はてなキーワード: ワンピースとは
※オナニー文
※自分語り
※長い
※18歳未満のAV視聴、Tinder等の出会い系で出会った異性との気軽なセックスを推奨してはいません。
私は小学5年〜6年のとき、当時の母の彼氏に性的虐待(?)を受けていた。
いつもは目覚まし時計でも起きられないのに、二段ベッドに上がってくる気配でひとりでに目が覚めてしまう。ベッドに上がって、布団に入ってきて、パジャマの裾から手を入れられて、胸をまさぐられて、その手がパンツの中にも滑り込んでくる。唇を押し当てられて、タバコ臭い冷たい舌が潜り込んでくる。
寝たふりを貫いていたからなのか、挿入まで至ったことはないが、ちんこを押し当てられてオナニーされた。相手がイッて、寝た後も私はずっと寝られなかった。
そもそも家庭環境があまり良くなくて、小学生になる前から母と母の彼氏がセックスする物音がきこえたり、母の彼氏がお風呂に入ってきてセクハラされたりと、とにかく大人の性欲が身近にある子ども時代だった。
当時はそれが普通だと思っていた。当時の大親友も母子家庭で母親に彼氏がいて、車の中からコンドームを見つけたと話してきたこともある。たまたまではあるが、大人の性欲が身近で、それに晒されているのを何も思わない環境だった。
だからなのかは分からないが、私は小さい頃からオナニーをしていた。母親の彼氏が持ち込むエロ本で。大きくなってスマホを持つことができるようになってからはAVをオカズにした。近親相姦モノ、痴漢モノ、援交モノ、レイプまがいのモノ。だいたいそんな感じモノばかり観ていた。暴力的なセックスを観て、濡れて、オナニーしていた。
それが普通だと思っていた。男はみんなこういうセックスをしていると思っていた。母の彼氏から受けたセクハラも、身体の反応として少しの快感を感じていたため、いいオカズだなとすら思っていた。
幼少期から性が身近にあって、オナニーを習慣としていたのに彼氏ができなかった。中学生の頃、隣の席の男の子に(おそらく)恋愛感情を向けられていたが気づかないふりをした。給食の時間に机の下で足を絡めあったりしていた(なぜかはわからない)のに、向けられる恋愛感情が気持ち悪かった。
高校生の頃、理系科目の先生に憧れて、憧れと恋愛感情をごちゃ混ぜにした感情を彼に向けていた。年頃の女子にはよくあることだが、JK好きだった(と思われる)彼は私をいいカモと思ったようで、私の好意に応えるそぶりを見せた。文化祭を2人で回って、全部奢ってくれた。間接キスもした。私の彼への好意はMAXになったが、自宅に誘われた時の彼の顔が怖くて一気に冷めた。無表情なのに見たことない目をしていて、それが怖かった。その彼は私の卒業後に別の生徒に手を出して懲戒免職になった。
恋愛経験らしきものはこれくらいしかないが、お店で盗撮されたり、ご飯屋さんで生脚をずーーっと見られたり、LINEで別のクラスの男子に「胸大きいよね」と言われたり、転校した先の中学で上級生に「巨乳ちゃーん!」と窓から大声でからかわれたりした。彼氏はできたことないが、男からの性欲はとても身近なものだった。
私はこれらのことを全て普通のこととして処理をしてきた。私は発育が良かったのでそういう経験をする役回りなんだと思っていた。みんな多かれ少なかれ経験してることだと思っていた。
私の頭の中はそれで良かったが、感情は正直で、どうしても男性を信用できなかった。今でもできない。このことを母に打ち明けたら聞いてくれはしたが、「パパ(再婚した相手。セクハラしてきた母の彼氏とは別の人)のことくらいは信用してあげなよ」と言われた。でも今の父も、再婚直前の時期に酔って寝ているのを起こしにいったら寝ぼけて私の足をまさぐった。謝ってくれはしたがショックと、「やっぱりか」という諦めの感情になった。母に言いつけたら当然母は不機嫌になったが、母が怒りながら車から降りたとき、父が「わざわざ言わなくてもいいだろ」と一言言った。この経験は未だに誰にも言えてない。その経験があってなんで彼を信用できようか。
顔がブスではなくて、努力しているのでスタイルもまあまあで、バイトを始めて好きな服を買うようになってからは派手そうな見た目をしているので高校卒業後はナンパされることが増えた。頭悪そうな受け答え、話し方をするのでワンチャンあると思うのか、しつこく声をかけられることも多い。ふざけたあしらい方をしているけど、実は毎回怖くて手が震える。なぜか泣きそうになる。解放されてからも、周りの人からどう見られているのかと不安になる。あれは本当に怖い。
