はてなキーワード: 本棚とは
本の置き場の解決法って
あたりが定番だけど、
電子書籍はなんか知らんけど嫌で、
一つの本棚に入れたいということは離れた倉庫に置くのもダメということで、
端末の値段にすらブーブー文句言ってる弱者男性に広い家に住める甲斐性があるわけもないので、
じゃあ解決法なんて無いじゃん。
あのな、相談している時点で電子書籍は論外なの。「えっ、今ってスマホ(PC)で本が読めるんですか?」って言うとでも思ってるのか?むしろkindle日本に来た時に速攻試したり、各社の電子書籍サービス一通りアカウント持ってるわ!
この相談しているって事は電子書籍が駄目なの。理由はフィーリング的な物なので電子書籍ユーザーからしたら馬鹿げているだろうけどもう仕方がない。スマホは小さい、PCは場所が固定される、専用端末は読みやすいのは高い、あと本によって出るサービスが異なるので本棚一つに出来ない。色んな工夫で解決できるんだろうけど、自分は買ってきた本を本棚にぶち込んで気になった本をベットに寝転んだり椅子に座って読みたいので難しい。あとスマホとPCは誘惑が多すぎる。あと大体の本電子書籍で出てると思うなよ。自炊は論外、切りたくないしスキャン面倒だしそもそも環境作るのにいくらかかる
とりあえず電子書籍のフォーマットが統一されてサービスの横断した本棚が作成できる端末が安価で買えるようになってから代替としておススメしてくれ
本棚が足りない
10畳1K
電子書籍も試したけど合わなかった
なるべく漫喫や図書館で借りたりして読んでるが、好きだった本は手元に置いておきたくなる。
同人?個人出版?の本や漫画はもう二度と出会えないかもしれないので捨てられないし、好きな本は問答無用で買ってしまう
技術書は古いの定期的に捨ててるがずっと残しておきたいのもあるし、図書館には無い。
会社で借りたり買ってもらったり出来るが技術書は読むのに時間がかかるので返却日に追われず色々並行しながらゆっり読みたいのでやはり自分の本として欲しい
引越しすればいい
まあそうなんだけど……
引っ越すのも面倒だから家建てようかなと思って書庫がある家とか、書庫まで行かなくても本専用部屋がある家とか見てるんだけど面倒くささが勝って行動に移せてない
国会図書館は?
出不精すぎて行くくらいなら買ってしまう……
国会図書館すごいよね。
親が親(私の祖父母)の思い出?をかきあつめてたんだけど、親も生まれてない、祖父母が若い頃投稿した雑誌とかヒットしてた。
床が抜けそうなので、とりあえず追加を買わないことにした
anond:20231015151001 おっさんたち、昔どうしてSFもの・宇宙ものが流行ったか教えて
じゃあいま30代、そのときは60歳を超えてるであろうあなた方はどうやってこの質問に答えるのでしょうか。
ドラゴンクエストがその発火点であることは間違いないが、その手前の、ウィザードリィとウルティマが起源であるし、さらに遡ったらTRPGになります。もっとも少数派だったでしょうが。
ドラゴンクエストにより、家庭用ヴィデオゲームにおけるロールプレイングゲームが一般化し、その「ついでに」剣とファンタジーの冒険が一般化したんですよ。両者は不可分であるけど、RPGという新しいゲームを遊ぶことができるというのが強かったのです。
それまでにファンタジー世界の物語は知られてはいました。でも、メインはSFだったところに「知ってるひとは知っている」というスタンスでファンタジーという分野は生息していたのです。
SF :サイエンス・フィクション HM :ミステリ(昔は違った記憶があるけど思い出せない)
FT :ファンタジイ
書籍分類記号のFTは本棚にかぞえるほどしかありませんでした。
もちろん、グインサーガシリーズや指輪物語のように熱狂的に支持するひとがいたし、通ぶりたいひと(あるは本当に好きなひと)は「やっぱり指輪物語が~」なんていってた記憶があります。
「ネバーエンディング・ストーリー」や「ダーククリスタル」などヒットした映画もありました。だから、世界観に潜在的な知識はあったんですよね。あとはディズニーや昔話もそうですね。
