はてなキーワード: 部活とは
3歳から通ってた近所のピアノ教室の息子で、6つ年が離れていた。
なぜかわからないけれど、子供のころからとにかくそのお兄ちゃんが大好きで大好きで、教室以外でもよくくっついて回ってた。
お兄ちゃんはお兄ちゃんで、三兄弟の末っ子で、自分より下がいなかったからか、私のことをよくかまってくれてよく遊んでくれた。
私が小学校に上がったとき、彼は6年生で、私が通ってた小学校は小6が小1の面倒を見るみたいな縦割りの組織があって、同じ登校班だった彼と私はいつもペアにしてもらえた。彼が卒業するときは、嫌がって大泣きしたくらい好きだった。前々から私は「将来は〇〇お兄ちゃんと結婚する」と言ってはばからなかったので、周りの先生や同級生、彼の同級生にも周知の事実で、わざわざお兄ちゃんとのツーショットを担任が撮ってくれた。今でも大事にとってある。あと彼の同級生に囲まれるなかで、彼がほっぺにキスしてくれたのもめちゃくちゃ覚えている。
中学に上がってから彼は体育会系の部活に入って、それまでやっていたピアノもやめてしまって、私とはあまり会えなくなってしまった。それでも私はずっと彼が好きで好きで、ピアノのレッスンが終わっても待合室で彼が帰ってくるのを待っているくらいだった。彼からすると私は年の離れた妹くらいの感覚だったようで、面倒を見るみたいな感じで接してくれた。その態度はそれから10年以上変わらなかった。彼は幼いころからとにかく優しくて、思春期特有の女の子を遠ざけるようなこともなくて(これは年が離れていたから、そもそも女として見られていなかったというのもあると思う)はじめはその態度がうれしかったけれど、自分のこれが単なる憧れとかでなく、恋なんだと気づいた中1からはめちゃくちゃしんどくなった。
小学4年生くらいから恋バナとかするようになったけど、好きな人はずっと「〇〇くん(お兄ちゃんのこと、小3くらいからそう呼び始めた)」と答えていて、でも正直好きとかよくわかっていなかった。中学1年の時、彼に初めて彼女ができて、初めて嫉妬をした。中1から見た高3はめちゃくちゃ大人びていて、悔しいと思うと同時に太刀打ちできないと思った。相手はお化粧とかもして、制服も着崩したりして、今の自分とは全く違う世界の人だと思った。そしてそんな人と彼が恋人同士というのが、彼も遠い世界に行ってしまったようでしんどかった。今も覚えている、ピアノ教室に行ったら玄関の前であの二人が楽し気に話していた風景。本当にショックだった。
どうにか少しでも近づけるようになりたくて、化粧を始めたり、ファッション誌を買って勉強し始めたのはこのころだった。先生にバレないギリギリの化粧をしたり、ストパーかけて髪サラサラにしたり、評定に影響しない程度のオシャレをして、みるみる周りよりもちょっと大人びた子になった。
そしたら部活の先輩から告白された。彼が好きだったから、好きな人がいますって断った。その次は別の先輩に告白された。断ろうとおもったけど、「すぐ返事くれなくていいから、考えてみて」って言われた。断るつもりでいたけれど、そこで改めて考えてみた。もし彼がフリーになって、私と付き合ってくれたとして、付き合うってどうするんだろう?彼女ってなんだろう?デートしたり手をつないだりというのは想像がついたけれど、それ以外付き合うというのが何かわからなくて、一度他の人と付き合ってそれらを知るのもいいのかもしれないと思いなおした。タイムマシーンがあるならこの頃に戻って全力で阻止したい……。結局私は先輩と付き合うことになったが、3か月もせず先輩が卒業したのをきっかけに別れた。その頃はケータイとか持ってなかったから、連絡の取りようがなくて自然消滅した。結局、付き合ってしたことといえば一緒に帰ったり、休みに一緒に映画を見に行ってプリ撮ったり、それくらいだった。
そんな感じで経験が乏しかったので、しばらくしてまた同級生に告白されたらOKして付き合ってみた。ただ私があまりに受け身なのであっという間に関係が冷めてすぐ別れてしまった。それからしばらく来る者拒まず去る者追わず方針で付き合っては別れてを繰り返し、そのうちキスとかも経験した。ただ同じ学校内でそれを繰り返していると女子からの印象がどんどん悪くなるので、途中から「付き合うのはOKだけど、周りには絶対内緒にして」と言うようになり(以外にみんな素直で本当に内緒にしてくれた)またこの頃からケータイを使い始めて、他校の人とも関係を持つようになって、どんどん拗らせていった。多分影でビッチとか呼ばれてたんじゃないかな、高校生までヤッたことなかったけれど。
