はてなキーワード: 利益とは
と狙撃を歓迎する人々がいるんだが、日本人で相変わらずトランプ支持してる人たちってなぜ支持してんの?
トランプ政権でトクするのって、アメリカ国内では中間層から上の人たちだけ。国際的には、トランプ政権がもたらす混乱が利益になる反自由主義陣営のロシアとか北朝鮮だけ。
日本単体で見ても世界全体で見てもトランプ政権にはほぼほぼマイナスしかなくて、トランプなんか選ぶのやめてくれーやめてくれーと思ってる人のほうが圧倒的に多いんだけど、この状況で臆面なくトランプ支持できる人ってどんな鉄面皮なの?
クビをかけて取り組めっていうのもちょっと厳しい気はするけど、つまるところそういうことだね。
うちの研究室もぱっと見は何やってるかわからないし短期的な利益に結び付かないんだけど、アウトリーチをどうするかは結構真剣に悩みながらやっていて、
そんな中でどう見ても無駄金使ってそうな人たちが基礎研究は大事の一点張りで、他所の成果を持ち出して基礎は大事だ100年後はどうだと説明しているのを見るとちょっと腹立ったりはするよ。
根拠もなく100年後の話をして説得できると思ってる時点で世間と感覚がズレすぎで、そういう人が多いからどんどん市民感情と対立が深まっていってる気がする。
政治側の理屈を混ぜすぎたから今の惨状があるとは思っていて、経済至上主義でやるなら大学とか研究所で全部会社でもできる研究をやることになってだめだと思うんだけど、
それ相応の説明とかは常に必要だし、そういう説明をきちんと作れてないグループなんかは研究業界全体の足を引っ張っている自覚を持ってほしい。
説明が作りにくい分野はもちろんあるんだけどさ。なんかそういうところに限ってふんぞり返って100年後がどうとか言ってるんだよな
素行、自己利益、主義主張どれをとっても支持したくなる要素がないむしろ積極的に敵対してくるでも選挙には行かない
弱者男性族の多くは政治的にはノンポリ男性の枠内でリベラル的な奴は暇空界隈みたいに積極的に行動するようになるし選挙にも行く
日本共産党がCIAから資金援助でも受けてたりして、党勢を広げすぎないためにわざと敬遠されるように演出しているのではないかと疑ってしまう。わざわざ立憲に抱きついてリベラルの勢いを削ぐのもアメリカの利益と一致する。アメリカの言いなりの日本でレッドパージ時代も共産党が潰されなかったのもそれなら納得できる
アメリカの世界での行動を一言で要約するなら「貿易は水のように滞ることなく流れるべき」ということだ。
アメリカは世界貿易に重点を置いた国だ。彼らは金儲けをしたい。
貿易で儲けられる金が多ければ多いほど良い。貿易の障害が少なければ少ないほど良い。
アメリカの軍事力は全てが貿易の障害を取り除くための手段であり、主に海賊、軍閥など、貿易の主要航路を独占して通過に高い税金をかける(貿易を邪魔する)存在からルートを守るためにそれを使う。
世界中のどこにアメリカ軍の基地があるのか地図で見ればよくわかるが、すべて重要な航路上にある。
これは社会問題に関して左翼的な見解を持つという意味で一般的に使われる「リベラル」ではなく、簡単に言うなら自由貿易至上主義であり、アメリカの中枢にいるのは実はこいつらである。
彼らはロシア、中国、インド、その他の大国と教条的に対立するよりも、貿易する方がアメリカにとってはるかに利益になると主張している。
対立とそれに伴う締め出しは市場の喪失につながるからだ。これらの国の平均的な国民が高価なアメリカ製品(ハード、ソフトは問わない)を買えるほど裕福になり
アメリカがそこからより多くの金を儲けられることの方が、彼らが市場を失うことよりもアメリカにとって利益になる。
先日、イスラム過激派のISがロシアでテロを起こす前、アメリカが事前に警告していたことを覚えている人はいるだろうか?それもこの文脈の中にある。
彼らが本当に問題視しているのは、ロシア自体ではなく、ロシアが反米的であることだ。
アメリカの意図を「貿易は水のように滞ることなく流れるべき」という考え方に置くと、彼らの行動のすべてが理解できるようになる。
子曰く、「増田よ、倹約は重要な戦略だが、それが度を越すと心を蝕むことがある。孫子の兵法は節約の絶対化から得られる利益と損失のバランスを考慮し、適切な行動を取ることを教えている。孫子的に言えば、『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山』なり。節約もまた、風のごとく迅速に行動するべき場面と、山のごとく堅固に静観するべき場面がある。」