ただ当時(昭和末期)まではSFが強かったのです。というのも、あらゆるジャンルに不思議な要素が紛れ込むとそれはSFということになっていたんですよね。
筒井康隆、星新一、小松左京といったSF御三家も、ボーダー上のジャンル不特定な微妙な作品をSFとして発表していたのです。
それは今後のRPGにも影響を与えるのです。というかオタク文化(から派生してエンタメ全般)全てにわたり垣根が曖昧になっていく「なんでもあり」になっていくのです。
「なんでもあり」はパロディや二次創作も強く影響を与えているわけですが。
そして、そもそものRPGの始祖であるウィザードリィにしてもTRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のパロディ要素が多々あるそうです(TRPGはやってないいので)。
ファミコンにより活性化し一般化したヴィデオゲーム。アーケードのゲームとPCからのゲームより、家庭用のデバイスでより洗練されたゲームを、そしてより多岐のジャンルへと裾野を広げた末に飛び出てきたのがドラゴンクエストなどの剣と魔法のファンタジー、さらに様々な要素を加えたファイナルファンタジーなどのRPGが一気に強いゲームジャンルになっていきます。
そこで培われたフォーマットを他のメディアでも更に発展させていくわけです。
そしてひとびとは剣と魔法って宇宙モノよりもこすりがいがある!という発見をします。
それがさらなる発展を生み出すのです。
ここらへんの発展先はライトノベル発が多いように思われますが、もうしわけないが観測してないところですので曖昧です。ウィザードリィやドラゴンクエストのノベル化が大きいような気もしますが曖昧です。ゲームには興味ありましたが派生文化には興味なかったのです。
と、ざっくりとした歴史観があるのですが。
これだと、海外でもファンタジーが流行った理由がもうひとつわからないんですよね。ドラゴンクエストは海外ではそんな流行らなかったそうだし。まあ、スーパーマリオブラザーズも十分ファンタジーな世界観ですからそんなおかしくもないんですがね。ゼルダの伝説は海外でもヒットしてますしファンタジーの知名度アップには貢献してそうです。でも決定打というには弱いような。
ということで
いわゆる宗教四世で、生まれた時から新興宗教の会員やってた。ネットだとよくおもちゃにされがちな、三色旗のとこ。
小さいころから家に仏壇があって、母親と祖父母が超熱心な人で、言葉をしゃべり始めた時から経を読まされてたし、ちゃんとやればみんな褒めてくれるから悪い気はしなかった。
母親が熱心な場合って厄介なんだよな。おかげさまで土日は宗教関連の予定でつぶれるし、父親も母親に勧められて入ったひとだから止めないし。そんなわけで、20数年生きてきて、最近やっと初めてちゃんと神社に参拝したような始末。だから、一般的な人間と自分の宗教観がかなりかけ離れてる、ってことに最近気が付いた。まぁ、それが当たり前だったんだけど。
高校の時とかはそれなりに真面目に、っていうか結構がっつりやってて、たぶんその時の周囲の何人かは幹部クラスになるんだろうな、って人間ばっかりの団体にもいた。
割と勘違いされてそうだけど、いやもう常識なのかな?一般的な認識が全くわからんからあれだけど、s大学行くのはもはや当たり前で、幹部になろうと思ったら、何かしらの宗教の団体に所属してたことがほぼ必須になるんだぜ、笑えるよな。
高校生はそうやって過ごしてたけど、大学に入ってから恋人ができて、その人が何というかこう、自分の所属してるとこ以外も含めた宗教全般のアンチだった。
今思えばものすんごい幸運なことに、現実社会の親しい人にそんな人がいなかったから大いに嘆いたし、なんで自分が、とも思った。でも、今は割とその出会いに感謝してる。
ここまでが前置き。すまんね長くて。
まぁ、親に「信仰捨てたいです!」とか言える訳も無くて。だってそんなことしたら普通に絶縁されそうだし、妹たちも割とがちがちに染まってるし。あと我が家、割と毒親気味で過干渉のケがあるから、最悪今住んでるところから連れ戻されかねない。