ナンパされるようになっても彼氏ができなくて、処女のまま20歳になった。恋愛感情を向けられるのはまだ気持ち悪いが、そろそろセックスを経験した方がいいかと思ってtinderを始めた。マッチした男性の1人となんとなく通話をして、なんとなくよさそうだと思って会いに行った。
念には念を入れて財布の中のクレカとキャッシュカードを出して、悪用されても損害が1番少ないクレカと交通機関で必要な学生証だけ入れて、お金も4000円くらいしか入れないでおいた。財布とスマホを取られてもいいように、iFaceの中とワンピースのポケットに1万円札と5千円札をそれぞれ入れておいた。なんでも話せる友達に位置情報をこまめにLINEして、5時間メッセージがなかったら対応してと頼んだ。脱ぎやすそうなワンピース2つのどちらを着るか迷って、乱暴に扱われるかもしれないから安い方を着ていった。ピルを飲んだ。
セックスしてもいいくらいには思っていたが、根本から男性を信用できなくて、自分ができる最大限の準備をして会いにいった。
もちろんこちらもセックスするつもりで行って、向こうも私が処女であることをわかっていてやさしくすると言っていたので、彼の家にいって初めてセックスした。
家に入った瞬間脱がされて入れられるかと思っていたが、普通に会話したあとにベッドの上で服を着たまま寝っ転がって、ハグされて頭を撫でられた。男の子と付き合うのもキスもハグもしたことないと話したら「それでよく来てくれたね」と言ってくれた。あんまりに意外で、つい安い方のワンピースを着てきた話をしたら、「不安だったね」とまた頭を撫でられた。「キスしていい?」とか「触っていい?」とか「脱がしていい?」とか全部聞いてきて、いれたあとも「痛くない?」と聞いて、痛いといったらちゃんと聞いてくれて、私がこの体位いやだといったらちゃんと聞いてくれた。向こうはイッてないのに、「もうやめる?」とやめてくれた。シーツ汚してごめんとか、ここひっかいちゃってごめんとか、うまくできなくてごめんとか言っても全部「全然いいよ」と言ってくれた。
終わったあと身体を気遣ってくれて、シャワーのあとは素肌のままベッドの上でくっついた。スタイルの良さを褒めてくれた。そのうちに寝てないと言っていた彼は寝てしまったが、帰り際にまたハグをしてくれた。
私がいやだと言ったら聞いてくれることにも、こうしてとお願いしたらしてくれるのにも、終わったあともスキンシップしてくれるのにも、tinderで会った得体の知れない女を自宅に招いて寝てしまう無防備さにも全部びっくりした。乱暴なタイプのAVと幼少期の私に性欲を見せてきた大人たちでしか男性を知らなかったので、すごくびっくりした。
初体験をした次の日、思い出してムラムラしたのでオナニーをしようと、ブックマークしていたお気に入りのAVを観ようとした。汚いオジサンが出てくるやつとか、先輩に犯されるやつとか、無理やりキスされながらするやつとか、援交するやつとか。全部観れなかった。気持ち悪くなるというか、全然濡れなかった。今までつらそうに快感に溺れる女優さんたちに興奮していたのに、全然しなかった。かわいそうだと思ってしまった。今まで女優さんを乱暴に扱う男優さんたちに興奮していたのに全然しなかった。ひどいことをすると思ってしまった。
今まで私が自分の性癖だと思っていたものは、もしかしたら幼少期の経験がトラウマになっていて、その裏返しだったんじゃないかと初めて思った。全然気づかなかった。それに思い至ったとき泣きそうになった。男性不信とかを検索して治し方を調べるとたいていなぜか涙が出てしまうので今回も同じような涙だと思う。けど、幼少期のトラウマの裏返しに気づいただけでも大きな発見だった。今まで観ていたAVを観られなくなってしまったのは残念だけど。
初体験の彼と恋愛するなんて考えられなくて、セックス時の快感を恋しく思うけど、彼のことを恋しく思いはしない。彼とは付き合いたくない。恋愛感情やそれに付随する独占欲とかを私に向けずに私を抱いてほしい。わがままだけどそう思っている。向こうも私から恋愛感情を向けられるなんてことがあったら嫌になるだろうし、まあお互いにね?
