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はてなキーワード: 行使とは

2019-08-19

anond:20190819155224

個人差が関係ないなんて話してないだろ、暴力行為基本的腕力の強い側から弱い側に対して行われてるのは自明なんだから、大多数の女より大多数の男のほうが強いんだから、警戒することを許さないなんてのはアホ。

アホはそっちです。

腕力の強さに関係なく、大多数の男はそれを行使しない。

それを無視して警戒するのは差別以外の何でもない。

それに女に男を警戒しないことに依るリスク一方的に負わせるのを良しとするのは意味不明、なにを根拠に女に男を警戒するなって言ってるの?

「男の大多数は犯罪者ではない」以上。

「警戒しないことによるリスク」などはない。あるとしてもそれは差別をしない人間として享受すべきもの

2019-08-18

NHKと戦うためだったら崎陽軒ぐらい犠牲になっても構わんよ

味方が胡散臭いというのならば「弾除けにしても罪悪感がなくて有り難い」「一緒に溶鉱炉に沈んでもらうのに丁度いい」と考えればいいだろ。

俺たちが投票した時の思い、「可能性は低くてもNHKの在り方を変えられるなら投票権を行使できる」という気持ちまで否定されるな。

それは詭弁だ。

俺たちが、あの時たしかに「誰か!俺たちをNHKから守ってくれ!」と心のなかで叫んでいた思いは、投票した相手がワンイシュー政党のフリをしていた偽物だったからって消えたりはしない。

俺たちは確かに国民NHKから守られること」に対して投票したんだ。

選挙ってそういうものだと俺は信じたい。

2019-08-17

あいちトリエンナーレ2019に見る「検閲」の正体

津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告

https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B1%95-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E8%A9%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%A0%B1%E5%91%8A-3230d38ff0bc

さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークイベントコーディネートのスキル文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。

この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人言葉引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上キーポイントでもある。

検閲」の種類

辞書的な意味検閲とは、公権力表現物を検査し発表を禁止することである

https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273

しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。

 (1) 公権力イベント主催に関与していない政治家警察

 (2) 主催側(イベント主催者、展示施設スポンサー

 (3) キュレーター

 (4) アーティスト本人

 (5) 一般市民

 (6) 反社(ここでは便宜的に暴力的個人組織のこと)

このうち公権力によるクレーム強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。

主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものデメリットメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性意見する自由はあって当然。

キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないか権限を任されているので、それを行使するのが本業

アーティスト本人の意向ときとしてキュレーター意思よりもアーティスト意思尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。

声の大きいのが実は一般市民ネガティブポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。

そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。

実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社から脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフ安全性が確保できない、という判断主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。

今回の展示作品の「検閲

表現不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。

https://censorship.social/artists/

 慰安婦 3作品

 強制連行 1作品

 天皇 4作品

 福島原発 2作品

 米軍基地 1作品

 旭日旗 1作品

 右傾化反対 3作品

 JR脱線事故 1作品

 食品 1作品 

ちなみに「《平和少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉津田氏のエントリーにも作品キャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦表現したものであり、日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F

https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81

https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace

これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーター公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社右翼団体)による脅迫が契機となっている。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現不自由実行委員会は、表現自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断現在体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである

そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。

現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現不自由実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C

エログロについて

ここからは完全に余談。

津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子デコまんシリーズが挙げられている。

鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズド場所に展示するのはOKNGかという議論は見たかった気がする。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf

ろくでなし子作品展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか

掲示されていた「年表」にそれらが含まれいるか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。

2019-08-15

anond:20190815184234

メディア以前に野党が信用されてないだけだぞ

国民デモに参加するなり野党投票するなりの権利はあるし行使すればいいだけなのにそうしないんだから

2019-08-14

マツコ・デラックスはN党・権力者言論弾圧絶対に屈しろ

https://blogos.com/article/397514/

マツコ・デラックス側が謝罪会見し、活動自粛まで追い込むのがベストだ。

月曜から夜更しなどの看板番組が1~数ヶ月放送されなくなってほしい。

吉本興業の一件のように、連日ワイドショーで取り上げられ

マツコ本人に対して有る事無い事を適当コメンテーターが喋り

それをSNSウォッチャー達が切り取って無断転載して、バズるのがベストな流れだ。

twitterベストなのかもしれないが、選挙権を持つ若年層(18~25歳?)に対して

マツコ・デラックス政治家によって芸能活動自粛に追いやられた、という事実

一番伝わるSNSであればあるほどいい。

なぜか。

増田はてブ民が常日頃感じているように、政治について真面目に考えてる国民特に上述した若年層なんてほとんどいないんだ。

しかしこういう層は、月曜から夜更しとか、そういう流行りのバラエティ番組絶対見ていると思うんだ。

毎週楽しんでいた番組がいきなり見られなくなり、その原因が「NHKをぶっ壊す」なんていう政治家なんだという事を若年層が知ったら

N国に対し、相当な憤りが生まれるんじゃないだろうか?

マツコ・デラックス番組がみたいのに、それを見られなくしたヤツが憎い。

調べたら、N国の立花かいうやつのせいらしい。許せない。

そんな人間政治をやっている事に納得できない。

どうにかしてヤツを政治の表舞台から引きずり下ろせないだろうか。

若年層は、そこで初めて、選挙重要さを実感すると思うんだ。

からマツコ・デラックスあんたはこの国の未来を担う若者

国民権力者に対して行使できる唯一の手段である選挙の重みを実感させるために、人柱になってくれ。

あんたがいなくなってもテレビは回るから大丈夫だ。

今調べたら、太田光立花に対して「目がいっちゃってるもんな」と言ったらしい。

批判でもなんでもない、ただの外見に対する誹謗中傷じゃないか

立花ならこいつもやってくれると信じている。そして、最終的に若年層の投票率上昇という未来が、どうかやってきてほしい。

そのためにも、まずはマツコ・デラックスあんたが消えてくれ。

2019-08-13

アンパンチ」と管理された暴力について

アニメアンパンマンの「アンパンチ」について、幼児暴力的になるのではという話題になっている。

私・元増田としては、アンパンチに関しては別の意味問題になるのではないかと考えているので、これから書いてみたい。

現代社会では、暴力行使する正当性を持っているのは警察軍隊裁判所などの限られた機関だけである

詳しい話は、マックス・ウェーバーの『暴力の独占』の項目を読んでもらうとして・・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%81%AE%E7%8B%AC%E5%8D%A0

分かりやすく言うと、一般人暴力行使してはならず、許されるのは国家機関だけだということ。

現代日本では、私刑禁止されている。

では、アンパンマン暴力私刑ではないのか、ということである

アンパンマン国家からその権限委託されているのであれば、いいかもしれない。しかし、「アンパンチ」を行使するのであれば、毎度裁判所許可を求めなければならない。

何が言いたいかというと、国家によって管理された暴力であればいいと思うが、管理されていない暴力は非常に危険だということである

アンパンチの何が危険かと言えば、子供たちは「正義」さえあれば悪者を懲らしめてもいい、という価値観を植え付けてしま可能性がある。

日本では、平安時代まで寺社武装していたことがよく知られているが、そのせいで戦乱が絶えなかったではないか

アンパンマンの住んでいる世界には、主権国家という概念存在しているようには見えないし、暴力行使できる軍隊警察存在していない。

北斗の拳世界のようなものだと考えればいい、と言えば納得できるが、それはそれで幼児たちに悪影響を及ぼす可能性が高いのではないか

2019-08-09

anond:20190808221613

いや暴力問題解決できるなら暴力行使すればいいじゃん。何で他人忖度して手段制限しなくちゃいけねえんだよ。

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

2019-08-05

名古屋市長憲法違反

大村知事名古屋市長憲法違反批判している。

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

まさに公権力行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判

問題意識はおおむね間違ってはいないんだけど、簡単に”検閲”っていってしまうあたりが気になる。

このあたりに、日本人表現の自由を扱う感覚の危うさがある。

検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁定義はそうだ。だから憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。

