はてなキーワード: 卑下とは
○夕食:白菜、小松菜、ネギ、えのき、マグロ、シャケを煮たもの、うどん
○間食:ドンタコス
○調子
はややー。
昨日ポケモンGOをがっつりプレイしたからか、筋肉痛で体が痛かった。
けど、もうすぐお正月なので、置いておける保存がきく食材を買い出しに行っていた。
ただ問題にすぐ気づいたのだけど、電子レンジが壊れたままだから、買えるものの幅が狭すぎる!
買わないと生活が不便にもほどがあるのだけど、ここ最近食生活がわりかしきちんとしてるのは、電子レンジが使えないから自炊してるという側面もあるし……
低所得雑魚雑魚ちんちんとしては(なぜ急に陰茎の大きさを卑下したのかはわからない)、家電を買うなんて贅沢は許されないし、ひとまずは乗り切ろう。
お正月休みは長めの連休がもらえるので、その時になにか楽しいことをする準備もしておこう。
長めの海外ドラマを一気見とかかなあ。
僕はこういう基本はコメディで、少しだけ家族愛ものでジーンとする系の映画がたまらなく好きなのだけど、
今自分自身が家族の問題で揉めているからか、あまりのめり込めなかった。
まあ、しゃあない。
●iOS
メタグロスに進化させる程度にはプレイ、グロスとバンギの二匹のCPをあげればレイドバトルとかも楽しめるのかしら。(今の所強い人がんばえーってしてるだけだしなあ)
○ポケダン青
これで「あくタイプのポケモン(進化するとあくタイプになるポケモン、メガシンカであくタイプになるポケモン、フォルム違いがあくタイプのポケモンを含む)」を全員コンプリートできた。
疲れたぜ!
OK1.グラブル:討滅戦マニアック二週、共闘デイリー、イベントデイリーをこなす
OK3.散歩+ポケGO:メタングをメタグロスに進化させるまであと三匹なので、キリよくそれだけは捕獲する。
いやいや、
「相手の事卑下して周囲の環境を悪くする」のと「資料見ろポイ!」今後どっちが良いのか考えろよ。
私がする必要がない?そうだろうな。
それで今どうなってる?余計に馬鹿みたいな時間使ってないと言えるのか?
「私は何もしたく無いです」って言うんだったら甘んじて受け入れろ。
タイトル通り、私の友人はキャバクラで働き大学の学費を稼いでいる。
友人の名前をミカとしよう。ミカは今年の3月にバイトで知り合った友人で、大学2年生だ。誰もが振り返る、超絶ウルトラパーフェクトビューティーでキュートな女の子。
最初、ミカは心の壁が分厚かった。同い年なのに敬語を使ってくるし、やたら自分を卑下してこちらを持ち上げるしで、「絶対こいつ家がやばいな」と察した。
色々と力技を駆使して私はミカの心の壁を破って打ち解けることに成功した。ある日、ミカは私に複雑な家庭事情を打ち明けた。
ミカの家は所謂「機能不全家族」だ。カルト宗教信者の親の下で育ち、彼女は今も、恐らくその洗脳が抜けていない。
ミカの母は高校3年生の頃、癌で亡くなった。亡くなる前から、治療費が高額だから離婚したいだとか家族内で分裂が起こったり多くの問題があって、ミカは治療費を稼ぐために受験生ながらバイトに追われ、その上周りの大人は母親の死後処理なども全て彼女に押し付けた。
そんな中で勉強に集中できるはずもなく、成績は落ち、彼女は望んでいなかった大学へ進学した。
1年目は無利子の奨学金を月5万借り、祖母から残りの学費を援助してもらっていた。しかし家の家賃や自分と弟の生活費、そして母の治療費へ充てた借金を返す為に稼がなければならなかった。父親は単身赴任をしているが稼ぎが良くない。
彼女はキャバクラでバイトをし始めた。大学まで片道2時間かかるから、早朝に家を出て学校へ行き、夜は遅くまでキャバクラで勤務。そして帰宅・・・。
2年生になる前、借金完済の目途が立ったので、キャバクラを辞めた。そしてこのバイトを始めたということだった。
しかし今年の夏、ミカが通っている大学は祖母が進学を反対していた所だったこともあり、祖母はミカへの学費支援を打ち切った。ミカは、自分で学費を稼がねばならなくなり、キャバクラへ戻った。
