喪服の死神にしろ、今回の片山ゆうちゃんにしろ、経緯を知るにつれ「マンガみたいだなあ」と思ってしまう。マンガを選択したのは、俺がマンガ好きだからで映画でもドラマでも小説でもいいんだが。
その思った理由は、本人が「自分がこうなった原因は分かっている」と主張しているからだ。自分はどういう人間で、だからこういうことをしてしまうんだと、あまりにも明確に決めてしまっている。自らをキャラクター化しているというか。「あたしってー天然ってよく言われるんだー」と同じような嘘くささを感じる。
物語はどんな犯人にも犯行に向かわせた原因と、それにそった性格を与えられ、最終的には回収される。でも現実ではもっと理不尽に、もっとつまらない理由で犯罪は行われ、物語は破綻しているものなのだ。こういう言い方をすると誤解を招くかもしれないけど、たいていの犯罪者は普通だ。
彼らは普通になりたくなかった。自分は警察や検察、世間を翻弄して嘲笑う頭の回転が早い犯人。なぜならこれこれこういう過去があって、こういう性格だからです。
そう自分で思い込んでしまうと、そのキャラ設定にあった行動をしなくてはいけなくなる。具体的に言うと、同人誌即売会に脅迫文章を送らざるをえないし、河川敷でスマホを埋めざるをえなくなってしまう。
そして警察には、頭の回転が早い犯人に翻弄される愚かなキャラクターを当てはめてしまった。泥臭くて時代遅れで自分を追い詰められるはずがないという、単一のキャラクター設定。しかし残念ながら、人はそんなに単純ではなく、集団ならなおさらだ。
彼らの物語を断ち切ったのは人数の力である。物語では、自白を強要する愚者が他方で賢者であるはずがなく、分析のプロと尾行のプロと泥臭い時代遅れのキャラが同居することもない。現代の警察は物語が成り立たないほどのチートだと思う。監視カメラのせいでミステリーがやりにくいったらない。
他人のキャラクターを勝手に設定して失敗する人は多いだろう。自分の決めたキャラクター設定から外れた行動をとれなくて損をする人も多いだろう。今回も、警察や検察は冤罪を作り出す悪の集団だとキャラクター設定して恥をかいてしまった人もいるだろう。つまり俺である。
ごめんなさい。
自分はこういう性格だから、あれはできない、これはできない、うるせーわ。 あれもこれもやったらいいだろうよ。そしたらお前は今まで自分で思っていたのと違う性格になってるんだ...