はてなキーワード: 進学校とは
ごめん、元増田だが、ホントに悪気はないんだ。フィードバックありがとう。
中高一貫の上位進学校(開成とか灘とかイメージしてくれれば近い)にいたので、価値観というか交友関係が狭まってて良くないなと自分自身感じている。
辛かったな。
でも俺は受験エリートだが、高校教育なんて進学校だろうが、どこでも変わらん。
結局、東大京大一橋東工大早慶or国立医学部に現役で入れるかだけだ。
それ以外は高校がどこだろうと、大学がどこだろうと、高卒とかわらん。もうインドかアメリカやインドネシアみたいな、日本の学歴が関係ないところにいって日本料理屋でも開けば良い。
越境というほどではないが、学区制を敷いている県で、他学区の学校に進学せざるを得なくなり、転勤先の学区で普通の高校を受験したら、落ちたことがある。
ちなみに、点数は開示してくれて、そこの地区の進学校にも届くぐらいの水準だった。
内申点も悪くない。でも落とされた。理由は聞けなかったが、点数なら教えるということだった。
不満はあったが、実質泣き寝入りし、公立落ちがあふれる私立学校の進学クラスに入った。
数年後、そこの公立学校が他学区の学生を不正に入学させなかった(本学区生を不当に優遇した)として指導を受けたことが地方ニュースになった。
頭はとてもいいです。そういう子を発掘して採ってあげて
うん、あの、
わざわざそんなことしなくても50万と60万を母数にしても全く同じことですよ。。。
あと、「東大を狙う総数」ってのは、実際に高校生の時に東大を狙おう、と思う人、というわけではなくて、
昔は勉強すれば出来たかもしれない子も最初から大学なんて目指さないが為に、東大どころか高卒で働くのが当たり前でしたが、
今では、取り敢えず大学、という風潮は大きいので、小中では親も流石に勉強しないで高卒で働け、なんて言う家庭は少なくなったし
中学くらいまでにそこそこの成績なら進学校に進むし、まともな高校に入れば
親が高卒だろうがなんだろうが東大目指すようになるよね?という話です。
それがどこまで大学進学率と相関があるかはわかりませんが0ではないでしょう、と。
自分のツイートを転載編集。読み苦しいかもしれませんがご容赦を。
★近年池袋にある豊島丘女子中は女子中御三家に匹敵する偏差値にまで上昇しているが、
「池袋に湘南新宿ライン&副都心線が乗り入れたから偏差値が急上昇」した、という説がある。
大宮・浦和・川越・志木・武蔵小杉・東横線・横浜・・・辺りから通学しやすくなったから、一気に偏差値が上がった
★開成の歴史は詳しく知らないが、千代田線(常磐緩行線)が西日暮里開業して、一気に偏差値が上がった、ということはないか?
というか、山手線(京浜東北線)西日暮里駅自体が、千代田線に合わせて作った新駅だからなあ。
それまでは開成は日暮里又は田端から歩いてた、陸の孤島だった。
西日暮里駅開設で、山手線京浜東北線千代田線で「集客」できるようになったから、開成の偏差値が上がった説。
★男子御三家の中で武蔵が低迷してるのは、立地が山手線の外で、北西方面の中学生以外からは「通学が不便」だからでは?
★灘が名門になった背景には、京阪神間の鉄道インフラの充実が確実に影響している。
灘は住吉(国鉄→JR)、魚崎(阪神)、岡本(阪急)が使える。昔は阪神国道線(路面電車)も利用できた。
ライバルの甲陽は、阪急以外は使いづらい。この辺も影響して偏差値に格差?
昭和40年代に神戸高速鉄道が開業し、山陽や神戸電鉄沿線の子供も灘に通いやすくなった。
灘が東大合格者数が1位になった時期がそれと一致するのは、単なる偶然か?
★近鉄と阪神のなんば直通運転で、従来なら東大寺学園を目指した奈良の秀才が、灘を目指すようになったらしい。
徐々にその効果が出てくるのでは?
★80年代に開成が灘を抜いたのは、「開成が上がった」というよりは「灘が落ちた」というのが正しいのでは?
70年代に関西の繊維とか商社とかがダメになり、本社の東京流出が目立ちはじめ、アッパーミドルの親が東京流出したのも大きい気がする。
★名古屋圏が御三家や灘クラスの難関中学を生み出さない理由の一つに、
「優秀な生徒を効率良く集めるインフラがない」、つまり「鉄道網が首都圏や関西圏より貧弱」という理由もあるのでは?
他にも「アッパーミドルクラスが、従来なら都電エリアに集住してたが、
高度成長以降、郊外にも分散居住するようになり、学区内のアッパーミドル数が減った」影響も無視できない。
★筑駒が躍進した一因に「アッパーミドルクラスの人口重心が日比谷付近から渋谷付近に、南西に移動したから」
という要素はないか?
