はてなキーワード: 進学校とは
高校生のときは受験少女でした。とにかく隙間の時間ができたら勉強。同級生の男は、バカの木偶に見えていました。実際バカだったし。
同じ高校で、学年でトップを争っていた女の子がいました。理系同士で、学年3位だった男の子を遠く引き離して争っていたのですが、違いは容姿でした。私は明らかに太り気味で、もっさりしてて化粧っ気も全くなかったのですが、彼女は容姿明眸で大人びていて、背が高くて手足が長いのに女子っぽい柔らかさがあって、私から見ても綺麗な子でした。もちろん彼女は男子からもモテまくりなのに、私は、毛虫のように嫌われ、陰で「豚めがね」と呼ばれていたようです。
勝負の受験。彼女は東大理二、私は理一を受けました。そうした理由はたった一つで、彼女に負けたくなかったからです。理一の方が理二より偏差値が高かったからです。うちの学校から東大なんてたぶん十何年ぶり、先生たちもかなり気合が入っていました。私の親は、容姿も平凡以下の娘が唯一の取り柄が勉強ということで、経済的には厳しかったのですが、しぶしぶ受験を認めてくれました。彼女の家は地元でも有名な名家で、経済的には全く問題ないし、一族の男子たちは、みな地元進学校から一流大学に進んでいたそうです。
彼女は合格し、私は不合格でした。人前で泣くのは悔しかったので、宿泊していたホテルで一晩中泣き明かしました。
家庭の経済的な事情で浪人できなかった私は、併願で合格していた某私大の政経学部に進学しました。私大の理系は学費が高く、その割に就職時の評価が高くないからです。ところが、東京の私大の華やかな雰囲気に飲まれた私は、友達もまともに作らず、上京していた高校の先輩が彼氏にはなったのですが、寂しいばかりに付き合っただけで、どう考えても容姿も知能もいけてない男です。彼氏だけが家にセックスするために入りびたる程度で、ほぼ引きこもって暮らしていました。
成人式で田舎に久しぶりに帰りました。件の彼女も来ていました。東大生の彼女は、とても華やかな容姿はそのままに、人の輪の中心でした。聞けば、素敵な同級生の彼氏もできたそうです。彼女と直接話したのですが、当時の彼氏が私のことをぺらぺらしゃべっているのを聞いたらしく「あなたの彼氏って、○○先輩なんだってね」って言われました。心なしかせせら笑われたように見えたのがとても悔しかったです。別の子たちも「○○先輩って今ブタメガネに行ってるんだね、物好き~」と言っているのが聞こえました。きっと聞こえよがしに言っていたのでしょう。周りを見れば、大学に入って可愛くなった女の子たちの周囲に男の子が集まり、とても華やかな雰囲気を醸し出していたのに、私はといえば、声をかけてくれる友達もいるわけでもなく、ひとりぼっち。だれも私に話しかけてくれず、遠巻きに陰口を叩かれるばかりです。私は、屈辱でその場にいられなくなり、家に帰って泣きました。みんな努力らしい努力もしてなかったのに、勉強できなかったくせになんで私をバカにするのか。キレイはそんなに強いのか。勉強ができることよりも、キレイが評価されるのなら、私は全力で綺麗になってやる。
まずあれだけバカにされて悔しかったので、例の彼氏とは別れました。相当しつこく粘られましたが、間接的に聞いたところによると、私と別れるとセックスできなくなるのが嫌なだけだったようです。ブタと言われるほどには太っていなかったので、痩せるようにしました。毎日ジムに通って、プロのトレーナーについてエクササイズ。半年で10キロくらい痩せたら別人のように顔がすっきりし、スタイルがよくなりました。もともと胸は大きかったんだし、痩せればそれなり。で、ダイエット中に、そこそこ見栄えがするようになったところで、渋谷のサロンで髪を切ってもらうようにし、メイクの心得もあるという担当の美容師さんと付き合うことにしました。髪の毛のお手入れとか化粧の方法を徹底的に知りたかったからです。脳みそはアヒル並に空っぽでしたが、そんなことはどうでもいい。それと、新宿に会ったセレクトショップの店員とも同時進行で付き合うことにしました。ファッションセンスを身につけるためです。この男の脳みそもカエル並にスカスカでしたが、そんなことはどうでもいい。
