はてなキーワード: 陣営とは
これ不思議でならない。昭恵が途中まで籠池と仲良くしてたのは逃れようない事実で、彼女こそ安倍首相を追い詰めてる最大の元凶じゃないのか。
・
だいたい、保守とか愛国とか言ってる人たちは、夫を立てて、家庭内では子育てに徹する専業主婦が理想なんだよな。
櫻井よし子や杉田水脈みたいに女性保守文化人としての実績もない。
そのくせ目立ちたがりときてる。
・
いい加減、男尊女卑的な右派論客の間から「晋三は潔白だが昭恵はダメだ」「悪妻のせいで不運をかこった可哀相な晋三」てなストーリーが出てきてもよかろうに。
しかもその上で「いかに悪妻でも晋三は妻を守った、偉い」てな、お涙ちょうだい方向に持ってくことも不可能ではない。
・
なのになんで、男尊女卑的な右派陣営からの昭恵叩きが起きんのだ?
とてもそうは思えんのだが……。
オタクは、自分たちの好きなマンガが幼児性愛であること、女性蔑視のコンテンツであることを認めたら、表現規制しろと言われるんじゃないかと恐れている。
なので、議論ではそのような土俵にあがることを避けて、ひたすら「表現の自由」を言い立てる作戦に出るしかない。
彼ら・彼女らは、女性専用車両が男性を排除していることを差別だと認めたら、ただちに女性専用車両の廃止につながると恐れている。
そのため、さまざまな理屈をひねりだし、何が何でも差別だとは認めないのである。
どちらも共産党のような無謬性を志向しているのであり、自分には一点の非もないと言い張る潔癖な人たちだ。
まあ悲しいことに、世の中には「相手に非があれば叩いてよい」という風潮がある。実際にもし一歩でも譲ってしまうと、敵の陣営が増長して、そこから百歩の後退を余儀なくされる場合もある。
潔癖症を患っている人たちは、このような社会の被害者なのだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20180225105423
追記
「マンガに描かれているのは架空のキャラクターであり、実在の児童、実在の女性が被害を受けているわけではない」という論理にオタクが固執するのは、そのマンガの表現内容が小児性愛かどうか、女性蔑視かどうかという土俵で勝負することを回避するためである。
現代社会では「差別である」という評価を受けたらバッシングされるし、是正を求められる。それと同様、マンガの表現が一旦「小児性愛」「女性蔑視」というネガティブな評価を受けてしまったら、表現規制派がそこにツケこんで攻勢を強めるのは明白だ。
リベラルやフェミニストは差別撲滅に邁進しているが、その熱心な活動ぶりを見たオタクたちが保身に走って、左派のことを警戒するという現象は不思議ではない。オタクは自分の趣味にネガティブな要素があると認めた場合、それを端緒に叩かれて萎縮に追いこまれる不安があるのだろう。
そして、この病理はそっくりそのまま左派自身にも当てはまる。左派はある物事が差別かどうかを決定する際、自分たちの運動にどう影響するかという観点を優先しがちである。運動の訴求力を落とすことには強い不安を感じていて、そのため自陣営の方針を無謬だと主張するしかなくなる。だが、そのようにして内輪の論理をふりかざす姿は、外部にいる者の目から見れば、不誠実で欺瞞に満ちた態度にうつるだろう。
プレッシャー世代でこんな趣味や考えのやついるのかって衝撃だったから読んでたのに。
私も1985年生まれで横浜住みの男だけど恋人や同級生がみんなゲーム畜生になっちゃったわ。
娯楽ばっかする連中(例えばオタク)にせよ、現実連呼する連中(例えば意識高い系)にせよ、最近の世代ではやたらと極端な奴らの思想が目立ちやすい。
昨年に、それなりに勤めていたが退職した会社が潰れたという話を聞いた
理由は人が全く定着しなくなった挙句に、とうとう業務が回らなくなったからが主らしい
言っては何だが、俺(旧陣営の俺たちが)が離れるまではとても凄いホワイトな環境で健全で回ってた企業だった。