★「アッパーミドルクラスの人口重心が、中高一貫校の難易度に影響する」仮説が正しければ、
湾岸エリアのタワマン大量供給は、中高一貫校の偏差値を左右する力はある。
★開成の躍進は「アッパーミドルクラスの人口重心西南移動」に反するが、
あれはやはり埼玉や常磐エリアのアッパーミドルクラスを一網打尽にしたんだろうな。まさに西日暮里駅効果
★こうみると、アッパーミドルクラス人口重心論から超然としているラサールって、異質だな。
ラサールの歴史は知らないが、ひょっとして敗戦時に「日本をキリスト教化しよう」と開校したのか?
戦前に、保守の権化のような鹿児島にキリスト教学校設立が認められたとはとても思えない。
鹿児島って廃仏毀釈を徹底して仏教すら否定した土地だから、そういう土地がキリスト教を容認するとは信じられない・・
ラサールが「アッパーミドルクラス人口重心論」を無視して、今でも東大合格者数が上位なのには敬意を表する。
逆に言えば、そこまでして頑張らなければならないほど、鹿児島は保守が強いことを逆説的に証明している。
多分、地元の鹿児島県庁鹿児島市役所鹿児島銀行鹿児島新聞などは、昭和30~40年辺りは「鶴丸高校閥」が強固で、
ラサール出身者はいくらアタマが良くてもなかなか出世出来なかったんだろうな。だから福岡や東京を目指すしかなかった。
ラサールの開校は1950年。つまり最長老のOBでも79歳以下。だから県政界への影響力は鶴丸には遠く及ばない
あえて書くと、「逆説的だが、ラサール高校は鹿児島の保守性のお陰で東大進学校に成長できた」
★久留米付設は孫正義を生み出したが、久留米付設が優秀な背景には、
筑豊や三池の関係で優秀なアッパーミドル層があの辺りに存在した影響もあると思う
(はてなーの自分は、「はてな」というサービスを生み出してくれた近藤氏そして京都大学に感謝している)
★日本の私立中学文化が、日本の高度な鉄道インフラを前提としてるのは紛れもない事実で、
例えば都市内公共交通が未発達なアメリカだと、「公共交通で通学なハイスクール」は成立しない。あるとしたら寄宿舎型?
イギリスとかは寄宿舎型の私立スクールとか盛んですが、あれは都市内交通が首都圏ほど発達しなかった裏返しかもしれない
★鉄道インフラの進展と私立中学高校のレベル推移について、交通社会学?が専門な原武史先生に論文書いて欲しいものだ
某所からコピペ。今まで16個バージョンは出回っていたが18個に増えたw
今朝は母と軽い言い争いをした。
母はなんでも我慢する。
言わないで、我慢して震えてる。
私はそれが嫌だ。
辛そうな疲れたかんじで、少しも笑ってない笑顔で「ウン…わかった。わかったよ。もういい。」っていう。
その姿を見るたびに腹立たしい。自分に酔ってやがる。
母はいつもいつも「あなたのため」といって、自分を犠牲にして何か世話を焼きたがる。
私が勉強で1位になったり受験に合格したときは、私よりも泣いて大喜びしてくれた。
でも勉強しろとあまりにも煩く、満点取らなかったらクラス最高得点でも怒られたし、禁止事項も多く、人を見下す発言が多い。
そしてよく「お前は母の半身で大切だ。愛してる。お前の人生はお前のものだけど、母の人生でもあるんだよ」とニコニコして言う。
だから私も母に甘えて抱きついてニコニコしながら、内心いつだってビクビクしている。
精神的束縛だ。
こんなの、居ない父(居たとしても[愛情]が欠落してるような人間)へのさみしさを私で紛らわせてるだけじゃないか!
