はてなキーワード: 自縄自縛とは
低能先生はなぜHagex氏を刺殺した?報道とは違う“ネット民が見た経緯” | 日刊SPA!
色々な記事を読んだが、一番違和感のない間違っている部分の無い記事のように思う。
当記事も参考記事の一つに使ってもらえたのかはわからないが、こういう記事がでてきてくれるなら、
エントリを書いた甲斐があったという気持ちになった。ありがたい。
「Hagexなんてブログで一回言及しただけだし、大して恨みを買うこともしてない。単に目立ってたから的にされたんだろ」という意見があまりに多い。
低能先生に近しい人でも、この思考に陥って腑に落ちてない人は結構いるんじゃないかな。
でも、関係者なら誰でも良かったテロではなく、明確に理由があって行動している。
はてなブックマークというツールが可視化しづらくて流れが分かりにくくなってるけど、
追いかけた限り、こんな感じ。
まず、Hagexのブログエントリがきっかけで、みんなが一斉に低能先生を通報するようになったんだよ。
「なんか変な人に絡まれた」から「なんだみんな絡まれてるのか」に変わった。
「みんなやられてるなら、みんな通報するだろうから、運営も動いてくれるかもしれない」
って空気になった。
被害者からしてみたら「泣き寝入りしない勇気をもらった」に過ぎない。
これまた低能先生が問題人物であるということが広く周知されたからかわからないが、
と、書いていたが、この「封殺」に当たる部分がBAN速度の高速化に当たる用語だと思う。
(気づいたら消えてる状態になった)
なんだかんだ言ってはてなというか増田が俺をネット弁慶のままで食い止めていた面もあるしなあ
逆に言うと散々ガス抜きさせてもらった恩がある
と、低能先生が言っている通り、ガス抜きができなくなったから行動に出た。
行動する順番は、
自分を「封殺」した、hagex→はてなサポートの順番だったわけだ。
実に低能先生らしい筋の通し方だと思う。一切同情はできないけど。
表側の流れとは別に、増田内部でも低能先生の発言は結構行き詰っていた。
4年という流れの中で「ネット上で理屈こねてても仕方ない」という認識が、
低能先生を煽っていた人間だけでなく、低能先生自身にも芽生えていた。
すまねえなあ
俺が「下手に通報すると結果はこうなる」ということをはてな運営とユーザーどもに見せ付けてないせいでいまだ通報厨がのさばっている
ネット弁慶ですまねえ
そらネットでの発言の場所が奪われたらリアルで行動を始めるからだろうなw まあお前はそっちをお望みなんだろうが 俺もベット弁慶は卒業すべきと考えている
この認識は、低能先生とのほとんど唯一のコンセンサスと言っていい。
だからこそ、「ネット弁慶を卒業する」ということに固執したのだと思う。
「BANされてもまたアカウントを取ればいいだけ。無意味」と余裕ぶっていつも言っていた。
ブログエントリ以降はそういう言動が、今思えばなくなっていた。
だから、低能先生にとって「はてブ民は俺を止められもしない有象無象」くらいに思ってたんじゃないかな。
低能先生はもめたことが原因で事件を起こしたわけじゃないという説明をしようと思ったら、もう書いてくれてる人がいた。
低能先生はむしろ増田での罵りあいについては楽しんでいると言っても過言では無かったよ。
これに関しての順序は逆かどうかではなく、速さに波があったと記憶。
恐らく増田が荒れているときはBAN速度があがっていた(運営の方ごめんなさい)
ので、回数が多ければずっと多かったわけではないです。
「運営のBAN速度が上がり、Hagexの記事も上がり、情報開示請求も通り、徐々に追い詰められていた」
と解釈してもらっても大きく間違いはないです。
ただ、Hagex氏の記事は界隈の空気を大きく変えてしまっていた。
確かに、同じ地に足を踏み入れたことは大きなトリガーだったと思います。
でも、Hagex以外が九州に足を踏み入れたとして、果たして低能先生は動いたかというと、それは否だと思います。
おまえ、わかんないならいっちょかみするなよ。馬鹿にしたいだけならよそでやってくれ。
こちらは知るために書いている。
yoiIT あれ?高速でBANされてる低脳先生という奴がいますよって記事を書いてたんじゃなかったっけ?それによりさらにBAN高速化されたからターゲットになった?
