はてなキーワード: レクサスとは
突然だけど、私はクラクションの音が苦手だ。
どこかでクラクションが鳴るだけでビクッとするし、
プーーーー!っと鳴らし続けているのを聞いてしまうと動悸がするほどだ。
注意喚起の意味を込めてあえて不快と感じる音にしているのかもしれないが、
あのクラクション音のせいで、イライラが増加して運転が荒くなったり
トラブルの元になったりしているのでは?とすら思う。
あの音のせいで「譲ってくれてありがとう」という意味でのクラクションすら
あまり心地よく感じられない。
デカい黒塗りのクラウンとかレクサスはよく繁華街でクラクションを鳴らしてるけど、
ああいう高級車のクラクション音は重低音が効いていて意外と不快じゃなかったりする。
先日友人の乗っているルノーの小さい車に乗ったのだが、そのクラクションが
ちょっと気が抜けた「プォーン!」みたいな音で、これはすごくいい!と感動してしまった。
他の車もこういう音だったら街中でビクってすることも少なくなるし、
このイライラが蔓延した社会も少しはマシになるんじゃないかとすら思った。
(でも、最近のルノー車は他の日本車と同じような音に変わってしまったらしい…)
次は音のデザインにも是非こだわって欲しいなと思う。
理系はてなーのみなさんは、MIRAIに関するさまざまな問題点の指摘をすでに目にしているだろう。
曰く、水素自動車に使われる水素は結局は電気で作るほかなく、その電気は化石燃料含めた既存の発電設備で作る。化石燃料をそのまま使う内燃機関車や、電気の段階でエネルギーを受け渡すEVより多段階のエネルギー変換をしているわけだから、そのぶんエネルギー効率が落ちている(実際、コストで比較するとHVやEVよりも燃費は悪い)。水素ステーションという社会的インフラ基盤を整備するコストも高い。液体ではなく気体を扱うわけだから設備にもそれだけ高い保安性能が要求される。1拠点で1億円かかると言われている。エネルギーロスがある技術に、多大な社会的投資が必要になる。
これらはすべて、MIRAIという車両の「川上」に属する問題だ。でも、MIRAI自体の問題について指摘した文章をあまり目にしていない。そこにこそ「MIRAI(FCV)には未来がない」ことの雄弁な証拠があるというのに。
なんでMIRAIには未来はないと思うのか。端的に、でかすぎ、重すぎなのだ。クラウンよりも5mm短くて横幅が15mmでかい。同サイズ以上。車重は2000kgオーバー。定員は4名で、後部座席の足元は前席下に入らない。トランクは狭小。これが、FCVに未来がないことの証拠だ。
そんなことがなぜ問題なのか。「初代の実験的販売車だからいいじゃないか。そのうち改善されていくだろう」。そうではない。たとえば初代プリウスはMIRAIより全長が600mm、横幅は100mm短く、車重は1200kg台で、定員5名だった。MIRAIより800kgも軽いのだ! 初代プリウスをあれだけコンパクトなパッケージにまとめたトヨタが、MIRAIでは会社の命運を賭けてもここまでのパッケージングしかできなかったということが、FCVの将来を暗示している。MIRAIはHVに比べても、積載している技術要素が多く、しかもそれぞれ小型軽量化するのが困難な技術的制約があるから、この大きさと重さになってしまっている。以下、それぞれの技術要素について言及する。
まずFCスタック、燃料電池部が重くてでかい。この重さと大きさでどうにか155psを確保した。2tを超える車重を動かすにはおっつかっつのレベルだ。しかも、その性能(重量出力比)を規定しているのが化学反応の領域なので、技術革新のペースが電子技術や機械技術よりも格段に遅い。これは燃料電池だけでなく、電池技術の一般的な命題として知られている。実用車として必要な出力を確保するには、大幅な小型化は難しいだろう。
高圧水素タンクも重くてでかい。でも、これ以上小さくすると650kmという内燃エンジン車の平均的航続距離を切ってしまう。タンク圧を上げればそれだけリスクが増す。現状でも水素自動車スタンドでは危険性を考慮し、専任オペレータがチャージしなければならない(=セルフ補充はできない)仕様なのだから、これ以上の高圧化の可能性はないだろう。そしてタンクの耐用年数は15年だ。しかも2年毎に定期点検が必要になり、一般の車検場では検査はできない。とてもエコだのサステナビリティだのを胸を張って主張できるような代物ではない。
水素ガスの供給系も重いしでかい。燃焼性の液体を発火プラグの直前で気化する内燃機関に比べて、気体を高圧タンクからスタックまで送り込むのだから、配管の気密性もポンプの性能も桁違いに保安基準が高く、それだけ重く大きくなる。これも技術的制約であり、簡単に解決できるようなものではない。ちなみにこの車には数ヵ所に水素ガスのガス漏れ検知装置がついている。
廃熱系も重くてでかい。水素自動車は水しか排出しない。つまり排ガス経由で廃熱を抜けない。しかし燃料電池部分はかなりの発熱を伴う。FCスタックで起きているのは、酸素と水素から電気と水と熱を作る反応だからだ。だからあの異形の巨大グリルが必要になり、その内部に大型のラジエーターが鎮座している。これも化学反応の特性に紐付けられた制約だから、技術革新で容易に克服できるものではない。
バッテリも、EVほどではないにしろ、それなりに重くてでかい。FCスタックだけでは柔軟な出力制御や回生はできない。だから大型の補助バッテリセルを積んでいる。FCスタック+モーター+バッテリというパワートレイン。これエンジン+モーター+バッテリとパラレルな、要はHV車と同じような構成なのだ。HV並みにパワートレインの構成が複雑で、構成部品も多い。しかも可燃性気体を扱うぶんだけ重く大きくなる。これは技術革新だけでどうにかできるような問題ではない。FCVという特定のテクノロジーの組み合わせによる、固有の限界、固有の制約というものがある。それがMIRAIの初期モデルの性能と価格を規定している。こう説明すれば、理系はてなーは直感的に「あっこれ、技術的に筋が悪いな」と感じるのではないだろうか。
だから値段も高い。補助金なしなら700万円オーバーだ。そこに、国民の皆様の血税が220万円注ぎ込まれて、やっと500万円程度になる。ちなみに初代プリウスは補助金なしで215万円だった。おわかりいただけただろうか。だからMIRAIには未来がないのだ。