ピアノはずっと続けていたので、彼と会う機会はほぼ毎週あった。向こうが部活やバイトで忙しくて会えないときもあった。向こうは私が付き合っては別れてなんて繰り返しているとは知らず、「学校どう?」とか「部活どう?」とか聞いてくる。彼氏の話は一切しないで、彼からの印象が悪くならないような話を色々した。受験期には勉強を見てもらったりもした。ますます妹感が強くなっていっていたが、どうしたら自分を恋愛対象として見てもらえるのか当時は全く分からなかった。大体私が高校に上がったとき、向こうはもう成人してたのだ。最初の彼女とは別れていたが、また気づかぬ内に二人目の彼女ができていた。確か同じサークルの人とかだったと思う。気づかない間に二人目になっていて、帰ってからベッドで転げまわった。
高校生になってからはさらに拗らせて、SNSで大学生と知り合い処女を失った。というか、向こうは完全に私を恋愛対象としていなくて、恋愛話を一切してこないから、それが悔しくて他の男に向かっていた節がある。今思うとSNSで知り合った人と会ってコトに及ぶの本当に危ないからやめてほしい。あとファーストキスも処女も全部取っておけばよかったという後悔もすごい……。ただ、自分も女だ、努力すれば彼に振り向いてもらえるかもしれない、実際年上の男とも付き合えている、というのは自信になった。まあ定期的に「もう無理~~~!絶対無理~~~~~~~~!!!」と鬱になって別の男に走るを繰り返してはいたけど……。マジ屈託なく頭撫でてきたりするから……。ここまで拗らせるとボディタッチも、嬉しいとかより「女として見られてないんだな……」の感情の方が強かった。
転機が訪れたのは高3の時、向こうは社会人なりたてだった。大学時代の彼女と別れたのだ。私は「受験勉強を見てほしい」という口実で、ピアノのレッスン後待合室に残り、彼の帰りを待って勉強を見てもらった。既に理解している数学の問題をわざと「わかんない……」と言ったりして、少しでも一緒にいられる時間を延ばした。親も「〇〇先生のとこの息子さんなら大丈夫」と謎の信頼を置いていて、先生(彼のお母さん)も夕飯出してくれたり、帰りは私を家まで送り届けるよう彼に言ったりしていた。天は私に味方している。
その時つながっていた男は彼氏・セフレが3人ほどいたが(全員大学生)、「受験勉強に専念したい」と言って全員切った。大学は彼と同じところを志望していた。少しでも話題を作りたかったのだ。本当はもっと上を狙えると担任に言われていたのだが、頑なに拒否した。
センターが終わったら、お疲れ様会をしようと私から提案して、センター2日目の終わりに彼に拾ってもらいファミレスに行った。そこで「大学受かったら付き合ってほしい」と言った。なんかもう少女漫画とかの影響受けまくりのセリフで今思うと恥ずかしいのだが、もうここでこう言うしかないと思い込んでいた。
彼は大変困惑して、「俺社会人だし」「同じくらいの年の人がいいんじゃない?」「〇〇はまだ若いんだし、もっといい人いるよ」とかいろいろ言ってきた。私も「ずっと昔から好きだった、今まで彼女できた時とかショックだった」「妹みたいに思ってたかもしれないけど、こっちはお兄ちゃんだなんて思ってたのは小学生まで」と言い返した。そんなつもりなかったが、ボロボロ涙が出た。向こうはしばらく黙り込んだ後、「大学受かって、かつ〇〇が成人して、その時〇〇に彼氏がいなかったら付き合う」と言ってくれた。
舞い上がったが、それから向こうがものすごくよそよそしくなって、ああ、これからの2年間で諦めさせるつもりなんだな、と思って、大学の合格報告をしたついでに、「絶対他の人を好きになることはないし、絶対諦めない。撤回するのも許さない。あとそれまでに彼女つくって逃げるのも嫌」みたいなことを言った。相手は「そうは言っても大学で他にいい人見つかるかもよ?とりあえず〇〇が成人するまで彼女作らないよ」と言ってくれた。
それからの2年間、たぶん一番大変だった。あまりしつこいと嫌われるかもしれないから、なるべく控えめに、でも途切れさせることなくやりとりをして、月に1度くらい一緒に出掛けた。出かける度に一世一代の大勝負くらいの気持ちで、一生懸命メイクして髪を整えてかわいい服を着た。一緒に買い物に行ったときなんかに相手の好きな服の傾向を把握し(試着に付き合わせて反応を見た)どうにか女として意識してもらえるよう努力をした。
1年生の秋くらいに彼が一人暮らしを始め、成り行きで一度だけその家に入ったことがある。そんなに広くないワンルームで、座る場所があんまりなく並んでベッドに座った。ここで既成事実を作ってしまおうかめちゃくちゃ悩んだけど、我慢した。思考回路がダメなので、押し倒してなし崩し的に持ち込めるな……とは思ったけど、そうすると彼の「20歳過ぎたら」という気持ちを尊重できてないな、と思い直して。なんかものすごく生殺しでしんどくて、予定よりも早くさっさと帰ってしまった。
前々からデートの約束を取り付けており、一緒に食事をした。多分私、ずっとニヤついてたと思う。仕事帰りだったから向こうはスーツだった。出会って最初に「忘れてないよね?」って言ったら「ニヤニヤしすぎ」って流された。
なかなか本題に入らずに、ずっと大学の講義がどうだとか、バイト先の社員がどうだとか、当たり障りない話をずっとしてた。いつ言おう、それとも向こうが言ってくれるだろうか、その場合いつ言ってくるんだろう、やっぱり私から言ったほうがいいかな、と思ってるうちに食事が終わり、帰る前にお手洗い寄って、テーブルに戻ったら小さい紙袋が置いてあった。「どうぞ開けて。誕生日プレゼント」と言うので取り出したら、指輪だった。何も言葉が出てこなくて、あわあわしながら彼の顔を見たら「負けました」って言われた。ようやく付き合うことができた。
こうして、17年?にわたる片思いが実ったことが、もう本当に今死んでも悔いがないくらい嬉しいんだけど、ここまで私がこじらせてたことも、気持ち悪いぐらいの片思いをしてたことも、中学に上がって以降一切誰にも話してなくて、話したくなくて、でもようやく付き合えた!!!!!!!!ということを誰かに言いたくて書いた。多分これからの方が大変なのはわかってるんだけど、今はとりあえず浮かれている。
0717:なんで今伸び始めた??タイトルから誤字っててごめん。直した。
そろそろ付き合って1ヶ月経つけど、彼が手も繋いでこないのに物凄くもどかしさを感じる。何も知らない女の子だと思ってるんだろうな……罪悪感がヤバくてたまに吐きそうになる。一生教えるつもりないけど。
でもあの時男を渡り歩いて、どうしたら好きな人を振り向かせられるのか、好きになってもらえるかを研究した……?というか学んだというか……色々試していたので、あの経験がないと今の幸せもないのか、と考えるとなんとも言えない気持ちになる。読んでくれた人も幸せになりますように〜〜〜!!
理系に6年間いたが、恋人がいないことで悩んでいる男子大学生が意外と多いことを俺は知っている。
ここに書いて有ることをやればまず彼女はできる。めんどくさい筋トレも、恋愛工学(?)のモテ本も、出会い系アプリも、訳わからんナンパもいらない。
これから書くことを上から順にやっていくだけでよい。半年くらいあれば彼女ができる。
・髪を切る。ただ行く店に注意しないといけない。男性向け美容院のチェーン店に行くのがベスト。オーダーは「マッシュにしてください。」これだけで良い。意味が分かる必要はない。
・服を買う。wearというサイトの一番人気を真似しておけば良い。「服屋に行く服がない」とよく言うが、今は大半の服はネット通販で買える。ここが一番カネがかかるポイント。
・目が悪い人はメガネをやめる。コンタクトにする。眼科に行って、「コンタクトにしたいんですけど。。。」といえばあとは全部やってくれる。
・サークルに入るかバイトをやる。なんのサークルでも良いが、オタサーはだめ。中高と部活をやっていればそれの続きで良いし、何もやってなかったら取り敢えずテニサーでよい。
・「付き合ってもいいかな」レベルの「後輩」のラインを聞く。ここが最も難しいポイントだが、上に書いてること全部やってたらよっぽど顔面崩壊してる人以外なら多分大丈夫。もし断られたら多分望むレベルが高いと思う。明るい子でも暗い子でも良いが、あんまり友達が多くない子のほうがいいと思う。
・ラインを聞けたらもう50%程は終わってる。だが間違ってもいきなりデートに誘うのではなく、同じサークル・バイトの男と飯食ってるときの写真とか、そういうのを送って自然と会話につなげる。
・最初のデートは飯に行く。飯だけ。1時間で終了するくらいの方が良い。いきなり高いレストラン行かなくて良い。向こうの好きな飯を聞いて、一緒に食べに行って、駅まで送って終了でよい。
・二回目のデートは水族館に行く。3時間くらいウロウロしたら飯食いに行く。そのまま駅まで送って解散。
・三回目のデートで告白する。夏なら花火大会に連れて行く。冬ならクリスマスの街をぶらぶらする。駅まで送って、帰り際に「付き合ってほしい」といえば100%大丈夫。というか、3回も遊びに付き合ってくれてる時点でもうカタはついている。
なんで後輩狙いなのかと言うと、こっちのほうが成功しやすいから。
また、飯も全部おごってあげよう。先輩とか同期だと、ちょっと奢りにくいけど後輩なら奢りやすい。
この ご飯→水族館→花火大会orクリスマス は本当に黄金ルート。失敗したことがない。
