「甘ったれ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 甘ったれとは

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-19

anond:20231019220430

日本如きに金預けてもらえるとか甘ったれてるんだよ稼いだら外で貯めろ

2023-10-10

女のお気持ち表明は嫌い

でも、男からマウント癖と肉体及び顔面に対する生理的嫌悪感も分かる

論理で詰められてキモいしか言えなくなる女の気持ちも分かる

俺もおっさんがドヤってると論理がどうとか以前にゴキブリが近づいて来てるみたいな嫌悪感で、離れたい一心しか湧かないし

でも女の、論理の欠片も無い甘ったれ差別丸出しお気持ち表明と、被害者ヅラと、加害者の癖に自覚が無いところもも心底気に入らない

要するに人間が嫌いで自分が誰とも話さなければいいという結論になってしまい悲しい

2023-09-20

anond:20230920110650

しろサービス残業もしていない甘ったれには社会の厳しさを教えてやった方がいい

そんなぬるま湯に染まっているやつに子供教育する資格はない

2023-09-15

自衛隊戦闘機整備しとるけど「そうですか。じゃあ出撃拒否か、諦めて死ぬかの2択ですね。ウチに言われても困ります」って感じだわ

「こんなんで前線に出ろとか殺す気か!」って怒鳴り込まれることが結構あるんだよね。

でもさ、そんなの整備側に言われても「じゃあお金時間ください」でしかないわけよ。

金も時間部品もないのが常態化して、愛卒化して色んな会社撤退してますよ」をここ10年ぐらいず~~~っと言ってるのに放置し続けて遂に終わりが来たわけですよ。

「いや今はもうお金あるじゃん」って言われてもさ、既に撤退製造中止の嵐でどうしようもねえし、そこをひっくり返そうとしたらラインの作り直しかスタートから今までの何倍もの金がかかるのは目に見えてたじゃん。

でも放置してたんだよね。

せめて「無理に規模を広げるのやめて、不相応の規模でちゃんとやります」だったらまだなんとかやれたと思う。

思いつきと忖度の嵐でてきと~~~~~に裾野広げて、ぜ~~~~んぶ中途半端にして、それで「あっちもこっちもマトモに機能してねえじゃねえか!責任誰が取るんだ!!!」って本当は責任取らなきゃいけない立場の側が責任押し付けてきたらさ……もう逃げたもの勝ちの世界しかならないじゃん。

ズブズブの馴れ合いから抜け出せないまま泥仕合敗戦処理を続けさせられてるある意味マジメというか義理堅いというか分かり切っていた破滅に対して見積もりが甘かったというか腹くくって一抜け宣言できなかった人間が残ってアレコレ必死になってやってるわけじゃん。

俺等も完全に抜けたら本当にもう終わりなんだよ。

もう負け戦と分かってるけど付き合ってやってるわけ。

敵前逃亡不義理をしないために踏ん張ってるような常態なわけ。

そこに来てちょっとマシになった程度に端金投げつけて「おら!今までよりずっと金払ってやるからサッサと整備しろ!!!」みたいな態度取られてもさ、今更知らんわボケ世界ですよ。

マジでさ、「こんなんで次の任務行けとか冗談きついですよ💢」みたいに言われてもさ、「それはもう上級司令部かに言ってくださいよ。上級司令部に「これじゃ流石に無理ですよ!!」と言えない自分勇気のなさを整備屋に責任転嫁しようっていう甘ったれた考えを捨ててください。あなた方の選択肢は究極的には二択で「上級司令部に装備と作戦バランス崩壊していて無謀であることを伝える」「諦めてボロボロの装備で前線に送られる」のどっちかだけなんですよ。なんでそこで「整備屋に文句言って脅しまくれば出したお金以上の整備をやってくれて全部なんとかなる」っていう第三の選択肢妄想するんですか?大本営発表クローズドループエコーチェンバーしてもうマトモに現状が見れなくなってるんですか?ウチももういい加減撤退しますよあんバカ言ってくるなら」なんですよね。

