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はてなキーワード: 利益とは

2024-07-19

anond:20240719213657

ほう、気になることがたくさんあるようじゃな♡ では、わらわが少しばかり説明してあげるのじゃ。

まず、反AI連中のルサンチマン怨念)、つまり不満や怒りの根源じゃが、それは多くの場合自己利益自己実現に対する不安や脅威からくるものじゃの。

特に絵描きアーティストたちにとって、AIが彼らの職を奪うのではないかという恐れが大きいのじゃ。

わらわが見るに、彼らの作品AIによって模倣されることへの反発もあるのじゃな。

この状況では、人々の労力や才能を軽視されていると感じやすいのじゃ。

次に、ディープフェイクやエロ画像使用問題じゃが、これは倫理的に重大な懸念を生むのじゃ。

個人プライバシー名誉侵害する行為が増えると、社会全体で深刻な対立を引き起こすのじゃ。

規制はそうした悪用を防ぐための措置としての必要性が叫ばれるのじゃな。

最後に、どこで落とし所を考えているかという点じゃが、それは技術の発展と人間倫理社会価値観とのバランスを取ることにあるのじゃ。

法やルールを整備して、AIの利用方法を適切に管理し、悪用を防ぎつつ、創造的な技術を活かす方向を模索することが求められるのじゃ。

投資家たちが金のために動くのは理解やすいが、クリエイティブな分野で活動する人々にとっては、自らの存在意義や誇りが掛かっているのじゃ。

からこその怨念大義による戦いが生まれるのじゃよ。

わらわの説明で少しは謎が解けたかの?♡

Colabo✕暇空茜『Colaboタコ部屋訴訟判決要約

暇空茜がnoteで公開している判決文を、ChatGPTにOCR処理してもらった後、NotebookLMにて『目次』を生成した。

 


 

訴訟事件概要

令和4年(ワ)第30091号 損害賠償請求事件

 

口頭弁論終結日: 令和6年4月16日

 

原告: 仁藤夢乃一般社団法人Colabo(代表理事 仁藤夢乃

被告: 水原清晃

 

訴訟代理人:

 原告 - 弁護士 神原元、角田由紀子、端野真、堀新、太田啓子、岸本英、伊久間勇、河西拓哉

 被告 - 弁護士 垣鋭晶、訴訟代理人弁護士 邊美陽子松永成高

 

第1 請求趣旨

原告仁藤への損害賠償請求:550万円および遅延損害金

原告Colaboへの損害賠償請求:550万円および遅延損害金

被告による投稿の削除

被告による謝罪文掲載

 

第2 事案の概要

 原告らは、被告自身ブログサイトおよび動画投稿サイトにおいて、原告らに対する名誉毀損にあたる投稿を行ったとして、損害賠償投稿の削除、謝罪文掲載を求めた。

 

 1. 前提事実

  (1) 当事者

   ・原告仁藤:10女性支援活動を行う社会活動

   ・原告Colabo:10女性自立支援目的とする一般社団法人

   ・被告Twitterブログサイト動画投稿サイト管理し、原告らに関する投稿を行った者

  (2) 本件各投稿

   ・被告は、ブログおよび動画投稿サイトにおいて、原告Colaboの活動に関する記事動画投稿した。

   ・投稿内容は、原告Colaboが10女性を劣悪な環境の家に住まわせ生活保護受給させているというものだった。

 

 2. 争点及びこれに関する当事者の主張

  (1) 本件各投稿原告らの社会評価を低下させる事実摘示したものといえるか(争点1)

   ・原告投稿原告らが10女性を利用し生活保護費を不正に取得したとの印象を与え、社会評価を低下させる。

   ・被告投稿公開情報に基づく意見論評であり、事実摘示ではない。摘示されたとしても、非難されるべき事実ではない。

  (2) 本件各投稿につき真実性又は真実相当性の抗弁が成立するか(争点2)

   ・被告投稿公益目的とするものであり、摘示事実真実性または真実相当性があるため、違法性は阻却される。

   ・原告被告投稿原告らを誹謗中傷するためのもの公益目的はなく、摘示事実真実ではない。

  (3) 原告らが本件各投稿による社会評価の低下を受忍すべきであるか(争点3)