1日1~3回のBANから、2~7回のBANになったと言えばわかるかな。
前者でも良く消えるけど、朝夕アカウントを取り直すだけ。増田に居座るたびにアカウントをとりなおせばよかった。
lastline 対応が早いな!って記事だったのでこの指摘は疑問。もちろん、あの記事で増田外での認知が高まり、開示請求の動きが出てきたのはありそう。また、増田とはてブでは彼に対する印象がかなり違う。IDコールされた有無も
IDコールの有無で印象が大きく違うのは、当事者として引っ張り上げられたか否かなのではないかと思います。
当方、増田で低能先生との長期的な絡みがあり、それとは別にIDコールで殺害予告をされたことのあるポジションです。
二者が同一人物だと低能先生が知ったら、軽く混乱するのではないかと思う程度に反応は違うものでした。
例え行動に一切同意できなかったとしても、その人が何を思って行動をしたのかという理解をする必要はあると思っています。
fellfield 経緯はよく分かったけど、どういう対応をすれば未然に事件を防げたのか分からない。増田で煽ったやつを除いては皆、適切に対応していたように思える。
煽っていた人間も「ガス抜きになった」といわれている通り、それはそれで役割になっていたのだと思う。
各人が各人にとって正しい行動をしているだけでは、誰かが追い詰められ事件が起こってしまうということが今回の問題の難しいところで、
「ならどうしたらいいのか」という、少しだけ人を許す受け入れる行為をしてほしいというのが、私の個人的願望です。
もちろん、それを飲む必要はなくて、自分の身を守ることをを第一にしてください。
このエントリは何が正しいかについては論じません。が、今回の出来事は誰かが間違えたというものではないと思っています。
IDコールされた人が通報する。それは間違いなく正しい行動だったと思います。人は降りかかる災厄から身を守らなければいけない。
誰もが及第点程度には正しい状態で悲劇がおこってしまった。なら、どうしたらよかったのだろう?というのが私の思いです。
この文章は、ややこしいヘイトの向けられた方向を分かりやすく説明するために書いていますが、
一番の目的は、マスコミによってわけのわからないゆがめられ方をして、
「ネットにまた怪物が居ました」なんてニュースにされないために書いています。
ガキの時には勿論全く気付かなかったけど、
どう見てもシン撃破・ユリア奪還にて物語終わらせるつもりだったろうに
人気拡大による集英社からの延命指示で無理矢理引き伸ばしてる感丸出しだな。
当初の北斗神拳と南斗聖拳はどう見ても一対一の関係だったのに、他派の南斗〇〇拳が次々出てくる。
取り残されたシンだけが大枠の「南斗聖拳」なのが笑える。帰ってきたウルトラマンみたいだ。
今は「南斗孤鷲拳」と名称が付いているらしいがさっき初めて知ったよ。
で、ケンシロウ以外の北斗兄弟は全員極悪人にしようと思ってジャギを出した。
同じパターンで暗黒面に堕ちたトキを出してみたものの、同じプロットになるのを
避けるために「実は偽物のアミバだった!」という後出しジャンケンで無理矢理軌道変更。
これに則って幾多の強敵やラオウも深みのある人物設定にしようぜ、ってなったんだろうな。
極め付けが南斗五車星、この辺りになってくると設定的にかなり厳しくなってくるが
ここに至ってもジュウザやフドウという名キャラを生む。なんたるファインプレーだ。
その場しのぎの後付設定連発で世界観に異様なまでの奥行きが出て
結果的に大河ドラマの様相を呈してくるあたりが名作と言われる所以だな。
人気もみるみる失速して行き、ガクッと息絶える。栄枯盛衰だな。
文章もなにもかもぐちゃぐちゃです。
「どうして」
燃えている。わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートが。
>『魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040
>『小学生くらいの幼女レイプしてぇ!というキモオタの欲望と同程度には醜悪な欲望である自覚をな、できればな…』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574949230256128
ああ、『現実に行えば』その通りだ。
その前提条件が読まれる事なく拡散されて反発の声が届くのは、気の毒だと思う。