私とミカが知り合ったバイトは、1年続けることを条件に採用される。だからミカはこのバイトを辞めず週2で入れ、キャバクラでも働き、学校も通い・・・と睡眠時間も休む暇もない日々を送った。
結果、ミカは倒れ、やむを得ない為こちらのバイトは辞め、稼ぎの良いキャバクラを続けることにした。
ミカがバイトをやめた後、私は電話で「キャバクラで夜まで働いて、睡眠時間もままならないまま早朝家を出て・・・って体に負担かけてまで、ストレートで大学卒業することにこだわる必要ある?」と尋ねた。
ミカは「母ちゃんの遺言に、4年制の大学を卒業して欲しいって書いてあったんだ~、今生きる意味、それがすべてって感じだから・・・」と言った。
「家の問題とか、自分を大事にすることを覚えなきゃいけないこととか、痛感したよ。精神科も受診した。大学も4年生になれば楽になるから、あと1年頑張れば大丈夫!」とミカは言う。
お母さんの遺言を守りたいのはわかる。遺言は故人からの最後の贈り物だから、大事にしたい。私も大切な人を亡くしたことがあるからわかる。
それでも、大学を卒業するのは、今じゃなくていいと思うし、私はミカに体を壊すような生活を送って欲しくない。ミカの家族は今までミカを大事にしてこなかったし、それが変わることは正直望めないと思う。
私のエゴだっていうことも、他の家の事情に口は挟めないことも、彼女の意思を尊重するべきであるのは分かる。
でも、長年家族や周囲に洗脳されて、真面目な気質に付け込まれ本来大人が負うべき責任を押し付けられ、間違った自己責任論を信じ込む彼女の意思通りにすることが良い結果につながるだろうか。
弟はまだ中学生だし、ミカは精神病の正式な診断が下っているし、二人とも公的機関によって保護を受ける権利がある。一度休んだって良い、というか休むべき。
それにミカは今までの苦労を鑑みると、どこでだって働いていける。大変だけれど、一旦働いて学費を確保してから通うとか、通信制を利用するとか、方法は他にもあると思う。学費の高い、今の私大に拘る必要もない。
勉強だって、私も自分の勉強に毎日追われているから一緒にするし、家から逃げたければ手段を一緒に考えるし実行を助ける。ご飯ならいくらでも奢る。
私が全て何とかすることができるわけではないし、自分の意見を押し付けるべきではないし、人の人生に介入する権利も、止める権利もない。ミカの人生だからミカ自身で考えて選択することだ。
警察の話は俺が書いたんじゃないけどね。別に警察への警戒はなく、数字的に警察の犯罪のほうが多いのでは?って言ってるんじゃないの。
数字的には警察官が犯した犯罪が多いのに、アニメが好きというだけで警戒されるのは印象の問題でしかない。
そして「そういうイメージ持たれてるんだから仕方ないだろう」という言葉で印象を強化してどうしたいのですかね。
アニメやアニメの美少女を愛好する属性を持つ人に「お前たちは犯罪予備軍として見られてるのだ、そういう印象を持たれても仕方ない」という暴力的な言葉をなぜ放たなければいけないのか。
読み取れないならお前の頭が悪いだけと言っているだけだが。
あくまで子持ちの隣にそういう奴が住んでて、尚且つその類の報道を見ていたら
警戒されるのも仕方ないんじゃないの?って言ってんだけど。
「犯罪が起きたときにアニメを愛好化する人が近くにいたなら警戒されるのは仕方ない」ということは思うだけならまだしも、そういう存在だという定義を愛好者側に押し付けているよ。だから避難されても仕方ない、警戒されても仕方ない、通報されても仕方ない、と。
属性が全てを決定し、迫害を許してもいいという結論はそう遠くない。
そして、そういう意識をアニメの愛好家側に脅迫的に芽生えさせてしまう暴力的な言葉でもある。
「潜在的な犯罪者であることを意識して生きろ、犯罪者として見られていると自覚しろ」と暗に言っているでしょう。
「警戒されても仕方ない」という諦めを抱かせる必要がどこにある? なぜ自己を「犯罪者予備軍として見られても仕方ない」と卑下する必要がある?
