はてなキーワード: 憂鬱とは
出し物がどうとか、準備がどうとか
手伝う係になってしまった。
去年手伝ったら、今年も当たり前にやるものと思われてしまっている。
去年どころか、一昨年だって手伝っている。
いや、入社した年以外はずっと手伝っている。
餅つきしたり、その前に準備したり
何のために参加費1000円払っているのか?
ビンゴ配布係やってたんだけど、
ビンゴで複数当たれば「なんで2回も当たってんだよ!これはナシ!」と言われたりした。
飲み食いもまともにできず、18時から22時まで奉仕奉仕奉仕。
そんなの知らないけど!食べてないけど!いつ出してた!?
食べたかった……
満足に食べれないし、お金をもらえるわけでもないし、
当番制にしてほしい。ほんとに。なんなんだほんと。
ベッドに入って眠ろうとすると、会いたくもない連中が思い出したくもない場面を再現するから気分が悪い。あの時できなかったことや言えなかったことがあったけど、今度はああしてやろうとか、こう言い返してやれとか考えて、その完成度を高めたり、有効かどうかの確認をしたりして、どうにか気分をすっきりさせようとする。だけど、もう過ぎたこと。変えられないんだから、今さらやっても意味は無い。同じことなんて起きない。次なんてないって、冷静な自分が冷や水をぶっかけてくるから、ますます気分が悪くなって眠れない。
そういうときは布団をはいで、時間を確認して、それから気持ちを切り替えるため、リビングへ行くことにしている。温かいお湯を飲みながら、やかましくないテレビをぼうっと見て、苛立った気分が大人しくなるのを一人で待つ。そのつもりでリビングへ行くと、既に母がいて、こたつに入って、テレビを見ていた。母の「眠れないの?」の問いに「そう」と答えて、二人してEテレのドキュメンタリーを見たりして、気分が落ち着くまでリビングで過ごした。
翌日、昨晩の話題になって、母に体調を心配された。申し訳なかった。適応障害になって、退職して、実家に戻ってからずっと心配をかけてしまっているから。
必要とされる人になりたくて仕事に就いたけれど、実際は上司に怒られてばかりで、「薄情者。」「程度が知れるな。」「お前が人生でやってきたことは、何一つこの仕事に生かせない。」等々言われ放題で、職員からはもちろん施設利用者からもその家族からも他機関の人々からも関わる人々全員から役立たずと思われていたに違いない。だから世の中に自分の居場所はないと思った。職場の周りには高い建物がいくつも建っていて、昼飯を買いに外へ出るたび、それらを見上げて、想像で自分の分身をベランダとか屋上とか、とにかく高いところに置いて、分身を落としていた。そうすると少し気持ちが落ち着いた。それでもダメなときはこみあがってしまって、トイレや外で嘔吐した。だから昼食を食べることを止めた。でも吐き気は変わらずあったから、空ゲロを繰り返した。そのうち涙もこみあがるようになった。今までなら耐えられた業務上の圧力。それは毎日のことだから当たり前に押し寄せてきたけど、そのときは堪らなくなって、涙がこみあがり、溢れる前に建物を出た。できるだけ悟られないようにしたけれど、どうだったのだろう。それから涙腺がバカになったみたいで、毎日涙が溢れてしまい、その週の終わりから休職が始まった。
半年経ち、休職の期限を迎え、退職することを選んだ。その旨を伝えるため、理事長と話したとき、話の流れから少し前に就職希望で面接に来た人についての話になった。
「この間、面接にきたのは、履歴書見たらころころ仕事を変えてて、(胸を指でトントンしながら)ここやってるわけだ。ここにある自分の考え方の問題を解決しないで、職場を変えれば問題が解決すると思ってる。そうじゃない。お前みたいに精神やって休職する奴は、また元の職場に戻れば良いんだよ。そうすれば仕事が続くのにな。」
そう話す理事長は、これから離れる元職員へ向けて、はなむけの言葉をくれてやる良い上司だろう、俺。みたいな笑顔だった。だけど俺の気持ちは励まされなかった。休職の半年間、職場に戻れる気はまったく感じられなかったが、戻らない選択をしたことで、この先、お前の未来は真っ暗だと告げられたようで、とても不安になった。退職の意思を告げるために職場へ行くくらいには回復したつもりだったが、その日からまた体調を崩した。
それで実家に戻った。布団に入ったり、風呂に入ったり、一人になったりすると、いつの間にか嫌な記憶に取りつかれている。
そんなわけで母は、眠れないでいた俺を心配してくれていた。しかし母もまた十数年にわたって鬱を患っているから、俺としては、母が昨晩リビングにいたことの方が心配だった。
こんなことってある?と母はぽつりぽつりと話しだした。
「今さらそれを言った人に『なんであんなこと言ったんだー!』って言いたいわけじゃない。」
「けど自分の嫌なところを言われて、それが言い返せないくらいその通りで」
「こういうのっておかしい?」と母に訊かれたから、「そういうことってあるよね」と答えた。
俺からも訊きたいことはあった。“誰から?”“どんな状況で?”“何を言われたの?”それらを訊こうか迷った。けど、なんのために?
