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はてなキーワード: 配給制とは

2024-11-10

砂糖の過剰摂取は人々の健康に悪影響を及ぼすといわれていますが、実際に人々が幼少期に摂取した砂糖の量を測定し、その後の健康状態を知ることは困難です。そこでアメリカカナダ研究チームは、第二次世界大戦から1953年まで砂糖配給制だったイギリスの人々を対象研究を行いました。

イギリスでは第二次世界大戦中の経済的困難により、政府が食料の配給制を導入せざるを得ませんでした。肉や砂糖といった一部の食品戦後もしばらく配給制が続けられ、砂糖の配給量は成人でも1日40g未満に抑えられ、2歳未満の子どもは0gでした。もちろん、親は自分が配給を受けた砂糖の一部を子どもに分け与えていた可能性が高いですが、自由砂糖が手に入る時期と比べると子ども砂糖摂取量は大幅に少なかったと考えられます

配給制が終わると、イギリスにおける砂糖消費量は一気に増加し、1日平均で約80gに達しました。この劇的な環境変化により、研究チームが「砂糖配給制であり幼少期にあまり砂糖摂取できなかった人々」と、「幼少期から砂糖比較自由摂取できた人々」を比較することが可能になったとのこと。

研究チームはイギリスの大規模バイオバンクであるUKバイオバンクから砂糖配給制廃止される前後にまたがる1951~1956年に生まれた6万183人のデータ抽出し、胎児から幼少期にかけた配給制の有無と成人後の健康状態関係を調べました。

分析の結果、妊娠から生後2年間の約1000日間にわたって砂糖配給制だった子どもたちは、成人になってから2型糖尿病発症するリスクが平均35%低く、高血圧発症リスクも約20%低いことがわかりました。

赤ちゃん母親の胎内にいる時点で配給制が解除され、生後は砂糖自由に手に入る状況だった場合でも、成人後の慢性疾患の発症リスクは低下しました。また、たとえ成人後に2型糖尿病や高血圧になったとしても、胎児から幼児期にかけて砂糖摂取制限されていた人々は2型糖尿病発症時期が約4年、高血圧発症時期が約2年遅くなる傾向がありました。

2024-11-09

コーデュロイ戦争の年表

背景

19世紀半ば、ヨーロッパで突然のコーデュロイパンツの大流行が発生。

丈夫で温かいコーデュロイ生地寒冷地で愛され、その需要が急増した。

しかし、供給が追い付かず、コーデュロイパンツ一種の「ステータスシンボル」として扱われ、都市農村さらに国同士で奪い合いが起こる。

1850年

フランスコーデュロイパンツ貴族階級の間で流行し始める。ヨーロッパ各国の上流階級でも次々と流行し、庶民にも広まるが、供給が追いつかず高価になる。

1851年

パリコーデュロイパンツを巡る最初の「小競り合い」が発生。市民パンツを持っている者から無理やり奪う事件が増加し、治安維持問題に。

1852年

イギリスコーデュロイパンツが輸入され始めるも、供給不足で価格が急騰。パンツを求めて暴動が発生し、政府一時的に輸入を規制

1853年

フランスイギリスで、コーデュロイパンツを守るための「コーデュロイ護衛隊」が結成される。また、各地でコーデュロイ製品密輸する「コーデュロイ闇市場」が発展し、需要さら高まる

1854年

パリロンドンで大規模な「コーデュロイ奪取戦争」が勃発。市民路上パンツを奪い合う騒動が相次ぎ、都市警察が緊急対応を強いられる。

1855年

コーデュロイの人気が頂点に達し、ついにフランス政府が「コーデュロイ保護法」を制定。パンツ個人所有ではなく、国が管理する「共有物」として扱う法案が可決される。

1856年

英国でも「コーデュロイ配給制」が導入され、労働者階級にも少量ずつ行き渡るようになる。これによりパンツ需要供給が安定し、奪い合いが徐々に沈静化。

1857年

コーデュロイ供給体制が整い、他のヨーロッパ諸国追随して流通量を増加させたことで、パンツを巡る暴動が完全に終息。コーデュロイ戦争と呼ばれる一連の事件歴史に名を残す。

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2024-01-01

SDGsは命の間引きについてどう向き合っていくつもりなのだろうか?