仕事のスコープはハッキリと振り分けられているし、メンバー同士の中もいいから阿吽の呼吸で協力し合って鉄壁の布陣でどんな短納期でも余裕日数のこして完成できるほどだった。
給料だって平均年俸で600万は貰っていた、IT系に勤めている人間ならわかるだろうが、20代でこれだけ貰えたのは技術とか以前に、いかに会社が儲かっているかの証左だったりする
が、経営が傾いて潰れた、厳密にいえば新しく入って来た意識高い系のオッサンによって、人が急速に離れていって現場が崩壊したというのが実際の理由だ
経歴だけは凄いし資格もあるがよく話を聞くと、どこからも鼻つまみものにされて追い出されたり、奴が通った後の優良ベンチャーはブラック化して破壊して回っているというマジモンの基地外だった。(これは後から知った話で、うまいことその理由を隠していたのだ)
増田ならわかるだろうが、大企業は首にするなり飼い殺しにするなりすればいいが、中小やベンチャーは、雇うにしてもお金がかかる分、一人でも抜ければ致命的なダメージになる。
このおっさんは、俺たちを含めて1年で初期メンバーを6人辞めさせた、大企業だとか西海岸にいた経験があるからなのか、クビにしようにも法律や弁護士を盾にして居付き、自分好みの企業にしようと「巻き込み力(笑)」を発揮して現場を滅茶苦茶に振り回し、自分の仕事を共有せず、オマケに他人のワークにはしゃしゃり出てイチャモンつけてくるという面倒くささだった。しかも、それを本気で善意でやっているのだから始末に負えない。
社長は今や消息不明、メンバーはバラバラで分野違いのところへと各々が去っていった。俺もそういうトラウマからいつでもそんな奴が入って職場がブラック化する前に逃げられるようにフリーランスになっている。
エクソシストを観た。ただグロテスクなだけでなく、練られた表現であることが感じられる。
なぜ悪魔がリーガンに取り憑いたのか?理由の説明は皆無である。
おぞましく忌まわしい悪霊が誰彼区別なく憑依する、それは恐ろしいことだ、と思いきや、続編でその理由が語られるという。いわく、リーガンは大いなる善なる者であるために、悪魔パズスが攻撃したのだという。
だとしたら、倒すべき悪と善なる者の戦いであり、黒白明確に分かたれた両陣営の対決であり、結果的に勧善懲悪の浅薄なものがたりである。
単純な世界観であり、大衆を対象にしたただの娯楽作品といえる。アメリカの単純な世界観はこういうところにも現れているのかもしれない。
それは(twittrで)問題発言があり情報共有のためSSをとる際、IDの部分を消す必要があるか否かについてだ。
自衛のためにIDは必要だとする人もいれば、IDがあることにより逆に過激派は該当アカウントへ特攻、第二の炎上に繋がるのでない方がよいとする人もいる。
正直なところ、それで第二の炎上が発生したとして自業自得なのでは?と思う程度には自分の性格は悪いのだが、自衛をするためにはIDが必要である説には正直疑問を感じる。
というのも、もちろんケースによるのだが、今回の場合はIDがあったところでどうやって自衛できるかわからないからだ。
そもそもIDが見えることでどうやって身を守るのか。IDとはネームタグのようなもので、名前の部分を変えてもIDから対象の判定が可能なわけだ。
過去にどんな発言をしていたかが分かれば、例えば詐欺行為をしている相手ならひっかからないように注意できるし、罵倒を繰り返すような輩であったりすれば避けて通ることができる。
また、一部の人たちが言うように事前のブロックとやらも可能だろう。
しかし、この事前ブロックという手段がどうにも自分には有効な手段とは思えない。その理由としてまず前提に
・今回見ていたケースの場合、問題行動をしている相手が数人ではなく多岐にわたる
・他にも多数の問題があるのに、まとめられていたのはごく一部のケースの話
という状況がある。
IDによる事前ブロックが有効なのは、基本的に該当人物が限られている場合ではないかと思う。
数が多ければ、絡んでくる前に探してブロックするより万一絡んでこられた時にブロックした方が、実際の労力は少なくすむ可能性が高い。
