はてなキーワード: ねじとは
自分が評価される身分の時はTOEIC800であることを900以上じゃないと論外とキレられ、
自分が評価する身分の時は300以下の人たちしかいなくて、500でいいから勉強してくれというと、過当要求だとキレられる
みたいな、私を起点に評価がえげつないねじれ方をしている状況に出くわす。
これは、一般的に人間というのは自分の能力を100倍くらい上方に予想するためであり
そしていつも被害者は俺。しにたい。
というより、他の格闘技のほうが圧倒的に少ない。
実は総合格闘技の漫画はないわけではなく、有名所で『オールラウンダー廻(格闘団体『修斗』の空気感を強く反映している)』、マイナーで古臭い『格闘太陽伝ガチ(『PRIDE』時代の空気を色濃く反映している)』などがあり、未読のものでも『鉄風』、『ハナカク』等があるらしい。しかしほとんど無名でしかも数が少ない。
例えばなぜ総合のスタンディングは間合いが遠いのか、という視聴初心者にはまるでわからない問題から、テイクダウン(相手を倒す所作)タックルの入り方、入ったあとの攻防でどう立ち続けるか、などスタンディングから寝技に入るまですらいくつかの段階がある。寝るともっと細かい。しかしこれだけでは理由にならない。何故ならボクシング漫画にも細かな攻防が散りばめられてるし、こうした細やかさは『はじめの一歩』を皮切りにしてその後の漫画で通例となっている。例えば右ガードを上げっぱなしにして直ぐに左の返しを打つ、縦拳でねじ込むなどの試合を見るだけではわからないテクニックが盛り込まれる。
特に初心者の場合、総合で寝技に入ったあと困惑しがちだ。「この人達なんで抱き合ったまま動かんの?」が一般的な感覚だろう。漫画にする際に一番問題なのがこの地味さだ。ともかく総合のグラップリング(組技)のビジュアルは地味に尽きる。よほどの実力差がないときれいに腕とったかと思ったらそのまま頸動脈を締めてフィニッシュ、なんてことにはならない。ダラダラと抱き合って時々ポンポンと叩いたかと思ったらまた起き上がる、の繰り返しだ。人気が出にくいのも無理はない。しかしその地味な中で選手は常に目まぐるしく考えている。ハーフガードから足を抜いてサイドを取って、裸絞か腕十字の二択をかけながらバックチョークを狙い、更にこの中間にパウンドを挟んでゆく、という思考ゲームを繰り広げる。故に柔術は才能や瞬発力より学習と反復であると言われており、特に能力のうち努力の比重が高い(もちろんフィジカル面において足が長いほうが有利、体重差は関係するなどの条件は一応ある)。こうしたほぼ見えてこない攻防は柔術教習系のYouTubeを何度か見ることによって初めて理解されるものであり、そうでない限りはまるでわからずに試合が過ぎてゆく。漫画でこれを再現するには動きのないシーンをずっと続けなければならない。つまり決定的に漫画やアニメに向いていない。総合を漫画やアニメにする場合、両者が軽量級で締めや関節の攻防がスピーディーに繰り広げられるという目まぐるしい展開を技と作らなければならない。
ボクシング漫画は効能がわかりやすい。こう殴ればこう効く、こう殴ればジョルトカウンターだ、といったビジュアルでの説明がそのまま通用する。ボクシングが思考ゲームではない、頭は使わないと言ってるわけではなく、見た目がわかりやすいのだ。
しかし総合は微妙な違いを上手に絵として伝達しにくい。試合ですらわからないのに、同じビジュアル重視の漫画・アニメで十全に理解されるわけもない。
実は今日のYouTube界ではもはやボクシングのほうがマイナースポーツ扱いである。畑山・竹原・渡嘉敷のご三方が出演するチャンネルも総合格闘家の朝倉未来をゲストに迎えてやっと跳ねるという具合で、井上尚弥以外は完全に下火だ。京口紘人の防衛など一般人はほぼ知らない。
