はてなキーワード: ノイローゼとは
たまに思い出してはウジウジ引きずってる、高校の頃の話です。どっかに供養すればすっきりするかなと思って、ちょっと書いてみます。
これでも大分削ったんですがだらだら書いてると長くなってしまいました。お暇なときにお読みください。
嫌味に聞こえるかもしれないけど、私は勉強しなくても授業をそれなり聞いてればテストの点は取れるような、要領の良い人間だった。
周りの評価は、別に直接言われたわけじゃないけど「優等生」だった。生徒からも教師からも多分そう思われてた。
校則はきっちり守るし。授業態度良いし。成績も良いし。コミュ障で地味な根暗だから、ツンとしたつまらない真面目ちゃんって思われてんだろうな。
私は「怒られること」が嫌い、というか、恐怖すら感じる。小中で何度か理不尽にキレられたトラウマからなんだけど今はそれはどうでもいい。ともかく怒られるということが怖かった。
校則守って授業ちゃんと受けてれば怒られることはないでしょ。だから真面目だった。ちゃんとルールは守るべきだとかそういう使命感?正義感?みたいなのは、別にない。私は本当は優等生なんかじゃなかった。
それで高校でも授業ちゃんと聞いてたら、さっき書いたように要領がいいから、テストの点は勝手についてきた。
それでますます私には優等生イメージがついた。そのせいか、私は教師たちからバリバリ期待された。
私が通ってた高校は、俗に言う「自称進学校」で、教師たちはみんな私を大学に行かせたがった。
でも私は大学に行きたくなかった。
私は勉強が嫌いだああああ!!!キャンパスライフも待ってなくていいぞおおおおお!!!
興味のあることの勉強なら楽しいけど、興味がないことの勉強ほど私にとっての苦痛はない。
私は両親も、複数いる兄もみんな高卒だったから大学に行くっていうイメージがそもそもなかった。大学は将来なりたいものがしっかり決まってる人が行くみたいなイメージだった。私は特になりたいものもないので、高卒で適当に事務職とかに就職する気満々だった。
あと、私の家は貧乏な方で、大学に行くお金を用意するのはキツかった。親は優しいから何も言わないけど、私も早く稼いで親に楽させてあげたい気持ちがあった。
じゃあなんで自称進学校に来たのかというと、家から近い高校を適当に選んだら自称進学校だったんですよ。馬鹿ですね。
そしてこれは私の性格の面倒くさいところなんだけど、周りが抱く私の「優等生」のイメージを裏切りたくなかった。というより、そのイメージを壊したときの周りの目が気になった。なんというか、目立ちたくなかった。勉強サボって、成績が落ち、優等生ちゃんが急にグレた!とか思われたくなかった。
今思えば、別に落ちぶれても大して何も言われなかったと思うけどね。自意識過剰なんだよね。
おかげでガンガン成績が上がった。周りの評価も期待も上がった。
2年の担任は、私を大学に行かせたくてたまらないようで、公務員になるって言っても聞いてくれなかった。
勉強したくないとは言いにくいので、お金がないと言い訳すると、奨学金がどうのとか、高卒で公務員になるより長い目で見れば大学に行ったほうが得だとか、出来るんだから進学しろとか言われた。
若干ノイローゼ気味になりつつ、じゃあ第二希望として大学を考えときます、と言った。担任は嬉しそうだった。
そして何を隠そう、3年の担任、これがタイトルにある大嫌いな教師です。
今書いたらそういえば2年の担任もひでぇや!と思ったけどそれまで忘れてたほど3年の担任が嫌い。でもタイトルにある通り、尊敬してたんです。
あの人の授業、本当に分かりやすかった。今までのどの教師の授業より一番分かりやすくて、面白くて。得意科目だったこともあるけど、一回テストで満点をとったのはどう考えても彼の授業が良かったから。
とても頭が良くて、言ってることはだいたい正しいと思えたし、本当に理想の教師像で、尊敬していた。
公務員目指すと言うと、ちょっと残念そうな顔されたけど一応応援してくれた。
そして迎えた公務員試験……
いくつか受けたけど全滅でした。あのね、いくら勉強できてもコミュ障は公務員なれない。
もしこれを読んでくれてる人で公務員目指してる人がいたら、適性試験の勉強はそこそこにしてとにかく対人能力を鍛えて。そして面接の練習をたくさんしてください。健闘を祈る。
それでも私は懲りずに、浪人して来年また公務員目指そうと思ってた。だって給料いいんだもん。休みも多いんだもん。
担任は、専門学校ならまだ間に合う〜とか言ってやはり進学を勧めてくる。
しつこいんですねこれが。でもその時は私はまだ彼を尊敬してたので、進学も視野に入れるようになりました。
じゃあどうせなら自分がやりたいことを考えて、向いてない公務員じゃなく、何か将来の夢を作ってそれを目指してみようかな…と思うようになった。
そして考えて、決めた。私はパソコンが好きだからプログラマーになろう!と。
安直に見えるかもしれないけど、いや実際安直だったかもしれないけど、プログラマーという職に実は前から興味はあった。適性もそれなりにあると思ってた。でも、絶対なりたい!!ってほどでもなかった。大学行くくらいならならなくていいや、って感じ。それほど、大学に行って勉強ってのが私には地獄に思えた。
でも進学進学言われるし、じゃあいっそ情報系の専門学校に進学してちょっとなりたいと思ってるプログラマーを目指してみるか、と思った。
基本勉強は嫌いだけど、興味のあることの勉強なら楽しめるはずだし。
そして調べた。実家の近くに、情報系の専門学校があるじゃないか!