しかしそれは私も同じなんだ。慢性的な孤独感と空虚感、罪悪感、焦燥感、自信のなさをどうにか紛らわせたくて、母に異常に擦り寄り甘えるのだ。
共依存。
まったくもって、共依存。
わたしたちの共依存には、同居してた父方の祖母の話も必要かな。
祖母は習字教室の先生をしていて、私は幼稚園ときから家の一角に通っていた。
書いた字を見てもらうため順番に並ぶのだが私は「家の子だから」と順番を後回しにされ、私だけ毎週「クズ・おばかで落ち着きがない子・のろまむすめ」などと皆の前で罵られていた。
この人、外ではとても上品そうでいい顔をする。そして典型的な悪の姑。父が不在の家で、母はいつもこの人に虐められてた。たとえば、母が風呂に入ってる時故意にお湯を止められたりとかね。
しかも祖母はアルツハイマーになり性格のクソさ&介護のクソさが日々激化していった。
母の気丈に振る舞う姿をずっと近くで見てて、糞ババアから私が守らなきゃって思った。
ちなみにボケ防止という名目で既にボケ始めてからも数年は習字教室運営は続行された。年々減る生徒。ボケる祖母。タゲられる頻度が増す私。
泣いて辞めたいと毎週母に訴え、忘れもしない、結局2年後の小6冬、罵りに耐えきれず書初練習を途中で放棄したことにより私の習字という苦行は終わった。
私は素直で明るいピュアな優等生というのがポリシーであったが小5くらいには祖母に対して怒りで満ちていてた。第5日曜のオツベルの象な感じ。
高学生のときには痴呆の進んだ頭の回転の早い祖母と激しく罵り合うことが頻繁にあった。本気で殺したいと思うほどに憎く、汚らわしく思っていた。
そんな感情を抱く自分も同じくらい穢らわしくて、もうピュアには戻れないんだろうなって悲しくてよく泣いた。
このとき通っていた進学校の勉強に私は全く着いていけなくて、アイデンティティが砕けまくりで、唯一の癒しの部活を禁止されたりして、遅刻を繰り返して、ゲームに没頭して、自分を諦めていて、勉強しなさいという母に祖母と喧嘩するのと同じテンションで言い返するようになっていた。
この頃から、我慢する母にも怒りを感じ始めた。
母は日増しに疲れていった。
なぜ?なぜこの人はただ耐えるのか。
何度も聞いたけど「耐えるが勝ち」みたいな答えでよくわからない。だってそんなに不幸そうな顔するのに。イライラする。私のせいだ。守りたかったこの人を傷つけてるのは私自身なんだ。
でも母はひたすら耐えてひたすら傷つく。なんでよ?痛いって言ってよ。
私は「辛いなら言って。力になりたい。」といつもいうのに、母は「うん」といいながら全然言ってこない。
悔しい。
私は一体なんなのだ。
イライラする。そうこうしてるうちに、さらにヒートアップしてしまう。止まれない。私には止まれない。耐えたくない。母みたいになりたくない!感情が爆発させる。母にも感情を爆発してもらいたいという希望も込めながら。
母は私を怯えるようになった。
私はいつも怯えて生きてるというのに。
鬱のような。でも鬱じゃないような。
大学1年で一人暮らしのとき、ある日突然涙が止まらなくなって動けなくて、本格的にメンヘラの仲間入りを果たした。
ホームシックだと思う。共依存が抜けないんだ。自立しようなんで思ったことを1度もなかったもん。
薬も飲んだし過食したし不眠したし過眠したし引きこもったし大学もたくさんサボった。鬱とか非定型うつだとか色々考えたけどどれもしっくりこなかった。
アダルトチルドレンだけは当てはまった。親にも言った。伝わらなかった。全く伝わらなかった。
へーそう。だから何?親のせいにしたいならすれば?って言われた。
信じてなくて、どうでも良さげだった。鬱とかACとか相談するたび、朝の星座占いぐらいに信じてなくて、聞き耳もたれなかった。
もう何をいってもダメだ。だめなんだ。
もう私が親から離れるべきなんだ。
ここ最近一番死にたくなったのは、母のためにUターン就職して、ブラックなとこで心身共に疲れて結局すぐ退職して近所の雑用バイトを始めたとき「べつに地元に拘らずに東京で一人暮らしで働いてもいいじゃん?」といけしゃあしゃあと言われたことだ。居てくれたほうがいいって言ってたくせに。
何言いたいか分からなくなったよ。
いいや、とくになにか主張したいんじゃない。
ただ、言いたかっただけなんだよね。
性格悪いよね。こどもだよね。でもこれが私なんだよ。
なにもかも味気なく感じる。ジェットコースターとか乗るときだけ、マジに心が動くってかんじかな。
悲しいな。
※追記あり
少し長くなるが、良かったら読んで欲しい。
家族には恵まれた。こればかりは自慢だ。
目一杯愛情を受けて育った。幼稚園までは本当に楽しかった。たくさん友人もいた。自分を素直に出せた。だれをおれの存在を否定しなかった。おれは受け入れられていた。
小学校に入る。
おれは極度の人見知りだった。 幼稚園の頃は人に配慮することをまで気が回らず素の自分を出せていた。もしかすると友達作りに苦労したが忘れてしまっただけなのかもしれない。
