はてなキーワード: ケアとは
皆この恐怖をどう処理して何人も子供を産んでいるんだろう…。TORCHや出生前診断でわかるものは良いけど、出産時の事故の脳性麻痺とか原因不明の知的障害とか避けようがないのに自分の人生を賭けてギャンブルするの怖すぎるよ…。
たしかに子供がいない配偶者や孫がいない親は可哀想だし、普通の子供が生まれたら子供がいない人生より彩り豊かになる気はする。
けど、そもそも子供が好きじゃないしたぶん自分の子供にも豊かで正しい愛情を注ぐことができないから子供による最大の効用が「配偶者や親が一瞬喜ぶ(かも知れない)」「人生に彩りを添える」くらいなんだよね…(ふつうの子供が生まれたからといって必ず良好な関係が築けるというわけでもないだろうし後天的な障害や突然の死もあり得るし)。それに対して賭けに負けたときのマイナスの効用がデカすぎる。
こんなゴミカス人非人の元に生まれてくる子供もかわいそうすぎるし、やっぱり生まないほうが良いんだろうな。万が一知的障害があったら病院か施設に預けて一生逃げ回るだろうし…。でも生まなかったことで後悔するのかなあ…。子供の頃から10年以上悩んでる。皆なんで平然とこんなデカすぎる賭けに出られるんだ。不思議だ。犬猫で満足すべきだろうか(犬猫に障害があっても飼い主の人生は終わらないと思うので)。というかよく考えると犬猫を飼うことで生じる生活の不自由さに躊躇して結局犬猫を飼っていないのに、子供を産もうなんて異常者の思考かも…。
少子化、この恐怖に由来するところも結構あるんじゃないかと思うけど、だからといってどうすることもできないよね…。医療の力で知的障害をどうにかしてほしい。知的障害者のケアに人生を捧げているあらゆる家族のためにお願いします…(他力本願寺)
精神科医の一部で「(発達障害者などが)セルフケアをしろという圧力がある社会は間違ってるんじゃないか?そもそも障害と見なされる社会が間違ってるんじゃないか?」って話がたまに言われるときがあるんだけど、イマイチ納得できない。
セルフケアが必要だと圧がかかるタイプの人間って「厄介な人」だよ。厄介な人が原因で発生する被害を被るのは同じ場所にいる一番弱い人だよ。
医師はわりとどうあっても強者側だからその辺り実感がなくて「特性があるだけの人(弱者)が社会に包摂されず、コストを自分で支払ってケアしなければいけない社会は問題だ」ってなってるんじゃないかな。
今時男だから女だからというのはナンセンスかもしれないけど、こと出産においては女性に比べ男性の制約が随分軽いのはどうしようもない事実だ
そして、全女性というつもりはないし、そうはならない女性が一定数いることも知ってはいるが、やはり妊娠から出産に至るまでの胎児との付き合いは父親よりも母親の方が長いので、子への愛着は出産時点ですでに差があることが多い
父親からするとやっぱり生まれた時が「初めましてこんにちは」、なのに対し、母親からは生まれた時が「ついに会えたねえ、私の中にいたのは君だったのか」になる
これはスタート時点での大きな差になるんだよね
これはもう家庭次第なんだけど、多くの家庭は夫婦の仕事はきっちり半々にするわけではなく、得意な内容に関して100:0と0:100で分担していくことが多いと思うと、出産時のスタートラインでついた差はそのまま子供との関わり方の差になるケースも多い
子育ての主たる実行者は母、やっぱり今でもそういう家庭が多いのではないか
もちろん教育に関しては父が、とか、送迎に関しては父が、とか、個別ケースは当然父親も仕事を請け負っている
しかし、子供の服を用意し、子供にご飯を食べさせ、子供の学校の準備をし、みたいな、日常をちゃんと暮らすケアについてはやっぱり母だろう
母なんだよ、どうしても
そうすると良くも悪くも、父親は母親ほど濃密な関係を子供と築けない
それはつまり母親の負担になるわけで、女性が出産しない選択をするのは尊重されるべきことだ
特に我が家の妻は専業主婦なので、ほんとに多くのことは妻に任せてしまっている
増田は本当にいいとこ取り
申し訳ねえ
そういう、環境の父親の立場だから、子供いてよかったですか?と問われれば、100%いてよかったと答えるしかない
それ以外の答えがない
