はてなキーワード: 登場人物とは
推しの子のアニメを見た。その勢いで漫画も最新話まで読み切った。
本当に素晴らしい作品だし、こんなに魅力的かつ精緻にストーリーテリングできる赤坂アカ先生は紛れもなく天才だと思ったよ。
だけど同時に感じたのは、この作品は万人受けしないだろうってこと。
なぜかと言えば、人間の仄暗い側面(あの子いい身体してるよな、グラビア行けば? みたいな発言など。その他多数)をしっかり描いてるし、社会問題になった恋愛バラエティ問題を扱っているし、実際この作品自体がそれを描いたことで炎上したりもした。こうした「実際に起こり得る現代のエグさ」をしっかり描いたアニメ作品はこれまでそう多くはなかったと思う。
ところが、実際はものすごい勢いで売れてる。タイアップ企画もそこら中であるし、主題歌は未だにYouTubeのミュージックビデオチャート1位。
ここまで売れるには、単に面白いだけじゃなくて何かしらの共感があって然るべきだと思う。しかも当人の根っこに根ざしたところの共感。
自分なりに考えてみて、自分が共感したポイントは「登場人物が自身の愛着障害と折り合いつけながら前に進んでいく様」なんだなと思い至った。
自分も(もっとひどい家庭はいくらでもあるけど)まあまあひどい家庭環境で、そういう観点から否応なしに登場人物たちに共感してしまうんだよね。
そしてこの作品の爆発的なヒットを見て、自分と同じような人が自分が思ったより遥かに多く存在するんだろうなと察してしまった。底知れない深みを覗く底知れない作品だなと思わされた。
個人的にはこういったある種社会的なアニメ作品が増えていくのは良いことだと思う。見ないフリをするくらいなら、とことん覗き込んでどこまでも落ち込んだ方がいい。共感して初めて理解できることはたくさんある。
種死、AGE、鉄血は体調崩すほどつまらないゴミって聞いたけど
他にもそういう作品があるなら是非教えてほしい
ZZと00
WとXとGもいらんな
レコも優先度は低い
ほー
00とWとGは人気あるけど絶対見なくて良いのか?
AGEは「『強いられているんだ!』 https://nico.ms/sm16437226 → なんでここで集中線なんだよ演出おかしいだろwwwww → 公式も悪乗りしてまさかのキャラソン制作 https://nico.ms/sm18586346 」というのもあるので…
Zは当時の空気(リアリズムという名の迷走とか冨野作品連発後のガンダム回帰とか)コミでナンボなので、普通に見ようと思うと監督の煮詰まり具合を味わう下世話な見方しかできないゴミです
レコンギスタもいらん
そうなのか
Z中盤でジェリドが新しいMSで来ては退散を繰り返すのと、Xで変なMSと連戦するのと、0083の終盤でニナとガトーが後付けされるのと、UC最終回のマリーダさんとネオジオングの改悪がクソで、鉄血はクソじゃなくて皇国オチ
クソアニメばっかりだな
鉄血はほんと体調悪くなる。ネタになってるけど最終話まで完走できませんでしたわ…(面白くないというわけではなくて、内容の問題)
ネタ抜きで面白くないしあれ見て面白いとか言ってる奴頭イカレてるからな
初代は至高って事だな
ガンダムシリーズをオナニー作家がレイプしたゲボカスらしいなUCとNT
MSイグルー2 重力戦線・NT・トワイライトアクシズ、EVOLVE../9 ビルドトライ・ダイバーズ基本完走してるがこの辺りは最後まで見て疲労と虚無感しか残らなかったから見て後悔した
やめてよね(笑)周知の事実すぎて今更言うまでもないだけだろ(笑)/08小隊は面白いらしいな
見る価値も無い失敗作か
クソすぎて泣いちゃったんだな…
ガンダムXなんて居なかった
0083は子ども心にかっこよさに夢中になったけど、911のテロとかを経て印象が変わるという作品なので、ある意味見直す価値があると思うわ。テロというものが過去の遺物だったからこそ、テロを美化できたんだなあ
テロリスト美化とか昔でも異常者扱いだったんじゃねえの?製作は頭おかしかったのかな
また血を見そうな…ZZ以降全部。
見なくていいの定義というか意味次第。宇宙世紀さえ理解できればいいとか世間の人の話題に合わせられればいいとか有名ゼリフが出ないなら見ないとかいろいろあるでしょ。ガチでゴミみたいな駄作はないのでは。
SDガンダム三国志とかかな。SDガンダム系は別に・・・。AGEはネタにもならんし。鉄血はなにかとネタになるので履修はいるかなと。
SDって時点でガンダムでもないクソだからな。鉄血はネタでも見る価値ないだろ
ZZ一択。富野監督が記憶を無くしているほどクソだ。AGEとかオルフェンズは、作品の良し悪し以前にガンダムじゃないんだよ、あんなの。
三つとも見る価値ないクソって事だな
まあ種死よな
言わずもがな種死はクソだわな。セル画で出来が良いアニメなんて0083に幾らでもあるんでは?