これはあくまで今まで誰とも付き合ったことのない男子大学生向けに書いている。あくまで「付き合う」のがゴールであってこのあとにあるセックスまでたどり着けるかは君次第。
ただ付き合ったからと言って人生が薔薇色になるわけではない。女というものがどれだけ面倒くさいか、また信用のおけないものかひしひしと味わうことができる。
現代日本で「誰とも付き合ったことありません」なんて言ったら、完全に異常者扱いされてしまう。
顔はすごく可愛いけど、帰国子女でしばらく海外に住んでいたらしく日本語があまり上手くない上に、たまに奇妙な行動を取るという事で、いじめの対象になってた。
自分はというと、友達は多い方ではなく、あまり目立たない人間で、いじめをすることもされることも無く、1人で図書室で読書をして過ごしてた。
自分も昼休みは図書室で過ごすのが常だったので、自然と顔を合わせる機会が増えた。
どういうきっかけで話すようになったのかは覚えてないけど、図書室っていうほとんど誰もいない場所で、ほぼ毎日顔を合わせてたので、仲良くなるのは自然なことだったんだろう。
話していくうちに、転校生がとんでもなく勉強が出来ないということを知った。問題文を理解するのにも一苦労らしい。日本語が上手くないんだからそりゃそうか。
それからは、自分が部活がない日なんかは宿題とか勉強を帰り道に通る公園で見るようになった。
そういう日々が高校受験辺りまで続いた。
ちなみに3年でも同じクラスにはならなかった。
転校生が、夏なのに手袋つけて登校してるのを見て、(これがみんなの言う奇妙な行動の一端か……。)と思ってみたり
調理実習でクッキーを作ったんだけど、転校生が触ったのは食べたくないからって転校生の作ったクッキーだけ誰も食べたがらなかったという話を聞いて、自分が同じクラスだったら食べてやったのになぁとか思ってみたり
バレンタインデーには、部活終わりに一人で帰ってたらたまたま帰り道一緒になって、転校生から本来渡すはずだった人に渡せなかったチョコを貰って、お前好きな人いたんかい……みたいな少し驚いてみたり
ホワイトデーでのお返しは、2人になった時に渡そうと思ったのにそんな時に限って全く2人になれないから結局自分で食べてしまったり
転校生は私立の推薦入試、自分は公立の一般入試だったので、転校生は早めに合格が決まってた。
自分の家庭は貧乏な上に、妹が二人いたので何がなんでも公立高校に合格する必要があった。しかも志望校が県内でも割と偏差値高めの高校だったので、昼休み図書室に行くのもやめて教室で勉強してた。
当然、転校生とは会うことはほとんどなくなってたし、勉強に結構集中してたこともあって、受験が終わるまでは転校生の事はほとんど忘れたままだった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190708233336
これのブコメに「運動でもさせて自慰させないようにしよう」みたいな、思春期に親たちから食らって一番最悪な攻撃を自分の父親にやろうとするコメントがあって震えた。本当に無理解なんだな。
「部活で運動をやれば解消される」とかウソだからな。いい加減にしろ!
「定年になった親は何もやっていないから自慰ばかりしている」という見立てが、そもそもメチャクチャだし。それで一日潰せる人間がいたら、肉体的には超人だよ。年食ったおじさんにはムリだ。言われ無くったって、他の事もやってるわ!
したい時に自慰をする自由くらい他人に認めるのが一人前の独立した人格を認めるって事だろ。ガタガタ文句を言うなら、さっさと自活して出て行け。
TPOでしょ。あと客席(TwitterならTL)を温めてたかどうか。
たとえば声優じゃなくて素人のなりきりとかイタいとされることの代表だけど、演劇部員が部活で架空の人物になりきってるなら全然いい。TRPG遊んでる最中でももちろんいい。
Twitterなら、最近だとキャラbotという形でやれば許されやすいけど、普段使いのアカウントで急になりきりだしたらやっぱりイタい。
ポエムも急に言い出したらイタいと言われるが、詩を発表する場とか、文芸誌に投稿するならイタくない。
声優がキャラになりきるのも、収録するマイクの前とか、舞台の上でだったらどんどんなりきってほしいというかその純度を高めることこそがプロだけど、普段使ってるツイッターでやったら反感を買う。
誕生日ツイートだって、たとえばアニラジで、そのキャラの誕生日付近の放送回でキャラになりきって、祝うなり、ファンに祝われて感謝するなりのセリフをしゃべったんだったらだいたい喜ばれるだろう。
小学校の頃に、体育の時間にプールで25m泳げただけで称賛されただろ?