妻が専業主婦なため、ほとんど自由の効かない妻のためには増田自身はなるべく夜は早く帰らなきゃいけないし、土日は妻子をリフレッシュさせなきゃいけないから、土日に自分が一人で出歩く自由も持てない
さらに1馬力のため、自分の稼ぎから自分が自由に使えるお金は月2万5千円(昼飯代込み)なわけだし、ほとんど時間的経済的自由は消えた
でも、それでも増田の人生においては絶対に子供がいてよかったと思っている
多くの人は出産で何が困るかって、キャリアの中断を気にするわけで、男親も今時当然仕事はやりにくくなるんだけど、それを嫌がる理由は実は様々だと思う
毎日続けると豪華になるログインボーナスを途切れさせたくないから、程度の気持ちで、大好きな仕事をやめたくない、みたいな感じじゃない人もいる
そうじゃなくて、もちろん寝ても覚めてもやっていたい大好きな仕事だからって人もいる、当然いる
そういう大きな情熱を持った人が子供を持たないと判断するケースは、尊敬と賞賛しかない
ただ、情熱的じゃないほうの、なんとなく中断する不安がある、程度な人も多いよね
大多数の人は仕事嫌いだし、多いよね、そういう人も
うちは、妻は「仕事はどうしてもしたいと思えないんだよねー」とか言って経済的なこと考えたことも心配したこともないような人なので、俺がこのまま心配させないように家族を食わせていくしかない
そのかわり、子供に関しても、出産の苦しみも痛みも経験することなく、子供産んでくれたことを妻に感謝するしかない
なんというか、そういう、お互いの経済的子育て的な「いいとこ取りのし合い」の関係で成り立つくらい、お互い仕事にあまり興味ない家庭って、思ったより多いんじゃないかなって思っているんだけど、そうでもないのかな?
逆に、今が充実しているから子供は一生いらない!って言っている人、めちゃくちゃ情熱注げるものがあるってことなんだよな
それってめちゃくちゃすごいことだよな
家族を得ずとも構わないと思えるほどの大きな熱を、他の何かから得ているわけで、それって滅多に出会えるわけじゃない幸福だよね
一流の女性アスリートが現役中に結婚出産することがないのはそれだよね
大阪なおみは、競技へのモチベーションが減ったから子供作ったわけで、熱があるうちは子育てに踏み切らないんだよな
人生へのモチベーションや熱がなくなった人から、だいたい子供作り始めるんだよ、誰でも得られる幸せだからね
なんつうか、人生へのモチベなく幸せな家庭を築く人たちは、仕事や人生に何かを見出せなかった人で
どっちが得難い人生かというと、やはり子育てを拒否できる意思を持てる人の方がすごい
一応断っておくが、本稿は岡田索雲によるwebアクション掲載『アンチマン』( https://comic-action.com/episode/4856001361287348513 )のネタバレ論評である。ネタバレが嫌な人は先のリンクから漫画を読んでからお進みください。
父親を介護しながら食品会社に勤務する溝口。彼は、日常で蓄積した鬱憤を“ある方法”で発散していた……。『ようきなやつら』の岡田索雲が描く、アンチの哀歌。
公式のこの紹介文のなかの“ある方法”がダブルクオーテーションで括ってあるのは、それが妄想である事の示唆となっている。その妄想と現実の境界線をどこに引くか、実はそれは本作においてあまり重要ではない。溝口のポジションが少し変わるだけだからだ。
だが、一応妄想と現実の区別を付けておこう。妄想の範囲を広く取りすぎると発散してしまうので、できる限り狭くとる方向でいく。
1回目ヘルパー、2回目同僚田山への描写が妄想である事に異論はそうないはずだ。実際に手を出すまでのマッサージ依頼や、ジャスティスブレードマグカップの部分を妄想に含めるか否かは本稿ではあまり問題にならない。個人的な感想としては、田山がジャスティスブレード好きと言うのは都合が良すぎるように思えるので、妄想だと思う。
こちらははてブ内では結構割れているようだが、どちらともとれるよう曖昧な描写に留めているようにみえる。それでも、スマホ破壊率100%やウキウキでぶつかり3連発があまり現実的描写には思えない事と、本稿の前提である「溝口に同情的に」という前提のもと、妄想であるという前提で進めていく。その方が溝口の悪質性が弱まるからだ。
