はてなキーワード: 手料理とは
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
そこの学生君!年収750万の子供部屋おじさんなら贅沢で優雅な暮らしをしていると勘違いしていないか?
今日はそんな誤ったイメージを正し、実際にどれくらいの生活レベルか教えよう。
28歳男、独身、旧帝大のどこか卒業、5大都市圏のどこかに住んでる。社会人4年目で年収750万ほど。
なおマウンティングなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、
家賃はもちろん無し、マンションの上階、3LDK。自分の部屋(子供部屋)は別に広くもない普通の部屋。だけど月3万は生活費として家に納めてる。(正直もっとあげたいがいらないと言われる)
窓から綺麗な夜景が見れるとかも無い。けど、花火大会は遮るものなくめっちゃ綺麗。シャンデリアももちろん無い。
成城石井は近くにないからあまり行かないが、見つけたらとりあえずチーズケーキ買って帰る。
ワイワイ飲む時は一人あたり5000円くらいだけど、先輩連れていくから基本タダ。
たまに焼き肉などで一人あたり1万円を超えると、
今日はちょっと贅沢したなうまかったなって感想。(流石に先輩には奢らせられない)
その代わり行った店では値段を気にせず飲む。
母が買いに行くので自分は買い物はしない。
「カネ目当ての女性がやってくる」というのは婚活パーティーとかだけの話で、普段は全くそんなことはない。
正直モテない。
さすがに年収750万程度でこれをイメージしている人は少ないと思うが、
女性との飲食代はすべて自分持ち。価格帯は色々で、高級店行くこともあればファミレス行くこともある。
土日は親父の車を借りて出かけてる。
働き始めて今年で4年目だが、貯金は1000万超えた。そろそろ、投資を始めようかな、って思ってるからとりあえずNISA開いた。
一人っ子。なので家は相続されるし、近くに住んでる祖父母の家も、親戚はみんな遠くに住んでるからいずれは相続される予定。
そもそも先天性の持病持ち。
そのため、少しでも肉体労働のある仕事には就けないな、と昔から危機感を持っていて、何より親に心配をかけたくなかったので、頭で稼げるようになろうと学生時代は一所懸命勉学に勤しんで(彼女がいなかったとは言わないが)大学に入学、院にも進学しその後、日本で知らない人のいない大企業に就職した。
去年はその後遺症みたいなのが今になって突然発生し、生死の淵を彷徨い3ヶ月くらい休職した。
正直去年一人暮らしをしようと思ってたけど、その一件で親が大反対。
反対を押し返しても良かったんだけど、親の気持ちもわかるし、自分もずっと大人しかったのに今さら病気がぶり返すものなのか!?とビビってたのでまだ実家に住んでる。
去年はそのせいで精神的にもやばかった。
親を安心させるために良い大学に入り(もちろん親の支援のおかげだが)大企業に就職しいろいろ頑張ってきて、ようやく親を安心させられるくらいにはお金も稼げるようになったと思った途端にこれかよ、って。
でも、全身検査をして一応こういうことはもう起きないと医者も言っていたし、ずっと落ち込んでいたら親や昔からの友人に心配かけると、気合と根性で乗り切って、年が明けたくらいからは完全に開き直りました。
女性との付き合いに結婚という言葉がチラつくようになる歳になってからは、別に遺伝する病気ではないが、合コンとか軽い気持ちで付き合うようなことはできなくなった。
女性も結婚を意識し始めるので自分のような病気持ちは自然と避けられるようになった。
正直、もう結婚は半分諦めている。
ここまで手塩にかけて恵まれた環境で育ててくれた親に申し訳ないが、これはもう相手のあることなので仕方がない。
と、思っていると親から「お前、最近よく聞くLGBTってやつなのか?」って言われるという。笑
まぁこのまま普通の人よりできなかったことの方が多い人生にはなりそうだけど、年収750万なりに楽しんで生きていこうという所存です。
というわけであまりに普通すぎて、やま無しオチ無しになってしまった。
良くも悪くも、子供部屋おじさんで年収750万は普通すぎる生活なのです。
普通というと「もっと貧しい人がたくさんいる、わかってない」と言われそうだが、
