はてなキーワード: 憂鬱とは
最近、マッチングアプリや街コンの報告をするブログが増えていて、それがなかなか面白いから自分も少し書こうかしらと思う。
去年梅雨、二十歳になった日に、友人が買ってくれたハイボールを、初めてのお酒として飲んだ。それから今現在二十一歳までの記録です。
・なんかIT関係?と言っていたがITがなんなのかよく分からない ジャズをしている 顔が綺麗
三度会う。三度とも飲まされてあ〜嫌だな〜と思っていたが酒があれば飲んでしまう宿命にあり、三度目で終電を逃しとうとうセックスする。「ありがとう、また映画行こうね!」に「うん」とだけ返事した後、双方連絡取らず。この間、大学関係の人とFBを交換した際、「どうして○○さん知ってるの!?(共通の友人に居た)」と言われ「えっ●●ちゃんはどうして○○さん知ってるの?」と質問し返すことで事なきを得る。
来年からアメリカの大学院に行くらしい 会う約束をするも鬱になりアプリをアンインストールする
飲み屋に行こうと言われてタクシーに乗るもマンションの前に停められ、「あ〜こうなる!嫌だって言ったのに!なんで!?帰る!」とエントランスで発狂。宥められ、家に入る。セックスせず。その後ラインが定期的にきて、大晦日「テレビ見てる?」で発狂、わたしがテレビを見てたから何?と思い、ブロックする。
相席屋で2対2で飲んだあとにダーツバーに行く。ダーツバーに行くのはオタク女にとって憂鬱だったが、さらに、男のうちの一人Sさんがもう一人Hさんを呼び、事態は悪化。HさんがSさんの家に行けと執拗に迫り、「じゃあ貴方がSとセックスすれば良いじゃない」と泥酔していたオタク女は大笑い、Hさんがここでキレる。(男は大抵、つまらない冗談を言われると、キレます。)その後Hさんは帰り、結局初期メンバー4人でカラオケに行く。Sさんは顔は可愛いけど、家に人を呼ぶのに人を呼んでしまうシャイらしい。というのはわたしの都合の良い解釈だろうか。都合よく生きた方が良いに決まってるのでそういうことにする。
・ナンパされて友人とついていく
会社員三人にナンパされて散々飲まされて、1番の上司といつの間にかセックスする。好きな顔だった。カラオケでコールがあり、初めて見たので驚いた。大塚愛が一生懸命歌っている曲が、女を泥酔させるための曲になっている。ホテルのエレベーターで、これ子供、と3歳くらいの男の子を見せられる。離婚していて子供とは月に一回会うと言っていた。ここまでセックスした相手に何も人間的感情がないのはわたしにとって好ましかった。朝、友人に大丈夫だった?と聞いたら、3Pだったよ、と言っていた。
恐らく、マッチングアプリで出会えないという人の出会えない原因の多くが、そもそもマッチングしないことだと思うが、私の場合、そもそも私という人間がダメなのだ。
力で男性に絶対に敵わないし、二人きりになった時点で死よりももっと重いことになるかもしれないから二十歳になりたての頃のように見知らぬ人と派手な飲み方をすることはもうないと思っているけれど、それでも今尚私はダメなままだ。お酒で楽しい気分になるのが好きだし、そもそも自分の気持ちだけ考えて勝手に振る舞うのが好きだ。
それでも人の気持ちを馬鹿にする気は起きないので、ブログでは相手の本気度も自分も本気度もそんなに高くなくて、笑えそうなやつだけ書いた。また、書いた人たちの人生や人格を軽んじているつもりもあまりないので、誤解しないでほしい。
今は早くオタク街コンに行きたい。オタク街コンに行きたくて、泣きそうだ。友人を誘ったら「そういうのは本当にヤバい人がいるからやめときな。何するか分からないような人が来るよ」と断られた。オタク街コンに行く女性オタク、募集中。
夫のご両親は電車で二時間くらいの距離に住んでいる。夫のご両親は二人暮らしの七十代。そろそろどちらかに何かあってもおかしくない年齢だから、何かあれば介護かもしくは施設探しに自分が奔走しなきゃいけないだろうと覚悟してる。
夫は一人っ子で、私たちにも子供がなくて、ご両親も他に身内がなくて、お墓見る人もいないから、お墓仕舞いを考えなきゃいけない。その時が来たら、お金はいくらかかるのか、考えるだけでうんざりだ。どうするのと聞いても、その時が来なければわからないと返された。そりゃそうだ。
嫁として、どこまでこの問題を切り盛りすべきか、一人で勝手に憂鬱になっている。結婚する時は頭バラ色で、義実家のお墓や介護なんて考えなかったもんね。夫に惚れてた時だったから、指輪もなしでいい、結婚式もなしでいい、あなたといれば、なんて思ってたけど、夢から醒めたら、結婚式も結納もしてないし、お互い共稼ぎで夫に食べさせてもらってるわけでもないし、子供もローン抱えた家もないから、私が嫁として夫を支えねば、夫がなんの憂いもなく働きやすい環境にしなければと考える必要ないかなとも思う。
お嫁さんと言われる既婚女性の方々は、義実家のこういう問題に、どこまで付き合っているのかな?また、既婚男性は、お嫁さんにどこまで、自分の親のことを関わってほしいと思ってるんだろう?