この場合も、1回目の妄想対象を見つけて横目で追いかけるコマまでは妄想ではないとする。漫画では描かれていないが、対象を決めて尾行を実際に行いながらぶつかり妄想をしたとしておく。3回目で、ぶつかりターゲットのストーキング中に田山を見つけ、尾行対象を変更しているからだ。
こちらもそこそこ割れているように見えるが、正直どちらでも良い。レスバトルに完全勝利していない事から、紹介文での「鬱憤解消」には当たらない。なので、現実であってもおかしくはない。しかし、特にここが溝口の感情読み解きにかかわる事はないので、好きな方を採用してほしい。2回とも父親のうなり声で中断される所が、目覚ましで中断される強姦妄想と似ているな、とは思う。
同僚、結果的に通り魔から庇った女性、母親の3組が溝口の見舞に来るが、こちらもレスバトルと同様、溝口の感情読み解きにはかかわらないので、好きな方を採用してほしい。
まず、溝口の心に一番重くのしかかっているのが、幼少期に自分を連れずに去って行った母親である事に異論はそうないだろう。
それを埋める代償行動として、溝口は女性嫌悪、ミソジニーに嵌ってしまう。これが如実に表れるのが、2回目のレスバトルでの「女は戦えないから逃げる」(女性ヘルパーも入るかもしれない)、そして直後父親に言い放った「あんたがあの女殴って愛想つかされなかったら」というセリフのなかの「あの女」だ。「母さん」や「母親」じゃなくて「あの女」と呼んだ所にミソジニーの染みつき方が垣間見える。
母親への執着は、父親の葬式後、戸口の方を眺めるコマでも強調される。来るはずのない(恐らく連絡もしていない、そもそも知らないかも)母親を期待する視線だ。
2回目の会議後、「繊細さは女性ならではのものじゃない」という発言にお礼を言われて溝口は浮かれる。ただ、これは田山をフォローしようという意図はなく、直後に描写されるように、自分が父親の介護をしていたり、ジェンダーロールの押し付けをつらいと思っているから出てきた言葉だ。だからお礼を言われても第一声が「へ?」となる。
溝口の目に目にハイライトが2つ入るのは全編で2回あるがその内の1回が本件である。なお、お礼を言われた直後は何のことかわかっていない様子で、その後も本当に分かったのかは不明瞭だが、「溝口に同情的に」ルールで、分かったという事にしておく。
その後スキップのような軽い足取りでぶつかり3連妄想に繋がる。上機嫌なのに何故、鬱憤発散行為であるぶつかりをするのか?という疑問が沸くが、自分はこれは妄想の習慣化と考える。電車事件の前段階だ。
溝口の目にハイライトが2つ入る2か所の2つ目が、ネットで情報を仕入れて実際にスマホで女性ジャスティスブレードを観た瞬間だ。ミソジニーを忘れた、女性主人公への純粋な好意の表れ。しかし、ネットの声ですぐにミソジニーが戻ってくる。
溝口は他人が居るスペースでは基本的にマスクをしている。自宅でもヘルパーを迎える時はマスクONだ。これは、社会的な望ましさに合わせようとする意図の表れで、やったらまずい事・言ったらまずい事を出さない様に自制している事の表れでもある。
社内会議1回目での、女性モデルの胸の強調をマスクON状態で「気にしすぎ」と言ったのも、溝口が考える社会的望ましさのラインを越えていないという事だ。
また、喫煙所ではマスクをあごに寄せて口を出し、眼鏡の同僚にあまり望ましくない「狙ってんの?あの女」などというセリフをはいてしまう。
溝口の考える社会的望ましさのラインは恐らく一般社会が考えるそれよりも低い。
まず、女性ヘルパーをジロジロと眺めて嫌がられ、男性に交代されてしまう。男性ヘルパーへ「急に変わるものなんですか?」と質問しているが、自分の行為によるものだという自覚があるか否かは特に描写されない。同情的ルールに基づいて、本稿では質問の時点で気づいた(それが出来るだけの知恵がある)ものとする。
また、この件の前には、電車内で女性を盗み見するコマがある。「見る」事が加害行為になりうる事は分かっていなかったのだ。
スマホ歩き女性へのストーキングも、毎回ターゲットを変えているから発覚・問題化しないだけで、少なくとも一般社会では褒められた行為ではない。これに溝口が気づいているかは明確ではないが、先ほどの盗み見と同様に、気づかれなければ問題ないと思っていたのだろう。