2021年6月16日、ホンダ・クラリティFuel Cellの生産中止が発表された。ホンダ、FCV生産中止 販売低調で : 日本経済新聞 理由は販売低調。そりゃそうだ、高い(783万円)、でかい(全長4915mm・全幅1875mm)、買いにくい(リース専用)。2021年6月時点でも全国の水素ステーションの数は147箇所止まり。助成金たんまり乗せて官公庁と法人に買ってもらうしかマーケットがない。そもそもクルマとしてのユーティリティが乏しいFCVで、さらにあえてホンダ車を選ばなければならない自治体や企業はほとんどない。全世界での累計販売台数はわずか1900台だったそうだ。FCV全体を断念するわけではなくGM合弁でFCVは続けるということだが、あくまで保険的なムーブだろう。
もう一方のトヨタ・MIRAIはどうなったかといえば、こちらも累計販売1万台・国内販売3700台と全く振るわない状況だったが、2020年12月にガラッと雰囲気の変わった2代目が出てきた。https://toyota.jp/mirai これが実にお見事なのだ。といっても「これなら売れる! FCVの時代が来た!」という意味ではない。5年前にこの増田で書いた諸問題をまったく解決できないまま、それでも「FCVには将来性がある」という幻想を維持するために、針の穴に糸を通すようなコントロールで商品企画をやり直し、それにある程度成功している、ということだ。
どういうことか。まずボディサイズだ。レクサスLSと同じGA-Lプラットフォームを採用して、全長4975mm・全幅1885mmに。ちなみに初代は全長4890mm・全幅1815mmだった。初代よりひとまわりデカくなっているのである! 価格は? 細かくグレードを刻んで710万円〜860万円。こちらも高くなっている! 高圧タンクはどうなった? なんと3本に増槽している。しかも1本は運転席の真横に据え付けられている。
全幅1885mmにして、巨大なフロアトンネルにも水素タンクを入れて、750〜850kmという航続距離を確保。全長4975mmにして、ゴルフバッグ3個分のトランクを確保。大径タイヤを採用して地上高を上げ、タンク寸法を拡大。とにかく、全体をデカくすることでどうにかした。「技術的課題を解決しないという解決をした」ともいえる。
一方でトヨタはさすがだなと思うのは、そういう「FCVの限界に気づかせないための、ほぼ唯一の正解ルート」を新型MIRAIでちゃんと選んでることだ。上司に「お前、FCVなんとかしろや」と言われた時に現場が練ってくる商品企画としては、ほぼ100点満点といえる。つまり、デカさと高さを「これはあくまで高級車、ラグジュアリーカーなんですよ〜」という建て付けにすることで、「要素技術的に小型化・低価格化が困難」という自家用FCVの致命的欠点を希釈したのである。
自家用FCVの「デカい・狭い・高い問題」を誤魔化せるのは、もともとボディサイズが大きいスポーツ寄りの大型セダンか大型SUVぐらいしかない。だがエコカーの上得意である自治体や法人はSUVを買わない。だからMIRAIは「レクサスLSみたいな、スポーツ寄りの大型セダン」になった。2代目MIRAIは、顔つきこそスポーツカーっぽいが、シルエット的にはギリギリ自治体・法人用のショーファードリブンカーにも富裕層向けのドライバーズサルーンにも見えるし、実際に両方のニーズをそこそこ満たせるように作ってある。辻褄は合ってる。
ショーファードリブン用途に供するために、狭い車内で後部左右席をめいっぱい広く取った。だから後部中央席は実用に向かない。あくまで「5人定員」というカタログスペックのためのエマージェンシーシートだ。これはファミリーカーなら大きな欠点だが、ショーファードリブンやドライバーズサルーンなら別に困らない。ほとんど使わないから。辻褄は合ってる。
後部中央席を実際に使わない想定なら、フロアトンネルを大きくしてそこに水素タンクを増槽してもいいよね、となる。結果として航続距離が伸び、600km→850kmになった。これで水素ステーション不足の問題をある程度緩和できている。辻褄は合ってる。
ガッチガチの制約条件の中で唯一の正答を導く論理パズルみたいなことになってて、しかもちゃんと正解してる。さすがトヨタ。だがこれは「やっぱりFCVで大衆乗用車(5人乗り+5ナンバー)を作るのは無理でした」という事実上の敗北宣言でもある。やはりMIRAIには未来がないのだ。
おそらくトヨタも、自家用FCVという路線にはもう勝ち目が薄いと認識していると思う。そこで繰り出してきたのが水素エンジンという隠し球。技術的にはそう目新しくなく、過去にも複数メーカーが販売している。ただカーボンオフセットが問題視される以前は既存のガソリン内燃車に比べて全く優位性がなかったし、そもそも世の中に水素燃料のサプライチェーンが存在していないから普及することもなかった。
でもFCV普及が厳しくなった今、水素エンジン車は、既存自動車メーカーが手持ちの技術資源を使ってEV勢に対抗しうる希少な選択肢になる。内燃で培った基幹技術の多くを使い回せるので、今からでもイノベーションで先行するEV勢にキャッチアップしやすい。ミッション系ほか大手下請サプライヤーもそのまま連れて行ける。ガソリンに比べて重量エネルギー効率はかなり悪いが、お得意のHV機構と絡めれば何とか燃費も実用域まで持っていける可能性はある。官民を巻き込んだ水素ステーション全国展開というプロジェクトの延命もできる。モジュール化に不向きなので中長期ではEV勢に対してどうしても不利になっていくが、レガシーの技術を延命させて戦えるとこまで戦うというのも旧主派勢力の立派な戦略だ。3代目MIRAIは、出るとしたら普通の水素エンジンHV車に生まれ変わっているかもしれない。
(続きを書きました https://anond.hatelabo.jp/20210820195856
1冊だけ薦めるなら「100万円超えの高級時計を買う男ってバカなの? 」って漫画がオススメ。安いし。
機械式腕時計のうんちくを学びながら、何故に高くなるのかが読めて楽しいよ。
(100万円超えに限らず、機械式腕時計全般の理解が進むと思う)
車好きなら、腕時計も車と靴の間くらいのイメージで選ぶと良いよ。
例えば、いくら車好きでも、営業先にレクサスで乗り付けないでしょ。感じ悪く無い?
逆に、保険の営業に軽自動車で回っても馬鹿にはされないけど、デートに軽トラでは行かなくない?