それは困る、だって実家には自室が無いし、プライバシーもへったくれもない。未だに帰省するとめちゃめちゃ消耗する。二週間とかしか滞在しないのに。実家を出るまで、自分のスペースと言えば本棚のついた机一台だけだったし、その中身も親が勝手に開けて改める始末だったから、秘密とか絶対無理だった。
かといって、じゃあ真面目にやるか?と言われるとそれは心がしんどい。
そもそもの話、自分は「信仰とは人生の杖であり頼り切るものではない」って思想を高校時点で持ってて、現指導体制に不信感しかなかったし。
やれって圧を掛けられて、今渋々試験の勉強してるけど、それにしたって普通に気色悪くて嫌になる。だって仏教ってマインドフルネスの一手法でしかないし。それだって、多様な方法がある現代社会でわざわざそんな化石みたいな方法、って思う。
そもそも悟りってざっくりいえば「この世のすべては気の持ちよう、自分の気の持ちようで天国にも地獄にもなる、それなら天国みたいに考えられるようになった方がお得じゃね?」的な考え方だし、唱題にしたって、「悟りを開けないお前らが悟りを開くための一助にしろよな!」的なものだから、自力でメンタル立て直せるようになった人間には必要ないんだよ。そもそも仏教って「人生なんて全部しんどいんだから、しんどいことそのものはもう諦めて楽しくやっていこうぜ」的なあれだし。ガバガバ解釈だが。
その上で、何もかもを宗教に依存して、生きてくための目的そのものを宗教にしてるの本当に頭おかしいと思う、それお前の人生じゃなくて教団の人生やんけ。生きてる価値ある?って思う。言わないけど。
確かに苦しい時に縋れるものは多い方がいい、人生かなりしんどいし、税金高いし内定はもらえんし、何もかもままならんし、ここからってときに病気になったりするし、なんかすげーもんに縋らないと生きてけない気持ちもわかる。
でも、その気持ちもわかるけど、それでも自分で立って自分で歩かない道に価値はあるんか?って思う。だって信仰してると、どんなに血反吐を吐くような努力をしたって、どんなに周りの人に恵まれたって、どんなに運がよくたって、それ全部「信仰のおかげ」にされちゃうんだぜ。そこに至るまでの努力とか、工夫とか、人間関係とか、そういうもの全部自分の成果じゃなくてなんかようわからんもののおかげになるんだぜ、それって悔しくないか?自分はそれを恋人に指摘されて初めて気が付いて、すごく悔しいと思った。だってここまで努力したの自分だし。別にすがってる”なんかすげーやつ”が何か叡智を下賜してくれたわけじゃないし。苦しいのも悲しいのも悔しいのも自分が背負わなきゃいけないのに、喜ばしいこととか楽しかったこととかは全部他にかっさらわれるって思うとはらわた煮えくりかえらんか。自分はキレそうになる。
そもそも、他力本願の他宗派をめちゃめちゃ批判する癖に、何かあったら馬鹿の一つ覚えみたいに「ご本尊に縋れ」だの「お題目を」だの普通に矛盾してて笑える。それはお前らの言う所の他力本願じゃないんか?あと題目とか言う呪文的なあれを大事にしてる割に、唱題の時の発音みんなガバゆるだよな、何それ。ダブスタまみれで普通に気色悪い、反吐が出る。
と、まぁ最近はこんな事ばっかり考えている。親には勉強したらわかるって言われたけど、勉強するほど意味わからん~~きしょい~~~ってなるの中々芸術点高い。って言うかそもそも子供の許諾を取らずに宗教に入れるな、はっ倒すぞ。これはどの二世問題でも共通だと思う。四世なんだけど。ウケるね。
ちなみにこの宗教だとよく取りざたされるのは政党の話なんだけど、自分は政策はまぁましな方なんじゃないかな、って思う。そこから声の汲み上げするの????正気か???って思うような政治を国政ではよくやらかしてるけど、地方政治だとそれなりに要望の反映早いし。政治と宗教観は切り分けて考えるので。まぁ今後の動向にもよるかな…でも宗教活動の一環で選挙活動やらされるのは普通に最悪で気色悪さの極みだからやめた方がいいと思う。実質強制の投票の「お願い」はお願いと言わない。海外から来た同じ宗教の人に選挙ばっかりしてるのどうして?って聞かれて、日本では信仰を広げることが十分にできたから、今度は政治の方からも生活をよくしていくんだよみたいなこと指導してるの聞いたことあるけど、それ普通に公職選挙法違反なんじゃないですかね。政教分離の法則死んでないか?