が、いわゆる格闘技と言って未だに思い浮かぶのはボクシングないしプロレスである。なぜなら総合格闘技興行である『PRIDE』が外資に買い叩かれて空中分解し、『K-1』が財政破綻で解体された後、日本の格闘シーンには長い空白期間が存在したからだ。後にキックボクシングなどが日の目を見ることはなかったし、K-1の再生と『RIZE』や『KNOCKOUT』と神童・那須川天心の訪れを待ち、更には『THE・OUTSIDER』『RIZIN』の登場を待たねばならなかった。一般市民がプロレスとボクシングが格闘技だという認識を持つほどに、格闘技は忘却されていたのである。
総合格闘技の知名度は『RIZIN』次第になってしまったが、これからというところでコロナが襲いかかってきた。試合は国内の選手だけに限定され、海外の強豪と試合をするチャンスは潰えた。また、同時に国内のバンタム級王者マネル・ケイプが海外の総合格闘技団体大手の『UFC』で連敗するという事態が起こり、今もまた危機的状況にある。
こうした浮き沈みの激しさから題材化する事が大変難しい。キックの場合でも再生した現『K-1』の安定からメディア化の波が起こってもおかしくはないが、ルールがいわゆる肘ありと首相撲ありのムエタイルールとは程遠く、漫画化するにしてもキックの代表格として扱うには難しく感じられる。
総合は細かすぎる技の数々、見た目の地味さとわかりにくさ、競技人口の少なさとマイナーさなどが相まって漫画家が難しい分野である。キックはボクシングと同じく題材化しやすいものの、マイナースポーツ感がさらに強い。
ちなみにタイトルからして『メガロボクス』を思い浮かべた人も多いだろうが、ボクシングと言うよりボクサーの生き様が焦点であり、今回は語らなかった。『メガロボクス』単体なら長文を書けるほどに好きだが。
追記01:競技として完成されつつある総合格闘技と古き良き異種格闘戦はだいぶ毛色が違う。細かく言えば総合の始まりであるバーリトゥードと今日のMMAは別物と言っていいし、ストリートファイトと総合格闘技もだいぶ違う。そんな意味で刃牙は異種格闘戦あるいはストリートファイト的だし、総合の範囲を広く取りすぎると述べたいテーマから逸脱する。『エアマスター』はストリートファイト的な上にファンタジーが多く、リアリティよりも勢い重視なので総合漫画とは言えないし、修羅の門もファンタジー(技についての意味)武術漫画で総合とは無関係だったり。
けして上記漫画がつまらないと言ってるわけではなく面白いと思う。ただ総合じゃないよねと。あと『史上最強の弟子ケンイチ』に触れてなかったけど、詳しくないのに言うのも気が引けたし、『ツマヌダ格闘街』は読みたいけど読んでなかったのでほんとすまん。
追記02:柔道漫画を上げる人がいるけど、柔道と柔術じゃグラウンドの攻防がまるで違う。そしてMMAの柔術と競技柔術でも全く違う。競技漫画として柔術と柔道が比肩するという意見は的が外れている。
👊🏻😼押忍❕ネコチャンやで。
今日は
ナナなんと。
縦180横130奥行き75という超巨大ロボじゃなく
小雨降る中、「絶対今日やるぅぅぅぅやってやるぅぅぅ」と思いつつ
ダメだったら業者さんに電話しよっと内心思ってたかもしれないニャ。
だって、ほんとドライバーの先っちょが刺さったまま外れちゃうんだよ
あとでみたら、十字がかけてた。そらまわらんわーニャ💦
つかったもの
☑ ドライバー
☑ 金槌(先の細い物)
☑ 呉55のサビ取りもできるやつ(赤くて小さい缶)
☑ 台車
☑ 脚立
☑ ネジザウルス
物置ってねじで留まってるだけ。
自分で出せば安い。
屋外に置いてる物置は、変なもの入れてなくても
貰いサビなんかもあって
ぜんっぜん回らない。そして、なぜか一番下のだけなんかねじ長すぎとか!
