はてなキーワード: 弊害とは
それ本当によく思う。東京にもよく行く地方在住、さらに仕事や趣味で辺境にもよく行くんだけど、和歌山の定食屋で世田谷のスイーツ特集のテレビ見てると気が狂ったような感覚になるんだよね。隣でラーメン食べてる地元のおじちゃんにどんなふうに映ってるんだろうと思ってしまう。辺境地だけじゃなくて、大阪で「気軽にワンデートリップ湘南特集」みたいなhanakoがコンビニに並んでたりとか、東京の人この状況知ってんのかなって思っちゃう。さらに、東京って若い人めっちゃいるじゃん。で、日中あんまり幼児や高齢者見ないじゃん。地方行くと、幼児連れたママさんや介護施設の送迎車やカート引いて買い物に行く高齢者とかいっぱいいるのね。言葉は悪いけど、戦力にならない女子供が残された村っぽい感じ。でも、東京だけなんだよあんな若々しい仕事できそうな男がいっぱいいるのは。地方は大抵女子供高齢者。だから、東京から出ないで商品企画したり政策作ったり雑誌作ったりしてたら、地方の実情とズレまくるよねってよく思う。実際そういう弊害出てるんじゃないかな。東京ってディズニーランドみたい。夢と魔法の日本ランド。
「うまくいかない人生にムシャクシャ」小学生女児に繰り返し性的暴行か 35歳無職男を逮捕
https://news.yahoo.co.jp/articles/80466bcbeb1f581064d5a0f2d685bd7f78a54cb2
「スリルと興奮味わう」静岡の小学校教師が温泉施設で5歳女児の裸を撮影
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_8017.html
そんなの当たり前であるのだけど、気になった所はそこではなく、貴重な姿云々などと言う所。
この変に規制を強化しすぎて希少化して、価値が生まれてしまったせいで余計に事態の悪化を招いたと言う点は前々から言われていた事でもあるからねぇ…。
しかも児童ポルノ禁止法に関しては変に国連、フェミニストやキリスト系等の宗教団体が歪ませ、単純所持規制やブロッキング、果てには創作物規制と自身の思想の為に権利を利用し規制に悪用しようとした結果、日本ではまだマシだけど、実際海外においてはより犯罪率の増加や凶悪化を招いたと言う笑えない事態まで招いているのは事実だしね。
実際キリスト系や国連等でその後に性犯罪が露呈した点を見てもネット規制やら創作物規制は捜査の手を撹乱させるために言い出したのではと言う疑念すら言われていたのは見た事があるしね。
事実スウェーデンの警察も創作物規制のせいで捜査の手が分断された事は指摘していた点であるし。
今は山田太郎議員がいるからとりあえずは抑止力はあるみたいだけど、著作権のあの体たらくさを見る限り個人的には余り期待はしていない。
しかし昨今のSNS規制を誹謗中傷や自殺等を理由に過剰なまでに規制を煽っているのとこう言う事件を見て当時の児童ポルノ禁止法の流れやウイルス作成罪、その後の著作権などの様々な規制を思い出したけど、規制と言うものは反論しにくい所から、広げられていくと言う当時言われていた事は正解だったのだなとつくづく思うよ。
そしてそのSNS規制だって有名人の自殺やら事件やらを利用して進めようとしているのがねぇ…。
何時もの事だけど事件を法規制や条例の改正に悪用する流れは本当にやめてほしいと思う。
しかも平時ではないこの時期ですら平時感覚でこの手の規制を優先して進めているのだから色々な意味でこの国はもう末期なのだなと思うよ。
Wikipediaによれば、行政改革が叫ばれ始めたのは1980年代の中曽根行革以降のことだそうだが、最も記憶に新しいのは、小泉内閣の「聖域なき構造改革」だろう。行政改革は「行政組織の効率化と経費削減」が目的とされ、もちろんそれ自体は真っ当なお題目だ。だが、それに名を借りた利益誘導の実態も、この十年二十年で明らかになってきた。
最も分かりやすい例は、労働者派遣法の規制緩和だろう。この「改革」で最も利益を得たのが人材派遣業界であることは論を待たないが、その改革の主唱者が人材派遣会社グループの会長職に収まりながら、未だに政治に対して大きな影響力を保っていることを、我々はどう考えればいいのだろう?