とは言え、ポルシェで葬式に乗り付けても、そこまで非礼では無い、くらいの感じ。
で、車と同じで時計もメンテが居るんだけど、部品点数とか耐久性で違いがあって、
この順番で、メンテが頻繁になって、オーバーホールが必要になる。
ざっくりクォーツデジタルなら2~5年に一回電池交換、10年に一度修理で使えるけど、
機械式アナログだと、3~5年でメンテ、10年に一度はオーバーホール必要な感じ。
(ソーラー電波みたいのでも、二次電池って充電池が10年位でヘタる)
なので、初心者が腕時計を買うなら、TPOに合わせて好きなのを買うと良いよ。
できればクォーツアナログで、盤面は白か青か黒系、ステンレスケース、メタルバンド。
2本目は、同じくクォーツアナログで、盤面白系、黒か茶の革ベルト。
冠婚葬祭時には革ベルトしていけば、後はまあ気分でどっちをつけてても大丈夫だよ。
セイコー、シチズン、カシオなんかは、丁寧に探すと、激安(5000円以下)で、まあまあ普通に見えるやつある。
(ソーラーとか電波とかついてなくてその値段ね。なお、頑丈で安い実用時計なら現状ほぼG-SHOCK一択)
機械式腕時計が良いんだ!だったら、国産で5万前後の探すのが良いと思うなあ。質感も満足できるレベルであるよ。
個人特定できんとこでやっても仕方ない、というのはその通りだと思う。
嫁にレクサス買い替え反対されたとかのみると
リアルでも「私は論理的、おまえは感情的(で馬鹿)」みたいな態度とって
人間関係こじらせてるんじゃないか
と思って。
その、レクサスのRX には、お前さんとの楽しい思い出がいっぱい詰まってるんじゃないの?
それを値段が安いから、売却したおカネで全額まかなえるから買い換えるわ。
なんて言ったら、そりゃ反対するでしょ。
大切な思い出はプライスレス。
それを捨てるなんて、まさに、もったいない。
嫁じゃなかったら、まじでぶん殴ってるレヴェル。
自慢するわけじゃないが、僕はそこそこ年収が高い。
いま乗ってるのがレクサスのRXで確かにまだ2年経ってないが、もうすぐ出るNXに一目惚れし、買い換えたいと嫁に言ったんだ。
今のクルマより安くなるので、またRXは異常に下取りが良いので、売却したおカネで全額まかなえる。
そこで、嫁にお伺いを立てた。
クルマを買い換えたいと。
そしたら、頭ごなしにダメと言いやがる。
そこで、おカネの持ち出しはないから、もったいないことはないだろと言うが、もうぜんぜん話になんない。
酒も飲まない、タバコもギャンブルもやらない、趣味は仕事というエコロジーな僕がたまにモノが欲しくなり、自分のカネなんだから勝手に買ってもいいところを、一応相談したらコレだよ。
それに納得したら、ごねたりなんかしねえよ。
なんで女は、理屈でモノいえないんだよ。
あーまじで腹立つ。
ラレ、じゃなくて、リの方ね。
結婚してたり彼氏がいたり、誰かに所有されている女性を寝取るのが止められなくて困る。
都内でゴルフのインストラクターをやってるんだけど、暇をもてあました主婦がやってきては、「夢は主人とラウンドすることです。」とかアンケート用紙に記入していく。もちろん、主人が彼氏、の場合もある。そうした主婦は小金持ちが多い。車はレクサス、BMW、Miniが多い。何回か指導して、「上手になりましたね。練習ラウンドとか行かないんですか?」とか聞いて、「行く相手がいない。」となるとこっちのもの。「平日休みなのでお付き合いしますよ。いい練習用のコースがあるんですよ。」というと結構簡単にオチる。そこのコースは昼間からでも十分間に合うので、旦那さんが仕事に行った後に出発しても余裕でラウンドできる。あまり詳しいこと書くとバレちゃうから書かないけど、穴場だし、初心者にはうってつけのコース。
ゴルフは指導のとき、肩とか腰をどうしても触らざるを得ない。そういう時に密着するので、喰えるかどうかはその時に分かる。中には、自分からお尻を押し付けてくる女性もいる。一度、超エロい子がやってきて、勃起してしまったんだけど、それに気づかれて気まずい思いをしたこともあるくらい。はずみでペニスがあたっちゃったんだけどごまかしきれなくて、「奥さんが悪いんですよ。」とか言ったら満更でもなかった。
とまあそんな感じで練習ラウンドに付き合って、コースの近くにあるラブホで19番ホール、もしくは9番ホールに挑む。
ただ一度セックスを覚えちゃうと、ゴルフそっちのけになってしまう人妻もいて、それはそれで困る。ゴルフの後にセックスするのが良いのであって、セックスだけ、というのは燃えないから。
でも、そろそろ生徒の大半を喰ったので、ドロンするつもり。
また別の街へ行ってリスタート。
それでもNTR(ネトリ)は止められない。
スラムダンクの谷澤思い出した。
バスケットの国アメリカの空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなぁ・・・
本を読むだけで僕は人より知識を得たと思っていたのかなぁ・・・
バーで男子大学生が自分より知識が無いと見下して、自慢げに難しい本の一説を暗唱するシーンを。
話がツマラナイだの書いているが、話ってのは自分と相手でするもんだよな?
話がツマラナイのは半分は自分のせいではないのか?
本は話しかけても答えを返してくれない。本の読み過ぎで人と接することの面白さに関して感覚が鈍ってしまってないか?
世の中にはまだまだ文字を読めない人がいる。
そういった人達が価値観の相違を認める事ができずに、コミュニケーションの基礎ができてないとでも?