ここまでしたところで、綺麗になるには莫大なお金がかかることがわかりました。ところが私の実家にはお金はないし、バイトするのは時間効率が悪いです。私は綺麗になるために忙しいのです。そこで、交際クラブに登録し、スポンサーになってくれる男性を探しました。2人ほど適当なのが見つかりました。一人は大学の先輩で、某大企業の役員になっている50代の男性でした。彼はやはり容姿に問題があり、学生時代ちっともモテなかったので、「青春を取り返したいんだ」って言うのが口癖でした。定額10万円/月+デート代は向こう持ち。受け身で純情な女の子として振る舞うととても喜んでくれました。もう一人は、大きな保険代理店を経営している40代の経営者で、高卒の学歴コンプレックスの塊みたいな人でした。「早稲田の美人が俺に全てを捧げてるってだけで無茶興奮する」ってのが口癖でした。デートのたびに5万円+デート代は向こう持ち。フェラとか全身舐めとか、とにかく奉仕させられました。それと、中出し原理主義者で、「俺の子どもを孕め」とか言いながら中で出すのが常でした。ピル飲んでるんで問題ないんですが。二人ともやたら精力が強く、一晩に2~3回は当たり前で、お金持ちになる人は精力の強さがはんぱないなーと思いました。二人とも、お金をくれたのはもちろんですが、学生ではまず行けないレストランとか、美味しいワインの選び方とか、一流ホテルってどんなところでどういう振る舞いをしないといけないかとか、そういうことを経験させてくれたのはとてもありがたかったです。
成人式から1年。これだけの努力をした結果、私は、見違えるような美人になりました。美容整形とかはしていないので、元も悪くなかったのだと思います。
そのころには、ITベンチャーの経営者に大学生を紹介するのが事実上の商売、みたいな男性にスカウトされて、そういう合コンにも出るようになり、そのうちの一人の独身若手経営者と付き合うことになりました。お金はスポンサーからもらっていたものがそこそこ貯まっており、彼氏から教えてもらったいろいろな情報で、株式で結構儲けました。リーマンショックの少し前、皆がイケイケだった時代のことです。1年くらい株で遊んで、数百万円になったところで、スポンサーを2人とも切りました。40代の経営者はあっさり別れてくれましたが、50代の会社役員は、すごくねちねち渋りました。私はこの時、青春コンプレックスの方が、学歴コンプレックスよりはるかに重いことを学びました。若いころモテなかったことは、心の深い傷になるものなのです。
スポンサーと切れて、後ろめたい足かせがなくなったその後は本当に交際の範囲も上に広がりました。ITベンチャーの後は、独身・既婚取り混ぜて、官僚、広告代理店にコネで入った御曹司、総合商社、銀行で働いている某企業の御曹司、若手経営者と順に付き合いましたが、世の中こういう風に動いてるんだ、ってのが彼氏の言動とかからわかるのです。見える風景が一変する、というのはこのことです。それにあわせて、私の運用資産も殖えていって、大学を卒業するときには2000万円を超えていました。キレイを続けるために相当のお金を使いましたが、それでもまだまだ貯まるものです。ああ、一人だけ、プロ野球選手と付き合いましたが、地アタマはよさそうでしたがなんせ関心が酒と女と野球とマッチョにしか存在しないので、結局うすらバカでした。セックスだけは異常に強かった。体力もすごくて、体が壊れちゃう、って思うほど気持ちがいいのですが、まあそれだけですね。彼氏とのセックスに満足できないときの代用品として散々使わせていただきました。プロ野球選手と結婚する女子アナの人は、お金好きでなければセックスマニアだと思って差し支えないと思います。
大学を卒業して、東京に来ている高校の同級生で集まる機会がありました。東大の大学院に進学した彼女は相変わらず美しかったのですが、実験疲れ?なんだかやつれて見えました。間違いなく私の方が綺麗です。かけたお金と時間と努力が違うのよ。如才なく人との会話を紡ぐことができるようになった私の周りには、人垣ができました。私は内心、つい3年前に私に陰口を叩いていた人たちが私にひきつった笑みで話しかけてくるその姿、その軽薄さに反吐が出る思いをしましたが、そんなことは振りにも見せず、同窓会の主人公になりました。無論、「整形?」とか陰口で勘ぐる人もいましたが、何言ってんの?何の努力もしていないくせに。
外資系金融に就職し、それなりのお金を稼いでまあだいたい1億円くらいの資産を得ることができました。もうしばらくすると、収入はさほどではないけれど、名家の出の夫と結婚して退職します。屈辱の成人式から7年。東大に行った彼女は、まだまともなアカデミックポストを得ることがないまま、同級生の東大男子と結婚したとの報せが先日ありました。ご主人も、同じく根無し草の研究職のようです。ご夫婦の写真を見ましたが、まあ平凡な容姿になっていました。苦労は美貌を蝕みます。勉強ができることにこだわった彼女は、結局世の中の幸せと縁遠い人生を歩むのでしょう。勉強だけができることは人生の勝利には結びつかない。キレイであること、お金があること、コネクションがあること、人生で勝つために必要な要素はもっとたくさんあるのです。