初体験の相手とは2回目に会う約束をしている。たぶんまたセックスするだろう。私は2回目に会ったら豹変するんじゃないかとか、処女じゃないからいいじゃんと乱暴に扱われるんじゃないかとか、泊まったらお金を取られるんじゃないかとか考えている。もしかしたら、初体験のときはそういうプレイとして楽しんでいて本当はもっと冷たいんじゃないかとか、褒め言葉は都合のいいセフレをキープするための方便だろうなとか。私の予想は当たるかもしれないし外れるかもしれない。わからないけど、でも男性の素肌が気持ち良かったので会いに行く。
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
韓国人「韓国はパラサイトがカンヌで最高賞、BTSはビルボード1位を記録、最近は愛の不時着が日本のネトフリでも大人気だよねw」
俺「うぅ……」
韓国人「一方日本はちょっと落ち目すぎないかい?ジャニーズ(笑)AKB(笑)が世界に通用するわけないし、
かつて支配してた国に見下される気分はどうだい?w」
俺「ドラゴンボール(ボソッ」
韓国人「え?」
韓国人「あっ、あっ、あっ、(白目を剥き、足がガクガク震えだす」
俺「確かにドラマや音楽では日本は韓国に負けてるかもしれねえ、だがアニメや漫画やゲームの世界ではどうかな?」
韓国人「ひぃっ!!」
俺「手塚治虫や藤子不二雄から”魂”を受け継いだ俺達とお前らでは積み重ねてきた”歴史の重み”が違うんだよ(完全論破)」
俺「とどめだ!”ドラえもん!”」
韓国人「うわああああああああああああああああああああ(絶命)」
最近あった大学のディベートの授業での韓国人の友人とのやり取りな
ふう、危うく論破されるところだったわ
ジャンプ編集部密着みたいな番組の中で、密着された新人編集がワンピースの担当だった。
内容は、「ネーム催促→きた!→やっぱ尾田せんせーおもしれえ!」みたいな感じだったな。
ジャンプラで0話が掲載された、これの主人公がヒロインのパンツを見たがる発言を連発するのが性加害だ、それを指摘するコメントしたら消されてコメ禁食らった、という投稿がTwitterでバズっていて、ジャンプは性加害を容認するのか!みたいな叩かれ方をしているのだが、ジャンプラ、ジャンプ両読者として、問題点が他に見えたのでちょっと書く。
ジャンプも久保先生も大好きな人間の意見なので、援護も混じってると思ってお読みください。
ジャンプラでは作品を最後まで読み、いいね!に該当する「いいジャン!」をしないとコメントが書き込めない仕様になっており、「作品・作者への応援コメントを投稿できる場所」と何度も書く前に表示させてくる。
言ってしまえば、フォローや、でも好きです!みたいな言葉を付けなかったり、キツい言い方だったりするダメ出しや、マイナスなコメントは普通に消される。ファンの読者に通報されたのか、公式が覗いて消したのかは分からないが、自分も何度か消されたり、コメ禁を短期間ではあるが食らったことがある。
あくまでも「応援」コメントなので、つまらないと思った人、合わなかった人はいいね!を押さないですよね、ならコメントもしないでください。作者さんにポジティブな意見を寄せましょう。
ジャンプラは、作品を雑誌やアプリに載せるのが初めてというような作者さんも多いアプリである。おそらくは作品への批判に慣れていない新人作家がコメントに傷つき、筆を折ってしまうことを防ぐための措置だとは思うのだが、削除になる通報件数が少ないのか、公式が過敏なのか、割と簡単にコメントは消される。朝あったコメントがないな!とか普通にある。
だからまあ、フェミニストをジャンプラが排除しているというよりは、「マイナスな応援に該当しないコメント」と判断されたんじゃないかと思う。ただ批判一切お断り!のコメント欄のスタンスはどうかと思うし、倫理的にどうなの?みたいな漫画も偶に載せられるので、気軽に作品について意見を寄せられるような窓口を作るべきなのではないだろうか。
バーンザウィッチは本誌にも連載される漫画なので関係ないですけど。
ただ、他にもこの漫画の描写が際どい!とか、お色気にしすぎ!みたいに飛び火してるものに関しては、分別がつく年齢向けの漫画アプリですよ、で済む案件なんじゃないかと思う。
今のジャンプへの一番の不満かもしれない。
ジャンプは、「作者と編集が協力して漫画を作る」側面が強い漫画雑誌である(と自分は思っている)。