ところどころに感じる違和感。
そうおれのイキりスカウターが反応するんだよな。
「ほっほっほっあなたの年間読書数は30冊ですか、私は56万冊です。」
ドヤ顔感が鼻につくよね。
信号で停まっている軽自動車に向かってレクサスですけど何か?的な感じ。
挙げ句の果てに
「本を読めばあれくらいのことは誰にでもできるのです。」
とのたまう始末。
もうね、バカ。真性の。
実際には「本を読めば、人を見下すくらい誰にでもできるのです。」が妥当。
それは書いている文章を読んで本当に感じた。
もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。
15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。
ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。
いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。
努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説や漫画を読み、寝食を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。
当然学校の勉強なんてついて行けるわけが無く、中学時代は教科書が記号に見えたし、英語なんて未だに主語と動詞も理解していない。
それでも高校も3流だった事が功を奏し、比較優位の問題で成績は悪くなく、小論文と面接で大学は受かった。第二次ベビーブームの終焉による学生不足という学校側の都合もあったと思う。
もちろん、私立、文系、低偏差値、別居という4重苦に対して多大なる投資をしてもらった親があってこその入学だった。
入学して最初に感じた事は、大学は人種のるつぼだったという事だ。政令指定都市の3流私立なんて、政令指定都市のご子息が集まるはずもなく、僕の様な「はぐれ者」が全国から集まる事になる。
いきおい、出身もバラバラ、年齢もバラバラ、バックグラウンドとしての知識もバラバラなやつらに囲まれる事になる。それだけでも相当面白い。
また、皆一人暮らしな事から寄り集まる事も多く、各地の料理や故郷観とも言うべき価値観などもゆるやかに共有していくコミュニティが作られる事になる。
その政令指定都市の中でも15くらい偏差値の高い大学に在籍した妻の話を聞くと、周りは政令指定都市のご子息だらけで、実家または遠くても近県出身が多かったとの事なので、これは偏差値というより立地と偏差値がパラメーターになってバリエーションが変わってくる様だが、多様な価値観を知る事ができ、感じる事ができるというのはどこの大学にも共通した価値だと思う。
曰く「社会に出てからの仲間には必ず損得勘定が働く。君たちは損得勘定抜きでつきあえる最後の仲間だ。大切にしろ。」
おぼろげながら社会の厳しさを想像していた僕には、目から鱗な一言だったが、今でも確かに一理ある。と思う。
低偏差値大学であればあるほど、なんというか社会に出てからのバリエーションが豊富(?)なため、価値観にも違いが出てきて、仕事の話や生活の話はしにくくなるが、今でも合えば当時に戻って文字通り損得抜きで話ができる大切な仲間ができたというのは財産だ。
逆に偏差値の高い大学に入るメリットも、まさにここだろう。低偏差値の場合は損得抜きの仲間を作れるが、偏差値が高いと損得有りな関係を構築する事が可能だ。
今後いつまでこの状況が続くかわからないが、就職というのが卒業生大多数の選択肢となる現代日本においては、偏差値の高い人達は価値観が似通う仕事をしている割合が多いようにみえる。
結果、社会に出てからも有用なお付き合いができる仲間が持てる。という事になる。正直これはうらやましい。
研究内容や就職しやすさなんてのは些細な話で、この一点においてのみ、僕は高偏差値大学がうらやましいなと思う。これが必要だと思う人は頑張って勉強して偏差値の高い大学に入って下さい。
ただし、これは低偏差値出身でも高偏差値の人達と付き合ってると、次第に増えてくるものなので、何が何でも学生時代に得なきゃいかん!というわけでは無い。ちょっと座布団ひいて社会人生活をスタートできる。という程度の話だ。
大学に入ると教授という生き物が居る。低偏差値大学は、この大学教授の距離が異様に近い。
これは卒業して他校の話を聞いてはじめて知ったが、低偏差値大学の教授はある種学生に諦めにも似た境地を持って接しているため、権威誇示などという無駄な事に労力を使わない。
普通に研究室へ行けば居る人という近所のおじさん感覚で教授と会話できるのは、低偏差値大学ならではのメリットだろう。
低偏差値大学は遊びに来ている学生も多い事から、少し普通に学生ぶってみるだけで、その道の専門家の豊富な知識と多様な人脈が面白い位簡単に手に入る様になる。
これは有形無形の様々な価値を僕にもたらしてくれた。当時の研究内容は教授の助けもあってそれなりに面白いテーマにできたし、それは社会に出てからも自分の専門領域として高偏差値出身の人達との目線併せという意味で一役買ってくれている。
また、師事した教授の人脈で直接師事していない教授を知り、そのつてが就職にも有利に働いた。
何よりも「答えの暗記」ではなく「問題を考える」という事に慣れる事ができた事は大きい。今にして思えば、なんで高校までは考える事を教えないんだろう??実は聞いてなかっただけで教えていたのかな。
ほんの少し吐き出そうと思ってたら、意外と長くなってしまった。もう一回要点だけまとめてみる。
文系でも私立で一人暮らしとなったら、余裕でレクサスを買える位の金を払って大学に行く事になる。それなら、十二分に喰い物にしてやろう。という気持ちで臨めば、低偏差値大学には低偏差値大学なりの得られるメリットはあるので、前向きな気持ちで入学してください。新入学おめでとう。
自動車産業が抱える問題って、現在の日本の置かれた状況を象徴するものだよなぁ、と思い、少し掘り下げて考えてみた。「推測」と書いたのは、バックデータ・統計資料にわざわざ時間をかけてあたる暇はないので、状況証拠だけで考えていくということだ。暇な人、もしくは自動車産業関係者のマーケターの方、もしくはマクロ経済の専門家様、データを元にこの推測、といいますか仮説を検証してみてくださいませ。
「自動車の国内市場規模は縮小の一途。特に若者がクルマに興味を持ってくれない。」というのが、業界的に広く共有された悩みのよう。その典型的な事象の捉え方が痛いニュースのこの記事。
痛いニュース(ノ∀`) : “若者、車離れ” 日本国内で車売れない…トヨタ、本気でアイデア募集 - ライブドアブログ
この2ちゃんねるまとめブログで、板の題材として選ばれている記事がこれ。
