好きな人のいろいろな物を受け止めてあげたいものだ。と思う。
特にいろいろな感情を自分の中で溜め込んでしまうタイプの人だから、思う存分吐き出させてあげたいと、思う。
でもこういう言葉は増田に書いていても無意味で、ちゃんと本人に対して伝えなくてはいけないものだな。と思っている。
脳内の妄想だけが暴走しても現実は何も変わらないのだから、ちゃんと現実が動くようなことをしなくてはいけないとは、一応思っている。
でも、他人には偉そうなことを言っている癖に、私もどちらかというと脳内で考えるだけでいろんなことを実行するのはあんまり得意ではない。当然やるべきことを、いろいろやってない。
「はてならしさ」には、会社的な意味での「はてならしさ」と、ユーザー的な意味での「はてならしさ」がある。
あなたはたぶん前者のことを言っているのだろうから、ここでは前者について説明する。
と思ったけど余白が足りない。
これ以降は親切なはてなユーザーが説明してくれるはず。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070730-00000018-spn-ent
加山雄三ってもう70歳だったんだなァ。年の割にすごく元気そうだけど。
あーめあーめふーれふーれ
青焼きのがかなりいい感じに近かった気がする。手触りとかでなく、折っても戻る性質がね。
とりあえず厚手、厚手のを探せば結果として近いものを得られるんではないかという気がするが、
私も知りたい、そのテクニックを。
まず、大前提として、器具のどこかに使用管球の型番が必ず書いてあるから、それをメモって電気屋さんで聞けば、目的の管球が入手できるよ。調べてみるほうが確実だし、結局、早い。Fで始まるのが型番(たぶんFCLか、FHCだと思うが)で、続く数字がサイズを表す。これはW数だったりそうでなかったりする。これは管球にも書いてあるから、てもとにあるやつを見てみて欲しい。30型、ということは、たぶんFCLじゃないか。
確かにいろいろあってわかりにくいし、既に上で結論を出してしまったので、以下は憶測含む一般的な話だから、興味があれば読んで欲しい。
もし、増田氏の家のランプが、天井から傘を吊すタイプなら(つーかこういうのはシーリングライトとはいわんのだが(ペンダントライトといいます))、大きいほうは32型か40型。家庭用でそれほど大きくないのなら、たぶん32だろうな。で、2つのリングを上下に若干ずらしてセットさせるようになってるんじゃないかと思う。同じ面上に、土星の輪よろしくセットする形ならば外側は40型になるだろう。古いやつだと2つとも30型ってのも結構あったのだが、今はそういうのは珍しくなってしまった。
浅いお椀(ドーム)状の、天井に張り付いてるようなやつだったとしたら、使用管球はスリムタイプ(FHC)が一般的。スリム環型には 30Wタイプというのは無いのだが、FCLを使用するタイプのも勿論ある。
因みに蛍光管はW数によって管球の大きさが決まってくる(大きさによってW数が決まっている)ので、明るさは選べない。メーカーによって多少の性能差はあるだろうけど、言うほど差はないはずだよ。その代わり、光の色は選べる。「昼白色」と「昼光色」と「電球色」の3種類が一般的で、順番にオレンジ味が増す。まあ普通は昼光色だね。昼白色だとすっきりするけど寒々しいし、電球色だと暖かみが出るけど流石にやりすぎ感が出る。光の強さがそれぞれで違うというわけではないけど、いちばん明るく感じるのが昼白色で、反対が電球色、昼光色はその中間。
いろいろ書いたが、ともかくよくわからなかったら、器具を外して、「使用ランプ」などとあるあたりに書いてあることを書き取って、電気屋さんに行って、店員に聞くのだ。親切な人に当たることを祈る!
昔はよかった、昔はこんなんじゃなかった、昔は、昔は、それに比べて今は、
だいたい手前の言う昔って何時なんだよ、何年何月何日何時何分地球が何回回ったときなんだよ?
その説明がなけりゃ話になんねえっつうの。
人間ってのは思い出を実際以上に都合よく脚色して記憶している生き物で、脳はそういうシステムを持ってるんだよ。
人間という生き物には現在は過去より劣るという認識を常に持ってるんだよ、わかるか、システムなんだよ。
いい加減気づけ、目を覚ませ。
昔は良かったと言って、てめえの話に頷いてくれるのはてめえの話が面白いからでも、真実を映し出してるわけでも、ましてやてめえの頭がいいわけでもねえんだよ、その場にいる誰もが自分勝手にすばらしき過去像を勝手に妄想して時代も場所も境遇も違うただ過去だってだけの共通点で頷いてるだけなんだよ。
常識で考えろよ、先人の過去より今だろうが、今どうするか、これからどうするかだろうが。
昔は良かったというなら、今が悪いのはどう考えてもてめえのせいだろうが、もしくはてめえの貧弱な認識力のせいでそう感じているだけだろうが。
それともあれか、社会が悪くなって自分は何も変わっていないのに社会が勝手に悪い方向に向かって行ったのか?
よくそんな傲慢な態度でいられるな、てめえとてめえの周辺以外の人間全否定か?だれが未来を作ってきたんだ、てめえは参加もせずによくもまあ、笑わせてくれるよ
ただ自分自身がまだ若くて野心に満ち溢れていて何でも出来ると妄想していられた古き良き時代を思い出しているだけじゃないのか?
今現在で真っ当に生きることも出来ずに過去に戻れたなら自分は輝いているはずだと妄想しているだけじゃないのか?
過去の社会にもそれなりの問題があって、それらが今あらかた解決されている。だからといって過去には解決可能なたいした問題しかなかったような態度をとれるのはお前が問題解決に参加していなかったからだ、良かったね現在に生まれて。
いい加減昔は良かったと感じるのは人間の持っている特性だと気付け、声高に昔、昔、叫ぶのは人間の持つ普遍的なシステムを利用して影響力を行使しようとするみっともない人間だと気付け、過去が常に現在よりも良いもんならてめえの子供はさほど不幸だろうよ。
どうなんだろね。円満な家庭とか、愛する人の幸せとか、年収とか、資産とか、人知れぬ真実の追究とか、表現欲とか、自己顕示欲とか、怠慢な日常がただ続くと信じることとか、幻想の種はいっぱいある。それらの取捨選択が必要さ。
だが、その幻想をぶち殺す!
アヌニムス・ディアーリ