学生が抱いているような豪華なイメージとは程遠いということをお伝えしたかったのです。
30代後半男、既婚子ども1人。
会社経営してて、純利益は1億以上あるけど、法人税の方が安いから法人にお金を残して、役員報酬は大体2500万くらいに設定してる。全部使ってもいいから実質年収1億以上。
家賃10万ちょい。マンション買いたいけど資材高騰などで高すぎ。値段が落ちるの待ち。
ほとんど飲まない。飲んでも1回5000円ぐらい。みんなと飲むから特に同じ値段で変わらず。
基本欲しいものは全部買う。
こだわらない。ユニクロも多い。
たまにエロい店に行くくらい。
平均価格の車を1台。車に興味がない。
毎月400万くらいは増えてる。半年に1回1000万レベルの税金がまとめてくる。
投資はいろいろやってる。インフレ対策に海外株が多め。コロナでだいぶ仕入れた。
高校三年間片想いしてた男とラブホに行った。私はそのとき受験生で、地方大を志望していた。男は大学生だった。ラブホから出たときに「地方大学三つのSっていうのがあって、study sleep sex、きみは地方いったらsexばっかしそうだね」って言われた。やや引っ掛かったけど、受験終わってから考えようと思って、しばらく受験勉強に集中していた。男とも受験後に会おうとは話していたし、絶対合格するんだよって言ってくれてた。でも受験終わってみたら男は大学で恋愛沙汰に巻き込まれて人間不信になってあんたとは会えないと言ってきたが、別の女の手料理食ってたし、お菓子パーティを開催していた。そもそも恋愛沙汰に「巻き込まれる」って。意志がないとおこらないだろうし、そもそもそれ私とラブホ行ったあとの話だよね。順番おかしくない?しかも地方大学三つのSなんてものはなく、study sleep sexって男の在学する大学の隠語だった。お粗末だな、結局私に自分のしてることを投影してただけじゃん、って思った。
今第一志望の学部で地方の大学に通ってるけど、sexはおまけであって、study しかないって覚悟してる。恋愛おままごとするために大学行ってるんじゃないし、私は手料理作って媚びるんではなく、そしてそんなんにやすやすと引っ掛かる男ではなく、一緒に手料理つくってくれる男を見つけようと思う。くだらんことにのめりこまずにがっつり受験勉強してよかった。正しい人生の選択ができてよかった。
* * *
趣味で同人誌を描きながら、ゆるくアイドルの追っかけをしてて、さらにゆる~く婚活をしてる、一人暮らしのアラサーオタクです。
同人誌は学生の頃から描いていて、今のジャンルはアニメ化もしている漫画作品。
ジャンル内ではメジャーでもないけどマイナーでもない規模のBLカップリングを描いています。
とにかく好みがうるさくて、同カップリングの主流解釈があまり合わなくて、自分のような解釈もあるんだと形にするために描いてます。
前ジャンルまではマイナーカップリングにいたので、ほかに描いている人がいなかったので描いていました。
基本的に、見たい欲求が満たされていないと描く、というタイプの人間です。
私の場合でも、好きな作品や関連グッズの購入、アイドルの音源やチケット、同人誌を買う資金、同人誌の印刷代など。
いわゆる"ハマっている沼"的なものが多い人ほど、この辺はかさむものだと思います。
それこそ、社会人1年目は信じられないほど手取りが少なくて(今の半分以下)(資格とって転職した)、
そこでクックパッドやら古本屋で買った料理本などでお金がかからない自炊を研究したのが今の自炊スキルの基礎となっています。
手取りが倍になっても趣味その分お金をかけるだけなので、自炊は継続中です。
たぶん、メニューの偏りはあれど『料理ができます』と言っても恥ずかしくはないレベルにはなってるかと思います。
そして私がしている、ゆるい婚活とは、
メッセージをやりとりするうちに会いたいと思えたら会って、また会いたいなと思ったらLINEを交換する。
くらいのことです。
婚活をしている友達には『料理の腕は武器になるからアピールした方がいい』『胃袋を掴める』と言われますが、
そもそも手料理を振舞える間柄まで進まないのですが、のんびりペースだし、結婚相手として魅力的な女とは言い難いので仕方ないでしょう。
(ていうかどの段階で料理できるアピールしたら自然なのかわかんねえよ~!)