聞いた上で、あーしたらいい、こーしたらいいなんて解決策でも提示しようっていうのか。それは本当に必要だろうか。話している相手がそれを欲してるとは思えなかった。何か言ってもうまくいくイメージは湧かなかった。それに話を聞いてほしいんだろうなとも感じた。逆の立場ならそうしてもらいたいし。そしてその上でできることを探した。同じ理由で眠れなかった俺にできることは、共感しかない。そう思って答えた。
だけど、怖さも感じていた。還暦をすぎてもこの苦しみを抱え続けていることは恐怖だった。俺が今抱えているものは、俺が母の年齢になっても抱え続け、怖れ、苛立ち、苦しむのだとわかってしまったから。若い頃に受けた苦しみの処理の仕方は、老いてもわからないまま。かといって苦しみのうまい抱え方も知らないから、耐えて、耐えて、死ぬまでやり過ごす。きっと俺もそうなるのだろう。これから先も嫌な記憶ばかりはっきり思い出され、リアルタイムで傷つけてくる。なのに幸せな記憶は、そのあったはずの幸福感が再生されず、過ぎ去ってしまったことの悲しさに取って代えられてしまう。
とても憂鬱だ。
しかし母は泣いていた。安心したら涙が出たそうだ。俺が共感したことに救われたと言って。
それから、もし父に言ったならば「いつまでもそんなことでうじうじしているんじゃない。そんなだから病気も良くならないんだ」と怒られてしまっていただろう、と。そして母の父親(俺にとっての祖父)であれば、口だけではなく、手も出てきたかもしれない、と話した。
彼らは己の価値基準で、相手の話に勝手に善悪の判断をつけ(それも語られる苦しみの背景も考えずに)、相手の苦しみに目を背け、見なかったことにしようとしてきた連中だ。周りがそんなだから母は疲れてしまうのだろう。
「あんたも病気で休んでるのに、こんなこと喋ってごめん。」と母に謝られた。そして「でも話を聞いてくれるのは、あんただけだよ。ありがとう。」と言われた。
ないと思ってた居場所は、実家にあると、今はそう感じている。家族にそれを感じられることは、恵まれているとも思うけれど、家族に甘えっぱなしの脛かじりな今の自分をみっともないと感じているから、このままではいけないとも思う。だから家の外に居場所を作りたい。それをやる体力気力は、まだないけれど。
冬になると鼻の粘膜がヤラれるんだよね。なんかオブラートの切れ端みたいな薄膜がポロポロと鼻から出てきて、鬱陶しいし見た目もよろしくないから外に出る前にティッシュを捻ったやつで鼻の穴をグリグリして一網打尽にするんだけど、夕方頃家に帰ってくるともう鼻の中がなんか突っ張ってるような感覚があって、翌朝にはまた同じことになる。
今年も二週間くらい前からそんな感じになってきて、ああ、冬が来たなと実感した。二月末とか三月上旬くらいになると花粉症のせいで水っぱなが出るようになって、春いっぱいはそれが続く。日常生活に支障が出るから服薬したり点鼻薬を使って鼻水を抑制するんだけど、薬を飲んだ時の喉の渇きとか、点鼻薬の甘苦い感じとか、それが春のイメージ。
花粉症の症状が落ち着いてくると楽になったなと安堵するのだけど、あっという間に梅雨がやってくる。梅雨時期は偏頭痛に頻繁に襲われるから仕事のペースが落ちるし、好きなことにも集中できない。この時期は閃輝暗点もよく見る。
梅雨が過ぎて暑くなってくると、両手の指の側面に汗疱が出てくる。じんわり痒く、つい触ってしまう。放っておくと数日で表皮がガサガサになって、また暫くすると同じ場所に汗疱ができて痛痒くなる。八月上旬くらいになるとそれが落ち着いてきて、ああ真夏なんだなと思う。