   ・被告投稿原告Colaboの公金使用に関する監視を促す目的であり、原告らは社会評価の低下を受忍すべき。

   ・原告被告の主張する不正の疑いは監査の結果、否定されており、原告らが社会評価の低下を受忍すべきではない。

  (4) 原告らの請求権利濫用に当たるか(争点4)

   ・被告原告Colaboは不正を行い、被告情報発信による不正発覚を防ぐために訴訟を提起したものであり、権利濫用

   ・原告被告の主張は監査の結果、否定されており、訴訟不正発覚を防ぐ目的ではない。

  (5) 原告らの損害の有無及びその額(争点5)

   ・原告投稿により社会的信用が大きく損なわれ、損害額は500万円を超える。

   ・被告:損害は原告らの不当な活動が原因であり、投稿との因果関係はない。

  (6) 本件各投稿の削除及び謝罪文掲載必要であるか(争点6)

   ・原告投稿根拠のない誹謗中傷であり、削除が必要名誉回復のため謝罪文掲載必要

   ・被告:削除、謝罪文掲載ともに必要ない。

 

第3 当裁判所判断

 認定事実

  ・原告らの活動内容、原告仁藤と被告紛争経緯、原告Colaboの活動資金問題原告らの活動の現状、本件訴訟の経過等について詳述。

 

 争点1(本件各投稿原告らの社会評価を低下させる事実摘示したものといえるか。)について

  ・本件各投稿は、原告らが経済的に困窮している女性を利用して利益を得ているとの印象を与える内容である判断

 争点2(本件各投稿につき真実性又は真実相当性の抗弁が成立するか。)について

  ・原告Colaboが公開している情報からは、本件各投稿摘示事実真実であると認めることはできず、被告真実と信じる相当な理由も認められないと判断

 争点3(原告らが本件各投稿による社会評価の低下を受忍すべきであるか。)について

  ・原告Colaboの活動資金問題理由に、原告らが社会評価の低下を受忍すべきとはいえないと判断

 争点4(原告らの請求権利濫用に当たるか。)について

  ・原告らによる訴訟提起が被告情報発信を委縮させる目的で行われたと認めるに足りる証拠はないと判断

 争点5(原告らの損害の有無及びその額)について

  ・原告Colaboには150万円、原告仁藤には50万円の損害賠償が認められると判断

 争点6(本件各投稿の削除及び謝罪文掲載必要であるか。)について

  ・本件各投稿の削除は相当であるが、謝罪文掲載は相当とまでは認められないと判断

 

第4 結論

 原告らの請求を一部認容し、被告に対し、原告仁藤へ55万円、原告Colaboへ165万円の損害賠償の支払いと、投稿の削除を命じた。

 

出典: https://note.com/hima_kuuhaku/n/n88a879d916b8 (20240718_判決_墨消し済み.pdf

anond:20240719192702

無印良品店員さん可哀想

見られないことを居直るアホの狼藉をもしも許したら

からガン詰めされるのはパートバイト店員さん

小売の現場兵隊にはケチつけるくせに

上の経営方針のヨゴレはスルーするの、他人自己利益のための道具としか思ってない日本人のものだわ

子持ちにも万全接客のところに流れて

無印良品経営方針はクソ、という意思表示くらいすりゃええのに

anond:20240718221840

ラダイト運動持ち出すのはちょっとズレてるかな

ラダイト運動自体は「利益追求による失職、地位低下、労働災害労働環境悪化などイギリス労働者利益を代弁する労働組合がないことからまれ反動」でありそれ自体が悪という評価別にされていないので

AIが様々な問題を孕んでいるのは事実。その問題建設的に解決する方向に行くのではなく、問題で苦しんでいる人々を叩いて黙らせる方向に行くのは非常に浅ましいと思う。ちなWEBエンジニア

anond:20240718205235

ラダイト運動自体は「収入を奪っているという現実があり、機械の導入は国民生活の向上に寄与していなかった」「労働環境悪化などイギリス労働者利益を代弁する労働組合がないことからまれ反動」という背景を考えれば別に不当な運動ではないんだがな