持続可能社会にするために、例えば化石燃料に1000%の税金をかけたりすれば、社会はより持続可能に近づくのかもしれないけれど、そうすれば貧乏人が大量に死ぬよね。SDGsはそんな世の中にして、あとは市場原理にまかせて弱者が間引かれればいいと考えるのだろうか?

それとも人の自由を大幅に制限して、例えば戦中の食糧配給制みたいに化石燃料配給制にして、世界政府が人々の行動を監視して制限するつもりなのだろうか? まあこっちの案でも貧乏人が大量に死ぬと思うけどね。

それとも人類の発展や存続に繋がらないような質の低い人間テストなどであぶり出して、積極的に「間引き」するつもりなのだろうか?

SDGsサイドは、できるできないはともかくとして、理想とする方向性がどれかをはっきりしてほしい。

2023-12-18

地球温暖化を防止するには世界大戦しかない、しかも核を使う必要がある

温暖化防止する気がない国があるから、他の国がいくら頑張っても効果が上がらないんだよ。

戦争して滅ぼすしかない。

しかし、通常爆弾CO2を出す。

原子力ならCO2を出さない。

核兵器を使って温暖化防止しない国を滅ぼさなければならない。

そのあとは、CO2排出配給制みたいな制度地球人類全員に強制すればよい。

2023-04-17

人は◯kcalでも死なない のライン

ChatGPT4くんに色々聞いてみた

 

・極度の貧困国の低所得層の人々は、1日あたり1000キロカロリー以下の摂取量を持つことがあります。このような低カロリー摂取は、栄養失調、免疫力の低下、成長障害学習能力の低下、労働生産性の低下など、さまざまな健康問題社会問題引き起こします

世界保健機関WHO)によると、極度の飢餓状態の人々は、1日あたり約400キロカロリー以下の摂取が報告されていることがあります

日本第二次世界大戦後期の苦しい時期、特に1944年から1945年日本政府は配給制度を導入し、一般市民に対して食料を配分していました。

 1944年当時の主食である米の1日あたりの配給量は、おおよそ300グラムでした。これにより、大人1人あたりの摂取カロリーは、おおよそ1,500キロカロリー程度だったと推定されています。(300gは2合でカロリーでいうと1100kcalくらい)

 

1000kcalでは死ななそうだな(病気などで死ぬケースは多々あるだろうけど)

2023-04-15

ランドセル配給制にしよう

ラン活で皆が苦しまなくて済む

2023-03-06

少し前職場に「政府陰謀によって(?)来年から昆虫入りの食品しか食べられなくなる(配給制的な?)、それは嫌なのでお宅の商品備蓄しておきたい(要約)」という電話がかかってきたけど、最近コオロギ云々ってそっち系が元なん??

2023-02-23

anond:20230223095343

そうやって盛って極端なこと言うからリアリティが消えるんだよ

いつ子供食糧配給制になったんだ

2023-02-02

別々に育った双子

別々に育った双子、というこの記事を読んで、亡父のこと、そしてKさんのことを思い出した。

https://courrier.jp/news/archives/314969/

目黒で生まれ目黒で育った父が、実は双子だった、という話を教えてもらったのは、私が高校生の頃だ。

親戚の法事写真を見ていた、まだ小学生だった妹が、「あ、パパだ」と言うと、「よく似てるだろ、でも、パパじゃないんだ、パパの従兄弟なんだよ」と笑いながら父が言っていたのを覚えている。

