棚のひとつを指さした。
「これだ。降ろしてやる」
配給物資だけでなく、個人間取引の荷物もここに届く。サタさんはうれしそうに小包を受け取った。
おじさんは自走式のカートにすべての配給物資を積んでくれた。3、4日分の食料や生活雑貨なので、そこそこの量がある。
「前回は雑穀を頼みすぎたから、今回は減らしたのよ。その代り、今回はペーパー類がかさむわね」
「配給制も、最初の頃はめちゃくちゃだったが、こんなに細かく調整が利くようになるとはな。便利なもんだ」
「最初はね、あれが足りないとか、システムのトラブルとか、大混乱だったわよね」
「機械化が追いつくまでは本当にモノがなかったしな。でもあっという間に、人間の労働力の不足を機械が埋めてくれた。それに今は……、ストレスが少ないから、ストレス解消のために無駄に消費することもなくなった。そんな気がするんだよな」
「リミッターもはずれたしね」
「ん?リミッターって?」
サタさんはフフフと笑ってごまかした。
「ほんと!何もかもストレスなくてラクになったわ。昔ほら、オンラインショップのサービスで定期購入ってあったじゃない?あれを政府が一括でやってくれてるような感じね、今の配給制って」
そう。配給制と言っても、一律で配給されるわけではなく、その家庭の消費傾向が反映されているので、不満を感じることはほとんどない。
各家庭ごとに一定の枠があり、その枠の中でならどんな組み合わせで発注してもかまわない。そしてその消費傾向はコンピュータに記憶され、次回からの配給プランに反映されるので、放っておいてもある程度その家庭の生活傾向に合った物資が届く。
「ただ、昔ほどバリエーションがないのは寂しいわね。昔はね、石鹸ひとつとっても、いろんな企業が、いろんな色や香りのものを売ってたのよ」
「今は需要の大きいものしか作らないからな、政府の一元管理だから」
「技術や品質、コスト的に洗練されたものしか作らないとも聞きました」
僕も勇気を出して、会話に参加してみた。
「昔あった企業の、すべてのノウハウや技術を結集させて作ってるからな。どの製品も、最高のところでコストと品質のバランスが取れてる。まあ、どれも無難で個性がないと言えばそうなんだが……」
サタさんはさっきの小包を開けて、中から半透明のなにかを取り出した。鼻元に近づけ、においをかぐ。中に鮮やかな花が埋め込まれているのが見えた。明らかに量産された配給品とは違う、“誰かの作品”だった。
そう言って、それをひとつおじさんに手渡した。かすかに清々しい香りが漂う。
「いやぁオレはこういうのは……」
「じゃあ奥さんに。ふふふ」
おじさんにお礼を言って、僕たちは配給所を後にした。自走式カートの後を、僕たちはゆっくり歩いた。
「ああいいにおい」
サタさんはその間ずっと、“誰かの作品”を鼻に押し当てていた。
第1話
あの災禍のあと、僕たちの社会は随分変わった。
そう、今あなたたちが渦中にある災いだ。
あれから鉄道は人を運ばなくなった。そのかわり、モノを運ぶようになった。資源も限られているので、生活物資は基本的に配給制だ。
レールに乗って各ハブ拠点に到着した物資は、さらに各地の配給所に配られる。住民は、役所から配られたクーポンと交換して、生活物資を得る。
一部の地域では、ドローンを使ったり、各家庭に直通の地下レールを引くなどの試みもあるようだけど、技術的には可能でも、手間と、そこまでする根拠が不足していて、あんまり進んでない。
それらの配給所は、元はコンビニだったり、ドラッグストアと呼ばれる施設だったようだ。
鉄道が人を運ばなくなったかわりに、車が人を運ぶようになった。
車は今も人を運んでるじゃないか?
その通りだけど、少し違う。
ここでは車は完全に公共交通になった。誰も車を所有していない。自動運転車が自由な観覧車のように、国じゅうを回っている。車好きの人は残念に思うかもしれないけど。
ネットワーク技術で完全に制御された自動運転車は、一定の車間距離、一定のスピードで、車道を巡回している。
住民は自宅から、今で言うスマートフォンのような端末で、利用区間を指定し、最寄りの停留所で乗り合わせる。
それに乗っているのは、予約した住人とその家族、友人だけだ。
利用者を目的地へ運び終えた後は、車内の換気と消毒が行われる。
人が移動する道と、自動運転車が走る道は、完全に分けられている。
あなたたちの世界のように、人や自転車のすぐ横を、車が走り抜けるような野蛮なことはもうない。人命と利便性が両立するよう、合理的に整備されている。
これを聞いて、あなたはディストピだと思うかもしれないし、理想的な未来だと思うかもしれない。
実際のところ、僕たちのほとんどは満ち足りている。
たしかに生活物資は配給制だし、完全にこの国の中枢機関によって管理されている。人もモノも。
だけどこのような太い「木の幹」の部分以外、枝葉の部分では、かなり自由が許されている。
例えば……、今のあなたたちにピンとくる例でいえば……。
僕たちの世界でも、ウイルス対策や防砂等の理由でマスクが配給されることがある。それは機能性とコストだけを追求した、何の装飾もない、シンプルなものだ。
それを各々がアレンジする。
染め直したり、より使いやすいよう、縫い直したり。
(これは今のあなたたちの世界でも行われてることだから、かなり想像しやすいと思う。)
そしてそれは、しばしば個人間取引が可能なオンライン市場で流通する。
気に入ったデザインがあれは、自分が持ってるモノや通貨と交換できる。もちろんマスクだけじゃなく、服、装飾品、家具、食器……、同じように、政府が供給する“素材”がアレンジされて流通する。すべてにおいてそんな感じ。
最低限の機能だけを持ったモノが政府から支給され、そしてそれを、個人個人がアレンジし、オンライン上に流通させ、購入者は先の配給所でそれを受け取ることができる。
人々はそうやって、限られた資源を使って、自分のクリエイティビティを発揮することに時間を費やす。そして、あなたたちの社会のベースとなっている、労働というものはほとんどない。
生活のために望まない作業を強いられることはほとんどない。これまで紹介したように、配給や合理的な物流で、過不足なく生活物資は分配されるから。
ただしこのシステムを管理維持するために、月のうち数日、地域のステーションに駆り出されることはある。
と言っても、メンテナンスはほとんど自動化されてるので、人間がやることと言えば、それが問題なく作動しているかを見守ることくらい。
実際は見守るというより、それらのシステムがロストテクノロジーになることを防ぐために、市民にその稼働現場を見せ、記憶に焼き付けることにあるような気もする。
しかしそれを見たところで、ほとんどの人はそのテクノロジーを理解できるとは思えない。ほとんどそれは、過去の労働を儀式化してると言って良いかもしれない。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895802561/episodes/1177354054895802748
配給制になったりしてwww