同期に、いわゆる2.5次元がものすごく好きな人がいる(以下Aとする)。
それだけなら何の問題もないのだが、運の悪いことに、Aは周りの人にも自分の好きなことを布教しまくる人間なのだ。
私は2.5次元が本当に嫌いである。決して顔が整っているとは言えない人が、カラコンをして、ウィッグを被り、全員似たような加工をした写真を上げ、それを信者がもてはやす。正直気持ち悪いと思ってしまう。
同期に「これが私の推し!見て見て!すごいかわいくない?」「かっこよくない?」と言われるたびに、「どこが?」と言い返したくなる。場が凍りつくことがわかっているので言わないが。
私のいる会社は、同期でご飯を食べる習慣があり(1人で食べていると「何かあるのー?」などと言われる、外食できる場所も近くにない)、そのたびに自分の嫌いな人の写真を見せられ、非常に不快である。
1度、どうしても我慢できなくて「2.5次元ちょっと苦手なんだよね…」と漏らしてしまったことがある。同期は「へぇー」で終わりだった。
違う話をしてみても、Aはけっこう自分の話をするタイプなので、いつも2.5次元の話になる。
「一回見たらハマるから見てみて!」「DVD貸すよ!」などと、押し付けが非常に鬱陶しい。
昔、勝ち組といえば
皆に尊敬され社内のあの子と結ばれたイケてる会社の先輩、事業で一発あてた中学の同級生。
社長やたまに顔を出す元重役などの取締役。良くて請負元の中小企業の社長ぐらいしか認知できなかった。
上を見上げると、一生で稼ぐような額の金をばらまく前澤社長がいたり、
遠い世界の人のように感じた日本最大の権力を持つ安倍首相もTwitterで政治活動を発信している。
趣味の分野では神と呼ばれるような絵師は八百万の神並みにうじゃうじゃいるし、
天才エンジニア達は年中プログラムを組んでは毎日のようにOSSへプルリクエストを送っている。
本来一生目にすることはなかった、はるか上空にいる同じ時間軸を生きたとは思えない勝ち組たちを目の当たりにし、自尊心がぐずぐずになってしまった。
そこで、表題の通り負け組を観察して自尊心を保つことをすすめる。
上が宇宙のように果てしなく広がるなら、下はマリアナ海溝のように漆黒の闇が沈んでいる。
言わなくてもわかると思うが、負け犬がよく使っているSNSはもちろんTwitterだ。
実名で発信するFBなんかは現実の延長線としか使われていないし、
インスタはグラビアアイドルのエロい写真を見るためのアプリだし、
TikTokはフレッシュな若者がイケイケピュンピュン馬鹿やってて逆にダメージをもらってしまった。今すぐアンストしろ
負け組のアカウントを探すにはキーワードで「うつ病」「社交不安障害」「適応障害」なんかの精神病で検索すれば手っ取り早い。
プロフィールに恥ずかしもなくわざわざ病名を書き込んでるアカウントが見つかればビンゴ。奴らはすぐに自分の未熟な精神を理由に働くことを拒否する。
たいていフォロー数が500も満たないアカウントばかりなので目をつけられてしまう。
人によってはフォローした瞬間にブロックされる。奴らは虐待された犬並みにナーバス。「変な奴ブロックした」とか言ってやがる。変なのはお前だ
非公開リストを作成してそこにアカウントを追加すればフォローしなくても一方的に監視できる負け犬TLの完成だ。
また、奴らは弱者同士で傷をなめあうのが大好きなので相互フォローに同レベルの負が潜んでいる。まとめて追加
あとは会社のトイレや明日の仕事が憂鬱な今日のような夜の日にリストを眺めるだけだ。
みているとわかるが、奴らはとにかく社会のせいにする。
俺らが金が無いのは、自民党のせいだーアベのせいだー経営者による労働搾取のせいだー団塊世代の負の遺産だー
などとずーーーっといってる。もしくは自分病気つらいッスアピールのメンヘラツイートが9割を占めている。