同作者の元になった読み切り・過狩り狩りから鬼滅の刃への主人公変更なんかは有名な話だが、作者インタビューで、編集さんからの意見で読み切りの時から主人公や時間軸を変えた、展開をこう変えた、みたいな話はかなり多いし、それが結果として面白さに繋がっていることもとても多い。
けれど、一回ブレイクする漫画を出した作家の次回作では、めっきり編集さんの話が出なくなる。
NARUTOの作者のサムライ8、ぬら孫の作者のILLEGAL RARE、黒バスの作者のROBOT×LASERBEAM。
面白いけど、ちょっとズレてるよな、なんか飛び抜けてはないんだよな、みたいな評価で終わって、打ち切りになってしまう作品が一度ヒットした作家の二作目にありがちだ。
そんなことはない、と思いたいけれど、忖度というか、ベテランには意見が言えてないんだろうなあ、というのが一読者からの正直な意見だ。
女性キャラの扱いについても、新人作家の描いている作品では、気を遣っているな、と思うことが多い。燃えがちだったゆらぎ荘も、ラッキースケベがあった後は、主人公はしっかりヒロインたちに謝罪していたし、主人公に惚れる明確な理由がしっかりとある。精神的にも強いヒロインが描かれている。
対比するように、ワンピースでは風呂覗きやセクハラ描写が今でも延々と描かれている。
昔ウケてた漫画家が、昔の感覚でそのまま描き続けている。今回のバーンザウィッチのパンツ騒動も、原因はここだと思う。
昔のジャンプだったら、確実に面白いねで済まされたネタだし、こういうノリの漫画も溢れていた。でも今はジェンダーに配慮しなきゃいけないよね、っていうことを、誰も久保先生に言えてないんじゃないだろうか。
面白さとしても、時代に合わせた作品を求める声からしても、改善してほしいし、もし編集の立場が変わっていないとしても、きちんと配慮、アドバイスしてほしいと強く思う。
年齢対象が指定されているジャンププラスはさておき、ジャンプは小学生の子供も読む雑誌である。大人や昔から読んでいる読者が面白いから良い、でジェンダーネタを昔と同じノリで続けて良いとは思えないし、アクタージュ騒動で、ジャンプはジェンダー配慮を求められる立場にある。
こんなの一読者の推測だし、叩かれてるのがしんどくて書いた雑書きなので、チラシの裏程度の価値しかないけど、ジャンプには長く続いてほしいと思っているので書きました。バーンザウィッチの詠唱は最高でした。
何度目だ?
前にも書いたけど簡単に書いてやる
この流れで、収益化1日目に約1000万円投げられるという事態になった
ちょっとちがうか、発起人とか主催者とか、言い出しっぺになるタイプ、そのくせ日本人より先輩に気を使える外国人
中でもココを入り口にホロにはまった人や、入り口は違えどあさココで他の推しを見つけた人が多いんだよ
ヤンチャしつつも「歌が苦手」とか言いつつ練習するのもアイドルムーブとして正しいよな
応援したくなるし弱みを上手く見せる
歌は絶対やらないとか言って、スパチャ解禁で生歌配信っていうの、上手いよなあセルフプロデュース
人生相談までしてたりしてさ
その後でスパチャ遊び(いわゆる集金ムーブ)みたいなのも覚えてスパチャ額がどんどん伸びる
ああいうの嫌う人もいるけど、大人の遊びみたいなもんだし個人的には楽しんでる奴らが納得してるならねそれでいいと思う
普通は投げないよ、俺だってせいぜい10万くらいしか投げたこと無い
同時接続数の人気度で言えばココよりぺこらとかあくあの方が上なんだよね
3Dになると7万超えるんだけど
それらより同時接続数少ないのに金額で並んでるるしあとかもエグいよね
いい人材揃ってるなあと思った
カバーは運が良いとしか思えない、ぺこらなんて最初面接で猫かぶってたらしいし
ココは最近は英語圏の人たちも巻き込み始めていて、すでに登録者数の半分が海外勢らしい
俺は海外人気も取れたらすごいだろうけど難しいだろうなーと思ってたんだけど
クソコラ、ネタ投稿を増やすのが文化醸造と認知拡大の一助になるってのはネット文化に詳しい奴らならわかるよな
アレ正解だと思うわ
俺はホロライブハウス建ててからの展開も楽しみにしてるからこのまま突き抜けてほしい
目標2億円だっけ?他のリアル配信系ライバーなら既に億達成して豪邸建ててる人いるから不可能じゃないと思う
YoutubeLiveはかなり遅れてるよ