(胃袋を掴むために料理をしている訳ではないので…という気持ちもある)
先日、アイドルの追っかけ活動の同担の友達が地方から出てきて一人暮らしを始めました。
『誰かご飯作りに来て~笑』ってSNSで言ってたのを真に受けてご飯を作りに行きました。
美味しいと絶賛され、彼女のインスタにも料理画像を投稿してくれました。
すごく嬉しかったです。
自分で食べたい(読みたい)ものがないから調理(執筆)するだけでも満足なんだけど、
自分で食べて(読んで)、ついでに他の人にも美味しい(萌えた)って言ってもらえたらとても嬉しい。
ということに。
胃袋を掴みたいわけではないけど、誰かに食べてもらって、美味しいって言ってもらいたいなあ。
彼女が7年ぶりにできた。
20歳以来2度目。
浮かれている。
手料理を振る舞ってくれるという。
心はウキウキ。
チンチンはビンビン。
こればっかりはしょうがない。
だけど鍋だけでかなりのレパートリーがあるらしい。
こたつに入って料理を作る彼女を眺めていると、キッチンの片隅に置かれている紙袋があった。
彼女が冷蔵庫へ行く時にその紙袋にぶつかり、中に入っていたものが散乱した。
解体された鬼殺しだ。
30パック以上あった。
僕はゾッとした。
僕の中で鬼殺しは廃人が飲むイメージがあったので、彼女に対する好感度が少し下がった。
そんな僕をよそに彼女は台所の下から鬼殺しのパックを取り出し、開けて、鍋に入れた。
料理酒用だったらしい。
料理酒は塩分が入っているので安い日本酒を使うのがいいとのこと。
安心した。
あ、忘れ物☆と彼女は冷蔵庫からストロングゼロドライを取り出しプシィと開けてゴクゴクと飲み干しテーブルに置いた。
美味しいねと僕をみつめる眼がいやらしくて、チンチンはビンビン。
子供の頃は商売をしてる祖父母と同居してたから、祖母が店を閉める少し前に早めに帰宅してくれて、店の売れ残りとかレトルト食品とかを食べてた。夏は素麺・冷やし中華・冷やしうどん、冬は鍋鍋鍋。
あとは、子供向けにと思っていたのか肉類、特に豚肉がやたらよく出て、ケチャップ味とか生姜焼き風とか照り焼き風とか。ご飯・メインのおかず+付け合わせのキャベツやレタスやトマトの皿・汁物・大人用のおかず(煮物とか)が多かった。
中学に上がる前に祖父母が老人向けマンションに入ってからは、自分で父と妹の分を作ってた。母は帰りが遅くて、頑なにわたしの作ったものは食べようとしなかった。
祖母仕込みというほどの腕前では無いのでせいぜいご飯・生野菜・具の多い味噌汁のセットと焼いた魚か焼いた肉かクックドゥーの中華か…というのが関の山だった。もちろん夏は素麺と冷やし中華と冷やしうどんに夏野菜の焼き浸し、冬は鍋鍋鍋たまにシチューだし、割と高頻度でめんどくさくてパスタ茹でてレトルトソースかけたものとか、市販のチャーハンの素使ったチャーハンとかも出してた。凝ったものは本当に作らなかったから、生姜焼きも使ったことないし、煮魚も使ったことない。時々食べたくなった父親が自分で作ってたけど。
土日や朝食や弁当は母親が作ってたけど、全然料理上手な人じゃなかったから、二段の弁当箱の一段は白米もう一段は卵焼きとトマトとリンゴが三分の一ずつ入ってるのはしょっちゅうだったし、健康に気を使って規定量からさらに調味料を減らした味のしない野菜の炊き合わせとか、鱗の残った煮魚とか、老人向けの料理でももうちょっと彩りと味があるだろう…という食卓だった。
で、この度めでたく自分も結婚する運びになったけど、毎日の夕飯がどのくらいの量と品数を求められるものなのかいまだによくわからない。