これを見て同じ宗教の人がどう思うかは知らんが、自分が納得できてないならなんかしらの答えにはなるんじゃないんですかね。がちがちの幹部ルート辿ってた人間がこう言ってるんだから、それなりに信ぴょう性はあると思うよ。
今から入りたいって思ってる人、人生に発生する損害と天秤にかけて、本当にそれじゃなきゃダメなのか一か月真面目に考えてみ、そんなことないから。周りからの偏見の眼はものすごいし、結婚したいと思った人ができてもめっちゃ苦労したりするぞ、自分は今死ぬほど苦労してる。
今しんどい思いしてる人、お互い頑張ろうな。自分は今何とかして家にあるご神体的なサムシングを親にバレないように滅殺する方法考えてる、なんかいい方法あったら教えてくれ。
マジで徒然なるままにって感じだなこれ。乱文で本当にすまぬ。ここまで読んでくれた人ほんとにありがとう。自販機でジュース当たるくらいの幸運が訪れますように。
追記:みんなコメントありがとう、ほんとに正気に戻れてよかったと思う。なんでカルトの話から仏教に?ってコメ見たんだけど、それはだな、s学会は曲がりなりにも仏教を名乗ってるから、仏教を学ばされるんだよ…だからです。
まぁ、s学会のは「ブッダの」仏教ではなく、日蓮とかいうなんかよくわからん狂人が急に悟っちゃったものを信仰してるんで、仏教かと言われるとかなり怪しいけどね……昨日このエントリ書いたあと、勉強の動画流し見してたらそんなこと言ってて笑っちゃった。仏教名乗るの辞めたら?
自然科学とかSDGsとか信仰してそう、って言われたのはマジでそうなりかねんからほんとに気をつける。一応これでも科学をやってる人間だから、変なのには引っかからないと思いたいけど…こういう気持ちが落とし穴だとは思うのでね!科学的思考大事。すごく苦手だけど。
近々図書館の司書さん達にお礼を言おうと思っている。その前にでも自分の頭の整理のために書いておきたい。
そして誰かの参考になればいいな思う。
タイトルの通り自分は3年前まで本が全くと言っていいほど読めなかった。本を開いても1~2行読んで「あ~もう無理」って感じですぐ閉じて、すぐ自己啓発系youtubeに逃げていた。当時だと西野亮廣、与沢翼、メンタリストDaigo、よくわからない弱小自己啓発系youtuber、俺的名言集など。
今でこそ笑い話だが、当時は「こんなに役に立つ情報が無料で見られるなんて、youtubeってマジ天国じゃん! これを吸収して俺は人生を逆転するんだ!」とか本気で思っていて、与沢翼がアップした1時間尺くらい(人生の本質とか何とか)の動画×5本くらい(10本くらいあったが途中で断念した)を1つ10時間くらいかけて見て、ノートに一言一句書き写すとかっていうことをやっていた。
「本なんて読まなくても、youtubeの動画を見れば人生逆転できる!」って本気で信じていた。
そして自分はそんな自分のことを「俺、周りよりも頭いい!」と思い込んでいた。
今思えば、陰謀論者みたいだな。
高卒。ここまで正社員経験無し。公務員試験受験に落ちてから、ずっとコールセンターでフリーター人生。
仕事も降格1回。会社もクビ2回。ナンパにも10年くらいハマったり。ってくらいに馬鹿である。
どうだ?