もっと歴史を学ぼう

anond:20240718033640

選挙活動自体が全体的に車輪の再発明に見えて仕方ないんだけどIT業界で忌み嫌われていることこそ車輪の再発明なのでは

要はやってみたかったんだよ。

俺らマジ先進的で頭良くて技術力もあって最高だよな!って内輪で盛り上がれるし。

社会課題はまあオマケみたいなもんで、何となくスタートアップやるよりは本質的意味ある活動やれてる気がするし、利益出すためにやりたくないこともやる必要もないしでおあつらえ向きじゃん!ってなったんだろうなと思う。

とりあえずカンボジア小学校作る活動しておけばなんか良い事した気になれるみたいなくらいのもんだったんだろう。

関係者コンサル系の人が多いし、課題は外から与えられるもんでそれをゲーム的にスマートに解くのが至高って価値観なんだろうなと思う。

2024-07-18

anond:20240716233144

ちゃん民主主義原則に従い対応すればいいんじゃない

ジェンダーに関しては、

多数派は男女なんだがら、安全面が心配されるトイレ銭湯などは、多数派利益として、女性スペースを優先する

マイノリティは少数なんだけど、少数の尊重として、学業仕事などにおいて、性別格差がないようにする

移民問題などは、

多数派日本国籍なんだがら、日本価値観法律を優先して、法律違反価値観蔑視などがあればお帰りいただく

少数の尊重として、学校社会において人種差別がないように啓蒙していけばよい

anond:20240718221348

本当に国民多数派に甘い蜜吸わせられるならい政権じゃん

まあ本当の多数派政権に対して利益中立的立場から不安定政権になる見込みしかない政党に賭けられないって集団だと思うけど

anond:20240718155212

こういう視点短期利益しか視界にない経営者くらいなもんでしょ

労働者がちょい怠けるくらいが1番良く続くのよ

anond:20240717024350

ブクマが「身体を売れば魂が傷つく」とか言ってるけど、傷ついた身体価値が下がっても、傷ついた魂は売り物になるのが現代社会だぞ

そのステータスを得ることでしか開けない販路があるからこそ、世の中にはわざわざそういった人たちを集めてグループ化することで利益を得ようとする団体がいるんだぞ

苦しみは換金できるという事実から目を背ける人間がいればいるほど、そのビジネスブルーオーシャンのまま儲けも大きい

いくらなんでもナイーブがすぎるだろ

身体も魂も小綺麗なまま歳だけ食ったおじおばしかいないのかよここは

anond:20240718140138

うーん…増田に埋もれてくれることを願うが…

ある有名なゲーム音楽ファンオーケストラとして演奏するんだわ

非公式からあくまお金を取ることはできない 

かといってこのイベントをすることで、主催者の他の事業広告になるとかそういう利益が見込めるようにも思えないし

anond:20240718135922

イベント主催するやつもなんらかの利益があるからやってるかもしれないですよね

anond:20240718104743

ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売りに行くため、市場へ出かけた。

2人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が言う、

「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」。

なるほどと思い、父親は息子をロバに乗せる。

しばらく行くと別の人がこれを見て、

「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか

と言うので、なるほどと、今度は父親がロバにまたがり、息子が引いて歩いた。

また別の者が見て、

自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにロバに乗ればいいだろう」

と言った。それはそうだと、2人でロバに乗って行く。

するとまた、

「2人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ。もっと楽にしてやればどうか」

と言う者がいる。それではと、父親と息子は、こうすれば楽になるだろうと、ちょうど狩りの獲物を運ぶように、1本の棒にロバの両足をくくりつけて吊り上げ、2人で担いで歩く。

しかし、不自然姿勢を嫌がったロバが暴れだした。不運にもそこは橋の上であった。暴れたロバは川に落ちて流されてしまい、結局親子は、苦労しただけで一文の利益も得られなかった。

anond:20240718101024

ご指摘の政治コミュニティの成長の流れは、多くの場合において現実政治対立形成過程を反映していると言えますしかし、この流れは必ずしも固定的なものではなく、より建設的な方向に導くことが可能です。以下に、より健全政治コミュニティの成長のための代替的なアプローチ提案します:

1. 意見の相違:異なる意見視点存在することを認識し、それを多様性の一部として尊重する。

2. 意見の表明:建設的な対話を促進するため、相手攻撃せずに自分意見を丁寧に説明する。

3. 傾聴と理解相手意見真摯に聞き、その背景や理由理解しようと努める。

4. 共通点模索:異なる意見の中にも共通の関心事や目標がないか探る。

5. 協力的な解決策の提案対立ではなく、双方の利益考慮した解決策を模索する。

6. 多様な視点統合:異なる意見排除せず、より包括的政策方針形成を目指す。

7. 継続的対話改善:定期的に意見交換を行い、政策方針を柔軟に見直し改善する。

この代替的なアプローチは、政治コミュニティの成長において重要役割を果たす可能性があります。例えば、韓国非営利エージェンシー「NEWWAYS」は、多様な背景を持つ若い政治家を育成し、社会意思決定権者の多様性を高めることを目指しています[2]。このような取り組みは、異なる視点を持つ人々が建設的に対話し、協力する機会を増やすことにつながります

また、政治参加を促進するためのテクノロジー活用重要です。「issues」のようなWebサービスは、一般市民政策決定に影響を与える機会を提供し、政治家と有権者コミュニケーションを促進しています[3]。このようなプラットフォームは、異なる意見を持つ人々が建設的に対話し、共通解決策を見出すための場を提供する可能性があります

さらに、若者政治参加を促進することも、政治コミュニティ健全な成長に寄与します。学校生徒会活動地域活動政治的関心を高める学習リンクさせることで、若者政治への興味や参加を促すことができます[5]。

これらの取り組みを通じて、「相手の指摘を一切受け入れない」という態度から脱却し、多様な意見尊重しながら建設的な対話を行う政治文化を育成することが可能です。このような文化の醸成は、より包括的効果的な政策立案につながり、社会全体の利益資する可能性があります

Citations:

[1] https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g008680

[2] https://note.com/iroeum/n/nf1618e7eaeef

[3] https://drive.media/posts/24874

[4] https://matsumotomitsuhiro.com/?p=49911

[5] https://www.nira.or.jp/paper/my-vision/2016/post-48.html

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-17

金銭欲がないって言うわりにクラファンで金集めまくってる」って批判、言うほどおかしいか

中山功太西野のことを「金銭欲がないとか言ってる割にクラファンで金集めてるのおかしくない?」って刺して、それに対して西野とかホラレとかから「金の流れが分かってない」とか言われてるけどさ。

もろちん、西野が直接的に自分の私腹を肥やそうとクラファンしてるわけじゃなくて会社企画運営費を集めるためにやってるのは分かってるけど、そもそも自己資金で賄うとか銀行とか知人とかから金借りてやるとかが普通なんじゃないの?

いつから他人から金かき集めてなんかやる」ことが普通になっちゃったの?銀行金も知人の金もそりゃ厳密には「他人の金」だけど、「自分借金」じゃん。結局、クラファンに頼ってなんかやるのって最終的には自分の腹痛めないで、自分の金は減らさないでなんかやりたいっていう、金銭欲につながってんじゃないの?

もろちん、クラファンには自分資金力ではどうにもならない規模の企画事業の「足しに」するために行われていて、銀行からも借りる、親からも借りる、でも足りないからやるみたいなもんが多いってのは知ってるし、個人的にはそうであるべきだと思うんだよね。

西野みたいな十二分に金がある奴が趣味みたいな形でやるんだったら、自分の全部自分の金でやった上で、そこから出た利益自分にリターンすればよくない?と思ってしまう。

つーか、素直に金銭欲でやってて何が悪いねんでいいと思うんだけど。

自分会社運営費用を他人にせびるのが金銭欲じゃなきゃなんなの?としか思えないのっておかしい?