まぁ取りあえずできたので(軍手も)服も全部洗濯したので今日は増田にいてもいいニャ。
そして案外、鋼って重いのね。
明後日頑張って出そう。
お疲れニャン、自分。
褒めて使わすぞ。
🐈膝とかいたーい。
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4252977.html
「くっきりとした姿が見えているわけではないけど、おぼろげながら浮かんできたんです。『46』という数字が。シルエットが浮かんできたんです」(小泉進次郎 環境相)
23日午後、私たちの単独インタビューに応じた小泉環境大臣。「浮かんだ」という「46」とは、各国の首脳が参加した「気候変動サミット」で菅総理が示した目標です。
「我が国は2030年度において、温室効果ガスを2013年度から46%削減することを目指す」(菅首相 22日)
日本は、これまで2030年度までに「26%削減」を目標にしてきました。今回、菅総理はサミットで「46%削減」と表明、目標を大幅に引き上げました。
「現実的には、どれだけ積み上げても30%台後半が限界だった。それ以上の数字は、環境省と小泉環境相が背負っている」(経産省幹部)
「旗振り役」の小泉大臣、そのような声は意に介さないようです。
「意欲的な目標を設定したことを評価せず、一方で現実的なものを出すと『何かそれって低いね』って。『金メダル目指します』と言って、その結果、銅メダルだったとき非難しますかね」(小泉進次郎 環境相)
30%台後半が限界だっつってんのに無視して寝言言ってんじゃねえよ。何が金メダルだ。スポーツじゃねえんだよ。46%って宣言して46%行かなかったら非難されるに決まってんだろ。
「窓の外に東京の代表的と言っていいのか、高層ビルがいっぱい並んでますね。この景色が変わりますよ。見てください、空いている屋根がいっぱいありますでしょ。太陽光をできる限り置いていきたい」(小泉進次郎 環境相)
どうやって実現するつもりかと聞かれて太陽光?? ビルの上に? 物理法則を無視して置けたとしても達成できるわけねえだろ。
レジ袋有料化は迷惑ではあるがまだ国内に閉じた話だ。ひきつった笑いでギャグにすることもできた。進次郎構文だって面白いのはわかる。でもこの46%はもうシャレにもギャグにもならない。達成できないと他国が何を言ってくるかもわからん。日本国内の産業も無傷じゃ済まないだろう。30%台後半でも難しいのにそれを2〜3割ほど上回る数字を出してしまった。
そして何より太陽光だ。太陽光といえば小泉家のビジネスだ。つまり小泉進次郎は、政治家としてまともに説明責任を果たさず、自分のファミリーに露骨に利益誘導しているわけだ。ネトウヨが好む語彙で、使いたくはないんだが、これほど「売国奴」という称号が似合うやつは今まで生きてきて見たことがない。
進次郎構文でデビューしたときはただのバカだったが、レジ袋有料化で有害なバカになり、今はなんだ? 「頼むから何もしないでくれ」という言葉が他人を傷つける云々という記事がはてブに上がっていたが、じゃあこの小泉進次郎に対してどう言えばいい?
こいつを大臣に任命して好きにやらせているのは100%自民党の責任だろう。法律で決まっているとか、野党の追求がどうこうとか、そういった理由で小泉進次郎が環境大臣をやっているわけではない。自民党内でしっかり検討して任命し、その後も諌めることなく好き勝手に放言させている。その結果がこれだ。レジ袋有料化からもうすでに相当悪影響が拡大している。この先何をしでかすかわかったもんじゃない。
俺は今まで消極的に自民党を支持していた。モリカケや桜を見る会なんてどうでもいい。俺の生活には何一つ影響ないからな。道義的責任や法的責任はあるのかもしれんが、それはそれで追求したい人がやればいいことだろう。
菅首相もいまいち無能っぽいが、それでも積極的に不支持というほどではなかった。携帯料金引き下げにやけにこだわってMVNOを破壊するような言動はどうかと思うし、その他のアクションもいいかと言われれば返答に窮するが、誰かに代えたらよくなる気もしなかった。つまりは消極的支持だ。
小泉進次郎だけは別だ。こいつに権力を持たせること自体が間違いだ。次にどんな手段で国政を食い物にして、自分ちの太陽光をねじこんでくるかわかったもんじゃない。まともなプラスチックゴミの削減案すら出さずに「シルエットが浮かんだ」とか言ってめちゃくちゃするだけだ。それでも結果的に国や俺の利益になるならまだ目をつぶるが、レジ袋有料化も46%も害でしかない上に望んだ効果も得られない。