暑さの盛りが過ぎて多少過ごしやすくなってくると、一年で唯一目立った不快感のない時期が始まる。まだ薄着で良いし、食べ物も美味しいし、一年で唯一楽しみな季節が秋だ。ここぞとばかりにアチコチに出かけるので、毎年一回くらいは風邪をひく。
そして気付くと鼻の粘膜が乾燥し始めて、また冬がやってきたと思う。冬を乗り越えても次は花粉症が、それに耐えても偏頭痛、その次は汗疱まみれで手がボロボロになって、そのあとでやっと楽になるんだなと考えて、少し憂鬱な気持ちになる。
いつのまにか、四季のほとんどで大したことではない程度とはいえ、何かしら嫌な身体症状が出るようになった。そのうち秋は秋で何かなるんだろうなと薄ら感じていて、そうやって一つずつ大丈夫なことを失っていくのが老いなんだろうなと思う。
それを繰り返すうちに中年から老人になって、周囲の高齢者がそうであるようにただひたすら死を先延ばしにするためによく分からない健康法を試したりアチコチの病院にかかったりする様になるのかな。だとしたらあまり長生きしたくはないな。
はるか昔に働いていた会社でバイトにやめてもらったことはあるけれど、自分よりも年上で、自分よりも部署に在籍している期間が長い先輩にクビを宣告しなければならなくなった。パフォーマンスが悪いのは誰の目から見ても明らかだし、浮いたお金で他の人を昇給させてあげたいし、自分が見ているチームのためには合理的な判断だと思うのだけど、それでも憂鬱である。
ただ、憂鬱だと嘆いていても仕事はひとつも進まないから、せめてその宣告の日までを適切に過ごして、その日に無駄な混乱や問題が起きないようにしたいと思っている。ので、アドバイスください。クビになる予定の人との過ごし方・1か月間編。よろしくお願いいたします。
初めてこういうところで書くので見づらいところや拙いところが多々あると思いますがご容赦ください
いろいろ思い悩むことがあるので、賛否問わずご意見いただければ幸いです。
私は今年の4月から社会人になった新人です。業種は商社系なのですが、売り上げは会社が持っている直営の店舗での売り上げが半分以上という会社です。
会社の方針で、総合職採用された新入社員は最大一年間店舗での研修があり、その後正式に部署に配属されるという形式で、入社前にその説明もあったので、それを承知で入社しました。
店舗での研修という体はとってますが、やっていることはアルバイトと変わらず、期間限定とはいえ体のいい補充要因かつ、本社で仕事している人たちも現場の声を知っているというアピールポイントのために遣わされているようなものでした。
また、期間に関しても実際のところは、本社で不足している部署に適宜補充といった形で、同期のうち何人かは先に本社に引き抜かれていき、自分も半年で別の部署に配属になりました。
今年の10月から、別の部署に配属されたのですが、配属された部署は支社にありかつ、自分を含めて3名で規模が小さく、今所属している人たちで悠々と仕事が回せる状態です。
10月に配属されて2ヶ月経過しましたが、配属後教えてもらったことは、何を取り扱っているかと顧客リストのみの、ほとんど仕事を教えてもらってない状態で終わってしまい、出来る仕事もないからという理由で業務に関わらない簡単な雑用程度しか回してもらえず
正直言って社内ニート状態です。また、部署の売り上げも徐々に減少しているらしく、仕事を教えてもらうはずの直属の上司は現状維持で精一杯みたいで、今後仕事が本格的に振られていくのかもわかりません。
とりあえず何かやることないかと聞いても出来る事があれば仕事を任せる、新聞かネットニュースでも見て情報集めといてといわれている状態で、成長している気がしません。