また、集団で荒らしたり副垢を使ってくる相手には事前のブロックなどほぼ意味がない。ブロックした相手以外に粘着されたり、悪ければ捨て垢で突撃されるだけだ。
IDを公開することで分かるのは、そのIDの人物が要注意人物であるというだけで、もちろんそれはそれで悪いとは思わないが、それが自衛に繋がるかと問われるとその可能性は低いのではないかと思う。
そして逆にIDを公開することによって(正直そのような文句を言う資格があるのかと言われたら首を振るのだが)IDが公開された側、これは本人のみならず、いわゆる同陣営の相手から本題をそらすための突っ込みが入る可能性が割とあるからだ。
突っ込みそのものの正当性はどうかと思う。自業自得だとは思う。
だがその上で、そういう自業自得であろうが何だろうがごねてくる相手に時間を取るのも勿体なければそういった反論によってどっちもどっち論を展開されると第三者がそういうものなのかと誤解してしまう恐れがある。
そのような隙を生まないために、あえて多少不本意ではあろうがIDを隠した方が注意喚起そのものはうまくいくのではないかと思う。
意味のない自衛にこだわるよりも、どのような問題が生じているのかを視覚化し、誰それが悪い、ではなくて、このような行為がいけない、という認識を広めることで啓蒙活動をする方がまだ自衛に繋がるのではないだろうか。
世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。
オタク・陰キャ・非リアなどと呼ばれる人々と、それ以外だ。
後者は前者と対比して、ウェイだの陽キャだのリア充だのと呼ばれてきた。
さらに、最近のネットではもっと乱暴に「社会不適合者/健常者」という呼称で区別されることもある。
今やオタクとは「ある分野に異常に詳しい人」とか「趣味に異常に没頭している人」といった意味を超え、
「ある種のコミュニケーション・行動を示す者」全般を指すようになったのではないか、と私は考える。
そして恐らく、陰キャや非リアと呼ばれる人々もまた、この特有のパターンを共有している集団の別名に過ぎないのではないか。
彼ら特有の言動の根底にあるもの、それは「コンテンツ主義」である。
オタクのコミュニケーションや行動は、「コンテンツ」に重きを置いたものであることが多い。
言い換えれば「コンテンツに関わる何らかの目的が存在し、その手段としてコミュニケーションや行動がある」という状態である。
要するに、オタクは「自分の興味のあるコンテンツ」について話したり、アクションしたりする修正を持っていて、
逆に「中身のない話・興味のないこと」に時間やエネルギーを使いたがらないのである。
・友達は少ないが、共通の趣味をもつ友人とはやたらと話が弾む。
・人間関係よりもモノに興味がある。もしくは「特定の個人そのもの」に異常なまでに興味を持つ。
・恋愛は「恋愛という行為そのものに対する憧れ」、あるいは「特定個人への執着」のどちらかになりがち。相手との関係は二の次。
・旅行に行く時は、目的地/移動手段/旅先の名物など、「モノ重視」で旅程を組む。
・職場の懇親会や、大して親しくもない人との飲み会を毛嫌いする。
・誰もが知っている曲しか歌われないカラオケには何の価値も感じない。自分の好きな曲、面白い曲/パフォーマンスこそがカラオケに求めるもの。
・身だしなみは、人から何も言われない限りはかなり適当に済ます。あるいは逆に超個性的なファッションに走る。
「コンテンツ主義」とも言うべきオタク的思考の対極にあるのは「雰囲気主義」ではないだろうか。
これは「中身そのものより、盛り上がってる空気が好き」「会話の内容よりも、会話のやり取りそのものが楽しい」という考え方、というか感性である。
・知り合い同士の人間関係に興味がある。何かと「誰かと誰かの関係」について噂話をしている。
・恋愛とは関係性である。「友達として仲良くなって、いつの間にか恋愛関係になってました」パターンが基本。
・旅行の面白さは「誰と行くか」「何を話すか」「どんな体験をしたか」で決まる。言い換えると「コト重視」。