手料理を振る舞ったこともあるけど、毎日ハンバーグと焼きそばとカレーってわけにも行かないし、共働きでそんなに時間もないだろうし、そもそも一人暮らししてて夕飯とかほとんどコンビニとレトルトだし。
雑誌読んでも二人前量少なくない?こんなに一度に複数の種類の食材用意できないよ?そんな調味料一般のご家庭にあるの???みたいな解せないポイントが多すぎて萎える
まず理解してほしいのは、人によって量の差異こそあれど、人間が食ったものを美味いと思うには、「塩味=しょっぱさ」が適正である必要がある。その許容範囲は旨味の量で広がるし、甘味でコッテリ感を出すとかそんな話も多々言いたいことはあるが、そこは別の話。適切な塩分量が大事ってだけ覚えてほしい。知ってる?まあ聴いてくれよ。
しょっぱさを添加するために皆々様は調味料を使うわけだ。
味噌が強い調味料っていうのはわかるよな?味噌は「こんにちはぁぁぁ!!!!味噌でぇぇぇっす!!!!」って主張してくる調味料って分かってるから、味噌味であることを意識した「味噌料理」か、味噌を隠し味程度に入れた別の料理になるように調整するよな?
塩が弱い調味料っていうのもわかってるよな?「ウッス、塩ッス。」っていう調味料って分かってるから、味見しながらしょっぱさがちょうどよくなるように塩いれるよな?塩味の料理するときは他の香りや旨味を味方につけたいわゆる「塩ダレ」の方向性に行くよな?
醤油は圧倒的に「味噌」に近いんだよ。「ウィイイイイイイイイイッス!醤油でぇっぇぇえええええっす!」くらいの強さなんだよ。なのになんだお前らの料理ときたら。「醤油:調理酒:みりん=1:1:1の黄金比!」じゃねーんだよ、醤油臭い。醤油が全て塗りつぶしとるわ。
醤油の強さはカレーに入れると凄くわかるぞ。あの最強の塗りつぶし力を持つカレーに、醤油を少し垂らしてみろ。一気に「醤油を入れたときのカレー」の味だ。これはこれでうまいが、カレーにも負けない醤油の強さ、しょっぱさを醤油だけで賄うとやばいことがわかるだろ。
料理がうまくなりたかったらまず醤油を減らせ。味薄いなって思ったときにとりあえず醤油を入れるのをやめろ。そこは塩だ。塩の出番だ。塩を入れろ。
流行りは変わっても常に何か投稿・交流する場所を開拓していた。
怖いもの知らずな年頃だったってのもあるかもしれない。
今は「発信」という感覚があるのか、
昔はあれもこれも全部投稿していたのに。
気がついたらいま、インターネットのどこにも「自分」の投稿がない。
Twitter、FB、インスタ、Youtube、TikTokなどアカウントは持っていて毎日チェックしている。
でも全てROM専。
でもなんで?叩かれるのが怖いから。
いや、実際叩かれるなんて滅多に無いよ。一般人だし。
でも違うの、叩かれる・炎上の手前にある
「ふ〜ん」「ププッ」「キモ」「ださ」これら感想を抱く人がごくわずかでもいることが想像できてしまって嫌。
この人、アンチスレあるかな?あるとしたら「〇〇」って書かれてるだろうな・・・
だから自分が何かを投稿しようとしても粗探しポイントに目がいってしまって
すごく楽しかった。
今は「いいな」と思うものがあってもハマるまでいけない。
今は何にもハマっていない、という回答じゃ満足してもらえなかった。
これうまく乗り切れる嘘あったら教えて。
「発信」へのハードルが高いよりは低い方がいいって自分でもわかる。
情報を集めるため、趣味仲間と交流するため、ネットをたくさん使った。
だからこそネットで悪口を見つける方法も叩かれる事案もたくさん知ってしまったのかな?