交遊関係がほとんど広がらない、というか広げようともしなかった。さっさと学校から一人で帰っていた。自分でもそれでいいと思っている節があった。一人でいるのは嫌いではなかった。その傾向は3年生くらいから強くなった。幸い、おれは勉強ができた。小さい頃から親が本を買い与えてくれ、もともとも好奇心の強さとあいまって勉強が楽しかった。でもこれがいじめの引き金になった。よく考えてくれ。たいして喋らない陰気なやつが、テストで高得点をだしまくってる。むかつくだろ。おれもそう思う。おれがあいつらの立場なら恐らくいじめていただろう。
友人は離れていった。辛うじて残った友人もいたが、今は連絡をとってない。
一番残念だったのが、俺自身はそれをいじめと思わなかったことだ。視野が狭すぎた。自分の人格が否定されているなんて考えに至らなかった。それに学校で辛くとも、家に帰ればおれを全肯定してくれる家族がいた。
そのまま中学に入る。いじめは続いた。この頃に入りやっと自分がいじめられていることに気づいた。常にビクビクしながら生きていた。休憩時間は机に突っ伏して時間を潰した。学校で話した記憶はない。もはや友人の作り方がわからなかった。辛かったのだろうが、ほとんど記憶に残っていない。現実から目を背け続けていたからだろう。
この頃になっておれの勉強好きに拍車がかかった。というか勉強しかおれには無かった。現実をひと時でも忘れようと机に向き合った。
県で一番の進学校に入った。変わりたい。この頃はそう思うようになっていた。運動部に所属した。初めて自宅以外に居場所ができた。親友と呼べる友人もでき、ただただ楽しかった。残念ながらクラスではなかなか打ち解けられなかったが、学校で話す友人がいること自体がは非常に大きな成長だった。初めて彼女もできた。ルックスは悪くなかったので、クールな爽やか系男子にに見えたらしい。無論、中身はスカスカなのですぐ別れることになった。中学の三年間ほとんど家族としか話しておらず、精神的に2、3歳ほど幼い状態だった。
引退後、失恋をバネに3年から受験勉強に全力を注いだ。頭は決して言い訳ではなかったが、要領が良かったようだ。現役で国立大の文系学部に進学した。
高校と大学受験をそれなりにうまく乗り切ったおれは浮かれていた。自分があたかも生まれ変わったかのように感じていた。ここで挫折を経験する。サークルに馴染むことができない。高校の部活では運動がメインだったので、喋りが下手でもなんとかなった。しかし、おれは自分を見誤って少しチャラいサークルに入ってしまったのだ。次第に浮いて孤立し二年に入る頃には行かなくなった。
学部の友人も数える程で、学校とバイト先と家を往復する生活を過ごした。なにも楽しくなかった。夢のキャンパスライフなんて幻想はとうの昔に崩れ落ちていた。3年になる。
そんな時ふとしたことから海外に短期留学に行くことにした。卒業後は公務員になるつもりでいたので、学生の内に1度くらい海外に行っておこうという安易な気持ちだった。
しかし、これが一つ人生の転機になる。コペルニクス的転回とはこのことかと思った。今まで生きてきた世界どれほど小さかったのか、自分で世界を限定してしまっていたのだ、と気づいた。
長期留学しよう。公務員になり国内でまったり生きようという人生設計が狂った。その後一年間留学する。しかし、ここでもコミュニケーションに苦労する。英語力は問題じゃなかった。いくら英語を勉強しても、発想や語彙力、コミュニケーション能力が母国語以上なることは決してない
自分のコミュニケーション力の無さに。人間力の無さに。中身の無いペラペラな人間だった。
就活が始まった。おれは迷った末、公務員になるのをやめ、民間就職を決断した。海外で働きたいという思いがあったのと、公務員になったら自分を変える機会は二度とこないと感じたからだ。
BtoBメーカーの営業職になった。この4月から働くことになる。コミュニケーションが苦手と言っても、雑談が苦手ななだけで、あらかじめ話す内容が予測できる就職面接はそれほど苦労しなかった。というか学歴も英語力もあったので、思ったより良いところに滑り込めた。
ある程度したら経理などのバックオフィスに異動を願い出るつもりだ。
それほど派手な業界ではないため、打ち解けるとまではいかないが少なくとも浮いてはいない。
ここまでがおれの半生だ。
人生を進んでいく気力が湧かない。ある程度の企業に就職できた。金も信頼もそこそこ手に入るだろう。安定してるし、年功序列的に役職にもつける。希望していた海外にも行ける。
もう将来が見えた。
おれの力じゃこの会社でレールにのりながら人生を進めて行くのがもっとも現実的で最善の選択だろう。
なんだろう。このもやもやは。
もうこのまま一生独り身でささやかに生きて行くのだろう。大きな波もなく、平穏に平穏に。
今は社会人デビューにワクワクしてる部分があり、人生に楽しみを残していると言える。
じゃあ五年後は?十年後は?