・大して中身のない話、当たり障りのない話を続けても苦にならない。
・カラオケは「みんなで盛り上がること」が重要なのであって、好きな曲でも盛り上がらなければ意味がない。
社会の中では「雰囲気主義者」が多数派なので、少数派である「コンテンツ主義者」は肩身の狭い思いをすることになる。
少数派の立場に甘んじる彼らは、半ば蔑みの意味を込めて「オタク」「陰キャ」「非リア」と呼ばれる。
厄介なことに、「雰囲気主義者」も「コンテンツ主義者」も「互いの感性が世の中のスタンダード」と思い込みがちなので、
両者のコミュニケーションはしばしば噛み合わず、深い溝が生まれることとなる。
目に見えない「空気」を巧みに読み、協調性に優れる「雰囲気主義者」は、往々にして「オタクは協調性がない」とのたまう。
オタク自身もまた、「雰囲気主義者」のそういう一般論を鵜呑みにして、「自分たちは協調性のない人間だ」と評価することも多い。
確かに、「コンテンツ主義者」は、コンテンツを共有しない=前提知識、文脈、興味関心を共有しない相手とは協調することが難しい。
その反面、共通のコンテンツの下に集まった時、「コンテンツ主義者」は「雰囲気主義者」を超えるほどの連帯を発揮する。
ネット上、特にTwitterで何らかのコンテンツが急激に拡散される時、「コンテンツ主義者」の恐るべき協調が垣間見える。
それはある時には爆発的なヒットの原動力となるし、ある時には過剰なまでの炎上騒動を引き起こす。
こんな長文を気まぐれに投稿するような人間は大抵「コンテンツ主義者」の仲間だろう。
おっと勘違いするなよ、モンハンワールドは買ってるし、楽しんでるし、
「所謂」オープンワールドではないことが別にゲーム性を損ねてるわけでもないから、
別にアンチモンハンじゃねーぞ。最近は肯定的でない意見を見るとすぐ「別陣営」扱いしてくるから困る
さておき
もちろんオープンワールドと言って売ってるわけじゃなくて、勝手にこっちが思い込んでるだけなんだけど、
実は買うまでオープンワールドだと思ってた
世界がひとつながりという意味でのオープンワールドじゃないよね
まあオープンワールドの定義って何っていわれたら確かにそうなんだけど
モンハンっぽくもあり、変に移動に疲れずに済むストレスフリーさであったり、
必ずしも猫も杓子もオープンワールドというのが良いわけではないんだなと思った
だいぶ乗り遅れてしまったのですが、まあいいかと思いつつ済ませていたら、悶々と思いを抱き続けることになったので、もし同意していただける人がいらっしゃったらと思って書くことにします。
はあちゅうさんの告白や年末に放送された「ガキの使いやあらへんで」の特番の影響もあって、日本においてもポリティカル・コレクトネスについてだいぶ議論されるようになってきました。議論が起こること自体は、自分としてはいいことなんかじゃないかと思っています。
そして、ポリティカル・コレクトネスによって提起されている思想・信条についても基本的に自分は賛同しています。人種・民族によって差別をしないこと、性的差別をしないこと、セクハラ・パワハラやその両方をしないこと、LGBTQの人も同等の権利が認められるようにし、偏見を解消していくこと……私はこうしたことについては賛同しています。
けれど、日本でのポリティカル・コレクトネスの語られ方――こういう言い方だと大雑把過ぎるかもしれませんが――例えば、以下のような記事を見て、すごく違和感を覚えたのです。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2018/01/09/073000