そして、あなたにそのような言葉で貶められなければならなねばならない根拠はなんだろうか。
確かに誰かの人格を判断するとき、属性である種の偏見の眼差しを持ってしまうことはしょうがない。それは認める。
しかし実際は「アニメファンだから犯罪者予備軍」ではない者が大多数の状況の中、強い言葉で抑圧しようとしている。
そのような意図はあなたの言葉に確実に存在しているようにしか思えない。
意図が存在していないなら「犯罪者予備軍で恐怖の対象だ(と思われるのは仕方ない)」とわざわざ言葉にはしないのではないでしょうか。
必要なのは「アニメファン(の大多数)は怖い存在ではない」「ただの善良な一市民」なのでは。
いきなり「ばか」だの「頭悪い」だの言わない程度には。
流石に、そこまで卑下してはないだろ(むしろそれは、西欧の視点)。
相手の見ちゃいけない面は見ないようにするっていう、日本の村人メンタリティが、海外の人にも投影されているとは思う。
80、90年代はじめまでは、非西欧 & 敗戦国 でも、奇跡の社会発展を遂げた国として、一目置かれた。
エコノミックアニマルとか言われたけど、少しは文化的な注目も集めた。
今は、もうそんな余力はなくなったな。
自分は海外の上座部仏教のお坊さんの本ばっかり。特にメソッドとしてはマハーシ長老系列のね。
読み比べて全然こっちがいいなとなった。
小池龍之介のようなスター坊さんにしても俗っぽさが強めに感じる。
マインドフルネスも、確かに科学的な検証を進めていくことは大事だと思うんだけど、
仏教を中途半端にちぎって美味しいところだけ食い逃げしたつもりで実は重要なこと沢山取りこぼして超劣化バージョンになってるような感じがあって。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
たぶんここが我々の考え方の決定的に違う部分だ。
自分の認識では仏教は釈迦と言う天才一代の完璧なアイデアであって宗教ではないし詰め合わせではない。
瞑想による心の観察は現代科学なんか全然追いつかないことは瞑想してる人なら同意すると思う。
(追いついていくための科学的検証はもちろん悪くないことだとおもう)
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
そういうのも典型的な、智慧ではなく情というか、嫌な意味での日本仏教臭さが敬遠したくなる
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
ここは全く同感
前述のとおり釈迦のアイデアは現状では科学よりずっと先にいるから
科学がキャッチアップした部分だけで瞑想するのは重要なエッセンスの取りこぼしが激しいと思う
(自分でもこの立場は非科学的であり常識的に言えばヤバみがあるのはわかっている
あなたの態度の方が常識的かつ慎重で本来好ましくあらゆる場面でベースとなるべき態度)
結局無我ということをおさえていく道のバリエーションでしかなくそこを特別に大事にする感じはない
増上慢卑下慢同等慢という考え方とか聞いた時には面白いけどそれで面白がらせてもしょうがないというか
ただちょっと食わず嫌いもあったかもしれないから紹介してくれた人の本を改めて読んでみる
クソみたいな気持ちを成仏させるために書いたらとんでもなく長くなってしまった。便所の落書きよりひどい。
大学卒業後就職して今日に至るまでの7年間、上司と不倫関係にあった。ドラマや映画、巷に溢れる不倫のイメージとはだいぶ違う関係だった。いや、していたことは一緒なんだけれども。とにかく今、唯一の連絡手段のLINEで彼をブロック削除した。
月1、2程度セックスする関係だった。連絡が来たら私の家でセックス、2時間弱でさようなら。一番初めに一度だけ食事をしたが物は何もあげていない、貰っていない。私から連絡したことはない。LINEでのやりとりは、今から会える?→大丈夫です/今家にいませんごめんなさい/今生理中ですごめんなさい。それ以外のやりとりは0。
初めて関係を持った日の明け方、頭に叩き込んだ。何も求めない。穴だけ差し出せ、余計なことはするな。私に求められている役は、使いたい時いつでも使える無料の穴だと承知済み。だから話す時は必ず敬語、名前は職場と同じように◯部長と呼ぶことを徹底した。
家に来る度いつもスマホを躊躇いなくスクロールして、写真を見せながらご家族の話をしてくれた。公園でお子様の自転車の練習を手伝う美しい奥様、旅先ではしゃぐかわいいお子様。
このかわいさ、親バカかもしれないけどキッズモデルになれると思わない?性格が俺に似てるんだよ、余計いじらしくて。彼氏とか絶対許さんよ(笑)一人暮らしさせるのも不安、変な虫がつかないようにしなくちゃ。大学の頃、仕送りどのくらいだった?嫁も仕事復帰してくれて教育資金貯めてるけどなかなか大変で、もっと頑張らなくちゃいけない。