みんなよりもクソな人生だろう。
※メンタルヘルス、精神医学系の本を何冊か拾い読みした結果、おそらく自分にはADHD、ASD系統の性格傾向があると思われることがわかった。だがこれはあくまで「傾向」だ。でも少なくとも100%定形ではないだろう。自分の感覚だと3割くらいはその気があると思う。
話を戻す。
書いた通りのバカで、でも謎に「いつかは人生逆転してやる!」って息巻いていた。
でも実際はなかなか行動に移せず、その鬱憤を自宅に帰ってきてはyoutubeの自己啓発動画を見て「俺はやれるんだ!」って自分を高めては、翌日また現実の世界に打ちひしがれて帰ってくる・・そしてまたyoutubeを見る、という日本全国どこにでも居そうな陰キャ生活を送っていた気がする。
仕事のプレッシャーと職場の人間関係からなるストレスから発症したと思う。
(日付を見て気づいたが、ちょうど3年前の今頃だったと思う)
http://www.toyama.med.or.jp/wp/?page_id=1347
※「パニック障害」ってどんな病気? ~公益社団法人富山県医師会~
症状としては死への恐怖が一番強かったかな。
主治医に診てもらっても、自分の辛さがなんだか伝わっていないような気がして。とりあえず薬を出されて終わり。そんな感じだった。
「めちゃくちゃしんどいのに、お医者さんは何もしてくれない。それなら自分で調べるしかない」
それが図書館に行くことの始まりだった。最初はポジティブな理由でもなんでもない。
「この病気を自分で調べなきゃ自分が死んじゃう」そこがスタート地点。
最初はメンタルヘルス、うつ病、パニック発作、パニック障害とかの本をとりあえずひたすら読んでいった。
本の読み方とかもよくわからずに。ただむさぼるように読んで行った記憶がある。今の症状について、医者からほとんど何の説明もなかったからだ。だから知識が欲しかった。
本を読みいろいろな知識を得ていくうちに「あれ? 本ってもしかして人生を逆転出来るツールなのでは?」と思うようになる(単純)
ちなみに、この時の自分は読書の本当の凄さにはまだ気づいていなかった。
ただなんとなく、当時見ていた自己啓発系youtubeよりも多種多様な情報が図書館にはあるな。これを頭に入れることが出来れば、自分は今のクソみたいな環境から脱出出来るのでは?
それくらいの解像度だった。
たまたま18時に終わる仕事だったので、図書館に直行して閉館の21時まで入り浸る毎日を過ごすようになった。
1冊読み終わったらまた1冊。そしてまた1冊と次々に違う本を読んでいった。
いわゆる「乱読」というやつである。ただその時は「よーし、乱読するぞ」なんて思っていなかった。
「目の前にモンスターが出てきたから、とりあえず倒す!」くらいの感覚だった。
幼少期に多少読書をしていたとはいえ、こんなにも本を読んでいない。ましてや大学にも行っていないし、仕事で文章を読んでもいる訳でもない自分が、急に読めるようになる訳はない。
パニック症関連の本はある意味必要に迫られていたので、中身をなんとか頭に入れることが出来たが、当時の自分にとって自分に関連性のない分野の本は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
図書館には「旅」のコーナーがあるので、旅日記、旅行記。それから写真集、絵本など、文章が少なく、写真や絵が多い本から初めてみることにした。これが意外と自分には合っていて徐々に自分を本に慣れさせて行くことが出来た。
旅行系の本は結構充実していて「一度は行ってみたい世界の絶景」みたいな本とか、「島、海、空」に特化した写真集なんかも何度も読んだ。とっても楽しかった(書きながら思い出している)。ああいう本はたぶん知らないうちに、自分の心を豊かにしてくれたんだなと思う。
俺の実家は宗教が複雑に入り乱れており、新興宗教に入信した兄弟もいたような家庭だったので、宗教には興味があったんだ。
「宗教学? 宗教を信じるための学問?」って思っていたくらいよく知らなかった。
その後も、少しずつ少しずつ。1日30ページずつとかではあるけれど、読書は続けていった。
その頃のジャンルは宗教学、人間関係、旅、メンタルヘルス、ハンディキャップ、働き方、思考方法など。
そうして徐々に、文字が多い本(いわゆる新書など)も読めるようになっていったと思う。
