2023-06-17

人は、人が死んでも悲しまない

「人が死ぬと悲しい」というのは現代日本では常識である

しかし、残念ながらこれは多くの場合なのだ最近理解してしまった。人は、人が死んでも悲しまないのだ。

例外は親しい相手とか、少なくとも敵意のない知り合いとか、有名人とかである

そうした相手死ねば悲しむが、そうでなければ気にも留めない。

殺人事件ニュースは「怖い」かもしれないが、その人の死を悲しむわけではない。悲しむ人もいるが、例外である

そしてむしろ、嫌いな相手死ねば喜ぶ。

特に差別感情を抱いている相手なら死ねば喜ぶ。場合によっては、自分で殺すか、死に追いやる。

関東大震災では庶民朝鮮人を殺した。ルワンダ虐殺ではフツはツチを殺した。ナチスドイツではヒトラーをはじめナチスの連中がユダヤ人を殺した。いずれも差別感情に基づくものだ。

彼らは相手の死を喜んだ。少なくとも相手の死に悲しみなど覚えなかった。そして、他人に死をもたらした。

そしてゲーム小説登場人物死ねば人はその死を喜び楽しむ。嫌いな相手でなくとも喜び楽しむ。

いや、正確にはある程度悲しみも交じりうるが、それすらもゲーム小説の楽しみの一つである。(人が死ぬシーンを作るな、とは言っていない。「規制だ!」とやたら言いたがる人がいるので、魔除けとして書いておく)

結局、基本的に人は人の死を悲しまない。喜び楽しみさえする。

たまーに見ず知らずの無名の人の死を悲しめる感性を持った人がいる。

その感性大事にしてほしい。その感性を持っている人は、あなたが思うより確実に少ない。

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