特にこの場合市長意思決定者でもなんでもないんだしね。

ここでもし仮に、意思決定である大村知事が、内容についてよい悪いと意見をつけ、中止させたら事後抑制であっても憲法問題が発生すると思うけどね。

官房長官発言のほうがよっぽどマズイ。どこまでがよくて、どこからがアウトか、ちゃん基準をもって整理しとかないといけない。

そもそも、こんなふうに、すぐに公権力弾圧だと言い出す傾向は、日本人歴史的経験してきた言論弾圧記憶に根差しているんだと思うけど、条件反射的に検閲!っていってしまうのは、

これはあたかも、韓国日本の行うことに対して、なんでもかんでも、報復だの侵略だのと認識する、生の強迫観念とさして変わらないんだよ。

愛知芸術祭への疑問

良い悪いを政治家判断したらマズイって

それどのジャンルでもそうなの?

何で芸術だけ特別扱いなのか謎

芸術ってアンタッチャブル特権かなんかなの?

そういうところ、判断しない自由行使みたいで気持ち悪い

メディア報道しない自由行使してるみたいな話

芸術?側に自浄作用があればいいけど暴走してるようにしか見えない

三権分立バカ

行政司法に介入できないなら司法行政に介入できないだろ

行政法律無視してあらゆる行為行使できるようになるわけだが?

相互監視してるんであって無介入が三権分立ってわけじゃないぞ

anond:20190805113229

見たくないものは見ない自由行使してるんだろう。

まさに表現不自由内面化しておられる。


慰安婦像よりも天皇焼き捨て画像よりも、この年表とそれに示される認知の歪みこそが最大の問題だと思うわ。

この年表すらに書かれなかったものたちこそ、真に「表現不自由展」に並べられるに相応しい。

anond:20190805065002

別の話にもあったけど、図書館とおなじで

国民全員に健康と「文化(良質な)」をあたえるためのツールであることが一つの理由

だったら国営化しろって? 北の独裁国の放送みたいになっちゃうでしょ。

今でもNHK会長独裁だっていわれてるのに、

それが前職○○大臣政治家がかわるがわる任じられるようになるわけだ。

そりゃ加計森友なんて与党に不利なものはおくびにもでなくなっちゃうだろうな。

 

今ある報道の公平さ、自由は、「金がいっせんも政府から出されていない」ことによって成り立ってるという建前。

(ま、それを十分に行使してない部分も多いけど。相撲などでは逆に不正助長してしまっているし)。

 

今後CMスポンサーつけたらブラック企業を指摘できない。電通自殺事件とか。

せめてやっぱりN国のいうようにジャミング放送で娯楽をおさえていいから、

フリーミアムフリー部分で報道をしっかり貧乏人に無料提供してほしい。

というか、アマプラネッフリニコNHK受信料とパケホ高速回線包括契約すりゃいいんじゃない

どうせ格安SIMでは2GBまでだもの

 

今の時代テレビ波というインフラ収益化しなきゃならない意味がよくわからんってのもあるよほんま

そういえば、表現の自由批判されない自由ではないとか訴えて、自分たち他人を叩くことをずっと正当化してきたのが「表現の自由戦士」という人たちだと思ったのだけど

今回もいつものようにその叩く自由行使してる(つもりと思われる)だけで「ダブスタ」呼ばわりされてるのはよくわからないな。

叩きの内容がアレな人が多いしそれが批判されるべきのはわかるけど、ダブスタってのは便利な罵倒ワードではないんだけど。

ぶっちゃけダブスタじゃなかったとしてもそれでもなお批判されるべきことってのはあるでしょとか思うし。

それとも雰囲気で言ってるだけなのにそんなうるさい事言うなとか怒られるんだろうか・・・

anond:20190804160822

元増田グダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。

「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞

デモに来た埼玉県女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法表現の自由保障している。許せない」と話していた。

繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。

で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?

できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?

そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。

委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、

社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。

****

行政危機管理対応としたという話と、行政言論弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。

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もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、

そもそも脅迫含めて暴力的言論というのは、表現の自由副産物として、

そういう過激行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。

アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀ヨーロッパプロテスタント宗派争いで経験済み。

たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。

その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。

1970年代連邦最高裁言葉を借りれば、社会不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、

ヘイトなど多少の過激言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。

まり、もし仮にアメリカ的な感受性対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。

ところが日本場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。

しろ日本空気として強いのは行政による言論弾圧記憶なんだよね。

それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。

なんでもアメリカ式ってわけにはいかないだろう。それはいい。

でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。

だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。

こはちゃんと危機管理対応弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。

展示が表現不自由テーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、

表現の自由ということでヨーロッパの事例で有名なのは、例えば

ハマン風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。

これは、暴力行為表現の自由副産物だという文脈では読み解けない。

アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由価値が基礎づけられているからだ。

簡単にいうと、カトリック絶対正義が猛威を振るっていた時代に、

こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。

まずはカトリック批判する権利必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランス表現の自由であり、例の過激政教分離なんだよね。

からハマン風刺画事件でも、フランスメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。

ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。

表現不自由展?

そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人作品コピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。

ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。

そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。

そんなことくらいリスク管理問題として想定しとけ。

行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合判断と行動のスイッチとなりうる事象リストアップしておくんだよ。

そのうえでリスクシナリオ判断基準について主催者合意しておく。

そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!

そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。

まとめると、

表現の自由という観点でも主催者問題意識は感覚的なものしかないし、

リスク管理という観点でも不作為がはなはだしい。

表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと

なんだだ危なっかしいだけだ。

という感想をもった。

追記

大村知事名古屋市長憲法違反と批判している。

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

まさに公権力行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判

おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。

検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。

特にこの場合市長意思決定者でもなんでもないんだしね。

2019-08-03

anond:20190803144058

ありがとう

50くらいまとも扱いしたり、優しい系増田やね。

時間経過及び一人旅などスタミナ回復手段行使することで精神崩壊(スタミナ0)を回避してみるよ。

とりあえずは休んでスタミナ100に戻すわ。

anond:20190803021044

実際忙しいし当然の権利行使してるまで

それなのに下手に出てヘコヘコ媚びへつらえって?

