ばあああああああああああああっかじぇねえの?
世の中なんて不信社会なんだよ
お前みたいな奴が日の目を見る時代はもう来ないの
この社会はな、お互いに不信という状況の中で
それが嫌なら山間部で農夫でもやってろカス
ねえ、人を信じることって大人になればなるほど難しくならないか?
小学生の頃ならなにもなくても相手を信じていた。疑うことをなかなか覚えなかった。
思春期の頃だって、本気で相手を信じる気持ちで女子に恋愛感情を持っていた。不信なんてなかった。
ここで言う信じるとは、相手の気持ちの純粋さを信じて疑わないと言うことだ。ふられる怖さを抱えながらも告白するような、つまり行為としての「信じる」ではない。
兎に角、今のように相手のことをいろいろ勘ぐったりはしなかった。相手に打算があること、何よりも私自身に打算があるなんてことほどんど思わなかった。それに打算なんてしなかった。無意識下ではいろいろな情報計算が行われていたのだろうが。
勿論、そのころの私は純粋な分だけ視野はせまかったと思う。それでも私は一途だったと思う。やっぱりひたむきだったと思う。
私はこれからあのころみたいに人を信じることができるだろうか。
いま自分がすごく不純になってしまった気がしている。だから、周りの人間にも不純を投影して読みこんでしまう。ものすごく悲しい気分になる。大人になることがこんなことなら、私はいつまでも少年でありたかった。
戻りたいよ。帰りたいよ。私がかつていた一途さの世界に。昔のままは戻れなくてもいいし、それは期待していない(が、もしもそれができるなら・・)。打算や勘ぐりを抱えつつ、いつだって人を信じる気持ちのほうがそれらよりもずっと大きい人間になりたい。
ねえ、悲しみがひっきりなしにやって来るんだ。
さっき公園を走ってきた。「どうして俺の人生はこう遠回りでずれているのだ。俺のどこが間違っていたのか」と心の中で絶叫しながら、息が上がって、泣きそうになるのだけど泣けなくて、そのぶんスピードを上げた。体を痛めつけるように。
何にもわからなくなった。人は、また人を信じることは私にとって1つの人生の喜びであり、救いになるはずだった。いつか、心から信じられる人に出会える。心から信じてもらえる。そう言う救済を私は思い描いてきた。さて、いま再び私はそれを願えるだろうか。自分も人も信じられなくなった今、どこへ向かえばいい。
喜びと救済があると思えるなら、それは私の目標地点でありうる。回り道をしたとしても常にそこを目指し続ける到達ポイントだ。
どう進路をとるのか。そのために何に針路をもとればいい。
そして最大の問題は、人生そのものへの違和感だ。信じることによる救済はこの違和感を消し去って、私を満たしてくれるだろうか。
わかんないよ!ちくしょう!!!
神様、いるのなら応えてよ、どうしたらいいのだ。
どんな風に心の持ちようを変化させていけばいいの。
不信を抱えた私でも人と付き合って良いのか。そして、それは善いのか。
タスケテクレ。
ねえ、私は完全に迷子になったんだよ。
正直どうでもいいです。
そういやよくそういうのを見て、「結局女は将来性がある男がいいんだろ」とか「結局女は金がある男がいいんだろ」とかあるいは「結局女は顔がいい男がいいんだろ」とか言う人がいるけど、ぶっちゃけ……そんなの当たり前じゃね?