0083と08小隊面白いのか。/種系とAGEはゴミカスだわな
好き嫌いはあってもクソと切り捨てれる作品はない。悪評高いAGEもアセム編とか最終決戦はよかったし、鉄血後期も「逆襲のガリガリ君」としてみると良いよ(鉄華団に寄せると心情的にしんどくなるので…)
好き嫌いとか関係なくクソと切り捨てられる作品だから悪評高いんじゃないですかね、AGEと鉄血
SEEDは「みんな違ってみんな良い」が該当しないクソだから評判悪いんだろうな
鉄血、めちゃくちゃ面白いだろ。つまんない要素なんか一つもないぞ。問答無用ですげーつまんないのは水星一期と種死。あと、00劇場版は超面白いけど、あれガンダムじゃない
鉄血、めちゃくちゃつまらないだろ。おもしろい要素なんか一つも無いぞ。水星と種死はすげーつまんないんだな。00はガンダムじゃない
観てないのを挙げるのもなんだけど、Twilight AXISは無理そうな感じがしたのでパスした
稀に見るクソらしいなあれ
私見で閃ハサ。サンボルみたいにパラレルです…でやってくれりゃ楽しめるが、Ξとペーネロペーを正史に組み込んじゃいかんだろう?CCAからF91までの地球圏の動乱であるUCやNTも要らん
オルフェンズはアクが強めだけど終盤以外はそんなに悪くなかったと思うけどなあ。
種も話の筋や登場人物の感情が意味不明すぎるんだよなあ。つまりクソ
GもWも傑作だろうがよ。Gはトンチキ師弟愛が美しい環境保護啓蒙モノ、Wは正義とは移ろい易く正義の戦争など無いという諸行無常の物語だよ。鉄血は前半2クール観て以降は打ち切りと信じるのが吉。
鉄血は前半2クールで打ち切られたら良かったのにな
Gレコ。富野節でなされる少ない説明に比して、宇宙世紀と地続きかつ最も後年という複雑な世界観。見たところで他のガンダムにも繋がらない。見るコストが高すぎる。
ガンダムって当たり前のように繋がってるのか?
鉄血は面白かったぞ。ビーム兵器が使い物にならない設定でのガンダム戦はよう考えたわ。今やってる「水星」も割と根底からだいぶ鉄血に影響受けてる部分が目立つ。映画版Zは正直後にも繋がらないから見なくて良い。
ビーム兵器が使い物にならないなんて設定をわざわざガンダムでやる必要あったんですかねぇ。Zって映画もクソなんだな
鉄血はクソなん?確かに任侠ものっぽいけど面白いってかカッコいいなと思ってはしまう。ZZは前半のノリがあまりにツラい…それでも見とかなきゃと思って見てるが
どっちもクソだから見なくて良いんじゃね?
そんなスタンスなら全部見なくていいと思うけど、AGEだけは別格にクソなので見る暇あるならアンパンマンリピートの方がマシ。俺は種は好きだ。
AGEは別格の下痢便だろうけど種好きも汚物好きって明言するような物では?
クソ監督?
多分妥当だな
作った本人も言ってるけどVガンダム
その作った本人恥ずかしくねえのかな
トワイライトアクシズに決まってる。
どれか一つ挙げるならAGE。ガンダムシリーズによくある、次の作品が出たら再評価されることもなく、存在忘れられてるレベルで名前が出ない。一部のミームが残っただけ
昔のアニメって何かクソガキ出すよな
作画だけは良いクソアニメってアニメーターを無駄遣いしてる一番救えない奴だな
種だけは許さない。
今後未来永劫許されなくて良い
ナラティブかなぁ
ナラティブだな
1期は良かったパターンかな?