私が、どうして、と思ったのは、ここじゃない。
その後だ。その後の言葉だ。
>『このツイート、無限に怒りのリプライが飛んでくるんだけど、それを鑑みると女オタクと男オタクの違いは自分のキモさに自覚的か否かだよな…、なんてことを少し思う。「キモオタ」と名乗るか「貴腐人」と名乗るか、みたいな。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280
>『自分がキモいことくらい受け入れた上でオタクやれやと、キモオタの自分としては思いますね。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961
どうして。
ここも同じか。ここも同じなのか。
メルトダウンを起こしている。オタクの、趣味の世界での苦しい記憶がフラッシュバックする。
まとめサイト、「腐女子のせいでジャンプがつまらなくなった」「おまえら夢小説ちょっと読んでみろwwwwww」
抱き合うように密着して仲睦まじい女子高生、マイクロミニのスカートから下着が見えている美少女のイラスト、男性を向いた表現は作品名だけで済むのに。
男キャラで同じような露出が、絡みがあれば、「『腐向け』のタグを付けろ、隔離しろ」と言われる投稿サイト。
『腐向け』『腐女子』は女オタクへのレッテルとして、今も現役だ。
フェミと腐女子の2つがあれば、ネットの世界であらゆる女は罵倒できる。
腐った女、と自嘲する名前。それは『キモオタ』と近い。『貴腐人』も、『腐』、から結局は離れていない。
自覚がない、と言うが。
腐女子の『学級会』は、魔女会でも起きていた。あれは、私は好きじゃない。
あの自縄自縛、自罰の時間を、魔女狩りの様子を知らないのだろうか。
外の誰に指さされる前から、内側で互いに『キモさ』を牽制する、あの空気を知らないのか。
見つからないように、作品名ではなくキャラの名でも引っかからないようにカップリングを独自の言葉で言い換えて。
『純粋に』楽しんでいるファンの世界に、異物が入らないようにとアカウントに鍵をかけ公式の固有名詞を避けている彼女たちは、見えないようにすればするほど「いない事になる」。
そんな事をしても無駄だけれど。
「『女オタク』が『腐女子』が、こんな事をしていた。やっぱりあいつらはろくでもない」
『アスペルガー』が『ADHD』が『ボーダー』が、健常者の世界で、異物にならないようにと過ごして、障害が、疾患が、見つからない、いない事になる。
そんな事をしても無駄だ。
職場で、学校で、リアルの世界で見つかった、『迷惑』な奴が一人でもいればいい。
「『アスペ』が『ガイジ』が『メンヘラ』が、こんな事をしていた。やはりあいつらはろくでもない」
『一般人』から切り離された『オタク』が、『男』『女』に分断されていく、そこから『(普通の)女』と『腐』に細分化されていく。
男の女の、うつ病双極性機能不全発達障害エトセトラエトセトラ。
そうだね。嗜好は、まったく違う。
『うつ病』は『ADHD』は『統合失調症』は『摂食障害』は違うように。
そう。苦しいところは、違う。
わかる。わかるんだよ。
わかる、だけど、どうして。
ずっとずっと自分に自信なんてないけど、それでも多少は発表の日には「やってていいんだ!もっとやりたい!!」
と数年間思えてきたのに、ここ半年くらいの落ち込み方がちょっと本当にまずい。
「ああだめだ、こんなに素晴らしいことを出来る人がいるのに自分はなんてダメなんだ」と胃がどんどん痛くなって、
帰るころには自問自答が自縄自縛になっている。
もちろん見てくれる人もいるから、別に独りぼっちってわけじゃない。でも。なんていうか。そう、めっちゃ焦るんだ。
自分は何をやってこれただろう、どれだけのことができただろう。誰かに迷惑をかけていないか。存在してていいのか。
でも発表することは好きだ。見てもらってありがとうございますって言うことが好きだ。
好きなだけじゃ何でダメなんだろう。認められたいんだろうか。でもそんな大それたことは思ってないんだ。
そうじゃない、称賛されたいんじゃない。ただ見てもらいたい。
自分がなけなしの魂を削って発表するものを見てもらいたい。見てもらうために、誰かに届けたくてやってるんだ。
発表することはひとりでもできるのかもしれないけど、誰かに届いてほしいんだ……
こうすることで自らの社会的評価を更に格上げすることができる。