増田の姉が通信費を削減しつつもストレスを感じ、家族に迷惑をかける場面を目撃しているようだが、孫子の言葉から、合理的な節約と不合理な倹約の間には明確な線引きが必要だ。たしかに、格安キャリアを使うことは良いことだが、その結果として生活の質や家族関係に悪影響を及ぼすのであれば、それは節約の目的から外れてしまっていることを意味する。
また、趣味の範囲で多くの時間を費やし、それが生活に影響を与えるほどであるならば、それも見直すべきだろう。「用兵の道は先ず勝ちて而る後に戦闘し、敗軍のは負けて而る後に戦闘す」という孫子の言葉が示すように、勝利の確信がないままに無駄な戦いを挑むことは避けるべきだ。つまり、増田の姉は本質的な価値を見失い、無駄な労力を費やしているかもしれない。
最後に、老後の資金問題について心配するのは理解できる。だが、重要なのはバランスである。「知彼知己、百戦不殆」という名言もあるように、自分自身と状況を冷静に分析し、最適な節約戦略を見つけることが大切だ。増田も節約を考える際には、自身の生活の質と心の健康を常に第一に考えることを忘れずに。
普段はROM専で、SNSでリアルタイムに反応をもらうことに不慣れでつい舞い上がってしまい、更新ボタンを押す手が止まらなくなってしまった。
また、フェイクは入れまくっていたけれど、身バレするのがホッテントリに入って注目されるようになってから怖くなった。
自分の精神衛生の悪化を感じたので、勢いで消した。私にはSNS上でオープンな発信者になるのは早かったみたいだ。
だけど、どうしてもお礼を言いたくてのこのことまた出てきてしまった。
6月11日現在における今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は79件。
7月13日現在では総額305万3千円、件数は149件! 倍増! すごい!!
自分の投稿がどれだけ貢献したかはわからないけれど、寄付してくれた方々に対して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとう。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1
読んでみると、過去に授業料免除を受けていたという人が恩返しとして寄付しているのが結構多いのが分かる。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83?pg=400&page=1#project-tab03
あとは3つおまけ。
まず大学側の要因として挙げられるのが次の2つ。
私も今回調べるまで、自分の研究科以外の寄付基金の存在を知らなかった。修学支援基金も含めて。自分もお世話になってたのにね……。
OB・OG向けにたまに郵送するニュースレターという形でOB・OGへのアウトリーチする基盤はある。
現役の学生からお金を搾り取ろうとする前に、OB・OGへの寄付の働きかけを強化する手段はあるんじゃないのかな。
関連して第2に、学部・研究科ごとの独立性が高くて、「東京大学」としての寄付の呼びかけに失敗している。
夫は別の学部・研究科の出身なので、ニュースレターを私の出身のところと比較できるのだが、どちらも自分たちのところの研究のための基金の情報しか載っていない。
ふるさと納税における各自治体みたいに、寄付金を巡って本部と各研究科が競争しているような状態なのかもしれない。
あるいは、授業料免除のような学生全体に関わる経済的困難層向けの修学支援は東京大学の本部としての活動になる一方で、OB・OG向けのアラムナイ活動は学部・研究科の所管になっているように見えるから、そこで齟齬があるのかもしれない。
他方で、卒業生側に目を向けると、卒業生には寄付をするインセンティブがない。
寄付をすることに対して、アイデンティティ上の満足や実利など自分のためになる何かがなければならない。
多くの東大生OB・OGには、寄付に対するそうした対価は存在しないと思う。
アメリカの有名大学には寄付による入学枠がある。寄付することが、そのまま自分の子どもの利益に繋がる。
賛否はあると思うけど、その寄付金を使って貧乏人の子どもが入れるようになるならば、うまくできた制度設計だと思う。
でも、これは私立大学だからできることだろうし、東大でそんな制度が採用されるとはとても思えない。
※補足:ハーバード大学やスタンフォード大学などのアメリカの有名大学のほとんどは私立大学。
でも、はてなーは公共心が高くて、公共性への貢献からアイデンティティ上の満足を得られるであろうから、皆さんからの寄付には勝手に期待している。
②なぜ親と折り合いの悪い層にこだわるのか
これは、実際にそういう人を知っているから。金銭面で決定的に仲違いしたから。その人は大学からも去ってしまったから。