嫁とは社会人2年目で結婚したよ。美人?よく言われるけど実は外見は俺の好みのタイプとは違うんだよね。結婚の決め手?性格やものの考え方、特に家族に関する考え方が俺と同じでさ、この人と一緒に生きていきたいと思ったんだよね...
写真に写るお子様はとてもかわいくて、才色兼備の奥様を心から羨ましく思った。恨み辛み妬み嫉み僻みその他負の感情は一切抱かなかった。いや、抱けなかった。勝ち負けもなかった。土俵が違った。なにもかもがダメな私とあらゆることが違いすぎた。
ないものばかりの私にないものが全てあるのは勿論、一際輝くものを沢山持っていらっしゃった。生得的なものも、努力で手に入れたものも、何もかも眩しかった。
だから自分は穴でしかないと毎回確認できた。私は人間ではないのだと理解できた。
余計な口は一切聞くな。生きている穴に徹しろ。醜く貧相な顔と身体のせいで彼が萎えてしまわないよう一所懸命演技をした。ごくたまに私の私生活へと話題を振られた時は、昔付き合っていた男性との話を小分けにして話した。時には友達との思い出を男性との思い出のように話した。そもそも穴の話など誰も興味はない。自分から発話する時は極力主語が"私"にならないよう心掛けた。
穴はあなたに執着していませんよ。恋愛感情なんてないですよ。形に残るものも、何もあなたに求めませんよ。誰にも話していません。誰も私みたいな奴がこんなことしていると思っていないですし。SNSにも匿名の場にも私の痕は何一つ残しません。なので、使いたい時いつでも安心して使ってください。なるべく便利な穴でいられるよう頑張ります。
そういう態度を7年間取り続けた。だから7年間も続いてしまった。
しかし、彼の気持ちが私に全くなく、彼にとって私が穴でしかなくとも、そしてそのことを私が承知していても、既婚者とセックスしているので私と上司とは民法上の不倫関係にある。そんなことより何より奥様やお子様がこのことを知った時どう思うか。気持ちがないからマシだという話ではない。どんな気持ちにさせてしまうか。どれだけ傷つけるか。
ご家族がまだ知らないからこの愚かな行いを続けるのか?一生かけても癒えないかもしれない深い傷をつけるのか?どの口で憧れだなんてほざくのか。家族の待つ家に家に帰るのを2時間弱遅らせ、その分"お父さん"の時間を奪っているのは紛うことなきこの関係、私が自らの意思で続けている関係だ。
幼い頃、平日は父におはようしか言えないのが寂しかった。深夜お手洗いに目を覚ましてもまだ父は帰って来ていない。翌朝早起きして仕事に出る父を見送った後、お父さん昨日は2時に帰ってきたんだよ、お仕事大変だったのと母は言う。そんな職種じゃないのに。
受験のため通い始めた塾には、帰りが早くなった父が毎回迎えに来てくれていた。父は毎回必ずコンビニに車を停めて、ちょっと待ってねと私に声をかけた後聞いたことのない優しい声でどこかに電話をかける。最後には必ず、また明日と名残惜しそうに言って電話を切る。その後、お菓子かアイスを買ってくれて静かな車内でそれを食べながら帰宅していた。これから家に帰るんだから母ではない。部下にはいつも詰問口調だし祖父や祖母とも違う。電話の相手は一体誰なのか、毎回疑問に思っていた。ただ、決して誰なのか聞いてはいけないということだけなんとなく分かっていた。
最近久しぶりに思い出して、あれは不倫だったとようやく分かった。家族での外出中、鳴り止まない携帯の着信を無視する父に母が激昂していた姿も思い出した。あの頃寂しかった私がこれ以上こんなことを続けてはだめだ。
上司は仕事が出来、優しく余裕があり、仕事の話もプライベートな話もとても面白い。初めて顔を合わせて挨拶した瞬間、ああこの人のことを好きになるなぁと何の根拠もない直感が走ったが案の定、一緒に働き始めてからすぐ上司を好きになった。周りから、×さんのこと◯部長が褒めていたよと話を聞くと浮かれた。あまりにもベタなパターン。私の目はハートマークを隠せていなかっただろう。思い返すと苦笑しか出てこない。だからプライベートの連絡先を聞かれて嬉しかった。一緒に食事をとっている時、これは夢なのかと思った。
ネジが外れている大馬鹿女だから、ご家族の話を聞くとますます好きになった。こんなに素敵な人だからこんなに素敵なご家族がいるんだ、いや、素敵なご家族がこんなに素敵な人を作っているんだ。そんな人が、好きな人が、身も心も醜い私の穴を使ってくれる。せめて求められた穴役だけは完璧に、穴でいいから求められていたい。気持ち悪いことを考えていた。