暇なら暇で、どうにかして時間を潰して会社に寄生してオフを楽しむという風に切り替えれば気持ちも楽になるかもしれませんが、支社に配属されたため、今住んでるところには友人もおらず、これまで一人で楽しむような趣味も嗜んでなかったため、それも難しいです。
配属前には、人事から忙しくない部署でゆっくりと育てていくからという説明を受けましたが、毎日ネットサーフィンをしてニュースサイトを巡りながら、何もしてないのにやったことを美化した日報を書くのを二か月続けて、精神的につらくなってきました。
会社の雰囲気自体は悪くなく、仕事が人並みに出来れば残業もほとんどなくてむしろ居心地はいいと思います。転職も考えましたが、現状特にスキルもなく、1年経たずに辞めた第二新卒を拾ってくれる会社があるのか疑問です。
雪が降って外は真っ白。
冬は憂鬱だ。
ただただ長くて金ばかり出て行くが自分は出ていけない3ヶ月。
例えば、知人の役職。
全く関係ない業種だが「マネージャー」って言うひびきがとても羨ましく感じる。
自分と同い年なのに役職が付いているとことに人に認められてるんだなと感じてしまう。
転職してきた冴えないおっさんより、若くて頭も回る有望な人を頭に置きたいよね。
まあ、その経験があるから年齢に対する耐性がついたのは良かったとは思う…ようにしている。
考えてみれば、前の会社でディレクターのように指示をする側の仕事をさせてもらえるように話をつけたけど、
人が少なくてプレイヤーの仕事を求められる事に嫌気がさしたってのもある。
自業自得ではあるけど、それが悲しくなる原因かもしれないな。
今年、すでに借金の返済に300万使っている。それとは別で実家への仕送りに100万ほど。そして家賃と光熱費。
加えて給与もまるっと1ヶ月分前借り状態。(手数料で毎月4万ほど引かれてる)
しかし、それ以前に借りていたカードローンの返済や、奨学金・友人への返済、家族への仕送りで毎月40万ほど消えてしまう。手元に残る生活費は数万円だ。
去年の税金を払っていない状態なので、今年こそはしっかり税金の手続きをしなきゃと思うと憂鬱。書類上は収入が上がったが、実生活は昔と変わらない。もうすぐで楽になりそう!と思うタイミングで、いつも急な出費が必要になる。数ヶ月後には賃貸の更新があり、税金の支払いがあり、月々の返済は延々と続く。健康保険料も年金も支払っていない。これもどこかのタイミングでまとめて払わなければならないのだろう。
実家にお金がないのだ。お金がないなら自己破産でも生活保護でもすればよいと思うのだが、現状はどうにか回っている。
どうにか回っているというか、自分の給与を実家にいれてカードだけで生活したり、消費者金融からお金を借りて実家に入れていたのでどうにかなっただけで、実際はどうにもなっていない。
返済の中には、自分の責任のものも少なくはないので、実家が全部悪いわけではない。ただ、貧困が貧困を誘発して負債が膨らんだ側面もあるとは思っている。
夫、私、娘一歳半の3人家族。夫は平日は娘を寝かしつけてからの帰宅。私は時短で娘は保育園に行ってる。
最近、娘が成長してきたからか毎日限界を感じる。夜中は何回か起きて添い乳で寝かしつけ(おかげで私は寝不足)、おっぱいへの執着が強くて朝食も夕食もなかなか食べてくれない、嫌なことは全力拒否。毎日お迎えの時間が憂鬱。
年上の知り合いに相談すると「今優先すべきは子供」と言われた、それはよくわかる。でも笑顔で子育てするにはどうしたらいいのかわからない。余裕が必要というなら仕事はやめるしかないの?
自治体も「子育てに悩んだら相談を」とは言うけど、相談したら子供の面倒を見てくれるわけでもない。(「気持ちのはけ口みたいな感じで〜」と実際に言われた)