国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集 (1/2) : J-CASTニュース
ま、痛いニュースとJ-CASTなので、、、、、でも、こういうメディアって、一般的な状況の捉えられ方やルサンチマン的なストレスを推し量るには本当に都合がいい。でもJ-CASTの元記事にはファクトデータも載っている。ちょっと引用してみると、
国内での販売は2年連続の減少だ。ダイハツ工業、日野自動車を含めたトヨタグループ販売は前期比同4%減の227万台と、米国販売との差が広がる一方だ。国内市場全体の落ち込みより減少幅が小さかったため、トヨタのシェア(軽自動車除く)は過去最高の45.8%まで上昇したが、トヨタ車単独で11万台の減では、シェア上昇も手離しで喜べない。
国内の自動車需要(全需)は、2006年度の軽を除いた日本国内の新車販売は前年度比8.3%減の358万台と、29年ぶりの低水準だ。登録車市場の低迷の原因としては、経済性や実用性を求めて軽自動車に人気が移っている影響とされてきた。しかし、軽を加えても同4.1%減の561万台であり、国内市場全体が収縮していることが鮮明になっている。
要は、
ってこと。ちなみにこの元記事は1997年という4年前のもの。
で、その対策として当時のトヨタは、
トヨタは06年末に社内横断的なチームを立ち上げ、国内低迷脱却のアイデアを懸命に探り始めた。
対策チームは、自動車という商品の枠内だけで解答は出さず、地域や社会全体の問題の中で消費を喚起する自動車を改めて模索している。携帯電話などの情報関連の支出が増えた若者の「車離れ」や、少子化による若年人口の減少による市場構造の変化を深刻に受け止め、車が売れなくなった構造要因に真剣に目を向けざるを得ない。地域ごとの特性や家庭の年代構成、消費者の行動なども踏まえて自動車市場全体を抜本的に洗い直そうというものだ。
少子化対策は政府でも有効策を打ち出せていない難題中の難問だ。それでも、トヨタの渡辺捷昭社長は「国内市場を活性化するためには、何よりも市場創造型のいい商品を投入することだ。地域の活性化を含めて、いろんな手を打っていきたい」と、社内チームの試みに大きな期待を寄せている。
というわけで、「国内市場をどうにか活性化させるための手を打ちたいと考え、具体的なアクションを起こしている」というメッセージを打ち出したわけですね。
それに対して2ちゃんねる側の反応はだいたい2分されていて、
となっている。
で、このあと2010年になってどうなったかというと、、、、市場動向、トヨタの対応、そしてネット民wの反応がツンダオワタ情報にまとめられている。(本当は産経新聞の元記事URLを引きたかったのだが、既に削除済み。というわけで、元記事の存在証明はないところはご容赦を。(だから、論文とかでは、データとしては使えないなぁ、、、増田で使うのが精一杯。)
豊田社長「マスコミは若者の車離れと言うが、離れているのは私達メーカーではないのか」 - ツンダオワタ情報
まずはトヨタがどのような手を売ったのかというと、、
トヨタは今年1月に「スポーツ車両統括部」を立ち上げ、スポーツカーの企画や開発に関する最終権限を経営陣から現場に移譲。スポーツカーの復活とともに、走る楽しみを演出する複数の
プロジェクトが始動している。足回りの良さにこだわった特別仕様車を相次ぎ発売。4人乗りで世界最小の「iQ」6速MT搭載限定車は予約開始から1週間で完売。
9月3日。強い日差しの下、静岡県小山町の富士スピードウェイで、1台のスポーツカーが強烈なエンジン音を響かせていた。12月から世界限定500台で販売が予定されている高級
スポーツカー「レクサスLFA」(価格3750万円)。報道関係者らを対象にした試乗会が行われていた。LFAの最高時速は325キロだが、この日は1周4.5キロのコースを約2分で駆け抜けた。「ハンドルを握ったときにドキドキ、ワクワクするクルマをつくりたい」自らレースにも参戦する豊田社長は常にこう言い続けてきた。
つまり、
のようにスポーツカーに活路を見出そうとしているよう。
でも、その結果は、、、、「文中の」ファクトデータを洗ってみると、、
クルマが売れない。昨年の国内新車販売台数は約460万台と、ピーク時(平成2年)の6割程度にまで縮小している。景気低迷が一因だが、一般的には若者のクルマ離れが最大の理由とされている。調査によると、大学生の「興味ある製品」でクルマは17位(20年度)と、40~50歳代が大学生だった当時の7位から大きく後退している。
要は、
ということ。ただし、MTのiQは限定台数を売り尽くしたし、Wikipediaの記述を見るかぎり、LFXもきちんと台数は捌けているよう。要は、「作ったクルマはちゃんと売れたけど、市場全体の構造を変えるまでに至っていない」ってことですね。それに対するネット民wの反応は、1997年の痛いニュースから、全く変わっていないというのも面白いところだ。
結局のところ、市場の縮小は人口減少トレンド下では不可避。でも、せめて若年層にクルマを運転する楽しみを知ってもらい、高付加価値のクルマを継続して買ってもらえるようにすることで、市場構造の問題を少しでも緩和したい、っていうところだと思われます。少なくとも、ここまでに取り上げた情報ソースからすると、、、、ですが。
まず、「若者」という括りに対してツッコミがあるというのは、甘んじて受け入れよう。というか、全面的に納得せざるを得ない。で、話を単純化するために、母集団を「大学生」という括りに絞ってみることにする。大学進学率が上昇し、それによって「大学生」という母集団の性質が変化したという点については、「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」という小樽商科大学の学報掲載記事をご覧いただければ一目瞭然。(ああ、やっと真っ当なデータリソースを挙げることができた、、、ホッ。)
であれば、「大学生」よりも、より限定した形で母集団を設定しなければ、まともな時系列比較ができない、ということになる。でも、そんな統計はまともに存在しないだろうなぁ、、、、ということで、ここからは、私の実感という超主観的な状況証拠を絡めてで話を進めたい。私は30代半ばで、某都心から50kmくらいにある某大学を職場とする人間だ。で、自分の周りがみんな全くクルマに興味がないかというと、そんなことはない。R32スカイラインをシートを始めとしてひたすら改造しながら乗っている先輩、フランス製オープンカーに乗る後輩、馬鹿でかいアメリカ製SUVで駅まで送ってくれた後輩、、、、普通にいる。しかし、キャンパスの周りが整備され、駐車場の確保が難しくなったなどの事情もあるのだろうが、昔はその存在を確認できた30万円で買った中古車で大学に通い、金はなくともバス/電車という公共交通機関の利用を忌避するタイプの層は、ほとんど見ることができない。つまり、エンスー、とまではいわないかもいれないが、クルマに対しそれなりのお金を費やししている層は昔も今も、少数ながら存在していて、がんばってクルマに乗ろうという層がいなくなったということになるだろう。