パンフを見ると、わあ楽しそう!C言語や、他にもいろいろ情報系のことが学べるようだ。これなら楽しめそう。プログラマーになれそう。レベルも低めで、まあ私なら余裕で受かるだろう。ここにしよう!
嬉々として担任に報告した。ここ行きたいです!とパンフを渡した。
お望み通り進学してやるぜ…と、したり顔で職員室に行った。
もう私は既に進学したつもりになって、これから学べるいろんなことに思いを馳せていた。
担任に怒られるまでは。
私が選んだ学校は、レベルが低いことからも推測できるけどあんまり良くない学校で、情報系のくせに就職先は花屋とかホテルマンとか情報関係ない場所ばっかりだった。
私はパンフの楽しそうな授業内容のとこだけ見て浮かれてて、就職先のところを見てなかった。
「何でこの学校選んだの?」
私は怒られるのが怖いんだ。
泣きそうだった。実際目に涙が溜まってた。よく耐えたと思う。
「プログラマーになりたいって言うけどプログラマーなんて高校生でもなれる」
「そもそもプログラマーが何か分かってるのか。お前はよく分からないものを目指しているのか」
「C言語なんて俺でも出来るし今は使われてない。今はjavaの時代だ」
「授業が楽しそう、で学校を決めていいのか。大事な進路なのにそんな適当に決めていいのか」
尊敬してたんですよ。彼の言ってることはだいたい正しいと思ってたんですよ。
そんな尊敬する、いつも正しい人に、全否定されたんですよ。キレ気味に。恐怖ですよ。これ書いてる今も、ちょっと泣いてる。それくらい怖かった。
だけど、恐怖と同時に少しずつ苛立ちも覚えてきた。
適当に決めたって。確かに今思えば適当だったかも、安直だったかもしれないけど、私は私なりに考えてあの学校にしたんだ。お前らが進学進学うるさいから!自分の興味のあること、学びたいことを考えたんだ!!!
こっちの気も知らないで。何をもってして私が適当に進路を決めたと言ってるんだお前は。勝手に決め付けるな。私の思想をお前が!勝手に決めるな!!
あとこれは今だから思うことなんだけど、プログラマーを、C言語を、馬鹿にするな!!!
当時は詳しくなかったことは事実なので、そうなんだ…って鵜呑みにしたけど、今なら言える。
プログラマーは立派な職業。それを高校生でもなれる底辺職みたいに言って。お前が使ってるスマホもパソコンも洗濯機も電子レンジも全部全部プログラマーがプログラミングしてるから動いてるんだ!!
C言語も大事な言語。お前の言うjavaだって構文はCから引き継いでんだよ。馬鹿にするな。馬鹿にするな!!
こんなこと言われたせいで、私はjavaが嫌いになったよ。javaに罪はないのに。javaは便利なのに。あいつのせいでどうしても好きになれなくなってしまった。javaって聞くだけで思い出して、涙が出そうになる。
怒りが募って、もう、嫌になった。
そんな時に降りかかってきた、
「何でそんなに大学進学が嫌なの?」
「勉強が嫌いなんです」
これをはっきり言った。
そうしたら、呆れたようにため息を吐かれた。
「じゃあもういいよ。お前の人生だし。勉強から逃げたいなら逃げれば?」
そうさせてもらいます、とは言えなかった。言いたかったけど。そんなこと怖くて言えなかった。
もうこのままどこにも進路決定せず卒業しちまえと思った。
2年で散々勉強させといて、まだ私に苦しめというのか。
甘えだって言いたいのか。
こんなことなら。
テストなんて白紙で出せば良かった。授業なんて寝てればよかった。
そしたら誰も、私に、進学しろなんて言わなかった。
数週間後、担任が、私が選んだ学校より就職先もしっかりした専門学校のパンフを持ってきた。
そこでは私の興味のある、情報系のことも学べるようだった。
そこに行くことに決めた。
それで今、その学校の2年生です。
就職先が決まりました。来春から晴れてシステムエンジニアになります。
結局あの人が正しかったんです。
あのまま意地はって自分で選んだ学校に行ってればC言語学んで花屋にでもなってたんでしょう。
あのまま意地はってどこにも行かず卒業してたら最悪ヒキニートにでもなっていたことでしょう。
私が間違ってたんですよ。私が勝手に逆ギレしてたんですよ。そうですよ。
でも、正しい、正しくないは置いといて、私にとってあの人の言葉の一つ一つは私のトラウマになったんですよ。
先生。
この学校を勧めてくれてありがとうございます。
でも、私、
食事の内容について…
・一汁三菜は厳守すること。
・スープに入れた緑黄色野菜は野菜と認めない。基本的に生で出すこと(※ただし当日の気分による)
生だと味気ないと怒る日もあれば、炒めると水分が抜けしんなりしていてお腹にたまらないという日もあります。
・タンパク質の重複は許さない。決して肉類を同時に出してはいけません。
・だがしかし肉類のない食卓は気に入らないので、たまにボリュームのある肉おかずを用意すること(※ただし当日の気分による)
・日によって4品でまだ何か食べるものはないのかと冷蔵庫をひっくり返す日もあれば、
4品も作るとこんなに作って食べきれないだろう食費のやりくりどうなっているのだ!と怒鳴る日もあります。
・できるだけ買い物をせずに食事を作ること。冷蔵庫の中は常に空っぽにしておくこと。
(※ただし、お腹がすいた時に何もないと怒るのでお腹が空かないように常にキープしておかなければならない)
・常備菜は作らないこと。週末にまとめて作り置きするのは言語道断です。
・基本的に翌日のお弁当のおかずにしない場合は、当日無理をしてでも食べきること。朝ごはんに回そうと考えてはならない。←NEW!