父親の死後、栄養ドリンクの空き瓶の山が、ハードワーク・オーバーワークの忙しさで気を紛らわせようとする溝口の心情がうかがえる。
父親は、母親を失う原因であり、憎む対象であってもおかしくないのだが、基本的には社会的望ましさに従ってか、無言で介護をする。
2回目のレスバトルで劣勢だった怒りに任せて本音をぶつけはするが、その後もすぐに介護を続ける。
微妙な関係性ではあれど、自分の言葉が父親を自殺に追いやった事は溝口にとってつらい事実だったんだろう。
結果、残業のしすぎで上司に「最近厳しくなってる」と残業を禁止される。そこで1回目の会議で「女性の体の強調」を問題視した田山と眼鏡に目をやり、ハイライトの無い目のコマの後、「そうやって男の仕事も奪っていくんだよなぁ…」「お前たちは…」というセリフ。これは父親死亡前までなら出さなかったセリフだ。上司も大丈夫か?と違和感を示している。
溝口はここではマスクをしている。先ほど示したとおり、本稿ではマスクを溝口の社会的望ましさへあわせる態度の象徴として考えるのだが、ここでのセリフはそれに合致しない。ここに歯車の狂いが見える。自分で自分を制御しきれなくなってきている描写なのだ。
その後、ぶつかり妄想の対象を公園でみつけた溝口は、その対象を尾行中にスマホを見ながらすれ違う田山に気づく。尾行対象を田山に変更するが、これはぶつかり妄想対象としてはないように思える。その後、田山が眼鏡と会い、2人で車に乗り込んで走り去るのを目撃する。
溝口にとってこれは不倫の現場で、喫煙所での眼鏡の「狙ってませんよ、結婚してますし」というセリフが嘘だったという認識になっているのだろう。
電車の中で、溝口はだらしなく寝込んでしまう。この際、マスクが片耳にかかっているだけの状態になり、それを両脇の女性が嫌がっているコマが挟まれる。
これは溝口本人がマスクを外そうとして外したものではないと考える。片耳は残っているので、寝ぼけて意図せず「外れて」しまったと考えることが出来る。
これは直後の事件と関係する。目の前でコケて四つん這いになった女性の尻を見て、襲い掛かってしまった事だ。マスクと同じく、これはきっと溝口は意図せずやってしまったのだ。いつもしている妄想だと思い込んで乗り掛かってしまったのだ。それを補強するためのストレスが父親の死、過労による疲労、同僚の密会だ。
意図せず女性に襲い掛かってしまった瞬間に通り魔に後頭部を刺されてしまう。
最初に確認したとおり、見舞客が妄想か否かは本稿では問題にならない。同僚達や庇った女性たちは、ただ淡々と見舞に来る様子だけが描かれ、溝口の感情が動く様子はみられないからだ。どうでもいいのだ。
だが、死の間際(飛び立つトンボ、落ちる最後の一葉、飛行機雲の3重の示唆がある)に母親が見舞に来て、手を添えられた時に溝口の目からは涙がこぼれる。結局溝口が欲していたのは母親だけだったという事だ。余りに単純すぎる解釈だと思うかもしれないが、であればこそ溝口の哀れさが際立つ。
ここからはIFの話だ。母親を失った悲しさで得たものは偽の名誉であり、それは溝口にとって何の意味も無かったことは言及した。
孤独は闇の感情を加速させる。孤独な以上、「ケア」される機会もない。ネットのレスバトルはネットで完結してしまい、その先に居る個、溝口を慮ることは無い。
割れたスマホとのレスバトルで、溝口は一端の真実を話してもいる。「(ぶつかり)被害者は女だけじゃない」「役割を押し付けられて辛いのは女だけじゃない」。ただ、それは加害の理由にはならないのだ。内心の自由はある?ただの妄想?私見では本作ではそれが現実に結びつく危険性が示唆されている。
一方で、割れたスマホから流れてくる溝口に敵対する意見にも論点ずらしやただの悪口になってるのも多い。
大前提として、レスバトルで人は考えを変えないのだ。カルトや悪徳商法に嵌った人は、ただ事実を突きつけられても意固地になって更に悪化する事がある。そこから抜け出させるためには、親身になって付き合ってあげる人が必要になってくる。近年の反ワクチン問題やカルト問題でもそういう記事をたくさん見た。
作品中には溝口が心を許せる相手は一人も出てこない。友達の影すらない。同僚とすら付き合いは希薄だ。助けが必要な人ほど助けて!と言いづらい構造もある。