こんなのに俺の生活を振り回されるなんてやってられない。絶対に排除したい。自民党でさえなければ立民だろうが共産党だろうが、小泉進次郎を排除できるという一点においてどこが政権取ってもまだマシだ。これほどの有害物質を大臣に据えて良しとする自民党なんてまったく信用に値しない。
1か月以上前に観に行って、
ついうっかり「感想文でも書いておこうかな」などとTwitterでつぶやいたが最後
友人に拾われ「待っている」と待たれてしまった。
こいつは、しっかりとした文章を書かねばなるまい。
私がシンに対して感じた事。
それを素直に、そして素敵に書き連ねて、友人と感動を分かち合うのだ。
などと思いを馳せていたら全然書けなくなり、
「ああ、そうだ自分はプレッシャーに弱かったんだ。忘れてた。」
あまりに書けないので、先輩を捕まえて「文章が書けない」と愚痴ったところ
先輩からは「気負うなよ。なんだ、その友人だって、そんな約束もう覚えてないんじゃないか?」と、励まされた。
はああん、さてはそんなに気負いすることもないのかと
鼻歌交じりで湯船に浸かったり、踊りながら夕餉の支度をしたり、
switchで発売されたモンスターハンターライズをやったりして更に2週間ほど書かずにダラダラすごした。
そのうち書く気力が湧かないものかと期待もしたのだが、これがちっとも湧きやしない。
アイデアは閃いたその時にアウトプットしないと、どんなに素晴らしいものでも劣化すると言ったのは
逃げるように打ち込んだモンスターハンターのエンドロールを見送りながら
「自分は友人との約束を小脇に置いて、一体何をやっているのだ」と我に返り
待たせてしまっているのかもしれない友人に申し訳なさを感じながら、
ようやく書くぞと、今キーボードをたたき始めた。
ここまでが、つまりの言い訳で、今更シンの感想文を書くに至った経緯である。
どう書こうか散々悩んだが、結局文筆家でもない私の書くものだ。
第三者にとやかく言われる筋合いはない。
だから友人が「見苦しい」と思わなければ、とりあえずは問題ないのだ。
では感想だ。どう書こうか。そうだな、本作は大きく分けて3つの感動が湧いた。
それぞれにタイトルをつけるなら、以下だ。
【散々泣いた後「これシン劇場版だけ見た人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
では、細かく1つづつ説明していこう。
そうそう。ここからはネタバレが発生するので、万が一まだ見ていない人がいたら気を付けてほしい。
----------------------
とにかく泣いた。
キャラクターは何人か死ぬんだが、そういうシナリオや演出上の悲しみで流れた涙では当然なく、
「こう終わらせるのか」という感動というか。
時間が経って、時代が変わって、自分も一緒に歳をとって、そして受け入れている自分の状態そのものに
涙が止まらなかった。
かつて「なんて難解で新しいんだ!」という側面で感動したエヴァンゲリオンが
(この次の詳細で書くが)こんなに分かりやすくなったとしても、受け入れて楽しんでいる自分がいる事の喜びでもあった。
期待していた感動の方向性が全く異なっているのに、喜んでいる自分がいるというのは、
シンの終わりに向けて自分も一緒に歳を重ねたからだと泣きながら気付き、
「お疲れ様でした!」と関係者でもなんでもないのに、小さく独り言ちていた。
不思議な達成感と供に「楽しかった」「感動した」「泣いた」「素晴らしかった」を超えた感謝を感じた。
「感謝」
【散々泣いた後「これ今からエヴァ見る人は面白くないんじゃないだろうか」という懸念】
で、散々泣いた後に冷静になってこう思った。
「…今からエヴァンゲリオン見る人は「これ、そんなに面白いか?」と思うんじゃないだろうか。」
というのが、かなり解りやすくなっている。
TVシリーズおよび旧劇場版と比較すると、エヴァンゲリオンの秘密や人類補完計画、綾波レイの正体やら
台詞と絵でほぼ全て語ってくれた。
特に、旧劇場版では初見ではちょっと分かりにくかった、一体誰が敵なのか(ゼーレ?ゲンドウ??)というモヤっと感が
分かりやすく「ゲンドウがラスボス」「目的はユイたん復活」と、ご自身で説明してくれる。
この辺りの凄く分かりやすい説明に対しても、歳を重ねた自分は「語る事を決めた監督お疲れ様です!」と感動したが
なんとなく、「日本人は難解で解釈の余地を残す演出の方が好む傾向があるのではないのか?」
という考えから「これ、今からシンを見る人は楽しいのだろうか?」という懸念が生まれた。
こればかりは、私の仮説が間違っているかもしれないので、過剰な心配かもしれない。
実際、序破Qと興行収入は上がっているらしいから、現代は不親切な難解さよりも、