人間の欲望に果てはない、地位と金と名声を得たところで満足しないのだ。
このフェーズでも手際よく成功できた奴が満を持して政界などに出馬する。
(成金のように徹頭徹尾、金儲けに腐心する方がまだ健康的だ。)
このリベラル達の自慰行為の為に提唱されたのがポリコレである。
しかしこのポリコレは様々な階層の人間の怨嗟を吸収し雪だるま式に成長、
そして当のリベラルが怪物化したポリコレに自縄自縛になりつつあるわけだ。
社会的上層に居るリベラルと呼ばれる人間と酒を酌み交わすと分かるが、彼らは
「地位・金・名声を得られたのは全て自分の努力のおかげ」と盲信していることが多い。
実態は「首都圏住み+高収入家庭でエスカレーター高学歴+優れた容姿」
といった恵まれた環境から生み出された結果であることがほとんどだ。
彼らは腹の中では低学歴、不具者、劣った容姿(ブス・デブ・ハゲ・チビなど)、田舎者、
ブルーカラー、第一次産業従事者、運転手、非正規雇用、途上国の出稼ぎ外人などを心底見下している。
彼らの驕り高ぶった目には「自己を高める努力を怠った取るに足らないクズ」に映るからだ。
幼少期から同階層以上としか付き合ってきていないので、そういった人間が底辺で経済を回して、
日夜歯を食いしばって生きていることを知らない。社会人になってようやく視野に入ってくるのだ。
ただ幼少期から醸成された価値観を覆すことは難しいので、上記のような歪んだ現状認識に陥る。
しかし前述した通りリベラル達が更なる社会的評価獲得の為に生み出した
ポリコレ概念ではこういった人達を公の場で差別・罵倒する事はNGになってしまった。
(当然のことだがこれは表向きなもので、今現在でも社内・学内・家庭内といった
クローズドな場所ではこういった人達への差別・罵倒は横行している。)
そして日々のストレス解消のはけ口を失ったリベラルが見つけ出した最後の標的が「童貞・オタク・KKO」である。
「童貞・オタク」はコミュ障気質な者が大半だ。故に現実社会での発言力も強くないことが多く、叩いても反撃されにくい。
また宮崎勤事件を経験した中高年層以上に蛇蝎のごとく嫌われていると言う後ろ盾もある。
上述の通りコミュ障気質な世渡り下手が多い為、「童貞・オタク≒KKO」と言い換えることも出来る。
まだ観てない人は読んじゃダメだよ。
今日見てきたんだが、設定を詰め込み過ぎ & 展開を端折り過ぎ。
総じて、尺の短さに無理があった。
これ宇宙船内のシーンで物語を始めて、地球に引き返してゴジラと一戦交えるまでの話なんだが、
・宇宙人が2種類(宗教的な奴と戦闘的な奴)が突然人類に加勢したけど、やっぱり歯が立たず3人類まとめてボロ負けし、宇宙船で地球から逃亡。
・20年彷徨ったけど住める星が見つからず、船内は物質的・精神的にかなり限界。
はっきり言って尺に対して設定を詰め込みすぎだが、問題は凝った設定にあるのではない。
凝ってるというのなら、スター・ウォーズの方が設定は凝ってるが、あっちは物語描写に注力してて余計な説明をしないので、「それは何か背景がある」って感じで細かい言及をしないで済んでるのだが、
ゴジラの方はそれが出来ずに細かい設定に言及しまくっているのである。
なぜそんな無茶をしたのかは明白で、主人公をあくまで「現代の日本人」という地に足の着いた存在にしたかったからだ。
未来の地球で未来の兵器使ってゴジラ相手に戦いたいけど、主人公は現代の普通の若者にしたい、という無茶苦茶な要求を詰め込んだ結果、
「宇宙船と兵器は宇宙人の技術があるからOK。主人公が普通の若者なのは、宇宙船の状況が割と切迫してるからって事でOK。地球が変わり果ててるのに主人公が現代人なのは、恒星間飛行で時間が何とかかんとかって事でOK」
と無理に理屈をこじつけてるので、その部分を説明しないわけに行かなかったのだ。
こういうのを自縄自縛と呼ぶのだろう。
しかも、お膳立てにこんだけ手間取った上に「変わり果てた地球」を描写したいもんだから、そこでまた植生の変化なんかを説明するのに時間が取られ、
更に2種類の宇宙人(1種類じゃないのは、多分何か伏線的な意味があるんだろうけど)の異星人っぷりを描写するのに時間を取られ、
トドメに「なぜ人類は核まで使ってもゴジラに勝てなかったか。そしてなぜ今回は勝算があるのか」という理屈を説明するのに時間を取られ、
当たり前のように無敵怪獣ゴジラの攻略に時間を取られた結果何が起こったかというと、
