はてなキーワード: 自縄自縛とは
腐女子はまず男性オタクからのバッシングと、腐女子のマナールール厨から腐趣味は異常なので表に出してはいけませんと徹底的にすり込まれるからな。
腐媚びのアニメなんかに釣られない、そんなものは嫌いと無駄で無意味な虚勢を張ってしまう。
誰にでも好き嫌いはある。がわざわざ腐媚びは低俗なものだから私はそんなものに靡きませんと宣言してしまう。
そんなものに釣られるのは恥なんだと。
若い世代の腐女子はそういうしがらみを気にしてない自由な人が増えているけど。
これ以上腐女子は抑圧されるべきなんだからお前らもされろって新しい世代に強要していく負の連鎖はやめていったほうがいいと感じる。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/10/post-6110.php
によせて。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、AorBではどちらの選択肢も選びたくない場合やそういう層がいるというのが、今回のサンダース&トランプ現象の本質だったのでは?
経済や世界情勢が複雑化する中で、様々な論点があって、その多種の論点をAorBの2つの選択肢に集約するっていうのは無理がある状況って有るんじゃないのかな。日本だって同じで、例えば憲法問題において自民党はイマイチだよなあと思っている有権者がいたとしても、経済政策なんかを考えれば民進党に票を入れるのはそれはそれでダメぽよという気持ちになることも有るでしょう? 幾つもの制作方向性を強引に2種パッケージにまとめれば、それぞれの整合性が失われて自縄自縛になることは想像に難くない訳で。
そりゃまあ、大半の有権者にとっては選択肢が多くても、敷居が高くなって難しくなるだけかもしれないけれど、しかしそれでは選択肢そのものが陳腐化してしまうっていうのが、現在の世界状況なのではないかな。
日本のマスコミや論者は二大政党制度を何か良い思想のように扱うけれど、それはただ単に主に新聞系メディアが、反与党的なキャンペーンをするために持ち出した、日本特有の幻想なのではないかと思える。あるいは、選択肢が一つしかない状況よりはふたつのほうがまだマシというだけのはなしであって、政治において二大政党というのが何か堅持すべき神聖なナニカであるかのような考え(つまり冒頭の記事に透けて見えるそれ)って、欧米崇拝以上のものを感じない。
旧民主党のとき「これからは二大政党時代」「日本にもやっと政治の夜明けが!」みたいな煽りをマスコミはさんざんしていて、実はその予熱みたいなものを時たま見かけるわけだけど「二大政党」になったからといって、それらの政党の出す政策がましになるという保障はどこにもない。うんこ味カレーvsカレー味うんこみたいな結末は、十分にありえるわけだ。
むしろ二大政党(あるいは大統領予備選のような二大候補)になった時点で、「国民の多くが抱えている問題意識とどう向き合うか?」という政治的誠実を武器にするよりも、相手のスキャンダルを叫び立てるdis合戦をしたほうが「勝負」としては合理的になるのではないかな。戦略としてはそのほうが有効で、それを愚直にやるほうが勝つ――そういう現実が今回の教訓なのでは? (決して好きではなかったけれど)舛添旧都知事を都民が事実上更迭したのも結局はそれで、政策というよりはスキャンダルだった。「選択肢をしぼってわかりやすくする」という発想は、政策論争や選挙から、国益の判断を奪ってスキャンダル合戦だけを肥大化させてしまうんじゃなかろうか?