明快な回答があったほうが好まれるのかもしれない。
(いや、でも、Qまでは結構難解だったよなあ。)
ただ、少なくとも、泣くほどの感動は多分ないだろう。
そう思うと、むやみやたらに「面白いんだよ。素晴らしいんだよ。」と勧めることを躊躇してしまう自分もいる。
旧劇場版に比べると、シンは万人に受け入れられる作品にはなっていると思う反面、
自分は今回から観る人に狂うほど楽しいかと聞かれると、唸ってしまうかもしれない。
最後はもう、自分の好みの話でしかないのだが、有人の人型巨大ロボットでの肉弾戦よりも
エヴァンゲリオンは当然戦うんだが、ヴンダーが途中まで大活躍なのだ。
大活躍というか、ヴンダーをベースにエヴァンゲリオンが戦うのだ。
司令塔⇔戦闘機も大好きな自分にとってさらに楽しい。ありがとうございます。
(余談ですが、そういう意味で、途中まで指令を聞かないマリの戦い方は好きではなかった。)
戦艦といえば、艦長。そう、艦長がどれだけカッコいいかも大事。
ミサトというキャラクターが、TVシリーズではどうにも雌くさくて好きじゃなかったのだが、
それでも、指令を出したり、無茶苦茶な作戦をねじ込むシーンだけはカッコよくて好きだった。
そんな好きなミサトが100%、最後までかっこよく戦ってくれたことも、ありがとうございます。
(艦長だから死んだのか、ミサトだから死んだのかは分からないところですが、ミサトは絶対退場するんだなあ…とかも思った。
でも、あのラストは艦長のラストだよね。全員逃がして最後は船と供には艦長としての散り方だよね。)
ヴンダーが動くのは一々カッコいいし、ヴンダーの開発秘話もイケてるし、
最後に命の箱舟としての本懐を全うして兵器として出撃するシーンとか。
なんだアレ、ずるい。かっこよくてずるい。
最後の項目に関しては、本当にただただ好みの画がカッコよく動きまくってくれて
脳がひたすら喜んでいるだけみたいな感想なので、語彙がバカになっていると思う。
ところで、私は戦艦ものが好きというか、一人のヒーロー(パイロット)が敵を倒すよりも
多数の凡庸(凡庸と言ってもポテンシャル高め)な人々が知恵を絞り巨大な敵を倒すという構造が好き…
というタイプの戦艦もの好きなのだが、庵野秀明はその演出がとても気持ちが良く、
そんな話をしたところ、先日知人に「それは、ヤマトは当然として、ウルトラマン(ウルトラQ)も好きかもね」と言われた。
ふむ、なるほど見てない。ウルトラマン。
----------------------
以上が大筋の感想となるのだが、
今回書いてみて一方的なレビューだと、心の中にある踊るような感動や衝撃というのが語彙力のなさも手伝って、きっと全然書けていないなと感じた。
これが会話だったら、もっと色々話したい箇所もたくさんあったなと読み返して思っている。
例えば、最後に畳みかけるメタ表現の数々や、その視点からの演出だと思えばループやスターシステムというものは
シナリオではなくアート寄りな(作家的な?)視点になるから議論は不要なんじゃないかとか、
ラストの実写差し込みは昭和の舞台壊しオマージュかな?などなど…
会話として意見を聞きながら会話を楽しみたいとは思う視点はたくさん出てくるんだが、
一方的に断言できる事は大体この三つだったなと思う。
特に、一緒に歳を取った作品がこう終わったのかという涙と感謝の話は
他の作品で感じたことがなかったので書いておけてよかったかなと思う。
そう思えば、「待っているよ」と言ってくれた友人に感謝である。
ああ、そうだ友人よ。歳を重ねて…で思い出した。
来月私は母になる。
そういう事もあって、余計涙もろくなっているのかもしれない。
昔、二次創作のサイトを持ってた。サイトって言うなれば自分の城で、好きなように色を変えて、好きなようにコンテンツを置いて、好きなようにデザインできる。嫌な事言う奴はアクセス禁止にして、強制的に排除だって出来る。
好きな二次創作のテキストサイトの管理人に感想を送ったり、「尊敬してるサイト様」としてリンクを貼ると、相手がアクセス履歴から辿って、私のサイトにたどり着いて、相手に認知される事がある。そこからTwitterで繋がったり、感想を送り合う仲になったら、個人的には友達になれたと思ってた。相手がどう思ってるかは知らないけど、少なくとも私はね。
それが大体10年前。
10年経てば好きなジャンル・流行りのジャンルだってかわるし、個人サイトよりもpixivが主流になる。
サイトだと自分にしか可視化されなかったいいね数と、ブックマーク数がpixivだと一気に大っぴらになる。