あ、ちなみに私は35Pです
ぼっちで引きこもりなみこココが仲良くしてるの見るとほっこりするんだわ
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10万程度で騒ぐな
ココがすごいのは100円でもめちゃくちゃテンション上げるところだと思うわ
信者はたぶん多いだろうけど、それだけ皆を楽しませてるのも事実だから良いんじゃね?と思う
【世界一雑談】世界一の女になった#桐生ココ【アルティメット感謝】
https://www.youtube.com/watch?v=7euDRog2k7k?t=2630
ココがお前らのこと言ってるぞ
あと龍が如く実況見ろ
https://www.youtube.com/watch?v=czYTe_7ek60
https://www.youtube.com/watch?v=BPiX_UPz7IY
https://www.youtube.com/watch?v=-UeF0ChusI8
https://www.youtube.com/watch?v=WS3D24tBd2Y
つってもキャバ行ったこと無いからひょっとしたらキャバ嬢も同じかもしれないけど
https://www.youtube.com/watch?v=KvirgECtOUk
そういえば17Liveのランカーの知り合いの知り合いなんだけど
あっちはだいぶ文化が違うらしい
まずファンの人数が少なくて、相対的に1人の投げ銭額がでかいとか
投げ銭額で公式がランキングするしね(マージンは50%だっけ? Youtubeは30%、ShowRoomの65%よりはマシだけど)
ココなんて50万人のファンで8000万円だとしても1人160円だから、50万人がペットボトル1本買ったくらいのもんよ
ココより前ってまだ「お金に触れるのはちょっと」っていう雰囲気あったけど
ココは日本人じゃないしはっきり言うんだよね、ありがとう!って
俺はアレでいいと思うよ、見てて面白いし、大道芸みたいなもんでしょ
10万程度で騒ぐな
>教祖に近い
それだそれ
忘れてた
鼻から口にかけてが酷いブサイク。鼻は変に細く尖った鉤鼻で、上唇はめくれ、唇は10代の頃から皺々紫。鮮やかな若者向けリップを塗った時の「無理すんなババア」感が辛すぎる。人中は無駄に長く溝が深く、顎は四角く尖っていておとがいの発達がすごい。耳の形までおかしいし、頬骨は出てるしシミも酷い。
えげつないブスなのに接客業。人権、なし!すれ違いざまにブスと囁かれる、当たり前。酔っ払いに「ブッサイクだなぁ!」と罵られる、あるある。そういう人生。同性からは同情の目を向けられ、異性からは嘲笑され罵られる。
それが、マスクのおかげで一変した。学生時代ブスに悩みマスクを冬は手放さなかったが、それすらも嘲笑の対象になりマスク頼り生活は諦めていた。しかし、今回は違う。コロナのおかげでいつどこでマスクをしていても善人でいられる。
びっくりするほど客からの対応が違う。客が優しい。人間扱いされてる感じがする。専門家として敬われてる感じすらする。信頼されてる。仕事が格段に上手くいくようになった。
あと、外に服を買いに行けるようになった。都心近くに住んでいるのに、ファッションビルには怖くて入れず、いつも通販で服を買っていた。それが今は違う。ショップの定員が怖くない。試着もできる。
マスクのおかけで着たい服が着れるようになった。今までは可愛いと思う服は敬遠して、無印みたいな服しか着れなかった。今は白いひらひらのワンピースなんかも着れる。レース?リボン?花?どんとこい状態。
アクセサリー、ブスには許されないと思って敬遠していたが、今こそコレクションを使う日が来た。ピアス穴も開けた。楽しい。顔を少しでも隠すために暑くてもおろしていたロングヘアを結べるようになった。これ見よがしに大きなピアスがつけれる。
ブスだけどすらりとしていて手足は長い。だから好きな服が似合うっぽい。マスクしてる限り。楽しい。マスクを外した途端服が汚物みたいになるけど。マスクありがとう。
コロナが終わったらわたしのこの素敵な生活も終わるだろう。言っておくけど、ブスでも堂々としてたら可愛いとかはない。可愛い服もブスが着ると服がドブに落ちた汚いボロ布みたいなる。流行りの大胆なデザインの服、可愛い子が着るとハイセンス、ブスが着ると意味不明。だから、コロナ限りの女の子人生。生まれて初めて手に入れた可愛いワタシ。