みたいなやつも一例な気がしてきた。
手料理も、結婚式も、飲み会も、空の写真も、いいと思ったコトも、些細なことも。
いま人生初「ストロングゼロ」を飲んでるから、どうか許してください。
同じような気持ちの人、居る?
吐き出させて下さい。
私は産まれて30余年、常に独りでした。
別に孤児でもなければ、天涯孤独でもありません。話し相手は少ないながらもどの年齢でもいたし、いじめを受けたわけではありません。
それでも私は、どうしようもなく孤独でした。どこで誰と何をしていても、自分が何物とも繋がっていないような感覚ばかりがありました。
理由は何とでもこじつけられる気がします。望まれて産まれたとは到底信じられない家庭環境。遺伝的、精神的欠陥。それらを覆せなかった自分の弱さ。
…思い出せる昔の記憶は、階下から響く両親の罵り合い、私が男でありながら腰を振る兄。視線ひとつくれず、仏頂面で鬱陶しそうな顔で過ごす母。家事をろくにしない母への憎しみを私にぶつける父。
記憶にある唯一の母の声は、休日の朝に朝食をせがんだときに聞いた、「風邪ひいたから」という子供でも分かるような嘘。塩ごはんや牛乳ごはんなどという手料理も、それが普通だと信じたかった。
両親は自分の問題だけで手一杯で、明らかに私を愛していなかったが、それでも奇妙なバランスの上で形を保っていた。だから消極的にも期待していた。いつか両親が真っ直ぐな愛情と関心を私に向けてくれることに。だから耐えるように、道化を演じてみたり問題を起こさないよう強く自分を抑え込む術を自然と身に付けていった。
同級生達とは、関わる度に違和感を感じていた。彼らから発せられる、家族からの温かい愛情やそれに基づく自信めいたものを感じるのが辛く、眩しく、何より悔しかった。私もそうありたいと願い同じように振る舞うのだが、自分を偽った罰なのか、常に自分の中にヘドロのような憎しみが募り、それがときに漏れだしては、私の人間関係を破綻させていった。
…ある日、母が消えた。言葉ひとつも、書き置きも無く、突然と。だが何の感情も湧かず、涙も流れなかった。幼心に予想と覚悟はしていたのだろう。そうして、孤独と共に生きるというテーマが課せられた気がした。…それからは、忍耐から麻痺が生きる手段だった。
家はまるで会社のように感じた。父という経営者の下、勉強という仕事の対価に衣食住という報酬を得るような環境。己を律しきれず感情を顕にすれば、待っているのはクビ、つまり死ぬこと。逃げ出す勇気も、自分で環境を変える強さも無かった。経を淡々と読み上げるような修験者のように、無痛のうちに日々が流れていった。
不幸にも中途半端に事務処理能力が高かったのか、大学に入学できた。大学は理系で、物理を専攻する学部だった。今にして思えば私はそれそのものには興味は無く、ただただ盲信できる唯一無二の真実を、家族や自己の内面ではなく、外側の世界に求めていたのかも知れない。
契機はすぐに訪れた。その頃の私は誰の、何の助けも無く生きることに歪んだプライドを懸けており、独りの力で講義をこなそうとしていた。しかし当然のように挫折した。当然のように孤立した。
ある朝、いつもと同じように無痛のまま大学へ向かおうとしたが、体が動かず、講義をサボった。その日からぷっつりと糸が切れたように、大学に行けなくなった。
そしてそのまま2年間引きこもった。無痛という手段も通じないと分かってしまった私には、生きるために何をすればいいのか分からなくなってしまった。しかし罪悪感以上に、解放感と、呪縛から逃れたような安心感があった。そして同時に、いよいよプライドも生きる理由も意欲も自負も、全て失った。