朝日新聞の記事に、『「死刑囚の元同僚」ツイッターで実名発信 孤独な人の相談に乗る理由 (https://www.asahi.com/articles/ASR655CM1R65UTIL015.html)』というものがあった。
「最後にアクセルを踏むか迷った時に、頭に浮かぶ人になりたい」そうだ。溝口はアクセルを踏んだのではなく、うっかり道を踏み外したわけだが、彼に必要だったのはこういう人の存在だったんだろう。時には赤の他人の方が悩みを打ち明けやすい場合もある。チャンネルは多い方がよい。ただ、こんな重い事自分に出来る気は全くしない。
孤独による不幸を減らすために出来る事を考えてみよう。
なぜ既婚子ありの人生が独身子なしよりも最高だと言いきれるんだろう
子供を産んだら、子供が身体、知的障害があって、育児で苦しんだり、医ケア児だったり
子供が犯罪者になってしまったり、子供が年金暮らしの親にたかって5080問題が起きたりして
独身のほうがよっぽどましだった
独身を選んだ方がよかった
っていう人はたくさんいるのに
今も親の脛かじりながら生きてます
他のことはさっぱりわかりませんが、精神障害のことなら多少はわかるのでお話させてください
まず金銭面につきましては、一応障害年金と自立支援医療という仕組みがあります
これらの制度がいつまで続いてくれるかわかんないですし、額も微妙なのでそこまで信頼はできませんけどね
あと、お子さんに何かとおかしいと感じることがあったら、精神科の受診はできるだけ早めに行うとよいです
何でもそうですけど、早ければ早いほど対処が楽ですし、症状も抑えられますし、なにより親も子どももお互いに生きやすくなります
僕の躁鬱などは特に多いです
僕の彼女も精神障害と知的障害があり、自殺未遂を何度もしています
そういうお子さんを守るのは大変で、彼女のお母さんもだいぶ憔悴されていました
お互いに障害者なので通じるところ、わかりあえるところ、苦しみを分かち合えるところがあったのだと思います
自分が障害者だからこそ苦しんでいる人の気持ちがちょっとわかるようになったんではないかと、肯定的に捉えることもできるような気がしています
まあこれらは障害児の立場であって、障害児を持つ親としては苦労の連続でしょうが、少なくとも障害を持って産まれたからといって不幸なわけではないということは知っておいてほしいと思います
なんか卒業か就職に問題があったんだろうけど教務課とかとじっくり相談しな
ちなみに高校までとちがって大学は「ケア」する機能はもともとないよ
かしこい教授とかが研究機関のついでに教育機能をやらせられてるだけ、
30位まで生徒でいたいしちゃんと自主性をもって学びたいのなら
文科省の首輪とヒモがついてて自習より出席をおもんじさせられてる大学よりも
よくある専門学校とかのほうがいいよ
少子化の原因はいくつもあげられるのだが、最大のものは子供の教育コスト問題だろう。
ヨーロッパやアメリカは日本よりも幾分、マシにみえるが、マジョリティである白人人口は低下の一途を辿っている。
義務教育の9年間に加え、高校や大学まで行かないと劣等感と付き合いながら生きていかなければならない、と考える人間が増えすぎてしまった。
しかし、戦前や戦後すぐくらいまでの時期の日本は多産であった。
それは何故か。就職に学歴を要求する職業はそれほど多くなく、かつ子供は労働力だったからである。
筆者の少年期ですら、地方では農繁期には学童も農業の手伝いのために学校を休むのが常識的にまかり通っていたが、近年は家庭内の介護ですら
「ヤングケアラー」などという新語までつくって、とにかく少年少女を労働から隔離しようとする動きが見られる。
だが、二宮金次郎は薪を背負いながら勉強したし、100年前の映像や写真には10歳にも満たない子供が幼い弟妹を背負って家事を助けている姿がいくつも残されている。
子供を労働力に数えることができるのならば、人は積極的に子供を産む。
とはいえ、新興国ならまだしも、先進国で児童労働なんて…と考えるのが現代社会に生きる我々の大方の考え方だろう。
これくらい支給すれば、まさに「生きるために」子供を持とうとする人が増えてくるだろう。
あるいは擬似的な職業としての「妊婦」が成立するかもしれない。