ひとときの幸福とはわかっているけど目一杯楽しみたい。外食の時にマスクを外した端、隣の席に男に咳き込まれたブスだが、それでも。
ttps://wear.jp/sp/exa24t08/16995931/
ttps://wear.jp/sp/jikowoman/17464011/
ttps://wear.jp/sp/raycassinofficial/17259423/
(視線を上に誘導&バスト周りにボリュームがあるとあまり強調されない)
ttps://wear.jp/sp/mighty725/17161403/
ttps://wear.jp/sp/wear10014/10259522/
(足長&腰回りフォロー)
ttps://wear.jp/sp/yuki630112/17420072/
ttps://wear.jp/sp/yuki630112/17210043/
○ボトムスをズボンにしたいときは、「トップスをコンパクトにしてワイド」or「トップスをオーバーサイズにしてボトムスをコンパクト」を意識して体型カバー&視線誘導
ttps://wear.jp/sp/takahashiai/17118127/
ttps://wear.jp/sp/marumaru1530/16858308/
あとは、同じMサイズでもブランドによって着丈や身幅が違うので、自分の身体に合うと思った推しブランドは買い支えるぐらいの気持ちでリピートした方がいい。
失敗したくなければ、お店で試着したほうがいい。
グラビアアイドルでもインフルエンサーでもいいから、自分の体型や好みに近い人を探してどんどん真似する。
です。
先⽇⾦曜ロードーショーで『打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』を初めて観て、これがなぜ世間で酷評されているのかが私にはわからなかった。この作品に与えらえた不当な評価を少しでも覆すことはできないだろうか、インターネットの⼤海の中に⼀艘でも肯定的な感想を加えられないだろうか、と思いここに駄⽂を書こうと思う。
誰かに伝えるメディアを持たない私が、おそらく一番⼈⽬に触れる場所、⽅法として本来の⽤途とは違う、この場所、はてな匿名ダイアリーをお借りすることをご容赦いただきたい。
私がインターネット上で⾒た感想、この作品の⽋点としてあげられるものは⼤きく5つに分類される。
・主⼈公に対して都合の良すぎる物語
私は映画化された⼩説、ドラマ化されたアニメ、現代化された古典作品、どれにおいても原作が最も優れた作品だと思っているからだ。また以下の考察はすべてアニメ映画を元にしている。
⽣徒が先⽣同級⽣等に対してセクハラを行うことは、若いからと⾔って許されることではない。実際の教育現場で現在⽣徒たちがどのような発⾔をしているのかは学徒でなくなった私にはわからないが、実態とは関係なくそれを映画館という⼤衆の場で晒すということを、フィクションであるならばこそ考慮しなければならない。
上記は台詞による登場⼈物間で⾏われるセクハラである。そしてもう1つ、映像を通して⾏われる観客へのセクハラも問題だ。それは必要のないシーンでの性描写である。もちろん場合によってそれが必要とされるシーンも存在する。主⼈公である中学⽣男⼦が、ヒロインの揺れるスカートに⽬を奪われることはあるだろうし、後述する都合のいいヒロインは主⼈公の意のままに動くことも肯定される。
しかし、ヒロインが部屋の中で着替えるために下着になるシーン。これは物語にとってこの作品にとって必要だろうか。ローアングルでスカートの中をのぞくシーン、これを誰が求めているのだろうか。せっかく⼈格を与えられて動きだした登場⼈物を、お⼈形遊びによって再び創作物へと叩き落す⾏為は、この作品に限らず、こうした作品においてあまりにも散⾒される。これは私が多くのアニメを観るのが好きでない理由でもあり、⼤衆映画として成功するジブリなどのアニメ映画作品と、ただのアニメとの⼤きな境界でもあると私は考えている。
これは主⼈公が新たなストーリーを始める、過去を巻き戻す、ようにみえる、際に起こる、映像の揺れ、歪みを指す。はっきり⾔って邪魔である。主⼈公の既視感の整合を表現しているのだが、この作品中都合3回も繰り返すのだから、いい加減主⼈公も慣れてくれ。初めの1回で観客は慣れている。この表現の過剰さ、強弱の無さがこの作品をやや分り⾟くしている要因であると私は思う。