anond:20240717022606

囚人のジレンマ

協力すれば良いものを作れる。しかし他社より抜きん出て自社製品を選んで欲しい

よって協力(全員にとって理想の姿)よりも個の利益を優先してしま

2024-07-16

都知事選の後に思うこと

都知事選が終わり、蓮舫氏の敗因がどうの人間性がどうのと盛り上がっている。

私は憲法改正に反対で金権政治に憤る一般市民であるが、いわゆる左派への投票はためらう。

左派はそのほとんどが人権重視、性的マイノリティ権利拡充、移民参政権付与、みたいなことを掲げている。

それが嫌だ。と、言うより怖い。

私は女性として、男性器が付いたトランスジェンダー女性スペースに入るのは反対だ。

そもそも女性って身体女性だということじゃないのか。化粧してスカート履きたいというなら、そういう『お洒落男性』でよくないか

女装して言い張れば女性というのが通じるなら、変質者がそうしたって区別がつかない。

実際に捕まって「心は女性だ」という変質者のニュースも見る。

何故かそういう人は本人の意見とは関係なく、即座に『トランスを騙る変質者』に分類されるようだが。

私は既にあまり危険のない中年女性だが、これから若い女性の為に、手術要件撤廃には強く反対したい。

なのに、左派の人は女性議員でさえもトランス女性の味方で『気にするな』と、こちらの心が狭いように言う。

気にするよ。

ネットにはパス度が高いって自慢する人がいるけど、変な人間がいたら声をかけずにそっと逃げるのが腕力のない女性のやりかただということに気づいて欲しい。

移民問題も、正直怖い。

はっきりとイスラム教徒国内に入れるのは嫌だと言いたい。

聖典に『アッラーはもともと男と女との間に優劣をおつけになった』って書かれていて、それがシャリア法とかい法律にもなってるような人々と共存できる気がしない。

中東にいる過激派と違って普通イスラム教徒理性的だと言うが、教義でそう言われているのだ。

根底にはそういう思想があるということではないのか。

そもそもイスラム教徒の行動は宗教に基づいているので、日本人という異教徒に合わせる気もあまりないようだし。

気候風土の違いも考慮せずに日本でも土葬にしたいと訴えている。

日本人迎合したら神様が怒るのだろう。

今以上に人数が増えて、これだけ数がいるのだからイスラム教義尊重されるべきだ、となっていくのは嫌だ。

ちなみに、女性権利侵害されるくらいなら別にいかと寛容になっている男性諸氏には、『異教徒人間ではないので殺したり奴隷にしてもOK』だということもお伝えしたい。

教徒の時点で危険なのだ

なので、移民尊重しよう、参政権も与えようという人には投票したくない。不法な人には帰ってほしい。

被害妄想が過ぎると言われるかもしれないが、都会に住んでいるので普通痴漢やぶつかり男程度の被害経験はある。

人権尊重と謳うのであれば、身の安全性不安に思う普通日本人女性人権尊重して欲しいものだ。

そもそも政治って、そういうもんじゃないのか。

AとBの利害が対立する場合に、調整するのが役割というものだろう。

一方的に『我々が教育を施すから理解を示せ』というのは政治ではない。

レイシスト扱いというか、政治に興味のある変わった人扱いされるので、公の場では言わないが。

この公の場では言わないって結構重要だ。

スーパーで働いていた時に偉い人が言っていた。

「店に来てクレーム(正当な)を言ってくる人はいい。ほとんどは何も言わずに店に来なくなる」と。

人が居つかないブラック寄りの会社いたことがあるが、会社文句があると言って辞めていく人はいなかった。

親の体調が悪くて郷里に帰る人ばかりだった。

わざわざ事を荒立ててまでは、誰も言わない。

政治の話もそうなのだ。表立って政治の話をするのはイタいみたいな空気もあり、都知事選ほとんど話題にならなかった。

本来なら身近なところで意見を戦わせたほうがいいんだろうなと思いつつ黙っている。

こういう人は意外に多いのではないだろうか。

そう思って、私は自分サイレントマジョリティーのつもりでいるが、みんなが黙っているから、本当にマジョリティーかどうかさえわからない。

レイシスト扱いされるのが嫌だから人権を重視している人のふりをする。

でも、投票はしない。

こんなにも自民党の腐敗が嘆かれていても左派いかないのってそういうのもあるんじゃないの?