働けバカ。生活保護もらって生き永らえさせてもらってるだけ社会に感謝しろ。弱者にやさしい日本に生まれたことを感謝しろ。
ひどいものだと、親に対して異常なまでの恨みをだれでも見られるパブリックなサイトに長々と書き連ねている。
いくら毒親だったとはいえその言い草はないだろうって思う。本当にひどい
個人的に心くすぐられるのは1万満たない出費をうじうじ呟いているのがたまらない。金がないと心が貧しくなるとはいうがあまりにも滑稽だ。
おそらく半匿名のブクマカには散々いわれるだろうが、人間誰しも優越をつけて自分より下がいる安心感がないと自己を保っていられない。
一部を除きほとんどの人が表立って言わないだけで、人間である以上避けられない本能だと思う。
経営者だって労基法すれすれブラックな手段で金を稼ぐから自分が他の誰よりも悪い人間なんじゃないかと思うあまりに、気まぐれで募金をしたり、ボランティアして他の人よりも善良な人間であろうとするし、
会社では温厚で優秀な技術者だって、入社したばかりの新入社員が藁をも掴む思いでteratailに投稿した拙い質問に、意味が分からないと一蹴し、初歩的な問題だからドキュメント読め、わかるだろ?などと大マウントとってくる。
勝ち組のマウンティングでプライドがずたずだになって自死を決断するぐらいなら一度試すのをすすめる。こいつらよりお前はずっとすごい
「お前も初詣か?」
「ついでついで。カンって人に出店の手伝いに駆り出されてさ」
あの人ならいるだろうとは思ったが、オサカがそれを手伝ってるってのは予想外だ。
「“カン先輩”やダボが。目上を敬う心を持てぃ」
「後輩を“ダボ”呼ばわりする人間を敬うなんて無理な話だ。ゴジラがドロップキックする位ありえない」
「なんや、その例えは」
恐らく俺が今回の手伝いを断ったため、代わりに誰かいないかと知り合いを辿っていき、最終的に行き着いたのがオサカなのだろう。
カン先輩のことだから、あの手この手の屁理屈で圧していったのは想像に難くない。
「お前ら、お参り済んだんやったら手伝わんか?」
そしてカン先輩は隙あらば俺たちを標的にしようとする。
その商魂にシビれや憧れは感じないが、新年から相変わらずだとは思った。
「いや、俺たちは初日の出を見に行くんで……」
身も蓋もないことを言ってくる。
正直なところ俺たちも薄々そう感じてはいたが、新年からカン先輩の手伝いをするよりはマシだ。
「まあ、そういうことなんで、すいません……」
脱法餅にも、その粘りを分け与えるべきだ。
「しゃあないなあ。じゃあ、ウチの綿菓子持ってけや」
そう言ってカン先輩は、イラスト入りの袋に綿菓子を詰め込み始めた。
「友達のヨシミで、ふたつ300円にしたるわ」
手伝いが無理だと分かると、カン先輩は俺たちを顧客として認識したようだ。
「いや、だったらタダにしてあげなよ」
「そんなことしたら、店が潰れるわいダボ。綿菓子作るのだって金いるんやぞ」
「だとしても、砂糖を繊維状にしただけで何百もするわけない」
「分かってへんなあ。綿菓子機のレンタルと、出店のショバ代。このイラスト入りの袋もろもろ含めたら、これくらい取らないと赤字やねん」
尤もらしく言っているが、カン先輩はそれら経費をほとんどタダ同然で済ましている。
以前、そのことを自慢げに話していた。
それはそうと、オサカと口論になっている今がチャンスだ。
「じゃあ、そろそろ行かないと……」
二人に聞こえないような声でそう呟くと、俺たちはそそくさと神社を後にした。
戻る途中、また思いがけない人物と対面した。
「あ、キミたち」
「げっ、ガイドか」
シロクロのところに居候していて、自分が未来からやってきたとかほざく胡散臭い輩だ。
最近はあながち嘘でもないと思うようになったが、やはり全体的に漂ってくる雰囲気が苦手である。
「シロクロ見なかった?」
「さっき、コンビニ近くで酔っ払ってたのを見たぞ」