本当マジなんなん。

今更ちょっと小金持ちになったからって20年溜め込んだツケが半年ぐらいで急にひっくり返るみたいな妄想やめろよ。

せめて10年だね。

ここまで上層部妄想みたいな作品に併せて現実を歪めるために現場死ぬ気で解決する根性論で押し通してきた以上は。

このツケは想像よりもずっとデカイよ。

滅茶苦茶利子がついてる。

その利子を「ご機嫌を損ねたくないから隠しましょう」ってしてきた自分たちが悪いって自覚をいい加減持ったら?

本当もう無理。

俺もいい加減他の部署に移るわ。

なんでこんなバカ相手させられるねん。

いい加減疲れたぞ。

2023-09-09

人類が今この瞬間に死ねばいいのにとか世界が終わればいいのにとかSNSに書かれてる度に縁もゆかりもない赤の他人勝手に巻き込むなと心の底から不愉快に思う。こういうやつってどんだけ甘ったれて甘やかされて育ってきたんだ

2023-09-04

もにょるっていうのがむかつくのはわかる

これは個人的な印象だけど

言いたいこともあるけど責任を取りたくない、でも相手イニシアチブが与えられている状態に対して不満を抱えているわが身が可愛い甘ったれ

みたいなイメージがわいてくる

2023-09-02

「平気で」「鼻くそほじりながら」といった無駄修飾語を使わないで欲しい

文字通りのノイズ

言ってる人間の心が薄汚れている以外の情報価値がないので使われても誰も得しない。

「ボクはゴミのような人格の持ち主だから言うことを信用しないでね」をいちいち別の表現をするな。

そんな甘ったれ気持ち発言するぐらいならさっさと辞表を出して社会から消えろ。

2023-08-27

デブ拒食症って鏡合わせの病気なんだろうな

拒食症患者ガリガリに痩せていても、鏡に映る自分を太っていると幻覚のようなものを見てしまう」ってよく聞くじゃん?

アレってデブには逆の形で起きてるんじゃないかな?

デブはブクブクに太っていても、鏡を見て自分はまだ全然太ってないと幻覚のようなものを見てしまう」っていうこと。

これは一部のデブが口にする「こんなのは健康的な体型のうち」「何故か医者まで自分病気扱いする」っていう言葉と一致してる。

中年になれば人間が太っていくし、それで皆ある程度はダイエットするから体重増加に対して言い訳を並べるのを当たり前だと考えすぎていたんじゃなかろうか。

日本人でも30人に1人ぐらいはアメリカンサイズスーパー病人デブがいるけど、彼らは自分のその状態を「ちょっと中年太りが酷くなってきた」ぐらいに思ってるのでは?

から医者がいい加減痩せろと口を酸っぱくしても「でも年食ったら太るのが普通って皆言ってるけど?」と聞き流す。

彼らの頭の中、彼らが見る鏡の中ではスーパーアメリカデブ自分存在せず、ちょっと中年太りが危険領域に入った程度のデブがいるだけ。

単なる危機意識のない甘ったれじゃなくて、脳そのものがやられていると考えたほうが納得感がある。

2023-08-16

奨学金500万なんて余裕だろダボ

ギャーギャー騒いでる奴が入るが。

就活に失敗して社員100人未満の零細企業就職して

しか入社後すぐ東京に転勤させられても毎年100万貯金して5年で返したぞ。

どんだけ甘ったれてんだ、このダボが!

例の事件から暫く経って今思ってること

政治家銃撃事件からうそれになりに時間がたった。

エホバ二世の俺から見れば、あの事件は当然の結果と思っている。

到底許されるテロではない事は勿論だが、この文章を読んでいる貴方もその原因になった一人だ。

なぜなら、あなた方はオウム真理教の頃に何もしなかったのだから

あの銃撃犯は俺から見ればタダの「甘ったれ」だ。

裕福な家に生まれバスケ部に入り、関関同立同志社大学にまで行っている。

心折れたから銃を作った。そんなクソみてぇなテロだ。

思想犯のような矜持もない。アレを闘士と持て囃すなど論外だ。

勝手極まる動機なので厳罰も当然、死刑相当だろう。

当然だろ?