自分に対しても不寛容で批判的で、要は自己肯定感が下がりまくるんだな。
逆に他人に寛容になろうと努めたり、他人を褒める方向に意識を向けるだけで、どういうわけか自己受容も捗るんだな
よく「他人に優しく自分に厳しい」のが理想的な人間として語られるけど、たぶんそれは無理。
良いとこ取りはできない。優しさと厳しさはトレードオフだと思う。他人に対して厳しいと、自分に対しても厳しくなる。
他人に対して優しいと、自分に対しても優しくなる。他人は自分の鑑とはよく言ったものだ。
というより、人間は他人に対してふるまうように自分を扱うんだな
たぶん子育てなんかも同じだと思う。親が子に接するように、子は親に接するようになる。
脳にはミラーミューロンとかいう部分あるそうで、そこで他人の行動を自分のことのように感じるんだそうだ。
そんな風に人間の脳には最初から他人との相互作用がプリインストールされてるんだから、
他人にした行為を自分へ引き付けて考える機能があっても不思議じゃない。
あなたが他人を批判する習慣があったら、たぶん自分のことも無意識に批判する思考の癖がある。
色んな宗教で「他人に優しくしろ」というのも、実利的または社会的側面だけじゃなくて、
実はその態度自体がそっくりそのまま自分に対する態度に返ってくる、と昔の人たちが知っていたからじゃないんだろうか。
鬱で退社する前の自分は他人にも自身にも異常に厳しかった。自縄自縛になって精神を病んで社会をドロップアウトした。
環境が変わり、社会復帰してからは以前のように他人に厳しく接するのをやめた。
すると、当然他人からの扱いも変わったし、何より自分自身を無駄に追い詰める癖も抜けてきた。
何が最善なのかは今でも分からないし、不安だらけではあるものの、もう他人を批判し続ける生き方からは距離を置こうと思っている。
人がぐるぐるしているのを見つめるのが好きです。
例えば、こじらせたプライドを必死に守ろうと毛を逆立てている人、どうしようもない寂しさをごまかすため自己犠牲しても集団に所属したがる人、親から刷り込まれた価値観で自縄自縛に陥っている人達の姿。人生の中で同じ問題に何度もぶつかり続けているような姿。かっこ悪くて、たまに迷惑で、でも人間的で、少しだけ可愛くて、私は好きです。
決して自分が彼らと違うと思いあがっているわけではないです。むしろ彼ら以上に私はかっこ悪く恥の多い人生を送っている人間です。たぶん。
友人にもそんな人がちらほらいます。その人がいつかそのぐるぐるの輪をぶっ壊して、私の知らない新しいその人になる革命の瞬間を想像し、こっそりわくわくしつつ隣で待っていたりします。
ワンピース好きのDQNはアニメオタクを見下していた。アニメオタクだけはワンピース好きのDQNである自分より下でなければいけなかった。そして、ワンピース好きのDQNの代わりにいじめられるべきだと考えていた。
ワンピース好きのDQNは、極端に自分がマイノリティになることにおびえていた。自分はマジョリティ側の人間であり、自分の考えは常識であり、そのことをアピールしたかった。常にそうしていないといつ周りから白い目で見られるのかわからなくて怖かった。周りの目気にしすぎて自縄自縛になりそのストレスで自分より弱いと思い込んでいるアニメアイコンをさげすむようになった。
ワンピース好きのDQNが言うには、ワンピースは現実的なテーマを取り扱っているから許されるがアニメオタクは幼稚で現実逃避をしているから許されないという謎の理屈を述べていた。このように、このワンピース好きのDQNはとにかくアニメオタクを見下したくてしょうがないようだった。
いじめに怯えて一番過激に弱者をいじめる人の話があるが、このワンピース好きのDQNはまさにそんな感じなのだ。ほかの一般人らしい人がドン引きするほど、一生懸命アニメオタクのキモさや現実の見えてなさを語った。
また、このワンピース好きのDQNは誰も聞いてもいないのにアニメオタクに向かってワンピースの素晴らしさを語りだした。絶対に一般人にはこういう話できないんだろう。アニメオタクを馬鹿にしているからこそ饒舌になったのだろう。、仲間か自分より下とみなしてる人相手の時だけ饒舌になっていった。
ワンピースにもアニメにも興味のない一般人から見ると、どちらも同じくらい気持ち悪いと感じたようだった。
ワンピース好きのDQNは「僕はオタクだけど常識を持っていて現実認識があります」というのをアピールしたくてたまらないようだった。だから僕はいじめられないんだと。 そういうウソを信じるために、どうしても気持ち悪いからいじめられても仕方ないアニメオタクという存在が絶対に必要だったのだろうってことが透けて見えてきた。このワンピース好きのDQNが一生懸命語れば語るほど、周りの人はこのワンピース好きのDQNは現実逃避してるなと感じるのだった。