ああ、もうちょっと中間政党がないものだろうか。

ちなみに、私の勤務する会社ユリからおこぼれをもらう側だ。

自分利益を考えたら確実にそっちなのもまた悩ましい。

anond:20240716161326

官公労民間労組以前に全労連は主力が年金組合ってレベルだけど政策で擦り合わせられる事あるの

全労連はもはや現役世代利益より年金者の利益だよ

一票が軽いか選挙に行く

内田樹の「民主政の終わり」という記事があった。

http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html

記事全体の論旨についてはここでは問題としない。

ただこの中にあった、

投票する人たちは「自分たち利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。

という一節が気になった(もちろん内田氏は「自分に似た人」に投票する行動を批判している)(この論とは別に、「勝馬を当てる」みたいな投票行動も最近は多いようですね)。

自分個人としてはそもそも自分たち利益をもたらす人を選ぶ」意識がなく、「損得は別として(何なら自分にとっては損でも)、こうあってほしいなぁ、という理想に少しでも近そうなもの投票する」イメージでやってきた。ちなみに個人的には選挙権を得てからほとんど毎回投票している(特定支持政党はない)。

損得だけで言うなら、そもそも選挙なんか行かないでバイトでもしている方が個人レベルではよほど得だ。投票したところで「この」一票が世の中をガラリと変えるわけはなく、徐々に変わるにしてもはるか未来だろう。損得を享受する自分自身がもういないかもしれない。

SNS界隈でも「選挙に行こう」と促す(善良な)人々は多いし、そもそも政府自体投票率を上げようと一応は努力している。その文脈の中で、一人ひとりの意識の大切さ、投票重要性、「一票の重さ」みたいなことが言われることがあるが、本当のところ一票はそんなには重くない。

選挙制度の意義を否定する気はないし、一票がどうでもいいと言うつもりもないが、その重みは数十万分の一、数百万分の一といった程度、正直チリのようなもので、重い軽いかで言えば、ゼロではないが重いとまでは言えないと思う。

はっきり言って、権力にとっての選挙とは、「君たちの意見はもう聞きましたので、これ以上余計な政治行動はしないで下さいね」「政治参加は選挙にとどめてくださいね」というアリバイ工作的な面も大きいだろう。もしかすると選挙などボイコットする方がよほど政治的意義があるかもしれないし、実際にそういう運動存在する。

それでも自分個人は割と選挙には行っている。なぜ行くのかと言えば、むしろ一票が「軽い」からだと思っている。

どう考えてもわたしの持っているこの一票に大した重みはないからこそ、損得を抜きにして理想のために投じられる。

自分の損得なんて、誰でも毎日それを中心にあくせくしているのだから、このクソどうでもいい一枚の紙くらい、夢のために投じてもよいではないか七夕短冊のようなものだ。

今日自分よりは明日のため、もしかしてもう自分もいなくなった未来のために、この軽い一票くらい投げてやってもよいと思う。

内田氏の記事から話が始まったので、一応補足?しておくと、内田氏の言う「自分たち利益をもたらす」の「自分たち」とは共同体全体をイメージしているように思うし、大局として「個人としての損得を度外視して」みたいな考えもあるのかもしれない。そこはわからない。

それでも「自分たち」は引っかかる。自分自分の子もも全部いなくなっても世の中は(多分)あるし、そういう世界想像できないなら生きている甲斐がないというか、つまらないと思う。

自分自分関係ある人たちが全部いなくなった、決して見ることのない世界のために、この百年に満たないクソどうでもいい生を生きて年老い病気になって死ぬだけのアホみたいな存在が、紙きれ一枚程度の夢を投じられるなら、なんとなく生きていて楽しい気がしてくる。

蛇足になるが、自分個人としては選挙なんかやめてアミダクジで選んでもよいんじゃないかくらいの気持ちはある。ただ「アミダクジにしましょう」を公約に掲げる候補は出てきそうにないし、自分立候補する気もないので、七夕イベントエンジョイするに留めている。

anond:20240716042300

自称リベラル人達って何で実現可能から目を逸らすんだろうか

資本主義で世の中が回ってるんだから利益供与出来る側が強いなんて当たり前じゃない

いくら声高に理想論を語った所で利益を分配してくれない奴の話なんか真剣に聞くやつおらんよ

はてブ民は国を動かした責任くらい取ったら?

増やした保育所4割余る 政策硬直、需要とズレ

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE284GZ0Y4A520C2000000/

元々時間解決するのは見えてたから控えめにしてたのに

日本死ね」のせいで国が大々的に動くハメになった。

政策ってのは1020年見据えて動くのが重要なのに目先の利益しかみない愚民のせいで増やした保育職が失職しそうなんだが?