その写真に写っていたKさんが、実は父の双子の片割れだった。

父が住んでいた一帯の土地は、父の伯父(私からすると祖父の兄=伯祖父)が所有していた。

長兄である祖父麻布に住んでおり、月に一度、地代を集めてその麻布の豪邸に持って行くのは父の姉の仕事だった。

祖父の家には子がおらず、末弟である私の祖父(既に4人の子持ち)に「次に生まれた子を養子にくれないか」という話をしていたらしい。

そして、父とKさんが生まれた。

同じ顔をした赤ん坊のどちらか片方を、どういう基準で選んだのかはわからないが、Kさんは長兄の家の養子となり、父は末弟の家に残った。

正確には、養子ではない。

そのまま実子として役所に届けたらしい。

昭和7年日本は、随分といい加減だったようだ。

Kさんは、慶應幼稚舎から大学まで進んだ後は東京芸大に進み、その後は六本木音楽教室を開いていた。

経済的にはかなり恵まれ環境で、働く必要はなかったらしい。

一方、末弟である祖父は米問屋をやっていたが、戦争で米は配給制になってしまい、商売は傾き、私が生まれた頃には既に故人だった。

父は、他の兄弟が全員大学進学したにも関わらず、高校中退した。

家庭の事情もあったかもしれないが、そもそも学校勉強は好きではなかったようだ。

実はこの高校中退、母との見合いの際には隠していたらしく、それなりに良心の呵責があったようで、70代になってから、酒の力を借りて(と言っても、ほぼ下戸ゆえコップ1杯のビールだが)孫たちの前でカミングアウトした。

孫たちには笑われ、唐突にそんな話を聞かされた母は呆れたという。

そんな父が、自分双子だったと知ったきっかけは、社会人になってから少ししたある日、同僚から

「君、慶應に通ってた兄弟っているかい?」

と言われたことに始まる。

一番上の兄が早稲田だったが、慶應はいない、と答えると、

「君そっくりな人を知ってる」

と同僚。

そんな話を家に帰ってから母親(私の祖母)に話すと、「ああ、実はね」と、いともあっさりと、養子に出したKさんの話を教えてくれたという。

そういえば、地代を集めていた私の伯母は、「赤ちゃんが二人いたのに、一人になっちゃった、って不思議に思ってたの」と言っていた。

まり豊かではない家で育つ、真実を知っている父。

とても豊かな家で育つ、真実を知らないKさん

それ以後も、この二人はたまに法事などで会うことはあったらしい。

Kさん真実を知ることになるのは、ずっと後、50歳になった頃だ。

それまでも寝たきりで入院していた高齢祖母が、そろそろ危ない、という段階になった。

大学で授業を受けていた私のところにも連絡がきて、そのまま祖母入院していた病院に向かった。

さすがに、真実を知らないとはいえ、ここはやはり教えてあげるべきなのではないか、と父も他の兄弟も考えたらしい。

Kさん、どんな気持ちでそれを聞いたんだろう。

病院で、私はKさんと初めて会った。

父と同じ顔、ちょっとした仕草も父とよく似ている。

だが、身長が父よりも5cm以上高い。

栄養状態が良かったのだろうな。

そんな、父のアップグレード版みたいな人が、私に敬語で話しかけてくる。

この時の奇妙な感覚は、なかなか言葉ではうまく言い表せない。

これは母も同じことを言っていたのだが、人が発する気配のようなものが、父と同じだった。

誰かが自分の後ろに立っていて、だけど姿が見えないので誰なのかはわからない、でも気配でそれが家族の誰だかわかる、ということがあるけれど、その気配が全く同じだった。

まり科学的ではない気もするのだが、実際に多くの親族が出入りする状況で、それを何度も感じていた。

父もKさんも故人となってしまい、私自身も歳をとってきて、どこかにこの話を書いておこう、と件の記事を読んでふと思い立って、昼休みにこうして書いてる。

書いてみると、他にもいろんなことが思い出されてくる。

その後、年賀状のやりとりくらいをする間柄になったKさんが、実はある新興宗教幹部になっていたとか、そういう話まで思い出しちゃったけど、それは書かないでおく。

2023-02-01

女性は何やっても男性文句しかない

女性の側から男性への不満しかいたことがないんだよね…若いとき清潔感がないとかなんとかで文句を言われ、結婚したら共働きなのに家事やらないとかなんとか文句を言われ、子供ができたら育児しないと文句を言われ。