あれから7年。短いようで、長い7年でありました。こんなところでしか書けないけれど、私は勝利した。本当にあなたに会えてよかった。そうでなければ、今のこの私はないのだから。
普段こういったことを噤んで生活をしていく中で、
誰かに聞いて欲しかったんだろうと思う。
*
今年の冬に死のう、と決めたのはちょうど一年前にあたる昨年の初冬のことです。その日は父の命日でした。
叔父は僕が中学生の頃に飛び降り自殺をし、結果的に未遂に終わり、半身不全になりました。
僕の曽祖父はすい臓がんの痛みに耐え切れず電車に突っ込んで自殺をしました。きっとその遺伝子が僕にも流れているのだと思います。
*
父は僕が高校生の時に突然亡くなりました。
母が話したがらなかったので、正確な死因は聞かされていませんが、脳梗塞かそれに似た病気だったと思います。突然死でした。
僕はその地区では一番の進学校に入学したにも関わらず、勉学への意欲を失っていました。もともと中学ではいじめから逃げるため、まるであてつけか腹いせのように勉強をしていたようなものだったので、環境が変わったことにより勉強する理由を見失ってしまったのでした。学校でも居場所を失い、借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、夜はいつもだらだらと過ごしていました。
その日、日付をまたごうかとしていた時刻です。ようやく物理の問題集を開きかけたところ、隣の寝室から母のくぐもった叫び声が聞こえました。母は僕を呼びつけ父を見ているようにと言って、一階へばたばたと階段を駆け下りました。父は目を開けたまま空中を見つめて固まっていました。ぼんやりと口を大きく開け、橙色の明かりが照らしているはずなのに、その瞳が灰色のように見えたのが印象的でした。
僕は、救急車の音を聞きながら、弟の手を握って、多分おとうさんは死ぬから、これからは二人で母をささえていかなくてはいけない、といったことを弟に言いました。こたつぶとんの銀杏の柄を今でも覚えています。(その弟とは数年後に金のいざこざで法事であっても目を合わさないような仲になるのですが。)
どこにでもあるような、ありふれた死です。
中学生の時には友人を何人か自殺で亡くしました。そのうちの一人とはとても仲がよかった。僕は高校受験の合格の知らせとともに、その電話をうけました。成績も優秀で人柄も温厚だった彼の葬式には、たくさんの友人が足を運びました。彼は病気で死んだと聞かされていましたが、数年後あれは自殺だったのだと母から言われました。彼が最後どのような姿だったのかは知るべくもありませんが、僕は彼がきっと暗い森で首を釣ったのだろうな、と画を浮かべました。
どこにでもあるような、ありふれた死です。
僕は彼とそこまで交流があったわけではありませんでした。
どこにでもあるようなありふれた死です。
その後も肉親のありふれた死を沢山通り過ぎましたし、災害や事件が起こるたびに、そしてウェブの手記やブログといったひとの人生が語られるたびに誰かの死を知りました。思えば、中学生のあの自殺を経験した時から「死」というものについて毎日考えるようになっていました。それは而立と呼ばれる年齢を超えた、今でも、毎日です。
人というのは本当にあっけない。人の人生を美しく錯覚させているのもまた人なんだなあ、と僕は祖父の焼かれた骨を拾いながらとても空虚な気持ちになっていました。
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僕は幼い頃からとても潔癖で、世の中では避けて通れない、多くのひとなら何も感じないような些細な傷にもいちいち血を流すようなとても弱い、誤解を避ける言い方をすれば、感受性の強い人間でした。そうやって振舞っていると当然のように不幸を呼びこむもので、学生時代も就職してからも、ひとに脅されたり漬け込まれたり、悲しみや苦しみを自ら引き寄せたりすることがとても多かったように思います。自分に自信がないせいで、異性を好きになることもできません。