中学校の頃に、いじめに負けずに学校に通うだけで立派だったろ?
高校や大学で、ただ出席点を稼いでたまにテスト勉強するだけでいつの間にか卒業してそれで落伍者じゃないから凄いと言われてただろ?
でも社会に出たら、ただしがみついてるだけじゃ給料泥棒としか呼ばれなくなる。
今日を生きてるだけでお前が頑張っていて意味があったと言ってくれるのなんてソシャゲのデイリー報酬ぐらいじゃないのか?
子供を産んで、育て始めてしまえばソイツが大きくなっていくだけでお前が生きていることに意味が出る。
子供が幼稚園に入った、小学校で友達ができた、中学で部活やって、高校で勉強して、大学も入って、就職もして、それでまた子供産んで、お前はいつの間にかお爺ちゃんで、ちょっと小遣いやるだけでなんか知らないけどドーパミンがドパドパ出てきて、生きててよかったと思い込めるんだ。
凄いだろ?
ダラダラ生きてるだけの自分を肯定されたいやつにこれ以上オススメの生き方はねえよ。
今どきは公務員だってブラックばかりで辛いし、派遣やフリーランスもレッドオーシャンが広がりすぎた。
そんな中で必死にしがみついて生きる毎日に送られるのが上司の罵倒だけじゃ辛いだろ?
お前の命を称賛してくれる誰かが欲しいだろ?
簡単さ。
子供を産めよ。
それだけで、お前は一生承認欲求に食いっぱぐれねえ
もうこちらには分かっている。
父が部屋に鍵をかけているときはたいてい自慰をしていると思ってよい。
私が昼間に大学から帰ってきて、父の部屋の近くを通ると、慌てたようにガチャっと鍵がかかる音が聞こえる。
父は私が何時に帰ってくるのか知らない。
基本的には夕方に帰ってくると思っている。だから日中は余裕だと思っているのだろう。
定年してまだ間もないころ、夜ご飯だと呼びに部屋に入ったら、下半身裸で陰部にティッシュを乗せて眠っていた。
泣きながら母親に飛びついた。ショックだった。何が起きているのか分からなかった。
母親がいない日に部活に一人で出かけたとき、雨天で早い時間に帰ってきたら、全裸でリビングにいた。
またある日は部屋からいやらしい音が聴こえてきた。
そういう目で見始めたら、不自然だと思っていたことや、ここに書ききれないような色々な状況に納得が行くようになった。
働いていたころはリビングに出てきて家族で話をしたりテレビを見たりしていた。今も良い状態のときはリビングにいてくれる。しかし現在では基本的に引きこもっている。
あの歳で出来る仕事なんかないかもしれないけど、また仕事をしてみてほしい。でもお金に困っているわけでもない。切り出せない。
誰かに言いたい。
学生時代は部活とサークル、どちらも体育会系のもので、毎日筋トレと技の練習をストイックにやってた。
辛くても苦しくても、技が身に付いた時の気持ち良さには代えがたいし、
学生から進化してニートになってからめっきり運動しなくなって、やばいなと思ってランニングを始めた。
今までの筋トレと同じような心持ちで、ナイキのアプリをインストールしてタイムをきっちり計った。3日後に記録更新をしなければ自分を責めて、追い込んで、
気付いたら初期よりもタイムが遅くなり、腰を痛め、ストレスで胃を壊して風邪で寝込むことが多くなった。
その時は11月で、もう寒いし辛いしで、結局ランニングを辞めた。
ランニングに敗北したことがずっと心残りで、温かくなってきた最近、ランニングをまた始めた。
ナイキのアプリは削除して、音楽だけ入れた。タイムは計らずに、苦しくなったらすぐやめて歩くようにした。
最近ハマったアベンジャーズのテーマを聞き、キャプテンアメリカに心を馳せながら走る。タイムは気にしない。
このところそれをするのが楽しみで、めんどくさいナァと思いつつも、風呂に入るような気分でランニングをするようになった。
息が上がることも少なくなったし、近場なら走って用を済ませる事が出来るようになった。痔も軽くなったし、胃も最近元気だ。
器械体操の内村航平は、昔から体操が大好きで、授業中体操の絵ばかり描いてたという。
友達で無理やり器械体操をやらされていた子は、高校卒業と共にやめてしまった。
それと自分を重ねるのも引けるけれど、やっぱりなんでも初めに楽しむ事が大切だと思う。何かを極める事も、結局は楽しむためにあるのだから。
みたいなクサいことも平気で書けるくらい楽観的でポジティブになれるので、ランニングを、ランニングを楽しむのがおすすめです。
前提として、いじめは無くなれば良いと思うし(とはいえ無くならないとは思うが)、生徒の側からしたら唯一助けを求められそうな大人が教師なのは理解できる。
だけど教師の側に立って考えて見ると、いじめは予想外のトラブル以外の何物でもないといえる。
ただでさえ授業準備や部活顧問に追われているのに、いじめ対応なんてエネルギーの必要なことが出来るのだろうか。
東京都の大卒初任給が197300円だということを考えると、特に若い教師は「そこまでの給料はもらっていない」と考えてもおかしくない。
まして相手が中学生だと、体格も知恵も発達してきているので教師自身も身体的・社会的リスクが無いとは言えないだろう。
大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。
「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれ、じわじわと引き裂かれる。
なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。
どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。
◆
略歴。
小学生のときは勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素の図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。
ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータが上下したりするのにわくわくした。
父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものとアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。
中学生のときも特に勉強に不自由しなかった、歴史以外は。理科や国語が得意だった。
やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感でうつになりかけた。
学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。