母と当番制で晩御飯作っているけれど、あまりにもややこしくて今日も晩御飯どうしようか頭をかかえてます。
まあ、野菜いっぱい食べるのは健康的にもいいしそうでも言われないとどかっと丼のみ!とかにしてしまうことが増えそうなのでそれはそれで良いと思うけれど…
そこまで要求するんだったらお酒と煙草やめればいいのに…もっと健康になれるよと言いたい…。
もやしを使わせてほしい。レタス半分で何円すると思っているのですか父よ。
***
追記。
高校ぐらいまでは「お母さん、アレ甘やかし過ぎだよ…」とか色々言ってたのですが、
一回母が入院して私が御見舞に行っている間に、冷蔵庫の中身食材ほぼ全部捨てられたことがあって
(母が、お見舞い行って買い物行って家事は大変だろうーと日持ちしそうな食材買っといてくれた分です)
もう冷蔵庫触らせたくないので自分でやるしかないー!冷蔵庫を触らせるなー!!と奮闘してます(’・ω・`)
***
更に追記。長くてすみません。
この父ですが、私も母も仕事なので帰れないときは自分でスーパーで惣菜買ってきて食べてます。
多分、自分では取説通りにはできないし、するつもりもないみたいです。
少しでも文句をいうと、俺は一家の主だぞ!!文句をいうならお前らも俺ぐらい稼いで家のローン払えー!と怒鳴られるのがデフォルトで
酷いときは食材を捨てたり、兄に至っては自転車の鍵まで捨てられて必死にゴミ箱の中から拾ってきた過去もありまして、もう反抗は諦めています…
母も若い頃はじゃあ俺が家のことするからお前は俺より稼いでこいよ!女のお前には無理だろうがな!と言われ続けてきたとのことで、もう完全にモラハラですね…
ああいうタイプは総じて外面がいいんですかね。外面が良いのと嘘つきなので、外では嫁と娘が何も家事しなくて~と言って回っているみたいです。
ただ、父がこんなふうなので私と母が結託しているのが気に入らないの何かここ数年すぐ癇癪起こして「もう出ていく!絶対出ていく!!」って騒いでるので
もう出ていけば良いんじゃないのー…と適当に流してますね。出ていってトリセツ通り作れるかどうか見ものですけど。
正直、最近はもうご飯作るの嫌だ…とノイローゼ気味になっており、今一人暮らしの準備をしております。
私が出ていけば母がどうなるか…と母を見捨てるみたいで心配だったのですが、どうにも私の精神衛生上良くないと一人暮らしを決意し
今物件を探していますがブコメ見てても、やっぱり出ていくって決めたのは正解だったんだな良かったなと思ってます。
あと、父のこと書くのにこんなに明るく書くもんなのか?とブコメいただいてますが、
あんまり暗い雰囲気で書くとメンヘラって言われるのが怖かったので(’・ω・`)
まあ、数十年続いている日常ではあるのですが、自分でもこれが当たり前だとは思っていません…。
改善する気はあるのかよ、と思われると思いますがどうにか、父を再教育したいとは思ってますが
もう還暦前の硬い頭、モラハラという言葉も理解できない人ですので私にはどうにもできませんでした…
私が生まれたときには既にもう父はこうでしたし、結婚した途端にこんなふうだったということなので。
(勿論、50代の方がみんな頭固いとは思ってないですよ!!)