兆候はあったがその頃から急激に死に惹かれるようになった。自分が事故や病気でいきなり死ぬ妄想をしたり、楽に死ねるという情報から練炭と七輪を買い、日常的に自傷をし、着々と死に近付いていった。流れる血と生々しい傷に、不気味なほど安堵と溜飲が下がる思いを感じた。堆積した恨みの攻撃性の解消と、自罰感情と、ボロボロの精神の投影先を見出せる行為だった。それゆえ日々エスカレートし、あるとき刃が大きな血管を切った。噴水のように噴き出す血を眺めながら、まだ死ぬ準備が整っていなかったため、止血の処置をした。特に感慨は無かった。ああ…あのまま放っておけば死ねるんだ…と、妙に冷静になっていた。
そこから、少し何かが変わった。本当に死の一歩手前にまで陥っても、やっぱり私に救いの手は差し伸べられず、また自分の力で生き残ってしまった、と思うと、諦めを通り越した何かが芽生えた。自分は生きることも死ぬこともできない、苦しみ抜いて幽鬼のように漂うのだろう。歪んだ悟りのような暗い閃きを覚え、そこから自傷は少なくなっていった。そこからの記憶はほとんど無い。大学へ行かず引きこもっていることがばれ、地元へ戻った。また無痛から忍耐の日々へ逆戻りした。挫折を経験したが再起を図る息子を演じつつも、心の底では誰かが殺してくれることを願うばかりだった。
そしてまた不幸にも、さほど時間は掛からず定職に就いた。待っていたのは、学生時代より遥かに開いていた周囲との差。普通の人々が青春や友情や愛情を経験している間に自分がしたことといえば、暗闇の中でもがき蠢いていただけ。真の孤独は人と人の間にあるという言葉通り、人に近付く度に遠く感じた。
…しかしそんな生活もそれなりの期間が経てば慣れていった。相変わらず人間の振りをするような不自然な過ごし方であったが、歳を重ねた恩恵なのか、排斥に対するヒリヒリとした警戒心、切迫感は和らいでいった。多様性を容認する組織だったからかも知れない。孤独は続いていたが、別種の孤独を抱えた年上の人々との関わりが、私の乾いた傷口を薄く濡らした。
そんな積み重ねから、ようやく初めて「人間」というもの形の一端に触れられた気がした。同時に、自分の家系の歪さを思い知らされた。そして、ようやく家系が受け継いできた負の連鎖に気が付いた。
狡猾さと傲慢さ。口では愛を語り、家族を意のままに操作し、自分の理想を叶えるための道具としようとする悪辣さ。その邪悪な気質を、互いに感じ取っているからこそ罵り合い、また山彦のように帰ってゆき、自分をも傷付ける。そんな不毛なやり取りをしながらも、本当は誰よりも自分が得をしたい、愛されたいと思っているからこそ離れられない。その矛盾と混沌の中で、私の家系は奇妙な内臓のようにぐぎゅるぐぎゅると腐って混ざりあっていた。
私は先月、家族と絶縁した。帰省しない私に業を煮やし職場に押し掛けてきたとき、従わぬ者に実力行使をする傲慢さに、どうやらこの人達とは一生分かり合えないらしいと確信した。
いよいよ社会的にも孤独になったが、さしたる感慨も無かった。きっとこれもどこかで予想と覚悟を済ませていたのだろう。私の手元には、いつの間にか独りで生きるには充分な資金があったのも、このことを予見していたからのような気さえする。
今になって思う。私は無意識のうちに、生きるための最善を選択していた。代償や失ったものは多いが、今では孤独も不幸も憎しみも、その先にある役割、天命のようなものを果たすためだと感じるようになった。両親や神の寵愛を受けて産まれた者と、孤独に魅入れられように産まれる者もいる。そうしてその中間が中庸となり、人々の生き方の基準が出来上がる。そういう仕組みなのかも知れないと、ぼんやりと考える。