何度か見つかって死ぬほど怒られた。
3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。
受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。
高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。
部活はPCをよく扱ったので、中学時代のひきこもり経験が武器となった。
進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCのメンテやカットイラストを担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。
こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望に適当書いて勉強もせず遊んでいた。
さて。
それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。
行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。
とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神的ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。
いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。
おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。
センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。
大学は私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。
偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立は記念受験した。落ちた。
略歴終了。
◆
で、だ。
当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえ、Fランクのラインをギリギリ超えていないレベルの学校である。肩書きは誇りづらいものであった。
周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。
それに大学の講義は楽しい。PCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。
勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。
しかしながら、やはり偏差などの数値というものは偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。
勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間様から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。
仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。
どこで間違えたのか。
ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。
まあそれも当然だが。
◆
ううん、何も結論はない。
勿体ないことしたかもなあ、というだけ。
今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。
ツイッターでは史上最高のゴジラ映画と絶賛してる人も多いので期待して見にいった
確かに悪くはない。それなりには楽しめた。
一方で、この映画はハリウッドの娯楽映画のフォーマットに完璧に則りすぎていた
1.身の回りに問題を抱えたクローズドなコミュニティがある(今回は家族)
3.1のコミュニティ構成員が2の災害に巻き込まれて、立ち向かう側になる
4.人類押されまくりで滅亡かもってとこまで追い込まれるも、主人公たちの頑張りで押し返す
5.主人公たちが脅威を打ち倒すと共に、1の問題も解決に向かう
アルマゲドンなら隕石だし、デイアフタートゥモローなら大寒波だし、
まあとにかくハリウッド娯楽映画はほとんどこの構成であり、今回のKoMも全くもってこのフォーマット通りの映画だった。
映画の当初、暴れまわる怪獣の迫力に打ち震えていた俺だが、映画が終盤に向かうにつれて、なんだから白けてしまった。
ハリウッドが導き出した必勝パターン、絶対受ける映画の構成なのだろうが、
小学校以来縁のなかった「軽度肥満」「要経過観察」という単語が重くのしかかる。
大学では研究室に篭りきりでろくに運動しなかったこと、会社に入社してからもデスクワークが主となり身体を動かさなかったこと。
その割に甘味や揚げ物を食べる量は減らなかったのだから無理もない。
帰ってきた診断書には、軽い運動をすると良いでしょうと但書が書かれていた。
それで、とりあえずランニングを始めることにした。
最初は近所を走っていたが、同じところをぐるぐる回るのはどうにも景色が変わらずに飽きてしまう。
そこで、試しに近所のJRを一駅間走ってみることにした。
近い方の駅で、片道3キロ。感覚を掴むために、とりあえず電車で隣駅まで行き、そこから走って帰る算段だ。
最初はルートを確立できず、また距離が予想以上に長かったこともあり、帰ってくる頃には息も絶え絶えであり。
ただ、ある程度走っていれば段々慣れてくるようで。
一ヶ月ほど経てば、問題なく完走できるようになった。
休日の調子の良い時には、途中休憩を挟みつつ往復で走れるようにもなってきた。
またこのコースに物足りなくなった。逆側の駅に照準を定める。片道5キロ。
それも物足りなくなって、二駅分に挑戦してみる。片道7キロ、起伏あり。
新しいランニングシューズを買う。ストレッチをする時間が増えた。
キロ5分で恒常的に走れるようになった。
最近は平日に二駅分往復(15キロ)、休日は25〜30キロくらいランニングしないと気が済まない身体になっている。
なんというか、走らないと気持ち悪い。そんな風に思うようになってしまったのだ。
自分でも気持ち悪いけれど、義務感のような、それでいて心地よい妙な感覚に乗っ取られている感じがする。
一駅ランニングってこんな深い沼だったのか?