ほんと日本育児不寛容だね

これじゃ少子化になるわけだわ

2019-08-02

anond:20190802102844

バランス感覚がいい人」って要するに「何事にも距離を保って決定的な行動には踏み出さない人」のことだからね。

無名の頃はそれでも許されるけど有名になるほど「力があるなら行使しろ」という圧力が生じるんだよ。

ノブレス・オブリージュ現代版だね。

2019-07-31

高校野球コロッセオ高校球児グラディエーター

これは大前提なんだよ。

若い命が真っ赤に燃え尽き灰になる姿を、老人たちがコンテンツとして消費する場所

さしずめカイジの鉄骨渡り

高校球児現代グラディエーター現代奴隷である

古代ローマでは奴隷階級剣闘士が殺し合いの中で傷ついても誰も気にもとめなかった。

傷つくことを恐れた剣闘士処刑されるべき小悪党だった。

人間であることを主張した奴隷ライオンに食い殺されるべき愚か者だった。

奴隷奴隷が殺し合う姿を残酷だと感じるものはいても、それが非人間的だと思うものはいなかった。

なぜなら奴隷人間ではないから。

高校球児現代剣闘士奴隷だ。

現代高校野球システムに組み込まれるためには、自分人権を手渡す必要がある。

彼らは、輝ける英雄になることを目指し、自分の手で自分人権を手放していく。

その様子を見てしまうと、私は高校球児に対して同情することができなくなる。

夢のためだからといって自ら人権を投げ捨てたものが、その行為の結果として傷つくことは、愚行権行使にほかならない。

愚行権行使するものに対する余計な憐憫は、かえって彼らのプライドに泥を塗りつけるだけなのではなかろうか。

もしも彼らが人権を主張するならば、まずは高校野球のもの否定することから始めて欲しい。

奴隷契約を結ぶことをまずはやめて欲しい。

2019-07-30

anond:20190730162904

俺は精神の安寧のために成長を止めるのもその個人自由行使だと思う

皆がそれを選んだとき社会に対する影響をどれだけ多く見積もるのかが増田と俺の分岐点なんだろう

俺はここは楽観視する方だ。つーか世の中の半分の人は俺より賢いので、自由があれば俺より正しい選択をするだろうと思っている

俺は楽観視できないよ。

現実がそうさせてくれない。

ここはアクセス「させない権利」の話なので、俺も危険だと認識している

「しない」と「させない」の間の境界なんて実はあやふやなもんなんだ。

「しようとすら思わない」という風に歪められることはある。例えば宗教なんかそうだろ?

から子へ、自覚選択もないまま継承されてしまう。

世の中にネットしかない世界だとそうなるかもしれないけど、リアルと繋がっていれ

確率的に何らかのブレーキがかかるのではないか

「見たくないものアクセスしない」というのはネットだけの話なのか?

もしそうでないのなら、ブレーキのかかる部分なんかなくなってしまうぞ。

anond:20190730150904

コメントどうも。

しかし、やっぱり「好ましくない表現アクセスしない権利」のところで意見のズレを感じる。

やはりここが一番論点になるのかな

何より『「好ましくない」と決めた表現に一切アクセスしない』ということは、その人の成長や展開を止めることにもなる。

俺は精神の安寧のために成長を止めるのもその個人自由行使だと思う

皆がそれを選んだとき社会に対する影響をどれだけ多く見積もるのかが増田と俺の分岐点なんだろう

俺はここは楽観視する方だ。つーか世の中の半分の人は俺より賢いので、自由があれば俺より正しい選択をするだろうと思っている

そして、ある表現を「有害」と決めつけてしま思想の持ち主が力を持った場合自覚なき強要すら招きうる。(例:親)

ここはアクセス「させない権利」の話なので、俺も危険だと認識している

陣営ごとに果てしなく歪められた認知の下に、どんどん分断が進行していくだけだと思わないか

世の中にネットしかない世界だとそうなるかもしれないけど、リアルと繋がっていれ

確率的に何らかのブレーキがかかるのではないか

毒だと思ったらその時点で遮断すればいいのだ。

ここは同意する

2019-07-28

京アニのようにガソリン撒くぞっていったバカがつかまったわけだけど、

このように犯罪者模倣する姿勢を見せるやつは、有無を言わさず厳罰で良いのではないかと思うんだよ。

自分のやってることわかってるから、こんなバカなことをやるわけでそこに精神鑑定も何も必要ない。

犯人の言い分すら聞く必要はないと思うんだよね。

自分の都合に合わせないかガソリン撒いて爆発させるって言ってるんだし。そこで自己完結させちゃってるわけだし。

SNS上では「こういう人間を更生させる事が大事」とかほざいてる人がいるわけなんだけど、

こういう事を起こした時点で更生もくそもないわけだよ。更生させてどうするの。被害を受けた人は元に戻る?戻らんでしょ。

からね、今回の京アニの屑もそれを模倣する屑も更生なんて考えずに、反論を一切許さず厳罰で良いと思うのね。

人権云々喚く人はいる。人権行使すら出来ずに亡くなった人は可哀想だね。今も苦しんでいる人は可哀想だね。

そういう人たちは何一つ抵抗できないで、いきなり燃やされちゃったわけだけど、それで犯人人権ちゃんちゃらおかしいよね。

被害者に厳しく、加害者に優しい世界って変だと思うんだけど、SNS見ると変な人がそこら中に湧いてるからびっくりする。

犯罪者を守ろうとする人たちってなんなんだろうね。

2019-07-27

自民党憲法草案では、宗教団体政治上権力行使できる

現行憲法では「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。」とあるが、自民党草案では"政治上権力行使してはならない"が削除されている。

現行憲法

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上権力行使してはならない。

自民党草案

第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

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