いわゆる加計学園問題も、加計学園への私的な利益誘導とみなされかねない政策が「国家戦略特区諮問会議による規制改革」という建て付けで正当化され、擁護されていたことは記憶に新しい。最近、再び話題になっている大阪維新の会による「大阪都」構想も、行政のスリム化の名の下に「市」の利権を取り上げたいという欲望が見え隠れする。
河野太郎の「行政改革目安箱(縦割り100番)」が物議をかもしているが、彼自身のこれまでのネット上での「目安箱活動」の実績を考えれば、本心から「縦割り行政の弊害をなくす」と意気込んでいるであろうことは疑いない。だが、晴れて担当大臣になった以上は、細かい非効率を拾い集めて潰していくという「一議員でもできる程度の」活動に終始するのは感心しない。
「行革」が単なる利権の付け替えに堕し、社会の強靭さを(コロナ対応で明らかになったように)損なう結果となったのは、長期的な展望を持たず、目についた些末な非効率を取り上げてつつき回すという我々日本国民や政治家の態度に原因があり、それは結局、自分の権益を拡大したい人間の隠れ蓑として都合の良いものでしかない。そして、菅政権が就任にあたって唐突に(本当に唐突に)「行政改革」を唱え始めたのは、特にこの路線の弊害を反省もせず、むしろ積極的に継続しようとしているからだろう。僕は、河野さんの真っすぐな所は何だかんだで評価しているのだが、河野さん自身はそれでいいのだろうか?
河野行革相は、平井デジタル相と密に連携して、もっと未来の日本の行政組織のあるべき姿についてグランドデザインを描くような仕事をした方がいいのではないかと思う。それなしに小手先の改革に終始すれば、その行革は間違いなく「裏舞台の住人達」の喰い物にされて終わるだろう。
引きこもりはいつも家に引きこもっててコロナによる変化はあまり無いからコロナによる疲れはこないだろうと思う人はきっといる。自分はとりあえずそう思ってた。
週一で外出だったのが一切外出しなくなった。
最近は少し緩和されたが、1月から7月くらいまでは一切外出てなかった。
正確に言えば怖くて出れなかった。
家にはコロナなったら重症化するに違いない人材が複数いるので自分が持ち込んだ場合を考えるとゾッとして出るの辞めました。
外出しなくなった弊害は、
寝たとしても浅い眠りで疲れる。
このコロナ禍で家もピリピリしていて引きこもりに対する扱いがさらに下がった。
結構怒られてきつい。
働けと言われることも増えた。
家族は自粛期間外出出来ない事がストレス溜まって前よりさらに外出するようになった。
おかげで家事を任される事が増えて、自分の中のルールの一定時間の勉強終了後の30分休憩が家事に費やされて休憩にもならなくてきつい。
散々休憩人生でしてきただろって言われたら何も言えないが感情は一応あるのできつい。
あとリモートに変更は出来たからまだマシだけど、勉強教えてもらえる場所に行けなくなったのも結構辛い。
コロナいつ終わるかな。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
雑に計算してみた
GOTOトラベル開始7/22から8/31までに増加した感染者数が日本全体で約43000人
除外された東京都の増加分が約10000人だから、期間中に東京以外で33000人くらい感染確認されてる
GOTOを利用した人の数が約5560000人でだいたい1/20
とすると、単純計算すればGOTO利用者で1600人くらい感染が出ていても良いことになる
個人的には、このせいで1600人感染者出たとしても政策効果が弊害を上回ってる気がするけど、計算を続ける。
さて。
GOTOで移動する先、だから都市部への移動は限られているとしたらどうか?
すると15000ちょっと減って、感染確認は半分になる。すると800。まだ遠いね。
東京近郊の3県の感染確認もだいたいGOTOというよりは住人の感染だとして「千葉」「さいたま」「神奈川」を除外してみる
すると10000くらい減って、人口で慣らすと400になる。うーん、、、ほんとに6人しか出なかったのかな、かなり怪しいような気がするんだけど。
誰もがSNSをやるようになった一番の弊害は「家にいても嫌いなヤツとネット越しに関われてしまう」ことだと思う
例えば職場のすごい嫌いなヤツが顔出しでYoutuberを趣味でやっており、そこそこ人気だったとする。
ひと昔前なら家に帰ったら嫌いなヤツとは縁が切れる環境なのに、今はRTやいいねや広告動画やおすすめ欄なんかに表示されてしまうし、ブロックしてもニュースなどで見かけることもある
まぁ、「嫌いなやつが人気Youtuber」は非現実的なたとえだが、「旦那の元カノ(自分とは面識がない)」みたいな誰にでも1人や2人いるようなモヤる相手の日常生活をインスタ経由でネトストすることも簡単に出来てしまう……という話ならちょっとは伝わるかな
心を強くもてば嫌いなヤツのページなんて見に行かなくてもすむだろうが、嫌いなヤツの近況をわざわざ確認しに行ってしまう人もいると思うんだよね
https://anond.hatelabo.jp/20200825185628
なるほど、人によってかなり負担を強いられるのだなあ、と思った。
自分はテレワーク万歳派で、何ならコロナおさまってもそのままテレワークを継続してほしいと思っている。
無理だろけど。
・運動不足になる
