ワンピース好きのDQNはアニメオタクを見下していた。アニメオタクだけはワンピース好きのDQNである自分より下でなければいけなかった。そして、ワンピース好きのDQNの代わりにいじめられるべきだと考えていた。
ワンピース好きのDQNは、極端に自分がマイノリティになることにおびえていた。自分はマジョリティ側の人間であり、自分の考えは常識であり、そのことをアピールしたかった。常にそうしていないといつ周りから白い目で見られるのかわからなくて怖かった。周りの目気にしすぎて自縄自縛になりそのストレスで自分より弱いと思い込んでいるアニメアイコンをさげすむようになった。
ワンピース好きのDQNが言うには、ワンピースは現実的なテーマを取り扱っているから許されるがアニメオタクは幼稚で現実逃避をしているから許されないという謎の理屈を述べていた。このように、このワンピース好きのDQNはとにかくアニメオタクを見下したくてしょうがないようだった。
いじめに怯えて一番過激に弱者をいじめる人の話があるが、このワンピース好きのDQNはまさにそんな感じなのだ。ほかの一般人らしい人がドン引きするほど、一生懸命アニメオタクのキモさや現実の見えてなさを語った。
また、このワンピース好きのDQNは誰も聞いてもいないのにアニメオタクに向かってワンピースの素晴らしさを語りだした。絶対に一般人にはこういう話できないんだろう。アニメオタクを馬鹿にしているからこそ饒舌になったのだろう。、仲間か自分より下とみなしてる人相手の時だけ饒舌になっていった。
ワンピースにもアニメにも興味のない一般人から見ると、どちらも同じくらい気持ち悪いと感じたようだった。
ワンピース好きのDQNは「僕はオタクだけど常識を持っていて現実認識があります」というのをアピールしたくてたまらないようだった。だから僕はいじめられないんだと。 そういうウソを信じるために、どうしても気持ち悪いからいじめられても仕方ないアニメオタクという存在が絶対に必要だったのだろうってことが透けて見えてきた。このワンピース好きのDQNが一生懸命語れば語るほど、周りの人はこのワンピース好きのDQNは現実逃避してるなと感じるのだった。
当然だが彼のイメージは嘘まみれでツッコミどころ満載だ。最初は筋道だてて話してるつもりだったようだが、しゃべればしゃべるほどぼろが出てきて、たくさん突っ込まれてにっちもさっちもいかなくなったら「俺はともかく世間は許さないぞ!それが常識だ!もっと周りの目を気にしろ」という典型的な太宰メソッドで話はじめた。 ついには、「俺がアニメオタクは気持ち悪いと言ったらとにかくアニメオタクは気持ち悪いんだ。アニメオタクはみんな現実が見えてないやつなんだ」とわめきだした。もう理屈もクソもない。単なる駄々っ子である。
周りの人間は「おいワンピース好きのDQNよ、成熟していて現実が見えている」はずの大人の態度はどうした、と思いながら彼の奇行を眺めていた。 ワンピース好きのDQNはずっと周りの目線を気にしているといっていたが実際は何も見えていなかった。 この人はあくまで内在化した自分の脳内にしかない視線しか気にしない。実際に周りがどう見ているかなど全く気にならなかったのだろう。それはみじめなものだった。
最初はワンピース好きのDQNの話を聞きながらイライラしていたアニメオタクだったが、だんだん哀れに思えてきた。多分それだけずっと周りの目を気にして来て、その目線に合わせることばかり考えてきたのだろう。もう自分でもその周りからの目線に立ち向かおうだとか、そこから離れようということができなくなってしまったのだろう。自分を曲げてでもその目線に合わせることに必死で、ついにはおかしくなってしまったように思えた。
結局誰もワンピース好きのDQNの話をまともに聞く気がなくなり、適当に相槌だけ打つようになると、ワンピース好きのDQNは満足して好きなだけしゃべり、そしてさっと帰っていった。残った人たちは「あいつはもうだめだな」「どうしてこうなるまで放っておいたんだ」とため息をついたのだった。