30万円の中古車というと、当時の車種で具体的に言えば、10年オチのファミリアハッチバックとか、カローラⅡとかですな。当然乗り心地は良くないし、内装はパットしないし、、、でも、なぜわざわざそんなクルマを乗り回していたかというと、一番大きな理由は「クルマが無ければ不便だった」ということではないかと思うのですよ。この15年ほどで、私鉄や地下鉄の延長、新規路線開業は相次いだし、JRも湘南新宿ラインなどの直通電車をバンバン投入した。職場近辺は、15年ほど前までは、各駅停車しか止まらない私鉄の駅までバスで15分。都心に行くには2時間じゃ利かないという状況だった。かつ周囲には自動車工場と関連施設、更には清掃工場とかしかない、街だったわけで、、、、そりゃ、がんばってバイトして、クルマ買うよなぁ。逆に言えば、今となっては、無理してバイトしなきゃ手に入らないならクルマなんて買わずに、大学が斡旋してくれるUQ Wimaxのルータでも買って、電車の中で課題をこなしている方がよっぽど効率的だ。
これと同じ状況が広く各大学で生じている。また、首都圏・関西圏のいたる大学で、文系を中心に、バブル期に都心から30〜50km圏に新たに取得した土地に移転させた学部を、都心部の本部キャンパスに戻すというプロジェクトが進められている。というわけで、大学生の多くがクルマに乗らなくなるのは必然、というべき状況なのだ。
"Fun to Drive"というのは80年代〜90年代(だったかな?)にトヨタが掲げていたコーポレートスローガン、というかキャッチコピー。今あらためて読んでみると、いいキャッチコピーだなぁと。クルマを運転するのはやっぱり楽しいと思う。車高の低い、重心の位置が決まっているクルマって、運転技術が下手な人間でも、走らせるとむちゃくちゃ楽しい。(助手席に乗る人はたまったものじゃないわけだけれど、、、)研究者の職場というのは、普通のホワイトカラーと比べて圧倒的に交通の不便な場所に設置されていることが多い。大学しかり、企業や行政立の研究所しかり。将来的にそういった職場で、ある程度の期間働くことになったとしても、個人的にはクルマで通勤するのはできるだけ避けたいと思う。だって、遅刻の心配しながら朝必死に高速を飛ばしたり、長時間デスクワークした疲れた体で夜道を長時間かけて走って帰宅なんてしたくないじゃあないですか。しかも、クルマに乗っている限り、酒が飲めないというオチまでついてくる。正直、Fun to Driveを実感するきっかけが、自分に巡ってくる機会なんてめったにない。
タイトな仕事に従事する層が通勤でFun to Driveを感じるというのはかなり厳しい。逆に言えば、サボってもいい授業を沢山履修していたり、帰り道にドライブデートする機会が多い学生というのは、Fun to Driveを感じるのにものすごく最適化された生活をしているのだろう。もちろん、クルマで通うことが正当化されるような大学に通っている場合に限るわけだけれど、、、、
それ以外では、「もともと自宅に乗っていて楽しいタイプのクルマがあって」「工場勤務で工場隣接の寮に住んでいるから平日は閉じ込められている。近所にろくに店もないから、週末はクルマで遠出するのが趣味。店がないということは、そもそも他にお金の使い道もないし、、、」という人くらいなのではないかと思いますよ。
まあそれでも、ものづくりニッポンの文化として、モータリゼーションは浸透し続けるべきだし、それは可能だとおっしゃる向きもあるだろう。であれば、自動車文化先進国といわれるヨーロッパの状況を見てみたい。
ヨーロッパに行くと、日本ではあまりお目にかかれないブランドのクルマをよく見かける。SKODA、SEAT、そして90年代には多少日本にも乗っている人がいたけれど、、、的なOPEL、LANCIAなどもまだまだ現役だ。注目したいのはSKODAとSEAT。この2つのブランドはAudi同様VOLKS WAGENの一ブランドなのである。SKODAはもともとチェコ、SEATはスペインのメーカー。それぞれVWによって買収され、現在は中〜低価格帯のラインナップを担っている。逆にVWの高級ラインがAudi。VWは、ヨーロッパで最も販売台数が多い自動車メーカーだ。ACEA - European Automobile Manufacturers' Associationの、Year 2011 by manufacturer and by vehicle category (Enlarged Europe) <※注1:エクセルファイルへのリンクです, 注2:1月〜8月までの数値>によると、メーカーとしてのシェアは23.2%。で、問題は23.2%の内訳だ。VWブランドは全体の12.3%。高級ラインのAudiは全体の5.0%、SEATが2.3%、SKODAが3.6%である。VWはフェートンやトゥアレグなどの高級車(というか、実質中身はAudi A8・Q7ね、、、)はあれど、代数的にはごく一部だろうから、23.2%のうち、15%くらいはBセグメント以下の中小型車と推測できる。そしてVWグループの低価格帯のクルマにスポーツカーは極少数だし、Golfにしても他の車種にしても、ホットバージョンのグレードは売上のほんの少しだろう。
一方、スポーツブランド、エンスーな人御用達ブランドはというと、、、ALFA ROMEOで1.0%、PORSCHEで0.3%。ボンドカーASTON MARTINもヨーロッパでは8ヶ月間で1,664台(0.0180630955651735%)しか売れていない。(これだけ売れれば十分か、、、?)ちなみにみんな大好きフェラーリは、FIATグループの中でもその他扱いされていて、数値が出されていない。っていうか、その程度のもの。ヨーロッパは階級社会が未だに色濃く残る社会なので、先祖代々馬車に乗っているような人たちが、相変わらず週末の嗜みとしてポルシェやフェラーリ、はたまたブガッティやランボルギーニなどのカロッツェリアがリリースする少数生産の高級車に乗っているのだろう。ということは、ですよ。日本においてエンスー車のみをひたすら取り上げていたCar GraphicやNaviのような雑誌がそこそこ売れ、地方自治体立の図書館に配架され、なおかつテレビ朝日系で番組まであったというのは、どう考えてもおかしい事態、なわけですね。
というと、やっぱり車の運転が「好き」っていう人はそんなにいるように思えない。バック・トゥ・ザ・フューチャーの時代から、若者の憧れはSUVだったし、トヨタがアメリカの若年層を攻略するために導入したサイオンだって、ラインナップはxB(日本名Bb)、xD(日本名ist)だし。アメリカ市場といえば、、、のホンダの戦略車種だって、ELEMENTやCR-VにMDX。ようは、SUVをカリフォルニアサーフカルチャーに振るか、ニューヨークのヒップホップカルチャーに振るか、はたまた高級志向に走るかしか、手はなかったわけで、、、、