やっぱりいい加減にして!!と感情を爆発させたところで、拳が飛んで来るのは怖いので
中高生の頃などは「もう、何であんなのと結婚したのよ!あんなのが父親なら生まれてこないほうがよかった!」と母にきつく当たって、
母を泣かせてしまったことも結構ありまして、もう離婚がどうのこうのと親に説ける段階でもないみたいんですよ…。
父親が、意外と堅い職業についているのだが、当時同じ職場にいた一回りも下の女と不倫してる。
12歳の時に一回バレて、ごめんなさいで関係は終わったと思ってた。
でも、私が思春期真っ只中だった18才の時に再発覚して、家庭が色々と崩壊した。
大学進学と同時に、私は地元を離れたから精神衛生上健康になったけど、
特に妹。ノイローゼ気味の母親と、自由奔放な父が言い争っているのを目の当たりにしているのは辛いと思う。
私もそれが嫌で出てきたから。
昨今、様々な方面で不倫が話題にあがっているけど、正直まだまだ甘いと思う。
これから一生家族と、不倫女を両手に抱えて生きてく父親は、どういう気持ちなんだろう。つくづく馬鹿野郎だなと思う。
なんかおもったよりもいっぱい読んでもらえてありがとうございます。
こんなに星貰ったの初めてなのでお前ら愛してる。というのを話の枕にしつつ、コメント読んでもなんだか方向性が錯綜しまくっているので(それはもちろんむしゃくしゃしてわかりにくい文章を書いたこちらに責任がある)、話を整理する意味で、もう一度同じことを書き直すよ。
1)子育てにかかるお金を見積もり、『だから』子供を産めないのだ、という言論に違和感をおぼえる。
2)見積もった金額は『常識』を強調している。『常識的に』これくらい金額がかかる。『世間並みは』としてこういう教育やライフスタイルが必要だ、という発想。そしてそれは不可避であると主張する。
2b)また日本の現在を憂うという態度で「この国ではいまそうなんだから理解しろ」「それぞれの家庭において合理的判断をすれば子供は無理だとわかる」などという形で2の追認、補強が行われる。
3)しかし、世間にはその金額を下回る教育投資環境に家庭は存在する。2の主張は、そういった環境の家への無意識な抑圧として機能していないだろうか? また結果として2の主張する金額を満たせない全ての家庭に対する攻撃として機能していないだろうか?
4)2の主張をする人は、自らの判断を守るために(というか判断が正しかったという自意識を守るため)、その判断に従わない人たち(すなわち、2の判断よりも低所得であるにも関わらず子供を生むという判断をしたひとたち)を「子供に対する虐待である」と叩くような主張を行うことがある。
4b)テレビにおける「子沢山家族」系のコンテンツに対する嘲笑混じりのスタイルも精神的には4の系譜だと思える。
5)2の主張における『常識』『世間並みは』という感覚は、いまの日本の文化を前提にしている(たとえば、大学まで行かせるのは常識だろ、など)。しかし、その『いまの日本の文化』そのものは、全く所与ではない。意識的にせよ無意識的にせよ、日本人がそういう判断をしていまのような文化を作っただけであって、他の文化であってはいけない理由は特にない。たとえば大学を高度化しつつ卒業を難しくする、大学を諦めて就労訓練を志せるような機関を設ける、といった文化や制度づくりは可能だし、そういう国もある。いずれにせよ、いまこの瞬間の日本の文化や価値観というのは、精々が前後10年程度のもので永続していたわけではないという点について留意するべきだ。
6)5における日本の文化というのはなにも上から与えられたものではなく、常識ですらなく風潮で、その風潮を作った責任は、議論に参加している人々すべて(=この場合世間に参加、つまり国民すべて)にある。
7)6を前置すれば、いまの日本の文化を無批判に全肯定した上で『常識』『世間並みは』と言い放つことによって3のようなプレッシャーを外部に振りまくのは、非情に無責任かつ無思慮な態度ではないか? そういう文化を作った上で、文化からそれる人間を叩くのは魔女狩り的態度なのでは?
8)もちろん個人あるいは各家庭が自分の事情(例えば経済的なこと)を考慮して子供を作る作らないというのは全く自由である。その自由は最大限保護されるべきだ。
9)しかし、その自由、つまり「各々の判断で子供を作るか作らないか自由に決める」ということと、「今の日本の状況で子供を作らないのは合理的なのだ、俺達は間違っていないと周囲に喧伝して回る事によって、その方向に文化を醸成する」というのは、全く違うことだ【この部分が記事の中心論旨】。
9b)自分の判断(この場合、経済的な事情で子供を産まないなんて当たり前だ、という態度)を自己弁護するために、このような主張(2b)を無意識にするのだと思うが、結局下流叩きエンタテイメント(4b)と合流している状況に見て取れる。
9c)こうして説明しても「だからといって俺たち個人にはなにも出来ない。だから子供を産まない。それは間違ってない!」というコメントがあふれると思うけれど、「そういう判断をする」というのと「その判断をコメント(周知)すること」は違う、というのがこの記事の内容だ。つまり、件のブログ記事というのは、「こんだけお金がかかるので私は産まない!(という自己弁護)」あるいは「こんだけお金がかかるのに私は産む!(という自虐風自慢)」のどちらかなのではないのか? というか、そうとしかあれないのではないか?