平均的な日本人が一生に支払う税金はこれ以上の金額であるし、逆に子供が生まれてこなければ、当然、税収はどんどん減っていく。
高校以上まで子供を通わそうとすれば自前でさらに金額を支出することになるのだし、家庭と国家、家庭と社会の貸し借りで言っても概ね回収できる。
財源は、という話は当然でてくるわけだが、増税はもってのほかである。
国債は政府の借金であり、その借金を返すには「未来の国民」から税金でもって巻き上げるしかない。
だが、巻き上げる国民が減少すれば、返すこともままならなくなるだろう。
むしろ、これ以外の政策の実行に国債を使用するほうがおかしい。
とはいえ、それだけの支出を現行の国家財政の枠組みの中で行うのは非常に難易度が高い。
今の年間の出生数は80万人程度で、彼ら新生児に一律1000万円支給しただけで年間8兆円飛んでいく。
最終的に今の人口の置換水準である150万人程度の出生を目標とするのであれば、15兆円である。
あるいは、出生届が出された段階で一人につき1000万分の貨幣を余分に発行しても良い。
筆者はMMTに全面的に賛成するものではないが、狙いやゴールがはっきりした政策に限定するのであるならば
ハイパーインフレには繋がらないと思われる。
異次元というのならば、これくらいの大胆な施策を実行しなければならない。
生まれてくる子供の質がとか、子供を望めない家庭の心情は、とか言ってる場合ではない。
個々の不満は実現したあとに考えていけばいい。
https://note.com/japotify/n/n3c5fce254553
しつこいジョボジョボの重なりには、いかにもわびしい物を感じるね
ようやくケアされる側になったなという感じも受ける
やっぱり最初のページにもどってあわせて見るとさ、もどってきた女は母親でさ、
テーマ分類としては「母恋物」(失せた母性が恋しい)におちつく気がする
母を失ってから尻、髪の毛などというところに母性を見ていて、それと性欲(おとろえかけた)がないまぜになってる感じ
今の日本社会はどんなに「母親がいないと人生が失われる」かという表現ではないか
まあ実際失われたよっていう話は増田でもよくきくし現実味のあるテーマ
「お父さんは殴ることで家庭をダメにした」と信仰している主人公は決して殴るなどという暴力には訴えないけど
性暴力も暴力だったり、フィクションなら女も暴力を振るって解決できる、するという世の中にある
ブログにあるようにそれはどっちが悲惨か悲惨くらべをしてもしょうがないとわかってて救われない弱者?男性がテーマ
なんで男女は平等じゃないんだろう、
母親は父親を殴ってでも家庭をなりたたせてほしかったという悲しみ
なんで親子は平等じゃないんだろう
子供はせめて離婚のときくらい親を選べないんだろうという悲しみ
それが一人の立派な成人男性をひねくれさせてる
食品てのもいいよな
殴った父は手料理などできないからずっと二人で既製品を食べてたんだろう
そこらへんにも失った母親の代替を見つけようとしたのかもしれない
ずっと暮らしてきた家族、父親を自殺させてしまうことで居場所は(ひろがればいいのに)
女の人に居場所を取られるという妄想が昂進しだすとそれはもうスマホとの会話通りになっちゃってるね
(煙突の前のコマは葬儀場なのかもしれないけどちょっとわかりにくかった)
まあでも統一教会が思うままにしたアジアの小さな一つの国(いうほど小さくないけどね。ロシアと人口同じだから)
職、社会における自己表現の停止を家庭のだれか一人に押しつけることなんだよね
『アンチマン』というミソジニストを描いた漫画が話題だけども、あの漫画の妙は、内心のミソジニーと客観的評価が乖離している部分にある。
優良企業の正社員で個室に入院できる勝ち組溝口は、内心のミソジニーによって女性の繊細さを否定したことが結果として性役割分担の押し付けを否定するフェミニズムに適った行動となり、そればかりか寝呆けてレイプしようとしたことが結果として命懸けで暴漢から女性を守る行動となった。
彼は同僚田山に感謝されたが田山は似非フェミおちんぽ騎士団の同僚と不倫し、暴漢から護られた女はせいぜいお見舞いで心からの感謝を述べたきり、彼は孤独な入院生活を送る。
彼は、行動に見合う程度の賞賛しか得られず、全人格的な肯定は得られなかった。