文句しか言わないやつが愛とか恋とか語っても全然説得力ないんだよね。

そんなに男に文句があるなら、家族婚姻廃止して、男から精子の配給だけ受けて、全員義務として子供を産み、産んだ子供は国が育てる仕組みの方が、女性全体としては幸せなのでは?結婚もなし、家族もなし、国と個人けがある。男女で職場を完全に分けて、人口の大多数はリモートワークで生活し、給与はなく食料は配給制。そうすれば、セクハラモラハラも性被害も起こらない、女性問題視する社会問題がすべて解決するし、男性女性から文句言われなくて済む。男は好きなだけオナニーして国に精子提供するだけで生きていける。少子化問題も全部解決するし、家庭作るのが苦手な男女が無理に家庭作らせられて生じる社会問題も消える。国も男も女も皆が得をする。

2022-12-09

食うために行列に並ぶまでする奴って何なの??

良い意味でも悪い意味でも飽食国の日本

そんな恵まれた国の中で、何時間も食い物屋の行列に並ぶ奴って何なの?

配給制度でそれしか食えないの?

いくらでも他にうまいものあるでしょう?

わけがわからないよ

2022-11-15

一業種だけ廃業するとかだからだめなんだ

全部廃業すればこれは裏を返せば人間仕事が全部ロボットに置き換わったということだからあとは配給制でみんな幸せになれる

2022-09-03

anond:20220903165646

そんなん「自分下半身自分の手でいい感じでコスったり連打したら気持ちいいとこがある」って生理学教えれば済むだけの話だろ

体温の上昇、発汗、筋肉の収縮などが起こる。

ただし体が第二次性徴夢精初潮)を迎えてすぐ絶頂ができるというわけでもない、

筋肉がないまま走ると骨折することがあるのとおなじようにあとでひりひりしたり黒くなったりべろべろに皮が伸びたりする、人体には限度がある、っていうあたりもしっかりとね。

これはね、科学的かつ医学的な事実なんよ。

 

なんで「こういうのを想像しながらコスるともっと気持ちいい」まで教えようとしてんの?

なんでオナネタ募集してるんだよ? ジャンプりぼんパンチラ壁ドンだけをよんで想像力豊かにオナれる子は今までもいたよ。

ねえなんで表現画一的配給制にしようとしてるの? 

それこそ純潔を教える統一教会団体お見合いとおなじ洗脳みえるんだけどね。https://www.knb.ne.jp/nnn/news10149y3l6oaks7tb3g1.html

愛があればコンドーム梨でいいっておしえようとしてそう。

ゴジラでヌける人妻自称)の話きいたことないの? あ、ごめんガメラだった

自己愛以外の他個体や他生物への愛とか複雑な感情がなければ自慰しちゃだめなの?

それが元増田や古い日本人特有の不健全な考え方では?

自慰なんてスポーツ一種だよ。同性の親しい友人同士で何つかってやってる?ってきかれたら好きなビール銘柄とおなじくらい普通にしゃべればいいだろ。

交尾できるための確認や準備運動にすぎないものを愛だの異性の好みだので神格化しようとすんなよ。

  

どうしても異性ファンタジーの維持したくてファンタジーがこわれたら性犯罪が発生しそうで気になるなら

「ただしスポーツと違ってオフトゥン汚したり人前でアヘるとキマリが悪い」社会学も並列して教えてるよっていえば安心できるかな

男が女性選手スポーツを望遠カメラ股間狙って撮影して迷惑条例違反でつかまるのと同じで

異性がはさまると意図せぬ性犯罪に巻き込まれるのも事実だしね。

 

俺は日本にR15とかのもっとこまかいコンテンツ規制ゲーム以外のジャンルでもあっていいとおもってるけど、なんでかっていうと

おそ松さん下品コンドームやローションを遊びケツに旗をぶっ刺すアニメ下ネタイジメネタにしている)や

メイドインアビスまどかマギカ(とにかく人命が軽い地獄のようなフィクション)を子供に見せたくないからだよ、エロよりもっとさしせまった理由がある。

人体の軽視や人命軽視という社会のゆがみを子供にあたえたら厄介なことになるしそれは分かりやすいから今は親がちゃんと見張ってる

ただこれから親が子供を育てない社会、ほぼ家庭内孤児として子供のうちからスマホを適切につかわせないと生きて行けない社会がくる(きている)かもしれないからね

そのためにエロ規制のためにスマホがもたせられないのは子供権利制限しすぎるという意味で今後の子スマホを発展させるためにつくるならいいよ

 