しかし、悲しいことばかりでもなく、大学では友人に恵まれましたので、そういったふるまいがいけないのだということを少しずつ学びました。そして、悲しさやいらだちをすべて筆に載せることで自分を保つようになりました。自分自身を神のように錯覚する、一種の宗教のようなものです。筆を握ることさえできれば、どんなに辛いことがあってもまあなんとかなる、それを糧にしていけば、次の作品の材料にしていけばいい、そして、それでもだめならいざとなれば死ねばいい。そうやって自分をごまかすことができていました。ここ数年は。
*
昨年の初冬から筆が握れなくなりました。その頃は仕事で一日の時間の大半を奪われており、常に締め切りに追われ、朝方に眠り、ぼんやりとしたまま起き、仕事をし、眠っていたから、いつのまにか、なにかを美しいとおもったり、なにか美しいものをつくろうと思う気持ちがすっかりなくなってしまったのでした。ただ人を裏切ることが恐ろしい。人にがっかりされることが恐ろしくて仕方がありませんでした。あのころと一緒です。自ら悲しみや苦しみを引き寄せるようになっていました。
僕はスケジュールをきちんと管理できなかった自分を、仕事がこなせない自身の力不足を糾弾しました。ある日道を歩きながら、パソコンに向かいながら、電車に乗りながらわけもなくぼろぼろと涙が溢れてきて、「これははてなのコメントでよくみんなが言っていた鬱というものだなあ」と思い、病院へ言って安定剤をもらいました。
薬を飲むと涙が流れるのはすこし和らぎましたが、強烈な眠気とだるさに見まわれ美しいと感じる心はますます萎びていきました。何を見てもときめかないし、輝かない。美しい作品を作って、褒められたいという情熱は、作品をつくってそれが美しいものでなかったらどうしようという恐怖に変わっていきました。もうひとりの自分が糾弾します。筆を取れない自分に価値はない。いや、もともと価値などなかった。もっといえば人間に価値などない。人を美しく思わせているものは人なのだから、その気持をうしなってしまったらなにも意味が無い。
僕がこうやって萎びている間も周りの人間はどんどん前へ進んでいきます。そういった輝かしい人々を指さして、僕をもう一人の僕がぺしゃんこに糾弾します。毎日平静を装って仕事をしながら、己を否定する言葉が泉のように湧き出てきてそれが朝から眠るまで続きます。インターネットで見かける言葉がすべて僕を責め立てるように見えてきて、恐ろしくなります。汚い言葉がこちらに向かって刺さってきます。けれどそれをやっているのは自分自身です。それをわかっているから、ますます自分を糾弾します。こんなことで萎びてしまう弱い自分がすべて悪いのです。けれども僕は何食わぬ顔をして普通に仕事をして、ごはんをくちに運び、風呂に入って、眠ることができます。糾弾して、仕事をして、ごはんを口に運んで、風呂に入って、眠ることができます。おそらく死ぬまで。ずっとこれを続けることができます。でもできるのとしたいのは別のことです。
*
思えば物心ついた時から常になにかに怯えていました。人の顔色をうかがい、人の評価にあわせることでしか自身を保つことができませんでした。筆を握ることは、ただ楽しいと思えていたのに、それも虚栄心を満たすだけのものに成り果てました。いまでは作品を作ることすら恐ろしいし、過去の作品を見ると動機が激しくなって、吐き気のようなものがこみ上げます。
毎日暮らしていくことはできます。恋人や伴侶や子供もいないので一人で暮らしていくには給料は十分です。でももう、立ち上がるだけのエネルギーがのこっていない。
いざとなったら死ねばいい、これまでも幾度と無く思ってきたことですが、そのいざとなったらが、今ではないかと思いました。僕は去年の初冬に決めました。あと一年この気持が変わらなかったらビルの20階から飛ぼう。高いところがとても好きで、バンジージャンプの経験はあるし、幼いころの夢は鳥になることでした。首吊りや凍死、薬物やガスも考えましたが、インターネットは便利です。いろいろ調べて、死ねなかったことを考えるとこれが一番いいような気がしています。
今年に入って身の周りのものも処分をはじめました。できるだけ周囲に迷惑をかけないように(それが無理なのはもちろんわかっていますが)、手配したいし、遺書も用意してあります。ここ数カ月間は、仕事関係以外の人間、肉親との接触もできるだけ断つようにしてきました。準備を淡々と進めています。僕は初冬に多分、多分死ぬのだろうと思います。悲しいというよりは空虚な気持ちです。死んでいった彼等もこんな気持だったのでしょうか。