ところで、最近、『ケアの倫理と共感』という感情主義的徳倫理学からケアの倫理を説いた本を批判する書評がホットエントリー入りしていた。批判内容は要するに、「「思いやり」のあるなしや共感の有無に基づいて行為の正/不正を論じること」は「誤り」である、という点に尽きる。
なんで鬱展開がオタクに嫌われるかって
エロゲで「こんな客を無視した展開できる俺らまじクリエイタ~」みたいな
ただこれが出来る俺ら凄いだけで生み出された数々の無意味鬱展開があったから
例えばアベンジャーズインフィニティ・ウォーはヒーロー負けてガモーラ殺されて人間50億人ぐらい殺されて終わって一年以上続きが見れない超クソ鬱展開だけど、
だからこそものすごい気を使ってやって、次回作は超明るいアントマン2だったり超無双映画のキャプテンマーベルだったりするのよ
そんでEndgameでは開始20分ぐらいでサノスぶっ殺して復讐完了するスピード展開っぷり、そーいうアフターケア、鬱展開にしたからこその超楽しいお話を後でやるから、物語の“谷底”が成立するんだけど、
日本のアニメ業界、そういうことを一切せず、ただ急に鬱展開にすりゃシリアスになってすごいみたいな
無責任で無意味で、ただクリエイターがこれが出来る俺らまじサブカルチャー作ってるぜ~みたいな、意外性以外感じられないクソみたいな鬱展開をいろんなアニメでずーっとやり続けて、
だからアニメで鬱展開が始まると、エヴァとか富野とか影響を受けたアニメとか、エロゲアニメみたいな、あっこのアニメ何も考えずに鬱展開初めた、あーあーこの後何も考えずに適当につまんない話が続くなーってわかっちゃうわけよ
だから鬱展開は嫌われる
信用がない
アヴェンジャーズインフィニティ・ウォーが成立したのは、10年と20作品という“信用”があったから成立したわけよ
なぜ日本のアニメ業界で鬱展開が嫌われるかって“信用”が無いから
それ程に90年代~00年代で鬱展開を多用し無責任に放り投げた実績がある
—
D4プリンセスとか、明らかにシリアス展開を見たいと思って見てないのに、
Wind -a breath of heart-はなんか急に鬱展開になってテレビ放送終わったからな
ナメとんのかってマジで思った
—
富野由悠季に影響を受けたのか
エヴァに影響を受けたのか
あの頃はマジでアニメでクソ鬱すれば一流クリエイターの仲間入りや!
みたいなゴミみたいなやつがたくさんいた
そういうのを10年ぐらいやってたから
見るのやめよ
ってなるわ
そういう事散々やってきたのに
今更ちゃんとした鬱展開です!信用してください!とか
信用できるか
ほんとまじで、そういうクソ鬱が見たくてみてるわけじゃねぇのに
デスクワークが中心だが、お客様対応等での外まわりや、流れでちょっとした屋外作業もそこそこある仕事をしている。
配属された新人は汗をかくと体臭が強いタイプようだと気付いたのはペアを組んですぐだった。まあ体質はしかたない。
しかしながらこの新人、汗へのケアが迅速かつ的確だった。汗をかいた後は少し潔癖にも思える頻度で服を着替え、制汗シートで体を拭いている。と思われる。
現場から帰るとそのままデスクワークに戻る人が多い中でスッと更衣室に消え、わずかな制汗剤のスースーする香りと共に帰ってくるのだ。
なので、せいぜい臭いがするなと思った瞬間こそあれ、隣で仕事をしていて不快で居心地が悪く思ったことはない。
大学までスポーツに励んでいた人なので、どこかで誰かに何か言われたり気づいたりした場面があったのかもしれないが対応が素晴らしい。言っちゃ悪いが、ありがたい。
これを本人に傷つけないように伝えられるとは思えないのでここに認めます。
出生率が高い地域って、女の人権がないわけではなく、実際女も社会進出してるし、みんな働いてる。っていうかその地域において農作業とかはまさに「社会」だし立派に社会で働いてるわな。
ないのは子供の人権。家父長制において嫁に人権はあっても子供1人1人の人権なんてものは存在しない。
まず、医療が進んでないから乳幼児が死にやすい。「医療ケア児」なんてのは生まれた瞬間死に、アレルギー持ちは離乳の時に死に、多動とか注意欠陥、あるいは目が見えない耳が聞こえない子は幼少期に事故って死に、アスペなど親とコミュニケーションが上手く行かない子は「しつけ」で死ぬ。