おそらく無理だ。途中で一人で生きていくのは辛くなるだろう。
家族ができれば子供の成長を見ながら働くことにも精が出るだろう。おれにはそれも期待できそうにない。おれが女なら絶対にこんなやつと結婚しようと思わない。
人生23年を生きてきて友人5人しか作れないようなクズが、人並みの生き方を望めるのか?
もう生きるのもそろそろいいかなと思い始めた。
生きる意味なんて持たなくても、飯食って寝たら次の朝が来てる。惰性だ。
これでいいのか?何度も何度も自分に問うてる。
こんな人生をあと60年も過ごすのか?と。
人生は案外楽しい。それはわかってる。少ないながら大事な友人も、尊敬する先輩もいる。飯を食えば笑顔になる、スポーツするのも大好きだ。ネットを見ればいくらでも楽しんで時間を潰せる。人と価値観をぶつけ合うのがこんなに楽しいなんて最近まで知らなかった。
それでも、子供の頃に欲張って多めの水で希釈したカルピスみたいな薄い人生をこのまま進んでいく気力が起きない。
いっそのこと、この人生は早めにリタイアして、次の人生に賭けたほうがいいんじゃないかと思う。
結局おれは弱いんだ。自殺できる人間は凄いと思う。おれはそこまでするほど本気で絶望してないってのもあるが、考え込み、悩むほど自分の人生に真剣に向き合えていない。
なんといえばいいのか。
ゆっくりと首を締められてる感じだ。今すぐ死ぬわけじゃないが、人生を謳歌できてもいない。
他人と体や記憶をスイッチできるなら、まだまだ生きようと思えるかもしれない。
でも、そんなこと無理だ。今の自分を背負って生きるのに疲れた。
人と打ち解けられない。また中学の時みたいに、自分の人格が否定されるんじゃないか、陰で否定されているんじゃないかと考えてしまう。
あれは良くも悪くもおれの人格を形作った。
人格を否定される辛さを知ってるから、冗談でも命令形を使うことは絶対にしないし、人の意見にはどんな小さいものでも耳を傾けるようになった。
人は変わるのもわかってる。現におれは中学の頃と比べれば遥かに明るくなった。でも変わるのもも簡単なことじゃない。時間と気力が途方もなく要る。
そんなことを考えながら目を閉じる。
目覚めれば明日だ。また始まる。何度も何度も。薄っぺらで、楽しくて、クソみたいな日常が。
一つだけみなさんに聞きたい。
みなさんはどうして、何を思いながら生きてますか?
追記
煽る気は全くありませんが一応。
皆さんかなり食いついてますが、彼女はいたものの童貞なので安心してください。
自分で言ってて寒くなりますが、見た目はそこそこいいです。両親には感謝しています。ただ、中身の無さとのギャップで女性が露骨に離れていくとかなり傷つきます。
この前「飯屋でごちそうさまを言うのは低所得者」ってツイートが炎上してたけど、あれはあながち間違いではないと思う。
他人をバカにする、敵に対しては論理もクソもないような誹謗中傷をする、弱者を見れば追い打ちをかける。
俺の発言はすべてバカの意見だと決めつけ、具体的根拠を挙げろと言うと、それも分からないようなアホが世の中にいるんですねーと嘲笑する。俺の趣味(ミステリ読み)を無能の現実逃避だと切り捨て、娘の塾通いを無駄なあがきだと言い、俺の出身校(一応進学校)をあんな底辺に入るなら死んだ方がマシだと罵倒する、出世するのはそういう男だ。
競争社会を生き抜くためには、そのくらいの節操のなさが必要なのだろう。
自分はもともと金儲け至上主義ではないのだが、妻子には不自由はさせたくないので、クビになるのは困るし、クビにならないためには出世しなければいけない。
そのためには、性格悪くならなくちゃいけないのだろうか。
しかし、天才でもイケメンでもない自分が、そこそこの企業に入れて結婚も出来たのは、人当たりの良さ、面倒見の良さのおかげだと思っているので、その唯一の長所を捨ててしまうのはすごく抵抗がある。
それに、素質もないのに付け焼き刃的に他人をバカにし始めても、上手くいかないように思える。
じゃあどうすればいいのか。所詮自分のような人間は、遅かれ早かれ負けて落ちて、妻子を路頭に迷わせる未来しかないというのか。
よんだ。自殺を考えてるってやつ。
http://anond.hatelabo.jp/20140210175751
なんでだろう、それなりに恵まれていたと思う。
両親はそれなりの教育ママみたいなやつで、数学で満点とっても、成績表オール5(5段階表だよ。。)とっても