時間、お金、体力、恋人。就活する前のあの頃に帰りたいと毎日考える。お願いだから返してほしい。全部僕の大切なものなんだよ。
初めて彼女ができて、それはもうアツアツだった。初めてだったからいろいろ不慣れだったし、決して良くできた彼氏ではなかったと思うけど……。
まぁそもそも、よくできた彼氏はこんなことで亀裂を作ったりしないのだろう。多分。
ゼミも、それなりに楽しかった。担当教員とは気軽に一対一でのみに行くのが楽しいぐらいに相性がよかったし、専攻分野も自分に合っていたと思う。
部活もやってた。運営にも噛んでたし、好きなことだったからこそいろんなことを新しくやらせてもらった。もちろん不手際もあったと思うけど、なんだかんだでいい結果になっていたと信じたい。
部活引退して、ゼミに就職課がやってきて、自己分析だの、履歴書だの言い出すようになったあたりからだった。
まぁ当然それにかかりっきりになる。今後の人生を決めることだから、別に手を抜いたつもりはなかった。1月ごろから自己分析を始めて、履歴書を完成させたのが2月。
3月の情報解禁に間に合うように動き回って、合同説明会や選考会、各種イベントに足を運んだ。最初のうちは合同説明会などが多かったから、彼女と行くことも多かったが、やっぱりそのうちそれぞれの就活になる。
その時間の間を縫って会っても、やっぱり口から出てくるのは就活の話、特に愚痴ばかりで。
特に僕のほうが全くうまくいかなかったせいで、かなり疲弊していった。言い争いになることも増えたし、構ってくれ、助けてくれとなってしまうことがほとんどだった。今思うと情けないけれど。
その結果、一度荷物を下ろしたいといわれて別れを告げられた。 その直後、彼女には内定が出た。 僕は最終選考まで唯一進んだところが落ちたばかりだった。
就活やる前は、6月ごろには内定をもらって、そこからせっかくなんだから大作な卒業論文を書いて、自分の納得いくものができたら、大学の中の論文コンペに応募しようと思っていた。
そういうことが、自分にとっては楽しいと思えたみたいだ。志望動機を400字書くより、論文のアウトラインを書いているほうが簡単なように思える。
彼女に対する罪悪感と、日々への疲弊感。何もできなくなっていた。
1月から6月までの半年間を返してほしい。いろいろお金も使った。無駄だったから返してほしい。
何より、かけがえのない彼女を失った。 これは、自分のせいがほとんどなんだけど。
この前、ラインをしたら「楽しかったね、就活なんてなかったらよかったね」とメッセージがきて、1時間ぐらいずっと泣いてしまった。返して、返してよ。
夢にまでいろいろ見るようになって、眠るのが少し怖くなった。そのせいか、無意味に夜更かしすることも増えた。
多分、精神科とかに行かなくちゃいけないレベルなんだろう。大学棟の6階で授業を受けてたら、唐突に授業を抜け出して窓を開けようとしたこともある。
下に歩いている人たちをみて、そして何より彼女が罪悪感にさいなまれてしまっては耐えられないと思い踏ん張った。
そうなると、就活は僕の今までの時間だけでなく、未来の時間とお金まで奪っていくことになる。 こういうのは、一日二日薬を飲んだら治るとかそういう次元じゃないことだけはわかる。
就活うつなんてものはそう珍しくないらしく、7人に1人はそれっぽくなるらしい。運悪く、そのくじを引いてしまったようだ。
10パーセント以上の学生がそうなるなんて、明らかに異常なんじゃないか。
まぁその10パーセントの中でもかなり僕はいろんなパンチを同時に受けてしまった側だろうけど(もっとつらいひともいるかもしれない。だとしたらごめんなさい)、そうじゃなくても絶対におかしい。
履歴書を全部破り捨て、企業のパンフレットは切り刻んで、とりあえず休むことにした。もう、憎むことすらできない。その気力がない。
日曜日、初めて浮気した。といっても高級ホテルのランチブュッフェに行ってその後ちょっと周辺を散歩しただけで、相手にはその気なんて全くないだろうけど。でも僕は相手のことがまだ確実に好きだった。