どうすればよかったのか?なんて思うけれどもそんな救済ははじめからなかったような気がします。思えばむかしから弱くて、弱くて、ここ数年がただ運良く、うまくごまかせていた、それだけだったのだと。この世は弱肉強食ですから、弱いものは去らなくてはいけない。もう一度美しいと錯覚できたら、そうしたらまた以前のように自分をごまかすことができるのだろうか。ごまかすことができたら、この先の命を続けていくことができたのだろうか、それはもうわかりません。今の私には、屋上から逆さまに落ちてトマトのようにぐしゃりとなる自分の姿しか思い描けないのです。
なんとなく思い出したのだが、昔、ロックシンガーがパーソナリティを務めるラジオを聞いていたら、
高校時代、進学校の連中と諍いが起こって学校を上げての喧嘩に発展したらしい。
「でもそいつらが最悪だったのは、小遣いを出し合ってヤクザを雇ったんだよ。
親からもらった金で。
俺達も鉄パイプ借りに行かなきゃいけなかったし、
前歯が無くなった奴もたくさん出た。
そして喧嘩の爽やかさも何もなく、ただ後味の悪さだけが残った」
というようなことを言っていた。
聞いただけだけど、なんとも後味の悪い話だった。
どちらかと言えば不良にからまれる方だった俺にとっても、なにか後味の悪さを感じさせた。
今考えると、結局、正義とは何かという話なんだよな。
異なる価値観がぶつかった時に不幸が起きるという話なんだ。
「わだかまりがあったら、お互いに数えるのも面倒なほど殴りあって、
どっちもどっちってことにしてチャラにしようぜ!」
これがお前たちのルールに則った解決法なんだろ?」
片方がもう片方に、自分達のルールを無理やりに適用しようとしてすれ違いが起こった。
しかも負けた。
高学歴連中からしてみたら、振りかかる火の粉を最小の被害で振り払ったのだから、
それまで自分のルールつまり正義を無理に通すことのできた暴力側が、
年齢が上がることによって触れた新しい正義、社会的な権力に負けたという話だ。
そう考えると、なんだか世の儚さみたいなものを感じる。
いや,まったくもって,進学校に通っている女子高生は残念だわ.
ただ,いくつかの前提が間違っているんじゃないかな.
まず,高学歴の男のイケメン率が50%という前提は多分違うだろ.高学歴の男(特に理系は)は概ね残念な顔だw
そして,高学歴な親が子供を高学歴にしようとするかというと,それもどうかな?女子に関してはお嬢様学校に入れる人も多いんじゃないか?
さらに,ある程度高学歴な男だと,顔よりも話が合うかどうかを重視するから80%美人と結婚するという前提も崩れる気がするな.
というわけで,ここは
親が高スペックイケメンの場合は、30×0.8+30×0.2×0.5=24+3=27
トータルで55%くらいが美人かな?
まあ,トータルで行くと美人が生まれる確率は,平均からの誤差範囲くらいに収まるんじゃないかなあ?
ただ,トップクラスの女子校にこのうち何パーセントが行くかを考えると,やっぱりたいしたことないレベルに収まる気はする.
ついでに,どう頑張ってもブスだろ,という高校生が大人になるとバケるから,ブス率というのはやっぱり当てにならんなあ.
元増田はブスは一生ブスと思い込んでるみたいだけど,まだ若いのかな?
前提条件を考えなおせば,不思議でも何でも無くなるんじゃないかね?
そのシリコンバレーの人は、統計とか言ってるくせに何も理解してない糞だし、
単にシリコンバレーに来ちゃった自分かっけ~してるだけのクソみたいなので
その意見に沿うような事はしたくないけど、
高校は残念だけど大学は高偏差値校なら挽回がきくと根拠なく思いたがるのはだいたい後者のタイプである。
どこの高校に行くかは、どこの大学に行くかよりも致命的にその人の人生を左右するので、高校はどこでも良いとするのは暴論であろう。
んなこと考えてる奴は、低偏差値高から"大学の偏差値平均"が高い早稲田とか慶応とかそういった私立の
クソ見たいな学科に入ったやつだけだろ。
東大とか入ったらそもそも出身高校でどうこうとかはまた別の次元の話。
どこの高校に行くかは、どこの大学に行くかよりも致命的にその人の人生を左右するので、高校はどこでも良いとするのは暴論であろう。
えーと、それは単に、どこの高校に行くかによってどこの大学に行けるかが決まるからだけであって、
アメリカで「裏口入学」ってのを聞かないのはそれが正規のルートとしてあるから。
そもそもアメリカの上位校は日本で言う慶応の幼稚舎から上がって来るような連中のための大学。
学力だけで審査しないのが素晴らしい、日本にも導入を!とか言ってるバカが居るが、
それをすれば今以上に格差が固定するだけ。
高校生までに親の金をふんだんに使って、海外でボランティア活動しました!音楽で賞を取りました!スポーツで賞を取りました!