ぜひ読んでもらいたいのですが、簡単に言うと年末に放送された、ダウンタウンさんの年末恒例の番組「ガキの使いやあらへんで」の特番で浜田雅功さんがエディー・マーフィーの顔真似をするために「ブラックフェイス」をしたのが「笑えない」と述べておられます。音楽ジャーナリストの方のブログなので、まあそういうこともあるかなと思っていましたが、先日、朝日新聞の論壇時評の委員を務めていらっしゃるような方もこちらのブログを参考文献として挙げていたので(ちなみに私は朝日新聞批判論者ではありません。肯定派でもありません)、そこまでなのかと思いました。ポリティカル・コレクトネスが日本でこうやって語られてしまうのは、私としては「どうなんだろう」と思ったのです。
先に挙げたブログについては大きく言って二つ、違和感の覚えることがありました。一つ目は「笑えない」と断じていることです。自分は笑えない、その意識を持たないとダメなんじゃないかとおっしゃっているように私は読みました。けれど、ポリティカル・コレクトネスが海外で提唱されることになった背景を考えてみれば、すぐに分かることだと思うのですが、いじめやいじりが「笑えない」のではなくて「笑えてしまう」ということ、その残酷さを考慮しないと、本当の意味でポリティカル・コレクトネスが提唱するものは、そこに根付いていけないのではないかと思うのです。もちろんのことですが、「笑っていい」ということではありません。でも、日本では「笑えない」という啓蒙的なアプローチをすること自体が本当の意味での理解を生まないのではないのでしょうか。
それに関連して二つ目ですが、こうした記事が分断のマッチポンプになっているのではないかということです。ブラックフェイスは様々な視点で見て多くの人に誤解されうる表現です。私はそれが今回、指摘されることになったのはいいことだったと思っていますし、日本の民法のテレビとしては不適切だったと思います。
では、あのシーンが、もしくはあの番組自体が、人種差別的なメッセージがあったかというと、そんなことはないというのも大抵の人は分かっているのではないでしょうか。重ねていいますが、だからブラックフェイスをやっていいということではありません。でも、あのシーンで「笑った」人はそれなりにたくさんの方がいると思うのです(松本さんは後日「浜田が悪い」と言っていましたが、らしいコメントだと思いました)。そして、そういった人々が人種差別の意識を持っているかというと、そういうことではないと思うのです。
けれど、先に挙げたようなブログが掲載されて話題になることで、笑った人と「笑えない人」の分断を生むことになります。私も笑った人間の一人です。ブラックフェイスだから、即座にアレルギー反応のように自分の感情を拒否したわけではありませんでした。罪を犯した側からこうしたテーマについて提起するのは分かる気もするのですが、自分は罪を犯さなかったとわざわざ言う人の言論には正直、違和感を覚えてしまいます。そして、結果として、そういう意見が人種差別の意識がまったくない人に対しても線を引き、分断を増加させていくことになるのではないかと思うのです。
一昨年のアメリカ大統領選挙について海外からの報道を見ていましたが、私はなぜドナルド・トランプ大統領が勝つことになったのか、腑に落ちていませんでした。けれど、今回の一件を見ていて、すごく分かる気がしました。「ガキの使いやあらへんで」の特番のブラックフェイスに笑った私は、いわゆるポリティカル・コレクトネス陣営から見れば、人種差別主義者ということになるのかもしれないと思ったのです。
そして、先ほどのブログの執筆者と別の方が対談されている原稿が掲載されていて、更なる違和感を覚えました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54106
——
柴 テレビの話題では、2017年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時』でのブラックフェイス問題が、年明け早々、世界中の主要メディアで報じられるという事態が起こってますね。
宇野 うーん、あれに関する国内の擁護コメントとかを見てると、ちょっと絶望的な気持ちになってくる(苦笑)。
柴 というと?
宇野 簡単に言うと、あれを擁護するということは、「これからも日本は文化的鎖国をしていこうぜ」って話でしょ?