そりゃーさ。そうでしょ。当たり前でしょ。条件いい方がいいのは。
宝くじ、100万当たるのと3億当たるのとどっちがいい?つったらそりゃ3億に決まってるわけで。
わざわざ条件悪い方を選ぶ奴なんているわけがないじゃん。
ていうか、条件悪い方選ぶ方が逆に怖い。金がないし顔も悪いのに金がある奴とか顔がいい奴より選んできたら「何かあるんじゃねえのか」って感じがする。保険金目当てで殺されるんじゃねーのかとか。いやまあそこまではいかないけどその種の怖さを感じる。
つーか、顔や金や将来性で選ぶのに文句つけてる奴は、結局何で選んで欲しいのか。俺はいつもそこを疑問に思ってる。
じゃあお前らさ、「何」なら戦えるって思ってんの、って。何ならイケメンや金持ってる奴より勝てるって思ってんのって。物凄く疑問なわけ。
性格?「結局女は金があるほうがいいんだろ」とか拗ねてる奴の性格がいいなんてとても思えねーしさ。そこんとこは本人も自覚してるでしょ。大体性格なんて大概の人がそこそこよくてそこそこ悪いもんでさ。金もちやエリートやイケメンより、お前ら性格だけで女をひきつけられるほど、そんなに差をつけられる自信があるのかって。ないでしょ。そんなの。本人が一番分かってると思うけど。
文句言うってことはさ。逆に言えば「他の事ならイケメンや金持ちに自分が勝てる」って自信があるってことなのか、と。でも、実際問題、ないでしょ?それは自分自身がよーく分かってることだと思う。ならさ、結局の所、「顔で選ぶな」とか「金で選ぶな」とかそういう種の物言いって、「俺を選んでくれ」ってことなんだよね。しかも「顔も金もないけど俺を選んでくれ」ってことでさ。「顔も金も何も特に長所はない俺を選んでくれない、だから女ってやつは」みたいなことなんだよ、要するに。そりゃそうだろ(笑)!「顔で選ぶなんて」とか「金で選ぶなんて」とかの文句は「顔も金もなにもない俺を選んでくれないなんて女は酷い」って言い換えられるんだよな。でこうして言い換えると流石に本人も自分がどれだけ無茶で身勝手でワガママな事を言ってるか自覚できると思う(これで出来ないんだったらもう救えねえ)。
ま、現実的にはそうそうフリーのイケメンや金もちなんていないし競争率高いし、だから妥協したり諦めたりするわけだがね。でもこういう風に「どの男性が良いですか」って選ぶだけなら、そりゃ誰だって一番条件いい奴望むわな。男だって美人とブスの写真見せられて誰がいいですかっていわれたらそりゃ美人指すだろ。現実的にはこれも同じく、美人は競争率が高いから妥協するわけだけど。
西村ときわ法律事務所に所属する弁護士は、なんと151人(現在は約190人)。主なクライアントは企業。
企業内の法律問題をはじめ企業間の合併や提携、倒産処理などを主に仕事としています。
さらに驚くべきは、この事務所、新人弁護士もエリート中のエリート。大学在学中に司法試験を
合格した人間がほとんどを占め、初年度から年収1000万円を超える待遇が約束されているのです。
岩倉弁護士の下で働く一年目の有望新人弁護士、佐々木秀さん(25歳)。
今の軍隊は精鋭化とハイテク化の名の下で人減らしの方向に向かってるのに
だが、どうしていいのかわからない。
なぜか今ごろ100$貯まったらしくいきなり小切手がふつうの封筒に入って届いた。
米国CITIの振り出しだ。
みなれているといえば見慣れているのだが、こういう風にうけとったのは初めてなのでどうしていいかわからない。
ついでの用事の時に三井住友SMBCにいって、これ振り出せる?って聞いてみた。
小切手振り出し手数料として4600円掛かります。振込み手数料も掛かってしまうので…
(´0ω0`)!?
100$で半額とられたのではたまらない。
めんどくさかったが窓口のおねーちゃんがCITIにいったらもう少しやすく振り出せるかもしれませんというので
CITI Bankに寄ってみた。
CITI Bankと簡単にいうけれどここらへんには出張所しかない。
ココリコの遠藤みたいな店長とおねーちゃんが2人しか常駐していないCITIの窓口で1時間ぐらいまたされた。
対応が2人しかいないってどういうことだ!と思いながらひたすらまった。
相談しているおじいちゃんの個人情報がまるまる聞けたなぞな時間だった。
おじいちゃん相談内容どうでもよすぎるよ!!