「あー、やっぱり。酒を飲みたいって言うから、ボクのアイテムで気分だけでも盛り上げようとしたんだけど、盛り上がりすぎたみたいでさ。いきなり叫びながら走り出しちゃって……」
「お前のせいかよ」
普段、シロクロのお目付け役みたいな感じで振舞ってはいるが、こいつも別ベクトルで非常識だ。
「じゃあ行ってみるよ……あ、そうだ」
「近々イベントが起きるから、気だけは引き締めておいてよマスダ」
俺だけに聴こえるよう、そう小さく呟いた。
全く要領を得ないが、こいつのことだから不穏だってのは確かだ。
「イベントって何だよ?」
「次元規定法に引っかかるから、これ以上は言えない。じゃあね!」
それじゃあ、何も言っていないのと同じだ。
当然のように次元なんとやらってルールを持ち出してきたが、それも始めて聞いたぞ。
同じ目的らしき人たちも、まばらにいた。
「遅かったね」
「寄り道したなあ? 焼き鳥、完全に冷えちゃってるじゃんか」
「ほら、もうすぐだよ」
「そろそろの筈……だよな?」
首を傾げながら、時間を何度も調べる。
天体物理学なんて俺には分からないが、それでも日が昇っている時間なのは明らかだ。
「どういうことだ?」
市長が思いつきで作った風力発電所や、最近ラボハテが建てた複数のビル。
それでも見える隙間は存在したが、それを埋めたのが天気だった。
予報では晴れだったし実際その範疇ではあったが、雲が絶妙な位置で日の出を遮っていたのである。
「弟くん、残念だね……って寝てる」
初日の出を見れなかったからといって、実際問題どうってわけじゃない。
だが、この新年の出来事は、俺たちに言い知れぬ陰りを残していった。
ゲスの人が「私以外私じゃない」と歌っていた。それと似ている感覚なのかもしれないが、自分(私)のことなんて、自分以外誰も気にしていないんだなと急に悟った。①常に忙しくてプレッシャーのかかる仕事が憂鬱でたまらず、②自分は一人が好きで孤独であることを望むが会社にいると周りとうまくやれない自分が嫌いで嫌いで仕方がなくなり、つまりそれは自分が望んでいることなのに世間的にそれは良くないことだと認識してしまい苦しく、③都落ち的な転職をしてしまったから再度転職をしてアメイジングな会社に返り咲きたい+でも家族もいるし持病もあるし絶対に転職はできないという後悔と絶望の念を持っている。
持っているのに、だーれもそんなことに構ってくれないし、自分ごととして苦しんではくれない。
と、悶え苦しんでいた時、急に思ったのだ。自分の今の苦しみなんて全て虚栄の類であって、誰も自分のことなんて気にしていない中、そんな虚飾を求めて苦しんで一体どうするんだ、ていうか誰も自分のことを気にしていないのに見栄にこだわったところでそれって見栄を張れてなくない?だって誰も自分のことを気にしていないのだから… なんてことをグルグル考えていたら、急に楽になった。
自分は幻影と戦っていた。最低限食えるだけの給料がもらえればいいではないか。会社で人と上手くやれなくても、時には惨めな思いもするだろうが、自分の家族と交友関係だけで趣味等の好きなことをやって生きていけばいいではないか。
使える。
月経カップなんて耳慣れないものに手を出そうとする処女、絶対に購入前に調べまくると思う。現に私がそうでした。そんな時にこのブログが参考になったり後押しになったりしたらいいなと思っています。そういう人しか読まないという前提なので月経カップについて懇切丁寧な話はしませんが、簡単に説明すると、生理中、膣に栓をして経血を溜めておくカップです。
……いやこれ、めちゃめちゃ怖いよね?
こわい。わかる。
私が月経カップを知ったのは、数年前にツイッターでフォローしている方がぽろっと「使ってみたけど結構良さそう」と呟いたからだった。すぐに好奇心でググったものの、その時は5秒で閉じた。いや、無理、怖い…処女だし…
ところがどっこい、そんなことを言っている間にアラサー処女はめでたく30歳を迎えてしまう──!