当然だが彼のイメージは嘘まみれでツッコミどころ満載だ。最初は筋道だてて話してるつもりだったようだが、しゃべればしゃべるほどぼろが出てきて、たくさん突っ込まれてにっちもさっちもいかなくなったら「俺はともかく世間は許さないぞ!それが常識だ!もっと周りの目を気にしろ」という典型的な太宰メソッドで話はじめた。 ついには、「俺がアニメオタクは気持ち悪いと言ったらとにかくアニメオタクは気持ち悪いんだ。アニメオタクはみんな現実が見えてないやつなんだ」とわめきだした。もう理屈もクソもない。単なる駄々っ子である。
周りの人間は「おいワンピース好きのDQNよ、成熟していて現実が見えている」はずの大人の態度はどうした、と思いながら彼の奇行を眺めていた。 ワンピース好きのDQNはずっと周りの目線を気にしているといっていたが実際は何も見えていなかった。 この人はあくまで内在化した自分の脳内にしかない視線しか気にしない。実際に周りがどう見ているかなど全く気にならなかったのだろう。それはみじめなものだった。
最初はワンピース好きのDQNの話を聞きながらイライラしていたアニメオタクだったが、だんだん哀れに思えてきた。多分それだけずっと周りの目を気にして来て、その目線に合わせることばかり考えてきたのだろう。もう自分でもその周りからの目線に立ち向かおうだとか、そこから離れようということができなくなってしまったのだろう。自分を曲げてでもその目線に合わせることに必死で、ついにはおかしくなってしまったように思えた。
結局誰もワンピース好きのDQNの話をまともに聞く気がなくなり、適当に相槌だけ打つようになると、ワンピース好きのDQNは満足して好きなだけしゃべり、そしてさっと帰っていった。残った人たちは「あいつはもうだめだな」「どうしてこうなるまで放っておいたんだ」とため息をついたのだった。
これをこじらすと、「美少女を消費する罪悪」みたいなのを、真剣に論じる人になって、
年を重ねたことと合わせて、外部に「ガルパンはいいぞ」とか発信できなくなる。
もとより、こっちの文化圏には近寄らず、イメージで批判するだけ、日本人が「IS怖い」というくらいの印象論。
けれど、これが趣味人だと大変になる。
一世を風靡した有村とか青二才がそうだが、自身が展開するフェミ論やらコンテンツ論と、自分が享受する快楽が噛み合わなくなる。
開き直って「俺はひどい奴なんだ」と自傷しながら消費を続けるか、自身の位を維持するために斜に構え続けるか、選択を迫られる。
アホくさいと思わんか?
たかがエンターテインメントに、思想を持ち込んだ挙句、自縄自縛でアホになって消費できないなんて。
こういう人らは、その意見を持ち上げて、すげぇすげぇと肯定してあげるに限る。
そんで、ちょっとでも「○○いいなぁ」とか言ったら、フェミの文脈や、カルチャーの文脈で、「これはいいんですか?」と突っ込んでやるのがいい。
というのもおかしな話だが、とにかく2ch周りを重点的に使用してきた過去がある。
そのせいかTwitterで何をツイートしていいのか判断に迷う。
2chとかはてブだとある特定の主題に対してコメントをつけたり、議論を行うのが常だがTwitterのツイートは独り言をぼそぼそ言ってるようでなんか恥ずかしい。
俺が承認欲求が激しいせいもあってか、なんだかツイートすること自体が承認を求めているのではないかという脳内発言が頭の中をめぐってうまくツイートできない。
完全に自縄自縛で俺のせいなんだが、客観的に自分をみるとなんだかアホなんじゃなかろうかと思うようになってきた。
青二才に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。
青二才に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「青二才だからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、もっと粘着すべきだ!」「世界に理想をおしつけなくて、ただ一方的に病気を治すべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の青二才に嫌悪感を抱かれているのでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間のブログかあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「サイバーメガネ」ですら、徹底的な欲望の特権を得ることといわば交換に、裁判をする事になったのです。現代のように互助会化したはてなに、何も差し出さずに「ただ煽りや粘着がほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から構うと思えるブロガーは、この世にいません。
ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の増田は、面白さらしさも、気遣いもないから好きじゃない」とスネている青二才に対して、あなたは気を遣い、ないしは閲覧者らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。
「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。
【回答】
女性に対する期待値が異様に高いため、自縄自縛で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。
女性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「あ、こいつ俺に惚れてるなと思ってたら実は違ったからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。
「自分を楽しませられるよう、急に不機嫌にならないようにすべきだ!」「優しくて、ただ一方的に自分に奉仕してくれる人であるべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。
けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。
かつての「日本なでしこ」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を失うことといわば交換に、男性を持ち上げていたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただセックスさせてほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える女神は、この世にいません。
ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の男性は、男らしさも、積極性もないから好きじゃない」とスネている女性に対して、あなたは気を遣い、ないしは男らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。
「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。
やぁやぁ、どうもお疲れさま。
narwhal 妊婦なんかどうでもいい。転部準備がんばれ。増田は増田のために生きればいい。
koiyaro 「これからかわいい笑顔に出会える幸せいっぱいのお前が、おれみたいな生まれてこのかた女っけのないブサイククズ野郎に席を譲られるなんて屈辱だろ?」
って思いながら上から目線で席を譲るといいよ。おれみたいに。
d-ff コンビニ女店員が釣銭を投げ落とさないだけで幸福を感じる男になろう。特権は妊娠中に電車に乗らないとか、多大なガソリン生活を享受しながら石油危機だと経済的徴兵を進める連中だと考え、リヴ・タイラーを愛そう。
kutabirehateko 生病老死のサイクルのひとつじゃなくてステイタスみたいに思っているんだね。その考え方だとてっぺんにいけない限りずっとみじめだよ。
Nihonjin 完全に乗り遅れた。/「勃起したら席を譲る」というのは、ルールとして面白いかもしれない。
saavedra 妊婦や老人にはよく席は譲っているが、それはそういう人物が目の前にいるとある種の圧迫感を感じてしまうからで、善意からではない。
hidex7777 全人類が敵に回ってもぼくは増田の味方をする。
kyousuke104 他人に優しさを要求する行為自体がすでに優しくない。他人に優しくすることはマナーであってルールではない。
ルール(特に法律)は人を強要することがあるが、マナーは強要すると不幸になる。
tomiyai 優しくする必要はない。内心どう思っていようと実際に攻撃しなければ何も問題ない。
そもそもマタニティマークは優しくされるためにつけてるんじゃないっていう話なわけだし。
siomaruko 世の大半は自分が好感を持てる相手にのみ優しい。妊婦は弱者だからではなく「おめでた」が道徳的に好感を抱く事象だから気遣われている。
気持ちいい事や相手しか視野に入れない偽善者ほど増田を毛嫌いするんだろうな