(音楽やスポーツを勉強と同時に効率良く行うには金をふんだんに使わないと出来ないし、
そもそも金が無いと始められないものも多いので金持ちの中で争ってるだけだったりするし)
ただ、最近は学校の先生が糞な一方で金かければ良い学習が受けられるっていうクソみたいな社会になってるからそれはそれで。
特に都会はそれ。
中学くらいまでに金かけないと大きな差が出るし、一旦差が出るともう諦めるから金持ちだけが残る。
地方はそもそも塾もまともなところが無いので金かけても意味がなくて、
中学まで成績良ければ良い公立進学校に行けて(この時点で都会の金持ちとは大きな差はあるが近くに居ないので気にならずに勉強できる)
途中で周りと比べて諦めることもないから。
http://anond.hatelabo.jp/20140602203828
都立のトップ校はわりとそんな感じだよ。県下一の進学校ってたぶん同じようなレベルだと思う。
でも国立やら私立のトップ校はそこよりレベル上だから塾いかなきゃついていけないやつがいてもいいんじゃね。
これは関関同立の事ですよね。
全ての学部とは言わないが、慶応、早稲田は明らかに市大、府大より上。
否定するのは大阪人だけ。
奈良県の私立進学校である東大寺学園(偏差値72)は相変わらず私立大学を進路実績としてカウントしていないし、
http://www.tdj.ac.jp/gaiyou/sinro.html
大阪府の私立進学校である清風南海高校(偏差値70)も同様である http://www.seifunankai.ac.jp/jukensei/hshingaku.html
なぜそれはスルーしたの?
北海道なら北海道大学を出て地元の有力者とコネクションを築いて地元でウマウマ生活するのが賢いだろう。
広島なら広島大学を出て地元の有力者をコネクションを築いて地元でウマウマ生活するのが賢いだろう。
北海道や広島でパッとしなかった人が、どうして北海道大や広島大よりもハイレベルな学歴経歴をした人がひしめく東京で成功できると思うのか、私にはよくわからない。
関西からどんどん大企業が東京へ流出してる事実はもちろんご存知ですよね?
増田が知ってそうな会社だと日清も2008年に大阪から東京に本社を移転させてます。
東京に本社移転しながら“大阪の地盤沈下”を嘆く関西財界の自己矛盾、関西州(大阪都構想)と大阪市営地下鉄完全民営化をめぐって http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-2593.html
また3.11以降、関西に本社移転のニュースもありましたが実際の動きはありません。
企業の関西移転、動き鈍く。電力不足や労力に忌避感か 2014.3.10 20:15 http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140310/wec14031020160004-n1.htm
http://www.nli-research.co.jp/report/real_estate_report/2013/fudo140303.pdf
逆です。
パイが小さい。
そもそも競争できる場面が無い。
さて、増田は京大さえもどんどん偏差値下がって来てるのは知ってるよね?
その理由は単純。
もし俺自身が、親が「この子は素質が!塾!進学校!」ってやってたら、俺は潰れていたんじゃないか、という感情がひとつ。
通った公立校は、全員がガリガリ勉強するという学校ではなかったけれど、好きなことをきちんとやって努力することについては何であれポジティブな環境であって、それが部活であれ勉強であれ素直に賞賛され奨励される雰囲気があった。ほんとに良い環境にいたと思う。
でも、自分の中では、おおっぴらにできない感情も抱えていた。それが「高慢と思われるんじゃないかという恐れ」ね。これについては親から「勉強出来るだけで高慢になるな」というメッセージを受けていたことによる。その抑圧が、東大で外れた。
だから、環境問題としてみるなら、親から俺が受け取ったメッセージは(教育ママとは別の方向で)ネガティブだったのだけれど、幸運にもそれを補って余りあるポジティブな環境があった。それで、環境の重要性を強調したくなったわけ。
まあ、こんなこと、俺の最初の書き込みからはわからんよな。ミサワと思われても仕方ない。感情を害した方には謝るよ。
それに、俺の事例がnature or nurtureの議論については何のデータにもならないってことも言っとく。あくまで、自分の体験から環境重要って言いたかったってだけ。
自慢に読めたんならすまんかったわ。
「この子は素質がある!塾とか進学校に通わせて勉強させましょう!」って考えなくても、環境整えておくと勝手に学んで行くようになるかもよ、ってことを自分を例にして言いたかったんだ。