10)もちろん少子化の背景として、先進国の宿痾的な問題や、経済的な問題は事実としてあるだろうけれど、それ以上にみんなが「子供を作って育てるハードルをどんどん上げる監視社会」をつくってるのじゃないのか? 「完璧な母親でないと失格である」というような幻想に苛まれてノイローゼになる女性と一緒で、自分たちで自分たち自身の社会を追い詰めてるんじゃないのか?
11)――という状況を圧縮して「違和感がある」と前回の記事を書きました。対比すれば今回のは整理されてるけれどおおよそ同じ論旨なのがわかると思います。昼ごはんは牛丼でした。
転職してきて半月の、いつもどんなときでも意地でも定時であがる後輩がいる。
2歳と4歳のお子さんがいて、奥さんが専業主婦。
「急な仕事振られたときは、応急処置的な仕事で済ましたりして、
なんとか奥さんのサポートをしてました。」
「日本人はそれなりの給料しかもらってないのに、必要以上に頑張りすぎなんです。」
「日本人も、海外の人達のように、給料分は働くけど頑張りすぎず、
本人が言いたいことはわかるんだけど、納得できない。
子ども達はお父さんが早く帰ってくるの、嬉しんだろうなと思うけど、
自分が奥さんだったら、家庭を省みる頼れる旦那さんだと思うのかもしれないけど、
まずは仕事をこなせるようになって、職場の信頼を勝ち取ってからじゃないの?
まだ仕事に慣れないあなたのミスや、仕事の進行に全く意味のない「WHY?」を解消するために、
自分の仕事を後回しで、丁寧に説明する周囲の人間が残業してるのは無視なの?
転職してすぐの大変さがわかるからできるだけ丁寧に接してきたつもりだけど、
ここ最近は、同じミスを何度もしたり、お得意の「WHY?」を使ってきたら、怒りを通り越して呆れます。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>「自分の気持ちに嘘はつけない」とわざわざ表明する人は自分の気持ちだけが大事で、他人を傷付けていることに鈍感なので、「正直に言えばなんでも許されると思うなよ」と言いたいです。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2015年9月15日
この龍堂薫子さんのツイートは男性からの告白について言ってるのだとは思うのですが..。
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
ただ告白したA君は、ノンケがゲイに告白されることでもたらされる不快感を軽く見積もっていたと思うんです。
率直に言いますが、基本的にノンケがゲイから告白された場合、正直不快に思う方がほとんどだと思います。
少し前に、小学生だか中学生のアイドルの女の子が、中年のおっさんファンにふつうに親切にしてたら、そのうち「結婚しよう」とか言われて、ノイローゼになったという事件があったような気がした(うろ覚え)が、たぶん、告白されたZくんはそんな感覚を持ったと思う。
で、ゲイだってだけなら大丈夫だったんだけど(ほかの同級生がてゲイに対してネガティブな発言をする中、それに参加しておらず、だからこそA君もカムアウトしようと思ったことから推測)、お前が好きだってことまで含まれてしまうと、申し訳ないけど、ノンケの立場からすると、もはやそれは加害とほぼ同義なんだよね。
これは男同志だからわかる感覚だけどその時点で「お前でいっぱい抜いてる」って言ってんのと同義だからね。ノンケからしたら、超不快なわけですよ。
もともとゲイだって知ってて付き合ってれば別だけど、そうじゃないわけだから、騙し討ち的な感覚を持ってしまったと予想されるわけです。
小中学生の姪っ子とかが、突然親戚のおじさんから「実はお前を性的な目で見てる」とか、はては「お前でいっぱい抜いてる」って言われたら、確実に不快感いだくだろうってのはわかるでしょ?