30年も生きていれば一応有り難いことに好意を寄せていただいたこともありました。しかし、私は残念なことになぜか異様なまでに自己肯定力が低く、好意を向けられた瞬間に「私でいいんだ、趣味悪…」と相手を気持ち悪く感じてしまう社会不適合者だったのです。あろうことか、片思いしていた相手にすらも手の平クルーッ!とドン引きしてしまい、その時、「詰んだな」と確信した。そんな調子なので生まれてこのかた彼氏もおらず、私はこのまま結婚しないし、できないし、多分向いてないんだろうなぁともはや悟りすら開いている。私はもう処女として清らかに死んでいくしかない……
そうか、処女で死ぬのかぁ、と思ったら「月経カップを使ってみるかな」と急に前向きになった。子供も産まないのに生理が続くなら、せめて朝起きて下着と布団が血で汚れている憂鬱くらいからは解放されたいし。月一確定でこんなに辛いのほんとに馬鹿馬鹿しいし。あとなんか、入れる器官に何も入れずに終わるのももったいないし(?)。
そんなこんなで月経カップ・メルーナのS(リングタイプ)を用意したのが9月。年を跨いで今は1月。今日やっと月経カップをきちんと装着することができました。いや、長かった…あまりにも…長い戦いだった…
ただ、めちゃめちゃ練習が要る。
9月は急に上手くいくとは思っていなかったので「徐々にかな…」とのんびり構えていた。10月も「惜しい気はするんだけどな…。また来月やってみよう」と割と前向きだった。11月は「処女だから入んないの?処女だと月経カップも使えない?クソが……」と悪態をつきながら半泣きになり始め、12月は「クソが…見てろよ…絶対使ってやるからな…処女でも月経カップが使えるところを見せてやる…」とキレながら体育会系思考になっていた。生理中だということを差し引いても情緒がやばい…
そして、1月。やっと。やっと……!
1日目の夜は風呂場で挑戦し、失敗。が、2日目の朝、トイレで挑戦したら無事にぬるーっと奥まで入っていきました。ははぁ〜〜…なるほど……???
入ってしまえば確かに違和感なし。もちろん立ち上がった時にどっとナプキンが濡れる感触もなく、寝っ転がるのも気兼ねなく、さ、最高…諦めなくて良かった…。そのまま1日ナプキンと併用して様子を見たら、余裕で1枚で済みました。夢見たようにカップだけに全てを委ねるのは無理かもしれないし、装着時にどうしても手は血まみれになるけど、それでも十分お釣りがくる快適さ。
でも、やっぱり練習は要る。
まずちゃんと入れられるまで私は5ヶ月掛かっています。5ヶ月。5ヶ月です。月数回しかチャンスが無いとはいってもなかなか……。なので、本当に気長にチャレンジしていいのだと思います。
そもそも「入れる」と一言で言っても、カップの折り方、体勢、膣の場所、押し込む方向etc…全部人により様々で、「これで絶対上手くいく!」という回答が無いのが難しいところ。自分でやりやすい方法を試行錯誤する必要があって、それが確立するまでは苦労すると思います。
一応参考までに、私は人差し指を巻き込むように三角折りをして、トイレに座って前屈みの姿勢で入れるのが一番上手くいきました。(その日5回程付け直しましたが、コツを掴んだのか割とするっといくようになりました)
ということで、「月経カップを使ってみたい、でも……」と尻込みする理由が「処女だから」なら練習でどうにかなりました。今入らなくても元気出して来月も頑張りましょ!やってみる価値ありだと私は思います。
それにしても、膣に物を入れたことがなくても「ここに入れるんだなぁ」ってわかるのめちゃめちゃ不思議だし、本当にそこに入っていくのも不思議…人体って面白いなぁ…
この記事は29歳独身男性が正月に帰省して、家族とのやりとりから自分の生き方の癖の原点と、自分の慢性的な渇望を自覚した話を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。あと、部屋は明るくして、ディスプレイから3メートルは離れて読みやがってください。
もちろんフィクションですので実際の人物団体とは関係ありませんし一部フェイクいれてます。
今回帰省で1日目は母方の祖母の、2日目は父方の祖父を訪ねる日程だった。実家と祖母、祖父が住んでいる家はすべて関東圏内で、車で1時間程度の距離である。