経済成長期というのは、来年は今年よりも所得が増える人が沢山いるという状態のことだ。経済的に余裕が出来てくると、多くの人間が考えるのは生活の質的向上を図ろうというものだ。その結果、未知の様々な趣味にお金と時間を突っ込んで見ることとなる(これ、現在の中国沿海部がちょうどそういう状態)。そういった状況下で、日本のメーカーはレビン/トレノ、MR-2、CR-X、ユーノスロードスター、FTOなど低価格でかなり走りが楽しめるスポーツカーを量産してしまうことに成功してしまう。ミドシップのツーシーターが200万円台前半とか、V−Tecエンジンを積んだ2ドアホットハッチが100万円台、車の歴史から見たら、おかしいだろう!ということですよ。更にホンダビートやダイハツカプチーノ、極めつけはマツダAutozam AZ-1。軽自動車なのに、ミドシップでガルウィング。とんでもなさすぎる、、、、
で、いろいろ手を出してみるものの、そこそこ収入が安定する頃には、自分の趣味や可処分所得に見合った趣味だけに落ち着いていく。ま、もともとクルマで女の子にもてようと思えば、そこそこの外車や国産車でもレクサスになるだろう。中途半端に月3万円のローンとほぼ同額の維持費をクルマに突っ込むくらいなら、3万円を衣服費に使い、残り3万円でデートに誘う店のグレードを上げた方がよっぽどモテるだろう。結局日本という市場は、相も変わらず500万円オーバーのクルマを買い続けてくれる一部の層と、下駄として使うための安くて丈夫なクルマを選ぶ層(しかも、子育て期限定でワンボックスを買う層も多いと見た、っていうか00年代前半は、2シーター乗っていた人が、パパになってSTEPWGNやセレナに乗り換えを余儀なくされるというパターンが本当に多かったのですよ)と、クルマなんてそもそもいらないっていう多くの層によって形成されることとなる。下駄クルマは利益率は低いし、韓国・中国勢がブランド力を向上させていけば、取って代わられる事態も当然ありうる(それを日本にやられた先例がアメリカだ)。国内市場で利益をあげ続けようと思うならば、高級車のシェアを取りに行くしかない。そういう意味でトヨタはLexusを止める訳にはいかないし、他社は実質国内市場はあきらめかけているんじゃない、、、としか思えない。高級車ラインを展開できなければ、日本は欧州・アジア向けモデルを導入するone of themの市場という前提で戦略を立てざるを得ない(実際、日産、ホンダ、マツダなんかはまさしくこの戦略をとってる。マーチが全量アジアからの輸入になるなんてね、、、、)。
で、以下のURLから1本のテレビCMをご覧頂きたい。トヨタグループの一員であるダイハツの企業CMだ。
テレビCM 企業CM「日本のどこかで 新しい町」篇【ダイハツ】
このCMの読み解きは、あくまでも僕の憶測にしか過ぎないのであしからず。
都会でクリエイティブ(たぶん美容師とか、ショップ店員とかかな?)な仕事をしていた瑛太が、突如田舎にIターン(Uターン、じゃないだろうなぁ、、、)して、ガテン系(工務店)の仕事を始める。そこで、これまで乗っていたアメ車のシボレー・カマロを第三のエコカーであるダイハツの軽(ミラ・イース)に変える。生活の変化と平行して、地元の郵便局員である吹石一恵との関係が始まり、、、、というストーリーなわけだけど、設定の1つ1つに企業戦略として重要な意味合いが込められていると思うのだ。(あくまでも推測だけど、、、)
都心にはダイハツが売り込む市場など、商用車以外に大して存在しない(それでも、乳幼児を抱えるお母さんが、電車に乗れなくなったから必要に迫られて車を買うというケースは結構ある(タントのCMを参照。それにしてもダイハツのCMは、意図がすっきりはっきりして清々しいほど。マーケ的お手本ですね。)。だから、当然第一次・第二次産業(の生産部門)が経済の中心であるエリア、もっとわかりやすく言い換えると、でっかいイオンモールが唯一のデートコースという地域が、ダイハツ(とかスズキとか)の主戦場となる。
そういったエリアは、都心とは異なる理由で市場の縮小が進んでいる。まずもって、人口減少トレンドがものすごく強いということ。都心の場合出生率は下がっても、人口流入が大きいので若年層人口の減少トレンドはかなり緩和されている(というか、江東区とか、横浜市なんかは、保育園入園の待機児童問題がぜんぜん解決されないままで、、、、)。でも、地方は加速度がついて若年人口が減っているというのがまず前提となる。
その上に自動車市場を冷やす意外な要因というのが、実はイオンモールの進出ではないのかな、と個人的には睨んでいる。こう書くと、「イオンモールこそが、駅前商店街衰退の最大の要因で、だからみんなクルマを保有せざるをえないのじゃないか」というツッコミがきそうだが、たぶん逆じゃないかな、と。地方の駅前商店街なんて、もともと若年層が楽しめる娯楽や、ファッションを提供する機能を持っていなかった。だから、暇な若者に出来る時間つぶしって、女の子を誘ってドライブくらいしかなかったわけだ。例えば、90年代にものすごく売れたホンダ・S-MX は、フルフラットシートにできるだけでなく、ご丁寧にティッシュボックスまで備え付けてある。わかりやすくニーズのど真ん中をついていたわけだ。
それが、イオンモールができることで状況は一変する。シネコンやタイトーとかセガとかの大規模ゲーセンやROUND1で時間は潰せるし、服を買うのも、ワールドやイトキン、オンワードといったアパレル大手のちょっと低価格ラインのショップ、レディースならば宮崎あおいがCMしてるEarth music & ecologyとか、OZOC、Melroseとか。メンズならTK Takeo Kikuchiとか。ユニセックス&チャイルドで、UNIQLOに満足しない層のために、GAPとか、無印とか、COMME CA ISMとかも入っている。ABCマートがあれば、靴も含めてそんなにダサくない、というか都心で売っているものと遜色のないものが揃ってしまう。そりゃ、裏原宿のテイストは無理だけど、池袋マルイやサンシャインシティくらいのレベルは買えてしまう。片道30分でイオンモールにつけるのであれば、その短い時間にお金をかけるよりも、一日中過ごすイオンモールの中でお金を使ったほうが楽しいわけだ。つまり、人口が少ないだけでなく、残っている若者にもクルマに必要以上にお金をつぎ込むインセンティブがもはや存在しないということだ。