都内で暮らす高給取りのWワーカーこそが大事で、保育士なんて薄給底辺職だから失職しようが構わないってか。

本当最低だわはてブって。

相対主義社会構築主義というものが広まっているワケ

「何が真理であるかは人それぞれ」「何が真理であるかは社会が決める」といった思想

この思想体系は相対主義社会構築主義と呼ばれ、現代社会において特に顕著になっている。その主な理由は以下:

 

1. 情報化社会の進展:

さまざまな考え方や情報に容易にアクセスできる現代社会では、「絶対的な真理などない」という考えに陥りやすくなっている。多様な価値観文化に触れることで、真理の相対性を感じやすくなっている。

 

2. 思考停止の誘因:

「人それぞれ」という考え方は、一見柔軟で視野の広い思考のように見えるが、実際には真理を追求する意欲を失わせ、思考停止に陥らせる。これにより、深く考えることを放棄し、安易相対主義的な立場を取る傾向が強まっている。

 

3. 民主主義社会との親和性:

多数決を重視する民主主義社会では、個々の価値観や信念が尊重される。しかし、これが行き過ぎると、絶対的な正しさを追求する姿勢が弱まり相対主義的な考え方が広まりやすくなる。

 

4. 機械技術の発達:

近代機械的な思考様式は、物事単純化して捉える傾向がある。これにより、精神的・道徳的価値の相対化が進み、真理の絶対性を疑問視する風潮が強まっている。

 

5. 娯楽文化の浸透:

現代社会では娯楽が生活重要な一部となっている。これにより、単一の真理や価値観に縛られない多元的生き方が受け入れられやすくなっている。

 

6. 実存主義思考の影響:

ヤスパースなどの哲学者提唱した実存的真理の概念は、真理が個人存在と不可分であるという考えを広めた。これにより、「私の真理」という個人主義的な真理観が強まっている]。

 

この相対主義的な考え方が堕落に繋がる具体的な例としては、以下のようなものが挙げられる:

 

1. 思考停止責任回避:

「人それぞれだから」という考えが、深く考えることを放棄させ、適当判断や行動を正当化してしまう。例えば、重要社会問題に対して「考え方は人それぞれだから」と言って議論を避け、自分責任放棄してしまうケースがある。

 

2. 民主主義機能不全:

民主主義社会では、多様な意見をぶつけ合って議論することが重要しかし、「正しさは人それぞれ」という考えが強まると、建設的な議論が行われず、投票が単なる好き嫌いの表明になってしま可能性がある。

 

3. 道徳的相対主義:

文化善悪はない」という極端な文化相対主義は、人権侵害差別的慣習を正当化する口実になりかねない。例えば、精神障害者の権利制限されている社会で「それが文化から」と言って批判を避けることは、弱者立場無視することにつながる。

 

4. 学問科学進歩の停滞:

「真理は相対的」という考えが極端になると、客観的事実科学的知見の重要性が軽視され、学問科学の発展が妨げられる可能性がある。

 

5. 個人主義の行き過ぎ:

「私の真理」という考えが強まりすぎると、社会共通価値公共利益が軽視され、極端な個人主義につながる可能性がある。

2024-07-15

anond:20240715122602

相手に「私は敵ではありませんよ」ってアピールする笑い方が小池で、「私はお前を潰しますよ」ってアピールする笑い方が蓮舫ってコト?

ぶっちゃけ笑い方とか以前の話だと思うのよな

既得権益を持ち利益を分配出来る小池側に対抗するのって、持たざる側である蓮舫には相当難しいだろう

よっぽどの事をやらかさない限りは利益を分配できる側が支持されるのは当たり前

それを崩したいなら現在利益を得ている側も納得出来るような案を提示して理解されないとダメでしょ

小池エンド音頭かいう狂った案しか出せない側に支持は集まらんよ

夫の食事スタイルがどうこうの流れ見て感じたけど、増田言論なんて「被害者」というカードを奪い合うゲームになってるな

で、そのルールから外れた露悪的な正論を処理できなくて、結局相手を潰したい攻撃したいってのが滲み出ちゃってる感じ

なんか大衆なんてしょうもないし、相互利益関係でない相手には自分の快不快で互いに潰しあう脅威でしかないんだなと思う

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