余談だが図書館の環境も良かったと思う。自分が通っている図書館は音楽が流れソファが用意され、読書をするには最高の環境だった。
読書をするためにわざわざカフェに行って、お金を払う必要がなかったのは大きい。
選書もとても良く、新しい本から古い本、海外の翻訳本まで次から次に読みたい本が見つかる。こんな素晴らしい図書館に出会えたのは本当に運が良かった。
そうして3年が経った今年。
3年前には本を開いても1~2行しか読むことが出来ず、youtubeの自己啓発動画に逃げ、動画の先にいる配信者を盲信していた自分が、今では読書を3~4時間は平気で行うことが出来るようになり、読むジャンルも法律、社会学、経済学、起業関連など、多少難しい本を読めるようにもなった。
それから、これまで乱読に近い読み方をしてはきたが、これがいわゆる「リベラルアーツ」という学問に当たるということも最近知った。
https://www.obirin.ac.jp/academics/arts_sciences/what_is_liberal_arts.html
そして自己啓発系動画は現在も見るには見るけど、以前と違い盲信することは無くなった。
Twitter(現X)のバズツイートや、インフルエンサーの情報発信を見ても、安直に信じることも無くなったし、必ず別の可能性を考えられるようになったと思う。
自分にとって本を読むことは、偉人、先輩方との対話であり、その本が入っている本棚、図書館は偉人たち、先人たちといつでも話が出来る場所だと思うようになって来た。
何かを考えるときも「あの本にはこんなことが書いてあったよなぁ・・」と頭の中で引用出来るようになってきた。
頭の中に様々な専門家が常時いるようなイメージだ。口寄せの術。
この3年。変な自己啓発本やビジネス書の類(書店で平積みされているようなやつ)は、ほとんど読んで来なかったことも大きい。
今までは「与沢翼のブチ抜く力」とか「西野亮廣の革命のファンファーレ」「あなたを癒やす100の名言」みたいな本ばかり読んで、わかった気になっていたが、そのような本に盲信することはもう無いだろう。
ただ、おかげさまで有益な情報はある程度取捨選択出来るようになったので、その意味では今後は目を通すことはあると思う。
岡田斗司夫は図書館のことを「貧乏人が行くところ」と評したが、自分は「司書さんがプロの目線で有象無象の中から、適切な本を選んでくれる最高の場」と言いたい。
最近は「得た知識を抽象化していつでも引き出せるように」訓練している。
読書を始めたきっかけは精神疾患とはいえ、本が読めるようになったこと。
また、読書のおかげで新たに人とのつながりも出来るようになってきた。これは予想外の副産物でもあった。
新しい人に出会った時に「本を読んでいます」というと、話が発展することが多くなったし(今までは、AVの話しやナンパの話し。風俗や借金の話ししか持ちネタがなかった)、読書サークルなんかにも通えるようになった。
そして今までは読んだ本(学問)同士のつながりを感じることが出来なかったのだけど、リベラルアーツという言葉を知ったおかげで、これまでの読書が一本の線でつながるような気がしてとても嬉しいんだ。
今後も引き続き勉強をして行きたい。 あと今後は文学作品も読んでいきたい。
だいたい、みんな「読書」って言うと、小説などの文学作品のことを語る人が多い。
自分のようにリベラルアーツ系の読書から入って数を重ねる人は一般的では無いのかもしれない。だからこそ小説を読むのは知らない世界を知れそうで楽しみである。
自分はこれまで、生活に苦労してきて、かつ学歴にもコンプレックスがあったりしたが。
ここから先の人生は読書が出来るということを武器にして、豊かに生きていきたい。
そして「自分って高卒なんだよな。結局大卒には勝てないんだよな」
読書は楽しい。死ぬまで続けたい。これからも自分に心の豊かさをもたらしてくれるものだと思っている。
そして読書ができる人は実はそんなに多くない。だいたいの情報はyoutubeなどのネットで得られる世の中だからだ。
電車に乗っても、子供から学生、そしてサラリーマンに至るまでみんなスマホをいじっている。スマホに夢中だ。
youtubeの切り抜き動画や対談動画にも、有益なものは非常に多いが、元をたどると古典などの本からの情報であることが多く、だからこそ読書は他人と差別化が図れるものだと思っている。