健常定形で元気な良い子だけを残すよう子ガチャのリセマラができるってこと。さらに教育に金はかからない。
こういう国で10人子供産んだら、障害や病気持ちは5歳ぐらいまでに死んで、残った健常児は10歳ぐらいになったら労働力になり、女は嫁に行って婚家から牛とかもらってたくさん子を産み、一番賢く強い子は家を継ぐ。それなら、10人産むリスクがなくメリットしかない。
一方、先進国で10人産んだら障害や病気持ちも含めて全員最低18歳ぐらいまでは親が責任持って育てないといけない。下手したら30ぐらいまで子供部屋にいる。これ無理ゲーじゃん。
先進国では子供に人権が存在して親がその人権を保証する責任があるのが最大の問題なんだよ。で、それを支えるキャパがある大人が少ない。とにかくリスクが高すぎる。これこそ不都合で誰も言っちゃいけない話になってるけど。
現状で女の人権を抑圧しても、妻子を養わないといけない男のほうがむしろむやみに子供を産ませたいと思わないからやっぱダメだと思う。
イスラムだってなんだって、どんなに男の権利が強い国であっても、子供が死ななくなって育成コストが上がると出生率は下がる。死にやすいからスペア作るために産ませるんだよ。
そりゃそうだよ。男の権利が強い=責任が強いってことだし、自分の稼いだ金でたくさんの子供養って狭い家で貧乏暮らししたい男もそんなにいないわ。
無料ガチャで育成コストも安くて、いらないの引いたら捨てることができて手持ちを圧迫しないならいくらでもガチャ回すじゃん。
先進国における子ガチャって全体的に育成コストが強制的にかかる上に一定確率で地雷カード引かされてゲームオーバーなんだから、そんなガチャ怖くて引けないよ。
今までのあらすじ
ジャニーズ問題でPENLIGHTという自称ファン団体が加害の実情を明らかにして謝罪を要求するオンライン署名をしている(この団体にこの件の被害者は参加していない)。
元々ジャニオタからは不審がられていたのだが、賛同人が揃いもそろって仁藤夢乃関連だったので、Colaboを追っている人たちが記者会見に出た発起人を調べたところ仁藤夢乃と一緒に講演会に出たり、慰安婦関係の団体に所属し、活動している活動家にものすごく似ているということがわかった。
かつアカウントではジャニーズの話を全くせず、自身の活動のことかK-POPアイドルの話しかしていなかったということもわかった。
この件を受けてPENLIGHTがお気持ち表明をしたのだが、これも見事にファンおよびColabo追っている人たちからツッコミを受けている。
お気持ち表明の内容はPENLIGHTでツイートを見てもらうといい。長いので簡潔にまとめたツイートも落ちてるのでそれを見ても。
好意的に取っているのはいつもの反ジャニーズの松谷創一郎や、SMAPの解散で亡霊化したスマヲタ(ちなみに木村拓哉のファンではない)や暴走ティアラ(ほぼ平野のファン)ばかりだ。
ジャニーズのオタクということを表明するためにグッズを出せとか証拠を出せというのは難しいのはわかる。自分も何を出せばいいかわからない。
で、ジャニーズのオタクであることを表明するのに嵐の櫻井くんの歌詞を引用したお気持ち表明をしているのだが、これが見事に叩かれている。
というのも、このツイートの前に「何も言及しないならキャスターをやめろ」という発言をしているからだ。
自分が凄いなと思ったのが、引用した歌詞はたった1回だけしか披露していない、つまりサブスク配信どころか音源化もしていない、ということはどこかで違法に聞いた可能性が高い。
多くの人に訴える文章なのにこれだけマニアックな曲をむしろ持ってくること自体が違和感ある、という櫻井くんのファンの人のツッコミである。
別にほとんどのファンは被害者の口や抗議をする口を塞ごうとしているわけではない。
被害者のケア及び所属者のケアは手厚くしてほしいと思っているし、それを知るのは公開された情報でしか知る由もないので、対応などの状況は連携してほしいと思っている。
ただこうした「明らかに違う目的があることが透けて見える団体」がのさばったり、メディアで取り上げられることに憤りを感じている。というかこういう活動をするのに虚偽は本当にやめたほうがいいと思う。