流行りのジャンルを渡り歩くその人のブックマーク数がどの話も1000users10000usersを超えていて、いつのまにかTwitterのフォロワーは4桁になっていた。文章しか書かない人なのに。
ああ、すごいなあ、旬だからなあ、話は万人受けする訳ではないけれども豊富な語彙量と話の運び方でねじ伏せてるし、ブックマーク数が伸びるのも当然だよ、くらいに思ってたんだけど、対して私は……と考えると、自分がちょっとみじめになった。対等だと思ってた相手は対等じゃなくて、自分が思っていた以上に雲の上の存在だったらしい。
数字で"好き"を計ってるみたいで、ちょっと嫌になって、pixivにはあまり近寄れなかった。なのでサイトをやめてからはあんまり書いてない。二次創作は突き詰めても趣味以上のものにはならなくて、続けたところで何かがある訳でもないし、その人が数字を鼻にかけて特別変わった訳でもない。ただ私が一人でその人と比較して、勝手にみじめになってるだけで、私の心の問題だから。
その人には私の心のモヤモヤを伝えた事ないし、これからも伝えるつもりもない。
それとはまた別に、半年前、ハマったジャンルでpixivにお話をあげた。好きなジャンルだったから、自分が読んでて、いいな、好きだな、と思ったお話には返信不要で積極的に感想も送った。
感想を送ったうちの一人から、返信がきた。私が書いたお話の感想まで含まれていて、既に何度も読み返しており、すごい好きなお話なのだという。嬉しかった。
私が友達ほしくてTwitterアカウントをそのジャンル用に取得した事を、新しくあげたお話のキャプションで書いたら、この人もTwitterを始めてくれた。嬉しかった。三ヶ月くらい、毎日DMで話してた。既に完結したジャンルなのに、こんなに話すことあるんだ…!ってびっくりするくらい楽しかった。
Twitter、はじめは私の方がフォロワーが多かった。ちょっとだけね。
今は新書ページメーカーで書いた話をTwitterにあげるのが主流らしく、閲覧垢が多く存在する事をそこで知った。
もちろんこの人の書くお話は私も好きだし、とても上質で、話のつくりも描写も丁寧で、豊富な語彙量から繰り広げられる世界はこの人の目にはどんな風に世界が映っているんだろう、って思えるくらい、素敵なお話ばかりだった。もし一次創作をしていたなら、賞だって取れるんじゃないかな。
どこまでいったって、私は自分に自信がなくて、人と比較してしまって、勝手に自滅するだけなんだな、って今回気づいた。
みんなどうやって友達になるんだろう。
食べ過ぎたわけでもないのに胃がねじれるように痛い、体があったまりづらい、集中力が維持しずらい
そんな状態で1日が始まる
それでそのうち無気力になりがちになる
寝て起きると少し前向きになる
でも根本的にかいぜんされないから昨日よりスタート地点が遠くなっただけ
すぐ終わるような仕事でも倍以上かかってる状況が続いて何か情けなくなってくる。
何か周りが暗く見えてくる
寝ても、悪夢ばかり見る
引っ越しした部屋になぜか、台所だけしぬほどだっせぇ照明器具が最初からついていた。
カバーの真ん中に、銀色のボタンがついている丸いシーリングライト。
スイッチオンすると、ぴかぴかぴかって点滅しながらつく。ついたあとは、生活感がこれでもかと浮かび上がる青白い光。
こんなの、LEDにしてやれとカバーを外してみると、いろんな機械とコードがくっついていて、いったいどうやって外せばいいのか分からない。
蛍光灯をそういえば替えたことがないのだった。蛍光灯を割ると確か大変なことになった気がする…と思い、ネットで検索した。
レオパレスの交換の仕方動画が出てきたので見てみたら、動画のクセして静止画のズームというどこまでもレオパレスなクソ動画だった。
他のホームページを見て知ったことは、蛍光灯は蛍光灯にしか交換できないこと、LED照明器具に交換するには何やら複雑な工程が必要らしいということだった。
とりあえずこの照明は取り外してしまおうと、スマホのライトを当てながら見てみると、壁にネジ2本で留まっているだけっぽかったので、
ドライバーでネジを外してみた。
とれない。
蛍光灯が載ってるお皿は、ねじではない何か別の方法で天井とくっついているらしい。
カバー中心の銀色のボタン(ねじ)と繋がっていた金属のブリッジに指をひっかけ、思い切って真下に力をかけると、ばりっと天井からはがれた。粘着テープみたいなので固定してあったようだ。天井に穴があいていて、そこから電気のコードが1本出ている。穴の周りの壁紙は雑にはがれていた。アパートの施工って結構仕事が雑な気がする。前の部屋なんて、エアコンから出ているチューブの所に、部品らしきパッキンがぶら下がっていた。余ったのか?つけるの忘れちゃったのか?床のワックスも真ん中に塗り残しがあって、光に当たると雑巾で拭き残された部分が浮かび上がっていた。余談。