確かに文化的鎖国をしたところには様々な既得権も存在していて、そこで生活をしてきた人はその構造を変えたくないんだろうけれど、さすがにもう無理なんじゃないかな。
宇野 それもあるし、多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネスの問題って、別に政治的、社会的な問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。
好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクターが女性や黒人の若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。
ポリティカル・コレクトネスに配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。
――
引用ここまでです。
アメリカではもう白人だけのアイドル・グループはありませんし、映画やドラマにおいて人種的多様性を反映させることは前提になっています。それを日本に安易に当てはめようとすること自体が私としては拙速過ぎるのではないかと思うのですが(将来的にはそれを考えないといけない事態もあると思います。そして、『ワンダーウーマン』の議論についても割愛します)、一番違和感を覚えたのは「ちょっと絶望的な気持ちになってくる」という言葉でした。
例えば、日本におけるヘイトスピーチを見た時、確かに私も「絶望的な気持ち」になります。けれど、それを第三者に伝えるときに私は「絶望的な気持ち」という言葉を使いません。いろんな人がいますし、どんな可能性があるかも分かりません。もっと複雑で込み入ったニュアンス、嫌な言葉で言えば、玉虫色の言葉を使うのではないでしょうか。隣人を含めたテーマです。ポリティカル・コレクトネスはそれを変えていく運動でもありますが、本当に自分の問題になった時に「絶望的な気持ちになってくる」といったような“威勢のいい”言葉を使うことはないのではないでしょうか。けれど、「ガキの使いやあらへんで」や『スター・ウォーズ』といった、自分からは飛距離のある場所では、そうした言葉を使ってみせる。それっておべんちゃらのように聞こえてしまいます。
伊藤詩織さん、ひいては司法の問題、LGBTの婚姻についての問題――程度の問題ではないですが、「ガキの使いやあらへんで」よりも私たちが考えなきゃいけない問題はまだまだあります。
「ガキの使いやあらへんで」の特番でのブラックフェイスはやってはいけないことでした。けれど、もっと語りにくいけれど、考え、話し合って、変えなきゃいけない問題があるのだと私は思っています。そこには時間軸も入ってくると思います。明日からすぐに変わることはありません。1年後にかわっている保証はありません。では、いつ変わるのでしょうか? そのために必要なのは威勢のいい言葉ではないと思います。
全く無意味な論点逸らしの為のたとえ話。こんな粗雑な論に賛同が集まっている意味が解らない。
くだらなすぎるが同じことをやり返してやろうか?実に簡単な話だ。
一部の人間の行いを持って全体を判断する行為は差別である。すなわち店が商品に防犯タグをつけたり監視カメラを設置したりすることは、客の大部分が泥棒ではないのにも関わらず、ごく一部の泥棒に対する被害妄想から、客を十把ひとからげに泥棒扱いすることと同義であり、到底容認できるものではない。従って監視カメラおよび防犯タグは偏見に基づく差別である。
今回のこのタイトル、
『いち風の戦士が書く~~』ってカッコつけてやろうとしたんですけど、
あまりにも偏見とか私感なんちゃらが入りすぎてたのでやめました。
同僚への配慮です。
(そのため、この記事には読む人によっては気分を害する内容が含まれている可能性があります。
心が穏やかな状態の人だけ読んでいただければ幸いです)
さて、大丈夫でしょうか。
まあ、こんな記事を好んで読むような方は、TB投票とはなんちゃらをよく理解しているだろうし、
私は日々、ミリオンスターズの一人、七尾百合子をプロデュースしており、
その七尾百合子は、
そこで私は、
Nカードの姿はちゃっかり本を抱えている。
(TA投票ではその要素を活かして『勇者役』を勝ち取ったりもしました)
そんなこともありまして、
SNSやコンベンションセンターではさほど荒れることもないく、
百合子が探偵一本に絞っていく!というのは早い段階で決まりました。
もしかしたらテーマと役が発表された時点で大本は決まっていたかも。
多くの票を一気に集中させ、盛大なスタートダッシュに成功しました。