相変わらず生きる理由も意欲も無いが、自分が生き続けることには何らかの意味があるから、こうして結果的に死んでいないのだと思う。人生のどの段階でも、死のイメージといつか自分は人を殺すだろうという直感があった。人生のどの段階でも、自分を解放して周囲を巻き込んで破滅することはできた。だがその度にそれを踏み留ませてきた何かを知ることが、目下の関心だ。天寿を全うする気はさらさら無いが、何らかの答えを得るまでは生きてみようと思う。それをもし得られたとき、孤独の意味と真の栄光を手に入れられると信じて。
…長くなりました。ここまで見ていただいてありがとうございます。
ご近所でそれなりの資産があると思われる婆さんが自己所有のビルの最上階に一人で住んでた。
話はじめたきっかけなんて忘却の彼方だけど、口癖は「娘と一緒に住みたい」だった。
俳句が好きで、自作の俳句とか読ませてもらったり、何か分からんけど仲は良かった。
娘は婆さん(実母)と一緒に住みたくないってことで東京に出て大陸系の男性と結婚した。
1年に1回くらい婆さんが電話して元気かどうのか聞くくらいの関係とのこと。
ある日のこと、婆さんが「お母さんの手料理が食べたいから一緒に住みたいって娘が言うから東京に引っ越すことになったの」って満面の笑みで伝えてきた。
そこで今住んでいるビルと駅前の借地している土地を売って、そのお金で東京に一軒家を買って一緒に住むことになったらしい。
いやー、臭い、臭すぎるでしょ!!って思ったけど、婆さんの満面の笑みと仲はいいけど血縁ではない他人だから応援した。
それから2年くらいたって、突然に音信不通の婆さんから手紙がきた。
涙で滲んだと思われるボールペンの震えた字でこんなことが書いてあった。
娘に財産を全て没収され、老人ホームに年金で賄う永年契約で入れられ、携帯も全て取り上げられた。
そんな老人ホームがあるんか知らんけど、死ぬまで出られん、出られても棺桶でとのこと。
東京の家に着いたら娘はすぐに私を老人ホームに入れ、それから一度も面会にも来ない。
老人ホームの私宛の手紙は全て娘が一端預かるようになってて、一度も渡されたことがない。
私から手紙を出すのも職員さんから娘に依頼しないといけないのですが、返信は一通も返ってきていないので娘が捨ててしまっているのでしょう。
娘の旦那が娘に黙って月に一回くらい会いに来てくれて、そのことを話しました。
それから旦那と娘は離婚したらしく、娘は一度も顔を見せないどころか連絡もありません。
私の財産は全て娘が持っていってしまったので、あなたに何も上げるものがないと言ったら、お母さんを大切にするのは人の務めでしょう!と言われました。
血の通っていない、それも元娘の旦那なのに、どうしてどうしてと涙が止まりません。
年金は全てホームの費用になるので、個人で使えるお金がありません。
どうしてこんなことになったのでしょう。
とまあ、そのまま引用したところもあるけど、こんなことが書いてあった。
老人ホームの住所とか書いてあったけど、血縁者じゃないから何かしたくても何とも出来ん。
婆さんに対して何も出来ないもどかしさよ。
公園に散歩に行たり毎日ほのぼのと暮らしてた婆さんが何の因果があってこんなことになるんだろうか。
何ともできないもどかしさがとにかくヤキモキする。
そうだそうだ!親の手料理こそ最強最善の薬物だ!