1st、Z、ZZ、V、G、W、X、種、種死、00、AGE、Gレコ、鉄血、水星、ビルドトライ、ビルドダイバーズ
ポケ戦、0083、08小隊、UC、NT、MSイグルー2 重力戦線、トワイライトアクシズ、EVOLVE../9、閃ハサ、オリジン、ククルス・ドアンの島
中高年が主購読者であろう週刊誌(新潮だか文春だかだったと思う)に載ってたエッセイで、当時放送してたドラマの登場人物を「唯々諾々と労働に勤しむことを実直と勘違いしてる怠惰な男」みたいに評していたのを、10年ほどまえに見た記憶がある
ピクミンってあるじゃない。
ピクミンの歩くやつはやってたけど歩いているうちに飽きちゃってそのままって感じ。
でもピクミンって惹かれるのよねー
以前体験版か何かをで遊んでみたけど、
なんかいまいちピンとこなかったんだけどその時は、
でも今度ピクミンの4出るじゃん、
そんで1も出るじゃん!
どうせなら1からできんじゃん!って思いつつ
私はその戦法で攻めていこうと思ったベヨネッタが1で頓挫している歴史は繰り返す中島みゆきさんの4時台の歌にならってまたそうなると思うんだけどなぁー。
ベヨネッタ面白いけど画面が派手で自分を見失ってしまってどこにいるか分からなくなる問題は放っておいて、
ストーリーがポップじゃなく重厚のある歴史的で難しくて重いというか
登場人物が多すぎて重いというか
アイテム合成が面倒くさくて重いというか
村人全員にはなしていかないと思うと重いというか
かと言って10時間ぐらいでサクッとクリア出来ちゃうゲームやってクリアするとこんなもの?ってまた文句言う自分がいそうな重さというか
あれはギャグなのかしら?
一応さー
一旦1冊とか1本とか二足でもサンダル三艘でもヨットとか四粒でもごま塩とか、
一旦始まったらとりあえずの終わりがあるじゃない。
あれゲームって終わりがないところがタチが悪いところが舘ひろしさんなのか柴田恭兵さんなのか危ないところなのよね。
終わりがないところが危ないわ。
延々とやり続けられるからね。
スプラトゥーン3もお馴染みであれ終わりないでしょ?
でもそれはそれでいいと思わない?
他のゲームできるし!
あ!思い出したけど
メトロイドのゲームも移植されたの遊ぶの忘れてるわ!メトロイドプライム!
ピクミンが気になるけど、
一向に終わらせられないものがたくさんある物語なので困ったわ。
てーかさ、
スプラトゥーン3が発売されてもうすぐ1年になるんじゃない?早くない?
うかうかしているとね。
毎日しっかり噛みしめて生きないと生きた感じがしないわよね。
仕方ない!
もう1つずつじっくりやるしかないわ。
うふふ。
ちょうど良い味の濃くもなく薄くもなくちょうどいいわ。
優しい味のする感じがして、
無くなったのでまたたくさんこしらえて作るわ!
暑くなったと思ったらまた一旦涼しくない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b733bdccc9e08f9a934bd027c2ae56fb96f8c07
兵庫県神戸市内の草むらの中で6歳の男の子が死亡しているのが見つかりました。警察は事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査しています。
6月22日午後6時過ぎ、神戸市西区内の草むらで6歳男児が死亡しているのが見つかりました。
死亡していたのは穂坂修ちゃん6歳です。
また、警察は修ちゃんが発見された草むらに隣接する住宅で、57歳女性を監禁し、女性に対して顔面を殴打し背中などを鉄パイプで複数回殴るなどの暴行を加えケガをさせたとして、30歳~34歳の男女ら4人を逮捕しました。
監禁と傷害の疑いで逮捕されたのは、神戸市西区玉津町に住む無職・穂坂沙喜容疑者(34)、穂坂大地容疑者(32)、穂坂朝美容疑者(30)、穂坂朝華容疑者(30)ら4人です。
他人がSNS中傷を「捏造」、木村花さんの母は気づかず提訴…逆に損害賠償訴えられる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20230622-OYT1T50090/
そんなの訴えられた真の被害者には関係ねーだろ って事を本気で理解してないのかな?