kanenooto7248 キャプテンルサンチマン。文句をいうのは「優しくない社会」であって、「妊婦」ではないよね。
なんというか、障害を抱えた人間の中二病みたいなもので、精神障害者の俺にはよく分かる。
kuroihikari ブコメ欄に理解のない意見もあって悲しくなるが、俺はおまえを全力で応援したい。がんばって生きてくれ。
wdnsdy とりあえず増田は文章を読む限りでは、他人に席を譲れるほど心身共に健康な状態であるとは言いがたいから、別に無理に譲る必要はないと思う。
席を立つことができないほど傷ついてるんだし(心が)
toksato 他人に優しくするには、自分でいっぱいいっぱいになってちゃできないってだけの話。
この人はだから優しくできない。でもそうなったのにも原因があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんなのわからない。
ahomakotom 女の子が大好きで優しくしているのに、ただただ傷つけられる日常がここにある。
aniram-czech そういうふうに考えてしまう気持ちはわからなくはないので、そういうふうに考えなくて済む方法はなんかないのかと考えてしまう。
zyzy 不細工に優しくないのはこの人であって、妊婦じゃないよね、というシンプルな話。
要は自分の行動がくずなのを、容姿のせいにした結果、自縄自縛に陥ったというね。しかもそれを回りに撒き散らすんだから既に加害者だ
toronei 露悪的なことを賞賛すると、知的快感をもたらすアドレナリンみたいなのが出るってやっぱり本当なんかなあと思うわ。
sdtrd こじらせて世の中を憎悪する人はどうしたって一定数いる。犯罪にさえ走らなきゃまあ別にいいんじゃね。
でも呪詛を撒き散らしても本人含め誰も得しないと思うよ。溜め込むのも良くないけど発散するなら適切に。
citron_908 これ妊婦案件じゃなくて非モテ案件だよね / 一昔前の喪男板まとめの「夏の葬列」を思い出したのってもしかして自分だけ?時は流れた
houjiT 筆者が優しさを希求してるなら考慮するが、自分を守りつつ他人の幸せの否定にしか使ってない以上、境遇を気に入ってると思うので放っておいていいかなと。
marony0109 自分が幸せでないと他人に幸せを分けてあげることはできない。逆に、幸せを分け与えることで、自分を幸せにする方法もある。
不幸の拡大再生産を止めるためにも、増田には幸せになってほしい。気楽に楽しく生きろよ
htnmiki 一見クズっぽいけど実はこれ世間にありふれたナチュラルな容姿差別の問題孕んでるからどうコメントしていいかわからないな
kuzumaji インターネッツの闇の妖精っぽい。人間は誰かに与え続けた人と、与えられ続けた人が居て、それが年齢とともにはっきりしてくるんだな。
と、最近色んな人に会って思う事が増えてきた。
sardine11 増田の鬱屈はどうでもいいんだが、差別的なことは心の中に留めておけよ。
全く個人的な感情を無節操に振り回せばそれで傷つく人がいることくらい、病気の患者として気持ち悪がられた増田ならわかるだろーが
kyonishi333 優しくせずとも危害を加えなきゃ、何の問題もない。優しくしないことと、危害を加えることにはそれだけ大きな隔たりがある
nerimarina よし、じゃあわたしが君の分も立つ!いろいろ気にすんな!
Sion96 いいんじゃね?暴力とか振るうのはダメだが、優しくしたくないならする必要はない。
douzokun ●●だから優しくしろ!って強制される社会は息がつまる。した方が良いと思う人はすれば良いし、必要ないと思う人はしなければ良い。
お互い強制するのやめれば、争いがなくなる
u-account ブコメの理解度が絶望的だな。自己の生を根本で肯定できるのでなければ道徳は成立しないんだよ。
増田に社会防衛を説くならまず社会が増田にとって守るに値するものにならねばならない。この順序は決して逆転しない。
camellow 社会にはいろんな人がいるのだ。積極的に害をなさない限り法にも触れないし。
みんなが(妊婦に限らず)みんなにやさしくできるのが理想だと思うけど、全員同じ考えを強要するのも気持ち悪いし不健全だ。
mellow_px 優しさは等価交換ではない。それを学ぶことができなかったのは、親の愛情不足かな。優しくしなくていいから、害は加えないでほしい。たのむ。
deneb-y これだけのドロドロを抱えていながら「優しくしない」「席譲らない」程度で済む増田。内面がどうあろうが殴るジジイよりよっぽど出来てる。
kuwa-naiki 人に優しくってのはそのときそのときで出来る人がやればいいって『いいひと。』で言ってたけどそれで良いと思う/この増田もそう思えるときがくればやればいい
