"客観的"と言う意味分かるかな?客観的な基準というには、誰がどうみても絶対的に決まる基準を言うわけね?
その基準そのものの良し悪しについては勿論議論があるでしょうが、
まず、社会としてのルール作りにおいて、曖昧な主観的な基準ではなく、何らかの客観的な基準が必要なのは理解できますよね?
これは、「客観的」な基準です。
(ハーフだとかが曖昧になる、とかはこの場合無視してますが、基準を作るなら、父系が黒人なら、とかできちんと客観的な基準を作ることは出来ます)
これを区別するのをよしとするかどうか、それはまた別の問題ですが、
一方、知的能力により区別しようとした場合、それはどのような基準になるのでしょう?
勿論、現在でも、入試と言う制度で行ける学校が変わったりします。
ただし、進学校に行こうが底辺学校に行こうが、人としての基本的な権利は全て平等です。
どこへ行きたい、働きたい、恋愛したい、そのどれも、学校により区別されることはありません。
勿論、入試同様、「競争」により、働きたい職業につけない、好きになった相手と付き合えない、ということはありますが、
それを知的能力による区別、とは言いませんよね?そこはいいですよね?
あなたの言ってる事は非常に恐ろしいことです。
誰かが勝手に決めた主体的な基準により、この子はこれをして良い、この子はこれをしては駄目、と差別するわけです。
生活保護者に関して言えば、例えば、生活保護者がヤミ金に手を出して一発逆転ギャンブルする、とか言い出したら
それをたしなめ、やめさせる、というのが、
子供が大人と付き合いたい、といった時に辞めなさい、というのと同じこと。
ヤミ金業者を国が罰するのと同じように、
国が小児性愛者を罰する、とういこと。
わかりますか?
えーと、その辺、きちんと理解してます?
別に、知的障害者の主体的決定権を剥奪してるわけではありませんよ?
次に、「客観的」に見て明らかにおかしい状況の場合、彼/彼女が損をするような場合、
その決定を覆し、彼/彼女の有利になるように変更することが出来る、ということ。
子供についても一緒ね?散々、あなたは子供の主体性を重んじろ、とか言ってるけど、誰もそれを奪え、なんて言ってません。
ただし、子供の主体的な決定により後に不幸になる、害になることが明らかな場合、
その、「明らか」というのは勿論100%ではない。
100%なんてものは世の中にほとんど存在しないし、人間の意思決定なんてものは実際どうなるかはわからないことのが多い。
だけど、歴史的に、現在の日本では、子供が無駄に小児性愛者と仲良くなって良いことなんて有り得ない、としてるわけだ。
分かる?
だから、小児性愛者がそれを実行に移して、実際どの様な害があるか、どの様な利点があるか、そこをきっちり説明してよ。
あんたの言う、「子供の主体性を確保できる」は全く意味ないから。
どこまで制限するかは議論のあるところだけども、その、小児性愛者との恋愛を許可した場合、何の利点があるか教えてくれ。
デメリットとしては、
など。
http://anond.hatelabo.jp/20140208170417 一方、知的能力により区別しようとした場合、それはどのような基準になるのでしょう? まず動作性知能が大事だと思います。それらが「知的障害者に...