この間の時も被害者遺族なら無謬に間違いない。と思い込んで擁護してたよね。
Aさん…木村響子さんから誤って訴えられた人。家族まとめて訴えられたらしいね。
捏造したXに悪意があったのは間違いないだろうし、悪い人間とみなしていいけどさぁ
AさんはXに一切関係なく、木村響子に間違って訴えられた100%被害者であり、本裁判では木村響子はただの加害者
ジャイアンにスネ夫が「のび太がやった」嘘を吹き込んで、ジャイアンがのび太をボコボコにした。
ジャイアンは「ウソを真に受けて加害を行った人物」なワケで。のび太から見たら単純に殴ってくるより悪質じゃん。
ジャイアンには嘘かどうか検証する義務があったし、のび太の言い分を聞くべきだった。
前提
本題
この作者からして、間違いなく叙述トリック的なもんは織り込んできてる。
伏線の流れを見るからに、施設パートの方が前。外の外は普通の世界。
「人食い」が子どもそのものの変化なのか、彼らが感染源(?)となって作ってるのかは現段階ではわからん。
今まで出てきた登場人物の中にも施設の子や医師たちの血縁がいるだろう感。
時系列がはっきりしたら宇佐美の若い頃とか施設パートで登場しそうだなー。
姉の体に弟の脳・弟の記憶に支配されてる・言われてる通り自分が弟と思い込んでる、別にどれもありうるし情報不足。
船のおっさんが言ってた「人食いパーツ移植すると強くなる」ってのは施設の子たちの実験がなんか歪んで伝わった系かね。
じゃあ楽しみに読むか。
でもあんたみたいなヴァカッ勉強するだけ無駄。お前が正義を決めるなカス。
碧-Ao-🦋
@aochi_09
風の社会学、新作が出ました📚✨
今回は、バスカフェで話題となった一般社団法人Colaboについてです。
「万人に共通の正義」が存在しないなかで、どのように社会の在り方を考えていけば良いのか......
まよたい~真夜中の待機室~💄🌙風俗嬢向けサブch
@mayonaka_taiki
🌙新着動画💄
【Colabo】何が問題視されているの?これまでの流れと今後の動き
今回は『風の社会学』🌀
https://twitter.com/aochi_09/status/1670783546372550656
いやバカすぎて無理だな。
久々にプロット考えてる
二次創作だが。
設定やこういう話がやりたいというのはポンポン出てくるが
エピソードへの落とし込みが出来ない
本当に話作る能力が鈍ってる感じ
森博嗣は作業にとりかかればすぐ出来ると言っていて、本当に天才なんだなと思った。
そもそも普段の思考の深さ・物事の捉え方・IQの高さがそうさせるんだろうか?
筆が進まない
それだと周りの装置をガンガン動かす必要がありそうなのに動いてないな。
着地点もまだぼんやりしてる。
本来演繹的なやり方苦手なのかも。先にオチやメインシーンきちんと練るか。
天才肌の創作人の頭の中をもっと覗きたい。覗いたところで自分が同じように実践するのは難しいんだろうけど…
もう2日くらいずっとぐるぐるしてんな。
同人友達はおろか、普通の友達とももはや数年以上疎遠なんだけど。
うーんどうしようかな
頭が固まってる感
好きな作家の同人誌パラパラ読んでるけど今やるべきはなんかそういうことじゃない気も…
うーんうーん
絶愛って漫画思い出した。
恋愛相手がなんかたとえば鉛筆になっても愛し続けるだか愛しただろうだかいう台詞があったと思う。
「本当の」愛は対象のかなり多くの性質に関わらないってことだと思う。
「本当の」ってつけることで言葉の意味を変更することの名前を忘れてしまった。情緒主義のやつ。
説得的定義だった。
小学校までは男女隔てなく仲良く遊んでいた同級生達が中学に上がると、学ランに黒ズボンを履いた男子と、ブレザーにスカートを履いた女子に別れ、以前と全く違う人物かの様に急に振る舞い、お互いの間に透明で重厚な壁を立てた事がまず一つの原因だったと思う。
そしてまた別の理由は初めての恋。
仲の良かった女子の恋愛相談に乗っていて、彼女が好きな男子に振られると急に手の平を返して僕に好意を打ち明けてきた。その心変りの早さに僕は内心軽蔑した。