shinonomen 幸せな人が妬ましい気持ちは分かるし、環境が性格に影響を与えるのはその通りだと思うが、増田の書き方だと人間に自由意思がないみたいじゃないか。
ninjaripaipan 妊婦かと思って席を譲ったらただのデブでお互い不快な気持ちになったことがあったので、デブは逆マタニティマークをつけてほしい。
妊婦かデブかは話しかけるまでわからないことがある。シュレディンガーのデブ
teebeetee ギブアンドテイクの文脈に乗せていいものとそうじゃないものの区別がつくのって大事だよね。何か他のことで頭をいっぱいにできるといいと思う。
kamayan1980 「席を譲った」なら立派だと思うけど、「席を譲るべし!譲る気持ちになるべし!」には疑問が浮かぶ。増田は増田のまま、幸せになればよい。
Ri-fie 読み違えてる。妊婦に優しくしないものは死んだほうがよい、ではなく、妊婦に優しくない社会はいずれ死ぬ、だ。
/あなたが優しくせずとも、今ならまだ、他の誰かが妊婦に優しく接する。どうぞあなたのよきように
aatoku 大前提として自分にやさしくできるひとであってほしい。それ以上に社会が求めることを無理に気にする必要はない。
white_cake 正直、読んだ瞬間はいらっとするのだけど、増田が幸せでないこと、だからこそ生まれた文であることはわかるので、どんどん悲しくなってくる。
feita んー赤ん坊や母親に寛容な世界たれとは思うが、今のところ人間の善意に寄りかかったもんだとは思うし、そこが行き過ぎて「妊婦にやさしくしない奴は死ね」は言い過ぎだわな。
You-me 増田が母ちゃんのお腹にいたころに優しくされたはずなんやで/マタニティマークの必要性は「妊婦なんで優しくしてあげて」という話以前のところにありますので。
spacefrontier 妊婦さんとか関係なく、自分に余裕が無いと他人に優しくなんてできないよね。
満員電車でのベビーカーと同じ。社会的に庇護されるべき対象が自分より恵まれていると感じた瞬間、どす黒い感情が生まれる。
mogmognya 自分は妊婦にはできるだけ優しくするつもりだが、増田に押し付ける気はない。
増田はとにかく自分を大事にしてあげよう。そして他者を故意に傷つけるようなことさえしなければ上出来だ。増田に幸あれ
GROOVY こういう人もいるって事。別に妊婦に危害加えないならいいんじゃないの。危害加える奴は最低だけど、こんな人は結構いると思うわ
a8888 障がい者などに優しい社会では全くないのに、妊婦にだけ優しくしろというのも無理な話だとは思っている。少しづつ全体的に改善していくしかなかろう。
ite この問題は妊婦ではなく、こう思ってしまう人がでてきてしまうほどに、容姿以外の努力が認められない社会であること。
akimaruworks きみが優しくしたい人に優しくすればいい。報われない境遇を人への怒りにすりかえる人は優しくしてもらえないよ(経験談)
miki3k 席を譲るのは、やさしさの問題ではなく、社会の要請だ。
underd 性別や年齢、仕事やプライベートに関わらず体調を理由に予定をキャンセルする人は無条件で許す事にしているが正解だった。
ドライな言い方をすればそれで感謝されて利を得る事もあるのでおすすめ。幸せスパイラル
eri_pico 暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう/
Twitterにも書いたのだけど、身体的(物理的)弱者と社会的弱者を一緒に語るのはおかしいと思う。妊婦、赤子は身体的弱者じゃないですか
sanam 別に席譲らなくてもいいけど、妊婦は恵まれてる教はインチキカルトだという事と、ブコメにも見られる通り教義に暴行の推奨が含まれてる事は覚えとけよ。
anigoka 社会的互助って奴がそーゆー単相の一対一だけで成立してるわけじゃないことぐらい分かれや お前は性格やルックスが悪いんじゃない、アタマが悪い
kash06 私は相互にどうこうではなく、単純に、今現在辛い人には保護が割り当てられるべきだと考えている。
だから、これを読んで当時のあなたにも与えてあげたかった。いや、私の自分勝手な感傷に巻き込んですまないが。
・増田の感情は間違ってない、ルッキズムによる所の被害者意識が強いのである。実際に被害者であるし、仕方がない。
・増田の悩みに妊婦云々はあんまり関係がないが、「マタニティマークの必要性は一般に大いに勘違いされて認知されている。」
・別にみんな増田に死んでほしいわけではない。かと言って喧嘩したいほど興味はない。そりゃ誰でも誰にだってそうだ。(しねって書いてる人もいるがな)