これは確かに。通勤って一定の運動をするので、ちょっと気を抜くと体中バキバキになる。
なので自主的に運動をすることにした。勤務時間内に(下記参照)
死にそう。部下3人いるけど、一人はほっといてもすべてこなしてくれる人、一人は3年目くらいで一人では無理、一人は新人で1日に数時間教育の時間を取られる。
ただまあ、何となく指示のコツはつかめてきた。画面共有で絵をかいて教える方法も何となくね。
ぶっちゃけ、コロナのせいで仕事がそんなにきつくないからなんとかなっている。
今のうちに慣れておかないとまずそうと感じる。
物理的な問題なのでどうしようもない。デメリットとしては致命的ではある。
管理者に期待。
・買い物
帰りがけの買い物が一切なくなったことによって、自分で買い物スケジュールを立てる必要がある。
(正直、楽しみの一つにもなっているのでデメリットではないかも)
※ 元増田にあった環境やネットワーク遅延、照明、報告などの問題は特に感じていない。
ネットワーク遅延はそこまで感じない・照明はそもそも家で絵描きしたりPG組んでたので慣れている・報告は日報ベースになどなっていないなど。
個人差が大きそうな気がする。
・起きてすぐに仕事に入れる
これはそのまんまですね
住んでいる場所によると思う。通勤に片道1.5~2時間かかっていたので、とんでもなく可処分時間が増えた
仕事前にマズメ時に釣りし放題、仕事終わればマズメ時に釣りし放題
・何時でも、連絡に対して対応できる
ほんっと善し悪しだと思う。会社の資源に自宅からアクセスできるので、いついかなる時でも対応可能。
俺の立場ではその日その時に対応できて次の日にサボりまくれるのであれば対応してしまいたいと思う立場なのでメリットになるけれど、普通はやだよね……
・(監視体制がない場合は)業務終わり!という後は連絡を無視できる
テレワークのルールに則っていれば、業務終了した人が反応しないのは常識になっている会社でよかった
前の項目と矛盾するようだけど、反応したい時としたくない時、自分で判断できるので良き。
・運動し放題
午前中に仕事を終わらせてしまえば、就業のふりしてリングフィットあどべんちゃで運動しまくり
チャットには息切らして反応する
・昼寝し放題
…とまでは行かないが、筋トレすると眠くなるのよね。
ベッド直行して数分寝られるのは最高
・自炊し放題
・どこの会社も大抵Web会議しかしなくなったため、社内より自宅の個人部屋のほうが効率が良い
社内だと自分の席でWeb会議はしにくいし、会議室は数が限られているし
そのまんま
仕事の効率とQOL的に、自分的にはどう考えてもテレワークのほうが優れているのです。
生活を自分のものにできなくて苦しい。時間を管理できないしルーティンにできないしデジタルなものへの依存が深い。健康が徐々に失われていく。
不健康だから自分をコントロールできないのか、自分をコントロールできないから不健康なのか。
発達障害か、仕事のストレスで抑うつか、貧血か、ホルモンバランスか、育ちの問題か、刺激過多な都市生活の弊害か、現代社会が求めすぎなのか、全てか。
寂しいのが根底にある気もする。頭ではこうするべきとわかっていても、なぜか自己効力的な行動をできない。心は別のものを見ている。ものすごく緩慢で自分でも気づかないくらいのセルフネグレクトによって、寂しいと言ってるような気もする。
■子供同士のちょっとした喧嘩。相手が泣き出して双方の親が介入。
「最初にちょっかい出して来たのはあっち」という主張を受け入れられず、「謝りなさい!」と親に怒られる。
親としては、泣いている他人の子を前に一切悪びれない我が子を見て、更に周りの目も考えるとそうして場を納めるしかないのだろう。
納得はいかないが、これ以上怒られてはかなわないので、仕方なく謝る。
■よくよく考えれば、納得していない=反省をしていないのだ。
反省をしないどころか、何故自分は今「謝らせられている」のかが根本的に理解出来ていない。
だから同じことを繰り返し、また謝らせられる。
何回かこれらを繰り返すうちに、
・怒られるのは避けたいこと
「何故」してはいけないのかがわからないまま、なんとなく、少しずつ謝らせられることは減って行った。
■怒るというパフォーマンスをし、その場を納め、相手方と分かれた直後に我が子へとフォローを入れて来る親。
子供としては「味方だと思っていた親に訳もわからないまま怒られた挙句、謝らせられた」という気持ちである。
我が子である自分の主張を受け入れずに喧嘩相手の肩を持たれたら、相当なショックだ。
そんな心境の子供に、「何故」してはいけないか、「何故」そうしたのかなどを説いたり聞いたりしても、子供の本心には届いていない。
その我が子の謝罪には「ママコミュニティの中での自分を守る」という意味しかないのではないだろうか。
■成人を過ぎた今、何かミスをした時に「こうなったのはこういう理由があった。」という主張をするようになっていた。
もちろん悪いのはミスをした自分だが、頭ごなしに怒られる前に「何故」こうなったかを聞いてほしいのだ。
この主張を汲んだ上で怒られるのであれば、仕方がない。本当に悪いことをしてしまったんだ、という自覚が改めて生まれる。
黙って怒られるし、ちゃんと謝る。そして次は怒られずに済むよう反省し、同じミスをしないよう策を考えて気を付けるようになる。
だが、この怒られる前の主張のことを人は言い訳と呼ぶらしい。