はてなキーワード: 健康で文化的な最低限度の生活とは
誰に選ばれた代表でもないですけど社会を構成する一個人として、コロナ騒動に関する所感を表明します。
なぜなら、今、生活・人生・命が脅かされているからです。私たち一人ひとりに関わることであり、右とか左とか、性別は関係ありません。
情けないことに私には医療の知識がないので科学的なことについては語れませんが、理不尽に対しては人一倍敏感なので、思うところを述べます。
①予防する上で、対応が後手後手であった事
大きく括るとこの3つです。
皆なんだかんだ勉強したり働かないと生活が前に進まないから、怖いなと思いつつマスクをして学校行ったり会社行ったりまだしてますけど、それどころじゃなくなることもあり得る。
そこまで事態がまだ悪化してないだけなのでは? あるいはもうそうなりつつあるのに見えていないだけの可能性もある。
もしそこまで大げさな話じゃないって言うのであれば、根拠をきちんと納得できるように説明してほしいんですよ。
都市を完全に封鎖するって、オオゴトだと思うんですよ、内戦下のサラエボレベル。
中国のデトロイトって言われるような工業都市、経済的に大事なエリアを何が何でも封鎖するって事は、あの中国共産党がそれだけ危機感を持たざるを得ない状況になったってことですよね。
それを受けてその時点で中国からの渡航者を入国拒否した国は結構あった。そこで日本政府は二の足を踏んで、断固たる措置を取らなかった。チャンスはあったはず。
確かに中国は日本との経済的結びつきが強い、メーカーも物流も観光も中国抜きでは考えられない部分がございます。それでも考えを変えないと。
歯止めをかけないで、水際対策も何もないですよね。
検査をすべき人にしないまま帰らせる、隔離を一定期間しないまま放出
飛行機の帰国者にしても客船の下船者にしても、お願いベースでご協力を依頼する形、
他の国では国の権限で人権をある程度制限した上でとっている処置がまるで日本では見受けられない。
中途半端に人権を尊重しているふりをして結局公共の福祉を損ねている。
一定期間隔離して安全性を確かめる必要があるのは素人にだってわかる。現に他の国の政府は強行している。
そこで個々人に断られたら機能しないようなら、対策として成り立たない。
ちゃんと頭で考えればわかることが判断できない組織が多すぎる。ルールに自縄自縛になっていませんか。
結局自分の頭で考えて責任を持って決断を下す事から逃げてるんですよ。これは政府だけの問題じゃないと思います。
私が仕事で関わった官公庁の対応を通して得た感想を述べますが、政府の方針に沿ったルールを増やしていくだけで、防疫について何ら根本的な対策を立てない。
そのお触書を下に丸投げして責任を押し付けている。結局どの組織も責任を取りたくないだけで、自らの職務領域で行使できる本質的な対策を考えない。
頭に血が上りすぎて、政治に対する怒りと行政に対する不満がごっちゃになってしまいました。すみません。
本当に現場で命を賭して頑張ってくださっている人には頭が下がるし、みんなそれぞれの立場で板挟みになってるとは思うんですけど。でも現場の頑張りとはまた違う話。
政治に求められている役割っていうのは、法律とか経済とか学術だけでは前に持っていけないことを利害調整して問題解決していくことにあるはずです。
でもそれができてないから、極端に言うと不信感しか残らない、頼れない。
何のために国民が税金を納めて政治を託しているかというと、我々1人1人では対処できないようなことを運営してほしいから。
大いなる力には大いなる責任が伴う。政府には個人ではなしえない権限と責任があるはずで、それが及び腰になっているのは無責任なのでは?
国家は国民の健康で文化的な最低限の生活を守る義務があるはずですよね。それが今脅かされている。最優先で解決すべき問題のはず。
ここまで危機管理・対応ができていない時点で、日本社会にとって国難、未曾有の事態ちゃうんかと。地震とか台風とかそういったものに匹敵する事態。
政府が旗を振って最優先で解決しないといけないし、一方で社会の知見、国際社会と協力して解決に当たるべきだと思うんですよね。
今回のウィルスは人類共通の敵ですから国際的に協力して対応してるわけですが、悪意を持った主体に対してこんな体たらくで対応できるんでしょうか。
このままオリンピックを迎えられるような状態に持ってていけるんですか。
抱え込んで結局出来ませんでしたとなる前に、助けとか協力を求めたほうがいいんじゃないですか。
もっと民間とか学術とかそれぞれの知見や経験を持っているような人々に協力とか仰いで、なりふり構わず問題解決に動かないといけないんじゃないですか。
それぞれ縦割りの組織の論理でなんとかしようとして結局うまくいってないんじゃないですか。
そりゃ利害調整は大変だと思いますけど、何をしないといけないのか客観的に見極められる人材はいるんですか?
もっと方針を明確に打ち出して、指摘をどんどん吸収してブラッシュアップしていかないとまずいんじゃないですか。
果たして適切にマネジメントできてるか素人目でも不安になる。問題を抱え込んで爆死してない?っていう。
国民に対してホウレンソウもできてないしPDCAも回せてるように思えないし、
超絶優秀な人々であることは承知していますが、それでも頼りないです。
しっかりしてほしい。ついていけるだけの方針と根拠を説明してほしい。説明責任を果たしてほしい。
対応が場当たり的で、根拠が不透明、適切な処置がなされているとは思えないようなグダグダした説明。
原発の時も似たような違和感を抱いたのですが、パニックを起こしたくない心理からなのか
国民の危機感を中和させるのに躍起になっているように映る。正常性バイアスを助長したいだけのような印象を受けます。
侮っているのか、内心焦ってるのを隠してるのか、それとも半ば諦めてるのか、政府の発表に危機感を感じない。本質をぼかしたまま声明を出す癖がある。
ミスをミスとして認めず、追求を交わすことに全力を尽くしている。リーダーシップというものをどう捉えているのか?
エラーが起こるのは不可避、想定が甘かったこともあると思う。何かが起きてしまった後にどう動くかで真価が問われます。
失敗を認めてもう一回想定を修正して後動きますって伝えてくれれば、こっちはそれに同意するかどうか別として、状況を把握できるんですよ。
そうしてくれれば国民が疑心暗鬼に襲われず各自で対応をとりやすくなるのに、メッセージを発信しないから皆不安なまま。
ミスや失敗を認めることは、自分の生涯を懸けて守ろうとした国の社会や人々がボロボロになることよりも恐ろしいことなんでしょうか。
であるとすれば、個々人というよりも組織風土や文化に問題があるのかもしれませんね。ちゃんとコミュニケーションとろうとしてますか。
昨年の台風のときは、政治家の対応こそお粗末でしたが、気象庁からの情報提供や指示はタイムリーかつ的確だと感じていました。
なので、命の危機こそ感じても、個人的に不信感は少なかった。皆さんは今回、どうお考えですか。
私は日本死ねとは思わないです。私は生きたい。大切な人たちにも生きてほしい。
これまで希望とか特に持って生きてたわけではなかったけれど、もう一度日々を安心して過ごしたいし、将来を設計できる世の中に戻って欲しい。
今回は、政府に望むことを書き連ねました。次は、社会として我々が何ができるのか考えたいので、皆さんご意見ください。
“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この 憲法はかかる原理に基くものである。”<<
“【生存権、国の生存権保障義務】 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び 増進に努めなければならない。”<<
“政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。
われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。”
ファンタジー世界で生活!といいつつ最序盤から大して苦労せずに健康で文化的な最低限度の生活を送れるゲーム多すぎる
ちょっと街の外に出て何体か魔物を狩ったら宿に泊まって食料を買ってもお釣りがくる みたいなバランスのやつ
強くなっていくのがまあ目的なんだけど、強くなってでかい金額稼げるようになってもその金は武具に消えていく
あのキューバの漁師コピペを思い出してしまう そんなに頑張って強いモンスター狩ったりしたくても全然暮らしていけるじゃん、と思うとなんだか無駄に主人公を苦しめてるような気がして申し訳なくなる
せめてすごい高い家具を買うとか高級ワインを買うとかできたらいいんだけどな 家の値段なんかもリアルにバカ高くして、いい家具をそろえていい暮らしをすることを目標とする
そういうゲームってウケないんだろうか どうぶつの森+冒険者要素 みたいな つうか絶対あるだろ 俺のリサーチ力が低いだけ?
強くなるために強くなるって構造のゲームはなんだか虚しい まあゲーム内でいくらいいベッドを使ったってこっちはせんべい布団のままなんだから仕方ないといえばそうなんだけど、主人公にいい思いをしてほしいんだよなあ
たとえ一時であっても、相手が好きで、自分が選んで結婚したんでしょう?
誰かに強制されたり、親に決められて無理やり結婚させられたりしたわけではないんでしょう?
「恋愛相手として欲情する相手」が、結婚相手として、夫として、父親として、共同生活パートナーとして適切であるとは限らないんですよ。
「いい人なんだけどちょっと……」
「私がいなくても生活していけそう……」
そういう相手は「恋愛的に昂らない」から、選択肢から外してきたんでしょう?
恋愛能力の高い相手を優先して、その他の能力については優先順位を下げた。
あなたの選んだとおりじゃないですか。
なぜ自分が望んだとおりの選択をして、うまくいかなかったことを社会に転嫁するんですか?
自分の責任でうまくいかなかったから介入を求めるのは、ハズレ券だけを社会に押し付ける行為ではないんですか。
まずは二人で解決してくださいよ。
相手から養育費を強制的に徴収するという制度だったら支持します。
でも、離婚した人の子供の養育費を無条件で税金から出させるというのであれば、支持しません。
なぜ「結婚できた人」「子供ができた人」は優遇されて、なぜ「そこまで至れなかった人」がさらに冷遇されなきゃいけないんですか?
一人で暮らして、家事もこなして、結婚相手を望んで、子供を望んで、親を介護して……そして、誰からも選ばれなかった人はたくさんいるんですよ。
あなたは「選んで」「選ばれた」人でしょう?
これ以上、「選ばれなかった人」からお金と尊厳を奪わないでください。
(追記)
id:araikacang 母親の自己責任じゃなくて子の福祉の話なんだけど
「母親の自己責任じゃなくて子の福祉の話」だから?だから、何なんですか?最後まで書いてもらえますか?もしかして、これで反論か何かのつもりですか?
ここで問題です。
センター試験国語「次の文章につながるものを、選択肢①~④から選べ」
①なんだけど。
④だから、相手から養育費を強制的に徴収するという制度だったら支持します。
①と答えたあなたと、これにスターを付けた皆さん0点です。②も論理が飛躍しています。正解は③と④です。
id:tea053 でも歳を取ったら、あなたも福祉に支えてもらう立場になる。それは次世代が作ったお金で大部分が賄われることになる。そうしたらあなたは「子ども世代の税金が原資の福祉に頼ろうとするな」と言われる立場だよ?
はい、出ました。「次はお前が支えてもらうんだから我慢しろ」論。反論らしきものとしては一番多かったです。
この観点から言えば、一番のフリーライダーは養育費を払わない夫なんじゃないんですか?
私は、この件で一番悪いのは未払い夫だと思ってますよ。だから、養育費の強制徴収は応援しています。
夫に貯金も稼ぎも無いのなら仕方ない。社会全体で支えていくしかないでしょう。
そして、やさしいふりしてるあなたたち、次世代の子供たちにトンでもない重圧をかけてるの気づいていますか?
働けなかったら?
「次世代の子供たちがあなたを支えるんだから」という言葉は、明確に子供たちにリターンを求めているんですよ。
あなたたちこそ、憎き「生産性」で次世代の子供たちの価値を値踏みしてるんじゃないですか?
子供は老人を支える道具じゃないですよ。
id:yutawatabe どんな理由であれ、健康で文化的な最低限度の生活がおくれるようにするのが近代国家では?そして親の貧困は子の貧困にダイレクトに直結する分、より干渉的でサポーティブになる理屈は通ると思う。
独身者の貧困は、少子化にダイレクトに直結すると思うんですけど、よりサポーティブななんたらが受けられるんですかね?
かわいそうランキングを勝ち残らないとだめですか?
あなたたち、独身に向かって「そういうとこだぞ」とか「ルサンチマン」とか「 可哀想な人」とか言う人たちですよね。
id:wuzuki 「ブラック企業を見抜けなかった労働者にも責任があるのだから、過労死は自業自得」とはあまり言われないよね。
この例えで言えば、「ブラック企業=養育費未払いの夫」なんですけど?
一番悪いのはブラック企業に決まっています。一足飛びに「社会が悪い」というのは分析が荒くて間違っています。正解に向かいません。
id:LawNeet “相手から養育費を強制的に徴収するという制度だったら支持します” 民事執行法が2019年に改正され(施行は今年4月)、財産開示制度により養育費も強制執行し易くなったので是非ご利用ください。
すばらしい。コメントの中で唯一、有益な情報でした。id:LawNeet さん、ありがとうございます。id:misoyorishioha さんに届け。応援していますよ。
(追記2)
ちなみに、この文章で私が最も伝えたかった主題は、第3パラグラフです。
「恋愛相手として欲情する相手」が、結婚相手として、夫として、父親として、共同生活パートナーとして適切であるとは限らないんですよ。
どうか、恋多き乙女の皆さん。
くれぐれも心して選択してください。
昨日、今日あたりで話題になっていた生活保護の男性が訴える「ストーブ禁止」は違憲 札幌市は争う姿勢 (HBCニュース) - Yahoo!ニュースですが、記事についたブコメを見ていると、生活保護の仕組みや基準に対する誤解が見られたので、制度について簡単に解説してみようと思います。
札幌市側の主張もおそらく以下のような内容かと思われるため、今回の例を用いて説明する箇所がありますが、詳細な状況やお互いの主張がわかっているわけではないので、今回のケースに限らず、生活保護に対する一般論としてお読みください。
生活保護は生活扶助、住宅扶助、医療扶助といった8種類の項目にわかれていますが、メインになるのが生活扶助です。
生活扶助はその名の通り日常生活に必要な最低生活費を扶助するお金となり、モデル世帯を設定したうえで最低生活費を算出して金額を決定しています。
あまり知られていませんが、この生活扶助は第1類費と第2類費にわかれています。
水道光熱費や家具什器費など、世帯全体で使用する費用を扶助します。
さて、「家具什器費」というものが出てきました。これについて詳しく見ていきましょう。
生活扶助費に関しては全国消費実態調査を元にモデル世帯の最低生活費を算出し、金額の妥当性が検証されていますが、検証時に用いられた第1類、第2類の区分については現行の検証手法の課題について(参考資料)の10ページに記載があります。 ※
さて、10ページの中央右側「家具・家事用品」を見ると第2類に含まれる費用として、電子レンジ、冷蔵庫などの家具・什器類が含まれており、その中に今回問題になっている「ストーブ・温風ヒーター」が含まれています。
前述のとおり、生活扶助費はモデル世帯の最低生活費を元に決定されていますが、ストーブを含む家具についても耐用年数を考慮した形で支給がふくまれており、少なくも仕組み上は故障したストーブの買い替え費用は生活扶助第2類として既に支給されています。そのため、札幌市としては新たな支給はできない、としたものかと思われます。
記事では「ストーブの買い替え費用が生活保護費で認められないのは、憲法違反だ」との主張がありますが、上記の通り「ストーブの買い替え費用は生活保護費に含まれておりすでに支給済み」のため、正直この記事通りの主張であれば敗訴は免れないと思います。この間違った主張を通すわけにはいかないため、札幌市としても争う姿勢なのではないでしょうか。
※ 平成26年の全国消費実態調査を用いて平成29年に行われた検証ですが、全国消費実態調査は5年ごとなのでこれが最新かと思われます。
予想外のことによって急に多額の出費が発生した場合に補助する仕組みとして一時扶助による家具什器費というものがあります。
しかし、これは生活保護を開始した時点で家具が無かったり、災害によって家具什器が焼失した場合など、通常の買い替えとは異なるケースにおいて例外的に支出されるものであり、ストーブが永遠に壊れないと思っている人はいないでしょう。(実際壊れるまで真剣に考えないというのはありがちではありますが)
暖房器具に関しては北海道など寒冷地向けにFF式や煙突式の場合の一時扶助の増額も認められており、いろいろと考慮はされているのですが、前述のとおり、ストーブを含む家具の買い替え費用については既に支給されており、以前から生活保護を受給している人は生活扶助で賄うべきものとなっています。
(ただし、モデルケースは全国消費実態調査を元にしているため、FF式・煙突式が買い換えられる分の生活扶助が支給されているのか、は議論の余地があるかと思います)
実際、実施要領においても以下のように「生活扶助で計画的に賄うこと」が求められており、(あくまで外から見える範囲でですが)今回のケースを一時扶助で補うのは難しいように思います。
被服や家具什器の更新その他通常予測される生活需要については、経常的最低生活費(基準生活費、加算等)の範囲内で賄われることが原則である。
なお、被服費等の日常の諸経費は、本来経常的最低生活費の範囲内で、被保護者が、計画的に順次更新していくべきものであるから、一時扶助の認定にあたっては、十分留意すること。
「お役所仕事」というと聞こえが悪いですが、行政においては杓子定規に法令・通達に従って仕事をすることが求められます。
個人に対して法令・通達を逸脱した対応を行うことは最初は完全な善意から行われたものであっても、友達への利益供与など、癒着・汚職の元となりうるため、避けるべきかと思われます。
この辺りに関しては生活保護を題材にした漫画「健康で文化的な最低限度の生活」4巻の183ページあたりを読むと、どの制度を使えば法令・通達から逸脱せずにサポートができるか、といった現場の動きが見えるかと思います。
漫画なので割と読みやすく、いろいろなケースを見ることができるので、興味のある方は読んでみると良いかと思います。
実は生活必需品等購入のための貸付金の取扱いについてという通達が出ており、まさに今回のケースはこれに相当するように思います。
ただ、この通達をよく読むとわかるのですがこれは「貸付金制度を用意したよ」ではなく「他に準備された貸付金制度を利用しても収入とみなさないよ」になります。
そのため、札幌市において生活保護者が使用できる貸付金制度が準備されていたのか、案内されていたのか、国として貸付金制度を整備するべきでは、あたりが本来議論すべきところかと思われます。
また、家具什器費を生活扶助から分離する(月額支給額は減るが、家具の故障時の扶助を新設する)など、制度自体を改定する議論も考えられますが「生活保護の使い道を本人の意思で決定できる」というのは「健康で文化的な最低限度の生活」において大きな比重を占めており、個人的には現状の生活扶助に含まれる形の方が良いと考えています。
どちらにしても現行の仕組みを理解したうえでなければ意味のある議論にならないため、これを機会に仕組みを調べてみると良いのではないでしょうか。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
衣:仕事着、通勤着、冠婚葬祭用、部屋着、就寝用、外出用、水泳用、運動用で各4シーズン用で各2~3着ずつ、衛生的で清潔で快適に洗い替えできる環境で意匠は流行と実用面から極端に離れていないもの
住:災害に合わず職場や親しい人達から遠からず買い物先と交通機関から徒歩で近く人間関係に悩まされず体力的精神的に確実に休息できて所有物も収まりつつ手狭ではなく清潔で快適でプライバシーの保たれること
健康:先天的や後天的な疾患あれば直ちに手厚い治療と生活上の補償を負担を伴わず受けられ、職務やそれ以外でも健康を損なわない配慮や環境整備が為されていること
文化的:先人の積み上げてきた知識的および文明的な物質的で精神的な遺産を全て無償で容易く利用活用できて、なおかつそこに自分の意志で継ぎ足したり、また誰にも咎められずに全く生産性の皆無な娯楽活動に勤しむことができること、そしてこれらは内心の内で有る限り自分以外のどんな存在にも明らかにしなくてよい権利を持つこと
・・・みんなはどう?
そうだね。
でも実際問題として、もしもこの世界に安易に他人に「死ね」と言う人や、ミスをした人に対して「死んで詫びろ」という態度を取る人が一切居なくなったのなら、自殺する人の数は3割ぐらい減って今の7割ぐらいで済むようにはなるんじゃないかな。
自殺には多様な要因があるのは知ってるけども、『世の中全体を飛び交う安易に向けられる他人への殺意や嫌いな人間が死ぬことへの期待』はその中でも1、2を争うものだと思うよ。
あーでもどうだろうね。
『富裕層でない人間が健康で文化的な最低限度の生活を送るためには働くか、働くことが出来ないことを証明しつつ罵倒されながら生きるかの二択しか存在しないっていう状況』の方が死因としては強烈なのかもね。
『病気を始めとした身体的な苦痛』も結構な強さはあるんだろうけどなあ、うーん。
とりあえずこの辺がトップ3なんかね。
はいこちら18歳。初めて投票に行きましたがいろいろ思うところあるので書きます。前半が元記事へのアンサーで後半はポエム
5%から8%になった日に部活の先輩たちとコンビニでウワーッて言い合ったんですが1割ですよ1割
2.年金はどうでもいい
貰えないのはわかりきってるけど私たちに結構な額請求くるんですがそれは。滞納すると差し押さえるぞみたいな手紙くるらしいよ
3.まとめブログの影響
これ今回の選挙で思ったんだけど投票先選ぶのに政党マッチングはおろか候補者とか政党の公式ページで政策確認せずに雰囲気で選んでいる人がほとんどっぽくてそうなんだーって思いました。あと政策選んでくとマッチ度が出てくる系のサイト党によっては部分的に回答してなかったり△になってたりして雑なので必ず個別になってる表見たほうがいいと思った。当落予想みて一票の力を上げるやつは期日前行った後に知った
6.維新も怖い
そうだね
そうなんだ
あとれいわの障害者の人の記事読んで知ったけど障害者も被虐待児とおなじで法もシステムも穴だらけのガッスガッスで例外に対応できていないんだね
私は反出生主義だけど生まれてきた子供には社会が最大限サポートを施していくべきだと思うんだけど。子供は作るものじゃなくて出来ちゃうものだよ
貧富の格差がどんどん広がる、物価は上がっているのに給料は上がんなくて生活が苦しいというのは日本だけじゃなくて資本主義を採用してる先進国(?)の宿命っぽいところがある。歴史を学べばわかるように一つの体制、一つの仕組みをずっと続けていればだんだん行き詰まってきてガタガタになってくる。資本主義と民主主義という枠組みは当分変わらないだろうけど(加速主義はネタだし大澤真幸も言っているように「資本主義が終わった後の世界を私たちは“構想”することが出来ていない」)なんらかの修正をしなければ貧困層がどんどん多くなって今のアメリカみたいなことになるし私たちが定年(一体何歳になるんだ?)を迎える頃には一体どんな社会に成り果てているのか楽しみで仕方がない
確かに投票先を選ぶのは難しい、議会運営やドント式の計算法は義務教育で習うとはいえ党、候補者の政策や実績などを自分で見に行って正解があるわけでも正しい解法があるわけでもない"投票"をするという行為はさながらSFCの小論レベルですらある
おそらくメインストリームで特に苦は感じないような生活をしてる大部分の人にとって別に戦争が起こるわけでもない政治というのはどうでもいいしまとめサイトを見て判断するレベルの重要度なのかもしれない。しかしながら今この日本ではセーフティーネットから転げ落ちた人や虐待される子供達、働いてもまともに生活ができない人などの弱者が増えている。これらは個々の事例ではなく大きな流れだということは社会学を見るとわかるがこれにシステムで対応していくために政策を打つことが必要で弱者にとっては文字通りの生きるか死ぬかの話になってくる。れいわ新選組とかいう自殺者が増えてる生きづらい社会を生きてるだけでいいんだという社会にしますという健康で文化的な最低限度の生活の10歩手前ポエムを掲げる政党が何億も寄付金もらって2議席とるような社会に生まれて本当に悲しい
男の方が女より能力の幅が広い、と言われていて
天才は男に多いけど、どうしようもない無能も男に多いんだよね。
だからキモカネおばさんと言ってもどうしようもない下の下な人はキモカネおじさんほどはいなくて、
大抵は同じ能力で男であったら下の上くらいにはなれる程度の能力はある。
でも「女だから」困窮してる人が多い。
じゃあ男女問わず存在するどうしようもない下の下層はどうするのかっつーと、
生活保護与えるくらいは出来るしするべきだけど、それ以上はどうしようもない。
んでキモカネおばさんはその程度で概ね満足するけど
キモカネおじさんはそれじゃ満足せず女を宛がえと言いたがるから煙たがれる。
健康で文化的な最低限度の生活に女を宛がわれる権利なんか含まれてないのに。
死ぬまで健康で文化的な最低限度の生活ができますように
ホームレス用の介護施設に行ったことあるけど、近い将来、独居の生活保護はみんなあんな所に押し込まれるんちゃうかな
健康で文化的な最低限度の生活は維持できてるし
4~6畳くらいの広さにベッド二つ並べただけの部屋が1フロアに何個もあって、扉は施錠できない引き戸
施設職員は最低限のことしかしてくれず、同室者が訪問介護のヘルパーに下の世話されてる時は臭いを我慢
室内にポータブルトイレが持ち込まれる場合もある。当然、尿臭便衆が常に漂うことになる
テレビは待合室みたいなスペースで見ることになるけど、常時奇声を上げてるヤツがいる
20歳から1銭も年金保険料納めてない俺の完全勝利だろこれwww
つーか総理が100年安心の年金制度を確立した的なこと言ってたけど今後支給額が目減りしていくことが確実なボロボロの制度が100年続く方が国民にとっては地獄じゃね?
現状だって年金だけで食っていけなくて貯蓄もない高齢世帯は軒並み生活保護需給してるわけだし、年金と僅かな貯蓄に頼ってるような世帯は生活保護以下の生活してる人達なんだからさっさと生活保護受ければええし、中流以上の国民はそもそも年金なんてなくても生きていけんだろ?
2000万でキレてる貧困層はよく考えよう。
加齢で働けなくなるだろ?
退職するだろ?
住居引き払うだろ?
貯蓄全部散剤して人生史上最高の享楽と放蕩の旅にしけこむだろ?
そしたら無一文になるだろ?
役所に駆け込むだろ?
もう年金なんて頼んなって最初から!そして自己防衛もするな!生活保護受けろ!憲法改正されねー限り俺たちの健康で文化的な最低限度の生活を政府は保証しなきゃなんねーんだから!
怖いな。
「人権」とは「すべての人々が生命と自由を確保し,それぞれの幸福を追求する権利」
あるいは「人間が人間らしく生きる権利で,生まれながらに持つ権利」であり,
だれにとっても身近で大切なもの,日常の思いやりの心によって守られるものだと私たちは考えています。
子どもたちに対しては,「命を大切にすること」,「みんなと仲良くすること」と話しています。
国民1人1人は憲法によって侵すことのできない永久の権利として基本的人権が保証されていて、
権利の濫用(らんよう)や公共の福祉に反しない限り、十分に尊重されなければならないとされています。(11条、12条)
すべての国民は法の下で平等であって、人種・信条・性別・社会的身分などにより差別されません(14条)
集会・結社及び言論・出版・表現の自由が認められています(21条)
すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活をする権利があります(25条)
国民はその能力に応じてひとしく教育を受ける権利があり、保護者は子供に普通教育(義務教育など)を受けさせなければなりません(26条)
表現の自由が普遍的な人権を構成する要素足りうるなら国家間で表現の自由の制約に差はないだろう
基本的人権とは神聖にして侵すべからざるものではなく、その時代その国々において差があって当然のものであるから、日本社会としても行き過ぎた自由を制限するという方向に力学が働きつつあるということなのだ
であるからして、今後我が国において表現の自由が簒奪されようとも、それは人権を侵害したことにはならない
そもそもが、健康で文化的な最低限度の生活と言いながらそこらへんにホームレスがいる国だということを理解しよう