しかし、その頃物事を深く考えていなかった僕は、彼女の好意にロマンティックにも応える事にした。
放課後誰も居ない教室に二人きり、夕陽が窓から強烈に差し込む真っ赤に染まった教室の中で彼女に「付き合おう」と応えた。
顔は太陽と同じ様に真っ赤に染まっていたのに、その時の心情はただただ寂寥であった。
それは多分、自分自身でも心の内の声に気付いていたからかもしれない。
初めての彼女ができたものの、僕は具体的には一体何をすれば良いのか分からなかった。
恥ずかしさと面倒臭さで彼女と一緒にする登下校も拒否していた。
すると、どうしてそうなったのか直接的な原因は知らないが、彼女は一度告白をして断られた以前の男子といつのまにか付き合っていた。僕はその事を周りの同級生から人伝手に聞いた。
彼女と付き合う事を口言したわりに具体的な行動を示さなかったのは自分だ。
だから振られてしまっても仕方が無いのに、僕は自分でも驚くほどその事実にショックを受けていた。
気が付いたら学校に行くのが嫌になり不登校をし、家に居るのも何なので近所の空き地で身を隠して一日の大半を過ごしていた。
どうして自分は彼女に振られてショックを受けたのかをその時にじっくり考えた。
自分でも気付かない内に彼女の事をとても好きだったのだろうか。
彼女と付き合ってから変に意識し過ぎてよそよそしい関係にしかならなかった。
彼女の好きな男子の話しを聞いて軽く意見を述べたり二人で盛り上がったり。
彼女の話を聞く為に交換日記まで使って日々やり取りをするほど異様な時間を共に過ごした。
どうして僕はあんなにも心が躍っていたのだろうか。
そんな事を考えたり、空き地で飽きたら周りの人にバレない様に近所を散歩していた。
そしてある日いつも通り空き地で漫画本を読んでいる時に気付いた。
その時持っていた漫画は女友達に借りた少女漫画だったが、その中の主人公の女子と同じ様な感覚が、初彼女と共有していた感情にとても似ていた。
カッコイイ男の子を見てドキドキして、彼と話したくてでも話せなくてそんな状態にハラハラする。
漫画の登場人物に感情移入をする様に、彼女を通して僕は恋をしていたのだ。
そこまで考えて愕然とした。
僕はあの男子が好き?
もし僕が彼を好きだったら、僕は同性愛者なのかもしれない。
そういった行為が異常だという事は子供の頃からテレビや周りの人の反応で何となく認識していた。
なのに自分が異常と呼ばれる人間になるのかと思うと正直戸惑ってしまいよく分からない。
考えれば考えるほど自分は同性愛者なのでは無いかと疑問が湧いてくる。
それを確かめる術も同性愛という世界に対する知識を得る手段も何も無い。
男は女を好きになるものだ。それが当たり前とされてきた。
中学校の体育教師も「男は男らしくあれ、女は女らしくあれ」と、それがお前の遺言であれと思うほどに皆んなの前で説教していた。
周りの同級生達はアホ面を下げて遊んでいる。
その中の一人がすれ違いざまに「どうしたん?学校嫌になったん?」と声をかけて来た。
そして教室に入ると振ってきた彼女が何か言いたそうに暗い顔をして僕を見ていた。
その彼氏は僕と目を合わせない様にしているのが分かる。
僕が学校に来なくなったのは二人が原因だと彼等や周囲に意識されるのが癪で、負けず嫌いな僕は意地でも学校に行く様になった。
学校には行くし授業は真面目に受けるし周りの同級生とも普通に話していた。
でも心に虚無感を抱かない日は無かった。
同級生と下らない話の笑いに付き合えば付き合うほど、作り笑顔が上達すればするほど、心に抱えた虚しさは膨らみを増し、日に日に腹の中で闇が深まるのを感じた。
一連の出来事があった彼氏彼女とは学年が変わりクラス替えの為すぐに離れ離れになった。
彼と毎日クラスで会わなくて済む事に僕は心底救われた。彼もまた彼女に振られたようだ。
そんな彼に意外な言葉をかけられたのは冬のある日だった。
教室にあるストーブで温まっていた僕の隣に静かに彼が腰を下ろした。
その頃には挨拶程度は交わすものの会話という会話は避けていたので僕は気が気では無かった。
僕は何を言われたのか一瞬分からなくて答えに窮した。