「こも学年、レベル低いのかしら。転校する?」って言う人だったけど、それでも評価してくれないだけで、それなりに愛してくれてたのは知ってる。
裕福ではない、「私大なんて考えない」、だから国公立大学しか見てなかったけど、大学もいかせてくれて、かつ下宿させてくれるだけの家庭だった。
充分に幸せだったと思う。
けれど。
14歳の頃には死にたくて仕方なかった。
でも、怖くてできなかった。
勉強ができることだけが唯一のよりどころで、それゆえに学区一番の進学校へいった、そのまま大学へ行った。
大学へ行けば、一人暮らしができて逃げることができると思ったから。
結局、大学生活もたのしかったけど、「死にたい」想いは消えなかった。
というかむしろ酷くなった。
「死にたい」って感情は、頭で、理性で割り切れるもんじゃない。
望んでいないのに、ふっと現れてはずっっっっっと頭を支配する。
なんど死のうと思っただろう。
でも、なんというか「死にたい」って感情が浮かぶことが苦しいときもあって。
死にたいと思うことも、自分が死ぬことで(世間体がどうこうという理由だとしても)迷惑をうける人がいると思うことも、苦しかった。
いっそ事故だとか圧倒的な「悪」による無差別殺人みたいなのさえ夢想した。
死にたかったんだと思う。
だから、死にたいって感情に襲われる人を、私は否定したくない。
死にたいよね、辞めたいよね。
そう思う。
だからどうってわけじゃないけど。いいじゃん。死にたがり。
一緒に死にたがろうよ。と思ったんだよ。
「健全」に生きられないなら、死にたいという感情は、欠陥か障害かなーって思ってタイトルつけた。
でも、ひとつ言わせて欲しい。
「苦しいよ、誰か助けて」
"客観的"と言う意味分かるかな?客観的な基準というには、誰がどうみても絶対的に決まる基準を言うわけね?
その基準そのものの良し悪しについては勿論議論があるでしょうが、
まず、社会としてのルール作りにおいて、曖昧な主観的な基準ではなく、何らかの客観的な基準が必要なのは理解できますよね?
これは、「客観的」な基準です。
(ハーフだとかが曖昧になる、とかはこの場合無視してますが、基準を作るなら、父系が黒人なら、とかできちんと客観的な基準を作ることは出来ます)
これを区別するのをよしとするかどうか、それはまた別の問題ですが、
一方、知的能力により区別しようとした場合、それはどのような基準になるのでしょう?
勿論、現在でも、入試と言う制度で行ける学校が変わったりします。
ただし、進学校に行こうが底辺学校に行こうが、人としての基本的な権利は全て平等です。
どこへ行きたい、働きたい、恋愛したい、そのどれも、学校により区別されることはありません。
勿論、入試同様、「競争」により、働きたい職業につけない、好きになった相手と付き合えない、ということはありますが、
それを知的能力による区別、とは言いませんよね?そこはいいですよね?
あなたの言ってる事は非常に恐ろしいことです。
誰かが勝手に決めた主体的な基準により、この子はこれをして良い、この子はこれをしては駄目、と差別するわけです。
生活保護者に関して言えば、例えば、生活保護者がヤミ金に手を出して一発逆転ギャンブルする、とか言い出したら
それをたしなめ、やめさせる、というのが、
子供が大人と付き合いたい、といった時に辞めなさい、というのと同じこと。
ヤミ金業者を国が罰するのと同じように、
国が小児性愛者を罰する、とういこと。
わかりますか?
えーと、その辺、きちんと理解してます?
別に、知的障害者の主体的決定権を剥奪してるわけではありませんよ?
次に、「客観的」に見て明らかにおかしい状況の場合、彼/彼女が損をするような場合、
その決定を覆し、彼/彼女の有利になるように変更することが出来る、ということ。
子供についても一緒ね?散々、あなたは子供の主体性を重んじろ、とか言ってるけど、誰もそれを奪え、なんて言ってません。
ただし、子供の主体的な決定により後に不幸になる、害になることが明らかな場合、
その、「明らか」というのは勿論100%ではない。
100%なんてものは世の中にほとんど存在しないし、人間の意思決定なんてものは実際どうなるかはわからないことのが多い。
だけど、歴史的に、現在の日本では、子供が無駄に小児性愛者と仲良くなって良いことなんて有り得ない、としてるわけだ。
分かる?