ただ学校性教育の授業はアニメの正しい見方よりもっと大切なことを教えないとダメだろ

うかつに性交すると妊娠しちまうぞ、女児死ぬぞ。命大事にしよう。自慰はいいが他人を慰み者にするのは犯罪。ここからだろ。

つけくわえていえば、たいていのエロとされるコンテンツ女性キャラ男性作者が男性読者に向けて描いてる。男性キャラ女性作者が女性読者に向けて書いてる。

から嘘ばっかり。ファンタジーまり妄想つよめ。

処女破瓜たからといって血はドバドバ出ないしもし出たら単なる生理中。処女レイプきもちよくない。

処女男性は尻穴が気持ちよくないどころか割けて血が出て下手すると一生人工肛門。つっこんだチンコがわは尿道炎になる。

から女性向け・男性向けコンテンツは信じるな、っていうことから教えないといけないとおもうんだよね。

2022-05-09

anond:20220509220131

食料を完全配給制にしよう!

うーん、古典的全体主義国家のようだが、気候変動の深刻化と供給網の寸断が俺の生きてる間に起こらないとは言い難いな

2022-05-06

anond:20220506004931

社会主義でなぜ餓死なんだ

みんなで仕事平等に割り振り、食べ物配給制平等に割り振るのに、なぜ餓死すると思った

2022-04-29

国産玄米国産味噌としょうゆが配給制になったら

それはそれでうれしい

もちろん産地を選べるくらいはさせてもらえるとありがたい

各産地で競争原理が働いて、

米作り・味噌づくり醤油づくりが活性化する

ふるさと納税みたいなイメージ

2022-03-07

日本共産主義国家支配された方がいいのでは…

すべての労働者資本家奴隷から解放される

世界同時革命人民総決起

政治家宗教家思想家精神アヘンなので粛清される

ゴールまで共に駆け抜けると約束しておいて手のひら返した彼もシベリア送り

食べ物配給制なので飢えることはない

仕事も配られるので無職になることもない

地上の楽園、愛に満ち、愛されるスーパーロシア

楽しく感動できるスーパー

あいうえアイラブ、ラブラブラリルレ

らりるれロシアは、ラブラブロシア

ロシアではじまる暮らし

ノープライスユートピアロシア

2021-08-14

BIが導入された世界で誰がトイレ掃除するのか問題

トイレ掃除なんて誰もしたくない。

他人ウンチ相手なんてだれだってやりたくないものだ。

老人ホームスタッフだって好きで死にかけの老人が出す消化不良の汚物を綺麗にしてなんていない。

仕事からだ。

BIが導入され、人が生存文化のために単純労働を行う義務から解放された世界を夢見る人たちがいる。

だがその世界では誰がトイレラバーカップ片手に他人ウンチと格闘する仕事をするのだろうか。

「BIで配る金の量が生活するのに足りなければ」という想定は聞いていない。

それはまだBIとは呼べない。

ただのヘリコプターマネーだ。

BIとは健康で文化的な最低限度の生活を送るのに必要なだけの財産を国が全国民支給する世界で始めて言うのだ。

まあ確かにフードスタンプ等の配給制度と組み合わせることによる「臭い飯、臭い寝床臭い服、遅いインターネット、狂った隣人、etc……」を許容するならばという前提で最低限度の生活を送るのに支障がない程度でもBIは成立する。

だがその生活を脱するためにトイレ掃除をかって出る人たちが続出するような世界が本当に誰もが健康で文化的な最低限度の生活を遅れている世界と言えるのだろうか?

まれつき親が金持ちであるというだけでそういったことをせずに贅沢に暮らせる人種がいて、生まれつき親が貧乏自分病気持ちというだけで真っ当な生活を送るために無数の条件を突きつけられる人がいる。

そんな世界でいいのだろうか?