もちろん、他の増田が言ってるように、遺伝的な幸運というのはあるだろう。同じ環境に置いても個体差は大きいだろうからね。だが素質の方は後からどうにかできるもんじゃないし。環境整えても勝手に勉強するようにならなかったら、向いてなかったってことで。
塾や進学校に行かせることを否定してるわけでもないよ。それが向いてる人だっているだろうし。塾や進学校も環境の一部と考えることもできるし。東大同窓生でも多くはそういうパスで、でもそんな履歴の差異なんて本郷進学する頃には意味なくなってるし。
ただ、個人的に、親からも期待されてすげーがんばって、入ってからなんか目標見失ったみたいになっちゃって大学来なくなった同期もいたからさ。そういうふうになってほしくないなって思ったのさ。
一見なんの問題もなく社会的生活を営んでいそうで、初対面であれ?この人何かおかしい・・・と感じさせるタイプの人がいる。例えば東京都北区赤羽という漫画はそういう日常に潜む変人に対しての嗅覚が異様に鋭い作者が今まで出会った変人を特集した漫画である。とくにこれ。
そういう女は初対面の段階でいくつかのシグナルをもとにそういう男を見抜いてハマってしまうのだ。まずはそういうタイプは大抵喫煙者。やめようとしてもやめられないタバコ依存です。中学生くらいにかっこいいと思って吸い始めてるけど今は依存。全然辞めれない。
そしていわゆるサブカルチャーが好きである。ジョジョ、椎名林檎、ブランキー・ジェット・シティ、といったメインカルチャーちょい外れくらいのところを通って今はがっつりサブカルです。最近の映画だと、アクトオブキリングとか見てる。基本的にエログロを含むキツい風刺のきいた作品を好みます。園子温はだいたいカバー。
本人もキツイいジョークを好むので、見知らぬ人をクソババァとかクソジジィとか呼んでみたり、職場にいる完全イジられ属性を持ってるけどアンタッチャブルな人に対するみんな思ってるけど言わないようなことをだんだん言い出します。毎日顔を合わせるレベルの人をメンヘラ・下品・素人童貞・ちょっと臭いとか言っちゃう。でもあくまでその人をけなしているわけではなくてその人の特徴について話しているつもりなので、翌日も普通に一緒に仕事します。本人は悪口のつもりではないし逆に同じようなことを言われていてもなんとも思いません。
そういう毒の効いた発言を何度か繰り出してこの人は大丈夫だな、と思い始めたら年上だろうが上司だろうがタメ口です。でもそういう相手を嗅ぎ分けるのは下手じゃないのでタメ口聞かれる相手はなんとも思いません。ただし、それを周りで見ている事なかれ主義人間や体育会系古人間が影で注意したりします。それに対してイラッとします。
まあまあここまでのタイプは 20 人に一人くらいいるかもしれません。もうちょっと希少価値高めになると高校中退してます。そういうタイプはだいたい早熟かつ要領は良くて中学までは勉強できるので比較的進学校な学校に通い、その環境に三年間も耐えられず中退します。家に金があるとそのまま社会からドロップアウト。一般家庭の場合は大検とっていい大学いってます。
自分で料理とかしないのでカップラーメン率高し。そして何もなければ一日中寝ているのに何故かガリガリです。身長はそんなに高くないことが多いですが、とにかくガリガリ。外でないし運動嫌いだし運動神経も良くないので色白です。喉仏と鎖骨がでているのでそういうところもそういう男が好きな女子の心を刺激しているんですね。でも 30 代近くなってくると代謝が落ちて太ってくるので気をつけて欲しいところです。
酒は好きですがたくさん飲めるかどうかは体質なのでひとそれぞれ。ただし共通点としては酒を飲むと高すぎる自意識の壁が突然とっぱらわれてキャラが変わるタイミングが訪れます。酔った時だけ素直になりますが、日頃気を遣って抑えている言いたいことが爆発して一度心を許した相手に対していわゆるドSになります。同様の理由でセックスの時もどSです。
インターネットリテラシーは高いです。Yahoo ジオシティーズ。南条あや。そしてはてな民。
というわけで上記に該当するはてな民の皆様は、そういう男がしか愛せない、高学歴だけど顔は日本人の平均くらい、自己意識が強すぎていわゆるイケメンには絶対にいけない、休日は一人で映画ばっか見てるような女を探して幸せにしてあげてください。
働きアリの話あるじゃん?アリの集団の3割は働き者で3割は怠けものなんだけど、
働き者ばかり集めてみるとその割合が変わらないっていう。
君が行くような進学校の人もそんな感じだと思うんだよね。ただ偏差値だけは全体のレベルが高いから君から見て底辺でも
早稲田慶応に行けちゃうっていうだけで、精神性は対して変わらないきがするんだよね。
そういう意味で君の思う底辺大学にも賢い人はいるわけよ。高卒だって賢い人はいるのよ。