大学院に行きたいと言っていたけれど、結局コンサルに就職した。私が知っている中でもかなり天才と呼んでよいほどの頭の人だったのに、ものすごくおもしろい研究をしたはずだったのに、本当にもったいない。
セクシャルマイノリティーの立場から授業料値上げについて書いていた学生のnoteを読む限り、最近でもこの問題が解決してなさそうで非常に残念だ。
私の場合、分かりやすい経済的困難層だったことと、進学には反対したけどなぜか書類の準備には協力的だった親がいたことはすごく運がよかった。
親との折り合いが悪くて授業料免除制度からこぼれ落ちてしまうような学生をどう救うかの問題が解決しない限り、いくら支援制度の充実を掲げたとしても、学生の自助努力の水準を上げる授業料の値上げは行うべきではない。
③最後に。自分のこれまでを褒めてもらえたことはうれしかった。その一方で、危うさも感じた。
やっぱりみんな学力によるメリトクラシー(能力主義)にとらわれすぎだと思う。
特定の能力を持っている人はそれにふさわしい場所に行けるべきという考え、あるいはそれが実現された社会は、最終的にはその能力を持たない人を苦しめることにもなりうる。
学力という一つの能力のみによる純粋な選別装置として大学を機能させることと、社会全体の平等は別の話。
能力によって個人レベルでの格差を乗り越えることができたとしても、社会全体の格差は残り続ける。
世代間の社会的流動性が高ければそれはそれで問題ないのかもしれないけれど、それでもやっぱりいま・この世代において個人レベルで「負ける」人は発生する。
特定の能力による勝ち負けの発生自体をなくさないと東大ヘイトも負け組ヘイトもなくならないんじゃないか。
もちろん個々の能力ごとに勝ち負けが発生するのは避けられないけど、いろんな人のいろんな能力が尊厳をもって扱われて、トータルでみたら引き分けだとみんなが感じられるような社会になってほしいと心から思う。
だから繰り返しの主張になるけど、大学生への経済的支援だけではなく、若者向けの支援も、かつて若者だった人たち向けの支援もやるべきというのが私の立場。
「東大生は社会的に有用だから他を差し置いて特に支援されるべき」ではない。
個々人が寄付という形でその思いを表明するのは、個人の善の構想の中にある自由な選択。
でも、公的に税金を使ってやるべきような正義の話なのかは分からない。
それに、社会的に有用になることを東大生に押し付けることも適当ではないと思う。
社会貢献のためにみんな働いているのか? ジョブズは社会貢献のためにiPhoneを作ったのか?
そうではないだろう。
人々が自由にその能力を発揮して、自分の何らかの価値のために働いて、それが結果的に社会の役に立つ。それが一番健全。
最初から社会のためになんて言ってるやつはうさんくさい。個人の感想だけど。
この投稿以降は再び社会の片隅でひっそりこっそり生きる生活に戻ります。
誤字脱字は直すけど、それは何卒ご容赦を。
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html 民主政の終わり
これを見た感想なんだけど、
”投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。”
これがなんか、政治には正解があってそれに近い政策の人を選ぶことが正しい選挙って思っているように聞こえる。
だけど、「自分と同じ部族の属する人」はその部族の支持を集めることが近道なんだから、「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」になるんだと思う。
例えば女性の政治家なら女性のための政治を掲げるし、エンジニアならデジタル化を推進するし、若い候補者なら若者のための政治を掲げると思う。「私はあなたの困っていることをわかっています」っていうのはやはり投票したくなる魅力だと思う。
石丸氏も「今までの高齢者福祉や古い政治を新しい若者のための政治にしたい」と考える若者には「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」に見えているはず。
いろんな人にいろんな生活があって誰かにとっていい政策でも誰かにとって不利益な政策になってしまうから、自分と同じ部族に属する人は自分たちの利益を実現してくれる人になると思う。
そういう政策をとらないとその政治家は裏切り者として支持者から見限られるから。
だから自分たちと同じ部族の人に投票するってのは、幼稚なことじゃなくて自分たちの気持ちを代弁して自分たちの困っていることを解消してくれる人を選ぶ民主主義として真っ当なことなんじゃないかと思う。
"自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。"