蛍光灯のお皿には白と黒の電気のコードがあり、白い方を指でつまんで引っ張ると簡単に抜けた。ホームページではこんな簡単に抜けないはずだが…
黒い方はうんともすんともいわないので、マイナスドライバーで外すと、蛍光灯と分離することができた。
蛍光灯を葬ったあと、天井から電気コードが垂れ下がっている姿をみて、このコードを引掛シーリングに接続するだけなのでは、と思い、引っ掛けシーリング角形(73円)を購入し、コードを差し、ネジで天井に固定した。
必要な知識は、白いコードは接地面、最初のネジの位置を結んだ線上に新しいネジを打ち込むこと。元の穴を見ると、何か補強されているように見えた。私の施工は重い照明器具はムリだろう。
さて、照明器具を何にするかだが、リモコンで動く照明にする必要があった。なぜなら、家具がちょうど壁のスイッチとぶつかっていて、押しにくいことがストレスだったからだ。
アイリスオーヤマの人感センサーで動く照明器具を見つけた。リモコンより楽そうだし、400gと軽量だったので、購入。本体を設置してスイッチオンすると付いた。とても簡単だった。
あれっと思った。色が青白い。パッケージをよく見ると「昼光色」とある。間違えた。電球色がよかったのに…結局蛍光灯色の台所になった。もう交換したい…誰かにあげようかな。実家のトイレとか廊下とか風呂につけてあげようかな。うん、そうしよう。そして私は買いなおそう…。
書き忘れた。
以降の不倫糞野郎と不倫女、あと御曹司の態度変化についてまとめ。
私個人に対しての舐めた態度は減ったが今度は先輩全体に対して失礼な態度を取るように。うんうん。誰が敵かわからないもんね。もちろん、君の処分に納得しなかった全員が君の敵だよ。大正解。
適当な仕事して喫煙で部署放り出して、君が先輩から怒鳴り散らされないのは、君が御曹司の同級生だからじゃなくて、不倫するような倫理性皆無の、資格剥奪すべき人間は指導する価値もないからだよ。さっさと辞めてね☆そして次の縁故先でも忘れないでね☆
不倫女:
出してくる茶の色が明らかに濃かった事が数度。こいつは明らかに不倫慣れした態度だったので場数踏んでいると判断。まあ、職場を追われるのもどうって事ないんだろう。一貫性のない経歴だからデメリットも少ない。楽しみがないと仕事が務まらないタイプの人間なのはもうわかっているので、不倫にも走るし、また倫理観が欠如しているから不倫注意した人間や快く思わない人間へも反撃することに良心の呵責すら覚えんのだろう。
こいつらが人の親というのだからまったく恐れ入る。
まあ、犯罪犯すのも時間の問題だろうからその前に処分へ持ち込ませよう。
御曹司:
結婚の話をしなくなった。
親のところへ相手親から礼状めいたものが届いてたから、話は進んでるんだろうが。
まあ結果が届いて両者の関係に微妙な影が落ちただろうというのは想像に難くない。
君が実家から離されて守られていた間、私達が上の連中から常に口中にねじ込まれていた味がそれだよ。
まあ不倫を隠し庇うような職場へ知らずに嫁ぐ不幸な女性をひとり減らせたんだ。良かったじゃないか。
知った上で覚悟して嫁ぐか、妥協して嫁ぐか、あるいはやめるか。いずれの未来も、知らずに迎えるよりはずっといい。
泥臭い苦労ができてよかったね。
洋モノAVって女性を力でねじ伏せる設定が多いよね。というか基本プレイがそんな感じ。
女性の髪の毛を掴んで口の中にアレをムリヤリ押し込んだり
四つん這いにして頭を上から押さえつけて後ろから乱暴に腰を打ち付けたり
欧米男性の欲望の形というのはかなり過激な男性支配の世界だと思った。
その割には欧米のほうがジェンダー論は進んでいるんだからよくわからん。
主語が大きいと言われるだろうけど、少なくともAV市場が成り立っていて多くの作品に共通する要素なので的外れだとは思わない。
日本人女性が白人男性に抱くジェントルなイメージとは裏腹にかなり暴力的な欲望を抱えてるんだろうか。
----
レイプのように直接的なものではなくて、標準のプレイが荒っぽくないかな。
アレを口にいれるにしたって頭を両手で掴んで前後に強く動かしたり
ブラック校則の問題が取り上げられるたび、学校も先生も頭おかしい!おかしいルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。
子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限を撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界?