今回祖父母の家を訪ねるにあたり、大学生の妹が練習のために運転して父が助手席で監督するというかたちだったのだが、運転席の後ろに座っている母が運転中に車間距離や運転速度、歩行者について大声で責めるような口調で口出しをするのがとてもいたたまれなく、つらかった。5分に1回以上のペースで「あぶない!!(どこに歩行者がいるのかなど具体性なし)」「(車間距離が)近すぎ!」「もっとスピード落とすようにしっかり指示しないと!(父に向かって)」と叫ぶのを聞くのが耐え切れなくなり、母に対しかなり強い口調で運転中に別々の人間から指示を出されるのは運転手にとってフラストレーションだし危険である、ということを伝えた。そうすると母はやや不満げにわかった、といいしばらくは黙っているのだが10分も我慢できなかったようで、またすぐに口を出すようになった。私が運転に慣れてなかった頃も同じように父に監督してもらったが、そのときも後ろに母が乗ると必ず口を出してくるためやめてほしい、と何度も伝えたのだったのが思い出された。
そこで私は、あぁ、母は本当に私や妹がどう思ってるか興味はなくて、自分の子が自分の思い描いた通りに動くかどうかに1番の関心があるんだな、と諦めがついた。この車のエピソード自体はまあ大したことではないのだけれども、私にとってコップから水があふれる最後の一滴だった。私は自分の感情や欲望というものに蓋をするのが非常に上手で、他人の顔色を伺い、自分の気持ちを表明せずに飲み込めば場がうまくいく予感がする場合、ほぼ必ず飲み込んでしまう。その原点のひとつがこの情緒不安定で話を聞き入れない母で、その対策として私の性格が形成されたんだろうな、と納得した。とても寂しいけど、とても腑に落ちる納得だった。
母は非常に心配性であるとともに、自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない性格である。そして気分の波が激しく子供のころはそのことで随分苦しんだ。父は御三家中高→東大→大手銀行、母も御三家中高→名門私立大学首席と大変立派な学歴であり私が中学受験するのは生まれる前から決まっていた。(私が生まれる前の時点でマンションを購入するときの判断材料のひとつが御三家に私が合格した場合に通学しやすい駅であることだった、というエピソードから色々察してほしい)。3、4歳から公文を習っていて、宿題の計算プリントが終わらなくて家で泣きながらやっていたら強い腹痛を感じたため母にそのことを伝えたら嘘をつきなさい!と睨まれたのは今でも忘れない。自分のつらさを伝えても無視される無力感はいまだに生々しい。カリキュラムテストや公開模試の結果が返ってくることがとても憂鬱であったこともよく覚えている。専業主婦だった母にとって、私の中学受験、そして大学受験は一大プロジェクトだったのだろう、母のエネルギーと執着は私に注がれ続けた。
母の狂気、そして父の経済力のおかけで私は予定通り御三家に進み、国立医学部に進学、卒業し現在某県で四六時中働いている。普段はそこまで意識しないのだが、毎年年末年始はとくに情緒が不安定になる。愛し、愛されていますか?と周りから問いかけられているような被害妄想にかられてしまう。別に目の前で夕飯の具材を和気藹々と選んでいるカップルは私を追い詰めて孤独感をつのらせようとしているわけではないし、スーパーに鳴り響くクリスマスソングは今年も恋人と過ごせない私に意地悪して惨めな気持ちにするためにかかっている訳ではない。勿論そんなことはわかっている、わかっているが胸が締め付けられるし深呼吸できなくなるし、少しでも油断すると愛されない自分と、愛し合ってる幸福な関係を呪いたくなってしまう。こんなにも愛されたいのになんでこんな愛されにくい性格なのか、どうして愛されるのは私じゃなくてお前なんだ、と。
私は他者に従順で、他者の顔色を伺うのがうまく、自己主張は激しくない。他の人が面倒がってやらない仕事もするため上の先生受けは悪くない(はず)し、患者や病棟スタッフからは優しい先生だとどこの病院に勤めても言われる。病院を移るときに泣いて感謝されて別れを惜しまれたことも数回ある。それは大変、大変ありがたいし私の数少ない生きる支えになっている。本当に感謝している。単に便利な駒と思われてるだけかもしれないけど、それでも身が粉になるまで働くね。が、一方で私の利他的な言動の根幹に自己嫌悪と人間不信が深く深く根付いていることに最近気づいた。
人を信じていないため、相手の利益になることをしないと自分に価値はないからすぐに捨てられるだろうという確信、強迫観念がある。素の自分に価値はないから勉強すべきだし、素の自分に価値はないから他の人がやりたがらないことをやるべきだし、素の自分に価値はないから他人のために生きるべきしそのために自分の感情や欲望に蓋をするのは当然だ、と。見せかけの自分を偽装することが年々上手くなり、幸か不幸かその評判が職場では悪くなく、ただ自分の気持ちに厳重に蓋をして他人軸で生きているため満たされなさ、慢性的な空虚感、欠乏感がある。正直今なにかの拍子に即死したらお、ラッキーじゃん?と思う気がする。この欠乏感はどういうときになくなるか自分の気持ちを必死で感じてみると、心を許せる人と時間を過ごしているときだけはこの胸の裏をカリカリ引っ掻かれるような気持ちがなくなることに気づいた。ただ一人に誰よりも愛されたい、受け入れてほしい、という普遍的な、しかし切実な気持ちである。