私はアラフォー独身なので、まあ酸っぱいブドウだと思って読んでもらえばいいんだが
親族や友人と過ごすときの自分の精神状態を省みると、もし結婚したら最も失われるのは、自分の場合は心の自由というか余裕だろうなと思う
家族の人生に対して責任が生じたら、経済面・社会面・倫理面・健康面、その他あらゆる場面で常に正しく生きるよう、不断の努力をしなければならない気がして
一人だとその点、正しくない生き方をした結果自分が不利益をこうむっても、自分がそれを許容すれば良いだけだ
自縄自縛なのは分かっているが、こういう精神的な傾向はそう簡単に直らないと思っている
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
この話って女性の上昇婚志向と女性の社会進出の不整合により自縄自縛に陥る(相対的な問題なので絶対的な枠の拡大が出来ない)って話とセットなんだけど、そういう話の大前提が抜けてて、なんでフェミニズムとの摩擦になるか全く説明されてないよねこれ。
ここでまとめられている人が前提としているコンテキストを補足しておきましょうか。そうでないと話が分からない。 ①観測事実 結婚相手に求めるものについて、男女共通のものに加え、女性のみ相手の年収は自分より上であるべきという嗜好を持つ(出典:出生動向基本調査)
② 1より、収入の男女平等が実現されると、高年収の女性ほど自分の求める男性の数が少なくなり恋愛敗者となる(有名高齢フェミニストから実際それを悔悟するような空気も)。同時に貧乏でキモいおっさんもマッチングから外れる
③恋愛敗者となった女性は、いい男の2番目・3番目さんのほうがマシと考えシングルマザーになろうとする。経済的負担を回避するためにシングルマザー福祉を求める。財源はシングルマザー以外、いまり独身男である。④上記方向の結果として、キモくて金のない“すでに負けた”おっさんを、税金経由でイケメン高収入男性の子に貢ぐ社会制度でさらに奴隷化することになる。このシナリオは北欧では現実に観測されている。
「キモくて金のないおっさんを救え」というより、「いい男の二番目さんになれる制度を実現した場合、ただでさえ哀れなキモくて金のないおっさんを税金でさらに痛めつけることになるから、さすがに可哀想すぎる」という話なんですな。ここでまとめられている人たちは、シングルマザー支援は反対だが、高収入女性が貧乏イケメン・フツメンを専業主夫として養うなら問題ないという主張の人たち。
私自身はフェミニズムとの対決なんてものは全く興味なくて「全ての人が幸せになれる福祉の在り方」に興味があってこの界隈のデータと接しているのだけど、データの部分だけ無視されて感情論で「フェミは馬鹿だ」「いや反フェミが馬鹿だ」と罵り合う構図が我慢ならず、データを中心にたくさん書かせていただきました。
子育てによる労力負担を考えると、男女平等と少子化対策、格差問題に対する対処を全て並立するようにするには、キャリアに乗り始めた若い女性が覚悟を決めて低収入男性を専業主夫化するつもりで養う、という答えくらいしかないんですね。これはフェミニスト側の海外事例研究でもあった議論です。
全ての人が幸せになれる選択が取られない場合、ごみ処理場のように輪番で不幸を回して公平性を確保して、それも不可能なら最後の手段として最大多数の最大幸福でケリをつけるのかなあ……と思ってます。
散々書いてるけど私は人権主義の観点からまともに全員の人権を守ろうとするとフェミニズム的な主張が反人権的な結果を生むことがあると書いているだけで、男性側にジェンダーと結びついてかかっていた社会的圧力を女性も分担することで完全なジェンダーの平等が達成されるという、男女平等主義なのでそこはご理解いただきたい
中高生の時に恋愛ができなかったとして、統計とったわけでもないのにそれで「一生ひきずらなきゃいけない」みたいに自縄自縛してるやつなんなの?言い訳だし、今も腐ってることを肯定したいだけにしか見えない。
中高生の時に非モテでも、お前の年で恋愛してすでに結婚しちゃってる人もいるのに何言ってんだ。
「中高生の時に恋愛できなかったらその後一生その時期だけの体験はできない」というのは事実だがその事実を悲観的に捉えるもどうでもいいから今からがんばるかも自分次第だろ。
お前はギャッツビーみたいに特別な存在じゃなかったんだよ。それに気づくほうが先だろ。
「中高生の時に恋愛できなかったから今も引きずってる悲劇の主人公」が特別だから、特別な存在じであることに固執してるのかもしれないが、そんな存在すらギャッツビーやホリエモンになれなきゃありふれた惨めな存在だってことにいつ気付くんだろうな