だから、小児性愛者がそれを実行に移して、実際どの様な害があるか、どの様な利点があるか、そこをきっちり説明してよ。
あんたの言う、「子供の主体性を確保できる」は全く意味ないから。
どこまで制限するかは議論のあるところだけども、その、小児性愛者との恋愛を許可した場合、何の利点があるか教えてくれ。
デメリットとしては、
など。
社会に向き合うまで、こんなにも現実が厳しいものだとは思わなかった。一所懸命やればなんとかなるもんかと思ってた。
俺は小中高と、自分の弱さから社会適応を拒んできた。中学時代は学校の奴らとの付き合いが悪くてほとんどから嫌われてたけど、その分時間は余って塾とかで勉強はした。
中3に上がってから公立高校の受験のための対策は、休みの日は1日10時間くらいは普通にしてたし、そういうレベルの一定の努力っぽいことはしてた。
高校は一応地方の進学校。そこは中学みたいな環境とは違って、とても住みやすい場所だった。にも関わらず、俺はそこでも社会適応を拒んだ。
昔からの癖だろうか、うまく人と渡り合おうとしないし現実を見ようとしない。入学時は割と学内で好成績だったにも関わらず大学受験は大コケである。
努力が足りなかったか、そう思い直して勉強をやり直した。勉強に関しては瞬間瞬間常に集中できるように努力っぽいことをした。
時間も朝起きた瞬間から夜寝るまで、ずっと机に張り付いて勉強したし一応はたから見れば努力っぽい何かを表しただろう。
皆厳しい現実社会という厳しい環境で育ってきたのに、俺だけぬるま湯につかってたんだなと思って浪人を機に性格を立て直そうとした。
浪人中は自分自身に暴力振るいながら勉強してたし、お陰で周りに酷い迷惑かけた。しかもこれが社会の厳しさを知ることだとか主張してたんだから性質が悪い。
そして結果は多浪の末にFラン、まさにクソの極みである。ただ大学受験なんかで人の人生決まるわけじゃないとか、これで腐ったら親に顔向け出来ないとかあるし大学入ってからも一応頑張った。
最初は多浪効果でいい成績でスタートしたが次第に単位が落ちだした。そしてもう留年かという様である。
目標としてた自分の立て直しという結果にも遠く及ばず、それどころか遅刻欠席の屑ニートだ。親に恥ずかして自分の存在すら表したくない。
原因はほとんどは、人とうまく渡り合えない、自分勝手で傲慢で根源的に忍耐力がないとか。
下手に真面目にやってる感みせると、興奮して理解不能な講堂をする。そして大きな失敗を作って社会に迷惑をかける。
人の性質の程度の低さがこういう始末を生むんだなって思う。
本当はこういう社会に、小さいうちから逃げずの他まず立ち向かって少しでも慣れておけば、
良く「(日本の)大学生は勉強しない」と言われる。そりゃそうだ。だって、勉強したって、それを役に立てる場所がないのだもの。法学を学ぼうが、経済を学ぼうが、それを企業が必要としてないと言い切っちゃうんだから。どんな勉強をしたって、それが大学新卒採用時に更地にされちゃうんだから、学ぶ意欲なんか沸かないって。趣味だって割り切らないと勉強できないよ。
じゃあ、なぜ高校生は勉強をするのか。それは、高校で学んだことが大学入試に出るから。つまり、大学入試を逆流する形で授業が構成されているために、必死になって勉強する。特に進学校はそういう構成をする。学んだ範囲から出題されるのが前提だからね。
ところが、高校は一般教育であるが、大学は専門教育である。つまり、(建前では)高校卒業者は全員同じ知識、経験を持つと考えられるが、大学卒業者は先攻した学部・学科事に違う知識、経験を持っているはずである。にもかかわらずなぜ、それが大卒就職時に更地にされてしまうのか。
これは、何の裏付けもない想像、妄想に過ぎないのだけど...。
戦後、新しい時代が始まるに当たって、戦前の企業が復興して、採用活動を始めることになった。当時は大学卒業者は少ないので、中卒、高卒を中心に採用することになる。ここでは、一般教育を修了した人を採用するので、採用試験や入社後の研修も同様に一般教育を念頭に置いた、専門性の弱い、汎用的なものになる。その後、経済復興が進むにつれて、大学卒業者は増え、各企業も大学卒業者を採用するようになる。
(参考までに。少し前に西武グループの本を読んだ。西武グループは戦前の堤康二郎を発端として、その後は三男である義明を中心に動くようになる。義明の頃に事業が大きくなるけど、この頃までは高卒(中卒?)を中心とした採用だった所を、途中から大卒中心に切り替えたと書かれていた。図書館で読んだので、今は引用できないけど)