と内心思いながら、ひたすら待った。
で、番がきたので振り出せますのん?と聞いてみた。
答えはのんだった。
いや、ふりだせるのだけどやはり手数料は掛かりますとのこと。
で、やはり支店クラスにいかなければならない。
自分の住んでいるところから、それほど離れたところにあるわけではないが地方の人がGoogleのアフェリエイトだけで食べていくなんていうのは幻想だなと思った。
CITIに口座が無いと手数料で1000円掛かるらしい。
自分はかつては口座をもっていたのだけど、数年前その往復手数料の高さに嫌になって解約したのだ。
1通貨あたり1円って、どんだけぼろい商売なんだよ!!
往復2円じゃないか!!と思って、外貨預金は別に移したのだ。
そのうえCITIは平均で30万以上はいってないと口座維持手数料がかなり掛かる。
わすれたがかなりかかる。
しょうがないので解約したというわけだ。
そう、解約するときもATMからは1000円単位でしか引き落とせないので、
おろしきれなかった金はCITIに寄付という扱いになった気がする。
当時はリッチだったな。
そんなわけで当時寄付した金でこの小切手をなんとか現金化してくれよ!!
と存分にごねたい気分だけどCITIバンクなんて歩いていける距離にはねぇえええんだよ!
小切手とかどうしているの??
はぁCITIにまた口座開くかな…。
せっかく整理したのに。CITIは100万以上いれてないと意味ないんだよな…。
ダラーカードのゴールドを持っていると維持手数料が掛からないとか聞いたけど、
ぷんすかぴー。
今日PHSからこの「何故浮気はダメなのだろうか 」というエントリーを読みました。
http://anond.hatelabo.jp/20071128082705
数ヶ月前に、かなり長い間片思いをしていた相手とようやく付き合うちょっと手前までいったかな。という時期に「まだ一人の女に縛られたくはない。もっともっと遊びたい。結婚を考えるのは自分が十分に遊んだと思ってからで良いと思う」と言われて、彼に対してずっと長い間持ち続けていた「好き」の感情が何か憑き物が落ちるように一気に冷めていったことを思い出しました。
どうして一気に恋愛感情が冷めていったのかは、この人の理論からすると「よく分からない」と言うことになると思います。
でも今何となく思うことを書いてみると、やはり
「あなた」と「私」の関係は、それは何も「彼氏-彼女」の関係である必要はない、そんな風に呼ばなくとも、この世界において、唯一無比のかけがえのないものなのである。いや、むしろ「彼氏-彼女」の関係と世間一般の概念で定義する事のほうが、我々の関係の「かけがえのなさ」に対する冒涜ではないか?
つまり、私が誰と仲良くしようとも、あなたとの関係は唯一のものであり、その価値は少しも貶められないのである。浮気なんて少しも気にする事はないのだ。パートナーの動向に常に目を光らせている監視社会よりも、みんなが自由で仲良くできる世界の方が、余程すばらしいと思わないか?
こういうことを言う人と、「唯一無比のかけがえのない関係」を長期間にわたって築くことができるというのは論理矛盾しているようにも感じたからなのかな、と思われるのです。
人の心は、時間が経つと平気で変わってしまいます。
だからこそ、約束や紙切れで絆をつないでおかないといけない。
こういう発言をする相手が、明日も「あなたとの関係は唯一のものであり、その価値は少しも貶められない」と言う発言をする保障は、どこにもありません。
昔から人は信頼できるパートナーと愛し愛されていないと、どうしても心が安定しないものです。
多くの人が書いたように、それはその時代の結婚の形態によって必ずしも一対一の関係ではなかったのかもしれません。
私はやはり信頼できるパートナーと愛し愛される人生を送りたいと思っています。
毎日が嫉妬と猜疑心と絶え間ない諍いと苦しみで塗りつぶされる生活を送るのは、精神が持たないように思います。
朝起きたら何となく幸せな気分で目が覚めて、夜寝るときには天の神様と、隣にいる最愛の人に最大限の感謝をしてから床につきたい。
そんな風に思います。
蛇足:
かつて大杉栄が「自由恋愛主義」を唱えて、別に相手がいても自分が恋愛するのは全くの自由。パートナーが恋愛するのも全くの自由。ということを実践していたのですが、その結果がどうなったのか。。。と考えると、「浮気は自由」というのは難しい点があるなと思います。