じゃあ、粛々とシュリンクする市場規模に対応するだけの資源投下をすべきか、、、というとそうは問屋がおろさない。それができない要因、それは地方に数多く存在する独立資本の販売店フランチャイジーだ。バブル崩壊後、自動車メーカーはそれぞれ、ドラスティックに販売網ネットワークを整理した。今となっては複数の販売チャネルを運営しているのは、実質的にはトヨタだけになってしまった。ただし、トヨタ・日産・三菱といったメーカーの場合、販社は一部自らが出資している法人が大半であり、スムーズに(とはいかないまでも、どうにか)店舗網の縮小、合併を進めることができた。ところが、ダイハツ、スズキ、スバル、ホンダ(の旧プリモ店)は、三丁目の夕日に出てくるような個人経営の自動車整備業にフランチャイジーとして販売を委託するという形態の店舗を数多く抱える。販売店網が密だということは、アフターサービス・メンテナンスの質を向上させることにつながる。アフターサービス・メンテナンスはアフターマーケットという業界用語があるくらい、利益率の高い市場なので、各社力を入れているわけだが、サービス水準を高めるためには、各店舗の士気が高められていることが重要だ。
販社としては、生涯価値の高い顧客、つまり長くお金を落とし続けてくれる顧客を捕まえたいというニーズを持っている。となると、地方にやってきた若年層というのが、一番欲しい顧客のプロファイルとなる。地方にやってきて、工務店という地域密着な仕事をし、地元の(たぶん)特定郵便局の職員とつきあって結婚して、、、というのは、まさしく地方の販売店にとって喉から手が出るほど欲しい顧客像だといえるだろう。こういう層に向けて、ストレートに刺さるCM、というのは、ミラ・イースの本当の想定顧客かどうかは関係ない。(実際、イースの車種CMは、ブルース・ウィリスを起用してダジャレを言わせているわけだから、瑛太のようなプロフィール、ではないことは明白。)「企業CM」して瑛太と吹石一恵が出演するCMを放映するということは、メッセージのターゲットは販売店フランチャイジーなのではないかな、と。
小見出しで結論は言い切っちゃいましたが、基本はこれ。自動車メーカーもボードメンバーや車種開発部門は既にわかっていてやっているはず。じゃなきゃ、瑛太が乗るクルマはミラ・イースにならないし、マツダのスカイアクティブテクノロジ搭載車やホンダのハイブリッド車に国内独自モデルが1つもない、なんて事にもならないはず。
ところが、販売部門、とくに販社といっしょにプロモーション計画を取りまとめる部門は、国内は縮小均衡で粛々とやっていく、なんてことは口が裂けても言えないはず。なので、国内販社向けマーケティング担当者が考えるべきは、シュリンクする市場環境下で、世界共通モデルをいかに低コストでローカライズして、他者のシェアを奪うのか、しかないのが現状なのだと思いますよ。正直、ね。
変にハデでなくて、車内が臭くなくて、座席が座りやすくて、空調がそれなりにちゃんと効いて、荷物もそこそこ積める車がいい、と答える当方女性ですが。
どういう風に判定してくれるんでしょうかね。
たかだか車のメーカーでどれを挙げるかってだけで異性の好みだ巨乳好きだ何だまで微に入り細に入り妄想ご苦労様。
明らかに関係のない事まで何でもかんでもケースにあてはめて知った気になってるのはただの思考停止ってもんだよ。
どっかのインチキ女性誌が車の購買を煽るために書いた記事を真に受けただけの文章って感じ。
国産だレクサスだRVだという概念がどうでもいい人間が対象外ならそう書くべき。
せめて全員判定できる血液型のがなんぼかマシだな。
これは私の長年の統計学的経験論なのだが(つまりいい加減てことですね)
異性の好みや接し方を簡単に推測する方法がある。
それは、
「どんな車が好き?」
って聞いてみることだ。
補足1
「車」と「異性のパートナー」というのは重要な共通点がある。それは、いずれも「人生のある時期、思い出を共有した同志である」ということだ。こういう同志に対して情がわくか否か、薄情になれるか否か、が共通するというのは、ある意味科学的にも正しいのかもしれないと思う。
好きな車は?と聞いて「国産車」(但しスポーツカーとRVを除く)を挙げる人は、かなり保守派だ。
堅実派、浮気しない人、安定した職業についた人を好む傾向がある。
また平均的な異性を好む。必ずしも美人(イケメン)である必要はない。逆に派手な異性は苦手。
「ドイツ車」あるいは「BMW」「ベンツ」「フェラーリ」「レクサス」等をメーカー名や国名で挙げる人は、
基本的にブランド志向なので、他人から見て自分の恋人がどのように見えるかをとても気にする。
男性なら高収入、医師弁護士などの職業が優先事項。ルックスは良いに越したことはないがそれよりも財力と権力(役職とか)
女性なら体育会系のがっしりした男性を好む。自分より背の低い男性は基本NG。マッチョOK
男性ならバストの大きさをとても気にする。基本的に巨乳好きというか貧乳は許せないタイプである。
「フェラーリの○○」とか「ルノーの○○」みたいな一般人はあまり知らないような特定の固有の車種名を挙げる人。こういう人はあまり特定の傾向がなく、好きな異性タイプもピンポイントである。たとえば女優のAは大好きだが(顔の似ている)Bは生理的にダメ、とか言うことがよくあるのでその微妙な違いが他人にはよくわからない場合もある。ただし好きなものはとことん好き、という人である。
また、特に男性の場合、車の扱い方と女性の扱い方はとても良く似ている。
新車にこだわる人、これは処女にこだわる。中古ばかり乗っている人はその点はおおらかである。
ひとつの車に長く長く乗る人。これはパートナーの異性をとても大事にする。基本浮気はしない。女性の場合は重すぎることも。
頻繁にあれこれと車を乗り換える人。こういう人は異性も簡単に乗り換えるし浮気が多いので要注意である。
車を洗車ばかりしてる人や、内外装に飾り付けをたくさんする人は、ある意味独占欲が強いのだろう。暴力傾向があるのでこれも要注意。パートナーをとても大事に(誰にもちょっかいを出させない、縛る)するが、ひとたび浮気でも疑われると暴力沙汰になりたいへんな思いをする。
補足2
車に興味がない、車なんて乗れれば何でもいい。という人は、恋愛においても受け身。基本的に自分からは告白しない。逆に押し続ければ落ちるタイプである。異性にこだわりがない代わりに、自分を愛してくれる人、が好き。基本的に自分が一番大事なわりに自分に自信がないのだと思う。
補足3
変にハデでなくて、車内が臭くなくて、座席が座りやすくて、空調がそれなりにちゃんと効いて、荷物もそこそこ積める車がいい。
という人は、基本的に相手を道具としてしか見ていない。ちゃんと稼いで浮気もせず家に帰ってきてくれればそれでいい、亭主元気で留守がいい、というタイプである。こういう人はスペックで相手を見るので、決して高スペックは望まないが堅実でしっかりした職業の人、それもできれば家柄がいいほうがいい、というタイプ。自身も庶民であるか、逆に超お嬢様で世間知らずな人かのどちらかである。