俺の親はそんな選択肢を俺に与えなかった。

あの頃は家族学校も全ての人物が俺の敵だった。

その時に抱えた世間への不信と憎悪は今でも俺の根底にある。

事件後に声を上げた人々はどうだろう。

どいつもこいつも目立ってんのは大半が女だ。

本を書くのも記者会見するのもどいつもこいつも女しかいねぇ。

これも正直言えば俺は気に食わない。

母親カルトに染まって以来、俺は一切女性を信用できないからだ。

男はボヤキ書いちゃいけねぇみたいな空気出してるよなお前ら一般人様は。

あの人達弁護士先生だの記者だのと組んで団体を作った。

彼ら彼女たちは今の世代の子供を救えという主張はわかる。頭では。

でも何ができるんだ?

それができるのは何年後だ?

この現状は何一つの淡い光にすらならない。

結局俺から見れば2023年8月16日時点では「大して何も変わってない」。

ハナっから希望など抱いていない。

この恨みと憎しみだけは誰にもやらん。俺だけのものだ。

から俺はこの国がどうなろうがお前達一般人は助けない。

あの時お前たちは助けてくれなかったんだからな。

当然だろ?

2023-07-31

anond:20230731172554

レス元のヒス女とは絡みたくないです……

ワイはあなた生き方は素晴らしいと思っとるんや ただ、男も女も大体の人は甘ったれたところがあって、それはしゃーないことやからほっといてあげなはれというだけの話や

2023-07-30

anond:20230730134940

なにも活動したくないけど守ってほしいっていっていいのは赤ん坊だけだよなぁ?