それから彼は部活の話とか、教室で流行っているカードゲームの話を僕に振ってきた。
何となくどもらずに答えられた気がするが細かい会話の内容はハッキリとは覚えていない。
話している内に変にテンションが上がった僕達は他愛も無い話でバカみたいに盛り上がった。
彼の好きな女子の話は聞きたくないし、誰が誰を好きとか興味も無かったので僕は急に静かになった。少しの沈黙があって彼が小さな声で、でもハッキリとこう言った。
「お前が女だったらな」
…一瞬、頭が真っ白になった。
しばらくの沈黙の後、僕の頭の中に浮かんできた言葉はこうだった。
(俺は女じゃ無いし)
何故か怒りの様な感情が湧いた様な気もする。
それから僕達がどういう会話をして、その後どういう行動に移ったのかよくは覚えていない。
ストーブの熱のせいで頭がボーとしていた。
暖かくて明るい教室の雰囲気の中で僕の心だけが冷え冷えとしていた様な気がする。
そして自分の感情に蓋をして深く考え無い様にするしか術は無かった。
クラス替えをしてからは仲の良いクラスメイトに恵まれて楽しく過ごしていたし、1年生の頃の苦い思い出も自分に芽生えた小さな疑問も一先ず考え無い様に努めた。
こうやって自分を少しずつ殺していく日々が始まった。
自分を少しずつ取り戻していく日々の話はまた別の機会に。
#PRIDE月間
別増田でフォーチュンクエストがおばさん臭キツすぎて無理って話が出てた。
フォーチュンは1989年に1巻が出て2020年に完結したわけだけど
ああいう思春期の少年少女を主人公にした作品が長期間連載が続くとなかなかキツいよな。
普通に考えて30年あったら読んでる側の時代も年齢もガラっと変わっちゃう。
当然書いてる側だってそう。
かといって作品内時間がそんな経ってないのに主人公たちの思想がどんどんアップデートされていったらそれはそれで作品内での登場人物の一貫性どうなっとるねんってなっちゃう。
昔と同じように昔と同じようにってしてるとたぶん、慣性が付きすぎて逆にどんどん古臭くなってくんだろうな。
よく古いドラマとか映画見たら今だったら許されないような表現ばっかりで草、みたいな話があるけど
ああいうのって一応はその場で完結してるわけじゃん。
でも連載が続いてて一貫した同じ作品がいろんな時代をまたいで続いていくのってなかなか難しいよな。
変換したい先は「ルール化」に決まってんだろ
俺が知らんだけで有名な人物なのか?と思ったら機動戦士ガンダムZZの登場人物らしい
会社のPCでは「るーるか」でなぜか変換候補一番が「ルー・ルカ」だったんだが、
まず、あらすじについてですが、高速道路でおしっこを出した話というタイトルに対して、内容はそれに忠実に沿っています。しかし、その忠実さが逆に物語の魅力を減らしていると感じました。高速道路でおしっこを出したという事実は、それだけでは読者の興味を引くには不十分です。どうしてその状況になったのか、どんな感情や思考があったのか、どんな結末が待っているのか、といった要素が物語に深みや緊張感を与えます。しかし、この物語ではそれらの要素が十分に描かれていません。主人公の動機はコーヒーを飲みすぎたこととデニッシュのせいだということであり、感情は苦しさや恥ずかしさや諦めだけであり、結末はサービスエリアに着いて水を飲むことであります。これらは現実的なものですが、物語的なものではありません。読者は主人公に共感したり驚いたり感動したりすることができません。物語は現実を写すだけではなく、現実を超えるものであるべきです。
次に、構成や技法についてですが、この物語は一貫して主人公の視点で書かれています。しかし、その視点が読者に伝わるように工夫されているとは言えません。例えば、主人公はツイッターや漫画アプリを見たりキャラメルコーンの袋を使ったりするなど、現代的な要素が多く含まれています。しかし、それらの要素が主人公の性格や価値観や背景にどう関係しているのかが明確ではありません。主人公は何歳でどんな職業でどこへ向かっているのかも不明です。読者は主人公に興味を持つことができません。また、主人公以外の登場人物もほとんど描写されていません。母親は心配して声をかけたり提案したりするだけであり、兄はデニッシュを買ってきたことしかわかりません。他の車やサービスエリアの人々も存在感がありません。物語は登場人物同士の関係や対話や衝突によって動きますが、この物語ではそれらが欠落しています。