相手には一年半くらい前に告白してフラれてる。今回のはフラれた後初めてのデートだった。相手がデートだとすら思ってない可能性が高いことはわかってる。また会いたいなーでも相手も気まずいかもしれないし嫌だよなーとか考えながら、勇気を出して、でも会ってくれない前提で、GW最終日に帰省してたのかー会いたかったー的なことをツイッターのリプライで送ってみた。そうしたら六月に僕の地元に来る予定があったらしく、その前ならと少しだけ会うことになった。
相手は大学の部活の同期で、一年半前はまだ大学院生だった。学部卒業後銀行に就職した僕は、泥臭い営業のおかげで少しだけ度胸が身についていて、卒業後に相手の環境が変わって新しい出会いが待っていることに耐えられなくなり、人生で初めて女の子にちゃんと告白した。死ぬほど緊張した。というか夜デートして一緒に酒飲んで、結局告白できずに、翌々日また呼び出してようやく告白できた。でフラれた。理由は色々教えてくれたけど、フラれた事実以外はよく理解できなかった。多分今までの自分の行いのせいだと思う。
その年の秋頃、今の彼女と東京で二人で飲む機会があった。今の彼女も大学の部活の同期。話を聞いてたら次の日も午後から暇らしく、丸の内を観光したいと言っていたので、ちょうど勤務先があって詳しかったから案内した。その時に僕に大人っぽさを感じたらしく、今年の年初に付き合い始めた。今の彼女のことを好きになったら好きな人のことを忘れられると思ったから僕から告白した。この時は一切緊張しなかった。でも今の彼女はとても子供で、一向に好きにはなれなかった。
浮気相手とのデート当日は何気ない話をして終わった。時間ってこんなに一瞬で過ぎていくんだね。会話の内容は本当にほとんど覚えてない。
デートに行くかは実際結構迷った。前の彼女に浮気された挙句フラれたこともあるし、高校生の頃に好きになった女の子に彼氏がいることを隠されててかなり傷ついた経験もあった。でもデートには行った。決め手になったのは今の彼女に聞いた浮気の範囲で、彼女の言葉を借りると相手の家に行ったり自分の家に呼んだりしたら浮気らしい。僕の中では相手に嘘をついたり言うべきことを隠したりごまかしたりしたらもう信頼関係毀損してるってことだし浮気みたいなものだけどね。だから今回のデートは彼女にとっては浮気じゃなくても僕にとっては浮気なんだよ。
ただの愚痴。
初めて性被害にあったのは8歳の冬。お正月休みに親戚の子供と喧嘩してひとりで誰もいない小学校の校庭に忍び込んでいた。そこにやってきたのは「ブルマ見せておじさん」。逃げ切れるはずもなく、あの日私は初めて大人の男が怖いと思った。
制服を着なくなっても、コンビニで飲み物を選んでいたら、背後を通り過ぎるフリをしてさりげなくお尻を触られたり、アルバイト先でお客さんに体を触られたり。
社会人になったら、会社の飲み会の二次会で脱げ脱げと言われたり(先輩が庇ってくれたので脱がずに済んだ)、エレベーターで上司と一緒になったのでボタン係やってたら「先に降りて良いよ」と腰を抱かれたり。別部署の人から体を触られたり。
歳をとるにつれて、わかりづらい、直接的でない言動で傷つけられるようになってきた。最初の頃は直接的だったから警察を呼んだりしてたけど、ただのセクハラはなかなか解決しない。私にとってはひどい苦痛も、してる本人は、ほんのちょっと触っただけ、とか、こんなことば気にし過ぎ、とか、多分その程度。その程度のことにいちいち傷つくのも疲れた。
さらに応えたのは、これらのことで傷ついた、ということを、身近な人に理解してもらえなかったこと。結局「する側」と同じ意識なのだと思う。
30になって、まだ簡単に傷つく。顔面偏差値低いデブでもこうなんだから、可愛い子達はきっともっと嫌な思いをしているのだろうと思う。
先日、職場の後輩に、派遣の男性が「今日化粧ノリ悪いね。だから彼氏できないんじゃない?」などと発言しているのを聞いて、びっくりした。こんなにセクハラについて世間が騒ぎ始めている(ように私は感じていた)のに、まだこんな事を言う奴がいるなんて。後で後輩のケアをしつつ、上司に報告メールを送ったけど、多分彼らもあまりピンときてないのだと思う。下手をすると、私が厄介者扱いだ。
沢山の言動で、過敏になってる自覚はある。だけど苦しいものは苦しいし、無神経に傷つけてくる相手を憎いとも思う。でももうこんな感情すら嫌で、私は自分の考えを、感じ方を、どう置けば良いのかわからない。