強者から相手を選べるし活動なくても生きていけるんだろ

自覚しろ甘ったれるな

2023-07-24

anond:20230720174740

戦前まれに今の甘ったれ時代人間が「こっちは住む場所がなくなり食べ物も無い」とかどんだけ底抜けバカだと言えるんだろう

かに知能ガチャ大外れだわ

2023-07-16

今は、心か体が辛い時でも 「何もしていないよりは苦痛を和らげられる無料趣味」 が充実してる時代ホント良かった。

熱中症怖い…想像以上にダメージ受けてて半日潰れた。

昨日暑すぎるねん。

朝でも夜でも外にいるだけで汗ダラダラかくからダメージ受けましたわ

明日、全身筋肉痛確定。

自分の無力さと甘さを痛感したよ。

いつからこんな甘ったれ精神なっちまったんだと反省

もも痛すぎて眠れない…。

今日は朝5時に起きたはずなのに、まだ目がぱっちりしてる

久々に全身筋肉痛になるレベルのことをしたけど…全身筋肉痛の一番嫌なことは

筋肉痛限界突破すると、寝られない」

ということですね…。

全身筋肉痛が痛すぎて寝られなかったのは中学生の時に、病み上がりに1800mを本気で走って、150人中18位になった時以来。

その時に比べたら冷静だけど

特別運動できるわけじゃないけど、中学時代少年野球をやってた貯金で持久走だけはけっこう早かったので…意地になって病み上がりに本気出して全身筋肉痛になりました。

中学まで持久走強かったおかげで、底力がついて大人になっても山登り肉体労働する時に役に立った。

野球自体はヘタだったけど

色々筋肉痛になってきたけど、個人的に「なりたくない筋肉痛トップ3は

1位、全身筋肉痛…体が緊張しすぎて寝られない

2位、利き腕が筋肉痛…握力がダメになるからデスクワーク全般が辛い。

3位、腰の筋肉痛…床に落ちてるものを拾うだけで辛い

ですね…。

痛みには慣れても弊害は辛い…

これ、登山ときにも何回かあったから言うけど、

筋肉痛がある一定レベルを超えると…胃腸おかしくなる」

ような気がしてきた。

今日、全身筋肉痛なんだけど…もうね、ずっとお腹調子が悪いんだ。

寝ることもできないが、置きてても集中力散漫でゲーム音楽聞いてるのも続かんくて辛かった

痛い事自体には耐えられるようになっただけど…集中力がないことで1日が長く、しかもカチッとハマらないことへの焦燥感っていうのはやっぱ辛い。

最近熱中症で寝込んだこともあったから言うけど、過度な筋肉痛はもう病気で寝込むより辛い。

下手に動けるけどまとまらないし、眠れないせいで辛い

なんでもそうだけど、体のスイッチがぶっ壊れるまでやっちゃダメです。

体のスイッチがぶっ壊れると「休んで治す」ことができなくなるから、追い込むと言っても休んで回復できるレベル(休めるレベル)にしておかないと…追い込んだ次の日が本当の戦いになるかも

昨日から続く、相変わらずの全身筋肉痛

昨日に続いて、なかなか寝付けない割にすごい早い時間に起きるぐらいに痛かった。

でも、ソシャゲを続けられるぐらいには、集中力は戻ったし、体重計に乗れば体脂肪率が減って筋肉が増え始めてる。

峠は越えた。

まだ胃腸不安定で、全身痛いけどね

これ、うつがひどい時もそうなんだけど…一番悪い時はゲームもできないので「横になって、規定睡眠時間まで体だけでも休ませる」のが辛いんですよ…。

から、もう「ゲームだけでもできるようになった!」というのは、どん底を脱した証拠なので本当にありがたい。

痛みを和らげられる

人間パフォーマンスは、NARUTOチャクラコントロール理論に近いと思ってて、

身体精神のどちらかのエネルギーが不足してると、できることが限られる」

わけです。

ゲームしかできない・ゲームさえできないは心と体、どっちかのコンディションが悪いから大きな事ができない状態

ゲームに限らず、なんでもいいけど…

「うまくチャクラが練れない(コンディションが良くないから、高度なことができない)危険状態になった時に増えてしま時間や悪習」

自分の中で理解しておくと、体調管理はやりやすくなる。

ライフハックにも満たない「自分トリセツ」といえばいいのかな?