以上3点においてこの作品を酷評し、つまらないと思っている⽅はもう少し我慢してこの駄⽂を読んでいただけないだろうか。これから4つ⽬について反論し、5つ⽬のわからなかったという⽅のために私なりにこの作品を解説したいと思う。
好きな⼥の⼦が夏休みの間に転校することを知った、主⼈公はその最後の1⽇を⼀緒に過ごすために、うまくいかなかったこと、失敗したことを、もしあの時こうしていればと、何度もうまくいくまで繰り返す。
確かにこの作品は都合の良すぎる物語である。主⼈公は意のままに時を戻すことができ、ヒロインはいつの間にか主⼈公を好きになる。この作品にはハラハラドキドキという⼭場、⾼揚感が⼀切ない。壁にぶつかっても努⼒無しに乗り越えてしまえば、観客たちは何のカタルシスも得られない。感情移⼊も出来ない。
しかしここに⼤きな誤解がある。この作品はタイムリープものではない。主⼈公は好きなように時を戻すという能⼒は与えられていない。彼は主⼈公だからといって特別な能⼒を⼿にしたわけではない。私たち観客も皆持っている能⼒を使って物語を作っている。それは「もしも」である。
この作品はすべて主人公の妄想である。実際に時を戻しているわけでも、本当のヒロインが主⼈公のことを好きになったわけでもない。ただ妄想の世界で主⼈公が願った通りに物語が進⾏しているだけなのだ。すべてが都合良くいくのはこれが理由だ。
⼀般に妄想で物語を終えることは、くだらない、夢オチかよ、などと⾔われるが、この作品においてはそれが許される。なぜならくだらない妄想への批判こそがこの作品の根幹であり、テーマであるからだ。
単⼑直⼊にこの作品を述べると、
【好きな⼥の⼦が⾃分を好きになってくれない現実を受け⽌められずに、妄想の中で⾃分のことを好きな彼⼥を作り上げる、という思春期の愚⾏】
を丁寧に描いた作品である。原作が、恋愛と友情との天秤を主題に据え主⼈公に⼩学⽣を置いたのに対し、思春期の始まりである中学⽣を主⼈公としたのはここに意味がある。
ではどこまでが現実でどこからが妄想なのだろうか。いつからヒロインは主⼈公に都合良くなっていったのだろうか。この作品の現実はこうである。
主⼈公を差し向けるという形でライバルに振られたヒロインは、親に無理やり⼿を引かれて引っ越す。それを⾒た主⼈公はライバルを殴る。新学期が始まり、先⽣が名簿を読み上げる。そこに転校したヒロインの名前はなく、主⼈公は学校に⾏っていない。
つまり「もしライバルに⽔泳で勝っていたら」からラストシーン⼿前までがすべて妄想である。
妄想であるという根拠は後述するとして、この作品をわかりにくく、かつ魅⼒的にしている謎について先に解説していきたい。
ヒロインは花畑で主⼈公に何を語ったのか。そして主⼈公はなぜライバルを殴ったのかである。
このシーンを境に妄想が始まっているので、妄想の動機、この物語において最も⼤事な出来事であるといっても過⾔ではない。
この物語の中で唯⼀、意図的に観客に隠されているシーンがある。それはライバルの代わりにヒロインを病院へと迎えに⾏った主⼈公と、ヒロインとの会話である。
「なんで島⽥くん(主⼈公)が勝つと思ったかわかる?」
その後に続く台詞は省略され、次のシーンではヒロインは主⼈公から⾛り去ってしまう。これを聞いたことで主⼈公はライバルへと怒り、結果として殴ることになる。ではその内容はどのようなものであっただろうか。
ヒロインがライバルにプールで告⽩をし、花⽕を⾒に⾏こうと誘ったこと。しかし振られてしまったこと。再婚で転校しなければならないこと。そのために「家出」をしたいこと。その後の妄想の種となる部分を聞いたのは間違いないだろう。ただそれだけではないのは明確である。それだけのことなら省略する意味がないからだ。
ここで妄想前後のライバルの変化について注⽬したい。プールで勝ったライバルは、主⼈公がヒロインを好きなことを知っていて、それを応援している。主⼈公とヒロインが⼆⼈きりになるようくだらない理由をつけ、また逆に⾃分とヒロインが2⼈きりにならないよう振舞っている。しかし、プールで負けた彼の態度は⼀変する。主⼈公とヒロインが2⼈きりでいることに苛⽴ち、主⼈公への不満を露⾻に表す。後者は主⼈公の妄想をもとに作られているということは重要な点だ。妄想後にプールで負けたライバルは妄想前にプールで負けた主⼈公と同⼀なのである。