しかし頭の悪い私に自分をコントロール出来るはずもなく、毎晩泣いていた。何もかも違いすぎる、あまりにも遠すぎる。だからこそ好きで好きで仕方がない。自分にないものを持つ上司に勝手に引力を感じてしまう。上司で自分の欠けた部分を埋められるような錯覚に陥ってしまう。自分の馬鹿さに呆れる。穴として求められることに必死にしがみついている、惨めで哀れな救いようのない馬鹿。
私が断れば終われるのに断れない。会えるのが嬉しいから。たくさん自分で自分に言い訳をしたが、結局自分が会いたいかっただけだ。自分を卑下すれば許される訳でもないのに。自分勝手な気持ちに蓋ができなくなる度、深夜汚い声でわんわん泣きながら人気のない場所まで車を飛ばした。
仕事後、その後予定もなく真っ直ぐ家に帰ってもメイクは落とさなかった。連絡が来るかもしれないから、2時までは極力起きておく。友人と出かける時もずっと携帯が気になって仕方がなかった。アロマが好きだったが炊かなくなった。万が一匂いをつけてしまってはいけないと思ったから。私に興味を持ってくれた人からの誘いを断り続け1人の世界に閉じこもった。
私がそうしているうちに、遠方の友人からの恋愛相談は結婚の報告とお式への招待へとだんだん変わっていき、気付けば友人の半分以上が結婚し家庭を築いている。残りの友人も、恋人と同棲をしていたり、趣味にいきいきと取り組んでいる。何も変わらず空っぽのままの自分が惨めで恥ずかしい。
両親からのいい人はできた?という質問、祖父や祖母からの×ちゃんの花嫁姿が見たいなという言葉、全部笑って誤魔化してきた。ごめんなさい。本当にごめんなさい。7年間ずっと彼のご家族をご家族の知らないところで傷つけ、誰にも顔向けできないことを自分の意思で続けてきた。加害者の自分からもう目をそらしてはいけない。そして正直、毎晩泣くことに疲れた。
本当は最後にもう一度だけ連絡を待って、世界一好きだったと伝えて終わらせようと今朝まで考えていた。でも、そんなことをしたら気持ち悪がらせてしまう。引き止められる可能性もまあ0%ではない。何よりこの期に及んでも自分に酔っている気持ち悪さ。
慰謝料のための貯金も目標金額に達した。奥様やご家族が求める裁きをきちんと受ける準備をする、自分の罪と向き合う。
それから私なんかと関わりをもってくれている人達の幸福をしっかり大切にできる、人間にならねばいけない。人間になりたい。それには私が悪行を断たなかった7年間以上の時間が必要だろうと思う。
ご家族と一緒にどうか世界一幸せになってほしいと思う。私なんかが願わずともそうなるのだろうと、いやもうとっくにそうなのだろうと分かっている。というかそもそも、上司もご家族も私なんかに願われたくないだろう。我ながら気持ち悪い。それでもどうか心の中で願うことだけ許してほしい。
業務の引き継ぎに必要で、私の資料に書いてくれた直筆のメモが嬉しくて、こっそり写真に撮って時々眺めていたが、これは連絡先と一緒に消した。残ったのは私の頭の中の記憶とこの文章だけだ。話してくれたことはどんな些細な内容だって全部覚えている。忘れたくなくて何度も繰り返し思い出してしまう。これもやめなくては。
散々エロい絵とか同人誌とかカップリングとか出回ってて何言ってるんだって外からは思われるだろし、「プロデューサー」との疑似恋愛有り無しとも絡んで内部でも意見が割れる問題だからあまり表立っては言いたくないんだけど、アイマスも「担当では」抜かないみたい意見(あるいは建前)が結構あったりする。自分がプロデュースする子は性的対象にはしないという建前ね。極端なところだと「担当外」のエロ絵は散々描いてるのに本命の担当と思われる子は健全な絵しか上げない絵師さんとかいたりする。
半ナマモノのVTuberどころか、本来完全に人工であるはずの「二次元」キャラクターですら受け手が人格を認識し出してその相手からの視線を意識するとこういう態度になるということだと思う。
あと話が逸れるけど本来自分の妄想の自由になるはずのない人格を持ったはずのキャラクターを性欲の対象とすることの後ろめたさで言えば、昔から腐女子がやたら自分たちを卑下する言い方をするのにももしかしたら通じるところがあるかも。
ちょっと戯けて自分を卑下してみせただけで鬼の首を取ったようにマウント取り出したり
なんでお前らそうなの?
ちょっと前は匿名でも当たり前のようにその程度の茶化しあいは出来たのに
今や喧嘩するために接続してるみたいな沸点低い奴しか見ない始末
どんどんネットに繋ぐことが少なくなっていく
小学生のころは学年で一番絵がうまかったし、中学くらいでもまだ学校で一番上手かったんじゃないだろうか。ここまでは、卑下せずに言える。
初めは努力してそれを超えようとしたけれど、「去年絵を描き始めたからまだ初心者~」なんて言ってる子が私よりずっと上手くて、
同人もやってて、所謂「神絵師」の人たちからちやほやされていたりとか、