ところが、この時に、高校卒業者を採用する際に利用した制度を、大卒に対してそのまま流用してしまったのではないか。だから、専門教育を受けた人間に「一般常識」なるものを求めたり、大学で学んだことを無視したりするような採用試験になってしまっているのではないか。現在では、過去に比べて圧倒的に大学卒業者が増え、肉体労働を主体とするのでない限り、企業の採用もそれが主流になっている。にもかかわらず、採用制度が変わらないおかげで、それが逆流して、専門を学ぶはずの大学教育が形骸化し、一方では就業を無視した古典的な教育しかせず、一方では就職予備校的な資格を中心とした教育が行われているといういびつな構造になってしまっているのではないか。
大学は教育の専門性が重要だと思うのに、就職率がアピールに使われたりするなんて、本来おかしいよ。
そうかと思うと、某著名新興IT企業でさえ、開発以外は「採用後配属」とか、頭悪すぎる。
じゃあ、これを改善するためにはどうしたらいいか。
まずは各企業の業務ごとの専門性の見直し。要するに、自分の会社が何を念頭に置いた組織で、各部門は何をコアバリューとするかを"部門事に"考え直す。その会社の営業にはどんな知識が必要か、開発にはどんな知識が必要か、会社で働くためにどんな知識を前もって備えてほしいのか、というものの見直し。それから、業務範囲と成果を重視した人事制度の見直し。
まあ、これ以上はよくわからないけど、恐らく、こういう所に、大学生が学ばない理由、そして院卒が就業において忌避される理由があると思うんだよな。
今の2chやここなど匿名の場に常駐して熱心に書き込んでる層は、SNSからスポイルされた
「低学歴(職業高卒)・低身長・女に無縁で対女コミュ力ゼロの素人童貞のキモヲタ」がメインになってしまってる。
同じ低学歴でも、底辺普通科や商業科や農業科出身者は、工業高校出身者と違って2chで叩かれてもスルーするし
「工業高校より普通科や商業科や農業園芸科の方が上」なんてしつこく2chで主張しない。
同じ男ばかりの環境でも、男子校は文化祭に他校の女子が押し掛けるし(東海、名古屋高校など)
男ばかりで工場で交代勤の工業高卒と違い、大学進学がデフォだから大学やサークルで女と知り合える。
工業高校は文化祭すら他校から女が来ないと工業高出身者本人が自虐してるし絶望的。
工業高校卒の連中全てに言えることだが、
「工業高校卒はみんな大手に就職している」と何年にもわたって主張している人間がやたらいる割に、
SNSや実社会で工業高校卒を見かける機会は、普通科高校卒に比べてひたすら少ない。
各サイトの偏差値や入試難易度表やSNS参加人数を比較してみると
普通科進学校卒>その他普通科>底辺普通科=デザイン科=商業科>工業高校・農業高校
結局、工業高校からそのまま就職しても、公務員やインフラ系企業でもない限り
工業高校卒のSNS参加者が普通科高校や四大卒に比べて異常に少ないのは
なら中卒や普通科でもいいだろ的な。
適当に書いていきます。あくまで適切で当たっていることで、雑って訳じゃないぜ
しかも独り言だから。俺は増田の用語とか分からないし、今までの俺の投稿にもたくさんあったけど、結構悲しいこと言ってくる人がいるのよね。2ちゃんねるやっていて耐性が少しはついたけど。
んまあ前振りはこのくらいにしておくよ。
そーだな。思った事といえばやっぱり大学進学の事かな。
俺って河合模試の偏差値50とか言ったことない、バカでございまする。
とか言って志望校はMARCH以上。普通に考えたらふざけてるよな。
MARCH以下の大学は行く意味がないとか思っちゃっている自分がいるからかな。俺の周りは頭がいいし。
世の中で結構有名な人って、いい大学に行ってるじゃん?(僕の中での”良い大学”ってのは早慶上智難関国公立とか言われているやつ)
俺って割りと本読むのが好きなんですよ。んで本屋さんで著者の紹介の文章とか見てるのこの”いい大学”に行ってるのね。
ヤンキーがたくさんいる高校を卒業した人でも慶応大学卒業だったら周りの評価も違うもんね。
少なくとも日本は最終学歴が良ければええんや、終わりよければ全てよし!
さあ今の僕を見てみましょー。偏差値はどうかな?いい大学は入れるかな?
えええ? 50もいってないじゃーん。平均以下じゃーん。NEETにでもなりたいのかな?
進学校と呼ばれている高校に入って僕は何していたんだろー。あははははは。
ああ昔に戻りたい。少なくとも3年前に。けいおん!にめちゃくちゃハマっていたあの頃に戻りたい。
高校に入ってこらアニメとボカロとかは封印したからまったく今のはわからない。えるたそ〜
さあまもなく新年だー。はっぴーにゅーいやー
この選択によって俺の将来もずいぶんと変わっていくんだよな。
結婚して、子供を二人くらい作って、俺の両親とは違って仲の良い夫婦で楽しい生活を過ごせたらいいな。
学歴と富と名声もほしいけど。
2年後、俺がこの文章を読んだとき、笑って今の俺を振り返られたらいいぜ。
2年後の俺よ、どーよ?留年してないよね?アニオタじゃないよね?彼女いるよね?童貞は卒業してるよね?
おなかすいた