自分が過去、学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在の学校や先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。
わたしは、子供の頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限、学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、
たとえばだけど、小学校卒業式の服装。とくに女子で和装の流行が問題となってきて、実質規制する学校もある。
着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。
誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。
じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。
それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。
じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子は着付け習っててちゃんと着られますとかね。
合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから。
もちろん、下着着用問題、下着色問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校にねじ込んでると思うけど。
なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会はクズ!みたいな論調に違和感覚えるんだよね。
ルールを撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場で子供たちに対応するのは先生たちだからね。
保護者が責任持って現場でサポートしてくれるわけじゃない。子供の学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。
服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?
家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価は学校の方についてしまう。
規制がない私立の学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装でイチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。
公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?
まあ一度、頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。
↓先に止めてたA
╋ ╋
┃ メ .┃
┃ / ┃
/←空いている横に止めたつもりのB
……というのは、わりとよくあることだと思うんだけど。
Bは空いているスペースに普通に止めたつもり。「隙間的に問題ない」という書き込みからの想像だけど。
以下、Bは止めていいと思ったが実際は満車だった、という仮定で書く。
Aにしてみたら「その止め方じゃオレが出せねーだろ!想像力ないんかヴォケ!ふざくんな!」となる。
Aは自分の自転車を出すためにBの自転車をどかすわけだが、自分の自転車を出して空いたスペースにBの自転車を入れてやるほどには、まだ怒りがおさまってない。
したがって、Aの考える「Bが止めるべきだった場所」である駐輪場の外へとBの自転車を運んだ。その後、強風で倒れた。
そんなとこかな。
場合によっては、自転車を動かしたのはAではなくBのマナーに怒った通りすがりのCということもありえる。
想像が外れてたら、すまんの。
そもそもが首都圏の通勤ラッシュを捌くために作られてるんだから要求仕様は下げられない。
NFCにねじ込んでも海外の採用事例が全然増えないからボリュームメリットも効かせられずコストが大して下がらない。
Suicaの仕様がオーバースペックな地域の方が圧倒的に多いので普及するわけ無いわな
けどまぁ、これ以上普及しないってだけで廃れるって訳じゃない。
COVID-19でさえ滅ぼせなかった首都圏の通勤ラッシュは今後も末永く日本で存在し続けるだろうから。