ライバルは⾃分へと向けられているヒロインの好意に気付いていたのではないだろうか。しかし、⾃分はヒロインのことを、少なくとも主⼈公がヒロインを想うよりは、好きではなく、告⽩されても振ると決めていた。なぜならそれに対して主⼈公が苛⽴ち、ライバルへ不満を持つことをわかっていたから。そしてライバルがそのように思っていることを、ヒロインも察知していたのだろう。それが上述の発⾔「(主⼈公)が勝つと思った」につながっている。
転校前に最後の思い出が欲しかったヒロインは、ライバルへの告⽩を決意する。その結果はライバルが⼿を抜くという形で、主⼈公の勝利という形で、実際に想いを伝えることなく、判明する予定だった。しかし、実際には主⼈公のアクシデントによってライバルが勝ち、主⼈公の⼝からヒロインは⾃分がライバルから振られたことを告げられる。
そのことを聞いた主⼈公は、親に⼿を引かれるヒロインが「助けて」と⾔った相⼿が本当は⾃分ではなかったこと、ライバルのヒロインへの適当な態度に対して怒り、ライバルに殴りかかったのだ。
そして主⼈公の妄想が始まる。もしあの時⽔泳で勝っていたら、ヒロインがライバルに振られることはなかったのではないか。ヒロインを助けるのは⾃分だったのではないだろうか。ヒロインは⾃分に対して告⽩してくれたのではないか。
妄想であり、ヒロインは⾃分のことが好きではないとわかっているから、花⽕⼤会へは誘われるものの、告⽩は⽔の⾳にかき消されて主⼈公の⽿へは届かない。
この告白のシーンは主人公自身だけでなく、観客をもごまかし誤認識させている。プールで勝った方を誘うと言うヒロインの言葉をそのまま信じてしまえば、主人公が勝ったことをヒロインが喜んでいるかのように、まるで現実では主人公のことが好きだったのに負けてしまったから不機嫌になったかのように誤解してしまう。制作者は上述した会話の意図的な省略により、ここで主人公と共謀して観客を妄想の中に引き摺り込んでいるのだ。
妄想が進むにつれて、主人公はヒロインを自分の都合の良いものへと作り替えていく。「家出」であったはずのヒロインの⼩さな反抗は「駆け落ち」へと変わり、浴⾐から⽩いワンピースへと⾐装が変わる。
主⼈公は⼀度は変な花⽕の形を⾒てこれが妄想であると気付くものの、妄想の中のヒロインに2⼈でいられるならどっちでもいいと⾔われ、世界を好きなように変え始める。海の上を⾛る電⾞、レンズに囲まれた世界。
「これは典道くん(主⼈公)がつくった世界なんだね」
世界のおかしさを気にする主⼈公に対し、同じおかしな存在である妄想のヒロインは世界をおかしいとは気にしない。その後主⼈公の望み通りにキスをしたヒロインは
「次会えるのはどんな世界かな?」
という⾔葉を残していなくなってしまう。
そして主⼈公は妄想の世界から抜け出せないまま、現実が始まる。主⼈公が今も妄想の世界を渡り歩いているのかは明らかにされずに物語は終わってしまう。
上記の論の根拠となる、妄想の開始位置を示す手掛かりは3つある。
1つ⽬は⾵⼒発電のプロペラの回転方向である。現実では時計周りに対し、妄想が始まると反時計回りに回り始める。おかしな世界になってからはプロペラが回転を止め、妄想世界が破綻すると再び時計回りに動き始める。
2つ⽬は「茂下(もしも)」という駅名、町名である。駅舎や標識などで度々映り込むこの地名は、現実世界では⼀度も登場しない。
そして3つ⽬、ヒロインの表情である。同じシーン、プールサイドでの告⽩で比較するとその差が顕著であるが、現実のヒロインは感情を顔に出さないのに対し、妄想のヒロインは常に笑顔で表情が豊かである。これこそがこの世界は主人公の妄想である明確な根拠と言える。今⽬をつむり、頭の中にあなたの好きな⼈を思い浮かべて欲しい、おそらく彼、彼⼥はあなたに対して微笑みかけているはずだ。
『打ち上げ花⽕、下から見るか?横から見るか?』は、誰しもが思春期の始め、クラスメイト、芸能⼈、またはアイドル等々を相⼿に、通ってきた道、妄想という愚行を再体験させる、素晴らしい⻘春映画だ。もちろんこれは私なりの解釈であり、皆さん⼀⼈⼀⼈の考えを否定するものではない。ただ私のこの⽂章を読んでいただいた⽅が⼀⼈でも、もう⼀度この作品を観返そうという気持ちになって頂けたのなら、幸いである。