②、コンベンションセンター、discordを用いた一斉投票企画
まあ意味合いとしては、いずれ消え逝くコンベンションセンターの代理と言ったところでしょうか。
それはさておき。
百合子陣営、一斉投票企画がとても上手く行っていた印象があります。
2位以下を大きく引き離しました。
コンベンションセンターやdiscordでの意思疎通はとてもスムーズに行き、
(これも、役がピッタリハマっていたことが一要因ではあると思うが)
これは若干反則技のような気もしますが……。
多くの票数を獲得することができました。
初限定SSRカード、イベント上位報酬、Princess Starsのイベントにも参加……。
ミリシタの第二弾PVでは扉を開いて入ってきたプロデューサーを出迎えたのは百合子でしたし。
39人のミリオンスターズの中でも、百合子は特別な優遇をされていました。
あまり声を張って言うようなことでもない気がするけど……。
さて、これで四つです。
ぱっと見たところ、どうですか。
これ絶対に勝ってるやつやん。
……自分でも書いていながらそう思いました。
とてもスムーズに事が運んだ印象です。
それでなくても、風の戦士たちです。
ミリオンスターズの中でも最も大きな派閥と言っても過言ではない。
その勢力が、決まりきった役どころに、すべてをかけて、役を取りにきた。
でも、
負けたんですよ……。
この記事を書いている現在(1月27日)、まだ正式な結果は出ていませんが、
その差、6万票ほど……。
圧倒的な敗北でした。
流石に6万票差……。
幾ばくか票数は変わるとのことですが、
それでも6万票差……。
(それに不正投票の除外を期待するのはなんだかイヤですし)
百合子Pたちが……。
圧倒的な票差をつけられ、破れました。
はい。
本当にですよ。
本当に、勝つ要素しか無かったんですよ。
言い訳がましいですが、それでも本当に、
スタートダッシュを決め、
更には、百合子が2位に陥落した時、
百合子を勝たせようと、多くの他担当Pが助力をしてくれました……。
それでも、負けたんです。
勝ちに不思議な勝ちあれど、
負けに不思議な負け無し。
本当に、どうして負けたのか……。
抜いた抜かれたの大接戦を繰り広げた後に
僅差で破れでもしたのなら
天災……。
天災。
……。
それだけなのに、致命的すぎた。それが致命的だった。
巻き込まれたら最後、他のどのアイドルでも太刀打ちできなかっただろう。
……こんな感じでしょうか。
そうでもしないと、納得ができないというか。
反対に、『探偵白石紬』の敗因となりえた部分にも触れておきますか。
TB投票イベが始まってすぐ、白石紬は総投票数ではトップクラスに躍り出ました。
その反面、特定の役で1位になることは長らくありませんでした。
3テーマ15役全てのトップ5に入ったこともあるくらいでしたし。
TA投票時の北沢志保……。いや、それ以上の死票が出たのではないでしょうか。
普通、あれだけ死票を作ってしまえば、後々取り返すのが苦になるものです。
実際、そうでしたし。
②、ゲーム内コンベンションセンターが無いという事実。
グリマスゲーム内コンベンションセンターがありませんでした。
投票が始まった直後は意思疎通をする場も無く、担当Pは大変だったのではないでしょうか。
……こんな感じでしょうか。
多くの勝因を備えた七尾百合子。
そして、勝敗の結果は先のとおりです。
本当に、運。
運の悪さ。
……。
少し、前言修正。
そういうことは決して思いません。
決して、決して。
意見をまとめあげ、役を決定するまでには多くの苦労があったことでしょう。
ただ、それでも、
それらを乗り越えての6万票差という結果。
それらは説明がつくのかというと、
やはり、難しいのではと思うのです。
そして、もう一つ思ったのは、
その勢いは、既に全盛期のそれでは無いのでは……。
ミリシタでの『Growing Storm!』イベも、ボーダーが跳ね上がるということは無かった……。
たった、それだけの存在であった……。
ええっと、なんだっけ。
……にしても、書きたいことは書けたはず。
うん、多分。大丈夫。
ここまでこの拙文を読んでくれた方はいるのでしょうか。
もしいるとしたら……。ごめんなさい。変なものを読ませてしまって。
ただ、本心です。
運悪く、天災のような勢いに飲み込まれ、役を得られなかったこと。
それらを、なんとか文にしたかったんだと思うし、それができてよかったと思っています。
で、文を書いたなら締めないといけないんですけど、
どうやって締めたものでしょう……。
まあ、そうですね。
二度ある事は三度あると言いますし
また投票イベがあることを信じながら、
もし、次の投票イベがきた暁には、
いや、ゼッタイにあげてみせる!