タイトルまんま。
自分で言うのもなんだが、私は世間一般でいうハイスペック男性にモテる。
付き合ってくれ、結婚してくれ、と私に言ってきた男は上記の職業の男ばかり。
港区の低層マンションの最上階で、花を愛でたり凝った料理をこしらえたりしてのんびり幸せに暮らしている。
いろいろな人から、「なんであなたはハイスペックにばかりモテるの?」と聞かれてきた。
そのたびに「いい女だから、あはっ♪」と適当に流してきたが、今回真面目に考えてみたのでまあかるーくご参考に、もしくは暇つぶしに、または「虚言おつ」と嫉妬に狂ってみてほしい。
①テンプレの女にならないこと
彼らは内心港区女子、っていうのかな、とにかくハイスペックを捕まえるのに躍起になってる女を馬鹿にしてる。
今日はかわいい子の顔見ながらごはん食べたいな、とか、ちょっとお酒でバカやりたいな、というのにちょうどいいだけであって、真剣に恋する対象にはならない。
「こんな綺麗な女連れてる俺」「この地位まで来た俺」、そんな風に自分で自分をたたえるための道具でしかない。
淡い色のトップスに花柄のフレアスカート、みたいなテンプレ女、「そうなんですか、すごーい!」みたいに合コンさしすせそを連呼するいかにもな男受け狙い女は見飽きているし、魂胆も見え見え。
彼らは社内でも社外でも、あなたの思う以上にテンプレ女を見飽きていると思ったほうがいい。
逆にそういうテンプレがあふれかえっているからこそ、些細な「ハズシ」があるだけで「この女は違うな」と思わせることができる。
私のハズシは話し方・口調を気さくにして、ギャグをがんがん飛ばして彼らをドッカンドッカン笑わせることだった。意識はしてなかったけど。
男の会話に静かに相槌を打ち、「すごーい!」を連呼することはしてなかった。
②高級レストランに喜ぶな
彼らは金があるからいい店ばかり知っている。
ドレスアップしてエスコートしてもらい、夜景を見ながらシャンパン…
そんなのに喜んでいたらテンプレだ。
彼らは激務の一人暮らし。
彼らが本当に求めているのは高級レストランのディナーじゃなくて家での手料理だ。
リラックスだ。
「今日は家で鍋しよ!」
「今日はリラックスした服装で、スーパーで野菜とお肉買って料理しようよ。」とか。
付き合ってなくて家に行けないならば、薄汚い系のお好み焼き屋さんとか居酒屋さんとかに行きたいといえばいい。(付き合ってないのに家に行くなんてやめなよ)
これは①で述べたハズシにもつながる。
夫が私と結婚しようと決断した決め手は、自宅で彼に手料理のフルコースをふるまったこと。
夫の同僚(同スペック)が今の奥さんと結婚した決め手は、公園デートを提案されて、3段の手作り弁当を作ってきたこと。
手作り料理でアピールしろ、というのではなく、(むしろ付き合ってもないのに手作りは絶対にやるなよ)リラックスできる場を提供すること。
③躍起になるな、上下関係ができるぞ
彼らは必死な女を敏感にかぎ分ける。かぎなれてるから仕方ない。
別にこの人とダメでももっとハイスペックと結婚できるからいいし。
そのくらいの気持ちでいたほうがうまくいく。
媚を売る、自分からガンガンアピールする、それはやらないほうがいい。
この人以外にもいるし、くらいの気持ちでいると、彼らの不安を適度にあおることができる。
俺へのラインの返事が遅い。
俺の誘いを断った。
「この俺になぜこんな余裕のあるふるまいを?」と追いかけてくる。
付き合ったあとも同じで、別れ話とかされたときはすがるよりも「あっそう」とあっさり別れを承諾するほうがよりを戻しやすい。
「あっそう、今までありがとね」とあっさり承諾して、相手からやっぱやり直したい、と連絡がきたパターンは今のところ100%だ。
男は「無関心」に耐えられない。
関心を持ってもらうことに躍起になる。
だからこっちから必死になったり関心があるアピールをしまくってはいけない。
そこに行きつくまでがちょっと難しいだけで。
ハイスペックはプライドが高いし激務だから疲れてる、リラックスさせてあげろ
端的に言えばこうだ。