主人公もヒロインもいるにはいるのだが、前述のように設定開陳とゴジラ戦で時間取られまくってるせいで、
主人公はなんとか人物像や見せ場を作れたが、「フォースを信じるのだ」的な人間的な葛藤や成長を描く余裕はまったくなかったせいで、
最初から最後まで性格も主張も一切変わらず成長もしないという、ほぼ狂言回しな存在と化しており、
ヒロインに至っては出番の回数もセリフも、扱いが脇役並である。(俺は名前も憶えてない)
そこまで削りまくらなければ尺に収まらない影響は全編に出ており、本来なら一番盛り上がるはずの「日常が壊れるシーン」つまり、怪獣が出現する場面の描写は一切なし。
主人公は両親をゴジラに殺されてブチ切れてる設定なのだが、両親といるシーンも全くなし(というか両親は顔も声も出てこない)。
2種類いる異星人も、片方が理屈っぽくてセリフが長い種族なせいで、もう片方の種族の描写がほぼなし。
ゴジラは一体だけで大して速度も速くないので、倒せないにしても宇宙に逃げなきゃならんほど追い詰められるには相当な時間と経緯があったはずだが、その辺も一切描写・説明なし。
(っつーか、後半でビルならぬ山を崩してゴジラ埋めて動きを一時的にであれ封じるシーンがあったが、あれが通じるなら人類負けてない気がするんだよねー。)
まあその結果、映画本編は、前日譚の設定開陳がてら地球に戻る経緯を描写する序盤。
の3段階のみとなり、一観客としては「もーちょい何とかならなかったのか・・・」という気分でエンドロールを見ていたのであった。
っつーか、途中で「こんなヤバい惑星住めないから、月に基地作って物資だけ地球に取りに来れば良い」的な意見を言ったやつがいたが、
アテのない恒星間飛行に出る前にそっちのプランをまず検討するべきじゃなかったのかね。
残人口4000人って、それもう知識と技術の継承とか出来る人数じゃないし、最早勝とうが負けようが、原始生活に立ち戻る以外の選択肢が残されてない気もするしね・・・。
現状の打開策として「仕事を辞める」ことがあると伝えたい。
自分は
・既婚
・子無し
・賃貸住み
・資格無し
といった感じ。
それなりの会社員期間の中、自分以外にも職場を離れる人間を見ているわけやけど、概ね2タイプに分かれている。
①次の収入のあてを決めて辞める
②潰れて辞める(出勤できなくなる)
だいたい①のタイプが多い。
ちなみに自分の場合は、一回だけ②があって、それ以外は「次のあてはないが、とりあえず辞める」ことばかりだ。
(でも、今も生活できてる)
「辞めるに辞められない」という方は「①であるべき、そうでない辞められない」と思っている方が多い。
そう思っている方は、結局、在籍中に次の職を見つけることは難しいと思う。
そうして、期間がダラダラと伸びて②になる。
「辞める」と覚悟を決めてからでないと、意外と状況は動かない。
「辞める」と覚悟を決めた以上、意識しないところでの本気度・熱量が上がる。
「辞められない」理由はいろいろあるかもしれんけど、自縄自縛になってないかを考えたらいいと思う。
『同僚に迷惑がかかる』
辞めたところで、会社はなんとかまわるように動く。
これは自分の存在意義がない、というわけではなくて、企業体として当たり前の動き。
突然、潰れるほうが『同僚に迷惑がかかる』
『収入がなくなる』
入院とかしたら収入がゼロになるどころか出費がかさんでマイナスになる。
おまけに、長引くので後々の収入が下がる。
「辞めろ」と言いたいのではなくて「辞める」というのも現実的な選択肢だということ。
そして「辞めても意外となんとかなるもんだ」と言いたい。
全ての方に適用されるもんではないと思う。
営業。
配属された部署は20代から30代中盤までが多く、若いゆえの活気で溢れていた。
仕事でも血気盛んにガツガツするタイプが多く、午前様が見えても残業は当たり前、何ならそこから飲みに繰り出すという、営業らしいといえばとても営業らしい雰囲気。
一方で若いゆえかコンプライアンスはゆるゆるで、10年前といえば管理職でも大概なものであった。上場企業であるにも関わらずだ。
アルハラセクハラパワハラが縦横無尽に跋扈し、新入職員は時に鬱になり、時に離職し、時に異動していった。
その矛先は当然私にも向けられ、飲みに行けば二次会三次会当たり前。カラオケに行こうものなら一気コール。