答えはもう見えただろう。

相続権財産の貯蓄に関する権利を全人類剥奪されること、それが平等への第一歩だ。

この世界から差別意識が消えるのに必要なのは階級社会が終りを迎えることだ。

DAIGOだって親が生活保護で暮らしていればあんなことは言わなかっただろう

2021-07-28

転売屋から商品を買う人は本当に悪いのか

この記事タイトルは「転売屋は本当に悪いのか」ではない。

個人的にはオークションサイトなどで目にするタイプ転売屋は最悪だと思っているし、そういう商品を買ったこともない。

その上で、しばしば転売屋とセットでやり玉に上がる「転売屋から商品を買う人」の是非について思ったことをちょっと書きたくなった。

闇市ができるまで

言うまでもなく、大半の商売ではお金を払えない人は客とはみなされない。

ところが逆に、金ならいくらでも出せるという人があらゆる物を好きなだけ手に入れられるかというと必ずしもそうではない。

その極端な例が政府配給制度をしいて供給量をコントロールしている場合だ。配給品はいくら金を持っていたとしても決まった量しか手に入らない。

このようなときお金を出せる客とお金がほしい生産者マッチングすると、闇市が生まれて闇相場ができる。

ひるがえって今のプラモとかPS5とかiPhoneとか他のなんでも小売りの世界について考えると、売値についてはたいていメーカーの思惑で一定範囲に決まっている。

金をたくさん出せば必ず手に入るという状態ではない。「金なら出すから何とかしろ」という人たちはある意味客層として想定されていない。

供給量に不安があって、客の手元に金があり、ネットによって売り手と買い手のマッチングは秒でできる。

そんな今は闇相場を作ろうとする力が強く働いていて、転売屋はそれにタダ乗りしているだけじゃないかと俺は思う。

※厳密な話をすると闇商人としての転売屋は配給米を闇市に流しているような輩であって過去の闇商人たちよりも数段タチが悪い

商人から米を買う人は本当に悪いのか

日本配給制度と闇市を巡る問題については、とある裁判官闇市の利用をよしとせずに配給食料のみで生活して餓死した事例がよく知られている。

べつにプラモが買えなくたってPS5で遊べなくたって死にゃあしないけど、金はあるのに金で解決できないフラストレーション公式は応えてくれない。

じゃあ転売で買うのは正しいかって言ったら正しくは無いんだが、自分需要を認めてもらえない人たちにとっては法に触れるわけでもなく自己解決手段の一つである

そもそも転売屋を滅ぼすことはできたとしても「転売でもいいから入手したい」という需要を滅ぼすことはできない。

それが人の夢、人の望み、人の業だとえらい人も言っている。転売は結果に過ぎないんだよ。

まとめ

公式供給が有限で、かつ一般販売しか想定されていない商品では、闇市の発生を防ぐことはたぶんできない。

「暇がない、金ならある」という人がいる限り、売らんかなとする輩によってすぐに闇相場形成されることになる。

不幸なのは一般販売に関わる参加者全員が、今やその闇相場の影響を受けていることだ。

いま転売屋から商品を買っている人を責めて転売屋から買うのを止めさせるよりは、その需要に応える転売以外のルートというものを考えてみたほうが幸せになれるんじゃないかな。

補足

知人に実際に転売に手を染めていたものがいて一度口論になったことがある。

このような手合いは自分ごまかすための理論武装を多重に備えているので、その場で論破できるなどとは考えないほうが良い。

個人的転売について思っていることは大きく以下の三点。

依頼があって瀬取りする商人ネットオークション活動する転売屋の差はここにある。

  • 最終的に売れた価格こそが真の価値だと主張する向きがあるしそれは概ね正しいが、その差は上述のとおり公式価格と闇相場の開きを供給サイドが無視しているがために発生しているに過ぎない。

「俺の代わりに買い物してきてくれ」と頼まれない限り、転売屋サービス需要ゼロのままであり彼らが手にするべき真の価値は無である

販売価格が卸価格に比べてずっと高ければ、誰かが市場パイを一切れさらっていったということであって供給側にとっても隠れた損失がある。

少なくとも買いそびれた人間のやっかみ程度で済まされる問題ではない。

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