私はとにかく異性に縁がなく、人生唯一の交際していた期間は24歳のときの1年間で、それ以外は凪である。そのときの相手には今でも深く深く心から感謝していて、あの未熟でどうしようもなかった当時の私をいっときでも受け入れてくれたことは生涯忘れない。幸せにしてあげられなくてごめんね、幸せになってほしいといつだって祈ってるよ。その後職場や婚活で何人かに好意を示したが、私の空虚がバレるのか交際まで至ったことはない。みなさん大変見る目がある。おそらく私にとっては2人の時間のおかげで心が安定するが、相手にとってはそうではなかったのだろう。包容力、余裕のなさよ。私は貯金もあるし料理もするし水回りの掃除は好きで家事機能付きATMとしてはそれなりに機能するのだがそれを差し引いてもお断りされるのだから笑ってしまう。私がなぜ愛への羨望、渇望があるのかと考えると、無条件に愛されているという実感を感じたことがなかったからではないかと思い至った。父も母も私を愛し育ててくれたが、それは条件付きの愛ではなかったか。従順で手のかからない優等生"だから"愛していたのではないか。だからこそ勉強をやめようとするとじゃあ中卒でいいんだな、今すぐ家を出ていけと言われたのではないか。患者やスタッフから好意的に受け入れてもらえてるだけで本来は幸せであるべきなのにそれでは全く足りず穴が空いたバケツに水を入れるような状態になっているのではないか。
私の魂の深いところに自己嫌悪と人間不信があり、他人軸な生き方をしてきている。そのため満たされなさ、空虚さがあるがいままで自分の気持ちに蓋をしすぎて、自分の気持ちの詳細がわからなくなっている。様々なひとが私にうっすら好意的だが、私を誰よりも深く愛してくれる人はこの世界に1人もいない。親は私を愛してくれてはいるが、それは条件付きである。愛への強い渇望感があるが、渇望感があるため愛されない。
このデッドロックを言葉にできただけでもこの正月に意味はあったはずである。いくつかの本(※)を読むと愛されるのを目指すのではなく愛せ、自分を愛せない人は他人を愛せない、と書いてあった。さすがに交際している人全員が交際前から自愛できているとは思えないのでそうであったほうがより幸せだよね、と解釈しているが… …突破点として自愛が鍵になりそうな予感はある。自分を愛せるようになるにはまず自分の気持ちや欲望を言語化すること、自分の身体感覚を取り戻し快不快を自覚することだろうと信じてこの記事を書いた。書いている最中はやや気が滅入っていたが、書き終わった今、かなりすっきりした気持ちでいる。
あと以前親からは酷く嫌がられたので諦めていたが、内緒ではてブで有名な某結婚相談所に申し込んだ。万が一出会ってしまったら何卒よろしくお願いします。
いつかこの記事を笑って読み返せる日がくることを願って、そして自分だけじゃなく他の誰かの心の整理の一助になれたら。
※「愛する意味」上田紀行、「生きる技法」安冨歩、「アダルトチャイルドが人生を変えていく本」アスク・ヒューマンケア相談室 など。どれもよい本でした。
上京してなんちゃってフリーランスのITエンジニアとして色々な会社を回って大学卒業して早6年
たまたま時代に合ったエッジの効いた技術をもてた幸運に恵まれ、色々な会社の本社やweb系、フロントで出るのでそれなりに会社をたくさん見てきたが、不思議なことに俺と同じ世代の20代を2~3人しか見かけたことがない
外に出歩くことが多くて、趣味とかで知り合いも増えたのでいろんな同世代の男女を見かけるけど酷い奴に至っては本業が業態的に既に稼げないクラスの会社や仕事にしかいけず、土日はバイトで収入を補填しているだとか
マンション営業のクソブラック企業だとか、ガールズバーの雇われ店長だとか、なんのスキルにもならなければ経験にもならないところに前に出され続けてる
ITはどうか?そんなの増田が一番よくわかっているだろうから書かないけど酷いものだ、似たようなものだ
転職しようにも時間もなければ、自分に向いた仕事もわからないしあったとしたって学歴や資格はあっても職歴がないので受からないという
就職しやすくなったというけど、かつての氷河期世代と同じで、将来につながるような仕事のパイは結局増えてないどころか、減ってるんじゃないだろうか?