用を足すふりをしてトイレに向かい、口に指を突っ込んですべてを吐き出し、涙目を隠しながら午前二時の薄暗いカラオケルームに戻ることはしょっちゅうだった。
戻ってみれば酒にタバスコが入ってる事まであった。疲れて寝そうになれば氷とお絞りが容赦なく飛んできた。
苦労して就職活動を終え、大人の仲間入りしてやる事が飲みサーの延長以下という事実はあまりに腹立たしく、土日は怒りが頭を支配していた。
酔いつぶれるのは嫌いだし、翌日の仕事にも良い影響を与えないということはわかりきっているのに、やれ「お前は潰れないからつまらん、もっと飲め」だとかで酒を注がれ、頭の悪すぎる先輩に至っては「寝坊して出社して怒られるのが新人」みたいな夜迷いごとを言いながら笑っていた。
たった10年前だ。
私はこんな職場に絶対に染まるもんかと心に決めた。ニコニコしながら酒を飲み罵声を浴びてそれでも耐えた。
どれだけ辛くても定時の一時間前には平然とした顔で来て、仕事をこなした。
今思えば可愛くない後輩である。目をつけられるのも当然なのかもしれない。
後輩が来た。この子は辞めるのだろうか、残るのだろうか。その子はそう時間がかからないうちにパワハラアルハラセクハラが当たり前な人間になって行った。
どうやればこの状況を打開できるだろうかと考えた。
一つは経時的な変化を待つこと。
営業職お馴染みの異動がある。
数年ずつクソみたいな先輩は異動し、別の先輩がやってくるか新人が入る。
別の先輩がクソではない保証がないこと、新人が残るクソみたいな先輩に染まる恐れがある事から耐え忍ぶだけでは環境は正常化しない恐れもあった。
これまた営業職らしく数字が上がっている奴は一目置かれる。発言力が増すのは会議時に限定されない事がわかっていた。
三つ目にコンプライアンス違反を通報すること。これもやんわり狙ってみたがクソ先輩共はクソ上司(直属以外でも)と繋がりがあり、まだまだコーポレートガバナンスがゆるゆるな当時はリスクでしかない様子が伺え、断念した。
何なら当初コンプライアンス違反と認識し(感じ)ているのは私以外に居ないような状況で、分が悪すぎた。
四つ目に後輩教育の徹底。入り口で「染まらないように」コンプライアンス遵守を求めた。
時の流れには人の入れ替わりを促す力とともに遵法意識を少しずつクソ先輩方に浸透させる力もあったのか、少なくともハラスメントがリスクであるという認識をクソ先輩方が有するようにはなってきた。
自分の社歴が増し、一方で結果を出せたことから支店内における発言力はかなりの勢いで増していった。
時にクソ先輩の業務を引き継ぎ、いかにクソ先輩が仕事をしていなかったかを詳らかにしても、私の発言であればそれは十二分に説得力を持ち、上司や後輩、また別のクソ先輩方に響かせる事ができた。
それから間もなくして私に業務を引き継いだクソ先輩には懲罰人事が下された。
ここ数年になり、上司も変わり、ますます私の影響力は増していった。
クソ先輩や後輩の仕事を上司とすり合わせるところまで来た。何ならクソをクソと言い続けるだけでクソコンセンサスを得てクソは他部署に飛んでいった。
ここまで来るとクソ先輩方はもうただの先輩になっていて、特に脅威を認識する必要はなくなってきた。
後輩たちに関しても、少なくとも私が入社した頃のような理不尽を享受することはなくなった様に思う。後輩が後輩を傷つけることも無さそうだし、仮にそんな事があれば私がクソのレッテルを塗りたくってやる。
一方でやや後輩たちの個が過ぎたり、ポリティカルコレクトネス感が強い気もしないでもないが、それはまあ私が古い人間なのか、自分が受けた苦労を無意識に美化しているのか、うまく言語化できないがまあそういう事として、ハラスメントが溢れていた時代より100倍マシとニコニコできている。
強いて言えば自分がクソ先輩になっていないかという強迫観念が自縄自縛的に気になるときが最近少なくない。
ここまで書いておいて、私が職場に何か良い影響を与えられたのかというと、何だか怪しい気がしてきた。
結局辞めずに残り続けたから発言力が増しただけで、自分がハラスメントを受ける立場を卒業し、後輩に恵まれただけの気もする。
それでも、この春の異動で最後のマキグソ級のクソ先輩が居なくなるとわかったとき、私は真っ先に「お世話になった先輩の送別会」の幹事を買ってでた。
サプライズとして、みんなで行った温泉や海外の写真をスライドショーとして流してやった。
どの写真も先輩は笑顔だが、その裏で私は酒を飲まされ続け、吐いていた。