以上のことから、この物語は文学的な価値が低いと判断します。高速道路でおしっこを出した話という題材自体は面白い可能性がありますが、それを活かすためにはもっと工夫や創造力が必要です。物語を書く際には以下の点に注意してください。
以上が私の批評です。ご参考になれば幸いです。😊
しかし、残念ながらこれは多くの場合嘘なのだと最近理解してしまった。人は、人が死んでも悲しまないのだ。
例外は親しい相手とか、少なくとも敵意のない知り合いとか、有名人とかである。
そうした相手が死ねば悲しむが、そうでなければ気にも留めない。
殺人事件のニュースは「怖い」かもしれないが、その人の死を悲しむわけではない。悲しむ人もいるが、例外的である。
特に、差別感情を抱いている相手なら死ねば喜ぶ。場合によっては、自分で殺すか、死に追いやる。
関東大震災では庶民が朝鮮人を殺した。ルワンダ虐殺ではフツはツチを殺した。ナチスドイツではヒトラーをはじめナチスの連中がユダヤ人を殺した。いずれも差別感情に基づくものだ。
彼らは相手の死を喜んだ。少なくとも相手の死に悲しみなど覚えなかった。そして、他人に死をもたらした。
そしてゲームや小説で登場人物が死ねば人はその死を喜び楽しむ。嫌いな相手でなくとも喜び楽しむ。
いや、正確にはある程度悲しみも交じりうるが、それすらもゲームや小説の楽しみの一つである。(人が死ぬシーンを作るな、とは言っていない。「規制だ!」とやたら言いたがる人がいるので、魔除けとして書いておく)
「よし、次。」
学園の試験官は、前の受験生が投げた球がギリギリだが的に当たったのを見届けてから、次に待つこちらに声をかける。
左手に握った球を見る。力を入れて握っても変形しない良い球だ。これならば秘められた左手の力を開放しても大丈夫だろう。
「どうした。ん、何だその持ち方は? まあいい、早く投げろ」
試験官の言葉を受けて、指定のラインまで進み、予備動作を行って全身をめぐる力を左手に伝え、そして指先へ、乾いた軽い音を立てて球が手を離れる。
直後、
ガコン! 球が的に当たり、的は倒れた。
自分が異世界に転生したらしいということに気が付いたのは、赤ん坊の頃に目の前に自分の手を伸ばした時だ。自分の思い通りに動く手を見ていて過去の記憶を思い出したのだった。そして過去の記憶から、この世界には前の世界には無かった不思議な力があることが分かった。前の世界で読んでいた空想物語で似たようなものがあり、超常能力や不思議力のように呼ばれていたのだけど、後にはこの世界の言葉を使って手法と呼ぶことにした。
過去の記憶があっても、まだ成長途中の幼年体だったので、成長に合わせて訓練をしていった。最初は手と足を使っての移動であるハイハイを練習し、少し成長してからは移動は足だけで行い、自由になった手で手法の可能性を探っていった。
物をつかんだり投げたりといった今となっては基本的なことも、最初は難しく、力の加減を間違えて物を壊したりもした。この世界での親は寛容な人であったので、安全には配慮したものの、自由な行動が妨げられることはなかった。ある手法の訓練のための教室に通いたいと言った時も、こころよく了解してくれた。自分のためだけでなく、この世界での親のためにも、手法を極めて社会的成功を目指そうと思うようにもなった。
訓練用の教室だけでなく、野外で行う別の属性の手法についても訓練を行った。同年代の子供と一緒になり、球状の玉を投げたり、取ったりといったことや、棒を使って動く球を叩くこともやった。前の世界ではまったくやったことが無かったので最初の内はうまくできなかったが、訓練の成果もあって、手法の技術は進歩していた。
「しかし、相変わらず、すげーな。あんな変な投げ方なのにな。」
一緒に受験した友人のアカイが、倒れた的を戻すのを手伝ってくれながら言った。
いつものように答える。アカイは自分の番はもう終わったので、こっちを見に来てたみたいだ。
そこへ、
と、別の友人ナナオがやってきた。
「わかった。それじゃあ。」
「でもホシノはすごいですね、2つも試験を受けるなんて。」
移動しながらナナオと話す。
少し上の方にある彼女の頭を見上げるようにして話す。
「それに、」
そう言って、彼女の手を取る。
「どちらもこの手でやることだ、基本は同じだよ。」
彼女の手も、毎日の練習によって強い力が出せるようになっている。
「もう、いきなり手を握らないでよ。まあ、別にいいけど。」
矛盾したことを言うナナオの手を放そうとしたが、逆に握ってきたので、そのまま手をつないで歩く。
ナナオによれば、僕の試験は最後に回してもらっていたようで、なんとか間に合った。
今度の試験は室内で、魔道具ならぬ手道具を使って行う。弱もしくは弱強と呼ばれる手道具に沢山並んでいるレバーを押すことで、対応した音が発生する。あらかじめ決められた方法で書かれた順番に合わせてレバーを押すことで、一連の音が発生するという具合だ。レバーの押し具合で、弱く押せば弱い音、強く押せば強い音が発生する。
レバーの数は多いとはいえ有限なので、出せる周波数はとびとびになる。これが弦の長さをアナログ的に変えながら振動させる手道具なら、理論的にはいくらでも細かく周波数を変えることが出来る。残念ながら、僕に弦属性はなかったようで、この手道具ではかろうじて音が出せるくらいにしか使えない。小さなころは同じ強弱の手道具を習っていたナナオは、この弦属性の手道具の使い手でもある。僕の2属性を誉めるナナオにしても、2つの手道具を使いこなす複数属性の適正者なのだ。
「よし、はじめ」
試験官の合図で開始する。右手と左手で別々に、しかし関連させながらレバーを押すことは、簡単なようで難しい。幼少期から通っている教室での訓練があって、はじめてできることだ。
「あっ。」
見ている誰かの声。それは、風で目の前にあった手順を書いた紙が飛ばされてしまったからだろうか。
2番目の試験も無事に終わった。
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ホシノ 主人公。おそらくは手足が無い生物が住む世界からの転生者。
ナナオ ホシノの友人。将来はバイオリニストになって、ホシノと一緒に演奏会をしたいと思ってる。
https://kakuyomu.jp/works/16817330653986494310/episodes/16817330658943054917
相変わらず何らかの人間の悪意(もしかしたら運命の残酷)に対する解像度が高い、最近の展開。
どうも、主人公の八虎は、画業を仕事に選ばないのではないか、という予感がしてくる。
彼が芸大受験期に武器としていた頭の良さ、戦略性は入学後に発揮されなくなり、周りの人間の状況に振り回される。物語として見ると、こういう人間関係の中で何かに気付き、学び、未来を選ぶという展開が予期されるけど、まだその片鱗がない。
一方で主人公以外の登場人物に絵を描いて生きていく必然性が高いキャラクターが何人かいる。絵を描く事が人生の目的だったり、使命だったりする人たち。それを前にして、それを超える客観性や戦略性を発揮するのか、それとも自分なりの必然性を導き出すのか。
おそらく第三の道が示されるんだろう。
とりあえず大声で叫んでおけばキャラが立つという安っぽい演技指導をいい加減卒業しろよ。
「一見すると口は悪いけど情熱的なだけ」みたいなキャラ付けで数人分稼ごうとするような舐めた製作態度もいい加減卒業したら?
登場人物に奥行きがなさすぎる。
雑にキーワードを設定して話が繋がっている感を演出するのもやめろ。
ゴールとマイルストーンをちゃんと設定してちゃんと走ってるの?
毎週毎週思いつきでやってるようにしか思えん。
記号的な行動をキャラクターが繰り返すだけでは感動もへったくれもないよ。
何もしなくても作り続けられるという立場に甘えてすっかり中身が無くなった。
商売としての圧がかかってないと駄目なのか?
その割には保守的な態度の作りを感じるのはなぜだ?