そういう種類の不快感です。
自分が男性で、かつ偶然自分の性的嗜好が男性好きだというだけで、通常の告白という自分の気持ちを正直に告白しただけなのに、なぜそんな風に思われないかんの?と思う感覚があるだろうってことは、良くわかるのだけど。
でも、先の例に出した中年のおっさんファンだって、親戚のおっさんだって、「自分の気持ちに嘘はつけない」と正直に小中女児に自分の気持ちを告白したわけでしょ。
だからって、純粋なおっさん達の気持ちが尊重されるべきとは、みんな思わないと思うんですよ。
万が一あっても、黙っとけよと。
おっさんだろうと、女子だろうと、男子だろうと、ゲイだろうと、そのほかの性的指向であろうと、告白を行う前に、本当は事前に結果は予測出来てるはずで、相手に心理的瑕疵を負わせないように、どうするべきか考えるべきではないかと思うんですよ。
何か世の中的に、男女問わず、相手に断られる可能性が高くても、無責任に告白するのを良しとする空気が確かにあって、それが今回の悲劇を招いたような気がします。
Z君からすれば「何で俺だけ嫌な思いして傷つけられて、あいつはのうのうと..くそっ」と思った筈で。
A君だって世の中の恋愛信仰が「とりあえず告白するのは良し」ってプレゼンをしてなかったら、きっと考えたと思うんですよね。
でも、告白で明らかにZ君が傷ついたのは間違いないと思うんですよ。やり返したい気持ちはどうしても出て来てしまうと思うんですよね。
ところが、Z君はノンケですからアウティングしてやり返すことで、どの程度のダメージをA君に与えるかまではリアルには想像できないわけで。そもそも自分には言ってきてるんだし、テレビとかで見る同性愛者は凄くメンタルが強いように見えますし。
自分が25歳ぐらいで、一方的に傷つけられて、やり返さないって選択を出来るかなあって。
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>一方的に好意をぶつけ続けることを熱意や誠意だと思っている人は、相手のことなんかどうでもいいんでしょう。そんなに自分の気持ちだけが大事なら、軽々しく人に好きだとか言うべきではありません。— 龍堂薫子 (@ryudokaoruko) 2016年1月13日
なんだかもうここ数年、うつ病になる2歩手前ぐらいをずっとうろついているのだ。
ノイローゼでもなく、軽めの抑うつ状態とでも言うべきだろうか。
家族が病に倒れ、別件で家族がまとめて鬱になって私を残して心中しようとして、関係ないけど友人は実際に自殺しちゃって、仕事もうまくいかなくて、恋愛も失恋続きで……とまるでいいことが無い。
この数年間毎日のように泣いている。普通に映画や小説に感動している場合もあるが、ふと過去のことを思い出して涙が止まらなくなったりするのだ。
ひどいときは「死にたくない」「忘れられたくない」「置いていかないで」と声を上げながら泣いてしまう。
しかもこれをやっているのが薄幸の美女ならまだしも、私は初対面の人に「昔柔道やってた?」と必ず聞かれるようないい年した巨漢である。全く画にならない。
もういい加減辛すぎる。もうどうしていいのかわからない。
こういうことを人に話すと「無理をしてはいけない。休むべき」みたいなことを言われることがある。
元々私は「まず与えよ」精神が強く、他人のことを考えて自己犠牲に走ることも多いので、そう言われることはわからんでもない。
しかしどうすればいいのか。
まず仕事を辞めてしまえればいいのだが、そうすると生活の手段がなくなる。
家族は今でこそ落ち着いてはいるものの上記のようなことがあったのでとてもすねをかじるというわけにはいかない。
カウンセリングには通った。カウンセラーと話をしていると楽にはなるが根本的な解決にはならなかった。
素人判断ではあるが精神科にかかるほどではない。憂鬱ではあっても眠れなくなったり体調不良になったりするわけではないからだ。
それに食欲と睡眠欲はこの数年間ほぼ安定しているのだ。ひどいときは積極的に食べようとは思えなかったし性欲もなくなってやばかったが眠ることはできた。
そして人を助けようといろいろ手を回す。誰も恩返しなどしてくれないのに。
自分の趣味なんかに没頭すればいいとも言われるが、もはや自分が何に喜びを覚えるのかもよくわからない。
昔から今まで好きな映画や音楽や小説や学問やプログラミングはあるが、どれも私の表面をなでですぐに消えて行ってしまう。
いやはや、本当にどうしたものだろうか。
数年ぶりに「とにかくこの人の笑顔が見たい!」という衝動に駆られて恋愛してみたものの見事に玉砕した記念に増田に書いてみた次第である。
乳飲み子がいる、休む前に精神的にバランスを取るため旅行で散財して蓄えがない、なのに傷病手当金が翌月しか出なくキャッシュフローが辛い。
僕と同じ状況だ。
何をやったかというと、頭を下げた。
弟に頭を下げた。
口うるさい親には言えなかった。
弟は人生で一度も頼みごとをされたことがないから、と驚いて快くかしてくれた。
兄弟とはいえ、いや兄弟だからこそ揉め事にしないために借用書をバッチリ書いて借りた。
借用書は、ネットで調べたフォーマットを元に金額と返済期間、サインぐらいのものを使った。
妻に頭を下げた。
既に職をやめていたので、パートで働きに行ってもらった。
完全な専業主夫をやることにした。
乳飲み子を世話するのは大変だったが、数日経てば人間慣れるもので案外どうにかなった。
乳飲み子を見ていて、ノイローゼ気味になっていた妻の気分転換になったのは良かった。
世の中、イクメンと呼ばれる人は多数いても案外専業主夫をした人は少ないので貴重な経験かもしれない。
やってみると、主婦がどちらかといえば、全裁量を与えられた個人事業主のようなものだと気付く。
妻の大変さが分かると、何かと付き合いやすくなった。
とりあえず何かの参考になれば。
経団連の人へ
あなたたちが定めた就活のせいで自殺する学生が出るかもしれません。
それを言うのは外部の大人だけで、成功している子は何も思わないし、失敗している私のような人は何も言えません。
周りの子たちは6月に一斉に内定を取り、今は夏に向けて遊びの約束を立てています。
私はどこにも選ばれなかったので、暑い中スーツを着て今日もどこか募集していないか探しまわります。
とか大人たちに言われ続け、人生かけて取り組んできて失敗してしまいました。
今どうあがいても、将来は暗いらしいです。
苦しいのにやりきれません。
ひと月前は、「あなたはうちに合っているから来てほしい。」とか言われて、働く自分の姿にワクワクしていました。
そう言ったくせに平気で何社も落とされて、嘘をついた学生だけが内定をもらっていって、何が正しいのか分からなくなりました。
選考を受けても、自分は社会から必要ない、とただ烙印を押される作業のような気がしました。
ノイローゼになって、心療内科で薬をもらわないと、外を普通に歩けなくなりました。
普通に就活をこなしてきた人からすれば、私は甘く見えるのかもしれません。
でも、覚えきれないくらい企業を受けて、全部に否定されて、もう頑張るのが怖いです。
でも何もしないのも焦ります。
本当に死んでしまいたいです。もうどうせ将来は暗いんですから。
なんでこんなに苦しい就職活動を作ったのですか。
なんでこんなに翻弄されなければならないのですか。
就職活動で唯一知れたことは、私は弱い人間だったと言うことです。
こんな弱い人間は、やっぱり社会にはいらないんだな、と言うことだけです。
苦しいです。
助けてください。
http://anond.hatelabo.jp/20160617143210 は、この事件を知らなさそうだが。