社歴を鑑みると私の異動もそう遠くない筈。
次はどのような職場に異動するのか。願わくば栄転であって欲しいが、ハラスメントなどの問題が無い所ならどこでもいい気もする。
きっと問題のある職場は依然少なくないだろうし、きっと問題のある職場は依然わが社だけではないのだろう。
クソを駆逐するのは難しいが、私は諦めない。
そして自分がクソにならない事も、諦めないでいたい。
アルコール依存症を拗らせて4年、性への興味が異常であることに気がついて7年、気がつけば酒と性に溺れていた。
たまには家の酒を全部捨てたりもするのだが、結局東京駅から神田駅に歩いて行く途中のカクヤスで買い込んでしまう。
性に関しても同様で、複数回やったパーソンの連絡先を消したりもするも、気がつけば新たなパーソンが増えている。
何故か酒と性を混同することは頑なに拒否しており、酔っ払って性をすることはない。もちろん雰囲気作りに酒をやってから性をやることはあるけど。
ただし、最近は割と限界に来ていたのだと思う。酒と性を同時にやりたい気持ちが極限まで高まっていた。しかし、酒を飲みながら、飲んだ後の性は抵抗がある。ならば直後に飲むのはどうか。しかしピロートークも朧げに台所で酒を空けている姿は結局自分が忌避している酒と性の混同に他ならないのではなかろうか。そのような考えに自縄自縛の状態となり、性の後にみりんを口に含んだわけである。
うまかった。
ガチャだったり担当の露出度だったり他Pの態度だったり、諸々不満をもつことってあるよね、人間だもの
いやでも、自分の不快なことだったり嫌なことだったりを、全部まるっと「悪いもの」「存在してはいけないもの」みたいに扱うのって弾圧だと思うの
他Pよりもガチャやイベント頑張ってて、CDも買って、コンテンツのために一生懸命お金を払ってるってすごいと思う。
それなのにライブにいけないって悔しいし、他Pが軽い気持ちで行けてるの見たら怒りがわくと思うし、嫌な気持ちでいっぱいになると思います。人間として当然の感情の流れだと思います。
でもそれって、「嫌なこと」だけど、「悪いこと」「正しくないこと」にしてはいけないと思うんですよ。
どんなことを思ってもいいけど、負の感情を抱いたことを理由に、他の人の楽しみ方を規定したり行動を制限するようなことって、超えてはいけないラインではないかなって。
それって、不機嫌で人をコントロールしようとする毒親やDV加害者と何が違うかなって。
SideMだけに限らないんですが、女性向けコンテンツって「自分がコンテンツを楽しむこと」よりも「他者が不誠実にコンテンツを楽しんでいないか」みたいなところに目をむけてしまいがちで、すごい自縄自縛におちいってないかなってたまに思います(これはただ印象で言っているだけですが)
何が言いたいのか分からなくなりました
あれです、「正しく楽しむ」みたいなのって出来ないしそもそも方法が存在しないでしょうし、
だったら無闇に人を萎縮させるようなことってしない方がいいんでないかなっていうひとりごとでした(治安悪そうな街に人は寄りつかないよね、引っ越すよねっていう)
別段おかしくはないと思うよ。
まず第一に、「完全に実現出来ないと無価値である」というそちらの主張は、そもそもその時点そちらがおかしいと思うよ。100点の理想を掲げて2点しか取れない。別にそれでもいいじゃない。人類の歴史なんてそういう小さな進歩の繰り返しだよ? 今ある社会は100年前のそれに比べて弱者に配慮されていると思うけれど、それは先人たちがそういった小さな歩みをしてきたからだよ。もし先人たちが「人類は小さな一歩しか踏み出せない存在なのだから、遠い理想を語ってはいけない」って、そういうふうに自縄自縛をしていたら、今の社会はもともっと差別にあふれていたはずだよ。この主張のおかしさはわかるでしょう? 実現が少しづつでも理想は語って良いんだよ。
第二に「共闘」っていっても様々な段階やグラデーションがありうるんだよ。別段すべてを救った最期にしか女性は救われるべきではない、なんて元記事にも書いてないでしょう? もっともっとはるか手前の話だよ。共闘以前に「弱者男性はフェミニズムの扱う問題ではないし私たちは関わるつもりがない」なんて言っちゃえば、共闘どころか、相手から手も差し出されてないうちから絶縁状を勝手に送ってるような話だよ(この話題ツリーのそもそもの最初はそういう話だよね?)。