増田の理屈で言えば、そんなもん本人の自己責任なんだから、歌舞伎町の二丁目にでもいってケツの穴おっぴろげて金稼いでこいとか、風俗いって稼いで来いとか言われたらそれまでなんだが、どうも何とも言えない気分になる。
起業してみたい、こんな仕事してみたい、大きな仕事してみたい、デカいことやりたい、だけど方法も経験もチャンスもない。
街を歩けば若い人間が年末三が日まで働いている、彼らは10年後どうなるんだろう、野良猫や野良犬のように20代が入れ替わるように使い捨てられているんだろうか?
大学の内から即戦力というか、産学連携ちゃんとしないと、こんな保健所にいっては消えていく犬コロのような彼らはいつまでも救われないんじゃないか?と思う
まあ、俺も夢みたいなこという夢想主義者であることは大学でて1年で現実知って変わったので、どうこうというつもりもないし、可哀そうだなと思うが自分がああならなくてよかったと思ってしまうのが2:8くらいになっている。
その日は突然だった。
グループの公式ブログで推しの当日付での活動辞退を告げられた。
発表のあと思い返すと最後の接触(握手会)の時に推しに言われた言葉や推しの表情、あの違和感の謎がとけた気がしたことを覚えてる。
推しがアイドルをやめても好きでいられると思ったし今も大好きだ。嫌いにはなれない。
ステージでキラキラしてる推しが大好きだった。歌もダンスも特別上手いわけではなかったと思うが、推しには人を惹き付ける力があったと思う。推しの立ち位置が前になっていくことが応援していてとても嬉しかった。推しが汗を流して全力でパフォーマンスする姿をみて自分も頑張ろうと勇気づけられていた。
推しとの接触(握手会)の時間も大好きだった。推しに会うために辛い仕事も頑張れた。いろんな話をした。あの時の私を支えてくれていたのは間違いなく推しだった。
アイドルをやめてからも推しはステージに立つ機会が何度かあった。アイドルの時には聴けないような曲を歌ってくれたことが嬉しかった反面、アイドルの時みれてた景色がみれなくなって悲しかった。キーが高くて声が出ないと言って歌唱中笑いながら誤魔化してパフォーマンスをするようになった。
推しとは今も接触(写メ会等)ができる時間がある。しかし昔のように話せなくなってしまった自分がいる。なにを話したら推しが楽しいか考えてしまう。
また、推しのイベントに行くのがとても憂鬱になってしまった。アイドルの頃よりオタクも減りイベントにいるのはいつも同じオタク。イベントで推しはお金を沢山使うオタクを優遇するようになった。自分で言う話ではないのは承知しているが、私もわりとお金を使っていた。しかし、1人特別お金を使うオタクがいて、私はもう必要ないだろうと思い込んでしまうことが増えた。オタクなんて、もともと必要とされていないのだから、大前提としてなにを勘違いしてるんだと自分でも思う。それにお金を使う人を優遇することは推しの大切な仕事だとも思う。自分で自分が面倒くさくて仕方ない。勝手に病むことが増えた。推しのイベントはオタク同士ほとんど仲が良かった。そんな中誰一人話す人がいないというのも辛かった。オタクの視線を気にしてしまうことが増えた。
もうこんな感情になるのも推しの嫌いなところが増えるのも耐えられない。オタ活というのは楽しいものであるべきだから、年内で一度推しから離れようと決心をした。
決心をしたはずだった。忘年会の二次会中酔ったノリで『ジワるDAYS』を歌うまでは。歌いながら自分でも引くほど涙がとまらなかった。離れたくないと思ってしまう自分がいた。自分にとって良い選択はなにか…大晦日までには決断したい。オタクって、いや私ってめんどくさいな。