これからも続けて行きたい。
いつか、通信制でもいいので大学にでも行こうかな。そんなことを最近は思う。
そして図書館の司書のみなさん。ほんとうにほんとうにありがとう。
いろいろな人が読んでくれたようで本当にうれしい。
書いた後に、改めて自分でも振り返ってみたが、これほどまでに読書が継続できた理由のひとつは、やはり図書館の環境がとても良かったこと。
それから、オンラインで参加していた読書サークルに私よりも知的な方々が沢山いて(博士課程の学生や、大学の講師など)、「このまま読書を続けたらどう変わって行けるのか」という、少し先の未来を自分に見せ続けてくれたということが、大きかったんだという事にも気づいた。
読書サークル内では日夜テキストチャットで議論のようなものが繰り広げられていて、最初は会話に全くついて行けなかったけれど、だんだん話していることが理解できるようになってきた自分が嬉しかったりした。
いろいろな意味で運もあったのだと思う。
読書サークルにたまたま知的で素晴らしい方がいらっしゃった事。
友だちが少なく、親の介護も無く、仕事で要職についている訳でも無かったがために、逆にプライベートの時間を、読書にフルベット出来たこと。などなど。
この文章を書いてから、ナンパをしていた時代に毎日の様に行って、よくたむろしていたビル(飲み屋やカラオケ、ホストクラブやダンスクラブが入店していて、たまり場になっていた)に用事があって行ってみたんだ。
派手な服装の女性と、その女性を口説き落とそうとしている男性。
ウェーイって騒いでいる学生。
怖めの車で迎えに来た怖めのお兄さん。
仲間で歩いているホストくん達。
望遠鏡もあったし、日本地図のパズルもあったし、ルービックキューブもあったし、元素周期表もあったし、広辞苑もあったし、世界の国旗が全部載った本もあったし、本棚いっぱいに絵本と図鑑がぎゅうぎゅうに詰まっていたし、500色の色鉛筆もあった。
毎年決まった日に七草粥を食べたり、菖蒲湯に入ったり、かぼちゃを食べたり、柚子湯に入ったり、おせち作りを手伝ってつまみ食いをしたりしていた。
ずっとそれが普通だと思っていたけど、自分も大人になり、子どもを授かって、ようやく、自分は恵まれていたんだなと気づいた。
私が暮らす今の家には、地球儀も、図鑑も、500色はもちろん12色の色鉛筆すらない。日本の伝統的なイベントなんて正月すらほとんど何もしていない。
母親のことを周りに話すと「戸籍閲覧制限をかけたほうがいい」「逃げた方がいい」と言われるんですけど、自分では客観視できない話なのでこちらに投稿しました。
•ギャルの子と仲良くなると「あの子と仲良くなると悪影響」と裏で言われ友達関係を断たせる
•友達の家で晩御飯たべる〜と言って私と友達家族が仲良く晩御飯食べてると、友達の家のまえで鬼の形相をした母が立っていてブチギレられ家に帰ってからも死ぬほど謝るまで許してくれなかった。(友達の家族は母の行動に引いていた)
•友達が家の本棚を一緒に整理してくれていたんだけど、母と遭遇し、バチクソ喧嘩になった。
•県外の専門学校へ行きたかったが「あなたを県外の専門学校に行かせると帰ってこなくなる可能性がある」という理由で地元の企業に就職せざるを得なくなった
•趣味の集まりで楽しくやっていると母が私を迎えにきて「あの集まりには参加しない方がいい」としつこく言ってきて母と私で大喧嘩になる。話し合いは平行線に終わった。
•1泊2日の一人旅(ヲタ活)へ行こうとしたら2日前に「ワタシもいく〜!」と言い出し一緒にいくことになるが、私とネットのフォロワーが旅館のフロントで楽しく話していたとき、母が部屋から出てきて私とフォロワーを睨む。そして部屋に戻ったとき死ぬほど大げんかになる。あんまりたのしくなかった。
•今年の5月に遠方のフォロワーたちと日帰りで遊ぶ旨を伝えると「本名と顔写真を見せろ」「どこで遊ぶか都度連絡しろ」「遠方の駅まで私もついていく」(←さすがにそれは阻止した)「女の人が来れなくなったとわかった時点でそのオフ会をやめろ」などを私に要求してきた。
•別のフォロワーと仲良くしている話をしていると「そいつはレズだから深入りするな」と一方的に決めつけて制限をかけてきた。