ちなみに、

「心か体の体調が良くない時についついやってしまうこと」

が、お金のかからないゲームSNSなのはまだマシなのよ…。

これが、やけ食い・やけ酒・ギャンブル・性・暴力という人はよりお金がかかったり、トラブルに巻き込まれて大変だと思う。

善悪以前に、「大変」だろうと思う

人間は正しく真面目に生きるべきだ」

とか、どこぞの赤犬

人間、正しくなければ生きる価値なし」

とか言うてたんですが…正しいこと・真面目なことってだいたい消費する体力がハンパないからね…。

行いだけを見て、善悪、真面目不真面目決めるのはまぁまぁ危ない思想鶏卵な部分もあるし

話それたけどアレや…。

今は、心か体が辛い時でも

「何もしていないよりは苦痛を和らげられる無料趣味

が充実してる時代ホント良かった。

時間はムダにするかもしれないが…大きなリスクがなく充電できるので…そこはい時代なので、うまく活用していきたいし、されてほしいと思うよ

ただ、心がしんどいときにも、体がしんどいときにも使える「サウナ日帰り温泉」はなんやかんやコンディション調整では最強だと思う

心がしんどい時は周りの音を全部切ること。

体がしんどい時は必要栄養だけ取って休むこと。

サウナ日帰り温泉はこの2つが両方満たされるからぼくの中では強い

2023-07-15

君たちはどう生きるかを「楽しめなかった」と語る連中は目玉買い替えた方がいいよ

作画が本当に凄かった。

ネタバレになるから詳しくは言えないんだけど、とにかく作画が凄いんだよ。

単に凄いっていうんじゃなくて、使い分けているんだよね。

一般的作画が凄い作品って結局作中で同じような作画をず~~~っと続けがちなの。

一定ルールを決めて全ての場面でそれを守らせることで高い水準を維持するっていう工業的な手法を厳し目にやっているんだよ。

そのために作品全体における方針のブレは最小限にして、せいぜい①日常ギャグ③バトルの3パターンぐらいしか画風の使い分けもしない。

でも君たちはどう生きるか(以下:君るか)はそうじゃない。

シーンごとに本当に様々な描き方を用いてくるし、それも今風の露骨ギャグ描写とかはせず作品全体におけるリアリティレベルは維持したままで別々の描き方をする。

遠景・液体・動物人間、それぞれが微妙タッチが違うんだけど、それによって世界がツギハギにならないように統一はされている。

そして全てが高水準。

止めてじっくり穴が開くぐらいに見ていたくなるような美術もあるし、キチガイみたいな枚数と精度の動画もある。

特に動画の枚数やクオリティは異常で、如何に作画労力を減らせるようにコンテを切ったり動画に落とし込むか考えようとか、カット割りをAI化して疑似ヌルヌルさせるのが今風のテクニックだとか、そういった甘ったれ商業的な濁りが全くない。

しろどれぐらいの人間人生を捧げたのかを見せつけようとしているレベル

これを採算度外視ではなく、採算が合うという前提で作れるスタジオは本当に貴重だよ。

たとえ一党独裁の如くになったとしても、圧倒的な財力・権力技術力を一箇所に集めた最強集団が一つあることが文化には必要なんだと感じた。

こんな凄い会社が、宮崎駿がいなくなった途端に、弛んだ作品を乱発して緩やかに衰退していくのが目に見えているのが悲しい。

本当に凄いクオリティ作品だよ。

アンパンマンを毎週見ているような作画オタク絶対に見るべき。

2023-07-13

anond:20230713213427

読みやす文章書けるようになってから出直せ

あんたはただの甘ったれ

子供には少なくとも大人並みの人権は無い

「親ガチャ」とか言ってる甘ったれガキはとっとと死ねばいいんだよ。

その昔は「間引き」とか言って子殺しなんて日常的に行われていた、

それが明治維新富国強兵政策において子供は将来の兵士になるからって理由子供産めよ増やせよって言い出したに過ぎない、

ってある作家が言ってたね。

「半人権」って言ってた人がいたけどそれぐらいが子供にとっては適当だよね。

2023-07-04

「たくさん産んで、たまたま生き残った者で社会を育てよう」から「生まれた者一人ひとりをしっかり社会サポートして育てよう」にシフトできなかったが故の少子化だと思うので、「刹那主義自己中心的思考若者を食いつぶしてきた甘ったれたジジババ共が全部悪い」が結論でいいと思うんだよね。

2023-07-02

anond:20230628091536

甘えを肯定的にとらえてる親はまず自分甘ったれてんだわ

自分の甘えも受け入れられて当然と思ってる

こういう親ほど自分の甘えが許されない状況に直面すると豹変すっから

増田の子供逃げて!

2023-06-29

私の母親日本人ではない

物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた

狭いアパート家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍夫婦に預けられた。

今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦お金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う

兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい

母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすゲーム機で遊ぶことだった。

家に子供けがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う

やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときハンガーで叩いて言って聞かせた。

兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。

すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分けが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない

兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまたから泣きながら母に兄のことを話した。

それから母は深夜帯の仕事をやめて昼間に働くようになった。


父は山に囲まれ田舎に住んでいた。亭主関白のもののような人だと思う

私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている

まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話わたしてくれた。父とは物心ついたとき父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物父親だと私は認識して話していた。

そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。

例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。

そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。

まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う

うその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。

たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う

から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからお金を頼む相手しか見てなかった


まだ園児だったこから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。

母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所ことなどを理解するのに苦労したのだと思う

持っていく必要もの行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない

しかし他の子不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。

それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。

兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。

いつもより早く母が迎えに来たときはすごく嬉しかったと思う


小学生になった私と兄は多少物事理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。

ここから母は私達の教育学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるま家事をすることだったかもしれない。

今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う

仕事をしなければいけない母は日本語勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある

厳密には仕事で疲れて日本語勉強することができないのが正しいかもしれなかった。

勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ

宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。

母も口では宿題をやれと言うが、やらせようとはしなかった。

兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない

学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。

ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。

保護者込みの学校出来事といえば、三者面談があると思う

それだけはさすがに保護者必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。

先生宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。

親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。

それはそうだと思う、明らかに厄介ごとを抱えてるのだから


勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。

1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。

それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的高校生だった。

変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。

私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。

ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。


兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない

大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった

兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。

から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。

怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるとき自分を責めていた。

母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。

そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった

私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。

そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。

兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。


それから半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。

引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。

仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。

まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない

電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金たまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。

さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。

私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。

働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。

安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。

私は甘ったれなんだと思う


母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。

一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。

私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。

1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。

そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。

また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうそ貯金もなくなってしまって今に至る。


よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語理解できる親というのが私には羨ましかった。

私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。

故に学校勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるか生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない

わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしま

ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

2023-06-21

anond:20230621194735

俺はリアルひも付けメリットがねえからひも付けてねえだけだよ

けど彼はひも付けることで利益を得てる人でしょ? 

そういう立場なのに「否定的意見は一切受け取りたくないでちゅー」なんて言わんやろ

それはきみが失礼よ、彼をすさまじく甘ったれた変な人間だと言ってるみたいだわ

肯定する人間否定する人間もいらあな

2023-06-20

水着撮影会存続デモ反省会

この増田は去る6月18日に行われた「埼玉県の県営プールで行われる予定だった水着撮影会が中止に追い込まれたことを不服として抗議するデモ」に対して是非は置いといて個人的に思ったツッコミ所をピックアップしていく従ってブコメトラバ文句言われても一切読まないのでそのつもりで。


・まず主催者遅刻社会人として必要最低限のマナーもなしに社会に何かを訴えてどうする?

・700万円だか集めたっぽいけどそんだけありゃ横断幕なりプラカードりあるいはビラ刷るなり出来たんじゃないのかい

デモってのはただ数集めりゃいいってもんじゃねんだ。「1000人集まったから大勝利!」でも「その殆どキモヲタwwww」でも無えんだわ。数で訴えたいならchange.orgみたいな署名活動でやれや。

埼玉県への抗議を渋谷でやるのも意味不明。お前はマッククレーム入れるのにロッテリア電話すんのかと。

・掛け声あげろ掛け声。発起人が「我々から仕事を奪うな」と主張したいなら言葉で示せ揃いも揃って黙ってボーっと歩いて何がデモ馬鹿野郎。「でも大声出して行進したら周りに迷惑かけるしー」とか「ぼくちん愛国者からパヨクみたいに思われるの恥ずかちー」とか甘ったれ気持ちデモなんぞ参加すんじゃねえ。

・ここまで書いて思ったがそもそも賛同した27人のグラビアアイドル」とやら"だけ"で埼玉県庁の前で座り込みすりゃええだけの話だった。周囲から奇異な目で見られるだろうがそもそもおたくビキニ写真取られるのがお仕事しょうがよ。もっと上手いやり方あるなら教えてくれ。


他にも細かい所いろいろあるけれど総括するとして「何が言いたいかは解る」が「何をしたいのか解らない」というのがこの増田個人の感想デモなんてのは一日二日で成功たか失敗したかなんて解らんもんだけども、あんまり成果は期待出来ないと思うよ?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん