はてなキーワード: 仮想敵とは
賛成するかどうかは読んだ人の判断に任せるけどこういう考え方をする人がいるってことは認めてあげたいね。
コミュ力重視の社会ゆえ女性が出世して経済的にも強くなり、結婚も望まず…仕事面でも恋愛面でも男がいらなくなる世界まであともう一歩。 / 5年後、日本は女の「名ばかり管理職」だらけ?
いいじゃない。女性の方がコミュ力もあるし、フェミによれば能力的にも高いらしいから女性に社会をになってもらいましょ。名ばかり管理職も、経営者も、政治家もやってもらいましょ。男なんか一部の種馬以外全部殺してもらいましょ。…あー優しくて合理的な世界だ
前に、ミサンドリーの方が「受験において、男の子の方に学校側は下駄を履かせている。本当は女の子の方が学力の面でも優秀なんだ」と講釈たれてた記事を見たことがあるから、どうぞ勝手にやって下さい。ただ、ワタシの知る限り女性が進出してきてからドンドン社会は窮屈になってますけどね♪
女性中心の社会になったらますますコンテンツにも技術にもお金払わない・価値がわからないものを不当に買い叩く社会ができると思うから、技術や職人芸に携わる人はそういう社会を全力で拒否ったほうが合理的だと墨は思いますけどね〜♪社会全体がサイバーエージェントみたいになってもいいんですか?と
サイバーエージェント自体が元々営業マンと言うか、半分詐欺じみた、ハッタリでハリボテな人が作った会社だから、技術よりも営業重視なんだろうけどさ…。あんなに、エンジニアが表に出ない(その代わり広報の能なしが全面に出る)し、自分の会社が管理するサイトのアクセス数を盛ってる会社、ないよ
フェミ定義で行くと、女性がいっぱい前に出てるサイバーエージェントと、女性の経営者がうまく回してたDeNAとどっちが女性の社会進出が進んだ会社と解釈してるのかがちょっと気になる。
フェミを仮想敵のようにすごい言ってるけど、それは僕がフェミに育てられた結果として「こんなに怖い思想、人をバカにする、社会を駄目にする宗教もないな」と思ってるから、アレだけは目の黒いうちは釘を差し続けようと決めたんです。あの思想は誰も幸せにしない
dshocker 女を理解出来ていないあなたが、なぜ女が中心となった社会を予想できるのかな?本当に何かの価値を不当に貶めてるのは、自分自身じゃないのかな?
@dshocker この議論始めると丸一日はギャーギャーいう自信があるけど、そんなことしてる隙がないからスルーさせていただく。
つまるところ、生き物(としての)レベルで性欲や生殖に対して強い欲望を持ってるのは男性なんだから、男性の欲望をことごとく規制していったら、そりゃ出生率減ったり、恋愛しなくなったり、そもそも女性に振れることがリスクに変わるからかえって溝は深まるよね〜…とは書いとく
脳みそが起きてない時に、書きものするのが嫌だからツイッターで準備体操するようにしてるが、なんかこう、あんまりよろしくない話題を拾ったなぁ…。僕がナーバスになる割にあんまり生産性のない話題
思想レベルでまともかつ、フェミがちゃんと読んでる(多数派まで行かなくても、フェミとはこういうものだという理解に立てる)フェミがあるなら読みたい人だが、残念ながらそういうものに基づいているという話を少なくとも僕は聞いたことがないからフェミは宗教と切り捨てるようにしてる
dshocker 非モテをこじらせ女性を敵視するモードに入ったあなたは、ミサンドリーと立場が逆なだけで同じ存在だよ。ミサンドリーは男性が嫌いなのではなく怖いだけあなたも女性が嫌いなのではなく怖いだけ怖さを憎しみに置き換えて逃げてるだけかっちょわるいぞ!おやすみなさい
@dshocker 非モテこじらせと言うより、生い立ちのトラウマとか、その通り育てなかった罪悪感とかがそこに複合されてるから人生レベルで否定されてる気持ちになってる…と付け加えさせていただこう。彼らを認めた瞬間に私が存在レベルで排除される危険をはらんでるとね。…おやすみなさい
ミソジニーのように言われるが、私は一貫してフェミ嫌いの「女性こそが強者」論者だ。だから、男の恋愛できない奴は社会で生きていけないとさえ考える
昨日も書いたとおりです。「自らの生きづらさを自覚した途端に、その人は自分を生きづらくする思想や大多数の意見と権利を奪う戦争としてその人の人生を生きていくことになる」少なくとも、自分が発達障害で、子どもの泣き声にもうつゆえに悩まされた時に、まともな人が考える幸せは苦痛に変わった
子どもの鳴き声で抑うつ状態になって、うつが発症する僕にとって「子どもを育てろ。それが人として生まれた義務だ」と語り続けた母親や、国策として少子化を改善させたい政治家の存在は生きていくうえでの妨げでしかない。あるいは彼らにとって私は…まぁ、言わなくてもわかって欲しいね
まぁ、そんなマイノリティーがコツコツと書き続けてるブログも今や読者が989人ですよ…。あと11人で1000人ですよ。みんながみんな賞賛してくれてるわけではないかもしれないけど、1000人近い人に自分の考えが伝わる環境はありがたい
この記事書いたの私です。
ブコメで何が言いたいのか分かんないとか話があっちこっち行ってるとかちょいちょい言われてるんですけど、自分じゃどこがどうわかんないのかわからないのです。
どこまでも話が広がっていきそうだし要素が沢山ある話を何とかまとめようとしてるので、色んな部分にちょいちょい触れたりほのめかすだけになってる自覚はあって、そこが散漫だなあとは思わなくもないんですが。
あと仮想敵をあんま明確に規定しすぎると藁人形論法とか言われそうなので、ふわっとした対象を取って、そしてその対象の背後にある理由を私が推測して私が反論してるので、なんか一人相撲っぽくて、その一人相撲っぽさもバカバカしいから対象の背後の理由も微妙にボカしたり「こうかも、でもこっちかも、もしくは」みたいな感じになってはいますが。
その辺りがわかりづらいのでしょうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20151026111645
容赦なさすぎだよ。もうちょっと優しさみたいなものはないのか。
Mukke 「はてなとかヤフーのオフィスを訪問してたブス」「若さ若さと言いながら高学歴で顔がいいだけ(SHIELDsにいたってはどっちでもないから一部例外もある)で大した中身の無い奴」これは笑うところかな?
笑えばいいと思うよ。
裏道ですらちやほやされない青二才さんの気持が貴様にわかるのか!?
houyhnhm 間違いなく「最低限の紹介」出来ないから無理。「サクサクッなんだ!」みたいなこだわり見せた直後に「このサクサク感が」とか普通に戻っている頭のおかしさが芸だと思っている節があるしなあ。
何を言ってるのかよくわからない。
nekora 彼は誤字脱字単語誤用多過ぎて文筆業は厳しい。立正大学で学んだ経済への学識と路上八百屋で身に着けた商売の勘所を活かしFX投資で成功するのが仮想敵を見返す最良の手段だ。
FXはやってほしい。
paradisecircus69
おいなんか言えよ。
raf00 客観的な検証ができなくて、ストライク狙えなくて、ネガティブ方向にしか影響力がなくて、専門性がなく、承認欲求への堪え性がなさすぎる青二才先生にそんな残酷な夢見させないでくださいよ……
raf00さんひどすぎるでしょ。でも先生って読んであげるそんなかすかなツンデレぶりにおいら胸きゅんだよ。
roppara 結構テキスト量多めのブログ書いててなおかつ結構ブクマされてて、書く仕事希望してるなら編プロの人とかライターの人とかに縁ができてもおかしくないんだけどなー。実際のところどうなんやろ?
編プロの人はともかくライターの人には結構知られてるし、ブログでも「俺よっぴーに知られてるんだぜヒャッハー」とか言ってた気がするので結構チャンスあると思うんだけどな。なんで仕事一切もらえないのか不思議でしょうがないです。
fut573 オフ会関係の情報の扱い方を見ると、ちょっと仕事の話は……書いちゃいけないことをブログのネタにするのではないかという懸念がある。
青二才の発達障害に深い理解を示し彼のブログ活動を高く評価しているfut573さんまで。あくまで発達障害としては頑張ってるってだけなのか。ひどいや。
興味あるなら試してみればいいじゃない。男は度胸っすよ。
一般に「文学」と呼ばれるジャンルの本が好きだ。それ以外のジャンルも好きだ。ラノベとかも好き。
いや、調べれば調べるほど分からなくなった。
ポスト構造主義は形而上学批判だ。そして「文学性」は明らかに形而上学だ。
批評? でも批評や読み方に正解なんてあるのか? 作者は死んだのに?
古い文学は今でも価値があるんだろうか? 「あの時代にこれをやったからスゴイ」ではなく?
では「あんなものに価値は無い」と仮想敵として廃棄された過去の「文学性」は今でも価値が無いのだろうか?
それとも「あんなものに価値は無い」と言ってる側に価値が無いのだろうか?
ある「文学」に価値があることが他のある「文学」に価値が無いことを導いたり必要とすることは無いだろうか?
わからない。みんなわかってるんだろうか? わかってないんじゃないだろうか? 「みんなわかってないよ」と言ってた。誰かが。
でもわかってないならなんであんなに偉そうなんだろうか? 「わかってないから偉そうなんだよ」と言ってた。誰かが。
お前誰だ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
実はこれは、「劇場のロゴのパクリではない」と言っているだけだ。上手にていねいに解説しているが、話の趣旨そのものは組織委の見解と同じだ。その点は、増田が指摘したとおり。
しかしながら、組織委の見解はピントがずれているし、その意味では、深津貴之 氏の見解もピントがずれている。そのことを解説しよう。
劇場ロゴのパクリはもともと争点となっていない。これを話題にしたのは一部の人だけ(もしくは初期だけ)だ。
前者は、著作権の問題だ。これは、パクったかどうかに関係なく、単に似ているということで、著作権上の問題が生じる。このことは、劇場側の弁護士が主張したことだ。
後者は、サントリーのバッグや、五輪の展開例や、多摩美のポスターなどで、画像の盗用があったことだ。これを「パクリ」と指摘した。
要するに、「劇場ロゴとの類似性」もあったし、「パクリ」もあったのだが、「劇場ロゴのパクリ」は、もともと争点になっていないのだ。
その意味で、深津貴之 氏の見解そのものが意味を持たない。ありもしない仮想敵を攻撃しているだけだ。藁人形論法であるにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」というものを、彼がいくら否定しようが、それは、ありもしない怪物を攻撃するドン・キホーテと同様であり、もともと存在していない対象を否定しているだけにすぎない。
「劇場ロゴのパクリ」はなくとも、チヒョルト展のパクリはあったと認定できる。なぜなら原案では、右下に余計な赤丸があったからだ。
このような赤丸は、文字とは無関係の装飾要素であり、まったく不要なものだ。実際、他の文字では、このような余分な要素はない。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bunbuntokuhoh/20150828/20150828225213.jpg
なのに、T という文字でだけ、余分な赤丸の要素が追加されている。この文字だけにある特異な現象だ。
このことからしても、これがチヒョルト展のパクリであることは明白だろう。
(仮にパクリでなければ、赤丸は中央上または中央下にあるはずだ。それが佐野デザインの9分割のポリシーだからだ。)
さらに、状況証拠もある。「そんなことは覚えていない」と弁解したことだ。素人じゃあるまいし、プロならば、これほどのデザインをあっさり忘れるはずがない。
とすれば、「覚えていない」と言った時点で、嘘をついている。あるいは、ジョブズ並みの「現実歪曲空間」に入っていることになる。そのいずれだとしても、パクリはあったことになる。(ただし本人が正直に申告していないだけだ。)
3.専門家に任せるか?
深津貴之 氏の見解の主要な点は、「専門家に任せるべきだ」ということだ。
しかしながら、今回の最終案を決めたのは、専門家である審査員ではなく、素人である武藤事務総長だった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150904-OYT1T50016.html
ゆえに、「(決定を)専門家に任せるべきだ」という主張は成立しない。現実には専門家には任せられず、素人が勝手に決めてしまったからだ。(そして佐野最終案に決まった。)
また、今回の主要な争点は、デザインの良し悪し(デザインのジャッジ)ではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。
デザイン的に良し悪しを判断する(ジャッジする)のならば、専門家が決めてもいいだろう。しかし人々が批判したのは、デザインの良し悪しではなくて、五輪エンブレムとして採用するか否かだった。そこでは、次の諸点が問題となった。
・ その法的争点は、類似性の有無であって、パクリの有無ではない。
・ トートバッグではパクリが判明した。(彼は犯罪者だと判明した。)
・ さらに、続々とパクリが判明した。(彼は大犯罪者だと判明した。)
・ 原案と最終案がまったく違うと判明した。(組織委は嘘をついた。)
・ 原案では、最終案にある大きな円がなかったと判明した。
(大きな円を選考理由とした初期の説明は嘘だったと判明した。)
・ 最終案を決定したのは審査員たちでなく事務総長だと判明した。
これらの問題が続々と判明した。このことから「五輪エンブレムとして採用するには適切ではない」という民意が生じたのだ。こういう民意を無視して、「専門家の判断に任せよ」というのは、問題をデザインの面だけに限定しており、きわめて視野が狭い。まったく、問題の所在を理解していないと言える。
自分の専門領域のことしか理解できない人を「専門馬鹿」と呼ぶ。
今回の問題は、「劇場ロゴをパクったかどうか」というデザイン界だけの問題ではないのだ、と理解するべきだ。そもそも、「劇場ロゴをパクったかどうか」というのは、もともと争点になっていなかったと言える。(劇場側だって、そのことを争点としない旨を主張している。商標法違反ではなくて、著作権法による類似を争点とすると主張している。)
今回の問題は、上で列挙したようなさまざまな問題が絡み合っている。ここで「劇場ロゴとのパクリではない」なんていうどうでもいいことを持ち出して、「専門家の言うことを聞け」と述べるような主張は妥当ではない。むしろ専門家こそ、民衆の声を聞くべきだ。
最後に一つ。
深津貴之 氏はデザインのことは専門家に任せるべきだと主張する。しかし今回のエンブレムは、エンブレムのデザインとしての良し悪しで決まったのではない。展開力で決まったのだ。つまり、布地の柄物のパターンの出来映えのような見方によって決まったのだ。
そもそも、(原案の)丸と三角と四角というデザインは、あまりにも単純で凡庸であり、これを「美しい」「見事だ」と思うようなデザイナーはいないだろう。なのに、心の底では「くだらん」と思いながら、はっきりと口に出せない。「展開力が優れている」と言われると、「なるほど」と言って承諾するだけで、「エンブレムとしてはあまりにも凡庸な図形だ」という本音を口にできない。
自分の(デザイナーとしての)内心の声を聞くことができず、説明された「展開力」なんていう言葉を信じてしまうようでは、デザイナーたちの良心というものを信用できないのである。
専門家は、民衆の声を聞くべきだ。そしてまた、自分の心の声を聞くべきだ。「あの原案はあまりにも凡庸だ」と、自分の心の声が訴えているはずだ。
追記。
id:sisya 参照元のエントリを全然読解できていないように見える。単に似ているだけでは盗用にならず、依拠しているかどうかが重要。もう少し元記事を読み返すことをお勧めする。
本項の話を全然読解できていないように思える。「(劇場ロゴと)似ているか、依拠しているか」というような話題は、争点にはなっていないというのが、本項の趣旨だ。そんなことはどうでもいいから関係ない、という趣旨。
だいたい、そんなことは、たいていの人は話題にしていない。著作権を争点にしているのは、ベルギーの弁護士だけだ。日本人のほとんどは、そんなことに関心を持っていない。関心を持っているのは、id:sisya さんや id:allezvous さんぐらいだ。
この事件の問題点は、ベルギーの裁判で勝つかどうかじゃない。そんなことを話題にしている人は、ほとんどいない。(そもそも裁判が成立するかどうかもはっきりとしない。訴えの利益がないので、却下されるかもしれない。そうなったら、著作権を争点にするのは、すべて空論になる。)
もちろん、本項でも、著作権を問題にしていない。そもそもベルギーロゴとの関係も問題にしていない。(ベルギーロゴとの関係などはどうでもいい、という趣旨。)
依拠性によらず類似性だけで著作権法違反を問える、と主張しているのは、私ではなくて、ベルギーの弁護士 http://bit.ly/1VMxON2 です。詳細は、このリンク先にある週刊新潮の記事に書いてあるので、そちらを読んでください。
一般に、ロゴのような単純な図形では、依拠性というものは(証明のしようがないので)問われず、類似性だけが問題となります。たとえば、ミッキーマウスの著作権では、単に似ているだけで問題視されます。いくら「真似したわけじゃない」と主張しても、「似ている」だけで問題視されます。
なお、本項では、著作権についての「分析」なんかしていません。著作権は本項では話題になっていません。ついでの形で、1行か2行、ちょっと引用ふうに言及しただけです。
id:bros_tama あの記事は“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”について書かれているんです.本来どうすべきであったか,解決のためにはどうする,とかはこれを踏まえて考えなくちゃいけないんだよね,という話です
それを前提とした上で、“五輪エンブレムのデザインで何が問題であったのか”ということは、今回の騒動ではほとんど意味がないことだ、というふうに評価しています。五輪エンブレムのデザインなんか、あまり重要ではないんですよ。デザインじゃなくて、これを採用するかどうかが問題なんです。
端的に言えば、「パクリデザイナーの作品を五輪に正式採用することの倫理的な是非」です。ここでは倫理的な問題があるだけで、美術的な問題はありません。美術的なことをいくら論じても、今回の騒動には何の関係もない、というのが、本項の趣旨です。
本質とは関係のないことをいくら解説しても、そんなことはどうでもいいことだ、という趣旨です。
誤解があるかもしれないので解説しておくと、私は別に、深津貴之 氏の見解を否定しているわけではない。素人向けに専門家が詳しくデザインのことを解説しよう、という努力は立派なものだと思うし、有益でもある。
ただしそれは、あくまで今回の騒動のオマケふうのエピソードとか裏話であるにすぎない。楽屋裏の話。こっそり井戸端や酒場でおしゃべりするための話題。
今回の騒動は、佐野デザインを五輪エンブレムに正式採用するかどうか、ということだ。それは、「採用しない」という形で、一挙に解決した。これだけが問題であったからだ。
一方、劇場ロゴとの類似性とかパクリとかは、ほとんど話題になっていない。だから、こんなことはどうでもいいことだ、というふうに評価している。
深津貴之 氏の見解を(間違っているとして)否定しているのではなく、(本質とは関係ないものとして)軽視しているだけだ。勘違いしないでほしい。
その後、状況が少し変化したようです。次の質問に答えようとして、気づきました。
id:Eizo0000 何と戦ってるんだ。
この問題を専門家(つまりデザイナー)に委ねるべきで、大衆がこの問題に口出しするべきではない、という発想を問題視しています。そのことは、本文中で引用した箇所で、下記のことです。
しかしながら、この箇所は、今では次のように書き直されました。
深津貴之 氏が、元の文章を書き改めたので、本項において問題視したことは、かなり色褪せてきたとも言えます。
「大衆はデザインには無知なんだから口出しするな」というような方針が、少しは改まったのだとすれば、本項は一定の役割があったと言えるでしょう。
※ 「集約されていまう」というタイポは、原文のままです。
id:honma200 結論とかまとめを書かないから散らかりすぎてて良く分からん。
まとめ:
この問題の本質は、最終案が劇場ロゴのパクリであるかどうかではなくて、考案者があちこちで画像の盗用をしたという問題である。つまり、デザインの問題ではなく、法律違反をした作者のデザインを五輪に採用するかどうかというという倫理面の問題である。したがって、この問題をデザインの専門家に任せておけば済むというわけには行かない。「デザインの専門家に任せよ」という主張は、今回の問題の本質からは外れている。
わかっちゃいたが、はてな村にブックマークされにくい記事を書き本物川関係者をブロックして2ヶ月…すごくネットに対するストレスが減って楽になった
怪文書作りたかったらkanoseにでも弟子入りしたら?彼なんか作ってるものの大半は怪文書みたいなものだし。僕もTogetterではそれなりにまとめをヒットさせられるから教えられないでもないけど…kanose氏ほど人々の悪意や闘争心に日を付けるようなまとめは作れないよ…
こっちから消すとやましいことがあるみたいだから向こうに消させる。話が通じないでかつ、被害が及ぶような相手じゃないとこっちからは消さない。本物川とか本物川とか本物川とか
言い方変えます。相手のまとめ技術が下手すぎて被害がないから「消してください」と書きました。被害がある相手なら有無も言わさず即効消してブロックしてTogetterに削除要請も送ってます。本物川とか本物川とか本物川とか
マイナビマジ滅んでほしい。というか、フェミ以上に僕が許せないネットメディアが今日からマイナビになった。でかでかと謝罪記事出すまでkanoseとマイナビと本物川は許さない。
僕よりも炎上上等なウェブメディアに「君は炎上しすぎてカルマが上がってるからウェブライターにはふさわしくない」とか死んでも言われたくない。切れそうっていうかこういうネタ見るたびに煮え湯飲まされてる感
ブコメでしか炎上を演出できないはてな民と違って、僕はちゃんと燃やしに行きますよwwwこれから毎日マイナビを焼こうぜww
ゲスいとは思うけど、「逆だった時に炎上させてる人」にボコられた被害者であり、そういう被害を受けた人の声も聞いてるからねぇ…。いつもならもっとキレてるけど、今日はやり過ぎないようにこれをデコったらこの件への言及はしない方針で行く
キレない人は悟りを開いてるか、キレずともやっていける高い処世術の持ち主だと思うが、正直キレて物申するぐらいじゃないと自分の生きやすさが確保できない人種もいるからキレること自体を否定する気はないと思ってる。さるアニメを見てて、もしくはある種の政治的議論を見てて「争いは絶対に良くない」という人に「その人は自分のすべてを否定されたり、奪われたり、正攻法では戦えない相手に巡りあったことがない幸せな人生を送ってきた人なのかな?それとも理想を語る自分がスキなのか?」と疑ってしまう。
マイナビとフェミの両方を仮想敵にしてる僕にとっては今回の記事は「あーこれでどっちも消せる」と思ったからやったわけです…本物川・kanose連合に蹂躙されたせいで「青○才は大したことない」と思われてますが、私には彼らと違って良心があるから彼らほど外道なことをしないだけです。
最上級のネットバトルになるといかに人間を辞めたような優しさを捨てた、詭弁を平然と言うような言い回しができるかの勝負になるから本物川に勝つぐらいなら僕は人間味を取ろうと判断したまでです
職場に限らず美男美女にニーズがあるのはわかるけど、それを行った途端に叩く人がいる限り言い出すべきじゃないところもあるからね~。特に普段フェミニストという男から見ても女から見ても奇怪な人に公での発言権を認めてきた我が国ではフェミの逆の存在の発言権を認めないことでアンバランスがあるし。いや、フェミという思想をもっちゃダメというわけじゃなくて、フェミが女性の代表みたいな顔をしてしゃべることにおかしさを感じるんだよなぁ…。アレって「男は歩くちんこ」ぐらいの極端さで、そりゃ全く当てはまらない人も少ないけど完全に一致してる人も少ないシロモノだもの…。やってる時とムラムラしてる時は男女問わず変態だし、それさえないと子孫を残せないから生き物として成立し得ない。そこを否定し始めちゃったらおかしなことになるんだけど、否定してる人が女の代表みたいな顔して学会でも政界でもマスコミでも出てきちゃうんだもの…。そればかりではないけどさ。「男だったら炎上するから同じように女がイケメンを求めてるといった回答をするのがダメ。」というのが今回の問題ではない。「女を叩く・男が女に性的な目を向けるとフェミが起こるけど、逆ならフェミのようなうるさい人は怒らないから書いてもいい」と考えてることがちゃんちゃらおかしいんだよ!
告白するところまで行ったんだったら、一つ成長じゃん。
だってさ、世の中には、異性の気持ちを理解する努力もせず、相手に好かれるための努力もせず
「どうせ俺が告白してもキモがられるから」って最初から諦めてるやつとか
振られた途端に、それまでの自分の気持ちを棚上げして、相手のことを悪く言うやつとか
いくらでもいるんだから。
そんな低レベルなやつに比べたら、元増田はずっと先を行ってるよ。
次のためのアドバイスになるか分からんが、いくつか言えそうなことを。
■世の中は「リア充」「非リア」の二つではなく「中間」が大半。
世の中の大半は、その中間の人たちだよ。
そう言う「努力したり積極性を持たなければ、彼女いない歴=年齢になっててもおかしくなかった」
ぐらいのやつが、相当数いる。
告白したら百発百中とか女から言い寄られるとかの真正リア充を除けば皆、お前と同じように失敗を重ねて来てるんだよ。
そうやって場数を踏む中で、過去の失敗から学んで、異性の気持ちを少しずつ理解して
やっと異性から好きになってもらえるもんなんだよ。
例えばさ、お前の身近にいるリア充だって、仕事で失敗したり、誰かに悪く言われたりしたらヘコむだろ?
本気で好きになった異性に振られたらヘコむのなんて当たり前じゃん。
そうやって、レアケースの真正リア充を仮想敵にしても、意味ないよ。
落ち込む時は誰かと比べずに、気が済むまで落ち込めばいいんだよ。
見た目もコミュ力も努力でいくらでも改善できるから、努力しよう。
世の中には、自分は異性の優劣を見た目で付けてるくせに、異性には自分の見た目で優劣をつけられたくないって言う
二重人格みたいなやつがいるけど、好きな異性に振り向いてもらうために見た目を変える努力するのって
何も恥ずかしいことじゃないから。
コミュ力だって、相手を理解しようと努力することで自ずと付いてくる。
異性がどんな会話を楽しいと思うのか、どんなデートが嬉しいのか、何をされたらイヤなのか。
相手を知ろうとすることで、必然的に自分の行動・言動も変わるし、結果的に思いやりや優しさに繋がる。
■粘着するな
一回振られた相手に付きまとうのは絶対にやめとけよ。
「振って距離が離れたことで、相手の大切さに改めて気付く」とか絶対に無いからな。
一回振られたやつが二回目以降に成功するパターンなんて、滅多にないから。
とにかくお前はよくやったよ。
次に誰かを好きになった時は、上手くいくように頑張れよ。
なんか護憲派って整理できてない人が多くね?
憲法そのものというより「戦争を起こそうとしている悪の自民党を許すな」な人が多くね?
http://anond.hatelabo.jp/20150626112038
これ書いた増田だけど、
・「自民党を支持するヤツマジなんなの?ファシズムや軍国主義の味方なの?」とか言ってるサヨク
・今の経済状況の方が前政権よりずっとマシだと思ってるし自民党以外でこの状態維持出来ないと思ってるんだよ、お前だけが重要と思ってるテーマ俺に押し付けんなや
と言ってるだけなの。
サヨクが何を基準に誰を支持しようか勝手だけど、それを俺に押し付けんなや、のところが重要なの。
別に「お前ら間違ってる!目を覚ませ!!」なんて俺言ってないでしょ?
けど俺は、「お前は間違ってる!目を覚ませ!!」ってしょっちゅう言われるんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
また伏見憲明氏の『欲望問題』から引用する。伏見憲明氏はゲイ・コミュニティについて以下のように語っている。
ゲイはまだ被差別記号としての意味合いも強く残っていますし、多くの異性愛の人たちが結婚をして家庭を作っていく中では、人生を共に生きていく仲間をゲイ共同性に求めていく志向もあると思います。(中略)そこそこ被差別性を帯びた共同体を差し挟むゆえに、茫漠とした社会の中で他者と集い、共感を得ることができる、ということです。
続いて、たまごまご氏の『オタクが融解した、「げんしけん」二代目が、つらい』というブログ記事から引用する。
とても明るくて、幸せあふれる恋愛マンガとしての「げんしけん」
楽しいです。
楽しいけど、読んでいて辛い。
そこにさようならを告げられて、若い世代でよろしくやりますよ、という流れになってきた。
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20141225/1419531038
このつらさとは、「オタク」が被差別記号では無くなったことへの寂しさなのではないだろうか。『コンプレックス・エイジ』について、「こっちのほうが読んでいてほっとする」というコメントされているが、この作品で描かれる「歳を食ったコスプレイヤー」は被差別記号としての意味合いが未だ強い。というより、ここでは「被差別者・被抑圧者であるという自意識」の有無が重要に思える。
「被差別性を帯びた共同体」が社会に受け入れられることで、被害者意識や鬱屈・屈託の無いプレーンな「共同体」となっていく。セカオワが大人どもに叩かれるほどセカオ輪は強固になり、セカオワが大人どもに容認されるほどセカオ輪はユルくなるだろう。否定・拒否・攻撃してくる共通の外敵が居なくなる分、「被差別性を帯びた共同体」にはあった「弱者であるお互いを守りあう」という意味合いは無くなる。その分、共同体単位の結びつきの濃さは薄れていき、個人単位の結びつきになっていって、相性の良いもの同士が共同体の外で個人的に関わるようになっていく。共通の外敵を持つ「被差別性を帯びた共同体」でなら、魅力に恵まれない個人でも、その共同体意識の強さによって人と繋がることが出来たのに……。男性を敵視するフェミニスト・コミュニティを見ていても、彼女たちの目的は男女同権ではなく、男性を共通の外敵に設定して、女性同士の繋がりを強固にすることのようにしか思えない。そのようにしたがるのは、彼らの個人としての魅力が弱く(あるいは魅力に自信を持てず)、「被差別性を帯びた共同体」の力を借りないと人と繋がれないからではないだろうか。仮想敵にされる側からすればいい迷惑だが。
現代日本の,というかぶっちゃけて言うとオタクのあいだで言われる「ロリコン」って,ぶっちゃけファッションであってそんな切実な性的志向じゃないだろ! と思うことが多々あって,もちろんガチのペドファイルのひとたちがある程度いることは間違いないだろうけれど,雷ちゃんかわいいとか響サイコーとか薫ちゃんにせんせえと呼ばれたいとか言ってるひとが同時に愛宕萌えーとか加賀さんかわいいとかしぶりん結婚してくれとか言ってるの見てると,それもうロリっぽくデザインされたキャラに萌えてるだけで実際は小児性愛者でも何でもないようにしか思えなくて,そして肌感覚としてそういうひとたちの方が多数派なように思えるので,そういうのを見ているひとが「何お前らがセクマイ気取ってんだよ!」みたいに言うことも,まあ,よくわかる.
http://anond.hatelabo.jp/20150116015211
「三次元はクソ」だの「女子大生はババア」だの散々言っておきながら、女子大生の彼女が出来ると何事も無かったように「シーパラ行ってきてさ~♪」となる自称ロリコン自称オタクの男子大学生を何人も実際に見てきた。ハンコ絵ならぬハンコ人格と言えるありさまであった。自称ロリコンの大半はそのような「なんちゃってロリコン」なのだろう。真性の小児性愛者は小児にしか欲情できないため事態が深刻化しがちだが、「なんちゃってロリコン」は同年代にも欲情可能なため──むしろ同年代への欲情がメインで、ロリに向かうのは上手く手に入らない同年代への当て付けかと思うこともあるくらいだが──それなりの年齢になると恋人を見つけ、結婚し、社会に容認された多数派としての人生を歩むことができる。「上がり」である。
そして『欲望問題』に戻る。
コミュニティ活動や、ハッテン場や、ゲイメディアなどさまざまな場で、日々ゲイという共同性をめぐる動向を肌で感じているぼくは、いまではそれを解体すべきものとも、抑圧的な記号だとも思っていません。もちろんゲイ=自分ではありえませんし、ゲイ共同性の中のある種の傾向や指向に違和感をもたないでもありません。自分自身とそれの間には多少のズレや距離があるのが当たり前ですが、一つの足場として利用価値があると思いますし、自分にとっては大きな人脈資源だと実感するのです。ここ数年、ぼくは、ゲイだからゲイ・コミュニティに属する、という見方ではなく、自分が豊かな人生を歩むのに、ゲイ・コミュニティというフィクションをいかに創造し、それを利用するのかというスタンスに移行しています。
ゲイ・コミュニティの被差別性は徐々に融解しつつあるようだ。表現規制者に弾圧されている「ロリコン」や、恋愛至上主義に抑圧されている「非モテ」は、「オタク」という属性の被差別性が融解して宙ぶらりんになった「被差別者・被抑圧者であるという自意識」を持つ人間の受け皿となるラベルだったんじゃないだろうか。被抑圧者になるためのラベルとしてのロリコンと、小児性愛者は別物であり、深刻度も別格だ。
最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
多くの自称ロリコンは、現実の子供に手を出しそうになったことがない。ロリコンを自称するのは、「被差別者・被抑圧者であるという自意識」を持つ人間とつるむこと、そして強者の愚痴を言うことが目的なのだ。
「増田で」「殺してやる」の例でも出せるかな?
俺の例はその条件で出したでしょ?
http://anond.hatelabo.jp/20140810081843
http://anond.hatelabo.jp/20140530102254
みてろよ
http://anond.hatelabo.jp/20140810081602
知識があると言ってもそれあくまで反原発の中でも最底辺と比較した時だけだからなw
いつか殺してやる
http://anond.hatelabo.jp/20140516150909
使っていたらいつか殺すリストに入るところでした
自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
例えば部活。強制ではない。皆それを理解しているから、誰も辞めるなとは言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいた自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、これはともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の動機を持ち得なかった。昔からの惰性で入ってしまった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後の自分にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。他人がたゆまぬ努力によって理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいたのだ。今さらその事に気付いた愚かな僕は、それでも理想に追いつきたくて必死で走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。本当はそれですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという偏見であって、それに縛られて常に苦しんで来た。間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
最近は自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。
昔以上に色んな事が面倒臭くなってきた。その内本当に何もしたくなくなるかもしれない。
焦りだけが空滑りして実が伴わない。
本当は努力が全然足りない事は自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
外に向かう努力をして来なかったからだろう。いや、向かう努力はしていたが居場所を構築出来なかった。
例えば部活。所詮は試行錯誤の過程である。皆それを理解しているのか、誰も辞めるなとは表立って言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいる自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、ともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の情熱を持ち得なかった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難で自堕落な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。一方で、他人がたゆまぬ努力で理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいた。それでも僕は理想に追いつきたくて、必死に走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。それですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。その型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという事であって、短絡的かつ気紛れな決定によって定義される型に縛られて常に苦しんで来た。それが間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
最近は自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。
昔以上に色んな事が面倒臭くなってきた。その内本当に何もしたくなくなるかもしれない。
焦りだけが空滑りして実が伴わない。本当は努力が足りない事も分かっているが、自堕落な自分を変えられない。ちょっと気を取られれば、全てが面倒臭いと思ってしまいそうだ。自分の思考が内向きになっているのを強く感じている。Twitterに浮上するのも億劫だし、学校以外に外出することが無い。
外に向かう努力をして来なかったからだろう。いや、向かう努力はしていたが居場所を構築出来なかった。
例えば部活。所詮は試行錯誤の過程である。皆それを理解しているのか、誰も辞めるなとは表立って言わないし、卒業まで束縛するというような邪悪で強権的な行為は無かったので、そういう場所にいる自分を幸運だと思うし、有り難いと思う。束縛したのはあくまで自分であった。
僕は昔から負けず嫌いだと言われたが、ともすれば仮想敵に対して勝利するまで己を束縛してしまうという事である。部活に対して僕はそれ以上の情熱を持ち得なかった。根本的な動機に欠け、それが周りとの隔壁を生んだ。何とかして動機を見つけられないかと思ったが、それ自体がその場凌ぎでしか無いのだ。退部よりも今の場所に生き甲斐を見い出す事の方が今後にとって重要であり、正しいと考えていた。早く見切りを付けるべきであった。
例えば趣味。これが好きだと自信を持って言える物を見つけられたのは本当に最近である。もっと早ければ色んな事が出来た筈だし、レベルも今より断然高かっただろう。
だが、昔の僕は周りを知る努力を殆どせず、一人つまらない思索をして自分は高尚なのだと他人を見下しつつ無難な日々を送った。面白くない日々を自嘲するのが「面白い」と思っていた。救いようがないという以外に言葉が見つからない。悔しさ以上に自分はクソでどうしようもない人間だという感情が勝る。偏見を持たず色んな事に挑戦するべきだった。一方で、他人がたゆまぬ努力で理想を体現させているのを見ると、僕は一生あの境地には行けないんだろうと絶望する。僕が無駄な日々を過ごした間にも彼らは進んでいた。それでも僕は理想に追いつきたくて、必死に走っている。
しかし、大学受験も段々と近付いてるという時期に、足掻いて見せた所で簡単に何かが変わるわけでもない。
だからこそ間違いに気付いた時点で挑戦するべきだったのだ。それですら遅いのだが、今よりは遥かにましだったろう。
こうあるべきだというステレオタイプが常に自分の中に存在し、無理矢理にでもそれに合わせようとしている。その型を決定付けるのは、自分が本当にそうなりたいかという事以上にこうでなければならないという事であって、短絡的かつ気紛れな決定によって定義される型に縛られて常に苦しんで来た。それが間違いだと気付いても中々捨てられなかった。
実を言えば、現在僕が好きな事というのもステレオタイプに当て嵌める事でどうにか続いている。そうでなければ何もしたくなくなる程に自分に自信が無く、活力が沸いてこない。だからこそ今進んでいる道が正しいのか分からない。だが、更に頑張って行けば後から振り返って正しかったと思えるだろうという自信はある。これは今気付いた。
自分の無力さと、自分がいかに自分を追い詰めたかを実感している。日々の中に救いがない。あらゆる場面で自分の中に広がりが無いのを感じる。全ては自分のせいである。焦りだけが空滑りして実が伴わない。常に不安と戦っている。
誰か助けて
○昼食:なし(厳密にはガムを食べた)
○夕食:トマトオクラ山芋サラダ。マヨツナ。玄米おじや(具は鮭とシグレ)。カマンベールチーズ。サツマイモふかしたの。
○調子
祖母の家でご飯を食べて少し回復。
どうでもいいけど、処女喪失からケツが痛くていたくてしょうがない。
病院?
○ポケカ
ジムバトルに参加。
今日は大会初参加の方が多く、逆に負けるわけにはいかないというプレッシャーが強かったです(笑)
○一戦目:初心者の方の鋼デッキ。相手のポケモン事故で二ターン目で終わり。初心者の人に申し訳ないが、その後色々質問に答えたりして仲良くできたので結果オーライかな。
○二戦目:初心者の方の構築済みHMC。実質、ティーチング的な感じでした。実は今日はディアルガEXが多くいるだろうと予測してメタってきたので問題なく勝利。
○三戦目:常連さんのゲンガーEX軸超デッキ。申し訳ないが、相性差で勝利。コレばっかりはポケカの宿命だなあ。
その後、フリーで常連さんの「ライボルトEX谷ミュウ」と対戦。
シャドーサークルを谷で上書きからの、フラダリからの、メガライボルトEXが止められず敗北。
442 ソーゾー君 [] 2014/08/15(金) 21:27:20 ID:pX/U.cOY Be:
毎回ワンパターン。
日本政府が難癖付けで約束したのに開発をストップしたから揉めているだけ。
鈴木宗男一人で返還まで話は進めていたが日本政府妨害されて鈴木宗男は殺された。
竹島は軍艦で取り囲んで韓国の国旗を艦砲射撃では解して自衛隊を上陸させて日の丸を掲げれば良い。
国連や国際社会が止めに入っても日本は「竹島は我々の領土だ!韓国に侵略された後も粘り強く交渉した!
しかし、韓国政府が我々の主張を聞かないので最後通達をする。」と言えば良い。
(出来ることならソウルも火の海にして併合してやりたいがなw)
簡単に解決するのよ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1388615873/