•また別のフォロワーのTwitterスペースを親の近くで聞いてると「そいつのスペース聴いてるとあんたまでメンタル病むから聴くな」と制限をかけてくる
大体こんな感じです。
ちなみにこれを書いている私は30代独身女です。
母は私以外にもうちの兄にも似たようなことをしています。
•兄が一人暮らしをしようとすると止める
多分私が知らないだけで他にもあるかもですが
母→兄に対するエピソードはこんな感じです。
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。
まずパソコンが上手く使えない。メモもぐちゃぐちゃ。でも資格は持っているので勉強ができないわけでは無さそうだった。
あの頃の自分は2年目でまだ仕事で使うその資格を持っていなかった。
その人のやばさは2日目で気づいた。あまりにも仕事が遅い。1時間でできることが半日経っても終わっていない。
新人教育は2人目だったが、1人目はそもそも出来が良かったので、今回は教え方が悪いという流れになった。
周囲から、ちゃんと教えなきゃだめでしょ、という言葉が3週間続いた。
新人には何度も「ゆっくり丁寧に言ってほしい」「こんなのすぐにはできない」「ちゃんと人に合わせて喋れないの?」と言われた。
もちろん、二人分の仕事を請け負った。
なんとなく同じ部署の人が遠巻きに見ていたのを覚えている。だんだん誰も何も言わなくなってきて、私は『やばい新人担当』になった。
会社の雑用も、食事も、休憩も、コンビで動いた。運転も免許があるのになぜかできないということで、私がした。
数か月地獄のようだった。
今思えば巻き込まれたくなかったのだろうが、当時は突然孤立したように感じてしまった。
そして期限がある仕事を無視して、突然デスクや本棚の整理整頓を始めるのだ。
癖のようで、仕事を放り出しては2時間ほど掃除タイムに入ってしまう。
思い返せばその体制に変えた2日後だったろうか。新人が机をバンと叩いて大声を出した。
「いいかげんにして!教えたくないなら、教えなくていい!もう担当を変えてもらう!」
振り返れば部署で一番パソコンが使えて一番親切丁寧で一番優しく一番他部署にも顔が利いた私が、そんなことを言われる筋合いは無かったのだが(これは歳を重ね図太くなった私だから言えることである)
当時2年目、二十代ということもあり自分にひとかけらの自信もなく、気弱だからと先輩にいじられがちだった私は思いつめ、走って逃げて号泣。
近くに居た同僚が心配してくれて追いかけてきたが、涙を止めることができずに暫く休憩室に居ると、新人が現れた。
そして目の前でお弁当を広げだしたのだ。
「さっきは大声だしてごめんね。大丈夫?飴あげるね」
私は恐怖で逃走した。
戻った瞬間、騒動が一瞬で広まったらしく、周囲が鬼のように優しくなった。新人担当はそこで終わった。
その後も新人担当だった期間にやった仕事がミスだらけで、自分の分も、その新人の分も怒られたり、教え方が悪いのではとソリの合わない先輩にいびられたりしたのだが、
その新人はまだ同じ部署にいるが、やはり明らかに浮いた存在らしい。
急に帰ったり、急に遅刻したり、他部署の連絡をすっ飛ばすなどトラブルメーカーを発揮している。
なんかの宗教にはまってて、宗教グッズを応接ブースにかざったりなど自由だ。
新人が入ってくると取り入るように色んなものを買い与えているのも怖い。
社長はこの件を大まかに把握しているが、そもそも新人は社長の顔見知りで、セクハラを許すのでお気に入りのようだった。というか昔、不倫相手だったらしい。
なので社内評価は「私が若く未熟だし、年下に教えられたから新人もいらついたのだろう」ということになったようだ。
よく議論になるが、それは今でも社会が変わっていくべきことだと思う。
こんなことがあった今でも、私は結構辛抱強くマイペースな人に接していける人物だと自己評価している。
ただ、性格。口が悪い。他者にリスペクトがない。それに関してはもう仕事ができるできないの話でもない。
書いているだけで胃がキリキリするのだが、本当に胃というものは身体のサインだ。
あの頃の私は睡眠にも悩まされ、新人担当が終わってからも普通に仲良く接してくる新人へのストレスで自律神経がぶっ壊れた状態になった。
もっと早い段階で、この件に関してなにも対処しなかった会社を辞めるべきだったと今は思う。
今同じように悩んでる人へ。とにかく逃げろ。ぶっ壊されるぞ。