みたいなことを決意しながら、この拙文を締めようと思います。
お疲れ様でした。
別段仮想通貨が悪いとは思わないし、21世紀の新しい通貨体型であるとすれば私の考えは旧時代的で、遅れているものなのかもしれない。それならば、この投稿は滑稽極まりないものだろう。けれども、SNS(特にTwitter)上で見かける仮想通貨とその取り巻きの言行を見ていて、心底薄気味悪い感情を抱かずに、それを吐露せずにはいられなかった。
仮想通貨とは、国家の(法的な)保証がある法定通貨とは違い、それらがなく、国家に依存しない自由な通貨であるとされている。しかし、現状は決済手段としての通貨、というよりも資産運用のための、投機商品としての「通貨」という面が強いのではないだろうか。
普通の、法定通貨は国家がその価値を保証することによって、使用者である国民が信用し通用してしているわけだが、国家の保証を持たない仮想通貨の価値は、その当該仮想通貨に対する利用者の信用・信頼に依存しており、それゆえに仮想通貨の価値イコール仮想通貨への信用度ないしは期待値である。よって、期待値が上がれば高騰(騰貴)するが、今般の取引所の取り付け騒ぎのように、仮想通貨全体の信用を揺るがすようなことがあれば、また仮想通貨そのものに対する期待が下がれば、当然暴落(下落)する。
期待を集めれば、利用者が増えれば価値が上がる「通貨」の構造上、囲い込みが日夜繰り広げられており、その様相はさながら陣取りゲームのようである。通貨名については伏せるが、コミュニティ内において(抽選等によって)参加した数名に対して時には100万単位(日本円換算では10万円前後)でコインをばら撒く、「通貨」を手放さないようにコミュニティメンバーに対してホールドするように呼びかける、「通貨」が上場予定だからこの先も騰貴する可能性が高いと主張する、自己が所有する「通貨」の優位性(数ヶ月で10倍、100倍になったなど)をアピールする、などがコインをばら撒いているような大量保有者のみならず、少量の、始めたばかりと思しき人も行っており、陣営の上層部から末端に至るまで、「通貨」に対する勧誘、そして陣営の維持拡大がなされている。
傍から見る限りでは、宗教または連鎖販売取引の勧誘のように見えて仕方がない。この「通貨」を信じれば(ホールドして上場を待てば)貴方にはこんなにも利益が得られる、などとのたまうのは完全に新興宗教の勧誘そのものではないのか。それらをSNS上で目撃する度に、薄気味悪い感情を抱かずにはいられないのである。
勿論、「通貨」が上場してもっと多くの利用者が集まれば、利益そのものは出るかもしれない。嘘は言っていないのかもしれない。けれども、大幅に利益が出るのは初期に所有し始めたような大量保有者である。末端の利用者はたとえ数倍に騰貴したとしても自身が所有する――少量の――分しか利益は当然に出ないのである。
仮想通貨を持たない、参加しない人間の僻みやっかみであると認識されても結構であるのだが、少し仮想通貨に熱を上げ過ぎて、日々の生活が蝕まれていないのか、生活が仮想通貨と一体化していないか、仮想通貨で生活(人生)を賭けて半丁博打をなされている人間がとても心配である。