早稲田だって賢い奴もいるし馬鹿もいるのよ。東大だってそうだと思うよ。
というか学歴だけ見すぎじゃない?w何を基準に人をみるかは自分次第だけど、そんな自分が人からどう見られるかわかってるのかねえw
人生は一生取り戻せないポイントがいくつかある。それを君らに教えてあげよう
1)
*それ以外は統計的に95%がどうしようもない人生でダメ人間としておわる
2)
官僚か、財閥系商社、メガバンク、外資系投資銀行のいずれかに入社する
*それ以外は統計的に95%がどうしようもない人生でダメ人間としておわる
3)
*それ以外は統計的に95%がどうしようもない人生でダメ人間としておわる
4)
30歳までに早慶以上の大学に進学した頭がよく、可愛い奥さんを貰う
*それ以外は統計的に95%がどうしようもない人生でダメ人間としておわる
5)
35までに2000万円貯金をする。
*それ以外は統計的に95%がどうしようもない人生でダメ人間としておわる
6)
徹底的にリサーチした上で、地方私立大学の近くに、学生用の賃貸アパートを立てる。
*自己資金2000万円と借入1000万円合わせて3000万円を使って、年間10%運用=年300万円収益をあげる
7)
中学校での成績やその他いろいろな事情によってタイトルのような高校に入学する事になった。
同級生には「名前が書ければ入学できる学校」などとバカにされたりもしたが、そんなことはないだろうと不安感を胸に押し留めて入学式に臨んでから早くも1週間が経った。
学校についてを書くと、特定されてしまうので詳しくは書かない。
ここでは、自分なりのこのような高校についての考察を書いていきたいと思う。
授業や休み時間の行動を見ていると、小学生のような行動を取る人が多いことに気がついた。
まだ、入学してから1週間ほどしか経っていないのにこのようなことを要求するのも酷かも知れないが、上記3点が特に気になった。
先生に認めてもらうために、発言などを周りにほとんど当たらなくらいする同級生がいた。
まだ授業は易しい内容なので、誰でも質問されたことはわかるよう。しかし、そんなに質問に張り切って挙手をし、大きな返事をし、発言をする。先生が「どうぞ」と言っていないのに発言する。
私はこの同級生を見て「まるで小学生みたいだな」と思ってしまった。失礼かも知れないが、そう思ってしまった。
何故このように張り切って発言をしているのか自分なりに考えると、このような結論になった。
底辺校と言われるような学校なので、当然、学力はあまりいい方ではないのだろう。
中学校ではみんなの前で発言をし、褒められるという経験も少なかっただろうと勝手に推理した結果このような結論になった。
そして、このような生徒をバカにするというのが、2点目だ。
積極的に発言したり、クラスのために何かをするというのは悪いことではないだろう。
「誰かを認める」というのは、なかなか簡単なことではない。
自分の考えと同じ考えをしている人がクラスにいるというは非現実的だろう。
誰かを認め合えるようになるとうのが、大人になるということの一つだと私は考えている。
そのようなことができる人は、言い方は悪いかもしれないが「賢い」と言われて中学校時代を過ごしたのだろう。
賢いことと、勉強ができることはイコールではないが、両方できる人は、進学校と呼ばれる高校に入学していった。
だから「誰かを認める」ということができない人が目につくのではないか。つまり、人間として幼い人が多い、そう思った。
最後に、3点目。以上のことからわかるように、人間として幼い人がこのクラスには多かった。
そのために、高校生ならできてほしい気配りができない人が多い。自己中心的な行動をしてしまう。
周りが見えていないことはまだ入学したてで学校に慣れていないからだ、と思いたいが、あまりにも自己中心的な人が目立っていた。
長々とへたくそな文章を書いてきたが、言いたいことは、このような学校には人間として幼い人が多いということ。
私達は、9年間の義務教育を終え、大人への道を歩みだしている。
そんな中、同級生達は、人としての成長や苦労をせずにこの学校に入学してきたのだろう。
こう考えると、顔立ちも幼い人が多いような気がしてきた。
このクラスがどのように成長していくのか楽しみだ。
私もそう思ってました!
家族は全員大卒、兄弟そろって中高は進学校で、高卒の人に会う機会が全くなかったです。
ですが、葬儀場スタッフのアルバイトの同僚で、中卒高卒にたくさん出会いました。
その娘は中卒で、同じようにアルバイトで働いていて、16で妊娠。
フリーターで生計を立てている人がたくさんいることを初めて知りました…。
コメントを見ると、世間を知らない、ちょっと考えればわかるだろ、とバカにしてくる人もたくさんいますが、
他でも言われてるけど上位進学校をでてるわりには知性を感じないんだよな