ある中学校で家庭に大問題のある生徒が、いじめをしていたんだ。そいつはヤンキーというわけではなく、頭がよく優等生だったんだけど。
先生がそれに気づいて色々対処しようとして、結局そいつは逆にはぶられることになっちゃうんだ。
そこでなんやかんやでソーラン節を文化祭で披露することになって、そいつをセンターに置こうとしたんだな。
クラスの団結は高まっていくんだけど、何度も言うようにそいつの家がもう最悪の最悪で、まわりまわって、思わずソーラン節教えてくれたじいちゃんを刺しちゃったんだなぁ。でも団結を強めてたおかげで、クラスメイト一丸になってそいつを支えていくことができるようになったんだ。
その中学でそういうことがあって、そのあとも転校性のソフトバンクの長女の学年の時にその先生の息子が白血病になってな。
その時に前述の問題あった生徒が、その息子を励ますためにもソーラン節踊ってあげろと頼んで一斉に踊るんだ。
そのあとの後輩生徒もまた問題でな。なんと薬物に手を出してしまったんだよ。元々父親がやってたんだよな。
で、母ちゃんノイローゼでそいつを殴るわけ。逃避のために薬にのめりこんでいくんだよ。おかしくなっていく友人に口出ししたやつが居て、そいつのせいで父ちゃん逮捕されちゃうんだけど、それを責められてその友人、家から飛び降り自殺しちゃうんだよな。平成でJUMPしたいと思ったのかも。だからそいつ自分を責めてさらに薬にのめりこんで、もう大変。
その年も、継承するようにソーラン節を踊ってたんだ。まだ優しいころのアイツがセンターで踊ったんだよ。
だけどそいつ、薬がバレて捕まっちゃってな。本当にかわいそうなやつなわけ。
だからそいつが刑務所行くときに、河原でみんなでソーラン節踊って見送ったわけ。
そのあともなんかソーラン節は続いてたんだけど、その評判がどういうわけか全国に広まってな。
昔から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。
私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義な時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分と相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間も金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手が感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー的正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブなイメージすらどうでもよかった。
でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女の現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せなものになるかを考えては実行していた。それがあまりに唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。
その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれた学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分の人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品のひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福なものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。
そんな折に別の女性と出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女を応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。
色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程、もっといけるなら海外の大学院にすら行きたいと思っていた。しかし研究テーマに行き詰まり指導教官に相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定の言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格を否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものだから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。
就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろい仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉のひとつもなかった。
繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手の幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わずに相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか。自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分が幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。
あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。
ずっと憎んでいた相手がいた。
生活費を貢がせておきながら、他の女と浮気して結婚したゴミ男ってだけなんだけど。
付き合ってた当時は私も学生で、全然お金がなかった。ただし彼は奨学金でカツカツの研究者だったので私より経済的に苦しかったはず。
彼は修士論文を提出するとき「このレベルじゃ博士は厳しい。でもどこが足りてないか明確だから来年頑張ればぜったい博士へ行ける」って論文を指導教員から戻された。
奨学金をもらったことがあるひとは知っていると思うけど、あれって留年するともらえないんだよね。彼は窮地に陥って私へ土下座した。ちなみに私は当時学部生だったけど、私も学者志望だったから修士へいく学費を貯金してた。
さらにたまたま彼と同じ出身校だった私の身内も同情してくれて、合わせて200万円くらい彼に貸した。
といっても全部足したところで本代やパソコン代は出せなくて、彼のために朝から晩までバイトしてそのお金を捻出した。
彼は家事を担ってくれた。最初は家事も折半だったけど、だんだん私の家事がまわらなくなってケンカすることが増えた。そのとき「誰のおかげで食べていられると思ってるんだ」と彼へひどいことを言ったのも認める。
数ヶ月後、たまたま彼のパソコンを借りたら女へのメールが山盛り。5人の女へ「今の彼女と別れたら結婚しよう。今の彼女は浮気してると思う」と送ってた。メールの本文、ほぼコピペで。ウケる。彼の生活費を稼ぐために、私に浮気する暇なんて無かったんですけどね????