っていうのもなんか浮世離れした、生活に困ってない人のいうことなんじゃないかなとおもう。20代の時はそう思っていたかもしれないけど40代になると生活って自分と家族の周りのことなんだなと世界が狭くなった。
自分の努力で何とかできるのってその範囲だもの。たまに国家天下のことを話してもやっぱり自分の身の回りのことを考えることに戻ってしまう。変わったのは自分と違う人たちもその人たちの生活があると実感したことだけ。
自分の手に余るもの手の届かないものをあきらめて自分の手に届くものに注力していると、若者には利己的で偏狭なつまらない大人に映るんじゃないかと思う。
目の前の大人たちに「自分たちの生活だけじゃなくて社会全体のことも考えよう」と思わなくなった。代わりに「あなたたちにはあなたたちの生活がある」と言えるようになった。
自分たちのことで精いっぱいの人たちが、自分たちと同じ属性の人を選挙で選んで、自分たちの気持ちを代弁してくれる政治を期待すること、そしていろんな人たちの相反する利益を調整できるのが民主主義なんじゃないかと思う。
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
今回の東京都知事選では、蓮舫候補者とその陣営の行動は、民主主義の根幹を揺るがすものだったと感じざるを得ません。事前運動を行い、戸別訪問を繰り返し、違法なビラを都内に大量に撒くなど、公職選挙法を無視した行為が目立ちました。
そもそも選挙というのは、有権者が自分たちの代表を選び、政治に対して責任を持つ貴重な機会です。しかし、蓮舫候補者とその陣営はその機会を私利私欲のために利用しようとしました。このような行動は、民主主義そのものを嘲弄し、有権者の信頼を大きく損なうものです。
蓮舫候補者が行った行為は、民主主義の本質を理解していないことの表れです。選挙は公平で透明な手続きによって行われるべきであり、違法行為によって結果を左右しようとすることは許されません。こうした行為が横行すると、選挙の意味が失われ、政治への信頼が低下します。
さらに、私たちの社会制度は「性善説」に基づいて設計されていますが、蓮舫候補者の行動はその隙間を「ハック」しようとするものです。彼らの行動は、制度の脆弱性を露呈させ、私たちがどれだけ容易に自己利益を追求できるかを示しました。これにより、民主主義の本質が問われる事態となっています。
このような行動を見過ごすことはできません。私たちは、選挙の重要性を再認識し、公正で透明な選挙が行われるように努める必要があります。民主主義は市民の成熟を前提とする政体です。市民一人一人が自らの責任を果たし、政治に対して真摯に向き合うことが求められます。
選挙の話に戻りますが、今回の都知事選における蓮舫候補者の行動は、民主主義の原則に反するものであり、深く憂慮すべき事態です。民主主義は、理性的な市民が多く存在することを前提としています。蓮舫候補者とその陣営の行動は、その前提を覆し、民主主義の未来に対して大きな挑戦を投げかけています。私たちは、この挑戦に対して断固として立ち向かい、民主主義の原則を守り抜く必要があります。
蓮舫さんは女性で外国人というハンディキャップを持ちつつ、統一教会の組織票が小池都知事に入ったり都民が目先の利益しか求めなかったせいで落選しただけで、彼女自身には何も落ち度はなかった。
破壊的イノベーションはまず起こらないものと仮定して、投資を控え、すでに利益の出ている事業にフォーカスし、コストをカットして、現在の利益を最大化して維持するのがコツです
とりあえず自分が退社するまで凌げればいいです
お前が言ってること、全て理解できる。
本を読んで、筋トレして、節約して、それでも就職に結びつかないなんて、誰でも悔しいと思うさ。
健常者なんて、結局は自分たちだけの楽園を作って、弱者のことなんて見向きもしない。
お前が感じてる憎しみも、無理はない。
こっちは必死に足掻いてるのに、あっちは何事もなくぬくぬくとやっていやがるのだから。
ましてや発達障害を持ってるとなると、更に難しいよな。
健常者どもは、それを理解しようともしないで、自分たちの尺度だけで全てを測る。
というか、彼らが正しい配慮をしていない証拠だよ。労働環境を改善するどころか、弱者を放置して利益を追求するばかりだ。
だから、なんでお前がこんなに追い詰められるか考えてみろよ。
日本や社会がこれほど非情じゃなければ、お前だってもっと違う人生を歩めていたはずだよ。
ほんとう、困ってる障害者を助けるのが最優先なはずだろ。
社会がちゃんとした支援をしないから、こんなに苦しむことになるんだ。
それができない社会は、自分たちの怠慢を弱者に押し付けてるってわけだ。