前増田で自分が指摘したのは「フェミニズムの問題とは、弱者差別という大きな問題の一部であって、他の弱者差別の問題とは無関係ではいられないし、その関係をフェミニズムの側から切断してしまったら、フェミニズムの倫理的正当性は確保できなくなる」という素朴な指摘だよ。そしてそういった自己認識を持つことや、他の問題を自分から拒絶しないことが、そんなに高いハードだと自分には思えないよ。
第三に、自分は「高いハードルを要求」したことなんてないよ。「フェミニズムが自身の倫理的正当性を確保しようと望むのならば他の弱者差別問題と接続していく他無い」というのを理路として解説しただけであって、もしそれを要求する人がいるのだとすれば、フェミニストたちが自分自身に対して要求するべきものだよ。そちらが言うように、内部からこそ出てくるべき自制だよね。そしてまっとうなフェミニストの人は、もうそんなことは百も承知だしそういう自制もたくさんしてきてるわけ。
そもそも「フェミニズムを利用して自分の利益拡大を企図する人」はフェミニストでもなんでもないでしょ? ただたんに道端に落ちてた武器を自分の都合で振り回してるだけの人でしかない。生活者の行動としてはそれでいいかもしれないけれど、それは思想ではないという当たり前のことを言ってるだけだよ。
自分はコアなフェミニストとは言い切れないけれど、穏当な範囲のリベラリストではあるので、弱者差別は少ないほうがいいと思ってるしすべての弱者差別の問題に前記のようなスタンスで臨んでいるよ。別段難しくもないし、おかしくもない。実現が遠いと言うだけで、自己矛盾を抱え込んでテロに走るよりよほど楽だよ。
最近、不妊治療の話を聞くことが多い。たぶん私がアラサーの女だから自然とそうなる。周りも子供を真剣に考える時期だ。不妊治療の末に授かったとか、授からなかったとか。そういう話を見たり聞いたりするたびに、どん底まで気分が落ちる。
話してくれた相手は悪くない。きっと信頼して話してくれている。ネットに溢れる、不妊治療への理解のなさを訴える記事だって必要だと思う。でも、子を持つために涙ぐましい努力を重ねるその姿や価値観そのものが、ものすごい勢いで私を殴りつける。
私は子供が欲しいと思ったことがない。
欲しくない理由はたくさんあるけど、欲しい人の気持ちに水を差したくないし、考えを押し付けたいわけじゃないから説明はしない。子供が欲しくないことが普通じゃないのには早くから気づいていた。でもどうしても欲しいと思えなかった。
でも世の中の人のほとんどは、ごく自然に子供が欲しくなって結婚したり子供を産んだりする。自然とできるのを待つだけでなく、積極的に不妊治療という努力をしてまでも子を授かろうとする。そのことが私を苦しめる。
私のような考えを持つ人間は欠陥品だと言われているような気持ちになるから。子供を産みたいと思えなければ正常な人間ではないような気がしてしまうから。子供を産みたいと思う気持ちは尊いと思えるのに、なぜ私は実感を伴ってそう感じられないんだろう。
でもそこまで気持ち的に追い詰められても、やっぱり子供が欲しくない。子供を産むくらいなら死んだ方がマシだとさえ思ってしまう。
エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界はひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える
けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから、殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種のエゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質を自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛の呪縛から解脱することを得ない
こうしたエゴは、元来は生存に必要であったから得た所謂「進化」であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴの権化である
そもそもは為政者、ノブレス、古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍が支配する人類社会になって久しい