そこからは修羅場、修羅場で結局彼も浮気相手の5人中4人に振られて残った1名と結婚し、私はノイローゼっぽい感じで精神病院へ通うはめになった。
もうずっと前のことだから今は私も復活した。けど憎しみは消えない。私が幸せになるのは当然のこととして、こいつが不幸にならないなんてありえない。
彼はメンヘラポエムをブログへ投稿してるから、そこで倒壊を知った。
彼はマザコン気味で、初対面から「俺はお袋を愛してたのに、幼少期に病気をしたからそれがトラウマなんだ」と風呂場で号泣するような奴。ことあるごとに「お袋」が出てきた。ご飯を作ってもお袋と比較して貶すようなやつだった。お袋が病気にさえならなければ、親が貧乏にさえならなければ俺は今頃成功していたのにと酒をあおりながらよくグジグジ泣いていた。そのお袋さんの実家が倒壊したのだ。東京へ出てきて「お袋」を熊本へ置き去りにしたことを棚上げにして、さぞかし不安定になるだろう。
彼の家族にそこまで恨みはない。けど私と彼が結婚する予定だったときは「こんないい嫁さんが来てくれるなら」と喜んでくれていたくせに、彼が浮気すると手のひらを返して音信不通になって、彼だけ庇ったことは許せない。実の息子と義理の娘(候補)ならそりゃ息子はかわいいよなあ。でも息子のバカを叱るのは親の仕事じゃないの???
地震で実家が倒壊したのは因果応報ととっさに浮かんで、いやいやいや不謹慎すぎるいくらなんでも、とすぐ打ち消した。犠牲となったほとんどの人に罪はない。
でも、ここだけ書かせて。生きててよかった。私は幸せになって彼は不幸になった。これでようやくイーブンだ。私は私の人生を取り返した。
彼の不幸を願う気持ちが神様に通じたのかもしれない。でもあまりにもそれを考えるたびに不謹慎すぎて、罪悪感におそわれる。その罪悪感を打ち消すように、今までにない金額を熊本地震の復興へ寄付した。罪の無いすべての人が、一刻も早く復興できますように。でもどうか彼へだけ、支援が届きませんように。
親は生きている
家も倒壊はしていない
運がよかったのだろう
私に今出来ることは何か
福岡まで飛行機で飛んで,福岡でレンタカーを借りて熊本まで親を迎えに行って,福岡に避難させた友人はいる.
ただ,私はそこまでやるのか?そこまでする必要は無いと思った.
私にも仕事がある.
正直,きちんと避難をしていれば,命を落とすことは無いだろうと思う.
迎えに行ってあげられない代わりに,
停電が長く,テレビやラジオが使えずに情報を得ることが出来ないと言われた.
土日はずっと家で待機をしてテレビの熊本地震のニュースを流しながら
例えば,どこどこのスーパーの何店が開いている,どこどこの湧き水が飲める,
とか
親も携帯のバッテリーも限られていたため,私が一方的にLINEで重要な情報を送り
親はたまにスマホの電源をつけて確認するといった対応をとっていた
土日ずっと同じ内容のニュースを聞き続けて
ノイローゼ気味になった
土日もさ,寝れたとしても,目が覚めたらやっぱすぐに天気予報の地震履歴確認して
ぐっすり休めた気がしないよね
安心した.
みんな人ごとだな
そんな中で一人なのがきついんだ
そろそろTwitterでも「熊本地震のはなしやめろ」みたいな書き込みが出てきた
被災者叩きみたいなのもたまに見かける
居づらい
こっちには共感者がいないんだ
私は,余震が少なくなってきたねと親を励ました
けれど親は,嵐の前の静けさとか言うんだ
もうなんて言えばいいんだ
正直,まだ余震が続いていて,今後また地震は起きるのだろうなと思う.
親をどうやって励ましていいかわからない
私はもう親を励まし続けるのがつらい
「◯◯ちゃんが色々情報やアドバイスをくれ,心配してくれることが励みとなり毎日頑張れてるよ,ありがとね」
もうきついんだよなあ
私は薄情なんだよ
私が親を励ますことが出来ないことがつらい
私は力がないんだ
はー
どうやったら励ませるんだ
いつになったら地震おわるんだよお