バリバリのリア充の子が、「pixivのデイリー入った~」って言っていたりとかしたあたりで、一回駄目になった。
その頃は部活が忙しかったのもあって、私は絵を描くことから次第に離れてしまった。代わりに小説を書くようになった。
(小説も小学生くらいから書き続けていて、こちらの方が劣等感を覚えずに執筆ができた)
その後それでも絵がうまくなりたいと美大に入って、さらに悪化した。
美大なんてそれこそ絵の上手い人が履いて捨てるほどいる、というか絵がうまいことは個性にならない、絵が下手であることのほうが個性だった。
私は人前で絵を描けなくなったし、絵を描いているとも言えなくなったし、「小説を描いてるんだよ~」と言うことしかできなくなった。
漫画と小説を同時に出していた。同人やったことある人はわかると思うんだけど、普通同人誌って売れるのは圧倒的に漫画>小説なんだけど、(ジャンルにも寄るけど)
私の場合はほぼトントンか小説のほうが売れるくらいの体だったので、だんだん漫画を描くのがしんどくなって描かなくなり始めた。
いや、それでも描いていたけれど。
それを二、三年。
やっぱりだめだ、とまた絵に帰ってきた。そろそろDV男を切れないメンヘラ彼女みたいな状態である。
小説を書く量を意識的に減らして、漫画を沢山描くようになった。一年で1000ページくらいは描いたんじゃないか。上達は、すこしはした。確かに、したよ。でも、元が悪かったんだろうな。
同じころ、一人の人に会ったんだ。
同い年の子だった。絵がとてもうまかった。そんなのもう驚かない、傷つくこともない。
けれど、絵がうまくて、話がうまくて、描くのは早くて、仕事が私よりずっとできて、きちんとした暮らしを続けていて、人望があって、…
私は、彼女に何一つ勝てなかった。
それこそ同い年でオリンピックを連破してるような人だっている。だから、比べること自体がナンセンスだって、ちゃんとわかっていたつもりだった。
でも、耐えられなくなった。
何一つ勝てない。何一つ優れていない。
私が一人で泣きながら呻いている間に彼女は働いて、私の倍近いお給料を貰って、私の家の倍くらいの家賃の綺麗な家に住んで、漫画を描いて…たくさんの人と楽しそうに話して、友達がたくさんいて、…
人格も技能も生活も何一つ否定できるところが、嫌いになれるところがなかった。もう、私はだめだった。
ダメだ。
何を描いても、きっと誰も喜んでくれないんだよ。いや、喜んでもらっているのに、わかるのに、その言葉を受け取れなくなってしまった。
絵が、うまくなりたいな。人に、読んでほしいな。褒めてほしい、認めてほしい、喜んでほしい。
私を、絵を描く機械だと思って、コンテンツだと思って、消費してほしい。そういうものになりたい。
私は私を好きになりたい、認めてあげたい。頑張ったのは本当なのに、私が一番私を許せない。拙い右手を許せない。
あの人もこんな苦しい思いをしたことがあるんだろうか。
何もしてないというが、今何をしたらいいかがわからないんだよ。
ここまで書いてきても今だにゴールがわからないでいるし、
今はとりあえずタウンワークをもらってくる、インターンがあるかどうか調べるぐらいしかできない。
危機は迫っているのに小さな小さな階段をのぼるぐらいしかできないんだわ。
あと自分を卑下しているというが、俺には卑下するポイントしか無いからこんな昼間から増田を書いているわけで、
評価できる部分なんてあるわけないだろう。
一番厳しいのが、とにかく人前が苦手だということもある。
就活でいうなら2人ぐらい面接官がいるだけで言葉は詰まるし焦りがひどくなり何を言っているかわからなくなるわで
人間としての器がなってないことがわかる。
その上に何も出来てないっていうのがアウト。努力してるけど出来ないドジっ子ならまだ可愛いけどそうじゃないからな。
相当ヤバイ話し方してないとそうならないんじゃね?
あと、ハロワは最終手段だから基本的に行かないほうが良いと思う。
俺も面談苦手だよ。相手をカボチャだの何だの考えるようにしても結局緊張して無理なんだよな。
「何故ムリになるのか」をしっかり考えたほうが良い。
俺の場合は「言われたことを瞬時に考えて答えようとしてドモり、なおかつ何を聞かれたか話しているうちに忘れる」という感じだった。
緊張しすぎているのがダメなんだろうな。
面談のときは、相手の言った事をゆっくり脳内で復唱しろ。そしてゆっくり考えろ。
即答できないのであれば「少し考えてもいいですか?」って言え。質問内容忘れたんだったらもう一度聞け。
ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノをヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体の卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐も自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性がポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。
「やおい」と「腐女子」はそれぞれ意味が違う。「やおい」の代替として生まれたのは「BL」だろう。
(因みに「やおい」と「BL」も当初は意味が違ったが。「JUNE」と言う言い方もあったね。それぞれ意味が違うよ。)
今でこそ形骸化してる雑誌アンアンのセックス特集も最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。
その前から多数あった非オタク向け女性向けエロ雑誌の存在を無視されても。
セックス特集自体はエロ雑誌ではない有名女性誌でもそれ以前にも多数あったし。
アンアンは「有名男性芸能人を脱がせたグラビア載せた」「女性向けAVのDVDをつけた」って所が目新しかったけど、目新しかったのはそれだけだよ。
まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたしは賛同している。
休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛にクローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。
両性愛者からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別で恋愛の対象をふるいにかけることを肯定しろという発言で性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求の対象を個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的な動物であり不可能であることを認められているからだ。
第4条(自由の定義・権利行使の限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的諸権利の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会に有害な行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。
他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象を区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。
日本が明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。
つまり、生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックスは道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックスは道徳的でないといった価値観が新潮45の論説に繋がる。
彼らにとって痴漢も同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ。
子供に性的なものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供がセックスをすることを推進しないためなのと、過激な暴力描写は現実とファンタジーを混同しやすい子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。
ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。
気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。
サイゼリヤのボッティチェリのヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨な性的表現がされていない表紙も許されるべきである。
日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。
ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノをヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体の卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐も自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性がポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。
今でこそ形骸化してる雑誌アンアンのセックス特集も最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。
気持ち悪いと道徳とモラルを持ち出して性欲と性的まなざしを否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしはフェミニズムだとは思わない。
いやだから、ヤオイがBLとなってその創作物自体を卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。
アンアンの衝撃については鴻上尚史の著作と当時の新聞の評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。
24年組と風と木の詩からの流れを持ったJUNEと女性の二次創作が爆発的に増えたキャプ翼や聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。
ここらへんの知識は中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。
ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代と腐女子の自虐の広がりは同時期だったと認識してる。
追記14:21
性的まなざしを通した視点で性的欲求を自身に齎す存在を表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定し規制させようとすること自体が、性的抑圧行為と同意味だと思っている。
そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。
入ってない。その理由は、一般には性的「志向」と性的「嗜好」を分ける考え方があるからだ。だが、その説明が十分かというと、私は必ずしもそうは思わない。
志向と嗜好を分ける方は、その二つを絶対に区別できると思っている。確かに概念として切り分けることは可能だ。だが、実際に自分の性的衝動の根源が、対象の「性」にあるのか、あるいはそれ以外の「属性」にあるのか、私たちはハッキリと区別できているのだろうか?
たとえば年下の女性しか相手にしない男性の性的衝動の根源は、対象の性にあるのか属性にあるのか本人に区別がついているのだろうか? 女性が好きだ、特に物憂げな顔が…という男性は、単に女性好きなのかそれとも「物憂げな顔」フェティッシュなのか。「性的志向としては異性愛者で性的嗜好は年下好みだと言えます」「性的志向としては異性愛者で性的嗜好は物憂げな顔フェチです」という分析は確かに可能だろう。だが、それらの男性の衝動はもともと一つである。そのとき、その切り分けに何か意味があるのだろうか?
そして「性的志向」も「性的嗜好」も本人の意志とは無関係に育まれるものであるとき、前者は尊重すべきだが後者は異常である、と断言することがフェアなことだろうか? 二つを区別せよという言い方には、「性的嗜好は変態だが、性的志向は変態などではない」といういささか差別的な物言いが含まれているように感じられる。性的志向だって度が過ぎて社会関係に破綻をきたせば異常だし、性的嗜好だって嗜むレベルにとどまるならそれは治療の必要もない正常の範囲内ではないのか。だとしたら、嗜好することの権利は確保されてしかるべきではないかと思う。たとえば空想や、社会的に実害の及ばない範囲内で。
課題はある。それは、たとえば「社会的に実害を及ぼさないようにすることが難しい」性的嗜好が存在することだ。たとえば殺人行為そのものに強い快感を覚える殺人嗜好などがそれだ。窃視や露出も「実行」の一歩を踏み出せばすぐ違法になる。それ以外については、同嗜好の集団内である程度解消できそうではあるが、マイナーな性的嗜好は公言しにくいだけに、どうしても反社会的な世界とのつながりが強くなってしまうところがあり、危険である。ロリ・ペドもそうした嗜好とみなされているし、それを公言しただけで周囲に危険を感じさせるため決して口にすることも許されないだろう。ただ、だからといって自らの嗜好を卑下する必要はないと私は思う。性的志向が保護されるべきものであるのと同様に、性的嗜好もそれ自体としては権利として守られるべきと考えるからだ。たとえどのようにマイナーな性的嗜好であれ、その人の内心の自由は尊重されなくてはならない。