はてなキーワード: 思想史とは
普段オナニーする時、現今の、いわゆる「オカズ」は資本主義にのっとった、大量生産された既成品から視覚的情報を得るものだ。エロ本。エロ動画。AV女優。
あるいは風俗に行ったとして、そこでは大枚をはたいて「ヌキヌキ」するものであって、それはやはり資本主義的営為に他らなない。
戦後の思想史家藤田省三ではないが、現今、オナニーにおける勃起は資本主義的既成品からなる。いわばオナニーの全体主義的時代経験である。
私たちのオナニーはそうした時代のパラダイムに、ある種、とらわれている。
一方、デートをする時、意中の相手と一緒に歩いたり飯を食いに行くと、「頬が自然に緩む」ではないが「チンポが自然と膨らむ」。
既成品で勃起させたときの一物と、本当に好きな人(あるいは充分な美人)とご一緒する際の一物。
その膨らみ方はまったく異なる。
個人的には、前者はただ膨らむだけ。まるで風船を膨らませるような無機質なふくらみ。
一方後者は、非常に有機的だ。ふくらみが非常に力強く、「夢」や「希望」といったポジティブな要素に後押しされているかのごとくだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
思うんですけどね、ぼく、脳にチップを埋め込んで知識を頭に直接ダウンロード的な世界が本気で到達しないかなーと思ってるんですよ。でも一言で知識といっても。全知識のことでは無く、いわゆる理科学系的な知識のこと。
そのような未来感に対して在野の方は「知識を頭に叩き込んでも知識の使い方を覚えられない」という文句がでるんですが、僕はそんなもの詭弁に過ぎないと思うんですよね。
何故ってそもそも人ってあなたみたいな偉そうな人が言うほど馬鹿じゃないよって思うし、論理とやらは数学でも良く出来た人文系の本でも読めば会得できるものだと思うからです。
加えて理系的知識のみ頭に直接叩きこんでも構わないというのは、理系的知識が(複雑系的な言説が代表する最先端の知を除いて)すべてがファクト(らしい)だからです。
例えそれが原理的に「ファクトらしい」ことであるとはいえ、少なくとも恣意的では無いんですよね。それでですね、そしてそんなファクトらしいことをファクトとして扱って科学はここまで技術化され人類の進歩発展に帰依してきた(ここれ辺が人文知とは異なるところです。人文知はその恣意性が暴力的な力を持っている。そしてその暴力性が人文知の力。すなわち文脈を書きかえること。個人にとって一見関係無かったものを一つの視座を持って関係づけ、切実なものにする。それが人文知の力、だと思ってます。)(一方理化学的な知識にも別種の暴力性が当然あります。そのことに自覚的でない科学者はみんな根本的には自分勝手なクソ野郎なんだと思います。残念ながら。)
うう、かっこの中の話で本筋から遠ざかった…。
ぐだぐだ言ってきましたが、ここまで言ってきたことは一言です。基本的な理系知識というものは大抵が世代を超えて一個の人間がまた改めて一から学ぶほど価値があるわけではないということ。
いわゆる理系学生の中に以下の現実に気づいて憂鬱な気分になっている人は多いと思うんだけれど、若いころの時間を使って結果の分かりきってる学生実験をする価値なんて99%以上無いんですよね。
え、実験道具の使い方?レポートの書き方?全部別プログラムでやらせた方がよっぽど効率的です。だってどちらも理系的な知識を使わないじゃないですか。どちらかというと体育と国語ですよ。
そりゃ回数重ねてれば何かの偶然で新しいことが起こるかもしれないけれど、そこに若い学生の時間を使うのはいかがなものかと思います。どちらかというならこれから寿命がますます伸びた年配の方がおやりになればよい。しかも年配の方々は数が増えるのは分かりきっていることなのだから。可能性の伸びしろとしてはそちらの方が全然優位なはず。
そしてぼくはそのような年配の方(時間があって、科学とかゆるく好きで、しかも高校の教科書的な所から大学の2~3年程度の知識が頭に一括ダウンロードしてある方)が自由に研究を趣味的にできるような場がこれからあると良いなーと思います。
知識があったとしても大抵は無駄な研究もどきなるとは思いますいが、それでいいんです。無駄は文化になります。文化は物語化されてブランド足り得ます。
今までに比べてはるかに安いコストで、気軽に研究できる。しかも初めから自分の興味のある分野を。これってとてもいい社会だと思います。それにそのようなある種のハードルを下げるにはとても良くて、実際的に何がいいのかというと人材流入のハードルが下がれば在野の人の既得権の縛りが解かれる+競争激化+多様性が増しイノベーションが起こりやすくなるんですよね。(その弊害は例えばPixivなんかで散見されますね。すなわち雇用の問題。)
これからデジタルに親和性の高い世代が高齢者になったり、ある程度英語等でコミュニケーションで来て人材の移動性が高まる時代に、それを実現できたら、かなりのその地域引いてはその国のブランドになりえるし、いいことだと思うんですよね。
日本というのは自然災害がその立地条件からして根本的に多い国だし、今回の放射能ははそもそも強いと思われていた農作物のブランドの(程度はどうであれ少なくとも方向性として)下落につながった。その後の日本政府の立ち振る舞いも同様に日本全体をパッケージとして観たときのブランド価値は下がったと思う。
つまり日本というのは根本的に他国に比べブランド価値が強くなければ優秀な人材を引っ張ってこれない国だと思うんですよ。例えばわが身ひとつで立身出世しようと考える優秀な中南米人が「日本は色々災害とか身の危険あるけど○○があるからここで仕事をしよう」と思ってくれないとダメなんですよね。でなければきっとこれから日本という国は戦えなくなる。(経済的に豊かでなくなってくると無駄の確保ができなくなります。無駄の重要性は上に述べてきたとおり)。
さて、ここまでメリットばかりあげてきましたが批判も数多く考えられます。例えばその筆頭にしてもまっとうなものが「科学の発展が加速したらますます倫理の側が追いつかなくなるじゃないか」というものです。
しかし、僕はこの観点も保証できます。なぜなら時間に余裕のできたものは、退屈な事実の再確認や荒唐無稽な技術への信仰ばかりするのではなく、確かな今を見据える人文知的なものを学びたくなる欲求が高まるはずで、加えて言えば知識の記憶に費やす時間が短くなれば余暇が創出できるので、そのような歴史、思想史、哲学史を学べる機会は増えるはずなんですよね。たとえあなたが時間があるから大丈夫(=自身の倫理を構築できる)とは限らないなんては思えなくとも、学生実験をやるよりはよっぽど有意義な時間が過ごせるとは思いませんか?
以上のことがもっとも実現可能性の高い場はラボをシェアするという理念の元運営されているいくつかの団体だと思います。なぜなら人材の流動化がこれから激しくなる時代に情報系のものを除く理化学系研究が根本的に抱える問題とは研究はラボというその場でしかできないことで、その土地でしかできないならその場にしかいられない。そこをシェアをすることでより開放するサービスが圧倒的に人々に受け入れられるだろうからです。
また実現に向けて初めに脳内に知識ダウンロード、と言いましたが、それより若干コストは高くなるかもしれないけれど海外のよく勉強したにもかかわらず文系就職しそうな元理系学生とか先生に雇って、そのサポートに比較的リーズナブルに提供できれば十分今まで述べてきた未来の足場としては実現可能だとも思います。
ネットで有名になりたいのなら、目の眩むような技術力を持っていても、無意味です。宝の持ち腐れ、童貞の巨根です。
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豊富な人生経験を持っていても、無益です。大衆は小粒の砂金よりも、「ホッテントリ」という焼印が押してある巨大な糞尿袋に集ります。
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宣伝をためらう方もいるかもしれません。でも、ソクラテスが毒杯を飲まずに哲学を続けていたら、人類の思想史にどれだけのものを残したか?
を考えれば、そんな戯言は言ってられないはずです。悪貨が良貨を駆逐するのは、悪貨の方が量が多いからです。
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ヒーローが悪者の技をラーニングするように、えがちゃんのあざとい宣伝の必死さは真似るべきです。
もちろん、このエントリーの本旨は力のある技術者への宣伝のススメとえがちゃんへの皮肉です。
終わり。
実のところを言えば。
これはとても不思議なことなんだけれど。
「二次元ロリの(存在そのものを)規制する」っていうのは、現在の哲学や倫理学の潮流から考えれば
「ヴァッカじゃねえの?」ってレベルなんですよ。脳がどっか逝ってる。
中世に帰って魔女でも焼いてろってレベルなんですよ、いやコレマジで。
これに関しては、多少なりともこの分野を齧ってた人間であれば絶対に異論は起こり得ない。
少なくとも、レヴィ・ストロース以降に学問を修めた人間がこんなことを言うなんて信じ難いんです。
いや、フーコー以後でもいいんですけど。
もちろん、不快原則に即して「興味ねー奴の目に触れない場所でやれ」は前述したロジックでいけるんですが、
その一方、現代法の精神に照らし合わせてもこの規制は全く以ってナンセンス、土人の所業としか言いようがない。
しかしですね、民主主義っつーのはそういうものなんです。
我々、実はミルとかその辺の色んな基盤を経由して来てはいますが、
ほんっとに最終的なことを言えば、「民主主義」ってのは全部ブチ壊しにするクソ制度なんですよ。
もし、あなたが最終的な法の基盤が何かを真剣に問うのであれば、「民主主義ってクソファックじゃん!」
って結論に至るのは最早回避出来ません。これを、ヒトラーのジレンマと言います。
いや、この単語は今思いついたんですが、とにかく民主主義というのはそれ自体が
非・民主主義へと向かう一つの経路なわけです。この部分を是正しようとしてる思想家としてはハーバマス辺りでしょうか。
* 娯楽上の問題。私が面白い漫画を読めなくする奴は○ねばいいんじゃないでしょうか。
* 芸術・文学上の問題。人間性の多様な側面を描くことが人類には要請されているのであって、描けば描くほど人類は発展し、規制すれば規制するほど人類は衰退する。
* そして倫理・法思想上の問題。我々は一応自由主義国家として、自由主義的な思想に基づいた憲法を守らなければならない。今回の都条例はその基準に反している。
この三つ。二つ目は「それはどうだろう?」と思いますが
一つ目も三つ目も「あなたはそう思ってるかもしんないけど、ウチ民主主義国家だから。却下」
っつー話なんです。そういうわけで、「ロリ」とか「ホモ」とかそういう存在は(最近は割りとホモ強いですけど)
この問題に関しては議論の余地もなにもなく、「民主主義だとそうなるね」って感じな気がします。
自由主義的な原則が、多くの人にとって論題になりえませんから。感覚的にキモい、みたいなのが優先されちゃう。
我が国の教養程度が極めて低いっていう証左でもありますよね。
要するに、規制派にロジックなんか無えよって話。統計的にも、あるいは思想史的に見ても
こんな議論ケリついてんですよ。今更論じる価値もないレベル。でも、まぁ規制されるんでしょうね。どーにでもなれよって感じです。
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。